人に恵まれないという考え
はい、どうも。丸山のコミュニケーションです。
まずは、おめでとうございます。
ということで、今回は、
人に恵まれない、という話をしていきます。
はい、人に恵まれない、ですね。
あなたは、自分が人に恵まれないな、というようなことを思うようなことはあるでしょうか。
今回はですね、思い切って一回人のせいにしてみようと、
そんなような考え方というようなところですかね。
本来は、人に恵まれない、イコール他人のせいにしているというようなところで、
操作をできない他人のせいにしていると、人に恵まれないというような考え方を持っていても、
現状何も変わらないですよ、というようなことがあるんですけれども、
とはいえ、今現状、自分は人に恵まれていないというように思う場合には、
一度それを出し切ってしまいましょう、というようなことなんですね。
一度きり、そういうところが非常に大切であって、
常に人に恵まれないなと、自分は他者に恵まれていない、
それは誰々がいるから、誰々さんのせいで、
そういうふうにですね、人のせいにしていても何も進展しないので、
あまり推奨はしない考え方なんですけれども、
とはいえ、一度こうして思ってしまった以上、
それをフラットにするためにも、全てを吐き出していきましょう、というようなことですね。
ただ、吐き出すといっても、直接その本人に言うというよりかは、
あえてその思いを消化するために、
消化はご飯を食べた時に消化するというような、そういう意味での消化ですね、消すというような意味。
あえてその思いを消し去るために、出し切るというようなことをするわけですね。
それは消化しないと、たまり続けるようなことになります。
これもね、食事と一緒ですね。ご飯を食べて、出すものを出さないと、たまり続けるから、出すというようなね。
そういう人体の構造と同じように、人の思考というものも、考え方というものも、
一度それが思い浮かぶ、思い至ってしまった場合には、特にネガティブなことといいますか、
こうした人に恵まれないというものも、自分自身でどうにかできるということではなくて、
他者のせいにするというような、そうした考えも吐き出さないと、いつまでも消えません。
ゆくゆくは、こうした考えすらも浮かばなくなるようなことになっていくんですけれども、
とはいえ浮かぶと、人に恵まれない、あの人のせいだ、この人のせいだというようなことは、考え得る。
ですから、そうした出し切りというようなことをするわけですね。
これを出し切る上でのポイントといいますか、留意しておいたほうがいいですよというようなことなんですけれども、
2つですかね。2つですね。
1つは先ほども言いましたが、直接対象の人に言うことはしない。
吐き出すと言っても、ぶつけるわけではなくて、消化するためにするわけですから、
あなたがこの人がいるから恵まれないんだと、人に恵まれていないんだと、
いうようなことを思っていたとしても、その本人に直接言う、これは避けたほうがいいですね。
なぜなのかは言わなくてもわかるかと思いますが、
当然その人との人間関係が悪化するからですね。
そしてもう1つ、2つ目は、中途半端にこれは自分のせいかもなというようなことを思わないということ。
人のいいあなたは、人に恵まれないということを他者に、また人のせいにするということはある。
けれども、ある部分においては、それは自分のせいなのかもなというようなことを思うかと思います。
ですが、今回は消化するためにあえて出し切るというような行為をするわけであって、
そうした場合には、中途半端に、これは自分が悪いと、
人に恵まれていないというよりか、これは自分のせいかなというようなことを考えないことですね。
ただいそう思ったとしても、いやそれもめぐりめぐって相手のせいだと、人のせいなんだというようにですね、
思考の転換をして、自分には全く悲がないというような、
本来その人格者であったり、コミュニケーションの技術があったりするような人とは真逆の、かけ離れた思考ですけれども、
今回1回きりですから、そうしたことをですね、考えてみる。
全部人のせいだと、自分は全く何も悪くない、非の一所もない、すべて人のせいなんですと、
これをやるということですね。
再三になりますけれども、もう本当に1回きりですからね、
この考え方を常駐させておいてしまうと、
ろくでもない性格になっていってしまうような可能性もありますので、
あくまで今回1回きり。
人に恵まれないと他者への思いという、他人のせいにしてしまうというような、
そうした考え方を完全に抹消する、出し切る、消化するために、
今回一度きりそうした考えをですね、持って、思い切って一度人のせいにするというようなことをやる。
思考の消化
これをすることによって、人に恵まれないというような、その思いが消えていくというようなことになります。
詰まるところ、何か恵まれないと思っていたとしても、
それは自らの行動、もしくは発言、そうしたことによって、
生まれている状況なんだなということに立ち返ることができるわけですね。
ですから中途半端ではなく、やり切ってしまう。
そして一度やったら次へと進んでいくというような、そういうことですね。
つまり何が言いたいのかというと、人に恵まれない。
生活、活動していく中で、自分は人に恵まれないなというようなことですね。
思っているわいに。
それは他人のせいにしてしまっている部分がありますから、
何もね、そのままでは何も生み出さない。
とはいえ、人に恵まれないということ、他人のせいにするということをするんだと。
だって実際そうですからというふうに思う場合もあるかと思います。
ということであれば、思い切って、今回一度きり、
全てを人のせいにしてみる。
それは自分一人の中で消化するためですから、人に言うということはしませんね。
直接言うことはしないんですけれども、
その思いを消化するために、あえて出し切るためにやるということです。
中途半端にやるのではなくて、これは自分のせいなのかもなと、
この一部分においては確かに自分も悪いなというようなことは考えずに、
全部自分ではない、もう人のせいなんだというようなことですね。
この一度きりやるわけですね。
それは思考も人体の構造と同じで、
溜まっているものがあれば、出さないと、消化しないと消えませんから、
そういうことを思う場合には、やる。一人でやる。
まず、やる際の冒頭には、今回一度きり、
全て一回人のせいにしますというように、
自分自身に向けて宣言をしてもいいと思います。
終わった暁には、これでもう人に恵まれないというように、
他人のせいにするということはないなということを、
そうすれば今後、人に恵まれないというようなことは思わなくなっていきます。
マイナスのことであっても、やり切ると、出し切ると、
それが裏返って、せいのエネルギーになっていくわけですね。
もう人のせいにしないと、人に恵まれないということは思わないということですね。
ぜひこの機会に出し切ってみてください。
ということで、以上となります。ありがとうございました。