自分は悪くないの考え方
はい、どうも、丸山のコミュニケーションです。
まずは、おめでとうございます。ということで今回は、自分は悪くないという話をしていきます。
はい、自分は悪くない、ですね。自分のせいじゃない、自分には責任がない、というように表現することもありますね。
こうした考え方を持っていると、人間関係を築いていく上でプラスに働くことはあまりないですよね。
もちろんあなたはそうではないと思います。自分は悪くないんですというようなことを言うような人ではないと思います。
世の中一定数こういう人がいるということもご理解はされているかと思います。
ですから、自分のことは悪くない、自分のせいじゃない、自分には責任がない、こういう考え方についてですね。
特定の人というよりかは、そういう考え方について話していきます。
割とこういう人は、より多くの人と関われば関わるほど出会う確率が上がっていく。
世の中の絶対数的に、自分は悪くないというふうに言うような人の数の方が、自分の責任なんですというふうに言える人よりも多いような気がします。
今いる思考のステージ、階層にもよりますが、多いか少ないかで言ったら、多い、真下半数以上ですかね、自分は悪くないんですというふうに言うようなこと。
この考え方に何かしらの結論があるとすれば、あくまで私の考えですけれども、
宿命と責任
自分の行いは自分によって決められているわけであって、他の誰かのせいになるようなことなど、ごく限られたことでしか当てはまらないというふうに思うわけですね。
宿命だとか運命だとか、そういう言葉がありますけれども、自分は悪くない、自分の責任ではないというようなことは、
この宿命にあたる方、つまりどういう家に生まれたとか、どういう国に生まれたとか、出生に関すること、どういう人に育てられるのかということもそれによって決まりますから、自分では選べない。
そこに対して自分の責任ですというようなことは、行き過ぎた考えですよね。自分のせいなわけがないんですよ、それは。
過ぎ去った過去のことですけれども、そのこと自体はもう変えられない。誰にも決められないこと。そうしたことにのみ自分は悪くないというようなこと、その表現が当てはまることであって、その後の人生ですね。
とりわけ大人になってから、出生によって性格が決まり、考え方も決まりというような、そういうこともありますけれども、それは後天的に変えられることですからね。
ですからこうしたコミュニケーションの技術ということがあるんですけれども、後天的に変えられるものがあっても、それをせずに、自分のせいではない、自分は悪くないというように言う。
これはですね、岡田が違うわけですよ。宿命以外のこと、決まっている、定められていること以外、いわゆる運命というもので、自分自身の行動を行い、いかによってはいかようにでも変化できること。
今の自分を作っているのは、今より過去の行動を自分で選択してきた自分の行いのことによって、というようなところがありますから、今何が起ころうとも、自分が悪くないことなど一つもないんですね。
とはいえ、宿命、運命なんていうふうに言うとね、人生全体というようなスケールが大きすぎますから、
普段の日常のコミュニケーション、人間関係というところにおいて、そこに落とし込んでみて思ったとすると、あなたもね、心当たりがあると思います。
こうした人は多いですよね。出会うこともあると思います。出会ってきたかと思います。
そうした人と出会った時に、あなたもそれに追従して、そうですよねと、あなたも私も悪くないですよねというふうにするのは簡単なんですけれども、それだと人格が育っていかないんですね。
自分は悪くない、自分のせいではないという人と同じ穴の無地なわけですよ。
あなたにはぜひ、その階層から抜け出していただきたい。
思考のレイヤー、思座というものがありますね。物事を考える思考の段階というものがあって、それが高ければ高いほど、それが低い人にも合わせることができるわけですから、そこから抜け出してもらいたい。
そのためには、日常的に自分は悪くないなというふうな人と出会った時に、その人に同調をしないということなんですね。
あなたも悪くないし、私も悪くないし、どこかの誰かが悪いよねというふうにするのではなくて、あなた自身がストッパーになってあげるんですね。
ああそうなんだと、もしかしたらその責任の一端は自分にもあるかもしれないというふうに。
あなたは悪くないけれども、それは私のせいである部分もあるかもしれないねというふうにですね。
たとえそれがあなた自身では納得の一定いなかったことであったとしても、本当は自分は別に何にも関与しないし、悪くもないかなと思っていたとしても、
その相手と同じように考えてはいけないということなんです。
同列の立場になってしまう。
傷の舐め合い。
思考の変換
これをしてね、誰も得をしない。
傷の舐め合いなんていうのは生命の損失です。
そのぐらい言ってもいいと思います。
この自分は悪くないというような人になびけばなびくほど、あなた自身の人生の損失につながってしまうんですよ。
非常に多い、こういう人が。
自分のせいではないことは限られていますから。
それはもう生まれた場所、国、そういう出生に関することぐらいです。
そこから自立、自活、自分一人で生きていけるようになるためには、少なくみても15年、20年はかかりますから、
そこまでに得てきた考え方であったり、人格であったり、行動の習性であったり、
それも多くが出生に引きずられている部分があるんですけれども、
それは後天的に変えられることであって、
いつまでもその時代を引きずって自分のせいではないというような思考がベースになっていると、
ずっと考え方が変わらない。
それで良ければいいんですけれども、それで本人が納得して、別に自分はそういう人間であってもいいというふうに
思って過ごしては別にいいんですけれども、誰かがとにかく言うことでもないので。
ただもしそうではないのであれば、後天的に変えられる運命というものは変えていけばいい。
その自分は悪くないというようなその思考の習性も変えていくことができるんですよ。
もともとが仮にそうだったとしても。
そこに気づくためには自分の行いは自分の行いによって決められているということを腹落ちさせる。
聞けば別に当たり前じゃないですか。
今の自分があるのは過去の自分が行ってきたことがすべて積み重なって今になっているというような。
それはそうだなと思いますよね。
それが分からないわけですよ。自分は悪くないと思っていると。
であれば変えていきましょうよと。
自分は悪くないから抜け出して変えられるものを変えてこなかった自分自身にも何かしらの責任の一端があるのかもしれない。
であれば今後未来に向けて今から変えていこうというようなそういう思考に変換、消化していけるというようなそういうことがありますよね。
というようなところで今回はこういう話です。
思考の話ですね。考え方についての話です。
つまり何が言いたいのかというと自分は悪くない。
これは自分のせいではない。自分の責任ではない。
そういうことが思考の習慣になっている場合に、後天的に変えられるものを変えてこなかった。
ですから今ある状態は過去の自分自身が作ってきたことであって、自分は悪くないなんていうことはごく限られたことにしか当てはまりませんという、そういうことですね。
生まれたところ、両親だとか国、土地、出生に関すること以外は後天的に変えていける運命であります。
あなたはそういう考え方をする人ではないと思いますが、世の中こういう人が多いですよね。
ですからあなたがストッパーになってあげて、相手に引きずられるのではなくて、あなたに相手を引き込んであげて、変化を促していくと、より良好な人間関係を築いていくことができますよね。
というような話です。
この思考系の話は、具体的な技術というか、小手先の技術でもなければ、常日頃考えていないと変わらないような考え方になりますので、もしいいなと思ったら繰り返し聞いていただくことをお勧めします。
参考になれば幸いです。
はい。
ありがとうございました。