承認欲求の探求
Reverse Diverse、アタッチメントを探求する。
はい、こんにちは、平林です。
こんにちは、イーノです。
前回はですね、2人に共通するアタッチメントのパターンとして、回避型というところに焦点を当てました。
平林さんと私には、でも違いもあって、同じ回避傾向がある人間とはいえ違いもあって、
平林さんはどっちかというと、自立が強いからこその回避だよね。
私はどっちかというと、恐れが強いからこその回避みたいな、なんか違いありそうだねっていう話をしました。覚えてますか?
はい、覚えてます。
忘れがちですけど、エピソードレベルでは覚えてます。
その中で、承認欲求っていう言葉も出たんですよね。
つまり、平林さんは自立が強いから、人からの承認っていうのをあんまり必要としていないという意味で、承認欲求低いのかなみたいな話出てたので、今回はですね、承認欲求焦点を当ててみようと思います。
面白い論文2つ見つけてきました。
2つの論文はですね、一見逆のことを言っている。けれども両立可能だよねっていう風に思うので、紹介したいんですけれども。
お願いします。
1つはメキシコの研究で、メキシコとコロンビアの研究者がやった研究。
この研究では、アタッチメントの4つのスタイル、型ってあるじゃないですか。
その型と承認欲求、社会的承認欲求っていう風に言ってるんだけど、社会的承認欲求とどういう関係があるのかっていうのが1つのファインディングになってて。
普通の方はそれで私と井野さんで、4証言の回避傾向の軸は同じだけど。
2つの分け方があるんだけど、たぶん私たちはブレナンとシェーバーの1998年の研究に基づいてるから、見捨てられ不安の高さ低さと親密性の回避の高さ低さで分けてるかなと。
今回のイタリアの、あ、ちゃった、メキシコか。メキシコの研究もこのブレナンさんたちの4類型。
これはね、ちゃんと読むと、1991年のバーソロミュート・ホロウィッツのモデルで、自己モデルと他者モデルで分けてるやつを使ってるかなと思う。
結果は全部一緒で、どっちも一緒で、安定型と囚われ型と拒絶回避型と恐れ回避型の4つに分けてるんだけど。
でも、その説明の仕方は、自分は愛される価値があるかどうかっていう自尊心に関わる軸と、
他者は信頼できて、自分がね、助けてって言ったら助けてくれるかみたいな、その他者モデルっていう2つの軸で説明してましたね。
この論文でちょっと面白いなって思ったのは、この4つのスタイルがありますよと。
スタイルって言っても、何度も話してるように、もう私は安定型でずっと安定型みたいなことではないんだけど、座標面のどこに位置づくかぐらいの話だし、
相手が変われば、文脈が変われば、自分の行動パターンとかって変わるわけだから、
その人がどこに位置づくかっていうのを確定することはあんまり意味がないとは思うんだけど、
でもちょっと面白かったのは、この研究で安定型っていう風になった人、振り分けられた人が5割弱ぐらいいたっていう話なんだよね。
で、私はさ、リアリティとして自分の完全に不安型の人の方が多いだろうと思ってたから、
ちょっと意外だった。半々というか4分の1なわけじゃん。安定型っていうのは実はね。
ああ、そういうことか。
4小芸に分かれるとしたら。
でもこういう心理検査的なものっていうのは、一番多い人を念頭にして、そこから外れる人に不安定のようなラベルをつけるから、私のイメージはもっと安定型が多いのかなと。
ああ、そうなんだね。
7割ぐらいが。
そういう風に振り分けるような指標になってるってことか。
することもあるのかなと思って。これはだから半分が安定型。
に位置づくよって言って、残りの半分が不安定型っていう風に呼ばれている、そのとらわれ型だったり、拒絶回避型だったり、恐れ回避型に位置づくよみたいになってて。
へー、という風に思ったのが一つなんです。そこはまあ置いといて。
メキシコの研究結果
社会的承認欲求との関係で非常に興味深かったのは、実は安定型に振り分けられた人たちも、社会的承認欲求は結構高かった。むしろその不安定型の人たちよりも高い人も多かったっていう結論が出てる。
承認欲求が高いからといって、不安定なアタッチメントのタイプを取りやすいとかそういうことでは必ずしもない。
よく考えてみればそうだよねとも思っていて、つまりその回避型の人っていうのは承認欲求低いはずだから、安定型の方がほどほどの承認欲求があるよねっていう結論自体は、あんまり矛盾してないなという風には思うんですよね。
もう一つ面白いのは、承認欲求ってすごい高いと困るよねみたいな話を前回してたと思うんだけど、大変そうだよね。でも低すぎてもいけないよっていうことをこの研究は示唆してて、承認欲求低すぎると結局人との関係から得られるポジティブな影響も受け損なってしまう。
ほどほどの承認欲求、つまり承認欲求っていうのは、相手と他者と良好な関係を築きたいっていう欲求なんだと。ポジティブな関係を築きたいっていう欲求で、それ自体は人間が集団生活していく上では必要なものだから、ほどほどのものは必要で。低すぎるとそれはそれで問題だよみたいな。
回避型の人は低いから基本的に、そこは注意が必要なのかもっていう、そういう研究でした。
この話の、この研究の話を井野さんから聞いたときに、承認欲求が低すぎるっていうふうにも、私常になんかこう、それって別の見方もできるんじゃないっていうふうに考える、そういう癖があって。
承認欲求が低すぎたら、確かに周りと周りの人との関係から得られるものっていうものを受け損なうってことはあるのかなと思うけど、どっちのリスクを重く見積もるかってことだから、
やっぱり承認されることによって、それはリスクにもなり得るっていうふうに感じるっていうのは、冷静なだけなのかもなっていうふうに、冷めてるというか、あまりチヤホヤされるっていうことのポジティブな面っていうのがあまりよくわからなくて、
それよりはリスクとして感じるのが、私なんですけど、それちょっと冷めてるとも言えるけど冷静なんだよねーって、その辺冷めそうって感じるんですよね。
うん。なるほどね。その辺も、あまりこの四諸言に囚われすぎないことが大事かなって思う一つの理由なんですよね。見方によっては違うふうにも見れるっていうか。
でも確かに外に出ていく臓器付けとして、その外に、自分の中で閉じこもるのではなく、外に出ていくといろいろなリスクもあるけどいいこともあるわけですよね。それはその、外に出ていくことの原動力として承認欲求が働くとすれば、それはポジティブな面もあるっていう。
そうそう。だから、社会的承認欲求ってこの研究では言ってるんだけど、それはほどほどのものがあるっていうのは、人間が集団の中で生きていく上では必要なものなんだっていう、そういう捉え方ですよね。
一般的な用語として承認欲求ってちょっとネガティブなニュアンスを持たれてると思うんだけども、ちょっとこの研究では中立的な定義を使ってるのかなと思いましたね。
もう一つの研究は、今度イタリアの研究なんだけど、結構似たような研究で、18歳から64歳までを対象にしたアンケート調査みたいなやつですよね。
この研究が基づいている愛着アタッチメントの次元っていうのは、ちょっと他のものと、今まで紹介してきたものとちょっと違う部分もあって、5つに分けられてるんだけど、そこはそんなにすごく重要じゃないかなと思うので、詳細は省くけれども、
4章限に加えて入ってるかなっていうふうに思ったのは、人間関係二の次っていう次元。
仕事とか趣味とかを優先して、人との関係っていうのは後回しっていうタイプの人も、この次元の中には含まれてる。
で、もう一つ面白いなって思ったのは、承認欲求っていう次元も入ってる。この研究には。
その愛着のアタッチメントのタイプの中に。
そうそうそう。周りの評価が自分の価値を決めるっていうような、なんかそういう傾向、思考傾向っていうのかな、あるいは行動パターンのことを承認欲求っていうふうに呼んでるんですよね。
じゃあ、二軸とかじゃなく、それぞれ独立した因子の様子を考えてる。
安定型っていうのが、信頼型。人を信頼し、自分も人から信頼されてるだろうっていうふうに思えているっていう、そういう状態。
で、二つ目が親密さへの不快感。これは回避型ですよね。
で、人間関係にの次っていうのは、もしかしたらその拒絶、回避型の拒絶部分かもしれない。自立とかですよね、どっちかっていうとね。
で、承認欲求。で、関係への捕らわれ。関係への捕らわれは捕らわれ型っていうふうに、四証言だと振り分けられるのかもしれないけど。
ちょっと似てるけど、ちょっと違うところもあるっていうような、五つのタイプで見ていて。
で、この研究のメインの問いっていうのは、パートナーがいる人とパートナーがいない人で、どんなふうに幸福度が違うのか。
イタリアの研究と年齢差
で、プラスその愛着スタイル、アタッチメントのスタイルが、そこにどう関係しているのかっていうのを調べるっていう話だったんだけど。
非常に面白いことに、パートナーがいようがいまいが、承認欲求が高い人は幸福度が低いっていう研究結果になってるんだよね。
だからこの場合の承認欲求っていうのは、さっきのメキシコの研究とはちょっと違って、エクセシブルな、つまり過剰な承認欲求っていうことなんだろうなっていうふうに思うの。
周りの評価が気になって、気になって仕方がないとかね、周りの評価によっては自分の価値がなくなったように感じるとか、そういうものを承認欲求っていうふうに捉えて見てるから、結果としては承認欲求が高いと幸福度が低いと。
多くの人はパートナーがいたら自分も幸せになれるんじゃないかっていうふうに思ってるけど、それは関係なかったっていう話なんだよね。
もう一つ面白いなと思ったのは、年齢によって違うっていうふうに書いてあって、若者は18歳から34歳ぐらいまでかなっていうふうにしてるんだけど、若者はやっぱり承認欲求とか関係のとらわれが強い傾向があるっていうふうになってる。
やっぱり他者っていう存在が、自分の価値を測る、あるいは判断する際に非常に大きな位置を占めてるっていうことですよね。
それはそうだよね。若い時っていうのは、自分がまだ何者かになろうとしているような状態の中だから、他者の眼差しみたいなもの、他者の評価っていうのが、自分にダイレクトに関係してくる。
対して成人、34歳以上の人を見ると、やっぱり他者の承認がなくても、承認欲求低いんだけど、他者の承認がなくても結局自分の内的な安定を支えることが可能になってくる。
そういう年齢なのかもしれない、みたいな示唆をされてたんですよね。これも結構面白いなっていう。
パートナーの有無には関わらないよ。
承認欲求と幸福度の関係
若者、年齢っていうのが結構大きい要素としてあって、その承認欲求、多分過度な承認欲求みたいなものが強いと、幸福度が低いと。
これは年齢を重ねてくると人生楽になってくるっていう感覚っていうのをちょっと表してるんですかね。
成人っていうのが34未満みたいなのって、世の中の大人っていう概念とはよりも幅が広いけど、
でも実際そういうぐらいの、自分の仕事とかが安定してきたり、人間関係も安定してくるみたいな、そのぐらいかもしれないなっていう。
安定するかどうかともかくとして、いろいろな経験を人回りするみたいな。
年齢ではあるのかもしれないですね、この資本主義の時代においてっていうのが。
もっと違う世界だったらさ、もっと早いうちにイニシエーションみたいなものをして、大人として人回りするのかもしれないけど、いろんな経験も。
でも今私たちが暮らしている世の中っていうのは、高校に行ったり、その先の大学に行ったりする人も多くて、そこから働き始めるっていう人がそれなりに多いわけですよね。
働き始めても、すぐに重要な仕事を任せられるのか、任されるのかっていうと、そうでもない時も多くて、結局3年目からみたいな。
そういうのがあった時に、いろんなポジティブ・ネガティブな経験、さまざま含め一通り経験し、その中で苦しみ、でもサバイブし、それを通して学んでいくみたいなのが、
34ぐらいまでは、確かに続きそうだねって。私はもうちょっと続いたような気もするけど、それは大学院に行ってみたいな、スタートが遅いからね。
確かにいろいろその経験を積むっていう、でそれが人回りするっていうのが、確かにね。
やっぱりかなりそのピンチをくぐり抜けるっていうこの経験も結構大事だったりしますよね。
自分がもう本当に感情的にはめちゃくちゃになって、でもまあいろんな人に相談したり話したり、あるいは相談も話もできなかったりしながら、
自分の中で感情を調整していくっていうか、感情の置きどころを見出していくみたいな。
なるほど、なんかその話を聞くとやっぱり自分とはタイプが違うのかなって感じるのは、私はどちらかというと幻想みたいなものが経験によって打ち消されるっていうか、
ああ幻想だったんだなって。
苦しみ、自分がちょっと苦しみがあったのは、なんかそう幻想によって。
どんな幻想を持ってたんですか。
人間関係はこうあらねばならないとか。
だけど実際に社会人になり仕事をしたりして、その中での人間関係みたいなものを持ったりして、
別にそれは多様でいいし、地に足がつくっていうか、ないものを欲しいのか、欲しがらなければいけないのかみたいに思わされて、
イリュージョンを植え付けられていたのかなっていうような。
それがどんどん地に足がついて地面に降り立って、自分で歩いて、
これでもういいよねっていうふうに感じる。
感じ始めるのがやっぱそのぐらい、35以降みたいな。
なんかそんなに違わないような気もして、今の話を聞くと。
要は自分ってこういう人間だよねとか、これが自分だよねっていうものを見出し始めていくのが、その34、35ぐらいだったって話なんだと思うんですよね。
実際そうかなって。私はもうちょっと遅かったと思うけど、フェーズっていうのは。
そうでもないじゃないですか。わからないけど。
いや、そうだと思いますよ。やっぱり。
だからそれは自分自身の苦しみの原因の一つでもあったと思いますよね。
他者からの眼差しっていうのがやっぱりダイレクトに自分の評価、価値みたいなものに繋がってた時期っていうのは比較的長くあったと思うので。
全てにおいてじゃないとしてもね。それは結構苦しめますよね。自分自身も。
はい、ということで今日はですね、承認欲求に関する2つの、一見すると相反する。
一方は承認欲求大事だよって、それ低すぎると問題だよっていう風に言っている。
で、他方は承認欲求高いと豪富度低いよっていう風に言ってるので、一見すると何か真逆の研究結果に見えるんだけれども、
中を見てみると承認欲求をどういう風に位置づけているかっていうところに大きな違いがあって、
それを理解すれば矛盾する研究結果でもなかったという、この2つの研究を紹介しました。
若者とSNSの影響
承認欲求によって外に出ていくっていうきっかけというか、原動力にもなり、
外に出ていっていろんな経験を通して、自分自身がこうかなみたいな、こういう方が心地がいいかなみたいなのを知ることで、
ちょうどいいところに落ち着いてきたり、もしくはSNSみたいなものによって、
SNSとかつ若者であるということが重なると結構大変そうな比較するものが多くなってしまって、
見なくてもいいものを見て比較しちゃったりして、大変ですよね。
だから若者、SNS禁止している国なんかが、小さい子か子どもがいますけど、
その辺のSNSとの関係みたいなものも、この承認欲求はよく話としては出てくる。
出てきますけどね。ちょっとそっちも調べてはいるんだけど、
でも私はSNSがない時代に、子どもから若者になり、成人になっていったわけだけど、
それでもこの論文で言ってるようなしんどさみたいなのは、自分自身が経験してきたところはあるので、
それがそのSNSが拍車をかけてるみたいなところあるのかもしれないけど。
SNSがあると、拍車がかかっちゃうタイプの人とそうでもない人も、領域によってありそうですね。
なるほど。ということで今日は承認欲求について掘り下げてみました。探求でしたね。
はい。ありがとうございました。
ありがとうございました。