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2025-03-22 22:16

20. 公私は分けた方がいい?

#となりのニューロダイバーシティ
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サマリー

今日のエピソードでは、公私を分けることの意義や影響について議論しています。特に、プライベートと仕事の関係が変化し、在宅勤務やライフ・ワーク・バランスの考え方がどのように生活に影響を与えているかを深掘りしています。リモートワークと在宅勤務が進む中で、職場環境やコミュニケーションの重要性が再評価されています。また、ワークとライフの統合が新たな働き方として注目される一方で、マネジメントの課題も浮き彫りになっています。

公私を分ける意義
こんにちは、平林です。
こんにちは、イーノです。
今日はですね、今日のテーマ発表します。
どうぞ。
公私を分けた方がいい、です。
パブリックとプライベートっていう意味。
そうですね。
公やけと私的という意味。
一般的には分けるべきって考えられてますよね。
最近はね、特に。
だから、あえて、それって逆かもよっていう話をしていこうということですね。
そうですね。
もともと働くのは損っていう甲斐があって、このシリーズの第2回で、
その中で、特に時間給で働いてる人の場合、
もう時間分しか働かないみたいな。
時間分しか働かない。
平日しか絶対に働かない。
就業時間ないしか絶対に働かない。残業しない。
で、じゃあその他の時間何するのっていうと、
プライベートを充実させたいみたいな人たちいるよねって。
それは大事な側面もあるんだけど、
プライベートを充実させてどうするのって言ったら、
プライベートを充実させた方が仕事のパフォーマンスが上がるんだみたいな話になって、
じゃあ結局仕事のためにプライベートを充実させてんのかよっていう話をしたりとか、
あともう一つ、このプライベートって言った時に、
実はもっともっと例えばケア労働とかね、
あるいは地域社会での活動とか、市民としての活動とか、
いろいろあると思うんだけど、
プライベートって言わないかもしれないけど仕事以外っていう、
有償労働以外っていう意味ではそういう活動も入ってくるはずなんだけど、
どんどんどんどんプライベートイコール遊び、消費になっていって、
ワーク・ライフ・バランスの変遷
遊ぶため、消費するために、もっともっといい、
暮らしをするために働くみたいな形で、
ワークだよね、働くっていう意味も同時に有償化されてるなみたいな話がされたんですよね。
そうですね、働くっていうか、
研究の分野では、勉強するっていうことは、
研究を進めていく上では非常に大事だけど、
それが本当にワークの範囲なのか、それとも趣味のことなのか、
それは全然遊びではないんだけど、遊びとも表現することはありますけど、
有給取るときは自己検査のためって書く。
自己検査みたいなものも含んでいるんだけど、
そういうプライベートの使い方っていう意味はちょっと薄れてきていて、
さっき言ったプライベートを充実させるっていうと、遊びに行くというか、
仕事のことを忘れて、ストレスを解放して、リフレッシュして、
また仕事っていう我慢の世界に戻っていくっていう、
そういう意味合いが強くなってますよね。
だからそこでワーク・ライフ・バランスとか、
私過去の動画見たら、ライフ・ワーク・バランスっていう風にずっと言ってて、
なんでだろうって思ってたんだけど、どっちでもいいんだって。
東京都はライフ・ワーク・バランスっていう言葉を使ってて、
仕事を先に持ってくるか、生活、ライフを先に持ってくるかの違いで、
でも一般的にはワーク・ライフ・バランスっていう順序の方が使われるのかなって思うんだけど、
どっちでもいいです、それは。
どっちでもいいんだけど、やっぱりそのワークとライフを切り離す、
二項対立的に切り離して、別のものと想定してバランスを取るっていう、
この考え方自体がちょっとピンとこないよねっていうところがあるんで。
遊びと勉強も同じ、二項対立的になっているところがあって、
私が学びプラネットで子どもたちと一緒に遊びながら学ぼうっていうようなことを言ったときに、
ある県にイベントの講演依頼を出したら、
遊びにタブレットを使う、公的なギガスクールで配られたタブレットを使うとは何事だみたいな感じで、
講演が降りなかったことがあって、
なんかそういう遊びっていうのはなんか、
良くないもの、不真面目なものみたいに思われてるってことですよね。
それと同じことが起きてますよね、仕事とライフとバランス。
学校教育の中では、たくさん遊んだ子は勉強もよくできるみたいな言説はないの?
昔はあったですよね。
プライベート充実したら仕事のパフォーマンスが上がるみたいな。
勉強がみたいな。
そうそう。
それはないですよね。
でもしっかり寝ないと覚えられないみたいなのはあるかも。
そうするとライフはもうちょっと違う意味になってくるよね、遊びとか。
学校はひたすらやっぱりやった分だけ自分に返ってくるみたいな、
そういう価値観が多いですよね。
でも仕事もそうかもしれないけどね。
そういう価値観はまだまだ強いかなって思うけど、
このワークライフバランスっていう政策が浸透していく中で、
なんか当初考えられていたこととか、
重視されていたこととは違った方向でこの考え方が使われていて、
Z世代の在宅勤務の新しい風景
人々の、私たちのっていうことだけど、
私たちの仕事に対する考え方とか、
あるいは私生活、プライベートに対する考え方っていうのが
少しずつ変質してきてるんじゃないかな。
さっき言ったようにプライベートイコール遊び消費に賄賞化され、
仕事は我慢してやるもの、お金を稼ぐためにやるもの、
遊ぶためのお金、消費するためのお金を稼ぐためにやるものみたいに賄賞化され、
ある種豊かさみたいな、働くことを通して得られる豊かさとか、
プライベートな生活を通して得られる豊かさみたいなものが減ってきてるのかな、
みたいな感覚を覚えてちょっとゾッとするんだよね。
そうですね。
在宅勤務がこのコロナの間から出てきて、
在宅勤務っていうものに対してどんなイメージが世の中にあったのかっていうのが
ちょっと浮き彫りになってきたんじゃないか、みたいな。
というのも、在宅勤務っていうのをすごく勤務する場所とか、
どういう環境でそれをしてるのかとかいうことを厳しく管理するようなことが出始めたじゃないですか。
だから、今まではあんまり考えてなかった。
主流として置いてなかったからなのか、考えてなかったからなのか、
そこをすごく締め付けを厳しくし始めて、
ワークとライフの区分けを、
じゃあ在宅勤務でもどうやってするのか、みたいな力がかかって、
在宅勤務の良さが失われつつありますよね。
ああ、なるほどね。だから本来プライベートな空間であるはずの、
自宅でパブリックな活動としてのワークをやるときに、
本来多分不可能な切り分けっていうのをしなければいけないというか、
しなければ勤務と見なさないとか、見なしてはいけないみたいな風潮があるんじゃないか。
そこの法と私が緩やかに混ざり合っていたから、
在宅勤務で働きやすかったり、自分の力を発揮できるっていうことがあったと思うんですけど、
今もそうだと思うんですけど、それを変な力が加わって、
そもそも今まで在宅勤務っていうものが、
例えば保険の、そこで怪我をしたときに保険の対象になってきたかっていうと、
そもそもなっていなかったから、別にいいとされていたのが、
じゃあそれをメインストリームの中に入れていくときに、
保険の対象にするなら、ちゃんと働いてないとねみたいなことから、
そこの区分けが始まっちゃって、
それでちゃんと家で、住所のある場所で、
他の人がたくさんいない環境もあって、
秘密みたいな、会社の情報をどう守るかみたいな話とかも、
そこに関わっているみたいな話で、
なんかずいぶんややこしいことになってきちゃったなみたいに感じるんですよね。
なんかさ、この番組で話したかどうかちょっと忘れちゃったんだけど、
平映さんには話したことあるんだけどさ、
インスタグラムでリールって動画が、短い動画がいっぱい流れてくるんだけど、
多分アメリカとかドイツとかヨーロッパとかの人たちが作成している動画で、
Z世代がいかに通常の常識をまたいで在宅勤務を実施しているかみたいな、
ちょっと面白おかしく創作している短い動画があるんだけどね、
そのうちの一つは、私たちも経験をしたzoomのオンラインミーティングだよね。
今もやってる。
今もやってるけど、コロナの時はね、結構もうあれで仕事をしてたじゃない。
それで、Z世代の若者がビデオをオンにしないわけ。
なので、ちょっと30代40代ぐらいの先輩が、
何々さん、ビデオをオンにしてくださいっていう風に言って、
オンにしたら日焼けマシーンの中に入ってたっていう。
で、「あなた何やってんの?」って言ったら、
この後クライアントと会うっていう、
クライアントがこのzoomミーティングに参加するっていう風に話したでしょ?
伝えたでしょ?何やってるの?って言ったら、
いや、だから焼いてるんですよみたいな。
準備ですね。
だから今焼いてるんですよ。
今週末、結婚式があるっていうのもあるけどみたいな感じのやり取りで、
一つは日焼けマシーンから参加しているっていうやつで、
もう一つは、ビデオはオフなんだけど、音声がたまたまオンになってて、
すごいザーザー音がしてる。後ろで。
それで、話し合いをするのにすごい邪魔だから、
誰々さんミュートにしてって、音声消してっていう風に、
先輩がお願いしたら、その人間間違えてビデオをオンにしちゃって、
オンにしたら、海上、海の上でセーリングしてたっていう。
ガシッとか言って、動画を止めるみたいなやつで。
そういうさ、在宅勤務って言っても、あるいはリモートだからさ、
どこから入っても本来はいいはず。
自分がいるところから入るみたいなことを、Z世代は自由に。
だから常識にあんまとらわれてないから、やっちゃう人もいるみたいな。
そういう動画なんだけどさ、結構面白くて、
そういう人が職場にいないかなってちょっと探してるの。
でもいいですよね。
本質ってなんだろうっていう風に考えさせてくれるし、
なぜそれはダメなのかっていう。
普通に本当に仕事してるかもしれない。できるかもしれないじゃないですか。
そうそう。どこから入るかあんまり関係がないし、
むしろすごくいろいろ動いてる人ほど、外にいることが多いから、
外から参加するってことは自然的に多くなるし、
リモートワークと職場環境
やっぱり周りの環境として、それぞれがオンラインでちょっと打ち合わせをするっていう環境が十分に整ってない。
例えばカフェだったら断られたりするみたいで、最近NGですみたいに。
だからそういう環境が整ってないからこそ、そういう劣悪な環境からも音がうるさいとかしなきゃいけないわけでさ。
そうですよね。
もっとなんか全体として、この在宅勤務の話からちょっと離れてリモートワークの話にはなってるけど、
リモートで仕事をできるような環境っていうのがどんどんどんどん社会の中に充実していけばいいのになっていうふうに思ったりすることもある。
そうですよね。あと学校に少し話を持っていくと、
全然真面目に聞いてるように見えないけれども、聞いている子もいるっていう話が。
ありますよね。ツップしてるけど話は聞いてる。
聞いてるとか。
そういうのも自分たちの、大人というか多数派の固定観念みたいなものを壊してくれて、
確かにそういうふうにしても聞けるよねとか、そのほうが聞きやすい人もいるよねとか、いろんな参加の仕方があるよねっていうことを見せてくれる貴重なメンバーなんじゃないかと思うので、
なんか在宅勤務とかリモートワークなんかも、そういうなんか多様な参加の仕方を見せてくれることで、今まで参加しにくい、入ってなかった人が入ってこれるインクルーシブな場にすることができるっていう。
ワークとライフの統合
できるかもしれないし、やっぱりそもそもここじゃなきゃダメだみたいな、まずは職場だよね。職場じゃなきゃダメだよって。
コロナの時は自宅っていうのはこういう定義ですわみたいなのをそもそも決めてさ、それこそブルシットジョブだよねって思うけど、その定義を決めるの。
そういうふうに決めてやってきたわけじゃないけど、なんかもう本来もうちょっとそのライフと自分の私生活っていう意味でのライフとその有償労働っていう意味でのそのワークも交差してて叱るべきだし、なんかそういうもんなんじゃないのかなっていうふうに思ってる。
なんかそのリモートワークとか在宅勤務をそういう特定の条件の中に押し込めてしまうと、いい面が出てこないっていうか、やっぱり人にこう実際に会うっていうのはいいこと、いいなんていうか。
刺激になるし。
刺激になったり相互作用が起きるから、じゃあそれ閉じ込めてしまったら、結構そこの弊害って濃縮されてくると思うんですけど、
閉じ込めるんじゃなくて社会の中に開くっていうそのリモートワークをいろんな場所からできたりできたら、そこで隣にいる人となんか盛り上がって新しいプロジェクトが立ち上がるとか協力者が見つかるとか。
そういうこと言われてますよね、コーワーキングスペースとかね、そういうイノベーションがまあ起こり得るようなセッティングにしてるんだみたいなね。
私自身もやっぱりさ、よく散歩したりするでしょ。
で、まあ散歩っていうのは自分の体のためでももちろんあるし、リフレッシュのためでももちろんあるんだけど、やっぱりその執筆に向けた準備でもあるんですよ。
一定程度歩かないとその溜まってこないっていうか、言葉が溜まってこない。
言葉が溜まってきて構造ができてきて、一番最初のフレーズが出てきて書けるみたいな感覚を持つから、すごくその一見フラフラ歩いてるだけだけど、結構重要な作業、クリエイティブな作業だよなと思ってはいるんだけど、
端から見るとそうではないんだろうな。でもじゃあ机の前に座って、自宅のパソコンの前に座って、うんうん考えてて、じゃあ書けるのかっていうと、必ずしもそうじゃないんだよなと思ったりもする。
そうですよね。なんかそれについてずっと考えてる必要があって。
そうそう。
さっき溜めていくって言ってましたけど、考えてないとね。
そういう意味でもやっぱりそのワークとライフって切り離しがたいものとしてある。こういう仕事だからっていうのももちろんあるけど、現代社会の労働の一つの特徴でもあるのかなと。
そうですね。なので積極的に混ぜていった方がいいんじゃないっていうのが。
混ぜていくことも有効かもしれないよね。
たまにはやってみるとかね。いつもパッキリ分けるんじゃなくて。
一般的にその講師の区分ができてないみたいなので批判する人っていうのは、仕事中に与えられた業務、本来そこで担うべき業務ではないことをやってる。ずっとおしゃべりしてるとか、そういうことを言ってるのかなと思うけどね。
だとしたらそのやっぱりアウトプットとして今日やったことが、頼んだことがやれてないっていうことを注意した方が良くて。
そうなの。そのためにはこうマネージしておく必要があってさ。
やってないと怒ってもしょうがなくて、事前に今日はここまでとか、今週はここまでやりましょうねとか。
そういうのをあらかじめ設定しておいて、進捗確認しながら、できてなかった時に注意をするっていうステップを踏む必要があるんですよ。
確かにその学校と一緒でそこにいて真面目にしていることを良しとするんじゃなくて、実際に働いたっていう実績ですよね。実績で見ていくっていう風にしないとやりようがないっていうか。
そうそうそう。それが結構コストかかるんですよ。そのマネージする側には。
だからマネージする側って結構大変だっていうのは、それをやろうとすると結構時間取られる。
それでやっぱりフィードバックしてる方がやりやすいってことですよね。
そう。こういうことが起きちゃうんだろうな。でも本来それはやった方が良くて、
あなたの仕事にやってほしい仕事はこれとこれですよ。で、このぐらいのスパンで終わらせてほしいですよみたいなのをやって、終わった後にちゃんと確認する。
この確認する作業結構難しいんですよね。
確かに。だからやっぱり態度とか、そこにいる方の方がやりやすい。
だからそこはせっかくテクノロジーもあるんだし、みんなの知恵を集めて、なんか違うやり方を生み出したいとこですね。
だからこのやっぱり管理側の問題っていうのも大きくあるんだろうなと思う。
時間だけいればいいんでしょう的な感覚が労働者にあるとしたら、それはなんか労働者側の問題っていうよりは、
やっぱり管理側がしっかり管理してないっていう、本来管理すべき部分をせずに、違うところを見てるからそういうことが起きちゃうんだよね、とも思います。
ということで今日も分析会でした。
そうですね。マネジメントは難しいっていう話が通して出てきますね。
大変な仕事だと思う。しっかりやろうとすると。
では本日の講師は分けるべき、分けた方がいいとかについてお話ししてきました。
またたびたび出てきそうなテーマですね、これは。
そうだね。
22:16

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