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2022-06-02 36:19

100. Podcast 100回記念プレゼントと、 10代で体験したアメリカの暮らし。/スピーカー:山本香織(リセッターリスト代表)

【まとめ】配信開始から100回目!記念プレゼント発表/アメリカ3年、中東シリア3年、今年は東南アジア/1992年、16歳で初めての渡米2週間プログラム/ホームステイ3家庭、寮、下宿、アパート一人暮らし/高校留学中のステイ先はシングルマザーの家庭/ホストマザーは酪農家のハードワーカー/お料理はおばあちゃん&ボーイフレンド担当/洗濯物は乾燥機の後、各自畳む/シャワールームをバスタオルで毎回拭き上げ/おじいちゃんとおばあちゃんとのフロリダの思い出/寮生活と下宿生活の体験/一人暮らしはウェストロサンゼルスのアパート/10代でホームステイ体験から得られた学び/中東シリアや東南アジアで広がる視野/プレゼントご応募方法


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00:00
[音楽]
こんにちは、自分でデザインする家事リスト、リセッターリストの山本香里です。
あの人の毎日は家事や暮らしをテーマにしたポッドキャスト番組です。
今回でなんと100回目のエピソードまで来ました。
わー
はい、とりあえず始めたこのポッドキャスト番組だったんですけれども
始めたのが2020年の5月だったと思うので、ほぼ丸2年が経ちました。
初回の収録の時に自己紹介をしたんですけれども
この間ちょっとだけ聞き返してみようかなと思って1回目を再生してみたんですけど
なんかちょっと恥ずかしくて途中までしか聞けなかったんですが
今と比べるとかなり緊張しながら話しているのでちょっと雰囲気が違うのと
あとBGMがちょっとジャズっぽいというか、なんか今と全然雰囲気が違うような感じの曲を使ってましたね。
で、その初回の時にポッドキャストを始めた理由みたいなのをちょっと話していて
で、なんか一つ目がラジオというかこういう音声で話をすることが好きっていう話をしていて
何度かイラストレーターとしてとかリセッターリストの活動についてとかでゲストにね呼んでいただいて
プロの方とねラジオでお話をした経験が何度かあって、それがすごい楽しかったっていうのがあったのが一つと
で、もう一つはその私はそのリセッターリストというカジリストを作る講座をやってるんですけど
カジってやっぱり私もそんな得意じゃないんですけど、どうしても手を動かしてる間、退屈、頭の中が退屈しちゃうので
そういうなんかカジをしながら楽しく聴けるラジオ、なんかそういうふうに私も音声を楽しんでいたので
そういうコンテンツが自分も作れないかなと思って、それで始めたっていうのが2つの理由ということで
初回でも紹介したんですが、でもやってやり始めてみたはものの、とりあえずやらないと始まらないからやってみようってことでやってみたんだけど
でももちろん続けられるのかなとか、聴いてくれる人いるのかなとか、そういうのがねすごい心配だったんですけれども
そう、なんかあのありがたいことに聴いてくださっている方々がいるおかげで100回まで続けることができました
03:08
はい、ありがとうございます
で、あの100回記念ということで何か聴いてくださっている方にプレゼントをね、なんかできないかなと思って
いろいろ考えてはいたんですよね
で、なんかリセッターリストの講座をとか、なんか使っているテキストをプレゼントしようかなとか、いろいろ思ったんだけど
でもそれよりも、あの私イラストレーターとしてイラストを描く仕事もやってるんですけど
そのね、イラストをねプレゼントしたいなっていうふうに思いつきました
はい、で、私が描いた絵をプレゼントっていうんじゃなくて、抽選で3名様に
似顔絵っていうかポートレートを描かせていただこうかなと思います
はい、なのでまぁちょっとお時間いただくと思うんですけど
私のイラストのタッチで、描いたデータをプレゼントできたらいいかなと思ってて
あの、SNSのアイコンとかそういうのに使っていただいてもいいかなって思ってます
個人利用できる範囲で
はい、なので、そうで3名様ってなんかキリがいいから思ったんだけど
そんなに応募くるかなっていうのがちょっと不安ではあるんですけれども
はい、一応そんな感じで考えていますので
はい、また応募方法を最後にお伝えしようと思います
はい、で、今回100回記念だからなんか振り返りとかやろうかなとか思ったんだけど
でもそんなにそれってあのみんな聞きたいかなっていうのがちょっと分からなかったので
ちょっと全然関係ない話を今日はお届けしようと思います
はい、あの、今私は現在タイのバンコクに来てちょうど1ヶ月以上経ったかなっていう感じなんですけれども
今年度は、えーとそうですね、ちょっといつぐらいまでってお尻がはっきり決まってるわけじゃないんですけど
東南アジアにいる予定をしています
はい、で、あの、なんかねやっぱり久しぶりに海外に旅行
旅行自体も久しぶりだけど、こう長期滞在でね、来るのもすごく久しぶりなので
やっぱり国とか文化とか違うとなんかいろんなことが常識とかね、いろいろ違うなーってことをぼんやり考えていたんですが
で、あの、私自身このポッドキャストでは家事の話とか暮らしの話がメインなので
自分がね、海外に出た時の話とかっていうのはそんなにすることはないんですけど
あのゲストの方とね、話す時にたまにちらっと出てきたりとかはあるんですけど
06:05
なんかでも改めて、えっと、振り返って考えてたら
今までの人生で、私今46歳なんですけど
えっと、トータルで6年間海外で過ごしたんだなーっていうのがあって
で、そうそう、なんかその辺のことをなんかね、思い出したりしてたんですよ、最近
なので今日はそういう話をしてみようかなと思います
で、ちょこちょこと、あの、若い頃に外国に行ったりしてたことがあったんですけど
合計すると6年間、で、あと今現在の東南アジアが経験として加わるのかなって感じです
で、内訳を見るとアメリカが3年、で、中東のシリアが3年っていう感じです
で、中東のシリアの生活については、過去回のね、84回から86回が
えっと、私が中東のシリアでめちゃくちゃお世話になった高校学者の山崎弥生さんがゲスト会で来てくれた時があって
その時に詳しくね、いろんな家事の話とか暮らしぶりの話とかをね、いっぱいしているので
ご興味がある方は是非、もう20年くらい前の情報になっちゃうんですけど、私がいた頃っていうか
なんですけど、もし興味がある方はそちらを是非バックナンバー聞いていただきたいなって思います
なので今日は、あんまり話してない10代だった頃の私が過ごしたアメリカの生活について話してみようかなって思います
はい、で、アメリカの生活については、ちょこちょこと繰り返し通ってた時期というのがあって
一番最初のきっかけは、16歳の時にホームステイプログラムが2週間
サンフランシスコの郊外であったのに参加しました
で、その後17歳から18歳の間に交換留学で1年間
これはアメリカ中西部のインディアナ州のところに1年間行ってました
で、その後また19歳から21歳まで
また今度はカリフォルニアに戻ってグラフィックデザインの勉強をしていました
そう、なので、なんかもう行って帰ってきてまた手続きして行って帰ってきてみたいなことを
10代から20代の初めは繰り返していた感じです
で、暮らし方としてはホームステイが合計で短いのも入れたら3家庭
09:04
寮が1カ所、下宿も1家庭、あと一人暮らし、アパート暮らしが1カ所
っていう感じで結構いろんなスタイルで暮らしたかなと思います
そもそも海外に出るきっかけっていうのが、私は大阪の出身で高校生くらいまで留学行ったりとかするまでは普通に大阪で育っています
特に両親が英語の関係のことで仕事でとかっていうのも何もなくて
むしろ私の父はグラフィックデザインの仕事をしてたのでそちらの影響でデザイナーになったっていうのもあるんですけど
英語に関しては私の姉がすごい得意だったっていうこともあってその影響でだと思うんですけど
中学校くらいの時から私も英語やりたいなっていうお姉ちゃんに憧れてみたいな感じで
興味を持ったっていうのが始まりで
私たちの世代で中高生くらいの頃って英会話スクールとかがちょっとブームだったり短期のホームスペとか
なんか割と学校とかにも入学する子ってちらほらいたんじゃないかなって思うんですけどそういう時代でした
で、なんかこうイメージで英語が話せたら
母が英語じゃない人とも共通語として話せるしなんかすごい世界が広がるんじゃないかっていうふうにすごい思ってた時期があって
英語にも興味があって
高校に入ってもすぐに部活はやらないでアルバイトして英会話スクール通ってみたいなことを先生と始めて
で、高1と高2の間の休みに2週間くらいのプログラムで初めての海外に出たっていう感じです
なんか当時まだ観空もなかったからもちろん
えっとね
新幹線にスーツケース持って新幹線で東京行って成田行って出発したみたいな感じだったと思うんですよ
すごい大変な時代だったんですよね今思うとね
そうそうそうそんな感じで行ったんだけどそれがもうめちゃくちゃ楽しかったんですよ
それまでも日本の高校でも外国人の先生も何人かいたし話したりとかっていう機会はいっぱいあったんだけど
英会話スクールとかで習ったことが実践で通じるっていうのがすごい嬉しくて
で、コストファミリーとの交流もめちゃくちゃ楽しかったし
現地の高校生の子たちとも交流があってそれもすごく楽しかったし
12:04
何よりも現地校に留学してたアフリカのガーナから来てた留学生の女の子とすごいなんか息統合して
そうで当時ねまだメールもインターネットもない時代だったんで
帰国後もあの住所を交換してたから手紙を送り合ったりとかすごいしてましたね
多分1990年代前半とか92年とかかなぐらいだったと思います
エアメールを送ってました
で、帰国後もやっぱその2週間の体験が忘れられなくて
もっと長く行きたいという思いが強くなって
で、いろんな道を探った結果交換留学っていう形で
日本の高校の3年生の1学期まで日本の高校行って休学して
でアメリカのインディアナ州っていうところ
シカゴとかがあるところ全体の地図で見るとシカゴが一番近い大きな街なんだけど
そこからめちゃくちゃ遠い小さな街に留学していました
公立高校に
で、9月始まりだからそこから1年間留学して
その1年経った後に日本に戻って1学年下の台に合流して
で、2学期3学期出て1年遅れで卒業したという形になってます
で、その1年間はホームステイで一般家庭で暮らしてたので
なんかこう一番アメリカ生活についてなんか学んだ時期だなって今振り返ると思います
私のステイ先はシングルマザーのお家で
娘1人、ママ1人、で、あと私の女3人暮らしだったんですよね
で、娘ちゃんは当時小学校6年生だったので
今の私の娘が中学1年生なので同じくらいの時期だなぁって今娘を見ていて思います
で、なんか今ね自分が子育てをしている立場になってみて
なんか子育てしながら留学生を受け入れることが今できるかって言われたら
なかなかホストマザーすごいなって思ったりします
で、彼女のお家はすごい古いお家で年代物の一軒家っていう感じ
なんか間取りもすごく変わっていて
1階にキッチンとリビング、ダイニング、洗濯機とか乾燥機とかが全部セットされているバスルームがあって
15:03
2階にベッドルームが3つあって
1つがホストマザー、1つがホストシスター、1つが私っていう感じで
2階にもバスルームが1つついているっていうお家で
で、あと地下室が1つ
で、結構ね地下室は割といろんな家にあって
竜巻対策とかにも使われたりするみたいですね
エリアによってはね竜巻とかが起きるようなところだったと思います
で、私のホストマザーはアンティークのインテリアがすごい趣味で
めちゃくちゃセンスが良くて
素敵な家具もいっぱいあったし
素敵な雑貨類がたくさんありました
なので週末とかよくアンティークマーケット巡りとかに
連れて行ってもらったのを覚えています
で、ホストマザーはファミリー経営のね
ラクノをやっていたので
そう牧場を経営してたから
牛の世話にあげてくれていました
朝すごい早くてね
4時とかに起きて仕事行って
昼は割とだから時間が自由に使えて
夕方はまた仕事で
夜はもう結構すぐ早めの時間に寝落ちしちゃうみたいな
よくあの刺繍しながら寝ちゃうみたいなことを繰り返してましたね
お母さんすごいハードな生活だったと思います
今はもうリタイアしているんですけど
家の近くにすぐ近くに農場があったから
で、おじいちゃんおばあちゃんお姉さんお兄さん
いとこみんなで経営してるという感じで
従業員の方がたくさんいたと思います
で、私はね
ファーム仕事っていうのも一通りね
紹介してもらってちょっと手伝ったりしたことはあったんだけど
ホストマザーの方針でお手伝いなんかいいから
学校で友達をいっぱい作っていっぱい遊んでおいでっていう
そういうお家だったから
なんかあんまり私は牧場の仕事は詳しくなくて
それよりも本当学校の友達と毎日遊んで部活やってみたいな
めちゃめちゃ学生生活を楽しんで過ごしていました
学校はどんなだったかっていうと
ほぼ白人の社会の感じでしたね
そこはであとメキシカンの学生が少しいて
私もなんか女子だった子が何人かいますけれども
で、あと留学生は私を入れて4人くらいだったかな
ウクライナとボリビアとデンマークと日本から
18:03
それぞれ一人ずつぐらいの感じでした
なのでアジア人はいなかったですね
で、部活はアメリカはシーズン制だったりするので
1年間ずっと同じ部活に入るっていうよりも
冬は何とか春は何とかそんな感じでやってました
私は女子バスのマネージャーを冬やって
春はテニス部をやってましたね
プレイヤーとして
色々楽しい思い出がいっぱいの留学生活だったんですけど
学校に通うのも最初はスクールバスを使ったりしてたんですけど
すぐ友達とかが出てきて
車で迎えに行くよとかっていう感じで送り迎えしてもらうようになりました
でね、向こうでの日常というか家事とか暮らしのことって
どんな風だったかなっていうのを思い出してたんですけど
ホストマザーはそうやって牧場の仕事がめちゃくちゃ忙しいから
シングルマザーで子育てもしてるから
お料理はちょうど夕方って牧場の仕事も忙しい時間帯だし
なのでお料理はほとんどしなかったですね
で、おじいちゃんとおばあちゃんのお家がすぐ近くだったから
夕飯はそのままおばあちゃんの家で作ったご飯を一緒に食べたり
お家に持ち帰ってきて食べたりみたいなのが半々くらいだったかなと思います
で、そのおばあちゃんのご飯は本当に美味しくて
私は、そうですね、そこの家でご飯とかで困ったことは何もなかったですね
全部美味しく食べました
はい、で、ホストマザーはもちろんその料理がじゃあできないのかって言ったらそんなことはなくて
たまにね、餅売りのほったらくパーティーとかがあると
そういう時にはこれ作るみたいな定番の料理があったりするんですけど
日常的に毎日作るみたいなことは全然なかった
だから家で食器とかお鍋が汚れるってことがほとんど少ないので
食洗機も備え付けの大きいのがあったんだけど
なんかそこ食品庫になってましたね
クラッカーとかシリアルとか入ってたような記憶があります
で、お皿はもう手洗いしてましたね、そんなに出ないから
で、お昼は私は学校のカフェテリアで食べていたので
で、朝はシリアルとかトーストとかそんな感じだったと思います
で、当時のホストマザーはボーイフレンドがいて
今はね、もう全然別の方と長く一緒になって過ごされてるんだけど
当時のボーイフレンドが来ると彼は料理がすごく上手だったので
21:02
家で一緒に作って食べるみたいなことはしてましたね
はい、で、料理はそんな感じだったんですけれども
洗濯はすごい大きな洗濯機と乾燥機がお家にあって
で、夜だいたい洗濯機をまとめて回して乾燥機に入れて
で、終わったのをそれぞれが自分の分をおしゃべりしながら畳むっていう感じにしてましたね
で、掃除に関しては一番最初に言った時に最初に言われたルールの一つが
シャワールームを使ったら
シャワールームっていうのは、小さい狭いブースみたいになってて
バスタブが2階のバスルームにあるんだけど
1階にあるのはシャワールームだったから
そこはそんな広くないので
使った後に排水溝の髪の毛をティッシュでちゃんと捨てて
体を拭いたバスタオルでシャワールームの内側の水滴を全部拭き取って
タオルを洗濯カゴに入れてねって言われたんですよね
それだけやっといてって言われて
それは全員が守ってやってたので
お風呂がそうだからいつもすごい綺麗でしたねシャワールームが
それ今思うと本当にいいシステムで
カビないし掃除もほぼ不要っていう感じでしたね
なんか日本みたいに広くないから
そのシャワールーム自体がブース型っていうか
なのであれだったらバスタオル1枚で全然綺麗に水滴も拭き取れて
すぐ洗濯しちゃうから全然汚れないしっていう感じでした
はいなのでバスルームいつもピカピカで気持ちよく使ってました
であと掃除機に関しては
なんかすごい大きいザ・アメリカみたいな
重そうな掃除機がそういえばあったなーって感じはするんですけど
あんまり使ってるの見たことないんで
たまに見かけたりしたけど
日本みたいにあんなに頻度ではやってなかったと思います
であと育児に関してもだいぶ大きかったから
なんかそれが手がかかって大変みたいなことはなかったけれど
私がちょうどねステイしてた時は
私のホストシスターはお絵かきとかアートとか工作とか
そういうのがすごく大好きな子だったから
私もどちらかというとっていうかすごい得意分野なので
一緒に絵描いたりなんかいろんなもの作ったり一緒にやりましたね
なのでその辺はうちの娘とやったことと全然変わってないっていうか
同じような感じで楽しく過ごしてましたね
24:03
本当にいい子で大好きだった
今もねたまに連絡とってますけれども
そうでこの家族とは未だにすごく連絡がやりとりがあって
私の娘の誕生日とかクリスマスにはね
いつもカードとかプレゼント送ってくれたりして
私が娘の写真を送るとそれをね教会とかに持ってって
私の孫なの?とか似てるでしょ?とかって
そんなジョークを言って周りを笑わせてるとかって言ってました
そうで当時ねすごいよくしてもらったおじいちゃんやおばあちゃんも
実はもう亡くなってしまって
でおばあちゃんのね遺品整理をまだしてる最中で
たまにね片見分けのブローチとかなんか細々したのをね
これ香りがもっといてとかって送ってきてくれたりとか
しますねこの間のうちの娘の卒業式の時に
そのブローチもつけて式に出たりしましたけれども
いや本当に温かい家庭で
おじいちゃんおばあちゃんと私とホストシスターと4人で
アメリカをバンで縦断して
インディアナ州ってすごい北の方にあるんですけど
真冬にフロリダまでバンで何日かかけて
モーテル泊りながら縦断して
でフロリダのお家に夏
あっちはずっと夏のね気候なので
冬の間行くっていうからちょっと一緒に
ホストシスターと参加させてもらって
ちょっとだけ遊んで
帰り2人でグレーハウンドの高速バスで帰るっていう
冒険をしたこともありましたね
なんか本当にいい思い出がたくさん詰まってる
1年だったかなって思います
まあこれはたくさんある
アメリカの家庭のごくごく一部の例だから
これでアメリカのね暮らしを知ってるとは
全く言えないんだけれども
あと他にも2つ家庭
2家庭短い期間のホームステイをしたんですけど
私が一番密に過ごしたアメリカの家庭における
リアルな暮らしっていうところの
高校の時の1年間だったかなっていうふうに思います
でこの家庭に入る前に1ヶ月だけ
アメリカの私立高校の寮に入った経験もあって
そこはねロシア人のナルホフルーメントで
2人で一部屋の暮らしっていうのも1ヶ月だけ体験しました
なんか寮生活は寮生活で
友達いっぱいで過ごすので
それはそれで楽しい一面もあり
まあ多感な時期ということもあって
27:01
面倒なこともありみたいな感じで
まあ今はね振り返ると
どれもいい経験だったなっていう感じで
いろんな思い出があります
はいでちょっと長くなってきたので
かけ足で行くと
その後は日本の高校を卒業して
またアメリカに戻るんですが
ロサンゼルス私がいたのはサンタモニカって言って
ロサンゼルスの郊外海岸の方ですね
のエリアだったので
ウエストロサンゼルスってエリアに住んでたんですけれども
そこの一般家庭に
一部屋+食事付きみたいな条件で
下宿をしていました最初
これは自分で大学と手続きして
手配したところだったんですけど
お子さんはもう独立したご家庭で
ご夫婦だけのお家で
子供部屋だったところを開放して
下宿制を受け入れるみたいなことをされていました
なので私だけがホームステージみたいにしてたんじゃなくて
他の留学生とか
子学学校行っている子とか
なんか私がいた時は
オランダ人の男の子とか
沖縄の女の子とか
下宿してたかなと思います
一緒に遊んだり楽しかったけど
ただここはホストファミリーみたいな感じじゃなくて
下宿っていう感じなので
もうちょっと関係性はドライでした
でご飯はついてるから
食事時間が決まってたりとか
あと洗濯とか掃除は各自でやる感じだったんですけど
なんか割とここのご家庭だけかもしれないし
まあ下宿ってそんな感じなのかちょっとわかんないんですけど
割とルールが細かくて
ちょっと途中でしんどいなっていうのがあって
大学の授業も結構夕方からのものとかもあったりしたので
ちょっとなんか行動がね
窮屈だなみたいな感じてくるようになって
大学で仲良くなったシンガポールの友達に
なんかちょっと愚痴を言っていたら
同じアパートにちょうど1ルームの部屋空いたよとか
紹介してくれて
で値段的にもまあ行けそうな感じだったので
そっちを契約して1ルームに移ることになりました
そうでまあその後もね
最初はバスで通って学校行ってたけど
途中から向こうで免許取って
中古車買ったりとか
いろんな経験をしながら一人暮らしっていうのも
いろいろな経験を済むことができたなっていうふうに思ってます
ここの一人暮らしの話は
94回の配信で
あの家事師や研究家のミキさんと話したりしているので
よかったら聞いてみてください
はいなんかそんな感じで
今ね思い返すと
いろんな生活スタイルを経験してきたなって思います
30:03
なんかこう大人になって
外国に出るとかってことができても
なかなかホームステイっていうのを体験する機会は
まあ多分探せばあるんだと思うんですけど
なかなかね
滅多にできないことだったなっていうふうに思ってて
特にその10代の頃
まだこうね自分もなんか経験も何もないようなところ
そういう頃になんか1年間
私を受け入れてくれたホストファミリーには
本当に感謝だなと思っていて
そうなのでそこで経験したこと
その年代で経験できたこと
なんか分かったこと
違いを学んだこととか
それを受け入れる力とか
そういうの本当にかけがえのない体験だったなっていうのを
今改めて思っています
でもちろんその後にね
結婚後すぐにね
今度は中東のシリアっていうところで
3年間過ごしたんですけど
それもまたなんていうか
日本やアメリカの経験からは
全く想像のつかない
ムスリムの世界っていうのを
ふっと広げてくれた
視野の広がった経験で
また今ね
子供も一緒に東南アジアで過ごすっていう
機会を得ることができて
この時間もまたなんか自分が普段
いろんな違いに気が付く
そういう貴重な体験になっていくんだろうな
っていうのを感じています
はいそんな感じで
なんかこう日本にいると
なんていうかこう暮らしとか
家事とかについ追われてしまいがちなんだけど
こうやって外に飛び出して
普段と違う常識
普段と違うなんかこうペースで
過ごしてみると
なんかもうちょっと肩の力を抜いて
いろんな生き方があるし
なんかもっとこう自分も大事にしたり
家族の時間を大事にしたり
なんかそういうふうに過ごしていけるように
工夫したいなっていう気持ちに
すごいなったりしています
はいなんかちょっとダラダラと
今日は思い出話の回みたいになっちゃったんですけど
そんなアメリカでの暮らしとかを
思い出したりしてたんで
今日はシェアしてみました
はいで今日はこの辺までにしたいと思うんですけども
本当はねあのこのポッドキャスト
毎週服用更新でね
ずっと続けてきてたんですけれども
ここ2、3ヶ月はちょっとこの移動少しとかもあって
ペースが乱れがちだったりしてるので
またちょっとずつね整えて
毎週更新していきたいなとは思っているところです
はいで今年からはね
33:00
毎月のレギュラーがお2人ご参加いただいていて
カジシア研究科のミキさんと
ルームスタイリストで
生理習能アドバイザーの安藤さん
ひねまるさんですね
この2人がね来てくださるので
私も本当に毎月の収録がとっても楽しみで
特にもう本当このお2人が私の
お片付けの気持ちをこうグッと盛り上げてくれた
なんかお片付けの師匠って私は勝手に2人のことを思ってるんですけど
はいなのでなんていうか
ちょっとね新しい試みを今試してるっていう感じで
毎月ね新しいゲストを迎えするっていうのと
またこういう毎月お話し相手になってくれる
レギュラーの方がいるっていうのは
なんかこう楽しさのなんか種類が違うというか
どちらも楽しいんですけども
引き続きねちょっとこのスタイルを続けてみようかなと思っているので
お楽しみに聞いていただけたらと思います
はいでそうだ最後にプレゼントへの応募方法の紹介をしなきゃいけないので
お待ちしております
どうしようかなって思ったんですけど
概要欄にお便りフォームが実はあって
なんかこれ全然活用されてなくて
全然お便り来ないんですけど
よかったらこれ使ってほしいなっていうのもありますので
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