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今日のテーマは、「嘘もまた、愛すべき世界。嘘は悪いもの。」と教えられてきた私たちが、大人になって気づく優しさの形についてのお話です。
嘘は悪いこと。 そう教えられて、私たちは大人になりました。
でも大人になってふと思うのです。 この世界は嘘だけで汚れているわけじゃない、と。
人は時々誰かを傷つけないために嘘をつきます。 本当は辛い、と言えない時に大丈夫、と微笑む。
その一言が自分を守り、相手を守ることもある。 そんな嘘を私は優しい嘘と呼びたい。
もちろん嘘が真実をくむらせることもあるし、信じていた言葉に裏切られる痛みもあります。 けれどその痛みさえも人を深くしてくれる。
もう信じない、と思いながらそれでも誰かを信じたいと願ってしまう。 その矛盾こそが人の心なのだと思うのです。
嘘は弱さの形をした優しさ。真実は痛みの形をした誠実さ。 どちらも愛がなければ生まれません。
私自身もたくさんの嘘をついてきました。 強がって、笑って、本当は泣きたかった日々。
でも今は思います。 あの嘘もあの時間もちゃんと私の一部だったんだって。
嘘のない世界は美しいかもしれない。 でも嘘のある世界は暖かい。不完全だからこそ人は愛おしい。
嘘もまた生きている証なのだと。 はい、ちょっと補足していこうと思います。
子供の時とかって結構嘘をついちゃダメですよっていうふうに言われてきたと思うんですけど、
それってそのなんていうか、道徳的な意味合いというか、人と人とが付き合っていくというか、お互いに
生きていくためにとって嘘ってまあそうですよね。 そのよく良くないというか、
そのまあ信用されなくなっちゃうよねっていうことの裏返しだと思うんですね。 嘘をつくなっていうことって。
ただ、その単純に
嘘イコール悪っていうふうに 分けることってそう難しいよなと思っていて、なんていうか、
そういう 他者との関係性もそうですけど、その自分との関係については
その自分が壊れないための防御だったり、 その誰かを守るための祈りだったりすることもあると思うんですよ。
その嘘っていうものの裏面とかに隠れているものって。
で、特にその自分についた嘘って、そのまあ平気とか、 大丈夫大丈夫、私なら大丈夫とか、まだ頑張れるとか、
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その、逃げとかじゃなくて、その生き延びるための知恵だったり、その
まあ 嘘に聞こえるかもしれないけど、それは嘘というよりかはその
この前も話した、なんとなくいけるんじゃないかなみたいな、 そのなんて言うか、言語ができない部分っていうのも嘘なんじゃないかなっていうふうに感じちゃうこともあると思うんですよね。
だからこそなんていうか、大切なのって、その嘘をついたこととか、その嘘っていうことについて責めるとか、
間違ってるとかっていうんじゃなくて、 その認めてあげるというか、その
よく頑張ったねとか、あの時の私よく耐えたねって、なんかそういう、嘘に対して優しく見つめ直すっていうか、悪い部分だけじゃないよねっていうことだと思うんですよね。
その、その嘘があったからこそ、その今がある人だっているし、その嘘があったから、
あ、私あの時頑張れたんだなっていうのもあると思うんですよね。 だからこそその、
嘘が、その嘘があったからこそ真実の温かさというか、真実の温かさって言うとちょっと、 なんていうかあれですけど、その本当にぬくもりを持った温かさを感じることができるっていう、
だからその嘘があったからこそ、 人の心の弱さだったり、自分自身についても優しくなれる部分があるのかなっていうふうには思います。
その嘘も、真実も、どっちもその人間らしさというか、その嘘つくこともそうだし、嘘じゃない本当のことを言うのも、とっても人間らしいというか、その、
どっちも抱えていることこそがなんか人間らしさっていうか、 そのなんかどっちも持ってて優しくその、抱きしめてあげられるっていうことが、自分を愛してあげるっていうことなのかなっていうのも、
思ったりはしますね。はい、ちょっとまとまってないかもしれないですけど、最後に一言言って終わりたいと思います。
嘘でもいい、それでも綺麗でいて、嘘もまた愛の一部です。
はい、じゃあ今日の放送はここまでにしたいと思います。それじゃあ、またね。