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はい、今日のテーマは、「死や孤独を受け入れるために必要なもの」ということについてお話ししていきます。
最近、その中年の危機ということについて、あの知りたいなぁとか、まあ、知識として入れたいなっていうのを感じていたんですよ。
で、それっていうのも、まあ、思春期の時に第一の危機っていうものが訪れると思うんですよ。
その、「僕ってなんだろう?」っていうか、「僕ってどうやって生きてるの?」みたいな、その、まあ、一瞬その世界に広がるんですよね。
その、まあ、社会っていう言い方でもあれだと思うんですけど、まあ、その中で僕ってどうやって生きていったらいいんだろうっていうのが、まあ、第一の危機だと僕は思っていて、
で、その後にじゃあ、中年の危機ってどういうことなんだろうっていうことなんですけど、まあ、その思春期でその獲得していっただろうは、僕はこうやって生きていくんだっていうので、
例えば20年30年生きていった後に、あれじゃあ僕ってこれ、今までやってきたこととか、これから死んでいくことに対して、うーん、本当にいいんだろうかというか、
うーん、それって本当にそのままいっていいのか?僕ってどういう生きる意味で生きてきたんだろうっていうか、
そういうある種のその死に向かっていくっていうことというか、何か自分自身が死んでいくことに関しての自分をどう受け入れていくか、
その死や孤独っていうものをどうやって受け入れていくかっていうものがすごくテーマになってくるなっていうのを感じたんですよね、その中年の危機っていうことに関してその調べたり読んでいたりするときに。
ただでもこれっていうのも、その死や孤独を受け入れていくことっていうのは、その中年だけの危機では最近は僕はないんじゃないかなっていうのを感じてるんですよ。
やっぱもう若い人たち、もう20代とか30代の方々でもこの中年の危機に近しい、そのじゃあ死や孤独をどうやって受け入れていくんだろうかっていう部分をもう見据えてしまっているか故に何かこう
多感していたり、何かこう考え方が深い人っていうのがすごく多いなっていうのを僕は感じたんですよね。
それっていうのも多分どう生きていくかっていうのがSNSとかいろいろな部分で可視化されてしまったからっていう部分ではあると思うんですよね。
だからこそじゃあどうやって死ぬんだろうかっていう部分まで考えざるを得なくなってしまったというか、むしろ先に考えるはずである課題っていうのが先に出されてしまっている。
だからこそ今の若い人たちっていうのは、どう生きていくかっていうことと平行的にどう死んでいくんだろうかっていう漠然とした不安を自分の中でどう処理をしていったらいいんだろうかっていう部分を
ある種自分で引き受けていかなければいけないというか、もうちょっと下地がある中で考えることができていたどう死ぬかっていう部分が
今はもうどう生きていくかっていうのと同時平行的に課題をクリアしていかなければいけないっていう風になってしまっているんじゃないかっていうのを僕は思ったんですよね。
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じゃあその若い人たちでも中年の方々でもそうですけど、一概にどの期間っていうのは区別ははっきりはできないですけど、
どうやったらそういった死や孤独っていうのを受け入れることができるんだろうかっていうのを僕が感じた部分で言うと、
本当の意味で一人じゃないっていうことがお腹の底でわかっているかどうかっていうのがすごく大切だなっていうのを思ったんですよね。
これってじゃあ一人じゃないもちろんその家族がいるとか周りの肉体的な関係、肉体的な関係というか血のつながりだったり何か友達だったり社会的なつながりっていう部分で
思う部分ってあると思うんですよ。それっていうのも勝手に人間の頭が作っているものだと思うんですけど、でももっと言うと、
例えば先祖の方々、人間の時間軸でいう歴史と言われている者たちの方々がいらっしゃると思うんですよね。歴史の教科書に載っている方々。
あの方々って言っちゃうと僕たちの先祖の方々だと思うんですよね。僕たちはそういったすごい長い間この地球上で生きてきた方々の流れの中で生きているっていう感覚があるっていうだけでもだいぶ違うなと思っていて、
それは前の先を生きてきた方々っていう意味での時間軸だったんですけど、じゃあ僕より後に生きるであろう人々がいると思うんですよ。少なからず赤ちゃんが生まれてるっていうことは。
僕たちはそういった人たちの間を生きているっていうことなんですよね。その先にも後にも。だからこそ、こうやって人は死んでいくけども後に託していけるんだっていうような、
その後の人に何かを託していける。無力じゃないんだ。僕は一人じゃない時間軸をちゃんと生きているんだっていう部分がすごく大切だなって思ったんですよね。
ただこれってその死や孤独を受け入れていくっていう面だけではなく、じゃあ僕たちはこれからどうやって生きていくんだろうかというか、生きていく上でのその生きるを支える部分でもあるんですよね。この一人じゃないんだっていうのって。
なんていうか、それ聞いただけでもう無敵じゃんって思っちゃったんですよね。僕的には。だってあんなに先祖の方々が頑張ってここまで来てて、
もう背中にいるわけですよね。その先祖の方々が。お前は一人じゃないんだと。そこに立ってるのはお前が一人で立ってるわけじゃないんだっていうのが、これがわかるってだけでも生きることだったり死んでしまうことっていうのは、
なんていうかそういう繋がりの中で僕たちは生きているんだ。一人じゃないんだっていう部分で生きられるっていうだけでだいぶ心強い支えになってくれるんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。
どうしても人の時間軸での繋がりだと、また僕たちは土に帰るわけですよね。土から生まれたわけではない。もちろんそうですけど、海から例えば広がっていって、土の中に広がっていって、なおかつ僕たちは地上を歩いて生きている。この地球で生きているっていうことなんですよ。
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僕たちは一体どこで生きているんだろうかっていうことってすごく大切だなって思うんですよ。さっきは時間軸での話、フェンいつ生きてるんだろう僕たちはっていう繋がりだったんですけど、僕たちはどこで生きてるんだっていうその肉体感覚的にもすごく大切な部分。
僕たちはどこで生きてどこでこの生を全うしてどこに死んでいくんだろうかっていう、どこで生きてどこに死んでいくのかっていう部分も、一人じゃないんだっていう感じる部分がすごく大切なところだなって思ったんですよね。
このどこで生きている感覚、どこで僕たちは生きているんだっていう感覚がなくなってしまうと、死ぬのも生きるのも苦しいなっていうふうに思っちゃったんですよね。
僕っていうものというか、自分自身っていうものを特定できないというか、地図上で発見することができないような気がしたんですよね。
だからこそGoogle Earthで場所とかあるじゃないですか、自分が住んでたお家とか、ここだったなとか見られると思うんですけど、それってある種時間軸を使っての自分を特定する行為だと思うんですよね。
ここで僕は生きてたんだっていう、ここの特定された地球で僕は生きてたんだっていう、さっき言った歴史的な日本人間的な時間軸での繋がりっていうのもそうですけど、
これはどこでっていう土、どこで生きてたんだろうっていうのと繋がっている部分でもある。
だからこそ、そういうここで僕たちは生きてたんだ、地球で僕たちは生きてたんだよね、この場所で僕たちは生きてたんだっていう、この地球とか土地とかっていうものと繋がって生きてる感っていうのが、
死んでしまうっていうこともそうだけど、生きていくっていうこと、自分っていう個体だけじゃないんだっていう、そこでも僕ってあるんだっていうようなもっと広い部分での自分っていうものに視野がいかないと、やっぱりこの生きること、死んでしまうこと、孤独になってしまうっていう部分がすごくあるなっていうのを思ったんですよ。
だから、どうしても肉体だけ、この肉体だけっていうが自分だけっていう考えになってしまうと、怖さだったり、一人じゃんっていう孤独を感じてしまうなって思ったんですよね。
だからこそ僕たちはどこで生きて、どこに帰っていくのかっていう帰る場所っていうものがあるのとないのとでは全然違うなって思ったんですよね。
僕、生きる意味って繋がりが全てなんじゃないかなっていうのを思ってはいるんですけど、だからこそ生きることも死ぬことに関しても一人じゃない、これがすごく必要な感覚というか、一人じゃない感覚ってあるよねというか、これが一人じゃない力なんだっていうみんなで、
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今生きている人も亡くなってしまった方も全てで僕たちはここに生きているんだっていうような力だったり、ありがたさだったり、尊さと言われるものだったり、何かそれに対しても愛おしいなって思えるものっていうのが、
その命を手放していくじゃないけど、ありがとうございましたと言って帰る場所に向かっていくためには何か必要なものなんじゃないのかなっていうのを思ったという、はい。
今日この頃でした。ここまで聞いてくださりありがとうございます。それじゃあまたね。