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#146ぼくの存在確認
2026-05-25 06:31

#146ぼくの存在確認

本内容では、「散歩」という行為を通して、自分の存在を確認する感覚についてやさしく描かれています。 歩くことは単なる運動ではなく、呼吸や身体の感覚を通して、「自分が今ここにいる」と確かめる時間なのかもしれません。 また、人と会話をすることで、自分の輪郭がよりはっきり見えてくる感覚についても語られます。 他者との関係の中で照らされることで、自分という存在を認識できる部分がある一方で、それが自分のすべてではないという視点も大切にされています。 だからこそ、ときには一人で歩き、自分自身の感覚で存在を確かめる時間が必要なのだと気づかされます。 評価や比較だけでは、本当の意味で自分を確認することはできないのかもしれません。 自分の感性で「ちゃんとここにいる」と感じること。 その静かな自己確認の大切さを、穏やかに伝えてくれる内容となっています。 画像拝借元 UnsplashのEmma Simpsonが撮影した写真のEmma Simpsonが撮影したイラスト素材 BGM拝借元 【BGM】ノクターン第2番 変ホ長調 Op.9-2(ショパン) https://pocket-se.info/archives/1495/ ポケットサウンド/効果音素材 --- stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。 https://stand.fm/channels/67c149f59dcfb50335375e4a

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サマリー

このエピソードでは、散歩という行為を通して自分の存在を確認する方法について語られています。歩き、呼吸や体の感覚に意識を向けることで、自分が世界に存在していることを実感します。また、他者との会話は自己の輪郭を明確にしますが、それは関係性の中の自分に過ぎません。そのため、一人で散歩をして、他者の評価や比較に頼らない、自分自身の感覚で「ここにいる」と確かめる静かな自己確認の時間が大切だと結論づけています。

散歩による存在確認
はい、今日のテーマは、ぼくの存在確認ということについてお話ししていきます。 僕は普段、その散歩をしているんですけど、
で、その散歩って、歩くだけっちゃ歩くだけなんですけど、 だったら、仕事をしている時も歩いているんだから別に散歩しなくてもいいじゃないかって思うかもしれないんですけど、
でもなんか僕の中では散歩っていうのは、 単なる体の消費じゃないというか、ただのカロリー消費をしているだけじゃないんですよね。
で、僕にとっての散歩っていうのは、 僕の存在確認をしているんだなっていうふうに今日感じたんですよ。
歩いたり、自分の呼吸を確認したりとか、 体の状態とか、歩いている自分の体を確認するっていうのを、
僕はしている時に、僕が世界にいるんだなっていうのを確認できるんですよね。 その散歩をすることによって、
花とか見たりとか、鳥の声を聞いたりとか、 世界の中に僕がいるんだなっていうのを確認する作業なのかなっていうのを感じたんですよね。
他者との会話による存在確認
ただ、そんな自分の存在確認するんだったら、 タシャッと話した方が早いんじゃないかなっていうふうにも思ったりする。
まあもちろんその通りだと思うんですよね。 僕が確かにこの存在確認、自分っていうものの存在確認をするっていうのの中で、
一番手っ取り早いし、明確に多分自分の存在を確認できるものっていうのは、 タシャッと話すことだと僕も思うんですよね。
そうすることによって、その他者の光で僕を照らしてもらえるというか、 僕ってこういう輪郭をしてたんだなっていうのをはっきりわかるんですよね。
なんかその方が確かに存在確認できてる感があるんですよね。 ただここで気をつけたいのは、それはその人との関係での僕でしかないんですよね。
それが全てじゃないっていうことなんですよ。 だからそこだけで全てこれが僕なんだな、これが僕の存在確認だからこれは全ての僕なんだっていうのを確認できないし、
もちろん説明もすることはできないけど、 一種の僕とあなたとの間で現れている僕っていうのは確かに存在の確認をすることはできるんですよね。
自分自身による存在確認の必要性
だけど多分、僕は僕と多分存在確認をしたい部分もきっとあるんですよ。 だから時々散歩をして僕は僕の存在確認をするんですよね。
これを、なんていうか、ちゃんとここにいるんだなというか、 その他者との間に浮き上がってくる自分だけじゃなくてというか、
なんか自分と自分との間で浮き上がってくる自分っていうのをまず確認するっていうか、 そういう他者との間じゃない自分っていうのもちゃんと存在確認をしたいんですよね。
だからそれって自分を自分の明かりで確認するすごい見えにくいものでしかないと思うんですけど、周りくどいと思うし、
だけどなんか僕の中で自分と自分の手の存在確認をしないと、 そのどこか、
そのどこで僕は生きているのかとか、誰を生きているのかというか、 その何をして生きているのかというか、
その生きるということが感じにくくなったり、なんかわかんないなっていうのをそう感じたんですよね。
現代における自己確認の困難さ
多分僕の中で多分境界が薄いっていうのが弱点でもあるし強みでもあると思うんですけど、
なんかそれが働きすぎたが故に、自分を生きている感がしなくなってしまうんですよね。 他者の光で自分を確認するときに。
だからこそ僕は散歩をして、僕の存在確認をするっていうのをしているのかなというか、
でなんかこれをちょっと考えてた時に、ちょっと考えてたというか散歩しながらちょっと思ったんですけど、
なんかもしかするとこの現代を生きている人々っていうのは、この多分自分と自分との存在確認っていうものがしづらくなってたりするのかなっていうのを感じたんですよね。
もちろん他者との中で浮き上がってくる自分っていうのもわかるけど、なんかそういうのじゃなくて、その評価とか比較とかっていうものでの事故の存在確認はもしかしたらできないのかもしれないなというか、
自分の尺度で自分の感性で感じるものだと思うんですよね。
自分を確認するというか自分の存在を確認するっていうことって結局のところ、最終手段のところですけど、もちろんその指摘してもらうっていう部分もできるけど、
最終的には自分の中でも浮き上がってくるもんだと思ってるんですよね。
だから、それを自己確認してちゃんといるんだっていうことを確かめることっていうのがもしかしたら今はしづらくなっているし、そういうことが今は大切だったりするんじゃないのかなっていうのを感じたんですよね。
自己確認の重要性と今後の展望
だからじゃあいかにして自分の存在を確認していくかというか、他者との間だけじゃない自分っていうのをどういうふうに立ち上がらせてくるかというか、
どういうふうに自分という存在を確認していくかっていうのはやっぱり各々に任せてしまう部分でもあるし、
絶対的な確認方法っていうのはないから一概には言えないんですけど、でもやっぱり他者との評価とか比較とかではない自分の自己確認というか、
存在確認っていうのを時間がないと、生きてる意味というか、生きるっていう感覚がなくなってしまうような気がしたんですよね。
だから、そういったこと、自己を確認する、存在の自分っていうものを確認するっていう作業がこれからすごく大切になってくるんじゃないのかなっていうのを感じたという。
今日このフルでした。ここまで聞いてくださりありがとうございます。それじゃあまたね。
06:31

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