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はい、今日のテーマは、「自分らしさ100%ってなんだ?」 ということについてお話ししていきます。
その、なんか改めて自分らしさって何だろうっていうのを、 その考えていたというか、ちょっと言葉にしていきたいなっていうのを考えてたんですけど、
あの、まぁちょっと、SNSの方で気になったものがあったので、それをちょっと一緒に、あの、引用しますね。
カズレイサーさんが、言語化って言葉があるじゃないですか。 言語が先なのか、思考が先なのかっていうのが昔からあって、今の子は言語が先に来ていると、
言葉にめっちゃ引っ張られる。 だからほとんどものを考えていない子が多いっていうふうに言っていたんですけど、
まぁこれ多分すごい前のもので、あの、最近ではないんですけど。 この言語が先か、思考が先なのかっていうことを改めて自分の中で考えた時に、
これの、ここで言っている思考ということ? 思考って言われていることっていうのは単なる頭だけで考えた思考っていうことではなくて、
なんていうか、こう、言葉になる前のこの身体感覚というか、言葉にしないものの全てを含んでいるんじゃないかなっていうのを僕は思ったんですよ。
で、この思考って言われているものの中っていうのは、じゃあ例えば、 こういった言葉になる前の感覚があるとか、
そういったものも多く、多くというか、多分そういうことを思考って言ってると思うんですよね。
で、じゃあ今は、というかまぁ言葉で学習するし、 その、言葉で生きていると思うんですよね。若い人たちっていうのは。
むしろそうさせられてきたというか、まぁそういうふうに、 言葉で何でもできるように、言葉の世界で○×がつくっていうのを生きてるし、
言葉の中で全て何でもわかっちゃうよねっていうのの中で生きていると思ってたりも、僕はしてるんですね。
その、じゃあ言葉だけの世界で生きていると、 全てが言葉で解決できるし、言葉で説明ができる。
全て言葉で自分を当てはめることもできるっていう、 まぁ人を言葉で全て説明できるんじゃないかっていうことですよね。
だからこそ自分も全て言葉で説明できてしまうっていう感じる、 まぁそういうふうに感じているっていうことなのかなっていうのを思ったんですよ。
だから今の人は言語か言語かとか、言葉にするんだっていうのを、 強く結構言われているような気がして、
なんかその中でじゃあ言葉にめっちゃ引っ張られるって、 まさにこういうことを僕は言いたいんじゃないかなって思ったんですよね。
その、まぁ言葉だけで全て言葉で生きてしまっている人たち、 言葉が全てで生きてしまっている人たちっていうか、
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だからこの言葉に引っ張られるっていうのは、なんかその 言葉だけを見すぎてしまっていて、
そのじゃあこのその言葉に宿っている空気感とか、 思いとか、前後の文脈だったりとか、
じゃあどういったその言葉の中には含みがあるとか、 どういう可能性があるのかなっていうのを、
その考えずに、自分が作ってきたその言葉のイメージとか、 言葉だけで、その
説明しようというか理解しようとしすぎてしまうが、 家に言葉に引っ張られてしまっているのかなっていうのを思ったんですよね。
だからこそ、なんかこの自分らしく生きようっていうのも、 なかなかしづらい…
しづらいというか、なんか難しくなってしまっているような気がしたんですよね。 なんかその自分らしさを無理やり言葉で説明
しようとしすぎているというか、なんか全て言葉が解決してくれるんじゃないかっていうか、 なんか全て言葉で世界から救われたり、
言葉で何か全部、僕たちは 生きていけてしまうんじゃないかみたいな、その錯覚に陥ってしまうというか、
だからこそなんかこの、じゃあ今の中で今のこの世界で自分らしく生きることっていうのが、 もしかしたら見失いやすくなってしまっているんじゃないかなっていうのを感じたんですよね。
だからその言葉だけで生きすぎるっていうのは、やっぱすごい苦しい面もあるし、 まあもちろん救われている人もいると思うんですけど、
なんかそのやっぱ安倍というか、その言葉は万能じゃないので、 その全てを解決してくれるわけではないですよね。
だから、なんていうのかなぁ… もちろんその言葉で生きるのももちろん便利な部分もあるし、
救ってくれる面もあるけど、どうしてもその固定化してしまう部分もあるんですよね。 縛り付けてしまうというか言葉で。
例えば僕で言うと、内向的だよねとか、HSPだよねとか、 INFJだよねとか、
繊細だよねとか、 そういうなんていうのかな、言葉で自分というものを説明しようしようっていう風になると、
もちろん、自分でこういう側面もあるよなっていうのを助ける一助にはなるんですけど、 もちろんその瞬間に自分を真空パックのように、言葉の物語に自分を閉じ込めてしまう部分もあると思うんですよ。
なんか、 だとすると、なんかそういういろんな要素があるはずなのに、
その、じゃあ今日は元気だとか、今日は社交的じゃね自分とか、でも今日は静かだなとか、今日は孤独がいいなとか、
なんか本当は人ってそういう風に日々日々違う自分が浮き上がってきたり、 その状態によってとか関係によってとか、その日のコンディションとかいろんな要素によって自分が浮き上がってくるものが違うはずなのに、
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その言葉で生きることによって、あれなんかこの言葉じゃない、ダメじゃんとか、自分を責めてしまう要因にもなってしまうし、何か答えって一つじゃないはずなのに、何かそれをもう答えだと思って生きてしまうとすごい苦しいというか、
なんかもう、 ああもうそれだけが私なんだっていう風に生きるっていうのはやっぱすごく居心地が悪いというか、まあ気持ちが悪くなってしまうというか、
っていう分があるなっていうか、だから私はこういう人間だからっていうふうに言葉で固定してしまう、自分らしさってこういうことだよね、
自分らしさってこういう言葉で説明できちゃうよねっていうのに、逆に自分を言葉側に合わせに行ってしまうっていうのは、
もしかするとここで言ってたカズレイサーさんが言ってた、 その言葉に引っ張られてしまう子が多いっていうことなのかなっていうのを思ったんですよね。
ただ僕の中で昔はじゃあどうだったのかっていうのはちょっとわからないし、 昔の人も多分オーカレスクの中でそういう人もいたと思うしっていうのはあるんですけど、
今の子だけがおおむねそうなんじゃなくて、もしかすると今そういうふうに言語化とか、 なんかいかにして自分っていうものの存在っていう意味を言葉で説明しようってなった時に、
そういうふうに何かツールができてきたりとか、何かこういうふうにすると自分ってわかりやすくなるよねっていうものがみんなの手に手に入りやすくなったが故に、
何かそっちに引っ張られてみんな過ぎちゃってるんじゃないのっていう見方があるような気もするっていうか、まあだから、
全てが全て若い子だけっていうわけではないですけど、特にやっぱ影響しやすいっていうのはやっぱり純粋で、
その自分って何なんだろうっていうのが、そのまだ一度掴み切れてない、その、
まあ掴み切れてないって言っちゃあれですけど、まあ常に変わっていくものであれなんですけど、
なんていうか、その、あの、なんていうのかな、
やっぱ一度立ち上がらせないといけないんですよね自分っていうのを、自分でこういうことだったんだなとか、自分でこういうところもあったんだなっていうか、
なんかそういうのを瞬間瞬間見つけていく作業っていうのをやっぱり学生のうちは多くしていくというか、なんか自分の中で立ち上がらせていく時期だと思うので、
それを手放したり作り上げていったりする時期、すごいなんていうか激しい時期だと思うので、より苦しいと思うんですけど、
だからこそそういう言語化っていうわかりやすいものというか、まあ自分の中に入れやすい要素としてあるものっていうのを、
やっぱそういうふうに入れやすいっていうのは若い人たちに目が行ってしまうのかなっていうのを思ったんですよね。
だから、なんかこの自分らしく、自分らしくというか自分らしさっていう言葉の中にはやっぱりどうしてもいろいろな要素というか、
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その自分らしさっていうのをどこから見るかによってどうしても抜け落ちてしまう部分があるし、
それを言葉にした瞬間に、もちろんそうなっちゃいますけど、なんかその言葉の中だけで考えた自分っていうのは、
やっぱりどうしても全ての自分じゃなくて一部の自分でしかないというか、だからもちろんこの言葉だけで考えた自分を自分らしく自分らしく100%なんだって置くのは、
やっぱどうしてもちょっと危険かなというか、まあそれだけが自分らしくというか自分らしさではないし、
っていう部分はあるので、やっぱりその自分らしくに言葉だけで自分を説明してしまうのは、
ちょっと怖さがあるなっていうか、まあそれがずれた瞬間に自分じゃなくなってしまう苦しさが生まれてしまったりもするので、
まあ一概には言えないんです。一概にはというかまあそこは難しさではあるんですけど、だから、
うーん、だからその言葉の中の限定したものだけを自分っていうのを説明するっていうのは、
まあちょっと難しいし、やっぱ危険だなっていうのを感じたんですよね。 なんか、
じゃあだったら言葉だけで自分っていう自分らしさが説明できるんだったらどうやってするんですかってなると思うんですけど、
これってその、なんていうか言葉になる前の感覚とか、普段どういうふうに物事を考えたり、
物語を生きていたり、解釈しているかに、その自分らしさって出てきたりするのかなって思うんですよね。
それが多分、言葉が先か思考が先かっていうことの思考っていうことなのかなと思ったり、
だから別にどっちが先かとかっていうよりかは、どっちも含めて考えてあげた方がいいと思うし、別にどっちが正解だとかではなく、
なんかこれが100%自分なんだって言い切るよりかは、
あ、そういう自分もあるんだなくらいのスタンスでいた方が、その言葉だけで見て自分に苦しめられないっていうのもあるのかなっていうのを思ったっていう。
だから自分らしさって頭だけで考えるんじゃなくて、体も使ってもっと全部全身でっていうか、もう全部が全部ひっくるめて自分だよねって感じたときに初めて自分らしさっていうのが
浮かび上がってきたりするのかなっていうのを感じたという。はい、今日この頃でした。ここまで聞いてくださりありがとうございます。
それじゃあ、またね。