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2022-11-22 32:23

#007 MoMAキュレーターが語る「挫折を乗り越えて人生の荒波を乗りこなす方法は?」

第7回は、世界トップの人気を誇る美術館「ニューヨーク近代美術館(MoMA)」のキュレーター、パオラ・アントネッリさんがゲストで登場。「雑誌の求人広告から夢をつかんだシンデレラストーリー」、「NYで味わった大きな挫折」、「トイレで泣いてばかりいたMoMAでの新人時代」、「鬱になった自分との向き合い方」について伺いました。


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00:03
This is Reina Moro's Podcast. 世界のクリエイティブ思考
Hi everyone, this is Reina Moro. 皆さんこんにちは、クリエイティブディレクターのReina Moroです。
この番組では、日本人がクリエイティビティを武器に、世界で戦うにはどうしたら良いのかをテーマに、21世紀を生き抜くヒントをさべります。
番組を一緒にナビゲートしてくれるのは、滝口イルナさんです。 今回もよろしくお願いします。
はい、レイさん、よろしくお願いします。
はい、それでは始めましょう。
クリエイティブ・ボイス
今回のゲストは、世界トップの人気誇る美術館、ニューヨーク近代美術館、モマのキュレーター、Paola Antonelliさんです。
この方はですね、アートの世界では、多分
トップなぐらいに有名なキュレーターの人で、
いわゆる普通のアートのキュレーターというよりかは、デザインを専門にしているキュレーターなんですね。
まず、キュレーターという職業の説明をちょっとしていただけますか?
はい、キュレーターというのは、美術館とかギャラリーとかでどういう展示会をするか、そしてそのテーマをどうするかだったりとか、
どういう作品を見せるのかっていうことを全体的にディレクションをして、そして決める人をキュレーターって言います。
Paola Antonelliさんの場合は、90年代からニューヨークにいらっしゃる方なんですが、
デジタルとかソフトウェアのものも、そのモマのコレクションに入れるっていうことをしたりとかする人で、
ちょっと変わったものを集めているキュレーターなんですよ。
なるほど。
僕がこのPaola Antonelliさんのものを見る目がちょっと違うなと思ったのはですね、
アットサインをモマのコレクションに入れたんですよ。
アットサインってあれですか、アカウント名の最初に、アットマークを収蔵したってことですか、美術館に。
そうそう、アットサインっていうのも誰かが20世紀のどこかで意識的にデザインしたもので、
それって時代を象徴するものだから、ニューヨーク近代美術館のコレクションに入るべきだっていうことで、
アットサインをモマのコレクションに入れたっていうのもされたりとかで、
この人、見てるところが違うなって、もう20年くらい前に思ったのを覚えてます。
ではPaolaさんのインタビュー、いってみましょうか。
パオラさんに、キュレーターになったきっかけを聞いてみました。
そうすると、少し驚きの答えが返ってきました。
03:03
彼女曰く、キュレーターになろうと決意したことはない、というふうにおっしゃっています。
もともと、ミラノで生まれ育ちましたが、
そのことを聞いた時には、僕はすごく羨ましくて、さすがイタリア、ミラノだな、というふうに思いました。
大学では、キュレーターになろうと決意したことはない、というふうにおっしゃっていました。
それに対して、パオラさんのインタビューに関しては、
そのことを聞いた時には、僕はすごく羨ましくて、さすがイタリア、ミラノだな、というふうに思いました。
大学では、経済を専攻したけど楽しくなかったのよ、そして建築に転換するわけです。
彼女曰く、この人生で自分で決断したのはこれくらいだ、というふうに思います。
大学では、経済を専攻したけど楽しくなかったのよ、そして経済を専攻したのはこれくらいだ、というふうに思います。
それに対して、パオラさんのインタビューに関しては、僕はすごく羨ましくて、さすがイタリア、ミラノだな、というふうにおっしゃっていました。
ただ、別に建築家になりたいわけじゃなかった。
できるだけ経済とか本で学ぶことからは遠ざかりたかっただけで、同期はともかくオーバーアチーバーなので、結局建築は熱心に学んだ、というふうにおっしゃっています。
その後、大きな転機が訪れます。
それはですね、大規模な美術展、デザインの展覧会のミラノトリエンナーレというイベントです。
このミラノトリエンナーレとは、デザインや特に家具だったりとか、建築のデザインの紹介をするトリエンナーレなので3年に1回あるイベントなんですが、
ここでデザインと建築で有名な雑誌DUOMOの編集者としても活躍するクリエイターの方と出会い、この雑誌DUOMOで働くことになりました。
こうしてライターとしてお仕事をしていくうちに、彼女の自分の記事が雑誌に載り、ジャーナリストとして働いていたことが、クリエイターのベースになっているのではないか、というふうに見返られています。
ここで初めて展示会のキュレーションをすることになったきっかけについて聞いてみました。
06:07
彼女の言い方で、in the right place at the right time という言いましがあるんですが、right time というところを省いてin the right place to do it という言い方をされたんですが、
ただチャンスに巡り合いそうな場所にいただけかも。
やっぱりそのミランという場所が良かったということもあると思いますし、
決断してそのためにがむしゃらに頑張ったのではなくて、いろいろな流れの中で気がついたらチャンスを手にしていたという感じなのかなというふうにパノさんはおっしゃっています。
ただ、やっぱりご自身のことをオーバーチーバーというふうにおっしゃるぐらい、結構頑張るタイプなので、そのチャンスをつかめるとわかったらすごく頑張ってやってきたそうなんですが、
周りにいたそのイタリア人のお友達たちには、パウロさんがyou're so Americanというふうに言われたぐらい、アメリカ人は仕事をがむしゃらにやって時間をきっちり守るみたいな、そんなイメージだったそうです。
これはちょっと僕も聞いてて少し笑ってしまったんですが、
逆に日本人から見ると、日本人とアメリカ人を比べると日本人のほうが、そうやって時間にきっちりやるタイプなので、イタリアとアメリカの関係、そしてアメリカと日本の関係というのもこういうところで違いが出てきて面白いなと思って聞いていました。
この有名なデザインの雑誌DUOMOの編集をしているときに、クリエイターのアシスタントをしてみないかと誘われて、こうやっていろいろなチャンスに恵まれてクリエイターになっていく一歩を踏めたというふうにおっしゃっています。
確かにチャンスをつかむって日本語で言いますけど、チャンスが別にコロコロ転がっているとかじゃなくて、自分のある状況をチャンスにしていくみたいな、そういう感じがすごい印象を受けましたよね、パワーさんのお話から。
ニューヨークの場合は、確かにたくさんこういうチャンスがいっぱいあるんですけど、逆に人が多すぎて、なかなかそういうチャンスにはたどり着けないっていう辛さもあると思います。
なので、ミラノ、イタリアってニューヨークに比べると全然ちっちゃい町なので、逆にそれこそそのRight Place、ちゃんと都合のいい場所にいれば、結構こうチャンスが入ってきやすい町ではあったのかなっていうのは、パワーさんのお話を聞いてて思いました。
09:06
ミラノからアメリカへ渡った時のパワーさんのお話で、ちょっと面白いなと思ったのが、彼女がイタリアにいた時からすでにアメリカンだって言われてたって言われながらおっしゃっていたんですね。
その背景にあるのは、オーバーアチーバーという言葉が出てくるんですが、もう常にミーティングだったりとか、どっか行く時は時間通りに行って、そして言われたこと以上のことをやり続ける、すごく優等生で、そして人一倍の努力をする人みたいな感じでおっしゃっていました。
そこってある意味、日本人とも共通しているところが僕はあるのかなと思ってしまったんですが、ちゃんとやっぱり言われたことはしっかりやって、それ以上のことをやろうやろうと常に努力するという、そういう機質があったからこそ、アメリカでも人一倍に頑張ってオーバーアチーバーで、期待以上の成果を上げてきて、あそこまでやられてきたんだなっていうのは、このインタビューで思いました。
人生のターニングポイントについて聞いてみました。
まず、1989年にアメリカのアスペンで行われた国際的なデザインカンフェレンスも、ターニングポイントについて聞いてみました。
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アメリカのアスペンで行われた国際的なデザインカンフェレンスも、ターニングポイントについて聞いてみました。
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ちょうどこの頃、アメリカ人のサーファーに恋をしたそうなんですね。
このアスペンでの展示会のコーディネーターをしたのは6月だったんですが、8月にはアメリカ人のサーファーを追いかけて西海岸のロサンゼルスに移り住む。
今思えば彼に夢中だったっていうのもあるけど、このままアメリカで働きたいっていうのも気持ちのどこかにあって、今考えればそうじゃなかったのかなっていうふうにおっしゃっています。
結局、この彼との恋はうまくいかずに失恋してしまったそうなんですが、でもそうやって西海岸に行くことをしたために、UCLAで教えるきっかけも手に入れたそうなんです。
西海岸のUCLAで教えていたときは、ミラノと一緒にアメリカのサーファーをやっていたんです。
西海岸のUCLAで教えていたときは、ミラノと行ったり来たりをしていたそうです。そしてニューヨークでも勉強したりしていたので、ミラノ、西海岸、アメリカ東海岸、またサンフランシスコにも恋人がいて、
なので結構忙しい行ったり来たりの生活をしていたみたいです。
そんなときにIDマガジンというのがあったんですが、そこでモマのミュージアムモダンアート、ニューヨークの近代美術館のキュレーター募集広告を見つけたらしいんですね。
そして応募してみて、そうするとモマの方から連絡をもらい、面接があったそうです。
そもそもパオラさんは雑誌の人だったので、ちょっと違うバックグラウンドをお持ちだったことがよかったみたいで、モマにアソシエートキュレーターという形で採用されたそうです。
15:07
僕はてっきり彼女はもうその頃からある意味デザインの業界でのジャーナリストとかをやっていたのでそこそこ知名度があり、ヘッドハンティングをされてモマに行ったのかなと思ったんですが、そうではなくて、
お自分で雑誌の求人広告に応募をして、そしてモマに入ることができた。かなり驚きましたね。
パオラさんのお名前は昔からずっと知っていて、今回こうやって改めてキャリアのことをお伺いして、じゃあ何がすごいかなということを考えてみるとですね、
パオラさんのお仕事とか文章とか、それこそ彼女がキュレーションする展示会を見て、僕が一番この人他と違うなって思うのはタイトルの付け方なんですね。
僕も個人的に社長とか役員の人とかにプレゼンをするときって、プレゼンテーションにタイトルどう付けようかってすごくこだわるんですよ。タイトルが9割とまではいかないんですが、タイトルって僕すごくキーになるポイントだと思っていて、
タイトルに引き付けられないと人は寄ってこない。そしてそこに人は集まらない。映画でも本でもエキシビションでもそしてプレゼンテーションでも、やっぱりタイトルが引き付ける力っていうのはすごく持ってると思うんですね。
そこがパオラさんの強みの一つなんじゃないかなってのは思います。
具体的にどういう内容で応募したのかっていうのはちょっとわからないですけど、雇う側の人が、この人はパオラさんは違う視点があるんだなっていうことを見出して、そしてキューレーターとして雇ったっていうところが、
だからそこに物書きとしてライターとして編集者としてやってきた、それまでの経歴が何か他のキューレーターとは違う差別化になって、それが彼女の強みになって、今までとは違う新しい形のキューレーターになっていけたんじゃないかなっていうのが、このエピソードに隠されてるんじゃないかなと思いました。
ニューヨークに引っ越してからはどうなったんですか?
ニューヨークに引っ越してからはトラウマの連続だったそうです。
18:27
家族とは離れ、また西海岸にいた公民ととも別れて、ニューヨークには知り合いがいない。また来られたのは1994年の2月だったそうなんですが、その時の冬ってすごく寒かったそうなんですね。
その上、モマンの人たちも冷たかった。ニューヨークってそもそもただでさえ暮らしやすい場所じゃないですし、非常に寒いこの中で、同僚もみんな余裕がないから暖かくない。今でも仕返ししたいくらい意地悪な人たちもいた、みたいなことをおっしゃってます。
初めはとっても大変で、トイレに行って泣いたこともよくあったそうなんです。そんなこともあり、結構深刻な鬱状態に陥ったこともあったっていうふうにパウロさんは教諭してくれました。
それでも働き続け、鬱になったり落ち込んだりしたら、朝30分とか1時間とか泣いて、なんで泣いているんだろうなんて思いながら、とにかく泣いて、泣き終わったらコンビニの前に座って、とりあえず1日働く。
今はもうあまり落ち込まなくなって鬱を乗り越えたそうなんですが、やっぱりそういうことを繰り返すことによって、自分の気分が沈んだときに自分とどう付き合えばいいかわかってきたそうです。
ただ、鬱の最初のときはなかなか苦労したそうなんですが、人生は誰にとっても簡単じゃないから、やっぱり乗り越えていかなきゃいけないことなのよねっていうふうにおっしゃっています。
ここでパウロさんがご自分の鬱病になったことをすごくオープンに、それも全く普通のことのように話されていたのは、僕はすごく半分驚きだったのと、あとこういうことをフラットに話せるっていうのはとても大事だなと思います。
ここ近年、やっぱりメンタルヘルスということがいろいろ言われてきていて、公の舞台でもすごく有名人の人、例えば日本だと大坂直美さんのような方だったりとか、あと体操の選手の下根ヴァイルさんもオリンピックの途中で出場をやめたりとか、そういうことをすごくオープンにされていて、メンタルヘルスっていうことが大事だ。
21:07
鬱だったりとか落ち込んじゃうっていうことは普通なんだから、それを恥と思わないっていうことを大きな舞台でアピールしていくのは有名人としても大切だし、ある意味パウロさんも人の前に立つ人としてちょっと意識はされているのかなとも聞いていて思いました。
I had a serious depression ということで、憂鬱になっちゃった、鬱病になっちゃったっていうことも結構すごくオープンに話してくださったりとか、精神的にちゃんと自分を管理していくっていうこともすごく大事だっていうことをちゃんと話せるっていうのはすごく素敵ですし、大事だと思いました。
経営者の方とかは、すごく落ち込んだ経験とか失敗談みたいなことは結構笑い話に昇華して話される方が多い印象で、なかなかこれだけパウロさんみたいにストレートに話されるっていうことはあんまりないなっていう感じはしますよね。
あと、男性だと強がってあんまりそういうこと言わないと思うんですよね。
ね、そうですよね。
いや、なかなか言わないと思うんですよ。
で、そういうところをスラッと言って、やっぱりオープンに話すことで、それって普通のことなんだよっていう、普通に皆さんが受け止められるようにオープンに発言されたりとか発信されたりするのってすごくいい影響があると思います。
パウロさんがニューヨークに引っ越してきた頃、疾病になってしまったことを教諭してくれたんですが、最初の頃はすごく大変だったと思うんですよね。
パウロさんがニューヨークに引っ越してきた頃、疾病になってしまったことを教諭してくれたんですが、最初の頃はすごく大変だったっていうことは、僕もこれすごく共感できます。
僕がニューヨークに引っ越してきたのは90年代後半でして、最初の1年は仕事もなかなか見つからず、就職もできず、アルバイトをしながら生活をする、そんな感じでキャリアの出だしがなかなか順調にうまくいかなかったので、彼女の気持ちっていうのはすごくわかるような気がしました。
パウロさんは今はニューヨークが大好きですごくハッピーだと、ニューヨークに来てから1年半ぐらいでここが自分の場所なんだって感じられるようになったっておっしゃっています。
24:00
ニューヨークほど自分自身のことがわかっている魅力的な人たちはいない。
ニューヨークで一番好きな場所は地下鉄っていうふうにパウロさんは話したんですが、地下鉄に乗るといろんな人が乗っていて、そしていろんな人種がごちゃ混ぜになっている。
みんな個性的で他人の目なんか気に入っていない。
ニューヨーカーっていうのはみんな人生が複雑だっていうふうにわかっているから、実は意外に他人に親切だったりするんですよね。
過酷な人生を思いやりで乗り越えようっていうそういうマインドがあったり、ラフな部分もある感じなんですが、そういう心の奥の親切さみたいなのがあったりします。
ニューヨークは多様性にあふれていて、全く違うタイプの人たちが一緒に暮らしていることが魅力的で、僕も大好きな街です。
僕も一回そのニューヨークから離れたことはあったんですが、5年ぐらいしてからまた戻ってきて、合計10年以上ニューヨークに住んでいるので、自分のことを誇りをもってニューヨーカーと言える立場になってきたのかなと思います。
特に911の後、ニューヨーカーがお互いを思いやる気持ちが強くなったというふうにパウロさんもおっしゃったんですが、僕も911の時にはニューヨークにいて、その時にニューヨークの人たちの団結というのが感じられて、これもよくわかりました。
ここで20歳前半の頃の自分自身に会うことができたら、どんなアドバイスを送りたいかというのを聞いてみました。最初に出てきた言葉、これもちょっと驚きだったんですが、
サーフィンを習いなさい、というふうにパウロさんは結構はっきりと言い切っています。人生の波をいろいろ乗って、大きい波が来た時にはそこに乗っかって上まで行くみたいな、そういう比喩的にもこの言葉を言っていらっしゃるのかなと思いました。
これはなんか、お茶目なところがあるパウロさん。彼女らしい言葉だなっていうのは、これは聞いてから改めて思いましたね。
そして、若き日の自分自身へのアドバイスならっていうことを聞いたんですが、何も変える必要なんてないっていうことを伝えたい。
27:10
あなたは綺麗で美しくて頭も良くて本当によくやってるよっていうことを伝えたいっていうふうに、すごくはっきりとここでもおっしゃっていますね。
そして誰にだって辛い時はやってくるんだから、そういう時こそ頼れる人たちっていうのが大事なんだよっていうのを伝えたいっていうふうにパウロさんはおっしゃっています。
これ、サーフィンを学びなさいっていうふうに言ってるんですよね。
彼女の老いたちでニューヨークに来られた時に、西海岸で好きな人がいて、その人がサーファーだったと。
で、彼女も実際にそのサーフィンをやってみたっていうところで、今までとはこう違うことにチャレンジする。
ベストアプローチ・トゥォーズ・ライフっていうふうにおっしゃっていて、ちょっと今までと慣れてないこととかやってないことをトライするっていうのと、
あとその時の波に乗る。
彼女の老いたちとかお仕事、キャリアの話を聞いていると、いろんな波があって、もちろんアップもあればダウンもあるんですが、
アップする波に乗ることで、どんどんああいう大きいチャンスをつかんで、大きい流れを作ってきたっていうところもあるので、
このlearn how to surf、すごい考えされた言葉でしたね。
すごくオシャレですよね、表現が。
いや、オシャレ。
本当、若い時だったりとか、その後どう人生を生きていくかっていうのは、波に乗りながらどんどん前に進んでいって、楽しみながら。
それもただ真面目にガリガリ働くっていうだけじゃなくて、楽しみながら人生を生きていくみたいなのは、すごい勉強になりました。
ちなみにこれ、何て言います?自分の若い、れいさんだったら何か言いたいこととかありますか?
僕はですね、It's not how good you are, it's how good you want to beっていう英語の言葉があって、
これはですね、イギリスのアートディレクターのポール・アーデンさんという方がおっしゃった言葉で、
大切なのは君がどれだけすごいかではない、どれだけすごくなりたいかっていう言葉なんですね。
この言葉を知ったのが僕30歳を超えてからで、その時に、
あ、これって21歳の時、20歳の時、大学を卒業する頃に知っておけばよかったなってすごく思った言葉です。
ここまでお送りしてきましたレイナモトの世界のクリエイティブ思考。
今回はパオラ・アントネリさんをゲストに迎え、モマ・キュレーターになるまでのご経験、座説との付き合い方、若き日の自分に送る言葉についてお話をしていただきました。
30:08
はい、レイさんこれ実際インタビューされてどうでしたか?
英語の言い回しでRight place at the right timeっていうことがあるんですが、
パオラさんの場合はイタリア出身で、若い頃にミラノで最初まず経験を積まれたんですが、
やっぱりそのミラノっていうデザインがすごく盛んな場所にいたんですが、
それだけではやっぱりそのキャリアっていうのは詰めなくて、
その時はそのRight placeだったとは思うんですが、まだRight timeではなかったんですね。
そうなんですが彼女の場合は自分でチャンスを掴むっていうよりかはそのチャンスを作っていくっていうところが、
そのRight place at the right timeのそのRight timeっていうのはこれは自分で作っていかなきゃいけないんだなっていうのを、
パオラさんの話を聞いて僕は改めて思いました。
この番組ではリスナーの皆さんからのお便り募集しています。
番組で取り上げてほしいテーマ、レイさんに相談したいことなど、番組の詳細欄にあるリンクからお寄せください。
リスナーの皆さんに番組に出演していただき、僕が直接ご質問に答えるコーナーにしていきたいと思っています。
ぜひドシドシレイさんいただきたいですね。
よろしくお願いします。
この番組ではクリエイティビティを武器に21世紀を生き抜くヒントをお伝えできればなと思いますので、ぜひご質問やお便りをお寄せください。
出演をご希望の方は連絡のつくメールアドレスなどのご記入もお忘れなく、また番組への感想はツイッターでもお待ちしています。
ハッシュタグ世界のクリエイティブ思考とつけて投稿してください。
僕に紹介したいあなたの注目のクリエイティブ作品があれば、ぜひハッシュタグ注目のクリエイティブとつけてツイッターで教えてください。
デザイン、アート、テクノロジー、建築やビジネス、映画など何でもOKです。
今後番組でも取り上げていこうと思いますので、ぜひよろしくお願いします。
それでは次回もお楽しみに。
お相手は滝口由里奈とレイナオトでした。
デジタルガレージは、危険な海に最初に飛び込むファーストペンギンスピリットを、創業以来大事にし続けています。
これからくるWeb3、オープンソース時代を見据えた、テクノロジーで新たなビジネスを生み出す仲間を募集しています。
番組詳細欄にあるリンクよりぜひご覧ください。
ニューコンテクストデザイナー
デジタルガレージ
32:23

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