So, let's get started!
Creative Voice
簡単に自己紹介と、どういう経緯でアメリカに来られたかっていうのを最初にご紹介いただければと思いますので、まずドラゴンさんから。
名前はドラゴン76っていう名前で、アーティストとして活動しています。
普段は主にストリートアートっていうか壁画とか、あとギャラリーでエキシビジョンをしたりとか、アートの活動をやってるんですけど、
ニューヨークに引っ越してきたのは、8年前に家族で引っ越してきました。
こっちで一番最初にやったライブペインティングのパフォーマンスをきっかけで、それを見てくれたお客さんの中でワールドトレードセンターの広報の知り合いの人がいて、
すごいアーティストを発見したからっていうのをワールドトレードセンターの方に紹介してもらって、
ちょうどその時にワールドトレードセンターでの壁画のプロジェクトが始まるっていうタイミングだったんで、
それで壁画を頼まれたんです。
で、その壁画を描いたのをきっかけで、その絵をすごく気に入ってもらって、
ニューヨークで活動する上で何か困ったことがあったり、何か相談があったら何でも言ってくれっていうことで、
そういう関係を築いた上で、スタジオとしてあそこのワールドトレードセンタービルの、今は69階にいるんですけど、
そこをスタジオとして使わせてもらえることになって、今はそこで普段自分の作品とか制作をしています。
私は妻で、ドラゴンは絵を描く以外の経理だとか、クライアントさんとのやり取りだとか、絵を描く以外のことをやっています。
で、たまに壁画でアシスタントとして一緒に各国回ったりとかっていう活動をしています。
結構こう日本チックなところもあれば、すごく西洋的なところもあって、
僕が最初見たときの印象っていうのは、まずこれはリスペクトを持って言うんですけども、
それこそ70年、80年代とかのアキラみたいな、21世紀版だなと思ったんです。それが最初に受けた印象。
で、もう一つ思い浮かべたのは、これ実写の映画なんですけど、マットマックスっていう、これも80年代ぐらいのコアの映画だと思うんですけども、
ちょっと世紀末的な風景がある。で、それをアニメというか日本的なちょっと漫画っぽく、それも近未来的なのを絵に起こして、
そして色んな結構カラフルな色で、その巨大な、もう何メートルもあるような、そういう壁画がそれこそワールドトリュフセンターの壁に描かれたんですけども、
あの作風っていうのは、そもそもどこが出発点、どうやってああいうふうに確立されたのかっていうのをちょっとお聞きしたいんですけども。
もうまさに感じてもらってた通り、元々アニメーションとか映画がすごく好きで、そういう影響とかを自分の作品に出てしまうとか意識的に出してる部分と、
そういう影響を作品の中に取り入れたりもしてるんですけど、でもマットマックスとアキラとあとドラゴンボール、この3つが一番好きな作品なんで、
それが出てしまって、それがもうちょっと好きすぎて、あんまりその影響が出すぎるとちょっとパクリみたいになってしまうので、コピーみたいにならないように好きっていう影響が出てしまうことはしょうがないんですけど、
でもそれをいいバランスでちょうどできればなっていうののバランスをずっと探ってる感じですね。
やっぱり日本人のアートってすごい繊細で細かいディティールやったりとかが、すごい日本人っぽいねって言われることがあるので、
やっぱり日本のアニメーションやったり、大きな枠としてコンセプトやったりとか、プラスやっぱり細かいディティールとかもすごくなんか緻密というか、そういうとこも書き込むのが自分はすごい好きなので、そういうところがすごく日本人っぽいとは言われます。
そういうのがなんか日本のアニメスタイルって言われたりとかって言われたりしますね。
なるほどね。で、ああいう絵をコミッションとして頼まれて描く場合もあればご自家で描く場合もあると思うんですけども、
ちょっとその辺の過程というの、プロセスっていうのをどうやってアイディアから始まって、完成までいくのかっていうのをちょっと簡単にご紹介いただけますか?
そうですね。最近こっちのアメリカに引っ越してきてから、自分の活動をするときに自分の色っていうのを最大に出して制作させてもらう機会がすごく増えたので、
最近はもうすごくなんか自分のやりたい絵を仕事としてもできるしっていう環境になってきたんですけども、もともとは日本で活動してたときに結構なんか自分の名前を知ってもらうきっかけになった大きな活動の中で、
ミュージシャンのCDジャケットだったりとか、アルバムカバーを書いたことがきっかけで結構名前を知ってもらうきっかけになったんですけど、
でもその時はやっぱり最初に描いたときのイメージが最初に自分の名前を知ってもらうきっかけになったイメージとして広まったので、
まあそれみたいな絵を描いてほしいっていうふうに発注されてたことがすごく多かったんですけど、
もともと自分の好きなスタイルで絵を描かしてもらったんですけど、やっぱりでもそのイメージっていうのがすごく広まったので、
みんなそのイメージを求められるようになって、そういう絵ばっかりを一時期描いてたときがあったんですけど、
最近はもうそれをもう意識的にもっとなんか自分の出したい部分とかいっぱいあったので、自由に出して、
アメリカでの制作っていうのは結構なんか自分のやりたいことを最大に尊重してもらえるっていう環境だったので、
こっちで結構壁画やったりとか作品作るときはもう自分の好きな100%のやつをその時に一番描きたいものを描くみたいな感じでやってたら、
そのイメージがまた広まってて、今は常に新しいものを作ろうとは思うんですけど、
自分のイメージと新しいもののちょうどいいバランスを探っているって感じなんですけど、
そうですね、発注されるときは基本やっぱりアメリカでやるときは、例えば何かの広告やクライアントワークとかの場合は、
こういう作品があってこれをプロモーションしたいからこれに沿った絵を描いてほしいって言われるんですけど、
でもそこにはやっぱり自分のスタイルを求められるし、
誰がやってもいいようなやつじゃなく、自分の絵を気に入ってくれて発注してもらうときはやっぱり自分のスタイルとそのプロモーションのためになるような
絵のバランスっていうのをお互い擦り合わせて、ラフとかを重ねて、ちょうどいいバランスが見つかったときにそれでいこうみたいな感じにはなりますね。
すごいストレートな質問なんですけど、いろいろ複雑じゃないですか、特にやっぱりそのご夫婦だけじゃなくてお子さんもいらっしゃって、教育とかそういういろんな僕も親として悩みを抱えているところはたくさんあるんですけども、
なかなか思い通りに書かないといけないとかってあると思うんですけども、最初ニューヨークに来るってことはもうすぐ結構早いうちに同意されたんですか?
そうですね、もう海外行きたいなみたいなのは、でもちょこちょこジャブのようにはなんかって言ってたんですけど、やっぱり子供はやっぱり嫌やって言ってたんで、昔はね。
ちょっとよくわかってないみたいで、小学校低学年とか3年生とかで、でもその頃娘はディズニーのハイスクールコメディの番組を結構見てて、それが好きだって、そのハイスクールの雰囲気が憧れみたいになった時があって、
え、そうなみたいな、ちょっと乗り気になってきて、じゃあ行こうみたいな子供たちもそのつもりで、ずっとちっちゃい時からブレイクダンスを子供たちはやってたので、やっぱ本場のニューヨークってことで、そういう気持ちもあったみたいで。
ちょっといくつかこの移住というところで思い浮かぶ質問があるんですけども、まず不安はなかったんですか?
不安は多分今から考えたら、当時は絶対不安絶対あったとは思うんですけど、そんなになかったかも。
多分不安があったら多分来てないと思うし、自信がすごいあって、行けばなんとかなるやろうっていう、特に何か、お前がアメリカに来たら全部俺がやってあげるみたいな人がいたわけでも全然ないんですけど、行けばなんとかなるやろうっていうのは前とあって、
見てもらえる場所さえ作れればなんとかなるんじゃないかなとは思ってました。
でもその時にアメリカで行ってこういうふうにやっていこうとかって頭の中で考えてたことは、ニューヨークに来てから活動するとなった時に全然変わりましたね。
その時思い描いてたようなものとかのやり方とは今では全然違うし。
じゃあそれはどう思ってたイメージと実際に現実になったのはどう違ってました?
横浜で自分のことを誰も知らない中で、どういうふうに自分を売り込んでいこうと思った時に、ライブペインティングをいろんなクラブやったりとか、いろんな音楽イベントのところでライブペインティングをさせてくれてて、いろんなクラブに回ったりとかして、
知り合いを通るがインターネットやSNSとかじゃない時代だったので、やっぱり人と出会える場所で絵を描くっていう場所を見つけていければ、自分の絵を知ってもらうきっかけになるなと思ってて。
それが自分の中で成功体験というか、それでいろんな人に知ってもらえたんで、そういう感じでライブペインティングとかパフォーマンス的なアートをアメリカに来てやっていけたらとか、やれる場所を見つけれたらいいなとは思ってたんですけど、来てみたらライブペインティングじゃないなみたいな感じだった。
やっぱりその時アメリカの壁画文化っていうのがすごい衝撃を受けて、サイズ感やったりとか、壁画のスキルやったりとか、そういうものがちょっと想定していたものとレベルがちょっと違いすぎて最初びっくりしてしまって。
でもここで名前を挙げるにはもうこういう人たちと肩を並べなあかんから、まずはスキルを磨くしかないと思って。やっぱ結局人と知り合うきっかけとか、いいやり方を見つけたとしてもスキルがないと絶対長続きやすいから、まずはやっぱスキルが一番大事やなと思って、技術っていうか自分の絵のスタイルとスキルをもう頑張って身につけようと思いました。
最初に来られて一番苦労したことは何ですか?日本人としてだったりとか言語だったりとか。
そうですね、言語が一番苦労してるかもわからないですね。ちょっと言語が覚えられなさすぎて、それが一番苦労してるかも、それ未だになんですけど苦労してますね。
アートに関しては、言ってもやっぱりアメリカすごい厳しい場所ではあるんで、僕らもすごい頑張ったし、すごく恵まれたり運も良かったっていうのもあるんですけど、めちゃくちゃ頑張ったんで、まだまだ全然まだまだなんですけど、
でも最初思ってた想定よりも早くになんかそういう引き換えたりとか自分のアートを披露できる場所みたいなのはいろいろゲットできたので、ちょっと自分たちがアメリカに来て想定してたよりもいい感じにはいけてますね、最初の何年かとか。
そして2つ目は物作りの先にあるもの。
3つ目は運は準備が整った人が掴み取れるもの。
1つ目のこの日本人の器用さっていうことなんですが、
日本の文化的にすごく繊細な物作りだったりとか、すごく細かいところにこだわるとか、
あとこれはクリエイティブの音楽とかそういうことだけじゃなくて、
いろんな分野の基礎技術、そして基礎知識っていうのを中学生、高校生の頃から結構叩き込まれる文化なんですね。
一般的に大体どんな日本人でもそういう高い技術を持ってるっていうことがあり、
なおかつドラゴンさんの場合は日本で大学に行って、そして日本でもアーティストとしてある程度活動されていて、
そういう技術を持ってアメリカというところに挑戦している。
その器用さっていうのがすごく生きていたんだなっていうのを話を聞いて、
自分ではあまりそういうこと自慢はされてなかったんですが、そういうのをすごく必死と感じておりました。
だから日本人の器用さっていうのは世界でも通用する。
そして世界でもトップクラスなんですね。
それがまず一つ。
二つ目にこのものづくりの先にあるものということなんですが、
そのいいものだけを作って、例えばいいものを作ってインスタに上げてれば気づかれるよねっていうことだけでは足りなくて、
積極的に人の目が自然にあるところに行かないと、
今こんだけオンラインで情報があふれ返っているので、
ただYouTubeを始めるだけ、ただインスタを始めるだけ、ただポドキャストを始めるだけでは全く足りないんですよね。
だからそのものづくりの先にあるものっていうのは、
ドラゴンさん、そしてあやこさんは結構戦略的に考えていらっしゃって、
それっていうのはやっぱり日本人のアーティストのこれからの強みで一つとして、
皆さん意識しておくといいんじゃないかなと思います。
そして3つ目のキーテーカウェイ。
運は準備が整った人が掴み取れるもの。
今回のお話で、もちろん頑張ったんです、大変だったんです。
言語がなかなか今でも苦労してますっていうところと、
あと逆にお二人すごく大らかな、ある意味いい意味で楽観主義的なところがあると思うんですけども、
それってある意味その運っていうところは、
ただ運が自分のところに舞い込んできて、
それを掴んだだけではドラゴンさん、あやこさんはそうじゃないなっていうのはすごく明確だったんですね。
ちゃんと自分でチャンスを掴みに行ってる。
それから自分の技術っていうものをちゃんと持ってるっていうところだったりとか、
じゃあこれをどうやって人に見てもらうかっていうことを考えるっていうのがあるからこそ、
そこに来た運をちゃんと掴めてるのかなっていうふうには思いました。
なので今日の三つのテーマは、まず一つ目に日本人の器用さっていうのは、
ほぼ世界一だなっていうのは、いろんな業界で共通していて通用することだと思うので、
ぜひその辺自信を持ってください。
二つ目、ものづくりの先にあるもの。
これは日本人、そして日本企業とお使いしてると、
うちはものづくりの会社ですからみたいなことをおっしゃる方が少なくないんですが、
それはそれで大事なことなんですけども、ものづくりの先にあるものっていうのを意識しておくこと。
じゃあどうやってこれが人に見られるのか認められるのかっていうことを、
ものを作ってる段階から意識する必要があるなと思います。
そして三つ目、運は準備が整った人が掴み取れるもの。