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2023-02-14 32:35

#017 女性CEOが語る「広告業界でインターンから社長に登り詰める方法とは?」

第17回は、レイ・イナモトと10年以上の親交があるBBHニューヨーク元CEOで、現在は、女性が自分らしく生きられる環境を支援しようと、世界初のソーシャルセックスプラットフォーム「MakeLoveNotPorn」を立ち上げたシンディ・ギャロップさんがゲストで登場。1990年代、圧倒的に男性の多い広告業界で「どうやって女性CEOに就任したのか?」広告業界で女性が出世する方法から、広告営業としての仕事哲学、ミドルエイジ・クライシスまで、時代のリーディング・パーソンらしいお話を伺いました。


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This is ReinaMoro's Podcast. 世界のクリエイティブ思考
Hi everyone. This is ReinaMoro. 皆さんこんにちは。クリエイティブディレクターのReinaMoroです。
この番組では、世界で活躍するトップランナーに、これまでのキャリアを振り返っていただき、
クリエイティブ思考で自分らしい人生を歩むヒントを探ります。
今回のゲストは、長年広告業界で活躍し、
イギリスの大手広告代理店、バロ・バゴ・ヘガリ、BBHというエージェンシーのニューヨークのトップに登り詰めたCindy Gallopさんです。
ちょっとここで追加の説明をしたいんですが、このBBHという会社は、
広告業界では伝説的な存在で、僕も一時期転職をしようかと検討したりとか、
業界の中でも80年代、90年代からずっと伝説的な作品を打ち出している、
すごいキラキラした輝かしいトップのエージェンシーなんですね。
そこで、特に男性の多い広告業界で、Cindyさんは女性としてその手腕を認められて、
90年代にBBHのニューヨークのオフィスを設立された方です。
その当時は珍しい女性CEOに就任されました。
現在は女性が自分らしく生きられる環境を支援しようと、
世界初のソーシャルセックスプラットフォームMakeLoveNotPornを創設されて、それを経営されています。
性をめぐる男女間の認識の税とコミュニケーションの改善について世界各地で講演されて、
そしてそれを支援する会社を経営されている、まさに時代のリーディングパーソン。
そんな方がCindy Gallopさんです。
まず今回はCindyさんのクリエイティブ業界での歩みについて伺いました。
So, let's get started.
クリエイティブ・ボイス
では、あなたの背景について少し話しましょう。
あなたの韓国語や今の仕事について聞きたいと思います。
Cindyさんはどんな子供時代を過ごされたんですか?
Sure. I was born in the UK, but when I was 6, we moved to Brunei, where my father had got a job.
And so that's where my sisters and I grew up.
My parents regularly, subsequently apologized to me and my sisters for our childhood.
私はイギリス人の父親と中華系マレーシア人の母親を持ち、イギリスで生まれました。
6歳の時、父親の仕事の都合で東南アジアのブルネイに移住しました。
そこで妹たちと過ごすんですが、ブルネイはイギリスに比べクリエイティブな活動が盛んでなかったため、両親が子供たちへの影響をとても心配しまして、
特にお父さんが子供たちに本をたくさん読んだり、絵とか小説を書いたりすることを勧めたんです。
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イギリスには14歳で帰国しました。成績が良かったので、飛び級をして高校に行くことになって、
16歳で奨学金をもらってオックスフォード大学の名門女子校サマービルカレッジに進学、イギリス文学を学びました。
オックスフォードはクリエイティブな活動が盛り上がっていました。
私はオックスフォード大学はテーターが大好きだったからです。
オックスフォード大学は大学の勉強を受けている学生たちがたくさんいる大学です。
大学時代に私の人生を変えたのは演劇との出会いです。
もう今後の人生を演劇に捧げたいって思うほどのめり込みました。
ただ、女優とか監督としてやったことがないので、
私の人生を変えたのは演劇との出会いです。
大学を卒業した後、21歳から劇場でマーケティングやPRの仕事をしました。
すごく楽しかったです。
大学を卒業した後、私の人生を変えたのは演劇との出会いです。
大学を卒業した後、私の人生を変えたのは演劇との出会いです。
大学を卒業した後、私の人生を変えたのは演劇との出会いです。
大学を卒業した後、私の人生を変えたのは演劇との出会いです。
すごく演劇に情熱があったので、お給料が安くても休みがなくても気になりませんでした。
ただ、劇場に就職して4年目、転機が来たんです。
仕事場の女性に、あなただったらエスキモーに冷蔵庫を売り付けることだってできるわねって言われて、
それなら活躍の場を広げるため、広告業界に転職するのがいいかもしれないって思ったんです。
どうやって広告業界に入ったんですか?
1985年当時、広告業界はみんなの憧れだったので、入るのがとても難しかったんです。
だから、大学を卒業したての若者が応募するインターンのようなポジションからキャリアをスタートさせました。
その時は、多くの広告代理店にオックスフォード大学卒の若者をインターンに雇って、
会社の様々な部門の仕事を6ヶ月間で全部体験させるというトレーニングプログラムがありました。
私は広告営業を希望していましたが、このプログラムで違う部門の仕事を体験できたのは非常に良い経験でした。
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そのトレーニングプログラムで一番勉強になったことは何ですか?
このプログラムで、私は広告営業という仕事にとって最も大切なのは、
クリエイティビティが溢れ出るようなものを作って、多くの人に受け入れてもらうことなんだと気がつきました。
1980年代のロンドンの広告代理店ですから、広告営業なら契約が必要だと思いました。
クライアントとの関係性の構築がいかに大切かということを目の当たりにしたんです。
そして、いかに最高の広告を締め切りを守って、クライアントが望む形で届けるか。
それを実現するためにみんなを結束させるのも広告営業です。
会社で活躍する先輩たちの姿を見て、広告営業の仕事ってとっても素晴らしいものなんだって気づくことができたんです。
広告営業はまさにクライアントと広告代理店をつなぐ存在です。
クライアントと強い仕事をしながら、広告代理店の仕事をしながら、広告営業の仕事をしながら、
まさにクライアントと広告代理店をつなぐ存在です。
クライアントと強い信頼関係を築きながら、クライアントと同じ目線に立って、
パートナーとして一緒に目標を達成するにはどうしたらいいのか。
広告代理店として何を提供できるのかを一緒に考えていくわけですから。
まず、相手に信頼してもらうことが不可欠です。
運命共同体となるんですから、強い信頼関係さえあれば、
広告代理店が提案するクリエイティブな意見をクライアントは受け入れやすくなりますし、
結果的にプロジェクトが成功することも多くなります。
改めて発達させられたのが、アカウントマネジメントという立場の役割はどういうことかということを
すごく誇りにもって話されていたのがすごく印象に残ったんですね。
日本語でアカウントマネジメントというと営業という言葉が一番近いと思うんですけど、
正直感覚的に営業という役割だったりとか、
営業という業務がすごく煙たいものって見られている、
特に最近かなっていう印象を受けるんですね。
実際に営業に行きたい人がどんどん少なくなっちゃっているっていうのは日本でもあるんですけど、
彼女が広告業界に入られた80年代の、特にその時、このインタビューでもおっしゃられていましたけれども、
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イギリスのロンドンの広告業界っていうのがめちゃくちゃイケイケでキラキラしていて、
そこでアカウントマネジメントっていうのは、いわゆる広告代理店エージェンシーの顔であり窓口であって、
彼女の言い方で言うとインタフェース、between the client and the agencyという言い方をしていたんですが、
クライアントからいただいたお題を受けて、それをエージェンシー側でまとめて答えを導いていくっていう、
すごくめちゃくちゃ大切な役割だったんですね。
そこをすごく誇らしく語っていらっしゃったっていうのが、
たぶんその意識の持ち方の、自分のやっていることに対しての意識の持ち方の違いかなと思うんですけど、
営業っていうと、お客様もしくはクライアント、顧客からいただいたお願いを、
はい、わかりました、やってきます、みたいな感じで受けて、
それを何が何でもやり遂げるみたいなイメージ、特に日本ではそういうのがちょっと強いのかなと思うんですが、
それよりかはクライアントのお悩みに対しての相談相手であり、パートナーであり、
だから言われたことをただやるだけではなくて、
ちゃんとそれを理解して、何がビジネスにとってベストなのかっていうことを考えてソリューションを導いていくっていう、
すごくただ言われたことだけをそのままやるっていう立場じゃないっていう、
その意識の持ち方の違いがあるなっていうのは思いますね。
確かに言われたことだけをただやって、それをそのまま届けるっていうことになると、
板畳みなさみになっちゃったりとかすると思うんですけど、そうじゃなくて、
こういうことを言われました、それで本当にいいのかっていうことも踏まえて考えながら、
じゃあどういうふうに持っていくのがこのクライアントのためになるのか、
そしてクライアントのビジネスにちゃんとつながっていくのかっていうところを理解して、
パートナーとして仕事をされてたってのが違うんじゃないかなと。
だから営業だからといってただ受け身で言われたことをただやるっていうことでもないなっていうのは思いますね。
このアカウントマネジメントの話を聞いてそういう思いにさせられるとは全く予想はしてなかったんですけど、
別の意味でのインスピレーションを受けましたね。
1989年から大手広告代理店BBHで長年働かれていますよね。
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そのご経験を踏まえどうしたらチームのメンバーにクリエイティビティを最大限に発揮してもらうことができるか教えていただけますか?
私はBBHの本拠地、ロンドンで長年働き、BBHニューヨークを立ち上げてそこのトップにまで登り詰めました。
まずはそのいきさつを話しますね。
1990年代初め、私は若く野心に溢れていてまさに怖いものなしだったので、ある日社長に私が出世して行き着く先ってどこなのよ?って直接聞いたんです。
そうしたら社長が君はどうなりたいの?って聞き返してくれたんです。
だから私、言ったんです。BBHニューヨークの社長になりたいって。
そうしたら社長がBBHニューヨークを設立するための肩慣らしとして、まずBBHシンガポールの設立を手伝ってくれないか?って言ったんです。
なので、1996年にシンガポールに赴任、そこで海外での会社設立について学び、1998年にBBHニューヨークを設立したんです。
ニューヨークは優秀な広告代理店が熾烈な競争を繰り広げる街として知られていますが、私は初めからアメリカで一番の広告代理店にする、そう宣言していました。
それを実現するためには自分たちに足りないことを明確化して一歩ずつ目標に近づくだけです。
だから一番大切なのはどうなりたいかという目標を決めて、そこから自分自身の能力を冷静に分析し、足りないものがあれば補っていくんです。
そうすればどんな遠くにある目標だって叶います。
彼女のキャリアの作り方を改めて聞いてみて、まず自分が求めていることをすごくはっきり、数年置きだと思うんですけども、はっきりさせてきたのかなと思うんですね。
そもそもその広告業界に入った時も、それまでいたシアターの業界で、これは先がないんじゃないかという意識を持って、憧れで入った広告業界で、そこで最初10年ぐらいですかね、やられて、
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次、自分のキャリアをどう積んでいこうかって、多分30代半ばぐらいに経ったんじゃないかなという想定なんですけども、
その時にちゃんと自分の上司の人に話しに行って、私の未来はどうなっているんですかみたいなことを直接ぶつけたと。
ちゃんと自分の未来を常に考えているっていう。
そこでうじうじしないで、ちゃんとそういう話の場を設けてたっていうのもシンプルなことかと思うんですけど、意外とそういうのってできない人が多いんじゃないかなというふうに思うんですね。
僕も会社を経営していて、辞めたいとかっていうふうに来られたときに、理由はわかるんだけど、
例えばこの話って6ヶ月前にしていればこういう状況になってないっていうこともありますよねみたいなのも少なくないので、
そういうところをちゃんとオープンに上司と話せてたっていうのは、それはそれで彼女がちゃんとしてたところかなっていうのは思いました。
その一方、それを聞いたときに受けた、ここの話でも出てきたナイジョ・ボーゴっていうBBHのBの人なんですけども、
バーロ・ボーゴの2番目のBですね、Bの人なんですが、その人が逆に心理はどうしたいのと、どこを目指しているのか言ってくれれば、
それを叶えるからっていうふうな、すごく大きな器で彼女の質問に対して、逆に質問して、
それに対してまた彼女は考えて、数日後にはっきりとして、アメリカでBBHを立ち上げたいっていう、
それまた結構大きな野望に満ちたリクエストをするわけですよね。
その後、シンガポールに行かれたっていう話はされたんですが、その準備というか訓練として、
まずシンガポール、アジアでのビジネスが今ちょっと忙しくなってきて、そっちにオフィスを立ち上げなきゃいけないから、
そこでちょっとまず経験を積んでからアメリカに行くのはどう?ということで、そこで2年ぐらい経験を積まれてからアメリカに行くわけなんですが、
ちゃんとそういうステップというか、線路を会社として彼女に対して引いてあげたっていうのも、それはそれでちゃんとしてると思いますし、
特にアメリカは転職率がめちゃくちゃ高いので、人が辞めるってことはもうしょっちゅう起こってはいるんですが、
辞めることがほとんど普通な社会なので、それはしょうがないっていう受け止めなんですけど、
とにかく行き詰まったりとか、先が見えなくなったりとか、自分のポジションに対する疑問があったら、
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まず話に来てくださいっていうのは、僕は常に伝えるようにはしてます。
話し合いをしない場合はもう最初から諦めてるような形になっちゃうんで、
英語の言い回しで、the grass is always greener on the other sideっていう言い方があるんですけど、
芝生は向こうの家の方がいつも綺麗に見えるみたいな言い回しで、
でも結局そっちに行ったとしても別の問題が出てきて解決しない場合も多いので、
例えば僕の会社から辞めたとしても、またすぐ転職してる人たちっていうのは少なくないですね。
結局自分の幸せを他に求めていて、
でも仕事の上での幸せっていうのは、もちろん環境がちゃんとしてなきゃいけないっていうのが前提ではあるんですが、
よっぽどひどい上司だったりとか、よっぽど人間関係がひどい中では、
そういうところはできるだけ早めに見極めて去っていった方がいいと思うんですが、
人の幸せっていうのは最終的には自分で管理していくのが一番効果的だと思いますね。
多分日本と海外の働き方の根本的な違いは、
誰のために働いているかっていうのが、日本だと組織のために働くっていうところがすごく強いと思うんですね。
それはいいことでもありますし、大きな場面で正しいことではあると思うんですけども、
じゃあそれが自分のためになっているかっていうと、そうじゃないときも少なくないと思うんですね。
なんですが、西欧ではやっぱり自分のために働いているっていうスタンスがすごく強くて、
自分のために働いているっていうところと会社のためにどうするかっていうところを両立させて、
そこがうまくマッチングしたときに両者ハッピーになれる、会社組織の方も個人の方もハッピーになれる環境ができて、
そしてさらに企業が成功していくっていうコンテストが作れると思うんですよね。
それをシンディさんはご自身でそういうチャンスを待っていたわけじゃなくて、
ちゃんと自分でリクエストして、それを企業の方が提供してくれたっていう、
そういううまいキャッチボールができていたんだなっていうのは思いました。
あと、会社のトップとしてはみんなが幸せに働ける環境を整えることが大切です。
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ものすごいストレスにさらされていたらクリエイティビティは花開きませんから、
毎日毎日ミーティングばかりだったら創造的な仕事をするなんて無理な話ですよ。
ミーティングを減らして考える余裕を与えればクリエイティビティは増すんです。
昔はみんな長時間働くこともありましたが、どうやったら楽しく働けるかをいつも考えて、
同時に限界を感じる人がいないよう気を配っていました。
あと、例えばクライアントに何か提案する時も一番大切なのは信頼関係なので、
必ず事前にプレゼンテーションをチェックするようにしていました。
それが最高のものでないと信頼関係に傷がつくからです。
ただ、プレゼンテーションを見てここは変えたいなと思ってもすぐに口にすることはしないようにしていました。
まずは変更したらどのくらいチームに負担がかかるかを考えるんです。
もしチームが全員寝ないで直さないといけないようなら変更せず、今のプランでいこう、そう決断することもありました。
みんながボロボロになっていたら最高にクリエイティブな広告なんて生まれませんから、バランスが大切です。
リーダーとして大事な要素は、いかに明確に状況を判断したりとか、明確に物事を伝えることができるかというところに、
そこがすごく大事だと思うんですね、その明確さというところが。
彼女の場合、そもそもアメリカにBBHがなかった時にアメリカに立ち上げたいっていうのを、
それが私のドリームジョブだというふうに夢の仕事だというふうに上司に伝えて、それを叶えてくれましたと。
自分で言い出したからにはやらなきゃいけないという状況にご自分を置かれて、
西海岸ではなく、その時にクライアントがいたリーバイスが西海岸のオフィスなので、西海岸で立ち上げるのが多分手っ取り早かったと思うんですけども、
あえて一番タフと言われているニューヨーク、もちろん近代の広告の聖地であるニューヨークで、
エージェンションを立ち上げるということにチャレンジして、
意外だったのが、90年代後半から行かれてますけども、
ここのインタビューに出てきましたけども、その時の働き方というのが結構、
アメリカでもすごくて、徹夜なんかするのは普通な話だったので、
でも、あえて彼女はそういう環境の中で、すごく競争リズムが激しくて、
男性が多くて、夜中まで普通に仕事してるみたいな業界だったんですが、
一人一人の社員の幸せっていうのをすごく重要視されてたんだなっていうのは、今回の話で彼女が言ってましたよね。
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聞いてみると、蓋を開けると当たり前のことではあるかもしれないんですが、
2023年の今だからこそそういうことが言えて、25年くらい前の時に、
社員がハッピーかっていうことをあんまり語ってた会社っていうのは、
その広報業界に限らず他のところでもあんまりなかったと思うんですよね。
そんな中で、彼女は社員の幸せっていうのをすごく大切にしていて、
じゃあどうやってそういうコンテクストが作れるのかっていうところも、
日常的に業務の中ですごく意識されてたっていうのが、ここでひしひしと伝ってきました。
知り合いになってもう十何年くらい経つんですけど、
そもそも一番最初に知り合ったきっかけっていうのが、
登壇をした時にパネルディスカッションで彼女がモデレーターで、僕がコメントをする方だったんですけど、
もうその時から、やっぱり言うことは大胆でしたし、
結構こう、おおっとざわつかせるようなことをすごく自信を持っておっしゃられていた人ではあったので、
すごい人なんだろうなっていうのは印象はあったんですが、
もう会ってみると、もう等身大で付き合ってくれる感じで、
僕よりも全然年上の人なんですが、全然上から目線じゃなくて、
BBHってさっきも最初に説明しましたけど、すごい素晴らしい会社、世界の憧れの会社で働いていた、
そこのアメリカの社長をやられていたぐらいの人なのに、
全く上から目線じゃなくて、もう等身大で最初から付き合ってくれているっていう、そういう感じの人ですね。
女性のトップとして、ターニングポイントってありましたか?
2002年に、リーバイスの前例の広告キャンペーンをやることになった時が、大きなターニングポイントでした。
それまで、リーバイスは別の広告代理店と組んでいましたが、業績が上がらず、私たちに買えると言ってきたんです。
リーバイスの社長に、失敗するわけにはいかないぞって言われて、やるしかないと頑張ったんです。
今思えば、それが大きくアメリカでのビジネスを拡大するきっかけになりました。最高の瞬間です。
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僕の経験では、広告業界では、クリエイティブディレクターと広告営業の人は、しましま意見が対立すると思うんですが、うまくいく秘訣はありますか?
確かに、アメリカではそういう場面を目にすることもありますが、BBHは違います。クリエイティブチームも、広告営業と目線を合わせていないと、結局、仕事が成功しないってわかっているんです。
自分たちのクリエイティブな仕事を、すごく上手に売ってくれるんだから、対立どころか、最高の味方だってわけです。
なぜ、BBHを辞めたんですか?
45歳の時、ミドルエイジクライシスに陥ったんですよ。16年も同じ会社で働いて満足していましたが、一生、広告業界で働くのも何か違うなって思って、だから、次の仕事が決まらないうちに、今だって思って、会社を辞めたんです。
それまで仕事一筋の人生だったので、何か違うことをしようと思って、これは私にとって人生最高の決断でした。自分の価値観が明確であれば、人生はとてもシンプルで幸せなものになります。大きな決断をする時も、自分にとって何が大切なのかがわかっていれば、変化を恐れたりしなくて済みますから。
ここまでお送りしてきました、レイナモトの世界のクリエイティブ思考。今回はシンリー・ギャロップさんにお話を伺いました。
シンリーさんは今までインタビューをしてきたゲストとはちょっと違う立場で、クリエイティブ業界で長年働いてこられた方なんですが、もっと経営寄りで物を作るという立場ではなく、物作りの人たちが活躍できるコンテキストを作るアカウントマネジメントという役割を長年務めていらっしゃった方なんですね。
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今回のお話ですごく重要だなと思ったのは、彼女が言っていたMake sure creativity flourishes and creativity gets boughtというのが彼女の役割だったというのは、僕はここがすごく印象に残っていて、
これ何かというと、このアカウントマネジメントという人の役割は、創造性、クリエイティビティがちゃんと花を開いて、そしてその開かれた、開花したクリエイティビティがクライアントに受け入れられる、クライアントがちゃんと買ってくれるようにする、そういうことを、そういうセットアップをするというのがこのアカウントマネジメントの役割なんだというふうにおっしゃっていたので、
ただの営業、営利を求める、それを業務としてやるだけではなくて、ちゃんとこのクリエイティビティということをどうやって生かすことができるかということを常に考えていたという姿勢は、これは素晴らしいなと思いますし、時代を越えて常に大事な考え方だなというのは、ここの今の会話で思いました。
クリエイティブという言葉だったりとか、クリエイティビティという言葉を使ってしまうと、そういう才能があったりとか、そういう技術を持っている人の特権みたいな感じになってしまうんですが、でもやっぱりクリエイティビティというのは全ての人の責任であり、全ての人の会社の義務であり、そして全ての人がクリエイティビティに貢献できるというところが、今回の話のキーポイントかなと思います。
しんりーさん、自分の仕事をすごく誇らしく語っていらっしゃっていて、このアカウントマネージメント、クリエイティビティがどう成功できるかということを作る役割というのを誇りを持って、長い間20年30年と仕事をされてきた彼女の姿には、僕はすごく魅力を感じました。
次回もしんりーさんのインタビューの続きをお届けします。
お相手はレイナウトでした。
デジタルガレージは、危険な海に最初に飛び込むファーストペンギンスピリットを、創業以来大事にし続けています。
これからくるWeb3、オープンソース時代を見据えた、テクノロジーで新たなビジネスを生み出す仲間を募集しています。
番組詳細欄にあるリンクより、ぜひご覧ください。
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ニューコンテックスデザイナー デジタルガレージ
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