Creative Voice
ちょっとこのポドキャストの一つのテーマであるのが、 そのクリエイティビティというものは、
生まれて持った才能なのか、もしくは教育だったりとか、 育った環境で教えられるものなのか、
ということを聞いてはいるんですが、 それについてどう思われますか。
才能の定義は、人との違いということであれば、
80億人、地球上にいたら80億人、 同じ人間は絶対いないので、その才能を持っている。
でもそれを出すタイミング、出すことによって、 自分がそれに対して快感を感じることができる。
出した相手がそれに対して何らかんらの反応がある、 っていうようなシーンに出会えるのがいつなのかっていうのは、
それはなかなか予測もできないし、計画もできないので、
でも僕としては、ハートのそういう才能が発揮できる場を、 なるだけいろんな場に作っていきたい。
それが一人一人の人生が豊かになること、
イコール社会を公衛生する人間が豊かになるってことは、 イコール社会がウェルビーになることなので、
っていう考え方かな。
なるほど。
今僕がやっているのは、芸術、アートの解釈、 定義みたいなものを広げようとしているので、
そのアートの定義によってクリエイティブの才能がある、なしというか、
何をもってクリエイティブの才能かっていうところも 違ってくると思うのね。
さっき言った、例えば芸大なかの、 自分の美学だけを追求するっていうようなタイプのクリエイターっていうものにとっては、
自分の癖を自分の武器としてやり続けるエネルギーがある。
人間って割と自分の癖っていうのを直したりとか同調したりして、 ある部分直させられる時代が来ちゃうんだよね。
みんな前ならえ、横ならえって切りつれみたいな感じで、 ズレっていうものを修正する時期がある。
それは集団行動する上で、社会の中の一員として機能する上で、 必要だと今の世界ではされていて、
赤信号は止まりましょうみたいな社会のルールがあって、 人の前は話を聞くときにはちゃんと静かにしてなさいとか、
っていうような日常の中のルールの中で、
それがいつの間にか自分の個性を塞ぐような認識になってしまう性格の環境があったりするじゃないですか。
でもそれをやりながらも自分の癖を出していきたい、個性を出していきたい。
出せる場としては、絵だったら出せるとか、音楽だったら出せるとかっていうところで、
音楽美術にその自分の癖を出せる喜びを知るとずっとそれをやり続けることができる。
けれども才能っていうのはみんな持っていて、その才能をいつどこで出すか。
今は10代の時に、集団生活の中の一員として自分の個性を出すチャンスがなかったけども、
その個性を定年後、何か昔から自分のモンモンとしていたものがあったけども、
社会の中で働いて定年になって、何やろうかなと思ったときに、
そうだ、ちっちゃい頃こんなことで自分のモヤモヤしていたのがあって、
自分のやりたいことがあったなって言って、そこでふとそれこそ文化的な処方というものともし出会ったとして、
これやりたかったんだとか、こういう材料を使いたかったんだとかっていうところで、
またきめきめきめきっと。
それは、例えば40年間会社勤めした経験値が無駄にはならず、
40年間経験した人間だからこそまた発揮できる癖があって、
っていうのは、じゃあ本当に芸大に入ってやることだけがアーティストの方向性かというか、
そうじゃなくて、いろんな社会人になって経験した後にまた自分のエネルギーの塊っていうものを出して、
いこうっていう風になれば、その間のいろんな経験値、
会社の一員としての経験値っていうものを表現に生かされていくようになるし、
っていうところなので、才能をまず言っちゃえばみんな持っていると。
その個性を引き出すとか違いを見つけるっていうと、
例えば技術を教えるっていう場もあるかもしれないんですが、
それ以外に個々の個性、違いを引き出すときにどんなことを大切にされているとかありますか?
技術、例えば絵を描くときにデッサンしたりして、やっぱり手って覚えるんですよね。
利き手、右利き、左利きってあるじゃないですか。レイさんどっち利きですか?
もう右です。
右ですね。お箸持ったり。例えば左手ではハサミ切りにくいな、紙切りにくい。
紙を切るっていうことは、僕も右利きだけど左手だとハサミ使っても、
なんでこんなに切れないの?っていうくらい切れないハサミ。
でも右手は切れる。
右手は最初から切れたかというと、右手も最初は切れなかったんですよ、ハサミ持っても。
こうやってやるんだなと思うと切れるようになる。
でも右手はもう二度と切れない右手には戻れないですよ。戻れない。
その全く経験値がなかった頃の手にはもう戻れなくて、
でもそこから生まれるものもあるっていう、
その知恵とか技術っていうのがあるといろんなものができるようになる。
金属を良いものにやる、木を切る、磨く、
例えばパソコンのアプリ使えるのと同じように、
いろんな道具使えればいろんな表現がどんどん広がるんだけども、
でもそれはできる前の状態っていうものがあったんだっていうことを、
そこの木の部分っていうか生の部分っていうか、
っていうところがあってそこに付け加えられたものであるみたいな。
だから自分ってどこにあるのって言ったらきっともっとそのね、
テクニックとか技術を覚える前の部分っていう熱いものがあって、
それを何とかして伝えたいと思うといろんなツールを使って、
紙を切ったり土いじったり焼いたり、データにしたり通信したりっていうことで、
どんどんどんどんいろんな人に伝わることができるけども、
でもその前には形にならないものにならない言葉にならない、
なんかエネルギーの塊だけしかないようなものはぐわーっとあるっていうところは、
そこがアートの一番の表現の源である。
ハサミを使える右手で生み出されたものの前には作りたいっていう気持ちがあるから、
その手が動いて、その手の動きが道具に伝わって材料に加工するわけなので、
その一番元のところが自分の個性であり表現するべきものであるっていうようなところが、
アートとしてはとても重要だし、
そういうものをちゃんと伝わったものが形になった時に、
人間は見る力があるので、なんかこれあるなっていうのは、
そのエネルギーの塊が伝わって出てきた表現に関しては、
すごくなんかもやもやってしたものがドキドキし始めるし、
でもそれじゃなくてなんか手先だけで作ったものは、
なんかちょっとピンとこないなみたいな伝わり方にもなっていくしっていうところかな。
それが、例えばその人に会うと、その学生に会うとか、
受験の時だったりとか、何か具体的な例で、
この人は、この子はすごいみたいな、
形じゃなくてもいいんですけども、
例えばこの人はなんかすごいものを持ってるみたいな思ったきっかけとか、
印とか、サインとかってありますよね。
そのすごさは、例えば日比野がすごいと思っても横にいた違うアーティストなり、
先生はすごいと思わないことがあるわけです。
そこは本当、10人いたら10人の評価というか好き嫌いがあるので、
絶対値はないんだよね。
なので逆に僕がなんかちょっとまだ違うんじゃないのと思ってても、
違う先生はこれ面白いねっていうこともあるし、
逆に絶対これ面白いねと思ったけど、
なかなかその表現が伝わる相手が見つからなくて、
すぐにはこんなんで評価されないというかね、
作品を制作するに至らない場合もあるし、
だから今言ったことは真実でもあるような気がするけれども、
でもその真実の、真実というか熱いエネルギーというものの見せ方とか出し方というものも、
そこは出会った人によって、
本人が同じ言葉でも伝わるか伝わらないかというのはあるように、
なかなか一概には言えない。
具体的にっていうね。
例えば学生さんになられて、もしくはなられる前にも、
教育という場でアートと関わってきて、
18歳の時って自分の18歳の時も振り返っても、
何やりたいか全然分かってなかったですし、
多分分かんない人たちも未だに多いと思うんですけども、
例えば4年間学校にいた間だったりとか、
もしくはその後でもすごく化けたりとか、
すごく開花した人たちとかっていうのは見られてきました。
例えばどんな人がいたりします、そういう場合。
そうだよね。18、高校出てすぐ入ってくる場合もあるし、
本当社会人経験してから学部1年生に入ってくるパターンも、
芸大の場合たくさんあるので、
同じ1年生でも本当10個も年が違うという場合もあるから、
多くの芸大出ていろんなアーティストたくさんいますけども、
そんなに、なんだろうな、化けるって言い方もなんか違うんだな。
人間そんなに変わらない。そんな変わらないですね。
じゃあ18とか20歳の時に会って、
久しぶりに20年後に会って、
もう作品を作っていろんな展覧会やってるとしても、
ああ、1年生の時の作品もこんな感じだったよね、みたいなことですよ。
だから人間ってそんなに変わらなくて、
たださっきの言ったハサミとか紙とかね、
どんな道具と材料と出会うかっていうのは、
結構難しいというか出会いだから、
でもそれがピタッとはまる時があるんだよね。
このエネルギーにはこの道具とこの材料とこのフィールドがあると、
本当あなたのこの熱の塊のエネルギーがスッと出てくるよね、
っていうのと、なかなかやっぱり自分のエネルギーを伝えるべく、
道具とか材料に出会えなくて悶々とし続ける場合もあるし、
だからまして道具を使い方習ってるような時でもエネルギーが出てきてるので、
道具材料は変わりこそする。
根本とこのエネルギーは1年生の時も死ぬまできっと変わらないんだと思うんだけども。
逆にもうその1年生の時にすごいと思った人は結構ずっとすごいままだったりとか、
逆になさしいわけではないですけど、
言わずに言うとあんまり大したことないなっていうと、
結構それがずっと続いちゃうみたいな、そんな感じってことですか?
それは変わらない。
だからそのまま見る人によって違ってくるので、
変てこりになったらずっと変てこりだし、着実な子はずっと着実だし、
ふわふわしてる人はいつももふわふわ、いい意味でも悪い意味でもふわふわしてるし、みたいな感じがあるかな。
ここまでお送りしてきましたレイナムトの世界のクリエイティブ思考。
今回は日々野勝彦さんに才能とは何かについてお話を伺いました。
前編に引き続き今回の話も深い内容ではあったんですが、
すごくわかりやすく難しくない言葉で話してくださったんですね。
この才能っていうのは、いろんな人がいろんな才能を持っていて、
特に、例えばスポーツ選手、今それこそいろんな意味で話題の大谷翔平選手がいますけども、
彼はアメリカの西海岸で野球をやっていて、ピッチャーでもありながらすごいバッターでもあるというすごい才能を持っているわけですよね。
それってなかなか持てない技術、才能で誰もが慣れるかっていうと、慣れないわけですよ。
だから彼みたいな特別な才能がないと成功しないんじゃないかっていうふうに思われがちだと思うんですね。
でも今回日々野さんとお話をしていて、才能って実は特別なものじゃないんだなっていうことに
気づかされたんです。
なので、今回この才能とは何かについての話の3つのテイクアウェイなんですけども、
まず1つは日野さんがおっしゃっていた言葉をそのまま借りると、
才能の定義は人との違い、これが1つ目。
2つ目は、やりたいことというのはエネルギーの塊。
エネルギーの塊。
そして3つ目は、評価に絶対値はないということが今回の話の3つのテイクアウェイでした。
まずこの1つ目の才能の定義は人との違い。
この言葉が彼の口からしれっと出てきたときには、もう本当に会話の中でサラッと出てきたんですけども、
なんか頭を金縁してガーンと叩かれるようなすごい衝撃を受けました。
さっき言ったみたいに、才能って特別なものっていうふうに見慣れる傾向が強いと思うんですよね。
何か自分の中に特別な力、特別な技術、特別な能力を持ってないとすごい人になれないみたいな印象っていうのを受ける人もたくさんいるんじゃないかなと思います。
僕も20代の頃そういうふうにずっと思っていて、
30代になった頃にある人のちょっと似たような言葉なんですけども、
イギリスのアートディレクターのポール・アーデンという人がいるんですが、
その人が言っていた言葉が大切なのは君がどれだけすごいかではない、
君がどれだけすごくなりたいかだっていうふうにおっしゃっていたんです。
その話って今回の日比野さんとの話にもつながっているところがあって、
この才能とは人との違いっていうのは、
人との違いっていうふうに定義をすると、
それって実は誰もが何らかの才能を持っているっていうことになるわけなんですよね。
こんだけいろんな人がいて、
それでもやっぱり全く同じっていう人は一人ともいない。
自分は誰かとどっかが違うっていうのが前提に根本的にあるので、
じゃあその違いは何かっていうことを考えていく、見つけていくと、
自分の才能がどこにあるのかっていうのがわかるんじゃないかなと思います。
ただそうやって深刻に考えなくても、
やっぱりその人との違うっていうことを恥に思ったりとか、
他と合わせなきゃっていうふうに、
社会的だったりとか教育的に、
そういう同調圧力みたいなところがあるとは思うんですが、
その人との違いの違和感を感じたりしたっていうことは、
逆にそれは良いサインなんじゃないかなっていうのを、
今回のひめのさんとの話で気づかさせてもらいました。
やっぱりその本当の強みっていうのは自分の中にもあるし、
あと東京芸大みたいなすごく難関、なかなか入れないような大学だと、
落ちてしまうと自分には才能がないんだっていうふうに、
思ってしまうかもしれないんですが、
受かっても落ちても才能は全ての人が持っている。
逆に落ちたっていうのは他の人と違ったっていう証明でもあるので、
それはそれで誇りに持って落ちても、
じゃあ自分に合った環境はどこなのかっていうのを見つけていくのが、
最終的にはいいんじゃないかなと思います。
2つ目のこのやりたいことはエネルギーの塊っていうことなんですが、
これはですね、最近起こったあることにつながっていて、
実は今この収録している前の週に、
漫画家の鳥山明さんが亡くなっちゃっているんですね。
その関連でたまたまなんですけども、
鳥山明さんの編集者だった鳥島さんという方がおっしゃっていたことが、
このやりたいことっていうのはエネルギーの塊なんだっていうところにつながっているので、
それを紹介したいんですが、鳥島さんがある日鳥山明さんの実家のスタジオに行っていて、
鳥山明さんの妻の方がお茶を持ってきてくれたそうなんです。
その時に彼女がうちの旦那って変わっていて、
仕事をしながらバックグラウンドで漢風の映画を流してるんですよっていうふうに、
ちょっと笑い話で鳥島さんに伝えたそうなんですね。
それを聞いた編集者の鳥島さんは鳥山明さんに、
こんな映画を流してて気が散らないんですかっていうふうに聞いたら、
鳥山さんは、いやもうこれ何十回も何百回も下手したら何千回も見ていて、
もう雑音でバックグラウンドミュージックみたいな感じでやる気が出るから流してるだけなんです。
ただ聞いていて、中国語なので鳥山さんはわかんないんですけども、
それこそジャッキーチェンの、僕も子供の頃すごく好きだったんですけども、
ジャッキーチェンの映画が好きで、それをもう雑音としてバックグラウンドで流していて、
でも自分の好きなシーンが流れてくると、
そのわからない中国語のセリフでもここが自分の好きなシーンだっていうのがわかって、
それを何十秒か数分見て気分転換をして、
そしてそこからまたやる気を持って仕事に励むっていうことを編集者の鳥島さんに、
彼もちょっと笑い話として伝えたそうなんですね。
それに対して編集者の鳥島さんは、
じゃあそんなに漢風が好きなんだったら、漢風に関する漫画を書けばいいんじゃないですかっていうふうに鳥山さんに伝えたそうです。
その時って実は何ヶ月も鳥島さんと鳥山さんは新しいシリーズになるような漫画を作ろうと、
毎月新しい案を15ページ漫画に書いて、少年ジャンプに載せて、
その反応を見てこれだったらいけるっていうものを探してたそうなんですけども、
何ヶ月経ってもそのきっかけが見つからない。
なかなか人気が出る漫画ができなかったそうなんですね。
そのジャッキーチェンの漢風の映画のエピソードをきっかけに、
じゃあっていうことでドラゴンボーイっていうタイトルで一つの漫画を少年ジャンプに掲載したところ、
それが一気に1位の人気を出したそうなんです。
ということで、じゃあ漢風のテーマで、
このドラゴンボーイというキャラクターをメインにストーリーを作っていこうということで、
連載を作ったのがドラゴンボールの始まりなんだそうです。
ちょっと前置きが長くなったんですが、
これその先ほどの秀野さんの話につなげると、
編集者の鳥島さんが言ってたのは、
書けることと書きたいことっていうのは実はすごく大きな違いがあって、
読者の人たちが欲しいと思っているように書くことが大事なのではない。
それは書けるんですけども、
でもそれがいいものであるっていうことではない。
鳥山さんが自分の中で実は書きたいと思っていたことがあったと。
それはなかなかわからなかったんですけども、
ひょんなことから雑音として流れていた漢風の映画をヒントに、
じゃあ漢風の漫画を作ったらどうですかっていうふうに鳥島さんが提案をしたら、
じゃあと言って書き始めた。
そしたらやっぱりそれが実は書きたいことだったんですよねっていうことで、
もうあんなすごい世界中で愛されている漫画になったということなので、
ここも秀野さんとの話とすごく似ているのが、
やっぱりやりたいことっていうのはエネルギーの塊で、
それは自分の心の中にどこかにある。
それを見つけていくのがやっぱり人生の中で非常に大事なのではないか。
そしてそこがやっぱり自分の才能っていうところにつながっているのではないかなっていうのを、
今回秀野さんとの話。
それから亡くなってしまった鳥山明さんのエピソードで、
お二人とも表現、アートの世界で活躍されているんですが、
見方は全然違うんですけども、やっぱりやりたいことっていうことの大切さっていうのを、
今回の話ですごく印象に残りました。
そして最後に評価に絶対値はない。
これも秀野さんが話の中でしれっとおっしゃっていたんですけども、
その評価っていうと、特にやっぱり大学だったりとか日本の教育っていう環境の中にいると、
評価っていうのがすごく重要視されると思うんですね。
その評価っていうのは、やっぱりその教授の人だったりとか先生の人たちが、
この人はこうだからって点数をつけたりとか成績をつけるんですけども、
やっぱり学歴社会、まだまだ日本だけではなくてアメリカもそういうところはすごくあって、
学歴社会の世界で生きていると、どうしてもその評価が気にしになってしまうとは思うんですけども、
でもこの秀野さんの一言、評価に絶対値はないっていうのは、
何歳になってもすごく勇気づけられる言葉なんじゃないかなと思いました。
以前のエピソードに出演していただいたジョンマイラさんという僕のメンターの方との対談があるんですね。
ジョンさんとは僕が大学2年生の頃に実はお会いをしていることがあって、
その時僕はミシガン大学という大学に在籍をしていて、
ジョンさんはもうすでにデザインの業界では有名人で、MITで教えていらっしゃったんですね。
彼の作品を見て、こんな作品が作れるようになりたいというふうに思い会いに行って、
そこで彼が、君はまだまだプログラミングの力とデザインの力がないからそれをちょっと勉強して、
それからMITに申請するよいいよっていうふうにおっしゃってくださったんです。
その後僕はMITに応募するんですけど、実は浮かなかったんですね。
浮かないとやっぱり受験というか、アメリカは受験選手みたいなのはないんですけども、
そのアプリケーションを出して審査をされるんですが、そこに落ちちゃって、
自分はその才能がないのか、技術もないのかっていうふうに結構落ち込んだんですけども、
その時、ジョンさんがくださったアドバイス、プログラミングをもっと勉強するといいよっていうことをおっしゃってくれて、
その時在籍した大学でプログラミングを勉強しようと、コンピューターサイエンスをもう一つの専攻として付け加えることにしたんです。
それが結果的にデザイン、アートもやっていて、プログラミングをやっている学生っていうのはその時はほとんどっていうか全然いなくて、
でもそれが自分の他とは違うところにつながり、その道でキャリアが始まって、ある意味それがまだ今の自分のキャリアの大きなテーマとなっています。
なのでその20何年前、MITという大学の受験という枠の評価は受けなかったんですけども、
そこにいたジョン前田さんのアドバイス、そしてその20年後にまた再会した時に、レイがあの時の学生だったんだね、覚えてるよと。
その後レイナモトっていう名前は聞いてたこともあるし、君がやってたことははたからだけど見ていたんだよっていうふうにおっしゃってくれて、
MITにはいけなかったけども、でもジョンさんは後に僕のことを認めてくれていて、そしてEメールで連絡しても気軽に返事を送ってくれるようなそんな中にはなったんですけども、
やっぱりこの評価に絶対値はないっていうのは受験に落ちちゃったから別にダメっていうことでは全くなくて、
自分に合っている環境を、そして自分がやりたいと思うことを作りたいと思うことを見つけていくのが大事なわけで、
評価が全てではないっていうのは、そのジョンさんとのエピソード、そしてヒビノさんとのお話の中で改めて気づかされてくれたことかなと思います。
ヒビノさんもその大学の時にいろんなところに応募をして、コンペとかにも出しても何回も落ちてたっていうことをおっしゃっていて、
でもただそれってその時の審査員がそれを好きか嫌いか気に入ってるか気に入らないかという判断で、別にこれが正しいこれが正しくないっていう、
特にその表現だったりとかアートだったりとか曖昧な世界だとなかなかどこからがいいものでどこからが良くないみたいな基準っていうのがすごく曖昧だと思うんですよね。
なのでその審査をする人たちも別にその人たちが正しいわけだったりとか万能なわけでは全くないわけなんですよね。
だからこの評価に絶対値はないっていうのは言われてみると当たり前というか、そうですよねってうんうんと頷けることではあるんですが、
ただその評価をされている側だとその良くない評価を受けちゃった時にそれがすごく重りになったりとか自分はダメなんだ自分はできないんだって思っちゃうことになりかねないので結構微妙なところではあるんですが、
でもやっぱりこの評価に絶対値はないっていうところを自分の中で持っていると、
たとえそういうふうに良くない評価をされたとしてもたまたまその時に審査の人だったりとかセンサーの人だったりとかちょっと合わないところがあっただけぐらいのことで、
他に認めてもらえる場所っていうのは必ずありますし、
前回のエピソードでも秀野さんの楽観主義っていうところで話したんですけれども、
これ自分がやりたいということを思っていることをやっていけば、どっかで1回ぐらいは自分にチャンスが来るよねっていうふうに開き直るのも一つの手かなっていうのはすごく感じます。
では今回の話の3つのテイクアウェイなんですが、
まず1つは才能の定義は人との違い。
2つ目はやりたいことはエネルギーの塊。
そして3つ目は評価に絶対値はない。
この3つが今回秀野さんとの話の中のこの才能とは何かというポイントの3つのテイクアウェイでした。
もしこの番組を気に入っていただけましたら、
Apple PodcastやSpotifyで5押しの評価をいただけると嬉しいです。
次回も引き続き東京芸術大学の学長秀野克彦さんと才能を伸ばす教育とはについてお届けします。
どうぞお楽しみに。
世界のクリエイティブ思考、お相手はリーナウンドでした。
デジタルガレージは危険な海に最初に飛び込むファーストペンギンスピリットを創業以来大事にし続けています。
これからくるWeb3、オープンソース時代を見据えた
また、テクノロジーで新たなビジネスを生み出す仲間を募集しています。
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