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2025-04-22 32:00

#121 松山智一さんに聞く!大規模個展「FIRST LAST」のテーマ性

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第121回は、ニューヨークを拠点にグローバルな活躍を見せる現代美術家・松山智一さんの東京で初となる大規模個展「松山智一展 FIRST LAST」について紹介します。「日本人とアメリカ人の視点の両方を持つ松山さんの目に映る現代のアメリカとは?」、展覧会を実際に訪れたレイ・イナモトが、松山さんご本人に「FIRST LAST」に込められた想いを伺いました。


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サマリー

松山智一さんが初めて開催した古典「ファーストラスト」は、そのテーマが最初で最後を表し、アメリカと日本の間の文化的な距離感を問い直す内容です。また、宗教的な背景と個人の信念が交差する深い意味を持つ展覧会です。松山智一さんは大規模個展「FIRST LAST」のテーマ性について語り、アメリカにおける日本の敗戦とその後のアイデンティティを深く掘り下げています。さらに、彼の作品制作方法や影響を与えた文化についても触れています。 松山智一さんの大型個展「FIRST LAST」では、現代アートとデザインが融合した作品が展示されており、インスピレーショナルな制作プロセスが紹介されています。また、コロナ禍における新たな作成方法と伝統的なモチーフの組み合わせが、彼の作品の独自性を際立たせています。 松山智一さんの大規模個展「FIRST LAST」では、現代社会への皮肉や問題提起が豊富に描かれた作品が展示されています。

松山智一と古典
This is ReinaMoto's Podcast. 世界のクリエイティブ思考
Hi everyone. This is ReinaMoto. 皆さんこんにちは。
ニューヨーク、東京、シンガポールを拠点にするグローバルイノベーションファーム I&CO 共同創業パートナーのレイ・イナモトです。
恵まぐるしいスピードで世の中が変化する中、この番組は日本人が世界で必要不可欠な存在となるためのヒントを探ります。
今回は注目のクリエイティブをお届けします。
今日一緒に番組をお届けするのは、この番組のプロデューサー、竹村幸子さんです。
レイさん、今回もよろしくお願いします。
今回は松山智一さんのコメントを交えてお届けしていきます。
松山さんは以前、この番組にもご出演いただきましたよね?
そうですね。実は今振り返ってみたら、第14回から16回の回、かなり最初の時にこの番組にゲストとしてお呼びしました。
僕も彼とは20年以上のお付き合いで、実は故郷が二人とも岐阜県で、その時ブルックリンに住んでいて20代で、
僕はデザイン、彼はアートをやっている若者の2人が、まだ全然お互い名が売れていない時に、
共通の試合が日本人の試合だったんですけども、ニューヨークにたまたま来ていて、繋げてくれてお会いしたっていうのが、たぶん22、23年くらい前の話ですかね。
若い頃の苦労とかもお互い知っているような関係なんですね。
そうですね、彼はもう世界的なスーパースターとなって、そして今回この番組で取り上げることになったのが、彼の東京での初めての古典、ファーストラスト、そのことについて色々詳しく聞いたのでお届けしたいと思います。
アメリカと日本の関係
はい。
先月から始まった松さんの日本で初めての古典っていうことですよね、今回は。
青森県の美術館では1年半前に開館した東京ですね。
東京で初めてなんですね。
なのでその古典についてちょっと最初お話を聞きたいなと思うんですけども、そのファーストラスト、最初で最後というテーマの古典なんですけども、まずそれを少しご説明いただければと思います。
なんかこう、ニューヨークにいると色んな重層的な意味が僕らって持ってここで表現してるじゃないですか。
でも1番は最初で最後みたいな感じで、0番も僕と同じくしてどちらかというと活動の根幹というか起源がアメリカで始まってるじゃないですか。
そうですね。
だからこう日本で初めての表現者が日本という距離に対しての接点の取り方って僕らと共通して結構難しくなかったじゃないですか。
どこまでが日本人でどこまでがアメリカ人なのかみたいな結構微妙ですね。
あともう一個デザインポイントにしてもアートプロジェクトにしても、両方僕知ってるんですけど、日本って結構やっぱりポイント認識が非常に高めじゃないですか。世界の中でも。
高いですね。
だからそこの中で育んだものがない人間にとって、実は我々の母国ってすごく遠くなってしまうっていう。
よくわかります。
私が愛を送ってもなかなかその愛に対してリターンが得られないっていう。
で、我々は海外で旅を進んでいって知られていっても、なんかどっかで日本人と思われてないんじゃないかなみたいなアメリカで活動してる不安が揺りってしまうっていうところを今回払拭したいという気持ちがあったんですよ。
なんか本当はもっと早くやれればやりたかったって気持ちがあったんですが、四半世紀近く23、4年経ってやっと東京で大きいデザイン展開ができるっていうことに対しての、これをもって本当に日本でやれたんで、東京でやれたんで、僕の出身地でやれたんで、もう以後は世界で思いっきりやりますよっていう自分に対するステートメントでもあったんですよ。
なるほどね。じゃあファーストであり最初であり、ある意味最後かもしれない、じゃないかもしれないけど最後でもこれがもうこういうステートメントなんだっていう表明ってことですね。
もう一個多義的な意味があるって言って、実はそっちがコンセプトの根底になってるんですけれども、一つ聖書の言葉でもあるんですよ、ファーストラストっていうのが。
うちの父が牧師なんですけれども、僕は幼少期にアメリカに来た理由が、父が聖書についてきちんと科学的に研究をして学びたいっていう学問としての聖書学をやるために来たんです。
僕はある種キミスト教の英才教育をかけ込まれるって言い立ちがあるんですけれども、その中でちょっと引用した言葉があったんですけれども、
それが宗教的じゃなくて、気がついて振り返ってみると自分の信念化してる部分に通じるところがあったんで、ファーストラストって言葉を使ったんですけれども、
その言葉っていうのはどういうことかっていうと、ファーストラスト、イエス・キリストが自分の主に使った言葉なんですけれども、最初のものが最後になり、最後のものが最初になるっていう意味の言葉なんです。
これは宗教に対する投資利益率がないっていう意味なんですよ。つまり弟子たちがキリストに対して、我々は自分の全部投げ打って、イエス・キリスト、あなたについてきたから、我々は代わりの評価として大優弁者になれるんですよねって確証が欲しかったんです。
そういう宗教っていうものはキャリアに基づいたものじゃなくて、だからあなたたちはどれだけ投資しようが、そこに利益率はゼロだよと。そんなことよりも、あなたたちはこういう宗教っていうものであって救われたわけでしょ、若いうちにと。
一方で、あなたたちはこれから多くの信者を作らなきゃいけないんだと。あなたよりも遅く死ぬ間際にイエス・キリスト教っていうものを信じて救われるっていうことがあるとすると、彼らが最初に救われるべきだと。
なんでですかっていうと、基本主義の理論でいうと、だって彼が死ぬまでに信じたから、それで同じ領土の評価違うじゃないですか、我々は一生懸けてやってきたのにと。
そうじゃなくて、あなたたちは出会った瞬間に救われたのと。そうじゃない人たちは死ぬまで苦悩の中で生きてきたわけだから、苦悩の中で生きてきた人が報われるべきだと。
僕、ニューヨークに来て二十何年間、地獄のように二十何年間だったので、教化されなかった。
要は、未開業を求めてアートをやっても食えないっていうリアリティをどう乗り越えるかっていうと、情熱とファッションでこれをやるんだっていう使命としてやらないと、
宗教的背景と作品
ニューヨークの場所ってクリエイティブが私立な共闘で、お互いに組み合って我が身、自分が成功すればいいみたいなところで、
当たり前のように資本主義の公明の中で我々はキャリアを作っていくっていうリアリティに、僕のアートっていうものが宗教としてじゃなくて、自分の信念の中でこれは人生を賭けてやるものなんだって決めて、
約二十何年間、最初で最後に統計を渡る段階だという、ダブルビーニングを込めたタイトルなんだ、これ。
なるほどね。だから宗教的な意味と、それを自分の人生、自分のキャリア、二十数年間積んできたキャリア、これが日本で、生まれた東京でこういう形で表明できるっていう、そういうことですね。
要は住職の息子って、生まれてこの環境に生まれてしまったっていう選択肢がなかったっていうリアリティも近いんで、なので教会に行くことがどうこうってことすら考えないですし、
小っちゃい頃から国語、算数、聖書みたいな感じだったわけですよね、僕の性格の中で。だからそういう教義の中で、気がついたら知らないところで、もしかしたら信念してるっていうところはあったのかなっていう。
宗教的な、この展覧会をテーマにすることによって、宗教性っていうのは全く真逆で、今アメリカにおいて、後で話したい、キリスト教の原理によって破綻しなしに瞑想しているアメリカの多様性みたいなところに対しては、僕も思うことがたくさんあるので、
もうアメリカ回ってねぇぞ、その考え方っていう。なので僕の中でやっぱりすごい、この根幹にあるものがアメリカの今の光の闇みたいなところがあるってことは、
いろんな人の言語であれば、世界言語に変えたいな、今を捉えたいな、現代美術作家として、って思ってこういうタイトルにしました。
あとその作品いくつか見てみると、例えばそのタイトルの付け方、たとえばWe the peopleとか、あともう一つ、これ僕検索しなきゃわからなかったんですけど、カタルシスとメタノイアとか、結構複雑というか難しいタイトルだなって印象としては思ったんですね。
そういうところに込められた思いっていうのは、その例えばその2つの作品を取るとすると、どんな思いがあるんですか?
なんかこう、We the peopleってアメリカが敵を分裂するために、要はこれから貴族、宗教を使って国を治めていって、結局、権力だったり富の、代々としての、地面としての政治になってみたいなところを、
いわゆるブルジョワっていう市民革命を起こして、市民によっての参見ブリーズを起こして、平等な街を作るんだってできたっていう理念の中のWe the people。
We the peopleってこれ、共産党からとっても危険な発想で、アメリカっていう国は、ある程度の人数が決まって、賛同しますっていうことをやればそれを可決するっていう、
仕事の中でそれを食い食い入れるか入れないかっていうことをしなきゃいけないっていう法律があるんですよ。これ、どれだけふざけてるかっていったら、ある、今は何十万票とか、ちょっと今日ちょっと忘れたんですけれども、声を集めて、
これが必要だって言うと、一応本当に連合の中で協議が行われるんですけれども、かつてスターウォーズのベストスターは作らなきゃいけないって言って25万人ぐらい賛同が集まって、
作るか作らないかっていうことを連合で協議するっていうぐらい、アメリカってまさげな国があるわけですよ。
そこにはみんなの意見を通すっていう熱い魂が込められてるんですけれども、一方で何十万人か何百万人の人が集まって偏った意見を言ってしまうと、
確かにこの間のトランプ政権がDIYにしても多様性にしても、ジェンダーマイノリティに対して無視するっていう権力行使ができてしまうっていう、両極をはらんでるアメリカっていうところでは、
We the Peopleっていうタイトルにしたりだとか、もう一個のカタルシメタノイアっていう作品は、まさかにとても日本とアメリカに全く異なる見解がある。
敗戦とアイデンティティ
洋島の成長期っていう写真があるんですけれども、日本ではアメリカが洋島っていう場所で、アメリカの人参が作って成長期を勝てるっていう写真なんですけれども、
それがタイムラバージンの表紙になって、要はアメリカの当時のプロパガンダで、日本が敗戦する前にアメリカが勝ったっていうための、いわゆる商材ツールとしての写真で、ピリッド賞かなかを取った写真なんですけれども、
その写真が、アメリカでは確かに日本っていう国が敗戦国としてのリアリティはあるけれども、世界GDP2位の国にして、世界で最も平和で安心して暮らせる国にしたって、アメリカの誇りでもあるわけですよね。
言ってしまえば、世界警察であるっていうことの裏腹の部分で、これだけこの小さな国をとてもちゃんと世界統治の中で幸せにしたっていう、我々の一つあり方っていうものを証明するっていうイメージなんですよ。
でも日本ではあれって、あれがあったことによって敗戦とすごい強いイメージがあって、飛沫国の象徴みたいなイメージもついてしまってるんですけれども、
アメリカにいると、我々が知っている意識が一つのイメージだったり、言語じゃないところの差異っていうものがあるっていうものを語る希望になると、僕はそういう気持ちが強いんですよ。
それで語る人たちだったら、メタノイアっていう自制的っていう言葉を掛け算的にして、何か僕だって、多分レイヤーさんもそうなんですけれども、アメリカ人じゃないんですけど、僕は異常性なんで。
だからアメリカで生きてる誇りみたいなところと、日本人の誇りっていうところと、アメリカで暮らさせてもらってるっていうところと、日本に帰らないっていうところの宣言のアイデンティティって、この写真を見たときに、両方の視点が僕理解できるんですよね。
だって日本でこれできなかったから、アメリカっていう国で平等性の中で、僕はチャンスがあったわけですよね。
だからこのDIの中だとダイバーシティがあって、イクイティとイコーリティがあって、イクルーシェルがあるって、アメリカの原理が我々を受け入れてくれたんですけれども、その中で表現を続ける大変さもストレスも非常に高いじゃないですか。
そうしたものを美術っていう言語をはらんで、ビジュアルがすごく強くて美しくて、何か日本人としてアメリカってこういう目線もあるんだよっていう、一人で僕、アンチトランプだけでもないんですよ。
今これからの未来に対して一流あるんですけれども、多くは反動していないんですけれども、言い方ってこういう二つのいろんな言い方があるんだよっていうのは、やっぱり言葉とか言語って表現としてかたとってしまうと、
一つの意見っていうものがこれに固まって伝わってしまうということは、美術作家としてアートを作る非言語の領域と戦っている人間からすると、よくよく伝わるので、
何かこういう世の中の今のリアリティーを短期的に絵画場、キャンバス場におけて、何かみんながメッセージを、僕の絵を見た上で完結してくれるストーリーの狙いかなと思います。
そうですね。だからいろんな世界が共存、やっぱりそれって絵じゃないと表現できないって感じじゃないですか。
で、もう一つのカタリジスとメタノイアっていうのは、これ日本語で調べてみると、心の開放と意識の転換だったりとか、精神的変容とか、いくつかの略し方が出てきたんですけども、
何かそれもアメリカ軍が洋島で建てたアメリカ国旗の絵と、その奥にいろいろ繰り広げられる日常的な若者が座っているものだったりとか、いくつの世界が共存しているっていうのは、やっぱり絵じゃなきゃ表現できない世界。
その中に目で見て感じるメッセージっていうのと、今松さんの話を聞いて、そういう思いがあってこういう絵になってるんだなっていう、いくつかのレイヤーで絵を見れるっていうのは、
この番組聞いてくれてる人もそれを聞いてまた見ると、何か違うレイヤーの理解ができるんじゃないかなと思いました。
ありがとうございます。少しウィーザーピークルの作品をリスナーの方にどういう作品かっていうのをご紹介させていただきたいんですけれども、
なかなか絵っていうものを言葉でしゃべると、僕がやろうとしていることがなかなか伝わらないので難しいんですけれども、
社会へのメッセージ
内容よりはどんなふうな作品かというと、7メートルくらいある作品で、作品制作自体は1年以上かかった作品なんですね。
僕のアトリエは30名くらいのスタッフがあって、だいたい半分のうちはリサーチャーチームなんです。
だから作品を描き出す前に、リサーチ期間というものは半年くらいあった作品なんです。
それで今あと13名くらいの絵画制作チーム、自分を交えて、その作品を7ヶ月くらいかけてうだいたった作品なんです。
これはどういう絵かというと、僕の作品の制作方法、コンセプトの根底にはパンプリングっていう文化の影響が強いんですね。
これは僕が90年代にアメリカに来る前に、我々の国内で育まれた言語で、情報課題になってインターネットの幕開けがあったぐらいに、
さまざまな情報がすぐに救い取れるようになったことによって、クリエイティビティの領域が少し広くなって、
要はエディット、編集する、DJする感覚でAの情報とBの情報を組み合わせたときに見えてくるストーリーは何なんだろう、
要は今のスポーティファイとかでも、一曲一曲じゃなくて、セットプレイによって30分の時間で自分の個性を表すっていう、
DIYに基づいた自分のメッセージ性みたいなものが、我々のクリエイティビティの新しい影響源になったんですね。
僕もそうした感じで自分の作品というのは、僕は独学の辞書っていうバックグラウンドもあるんですけれども、
パンプリングをすることによって一つの絵画を作っているんです。
なので僕の作品というのは、ほとんど日本の古い業部のトパ派だったりカノン派だったりから、
ルネンパースの絵画から、19世紀、18世紀のフランス絵画から、ニューヨークで家族もあるポップアートから、
まさしく今僕らがやっているコンシューマーカルチャーというもので、日常に囲まれている商品だったりロゴだったりデザインみたいなものを、
全部影響のある一つのキャンバスの中に落とし込んで、いわゆるプレイリストみたいな感じの物語を綴りたいんです。
その作品は、メトロポルトナル美術館が保管している、ソクラペスの死という、
ジャクル・イタビットというフランスの著者が描いた作品を場所買いしているだけなんです。
それはどういう作品かというと、ソクラペスは死刑宣告を受けるんです。
ソクラペスは哲学者なので、若い青年に新しい思想を洗脳したということで、
不秩序、要は社会の秩序を乱したということで、不敬心、神を裏切ったということで、
二つの刑を言い渡されたんです。
一つは島流しになって、後世留罪で孤独で死ぬ、もしくは毒薬を飲んで尊厳して自害する。
本人は僕は洗脳はしないと、哲学者なので、もうだったら私は尊厳死をもって死ぬと言って、
それで毒草を飲むんですけど、周りには奥さんとか自分の弟子たちがいて、
投げている景色なんですけれども、そこの背景にアメリカのスーパーマーケットがあるんです。
片方はシリアルとか、いわゆる砂糖という栄養価がほとんどないものを超加工食品にして、
要は砂糖というものにコンフレークとか、いわゆるシリアルというものがブワーと並んでいるアメリカのコストコみたいな、
無数にコンフレークが100個、200個並んでいる棚があって、
もう一方の棚には、一定投資になって、すごいパースト効いているようなんですけど、
もう一方の棚にはアメリカの浸透剤だったりとか、さまざまな薬品ですね、
農業病とかに対する薬品とかが並んでいるんですけれども、
何を捉えたかというと、毒をもって死ぬトクラテスというのを、
今の現在の毒は何かって考えたときに、
アメリカでは生活習慣病というところで砂糖というのは大きな社会問題になっているわけですけど、
アメリカはスーパーマーケットでキャラクターを使ったり、ロゴを使ったり、
ブラッシーなすごいビビッドなカラーを使って、商品化してコンプレートアイデンティティというブランディングによって、
砂糖を触数、一人のストーリーを作るわけですよね。
そうした形でジャンフードだったり、さまざまな合理化されたアメリカの社会の中で、
食事を触数ということをすごくクイックにするために、
そこに一つのコンプレートが入ってきて、産業化して砂糖を摂取すると。
そこでアメリカの生活習慣病が広い問題になっていて、
アメリカの一つの大きな問題で肥満であることが大きな問題になっていて、
また今度スーパーマーケットに戻って、隣かにブランド化されたアドビルにしても鎮痛剤にしても、
さまざまな薬を持って自分を治そうとするわけです。
その絵の中にはスーパーマーケットでストロベテスの絵をただサンプリングして置いただけなんですけれども、
アメリカの資生館のサイクルが描写されているんですよね。
なぜかというと、そうやってファーマーシーに行って薬局に行って、
例えばアメリカだとマイケル・ジャクソンとかエレベーター・プレスリーは、
そういう鎮痛剤中毒になって亡くなってしまっているんですよ。
だからある種薬だったりがブランディングされて、
例えばブランディング化されて、
それで結果的にそれが人間にとって大きな毒になってしまって、
我々自ら自分のエネルギーを買ってしまって。
一見アメリカは非常的に見えるんですけれども、
レイさんこれ僕もいつも狭いなスーパーマーケットで商品に囲まれると、
アメリカってドキドキしますよね。
いや、ドキドキします。
僕もデザインを勉強したから、
このデザインでどうやってカスタマリーにリーチアウトできるかというのを
真剣に考えて作っているんです。
プロが作ったものはやっぱりメッセージが響きより設計されてくるじゃないですか。
だからアメリカに来るんじゃなくて、僕スーパーマーケットに行くと、
資本主義の中で頑張っている自分からすると、
アメリカっていう場所で成り上がってやるんだっていう、
アートと現実の反映
僕がアメリカに来た時の現代的な景色もあるわけなんですよ。
だからここにアメリカのグラマーと、
アメリカの闇みたいなものが一つの絵の中にあるっていうのは、
アメリカを批判したいわけでもなくて、
アメリカを褒めちぎったいわけでもないんですよ。
そのアメリカの現実を、こういう絵を通して反映しているわけですよね。
そうなんです。ちょっとしたドキュメンタリーっていう作業がアートは持っているので、
なんかやっぱり僕はニューヨークに来て、
アンディ・ウォーフロンを見て、
M.S.フレスビーとかマリー・ニッポンの絵を見た時に、
ちょっと70年代の高度成長期の、
アメリカの闇みたいなものを感じるなって、
アメリカのビビッドの色なのにって、
なんかこう切なさとか儚さとか、
この国が持っている脆いところもあるんだろうなっていう、
憧れが強く伸びてきた時にも、
こう思っていたんですね。
でもなんかその恩子知新じゃないですけど、
すごく古いもの、18世紀、19世紀の絵を使って、
またその今の現代のオルマートだったりとか、
オルグリーンズみたいな薬局の絵だったりとか、
スーパーマーケットの絵と重ねることで、
なんか異次元のことがくっついて一つの表現になってますよね。
いや、ありがとうございます。
そういうリアリティの断然の僕らって、
アメリカにいると、
あれだけニューヨークって、
松山智一展の魅力
違う人種の方だったり、
特に集中理念が違う方が、
これだけ多くいるので、
ニューヨークとしての文化としては、
共通言語ってないじゃないですか。
価値基準が違う中で、
何かを伝えなきゃいけないっていう、
毎日毎日これだけストレス振るだろうって、
何か一個を言おうとすると、
伝え切らないといけないっていう、
我々の当たり前のことが、
多く見る人は当たり前じゃなくなってるっていうところが、
やっぱりアートだったら伝えられるんじゃないかなって、
よく感じてます。
分かりました。
ぜひ、リスナーの皆さんにも、
マチさんの手の中に手を置いていただきたいので、
リンクは、
ヒトさんの方に出て、
それで皆さんもぜひ、
この絵だったりとか、
他の絵もたくさん見ていただければなと思います。
よろしくお願いします。
40点くらい、
対策いっぱい並べてるんで、
5月の11日までだからかな。
ゴールデンウィークが1日までやってますので、
ぜひ遊んでいただければ、
アクションとしては大変ありがたいです。
ここまでお送りできました、
レイナモトの世界のクリエイティブ志向。
今回は松山智一展、
ファーストラストについてご紹介しました。
はーい。
この松山智一展、
ファーストラスト、私行ってきたんですよ。
そうなんですよね。
いかがでしたか?
本当に大型作品がたくさんあって、
すごくにぎわっていて、
すごく見応えのある展覧会でした。
特に印象に残ったのが、
キャンバスの形とかが、
普通は四角いまっすぐな長方形だったと思うんですけど、
それ自体も四角がいっぱい組み合わさっているような、
形のキャンバスだったり、
丸い曲線を生かした感じのキャンバスだったり、
すごく松山さんのバックグラウンドが、
デザインっていうのがすごくわかるような、
現代アートなんだけど、
デザインの要素がすごく盛り込まれていて、
色もすごいですし、
圧倒されるような展示がいっぱいありました。
インタビューの中でも、
DJの人が音楽をサンプリングするみたいな感じで、
すごく絵画的な要素と、
デザイン的な要素と、
題材にするものも、
西洋だったり東洋だったり、
色んなものを掛け合わせて、
プレイリストみたいに制作しているという話があったんですけど、
プレイリストみたいにサンプリングするって、
こういうことなんだっていうのが、
実際に足を運んでみて、すごくよくわかりました。
なるほど。
僕も今回の展示会ですごく興味深かったのが、
昔から彼を知っていることもあるんですけども、
それこそ2年くらい前にお話を伺った時って、
彼のスタジオで会ってるんですね。
はいはい。
彼、そして彼のスタッフが、
制作中をちょっと覗かせていただいて、
スタジオがどんな感じになってるかっていうのもわかって、
そこにあった作品もあれば、
その後に作られた作品もたくさん今回の展示会で出てるんですけども、
それがこうやって展示会として展示されて、
あと今回の展示会で、
どうやって作られてるか、
その過程をちょっと切り取って、
例えばそこのスケッチがあったりとか、
町山さんが書いてるメモがポストイットにたくさん貼られて、
それが貼ってあったりとか、
どういう雑誌とかからインスピレーションを得てるのかみたいな、
そういう参考書物もそこに置いてあったりとかで、
彼のスタジオの風景、そして展示会の風景、
そしてその過程の途中のところもそこに展示されていて、
もちろんスタジオに行ってどうやって制作されてるかっていうのを見れない人も
たくさんいると思うんですけども、
ただの最終結果として絵を見せるだけではなくて、
そこに秘められている考え方だったりとか、
どうやって作られてるかっていうのも味わえる展示会なので、
すごく行ってみると満足感が得られるんじゃないかなと思います。
コロナ禍における制作
そうなんですよ。
例えば、絵の中にいる人物の着る洋服の柄とかは、
まだ構想の段階では細かく決まっていなかったりして、
その実際の絵とは違う、これは何色にしようかみたいなのとかも、
ポストイットで貼ってあったりとかして、
制作風景が垣間見れるようなガラスケースに入った展示もあったので、
すごくこういう風に作っているのか、
レイさんはスタジオでこういうのをいっぱい見てきたんだ、
なんて私も想像力を膨らませながら見ていました。
そうですね。
あと、この展示会の準備の時にコロナで、
制作でスタジオに集まれなかったりとか、
あといろんな人に送って描く、自宅で描いてもらって、
それをサンプリングじゃないですけど、そこでミックスして、
そしてそれを大きい絵にするとか、
コロナの間も制作を止めずに、
そうやって作っているっていうのが、
ここでこうやって形になっているんだなっていうのは、
すごくさっきも言ったみたいに結果だけではなくて、
プロセスとしてのアートっていうのを大事にされているんだなっていうのは、
今回強く感じました。
そうですよね。スタジオでみんなで集まって、
指示出しとかしてっていうよりも、
それぞれがステイホームで家にいなきゃいけないっていう状況の中で、
キャンバス送って、絵の具送って、
多分オンラインで打ち合わせをしながら、
みんなで一つの作品を作るって、
すごく今までと全然違って大変そうだななんて思うんですけれども、
それがこういう集大成になるんだっていうのも見ることができました。
日本って病気になった方とかに、
早く良くなってねみたいな感じで、
願いを込めて千羽鶴を織るじゃないですか。
そのコロナの時に制作された作品も、
千羽鶴がモチーフになっていて、
なのでよく見ると鳥だみたいな、
そういうのもこういうことなのかみたいな、
なんかちょっと答え合わせじゃないですけど、
そういうのが展覧会の会場でできて、
すごい面白かったです。
そうですよね。松山さんの絵もありますし、
彫刻もそうなんですけど、
これも彼との話の中でおっしゃってたのが、
リサーチャーっていう役割の人をスタッフに抱えていて、
そしてその絵もしくは彫刻の裏側にある文脈っていうのを、
すごく緻密に設計されて、
そして西洋と東洋の千羽鶴みたいなモチーフだったりとか、
歴史の絵だったりとか、
そういうものをレファレンスとしてミックスして、
新しいリアリティを作ってるっていうのって、
もちろん他のアーティストにもそれに似たようなプロセスで
やってる人たちはいるかもしれないんですけども、
彼は彼で自分の独自のやり方を編み出して、
そして自分の独自の世界観を、
ああいう絵だったりとか彫刻で表してるっていう、
その裏側にあるのを1年ぐらいかけて作る絵の、
すごい努力とロジックっていうのが、
最終的なマジックにつながってるんだなっていうのは、
過程も考えて、そのプロセスも考えてみると、
すごく深く見えるなと思います。
そうですね。
番組でもご紹介いただいた作品ですね、
We the Peopleも見てきました。
あれはソクラテスの詩という、
フランスの古典主義の画家、
ジャック・ルイ・ダビットの絵なんですけども、
これは普通に美術史の教科書にも載ってるような有名な絵で、
僕もぱっと見たときに、
この絵見たことあるっていうのは思い出して、
そういう100年、200年、300年前のことだったりとか、
あとその絵の背景に描かれているスーパーマーケットの、
この比較が非常に、ある意味不自然なんですけども、
それが一つの世界に存在しているっていうのは、
作品の社会的テーマ
やっぱりこういう、町山さんご自身で作る世界だから、
こういうリアリティが存在してるわけですよね。
そうなんですよ。
真ん中にいる人たちもですね、
すごく苦しんでいる様子の人とか、
あとはアメリカではよく見る、
スーパーの大きいショッピングカートをしている、
ホームレス風の人だったりとか、
そういった人たちが描かれていて、
なんだかやっぱりすごい、町山さんおっしゃってたように、
社会風指摘というか、
皮肉っぽい要素が入っているなというふうに思いました。
もしこの展示会に行けてない方、
詳細に入ってあるリンクとかでも、
ぜひぜひ見ていただきたいんですけど、
すごくディテールが緻密で、
そこに描かれている一つ一つのものの裏側にも、
その文脈、背景があって、
例えばこの絵の背景に描かれているのがスーパーなんですけども、
左側がずらっとシリアルが並んでいるんですね。
そして右側には薬品が並んでいるんですけども、
それが何を表しているかというと、
健康への被害が問題視され続けているにもかかわらず、
それを提供し続ける食品業界と、
あと国民の不健康から富を得る製薬業界、
左側はお砂糖をたくさん提供して設けている会社、
そして右側はそれに対する薬を売って設けている会社、
そこの真ん中にソクラテスの死が描かれているという、
そういうすごく込み入った理由であり、
社会に対する問題定義である絵なので、
その文脈を理解して考えながら見ると、
すごく考えさせられますよね。
そうですね。
言葉でそういうことを聞きにくかったりとか、
批判するのもあると思うんですけども、
彼の場合は、この場合は絵という、
そういう表現で、
左脳というか右脳に訴える方法で表現をしているわけですよね。
あと、今シリアルの話もしましたけども、
例えばそこに描かれている人が、
そのモダンなスニーカーを、
例えばナイキだったりとか、
6のスニーカーを履いたりとか、
あとこの中心人物である真ん中にいる人が、
このフリーダムって描かれた、
そして和紙の絵が描かれた、
すごくアメリカンな絵なんですけども、
そういうすごく現代的なシャツを着ていて、
その辺もすごく真面目なトピックなんだけど、
そういうちょっと崩したユーモアも含まれていますね。
そうですね。
もうぜひ会場に足を運んで、
展示会の呼びかけ
これ見ていただきたいなって私思いました。
そうですね。ぜひ皆さんも足を運んでください。
次回も引き続き、松山智一展、
ファーストラストについてお送りします。
どうぞお楽しみに。
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32:00

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