前編、今回のテーマは、越境して見える新たな世界です。
では早速お聞きください。
So, let's get started.
皆さん、よろしくお願いします。レイナムトです。
実はですね、僕は日田孝山が出身なんです。
岐阜県民です。
結論から言うと、お清見村、日田孝山、そして今清見町になってますけども、
お清見村から出たことが人生の最大のターニングポイントだったんですね。
レイさんはかなり先駆けて、高校時代からスイスに行かれていて、
今はニューヨークでお仕事をされているということで、レイさんのご自身の経験をご紹介していただいてもいいですか?
はい。スイスのルガノという町なんですが、それこそヨーロッパの日田孝山みたいなところでして、
山の中で雪もたくさん降って、そんなところに行ったんですけども、やっぱり人生のチャンスが開けて、選択肢が増えたっていうことがすごく良かったかなと思います。
さっき言ったみたいに、その時はわからなかったですし、英語もできなかったのでつらいことはたくさんありましたし、
うちはそこまでお金がある家庭ではなかったので、
小学金を学校に頼んだりとか借金までして、われわれは兄弟3人なので、3人を私立の学校に送ることさえつらかったんですけども、
それをなんとかして高校に出してくれて、そして大学にも行ったというわけなんです。
レイさん、一番の人生のターニングポイントは海外に出たこと、清見村を出たことが人生のターニングポイントっていうことなんですけれども、
海外に出られてみて、衝撃を受けたとか、今までこうやって考えてたのに全然通用しないみたいなことって何かありましたか。
ちょっとこれを言うと、なんて自信過剰な奴なんだって思われるかもしれないんですけども、逆に意外に通用すると思ったんですね。
もちろん言葉の面ではネイティブの人もたくさんいて、僕が行った高校のスイスのタシスというThe American School in Switzerlandという学校だったんですが、
半分、4割から5割ぐらいがアメリカ人の駐在院の子どもたち、残りの半分がヨーロッパ人だったりとか、僕みたいな日本人だったりとか、他のところから来ている外国人で、人種のすごい立場だったんですけども、
英語はもちろん苦労はするんですが、3ヶ月ぐらいするとコミュニケーションは取れるようになるんですね。
意外と通用するんだな、意外と他よりもできるんだなというところがありまして、まず一つは、数学。
日本の数学の教育のレベルは世界水準でも結構高いところにありますので、数学の成績は普通に取れたんですね。
それがありまして、皆さんも英語はできないからというふうに思われちゃうかもしれないんですけども、そこはまずできますと。
今の場合だと数学だけじゃなくて、コンピュータープログラミングだったりとか、言語だけではないところのことがあるので、戦える場はいっぱいあると思うんですけども、
あと僕の場合は絵を描くこととか、あと彫刻をするとか、学校時代がすごく美術に力を入れている学校だったので、
それが結構みんなに褒められて、なんてレイって絵が上手いんだみたいな感じで、意外と清見村から来ても通用するんだなということが意外と意外な点でしたね。
意外と何にも考えてなかったけど、出て褒められたこともあって、結構手応えを感じたっていう経験をしたっていうことですかね。
そうですね。言葉が違うだけで、例えばすごいアスリートだったりとか、全然体格が違ったりとか、そういう能力の違いで同じ土俵で戦おうとすると大変かもしれないんですけども、
それ以外は言葉が違うだけで、肌色が違うだけで、みんな人間なわけじゃないですか。
もちろんその時はそうは思えなかったですけども、今になって思うと意外とそのギャップはないんだなっていうのは、今になって強く思いますね。
なるほど。私はちなみに大学時代にフロリダに行きまして、その後社会人になってからニューヨークでテレビ番組の制作のディレクターをしていたという経験を持っているんですけれども、
やっぱり大学生の時に海外に出なかったら、ちょっと全然別の人生を送ってたんじゃないかな、みたいなことはよく思うんですよね。
何が一番違うのかなって考えた時に、もし日本にいたら、あんまり自分と向き合わなかったんじゃないかなっていうのは考えるんですよね。
なぜかというと、そんなにいろいろ考えなくても、こうやっていれば間違いないみたいなレールって結構あったりして、
例えば大学を卒業して、こういう会社に入って、大体こういう人生を送るんだろうなみたいな、そのためにはこれをやればいいんだろうなっていうのが結構明確だと思うので、
それに合わせていれば大きく外れないのかなっていう安心感みたいなものを日本にいるとき感じていて、それが逆にちょっと同調圧力で嫌だなと思うことはあっても、
まあでもそのままやっていくんだろうなぁなんていうのを思ったんですね。
ただ私は本当にアメリカに行って、自分と向き合ったことで人生が変わったんですよね。
吉田学長もイギリスに行かれたご経験あると思いますけど、何かやっぱり海外に出たことで人生変わったなって感じることってありますか。
私の場合はですね、もう医師になって外科医になるわけですけれども、医学部の場合に学生のときになかなか留学するっていうのはビハインドになるのでなかなか難しいんですね。
だからその後大学院に入る専門医になる、そのプロセスで研究あるいは臨床で海外へ行くっていうのが我々の一般的な形なんで、
私がイギリスにオックスフォード行ったんですけれども、フォスドクという形で行かせてもらいました。
その時にやっぱり一番ショッキングというか一番変わったのは、正直な話みんな必死になって働いてるじゃないですか。
あの頃は24時間働けますかっていう時代ですよ。
ずっと朝から晩までやって、頑張って学位取って、やった、よし海外行こうって言って、あれ、こんな働かなくていいのかなと、というまず印象だった。
やっぱ効率が良くて働き方がずいぶん違う、これでいいんだっていうのがやっぱり大きな私のその時の印象でしたね。
じゃあがむしゃらに24時間働かなくても、オンオフとバランスをとってやっていく方法っていうのは。
働いてますけど、やはり考え方を少し変えるという、マインドセットっていうのが今日のお題ですけれども、
やはりそれができたっていうのは海外へ行ってからっていうのは大きいですね。
だからそれが若い時にやってればもっと働き方も違うだろうし、考え方も違ったかもわからないなと。
それでも30代の前半ですから、ずいぶん良かったなというふうに思いますね。
でも、頭空っぽなんだよね。だから関係ねえんだよ。だから俺、ナンバートモカさんってDNAって君たちもゲームとかやってるかな?
あとプロ野球のDNA持ってる人、素晴らしい方なんだけど、ハーバードのビジネススクール行ってるんだけど、MBA取ってきてるんだけど、何の意味もなかったって公言してるんだよね。
おそらく本当なんだよ。何の意味もないんだよ。でも、俺ハーバード行ってMBA取ってきたんだけどって言ってるやついるじゃん。そういうやつに騙されるなよ。
だから俺が言いたいのはさ、実質しか意味がないってことなんですよ。
大学どこでもそんなに変わらないっていうのも、僕もその教える身として、コーネル大学ってめっちゃ名門ですよ、コーネル。
名門で。だからギフ大学みたいなもんですよ。そうです。入るのもすごく難しいんですよ。かといって生徒の質がすごいかっていうと、実はそうでもなかったりするんですよ。
みんながすごいのかなっていうふうに思って、ちょっと心構えて、1、8年前くらいから教え始めてるんですけども、もちろん有志の子もいますよ。
いるんですけど、別にギフ大学の皆さんも、明日コーネル大学に行っても全然普通に対等に勉強できる可能性は全然あるので、自分が何をそこでやるかっていうことなので、
ギフ大学、もしくはギフの高校、この辺の高校にいらっしゃっても、もう本当に最終的には自分が何をやるかっていうところだけが違いなんじゃないかなと思いますけどね。
はい。今のお話聞いて、れいさんに直接質問したいなと思ってくださった方もいるんじゃないでしょうか。
この後は、しげたさんも交えてQ&Aセッションに入りたいとは思うんですが、ご覧ください。
こんなにたくさんの質問が会場から寄せられています。選んで、ちょっと聞きたいなぁなんて思っています。
先ほどダブルスクールの方でデザインとDKの方を勉強して、それをビジネスの方につなげていったっていう話をされたんですけども、
ここのところ、どうしても大学ではアカデミックが学べて、社会に出ると、そういうところが利用できないなって感じることが多いんですけど、
ここのところ掛け橋になる部分、学んだことを社会還元するっていうときに、掛け橋になったものっていうのをどこで学んだのかってことを気になりました。
やってる学問だったりとか、作ってるものとか、形にするものとか関係なく、一番最初に役に立ったなと思ったのは、何かを完成させる力だったかなと思います。
大学のときにいろいろ課題が出て、やっぱり2週間とか1ヶ月とか1週間とかいろいろ期限があって出るんですけども、それまでって僕ってなかなか物事を仕上げるっていうことを学んでなかったと思うんですよね。
大学に行ったときに、物事を仕上げるっていうことがこういうことなのか、そしてそれを先生に出して評価をもらってっていう、
物事を仕上げるっていうのがまず一つのすごくためになったアカデミックなところからビジネスなところへの掛け橋かなと思います。
2つ目に、大学で一つ役に立つのは、もちろんやりたいことを探すっていうのもあるんですけども、自分には向いてないなっていうことを見つけるきっかけでもあると思うんですね。
大学2年のときだったと思うんですけど、美術学部にまず最初入って、絵とかいろいろ書いたりとか彫刻とかしていて、これってどうやって就職に役立つんだろうみたいなちょっと現実的な疑問もあって、
経理のクラスに登録して、ちょっと撮ってみようと思ったんですね。90分のクラスで一番後ろに座って、90分、最初の1分聞いて、そっから記憶が全くなくて、最後にみんながガタガタガタって上がる席から立つので起きたっていう。
寝ちゃったんですね。
寝ちゃったんです。つまり、これ自分興味ないなっていうのがわかって、この道じゃないっていうふうにわかったんですけども、やりたくないこととか向いてないこととか、とこがわかるっていうのがアカデミックなところの2つ目のいいとこだったかなと思います。
やっぱりビジネスに還元するとか、あとやりたいことが何なのかっていうのは、皆さん先ほど海外行きたいですかとか東京行きたいですかっていうときに手が上がらなかった理由は、多分まだわかんないと思うんですよね。
僕も今40越えてようやくわかったのは、やりたいことっていうのは探してる限り見つかんないんです。
やりたいことっていうのは自分で作っていくものだと思います。
探してると、僕の周りにも40代、下手したら50代の人がいるんですけども、ほとんど、いわゆる中年の危機というのにさされていて、どうやったら今後20年と、まだ40代だとまだ20年とか下手したら30年ぐらいキャリアがあって、今までとちょっと違うことをやりたいんだけどわかんないっていう人がほとんどなんですね。
でも、それはやっぱり探そうとしてるからです。やりたいことっていうのは自分で作っていくことです。
それを、ちょっとこれ間接的な答えになりますけども、ビジネスに還元したっていうのは、やっぱり自分で作っていく力をアカデミックな場でできたのかなと思います。
今となってわかることですけどね。
なるほど。ありがとうございます。しげたさんはまさにインドと日本の架け橋としてお仕事されてますが、どうやったら架け橋になれるんですかっていう質問に対しては何かアドバイスありますか。
今、アカデミックな話を振られなくてすごくホッとしてます。
架け橋というよりはですね、やっぱり我々の場合は、私は日本人で日本のことをわかっている。
かつインドでやっぱり17年、18年やってる中でインドのこともよくわかってる。
この両方の側面のところがわかってるっていうところが、やっぱり一番インドの人たちに対して日本のことをインドの人たちにわかりやすく話すことができる。
で、インドのことを日本人がわかるように話をすることができる。
そういう意味では、私も本当にアカデミックというよりは、そこのコミュニケーションみたいなところでやってきてるっていうのは一番大きなところなのかなというところはあります。
まさにですね、インドって非常に多様な世界ということで、公用語ということで22あるんですけども、実際には200から300ぐらい言語があります。
宗教も特にヒンドゥー教を中心にして、イスラム、仏教、その他諸々ということで、宗教の多様性もあると。
それから、東西南北、例えばインドっていうと暑い国だっていうふうに思われがちなんですけども、デリーって冬になると実は最低気温2度ぐらいまで下がるんですね。
暑い時は47、8度、特にそのデリーなんていうのは48度から2度まで、これだけ極端に気候が違ったりとかすると、やっぱり気候が厳しいと人間も性格もきつくなるというようなところもあってですね、実際には東西南北で、例えば人種も違えば民族も違う。
それから食べているものも、皆さんインドっていうとカレーのイメージってすごく強いと思うんですけども、例えば北のカレーと南のカレーってこれ実は全然味が違うんですね。
使われているスパイスも違うと。さらにそういったデモグラフィックの違いだけではなくてですね、所得水準が違うであったりとか、教育水準が違うと。
ですので、日本って何となくこの平均値を区切っていくと、何となく平均的な日本人像っていうのがイメージできると思うんですけども、インドで何か調査をして平均値を全部取っていって、これが平均的なインド人だっていうと、
そういう人間が存在するかというと、実は存在しないと。ですので、インドの非常に面白いところ、ユニークで面白いところっていうのは、同じ時代に同じエリアでいろんな違いを持った人たちというのが同じ場所に存在すると。
だからこそ非常に理解もしづらいし、一方でいろんな人たちが世の中に排出されてきているというのが、まず一つインドというものの特徴かなというふうに思います。
なんか僕はインドの人たちの話し方って、一方的にジャーッと喋りまくるイメージがあって、会話なんねえなというふうなイメージがあるんですけど、それはやっぱりカルチャーですか?
カルチャーですね。インドの人たちが行き継ぎしている間に話を挟むっていうのが一つのコツですね。
人のいいこと聞いてるのかなと思う。
基本的にはあまり聞いてないです。ただそうは言っても、もちろんいろんなディスカッションとかってやっぱりしなきゃいけないので、ポイントポイントというのは聞いてるんですけども、日本人って聞いていて、その聞いたことに対して返しますよね。
そうですね。
それが会話、コミュニケーションのキャッチボールという形になるんだと思うんですけども、インドの場合は聞きました。でも自分が言いたいことはこれである。
だからそっちの自分が言いたいことをまた話す。なかなかそこが日本人とその会話がうまく噛み合わないというところは確かにあります。
森先生、海外に出たら日本に戻ってきて、日本の良さを海外に広げたり、戻ってきてまた活躍してほしいんだよっていうお話されてましたけど、まさにそういう架け橋の人材を作るためにはどうしたらいいですか?
そこなんですよね、日本が失えた30年っていうのは。つまりインテリジェンスって言葉から見たら学問とビジネスはほぼイコール。だってさ、今のオープンAIがAGI作っててさ、ちゃんとGPT作ってて、あれ学問とビジネス同じじゃん。
確かに。
そこがアップデートできてないのが日本の一番のダメなところで、日本だと大学でやる学問って点数稼ぎのようなイメージでやっとられてる人が未だにいるわけ。
そうじゃなくて、大学でやる学問っていかにこの世の中で問題を解決していくかっていうことについてのインテリジェンスの集合体なんですよ。
だからそう考えたら、当然大学でやる学問はビジネスとイコールじゃん。だから駆け足っていう概念がそもそもないんですよ。
PHDに最近行く人がすごく少ないじゃん。だけどね、博士号を取るってことはプロジェクトマネジメントなんで、つまりある限られた時間の中で、限られたリソースの中でいかに研究というプロジェクトをやるかっていうことなんで、
そう考えたら、PhD取った人ってプロジェクトマネジメントが非常に優れた人なんですよね。セールスフォースって知ってます?超有料企業ですよ。ものすごい利益上げてる。
セールスフォースの東京オフィス行ったときに、ヒューマンリソースのVPが来てて、バイスプレゼントが。
なんか話してること聞いたら、俺が読んでるような論文と同じようなこと言ってて、あれ?と思ったらUCのバークレーかなんかでPhD取ったばっかりの人が、サイコロジーかなんかでPhD取った人が、
セールスフォースの人事、ヒューマンリソースってHRって人事のバイスプレゼントになってんだよね。
こういう使い方するんだと思って、アメリカは。
だからほとんどのアメリカの企業のトップはもう全部PhD取った人ですね。
なんで日本ってこんなどんどん、なあ、なにこれ。どうですか、学者そのあたり。
だから博士肯定っていうのは、今までの考え方からすると、やっぱり学者になるのか、その学問を極めるのか。
そういうことがやっぱりガイデンになったのが、今はそれじゃ企業いらないんですよ。
今言われたように、脳科学やってる人が、じゃあ有名な車の生産会社でいるかっていらないんです。
別にPhDなくても学部卒業でいいんだ。そうなると、新しいイノベーションが企業でも起こらなくなってくるんです。
ですから、やっぱりPhDが今後社会で活躍できる、企業で活躍できる、そういう教育を大学がしなくちゃいけないのがこの大学改革。
だからこそ今、文科省が皆さん博士肯定に進んでくださいと。博士肯定に進んでイノベーションを起こしましょうと。
イノベーションを起こしてトップレベルの日本に帰り咲きましょうと。こういう形で。
ちょっと今見方がみんなガラッと変わったと思うんだよね。高校生、PhD目指そうぜ。
さて、ここまでお送りしてきました、レイナモトの世界のクリエイティブ思考。今回は、ギフ大学とのスペシャルコラボバージョンの全編をお送りいたしました。
今回のイベントで私は、模擬さんがいっぱい喋るのも印象的でしたが、生徒さんのなんか純粋でキラキラした感じがすごく印象に残りました。レイさんいかがでしたか?
そうですね、今回はなかなか珍しい機会で、大学に行って講演をする、対談をするということだけではなくて、ギフ大学の学長の吉田学長、それからテレビもすごく出てらっしゃるすごく有名な模擬健次郎さん。
それからインドの起業家であるしげたなおさんという、なかなか僕も今まで直接関わることのなかった方たちとの話をするという機会で、最初からすごく楽しみでしたし、話してみるといろんなところに話が広がって、それに加え生徒のすごく純粋なキラキラしたところだったりとか、
あと自分のその18歳、19歳、20歳の頃に比べると、もう全然先を行っていて、もう2年、3年ぐらいの話じゃなくて、たぶん僕が30歳になってようやくやり始めたこととか思い始めたことを、もう彼らが20歳前後でやっているなっていうのは、もうほんと度肝を抜かれたというか。
いや、本当にしっかりした将来を見据えて一歩一歩を歩んでいるという感じの学生さんたち多かったですよね。
でもそんな学生さんたちも、やっぱりちょっと海外に出るって、なんかわからないことだらけで怖いなとか、石橋を叩きすぎて、なかなか自分のコンフォートゾーンから出られないなっていう人も多かったのかななんていう印象はありましたが、レイさんいかがでしたか。
そうですね、自分のいる環境っていうのは、特に日本っていうところにいるとすごくご飯もおいしくて安全でっていうことをよく聞くんですが、すごくカンフタブルで居心地がいいんですよね。
いや、そうですよね。
どうしてもやっぱりそれ日本人だけじゃなくて何人でも、これアメリカ人も全く一緒で、やっぱりその居心地のいいところっていうのには落ち着きやすくてそっちに戻ってきちゃうっていう場合がほとんどなんですよ。
なんですが、自分の地元から出てみるとか、あともうちょっと抽象的なことで言うと、自分のやってる専門性、例えばこういうことを勉強してるんです、経済学を勉強してるんですとか文学を勉強してるんですとか理系のことを勉強してるんですっていうその学問の中でも、
意識してそれ以外のことを勉強してみるとか、そういう科目の授業をとってみるとかっていうのを越境することっていうのはすごく大事だと思います。
そういうふうに自分の領域、物理的な領域だけではなくて考え方の領域からあえてはみ出して越境するっていうこともすごく大事で、そこも僕の中ではターニングポイントで今の自分に直結してるんですよね。
だから越境してみえる新たな世界っていうのは、もちろんその海外っていうこともあるんですが、そこだけにこだわらずに自分の居心地のいい場所からあえて越境して新しい世界を見に行くっていうのは、5年後なのかもしれないし10年後なのかもしれないし20年なのかもしれないんですけども、未来の自分に対するすごくいい投資になります。
次回もギフ大学とのスペシャルコラボバージョンの後編、これからの時代に必要になる力とはをお届けします。どうぞお楽しみに。世界のクリエイティブ思考、お相手はレイナモトと竹村由紀子でした。
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