まずそもそもこの靴のデザインの話だったりとか、今やってらっしゃること、そしてここに至るまでの話もちょっと今日聞きたいんですが、
中学生、高校生だった頃にみんなが同じ格好をしてるのがちょっと気に食わないと。
そこから服だったりとかファッションデザインに興味をお持ちになったっていうことなんですけども、なぜそういう気持ちになったのかとか、その辺からちょっとお伺いしてもいいですか。
もちろんです。ありがとうございます。基本的に多分自分自身がファッションに大きく自覚し始めたっていうのは小学校の高学年ぐらいからなんですよ。
両親の都合で一度広島市に引っ越した、市内に引っ越したことがあって、そこでいろんなものを自分なりに吸収したりとかして戻ったときに、
やっぱりその犬島の友達たち、同級生たちっていうのは基本的にスポーツをよくやっていて、野球かサッカーかみたいなものがとても多くて、
みんなウィンドブレーカーとジャージを着てずっと学校通ってるんですよ。僕はもう全然スポーツとか全く興味がなければやってなくて、
ただみんなが同じ制服を着てずっと往復してるのがすごく違和感を感じて、なんで同じ服を着て行かないといけないのかなっていうのと、
単純に多分自分が美的感覚としてそれがいいと思えなかったっていうのがあると思うんですよ。小学校の5年生ぐらいのときに、
自分は一生ジャージを着ないっていうふうに小学生なりに決めまして、ジーンズ1本で行ってやるっていうので、そこからジーンズだけを履いて学校に通ってたんですけど、
雑巾掛けとかするじゃないですか、小学生なんで。そうすると膝が破れてくるんですよね。僕はそれでも同じジーンズをひたすら履き続けて、
親はすごく嫌がるんですよ。だらしがないとか、みっともないとかって言って、その破れたジーンズを履いてる僕をすごく見るのが嫌だったと思うんですけど、
言われれば言われるほど、いこじになるというか、それでずっとジーンズで1本で通すみたいな感じの小学生でしたね。
そういうときって、小学生とか中学生のときって、例えば制服を着なきゃいけないとか、そういう決まりがだんだん厳しくなってきたりとか、僕も田舎で育って、すごい古い話なんですけども、髪の毛は短く着らなきゃいけないとか、そういう縛りがあったんですね。
そうなると、例えばジーンズ履いてると目立ったりするじゃないですか、それは逆に目立つのが気持ちよかったというか、自分にとっては。
そうですね。思い返すと今の記憶が曖昧になるかもしれないんですけれども、気持ちがいいっていうよりかは反発心みたいなものの方が強かったかもしれないですね。
誰かとよりも目立ちたいっていう気持ちも少なからず、その当時はあったとは思うんですけれども、
例えば中学に入るとみんなこう、僕ら学乱だったんですよ。で、その爪入りとかあるじゃないですか、なんかああいうのに工夫したりとか、あとは裏ボタンがどうこうとか、とにかく魔改造みたいなのをしたくなるんですよ。
で、ここのボタンを外して、その当時の中学生ができることなんて限られるし、犬の下まで買えるものなんて知れてるので、安全ピンをわざわざクロスにして連続でつけるとか、なんかそういう感じで、あとは学乱なのにシャツにネクタイ、お父さんとかおじいちゃんのネクタイをつけていくとか、
そういう工夫っていうんですかね。何か主張してたのかもしれないですね。今思い返すと。
で、ちょっとそこから早送りをして、イタリアに行かれたことだったりとか、服のデザインを勉強されたりとか、あと靴のデザインで今彫刻をやってらっしゃるということなんですけども、
この番組で皆さんにお聞きするのは、ご自分のターニングポイントが何だったのかっていうのを共通して聞いているんですね。
で、そこをちょっと話の起点にしたいんですけども、で、ちょっと事前にチャットをお話し聞いたときには、いくつかそういうのが追われていることなんですけども、
自分の中でそのプロフェッショナルとして一番な、個人的なこともいいんですけども、その大きなターニングポイントは何だか。
たぶん先ほどちょっとお話しさせていただいたものもあるんですけど、もっとグーッと遡ったときに、
僕はたぶん小学校2年生か3年生のときに、いとこがアメリカに住んでまして、カリフォルニア州に。
で、そこに1ヶ月滞在させてもらったことがあるんですよ。
犬の島から。
はい、犬の島から。
で、しかもそれがいとこと子供だけで、4人だけで飛行機に乗って行くっていう経験をさせてもらったんですね。
で、そのときにいろんな、たとえばユニバーサルスタジオとか、そういうディズニーランドだったりとか、
なんかそういう圧倒的スケールなものを多分体感したっていう経験があって、
で、帰国したときに、これちょっと僕も覚えてないんですけれども、
母がどうだったかって僕に聞いたときに、僕自身が、日本ってちっちゃいねって言ったみたいなんですよ。
たぶんそれは単純にスーパーとかももう桁が違う大きさじゃないですか。
あとは土地も含めてとか、なんかそういうものが特に自分にとっては全くない世界観、
特に島っていうところから出たときに、その圧倒的なスケールみたいなものを体感したのは、
思い返すとすごくいい経験だったんじゃないかなっていうのは思いますね。
じゃあそれが最初の、自分の中に残っているイメージ、印象としてのターニングポイント。
はい。
他にその後。
たぶんこれまでには、僕自身就職したこともなくて、留学をしてずっとファッションをやってたんですけど、
途中洋服から靴の方に変更する機会があったんですよ。ある日それもターニングポイントといえばターニングポイントなんですけど、
イタリアに留学をして、そのときはずっと洋服の勉強をしてたんですけれども、
帰国した後になかなかいい結果が出なくて、
たぶんデザイナーになって自立していくためには、一つは就職するっていう方法と、あるいはコンペティション、
ファッションのコンペティションに出して結果を出すっていうところと、
あとは自分の資本で何かしていくっていうものが多分大きくあると思うんですけれども、
その中で僕はそのコンペティションにいろいろ挑戦するっていうことで応募してたんですけど、
それが一つも引っかからなくて、自分がいいって思うものが世の中の価値に対して受け入れられないっていうことは、
まず自分の美意識っていうものがそもそも違うんじゃないかみたいな考えがあって、
ちょっと1回就職してそれを修正し直すっていう方法ともあるなーって中で、
一番最後に挑戦したのがジャパンレザーバードっていう経済産業省がやってる川のコンペだったんですけど、
そこで応募をして、うよ曲折あったんですけど、
グランプリをたまたまいただくことになりまして、
でもそれがやっぱり川のコンペだったので、いくつか部門が分かれてて、
それで僕は靴を選んだんですよ。
ただその後、靴でやっていくっていうことは実は自分の中ですごく腑に落ちていなくて、
なぜかというとファッションの中で靴っていわゆる文字通りとは違うんですけど、
ファッション小物と言われるもので、
特にその当時とかは今みたいなルブタンとか、
そういういわゆるラクジュアリーの靴のブランドっていうものが、
そんなにファッションとして表に出てない、走ってない時だったんですよ。
なので自分が洋服から逃げてというか、負けた感じで靴に行くみたいな感覚が、
どうしてもその当時自分の中であったので、そこの葛藤は結構ありました。
あと今ちょっとこれ、音声で聞いてる皆さんへの解説なんですけども、
ここにいくつか串野さんがデザインされた靴のスライド写真があるんですけども。
僕の過去の作品が一番認識していただいたのが、今回のプロフィールの方にも書いていただいてたと思うんですけど、
レディーガガさんに履いていただいたっていうところは、
一つとても大きなターニングポイントだったとは思います。
今回持ってきてる作品のティーブなんですけれども、
これですね、この黒いタイプ持ってきてるものなんですけど、ちょっと面白いなと思うエピソードがありまして、
一応このショートバージョンとロングバージョン、これは今白なんですけど、一応これの黒もありまして、
両方ニューヨークの方に送ったんですよ。
その結果彼女が履いてる映像を見たら、片足がショートで片足がロングだったんですよ。
なるほど。
なるほどなと思って。
そういう履き方があるのかと。
そういう組み合わせでされるんだっていうのがあって。
この靴結構重たいんですよ。
ヒールが真鍮でできてるので。
結構ですね。僕もさっき持ってみたんですけど。
たぶん4、5キロぐらいあると思うんですけど、それでめちゃめちゃ踊ってたんで。
へー。
それはすごく驚きでしたね。
これ、つま先のところにすごい5センチ以上ぐらいある厚い底があって、
そしてヒールのところに彫刻のような装飾の銅色のかかとがあって、
そして後ろのところに尻尾のように。
フォクステールですね。
テールがあってという靴ですけども。
これをそもそもどうやってレディー・ガガみたいな人から連絡が来たのか、
その辺の経緯だったりとか、なぜそこに引っかかったのかっていうのは。
その当時、たぶんレディー・ガガさん初めて日本に来日した時って、
まだそんなに日本ではすごく話題になってなかったと思うんですよ。
一部の敏感な方は彼女のことは知ってたと思うんですけれど。
僕もそこまで彼女のことは全然詳しくなくて、その当時。
ただ来日する際に彼女のスタイリストをやってる方が、
前でいうツイッターでそういう日本のアーティスト、ファッションデザイナーとかで
こういうアーティストが来るから、誰か彼女に着せたい、着てもらいたいとかっていう人いますか?
みたいな感じの募集をされてたんですよ。
そこに対して直接コンタクトを取ったのが最初ですね。
じゃあご自分からコンタクトを取って、そういうツイッターでその当時応募があったからということで。
そうですね。僕の周りも、その後レディー・ガガさんに着用していただいたデザイナーはたくさんいると思うんですけど、
結構そこがきっかけだとは思いますね。
なるほどね。でもその前にはもう既にシューズのデザインっていうのはされてたんでしょうね。
そうですね。その一つ前で言うと、サマルタというファッションブランドが東京でありまして、
東京コレクションとかに出してて、僕自身とても好きなブランドだったんですよ。
で、そのジャパンレザーバードでさっきの靴を作ったのが最初で、
そこからちょっとずつ靴の方が自分としては表現しやすいかなって思い始めたことがあって、
あとは多分なぜ僕は靴をデザインするのか、靴じゃないといけないのかっていう理由をちょっとお話しすると、
洋服っていわゆる人が着た状態じゃないと形って維持できないことが多いじゃないですか。
でも靴は必要で履かないといけないのに、人が履かなくても形ってほぼ変わんないんですよね。
そうですよね。今ここにあるみたいに。
なので、態度として人に依存をしてないっていうものがとてもより彫刻的だなっていうのがあって、
それで自分自身がどんどん靴っていうものの魅力に惹かれたっていうのはありますね。
最初は小物だったっていうちょっと脇役ですよね。見え方というか言い方としては。
でもそういうところから靴にしかない、装飾のものでも靴にしかない魅力っていうのが自分の中でもしっくりときたというか。
そうですね。それは結構ありますね。
あとデザインするにあたって、レイさんもいろいろデザインされてらっしゃると思うんですけど、洋服の場合だといわゆるコーディネートっていうものが前提として組まれて、
例えばこのジャケットにはこのパンツとか、このスカートにはこのシャツとかっていうものを組み合わせながらして、
例えばコレクションやってるブランドだと30ルックっていわゆる30体分とかっていうのを考えてるとかすると思うんですけど、
僕は多分今までずっと過去デザインのことを考えた時に結構一点集中型だったんですよ。
ジャケットだったらジャケットのディティールに対してはめちゃめちゃこだわるけれども、このジャケットに何を合わせたいかって結構どうでもいいみたいなところがあって、
そうなるとやっぱり靴の方が自分としては表現しやすかったんですよ。
常に、例えば植物とか動物のフォルムに僕はとてもインスピレーションを受けたりとか感動するんですけど、
それは常に最終形態、今この状態がベストであるっていうもので、かつ人間がコントロールし得ない、
全ての節律の流れにおいてこの形にならざるを得ない状況、かつ見えないスピードで進化もし続けてるっていうものを僕は勝手にファイナルデザインっていう風に名付けてというか、自分では呼んでるんですけれども。
その時点でのファイナルってことですよね。
はい、常に更新し続けてるっていう。
そこに対して人が感動するっていう、僕自身が感動するっていうことは、ある種、僕らが幼少期とか誰からも教えてもらってないのに朝日見たりとか星空見た時に綺麗って思う感覚ってあるじゃないですか。
なんかそれと同じで、僕たちの細胞の記憶みたいなものがあって、それがあるそういうものを触れた時にシンパシーというか、にじみ出るようなものなんじゃないかなと思っていて。
それが僕にとってのデザインインスピレーションっていうところがあるんですね。
あとはそれをわざわざ何でデザインに起こす必要があるかってことですよね。
なんかやっぱり人間って愚かだなって思うんですけれども、そういうものをどうしても自分っていうフィルターを通して咀嚼をして表現したいっていう風に思ったっていうのがありまして。
洋服もそうなんですけれど、例えばとある部族でもいいと思うんですけど、何かこの表意するとか板子的なものだったりとか、なんかそういうことでパワーを得るみたいなことってあるじゃないですか。
なんかある種ファッションも本来の自分よりもより素敵に見てもらえるとか、ちょっとなんか今日しんどいなって思う時にこの靴履いたら今日は頑張れるかもとか、なんかそういう要素があると思っていて。
なので、例えばそのファイナルデザイン的なものが日常に入ると、よりその人の力になるんじゃないかなみたいなのは考えたかもしれないですね。
実用的に使えるっていう、例えば舞台に上がって履くっていうところと、あとその表現だったりとか、こういうふうに見せたいとかっていう、そういうところがあるじゃないですか。
そこの区別というか。
境界線ですか。
はいはい。境界線っていうのは、それは意識されてたりするんですか。
正直気にはしてないんですけれども、でもあえてそれを言語化するならば、やっぱり靴って用途があるので、足が入るとか立てるとか、一歩でも前に出たらいいみたいな感覚はあるんですよ。
で、そういう意味で言うと、僕からすると竹山も靴って言っていいんちゃうとか、あのカンカンで歩くやつも靴って言っていいんちゃうとか。
なんかそういうものがあるので、結構割と漠然とはしてますね。
ただ、一番自分がポリシーとして残してるっていうか、大切にしてるのは、やっぱり美しいっていうことと、自分にしかできない表現を追求するっていうことは大切にしてます。
なんでちょっと応援したい気持ちっていうものと、
なんていうんですかね、その儚さというか、
なんかそういうものもあって、これは一個一個生け花のように、
本当のお花をずっと生けて作品として紹介したものですね。
じゃあこれ一つの、今こう見えてるのはハイヒールで、
最初苔のようなものが装飾されていて、
そこから自然に植物が育っていって、
なるほど。
実際に靴を燃やしたりとか、
っていう感じの。
で、もう一回最後にこうやって。
で、また最初に戻るんですよ。
戻る。
っていう人の歩みみたいな。
これちなみに作るのは一足だけなんですか?
そうですね。これはもう完全に一つにずっと装飾をしていったので、
そうですね。片足だけで完結していきましたね。
ちなみにちょっとごめんなさい、これ全部ハイヒールじゃないですか。
そこにこだわってる理由とかってあったりするんですか?
一つ単純に装飾する空間が生まれるっていうことは大きくありまして、
例えばスニーカーにそういう装飾したりとかっていうものもあると思うんですけど、
表現に限界があるなっていうのがあって、
よりハイヒールっていうものの方が、
装飾としてもそうですし、見栄えもそうですし、
表現がいろんな可能性があるっていう意味で、
レディースの靴を使ってて。
で、そうですね。今思うと、
メンズだとどうしても自分が履くことを前提として考えちゃうので、
多分いろんな制限が出ちゃうんですよ。
だけどレディースってある種ちょっと失礼な言い方になっちゃうんですけど、
無責任に表現としてデザインができるっていうのがあって、
そういう意味でハイヒールっていうものの方が、
より自由な気がしますね。
自由な装飾が、はい。なるほど。
この辺とか結構いろんな素材、
これも割と日本の技術とかもイメージしてて、
映画を使ってたりとか、
刀に使われてたりとかしてるので、
あとこれ焼き剥くだったりとか、
こっちも焼き剥くですね。
この辺とかもそうですね、
これも人の髪の毛とか、
これも映画を使ってたりとか、
ちょっと割と素材の組み合わせみたいなものが多くて、
こっち側になると別のシリーズになるんですけれども、
これはカラスの羽を実際に使用してまして、
京都に白瀬のすごい老舗のところがあって、
多分その方、白瀬教会の会長さんで、
その方のお父様かおじい様が、
中堅八高を標本にされたっていう方がいらっしゃって、
その人と出会って、
相談したときに、
ちょっとこれカラスの羽なんですけど、
外獣駆除の対象としてカラスってなってるみたいで、
それでいわゆる駆除になってるものを、
譲っていただいたっていう感じですね。
なのでこういう表現になってますね。
こっちはブリーチしたりとか。
結構僕自身が今まで作品を作るにあたって、
具象化というか、
割とリアリティがあるものを組み合わせるっていうことが多かったんですよ。
鳥の作品とかも含めて。
ここには僕の中でコンプレックスみたいなものがあって、
どうしてもこの仕掛け的要素がやっぱり、
すごく明確というか見えると、
そこに対する多分、見ていただいた方の思考っていうものが、
どうしても制限されるっていうか、
そこにロックされる側面があるなと思っていて、
本来多分、アートっていうか表現っていうものは、
受け止める側の余白を残して、
見てもらうっていうものが、
僕にとってはアートとしてすごく、
必要な力というか表現なんじゃないかなと思ってるので、
今、僕としてはここからまたちょっと脱というか、
抜け出したいなっていうのがあって、
それで、偶発性な表現みたいなところって、
多分作家の人ってみんな、
ここ結構課題に思ってる人多いと思うんですよ。
いわゆる意思と離れたところで、
潜在的に滲み出るものって、
多分できそうでできないっていうか、
それをやって意識の中なのか外なのかって、
すごく曖昧じゃないですか。
それをコントロールした時点で、
それはまた意識になってしまうしとか、
っていうちょうど曖昧な状態での表現っていうのは、
多分僕としてはすごく課題に思っているので、
ある種フレッシュというか、
自分と意識を切り離した状態のものを、
今後作っていきたいなっていうのはありますね。
なるほど。
今回はこの夏開催した世界のクリエイティブ思考の
公開収録イベントの模様をお送りしました。
串野雅也さんのお話の中で、
私が特に印象的だったのは、
もともと靴をやろうと決めていたわけではなくて、
いろいろ考えた末に、
たどり着いたのが靴だったというところなんですけれども、
レイさんはどんなところが印象に残りましたか?
その見かけの独自性だけではなくて、
裏側にあるインスピレーションだったりとか、
なぜ作っているのか、
そしてどうやって作っているのかっていう過程自体も
すごくこだわっているっていうのが、
僕としては印象をプラス学びになりましたね。
なるほど。
なんだかが哲学的に考えている学者さんみたいな感じだな
なんていう印象も私は受けました。
そうそう。
話を聞いている時に、
彼から出た言葉で、
足っていうのは人間が持っている体の部分の
唯一地についたところなんだっていうのを
おっしゃられていて、
確かにそれってそうなんだけど、
今まで考えてこなかったことだったりするんですよね。
そういうところから作品作りに入られて、
なおかつ自然に
インスピレーションを受けているっていうのは、
彼の言葉でファイナルデザインという言い方をしていたんですけれども、
自然が到達したデザインっていうのは、
何百年、何千年、何万年、
下手したら何十万年もかけて
できてきた形であって、
彼のそこに対する思い入れだったりとか、
信念っていうのがすごく伝わってきて、
それはただ見ているだけでは伝わってこないところでもあるんですけれども、
逆にそうやって聞くことによって、
見たことの裏付けがされるというか、
なおさら意味が深くなるっていうことは、
すごく大事なんだなっていうふうに感じましたね。