2025-07-23 1:09:12

【Replay】映画『#アンドリューNDR114』人とロボットの境目はいったいどこに? [Replay] #BicentennialMan — How Do We Define the Human in the Machine?

One is glad to be of service.

ーーーーー

映画談義ポッドキャストパーソナリティまこです。

今回は #ポケ沼 よりオーマを迎えての収録です。

#アンドリューNDR114  について。

なんかホラーから打って変わってほっこりできるロボットドラマをば。

でも見れば見るほどロボットを通した人間?ドラマなんですよね。。。

非人間を通して人間を哲学する。アイザックアシモフすげえ。

なぜこんなにも心を打つのか?

人間とは何をもって”にんげん”なのか。

ほっこりとしたドラマに隠された裏テーマがあるかも!?

お楽しみください。

#Andrew 

#NDR114 

#BICENTENNILMAN  

#RobinWilliams 

#IsaacAsimov

#ChrisColumbus 

#公民権運動

#MartinLutherKingJr.

ーーーーー

podcasterの まこ(@_macobana)が、メインチャンネル『ポケットに沼を』(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#ポケ沼⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ )では語り足りないアレコレを一人語りするポッドキャスト番組、『よもやまこばなし』の公式アカウント。

ゲストを招いてのトーク回もあります。

エピソードの公開は毎週or隔週となります。

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これからも番組をよろしくお願いします。




“One is glad to be of service.”

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Hey, I’m Mako — your movie podcast host.

This time, I’m joined by Oma from Swamp in Your Pocket (#ポケ沼) for a special session about
Andrew NDR-114 — Bicentennial Man.

After all the horror talk lately, we needed something a little more heartwarming.
But the more you watch this film, the more you realize —
it’s not just a robot story.
It’s a human drama told through something not human.

Exploring humanity through the non-human…
That’s Asimov’s genius.
Why does it hit so hard?
What makes someone truly human?

There might be more hidden under this gentle, feel-good movie than it seems at first.

Give it a listen.

#Andrew
#NDR114
#BicentennialMan
#RobinWilliams
#IsaacAsimov
#ChrisColumbus
#CivilRightsMovement
#MartinLutherKingJr.

ーーー

Hosted by Mako (@_macobana), this is the official podcast account for Yomoyama Kobanashi.
Sometimes solo, sometimes with guests like Oma — always talking movies we just can’t shut up about.

New episodes drop weekly or every other week.

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📩 yomoyamakobanashi@gmail.com

Thanks for listening — and stay human.

00:04
Reel Friends in TOKYO Back Number 過去のエピソードをプレイバック!
はい、ということで、本日のテーマは【アンドリュー】人とロボットの境目は一体どこに?でございます。
はい。人とロボットの境目はどこに?
ちょっと、ちょっと、ちょっと、メモらせてください。メモしないとダメになるというのが、前回わかった。
マコマナのポイントはやっぱり、いきなりこういう問いをぶつけられた上で、考える時間は用意されていないというね。トークの中で組み立てておかないといけないという。
ちなみに僕も思いつきで書いてるから、もう全然考えてないんですけど。そういうのもね、話していく中でだんだんと見えてくるものもあるんじゃないかということで。
はい。
はい。
まいりましょうかね。
やりましょうか。
はい。
今回はナッツがないから。
ナッツがないから、ちゃんと集中して2分間見せておいてくださいね。
はい、というわけで2分間あらすじ紹介いきます。
よーい、
GO!
はい、ということで今回見たのは【アンドリューNDR114】です。
物語の舞台は近未来のアメリカとなっております。主人公はアンドリューと名付けられたロボット。
家庭用の汎用ロボットとして迎え入れられるのですが、彼はとある出来事から人間のような感情及び創造性を持ち始めるという謎の進化を遂げます。
そのアンドリューを家族の一員として迎え入れようとするマーティン一家の一部が、最初は彼をどうしても機械として見ているのですが、
徐々に交流を深めていくうちに、アンドリューを一人の人間のような存在として、大切な存在として受け入れていくようになっていきます。
家族と過ごしていくうちに、少しずつ自由であったり個性、あるいは愛などといった複雑な感情に目覚めていくアンドリュー。
彼はやがて自分自身本物の人間になりたいというふうに妄想するようになり、少しずつ自分の体を人間へと置き換えていきます。
またその中で初めて使えたリトル・ミスの孫にあたる女性と、少し特別な関係性になっていくのですが、
彼は最終的に自分自身を人間と認めてもらうために、国に向けての訴訟を起こしていきます。
体の部分を置き換えていくだけでなく、心もまた人間へと近づこうとするアンドリュー。
そしてそんなアンドリューを認めるべきか否か悩む人間社会。
この2つの対立の中で、彼は孤独や偏見と向き合って戦い続けていきます。
彼の人生をかけた最終的な訴え、争いが最終的にどういった結末を迎えていくのか、
その姿を見守る私たちも同時にですね、人とは一体何なのか、我々人類とは一体何をもって人類であるのか、
03:00
ということをロボットであるはずの彼を通して考えることになります。
あなたはどう思いますか?
今回はぴったりだったね。
ぴったりだったんですけど、最後もう少しかっこいい問いかけしたかったんですけど、
初めてMCを務めたアイドルみたいなね。
あなたはどう思いますか?みたいな。
もう丸投げする感じで。
もっと何かあるだろうみたいな、その謎の問いかけをしてしまったんですけど。
まあまあおおむねまとまったんじゃないのかなというふうに思ってますけどね。
いいと思います。
これはですね、一応ロビン・ウィリアムスが主演ということで、
大間の衛星結盤と言いますか、敬愛するハリウッド俳優なんですけれども、
どんな思いを抱いているのか、ちょっと僕は一個だけ忘れ物をしてしまったので、それを撮ってきますから、
リスナーに向けて語って待っててください。
聞く気はないっていう。
大丈夫、戻ってくるから。
本当にとんでもないものを忘れてしまって。
後で詳しいことはお話しします。
あなたの心です。
そんなところでいいです。
今回はこのアンドリューという作品なんですけども、1999年。
1997年のフラワー、98年のグッドビルハンティング、奇跡の輝き、パッチ・アダムスに続く第4作目になるような長編映画でなっております。
僕がやっぱりロビン・ウィリアムスに初めて出会った映画っていうのは、このパッチ・アダムスっていう映画だったんですけれども、
そこから時はだいぶ経って、大学生ぐらいの時に、このアンドリューという映画に出会います。
このアンドリューを見た時には、僕はロビン・ウィリアムス主演作品ということに全く気づいておらず、
ゲオで叩き売りされているアンドリューのDVDを50円で買い、それで家で見てたわけなんですね。
最初はアンドリューがロビン・ウィリアムスだと全然気づかなかったわけなんですけれども、
だんだん顔の造形がロビン・ウィリアムスに出てきて、「あれ?これロビン映画だったの?」って途中で気づくという、
ロビン好きを語っているのに、「なんだこいつは?」って思われるような出会い方をしたのが、このアンドリューでした。
おかえり。
確かにパッケージデザインとしては、顔のドアップなんだけど、ロボットなんだよね、半分。半分ロボ時代みたいな。
半分ロボ?全ロボじゃね?
いや、半ロボだろ。
半ロボか。
半ロボだったよ、確か。
まあまあ、うん。
まあまあ、うんじゃないよ。絶対そうでしょっていう話ですけど。
そういうことにしておきましょう。
06:01
でもさ、まあその話に関連してじゃないけど、ロボのデザイン絶妙だよね。
絶妙だよね。本当に知らなくて、当時僕の中で流行ってたのが、ゲオで叩き売りされてる50円のワゴンで叩き売りされてるやつを、
上からパケ買いして、500円分くらい10本くらいを買って、それを1週間で見るっていうのにひたすらずっとハマってた時期じゃないですか。
レンタル落ちのやつですよね、たぶんね。
そうそうそう、レンタル落ちのやつ。
コギだねっていう。
だけど、本当にアンドリュー、ロビンだと本当に分かってなくて、だんだんとロビンに似てるな、ロビンじゃんみたいなやつ。
ロビンだと分かって見直すと、ロボット初期の段階でもなんかロビンに見えてくる。
いや、そうなんだよね。
ここがね、ちょっとね、デザインの素晴らしいところかなというふうに思ってるのと、非常になんていうのかな、不気味じゃないギリギリのラインに攻めてるんですよ。
そうなんだよね、なんかどこかでやっぱ愛情のあるような顔からだんだん人間になっていくんだけど、
この人間になっていく過程でも、いわゆる疑惑の壁じゃなくて、恐怖の壁じゃなくて、
不気味の壁ですね。
不気味の壁がないんだよね。
本当に絶妙なラインだなというふうに思ってます。
でもなんかそれこそね、その不気味の壁の話だったり、あるいはこないだポケモンまでAIの話をしたときに、
僕らが触れたような内容にも結構重なる部分があって、
以前そのAIが結局人間に近づくと、結局人間はそれをロボットとして扱えなくなって、
必要としなくなるというか、むしろ使えなくなるみたいな話をしたんですけど、
まさにそういう描写があったなと思って、
該当するところを挙げれば、1回目のアンドリューのアップデートが、
これ作った会社が開発していた、実装されなかった技術として、
顔の表情を豊かにする技術っていうのが実装されようとしたんだけれども、
それをやると人間が恐れるようになると、
我々にとって変われるんじゃないのかっていう、仕事奪われるんじゃないかという恐怖がどうしても勝ってしまって、
嫌悪感が前に立つから実装されなかったっていう技術を、
アンドリューは特別に自分の顔に使ってもらうっていうところがあるんですけど、
そこら辺の話もしかり、さらにアンドリューがこのNDRなんちゃらかんちゃらですよね、
114という家庭用汎用ロボットとして、
オープニングの段階では未来の技術ですみたいな、
09:00
これから各家庭に1台みたいな感じで、
ちょっと新しい物好きっぽいちょい金持ちのマーティンパパがアンドリューを迎え入れるみたいなところの描写があって、
その段階では結構会社のところとか行くと、
普通のNDRシリーズが挨拶してきたりとかいう描写があったんだけど、
しばらく経ってアンドリューが自分探しの旅に出かけると、
同じ型番のロボットはみんなもう壊れたり、処分されたりしてるんだよね。
全然世の中に溶け込んでないというか、むしろ全然いない。
廃除されたのか、それとももっと進化したロボットが出たのかを知らんけど、
でも、違うロボットが出たわけでもなさそうだよね。
ある意味、人型のロボットっていうものを社会の中で使うか使わないかという議論さえ起こらないぐらい、
別にいらなくねってなっちゃった可能性はある。
それってある意味では、ペッパーくんに起きた出来事によって、
アシモとかペッパーくんって出てきた時はうおーってなったけど、でもそれいらんくねっていう。
別にロボットたちにはロボットたちで何か専門的な仕事を任せるんだったら、それに見合った形造形があるし、
人型になることでどんなメリットがあるかっていうと、ちょっと微妙なところがあるんだよね。
今回このNDRシリーズはおそらくあれだけ全然思いっきり普通に廃棄処分されている中で、
彼だけが残っているみたいな状況に最終的にはなって、
なおかつそれらの修理を受け負ってるのは変皮な街の変皮なところに住んでるちょっと変わったおっさんみたいな感じの扱いになっているところを見ると、
この人型のロボットっていうものが最終的に行き着く天末っていうのは、僕らがAI沼みたいなね、AI中庭で話したことと同じようなことをすでにこの映画は提起しているというか、
だからすごいびっくりしちゃって、うおーと。僕もこれ見たのたぶん小学生ぐらいだった気がするんですけど、
99年の映画なんで、やっぱり当時の段階でそういう話っていうのはもうすでに描き終わっていて、なおかつ言い出したらこの作品ってアイザック・アシモフの原作なんですよ。
ご存知ですか?
知らない。アイザック・ニュートンだったらわかる。
アシモフは誰もがロボットといえば聞いたことがあるって、そのロボット三原則の提唱者というか、
ロビタか。
彼がSF作品を出版した中で、それを作品の中で言及したんですよ。
12:01
それがあまりにも完成度が高いから、ロボットを描くSF作品においてはそれがかなりの確率で引用されるし、
なんだったらSF作品を描く、描かないとかではなくて、AIとかロボットの開発に関わる人たちがちょっと意識しちゃったりする。
なんならそういう背景を知らない人は、普通にロボットといえばこういうことをちゃんと守って作ってるんだろうと思っている。
それぐらいに浸透してしまった。
浸透してしまったロボット三原則なんですけれども。
アシモフがこれに言及したのは、おそらく我はロボット、AIロボットの原作になるんですけど、ウィル・スミスの。
ウィル・スミス?
ウィル・スミスがAIロボットっていう映画に出てたじゃないですか。
ああ、AIロボット。
あれの原作も彼なんですけれども。
1939年頃の作品のようですね。
刊行されたのは50年らしいですけど、39年のコロンビア大学卒業の時点で既に代表作者発表してるみたいな記事があるので、
このぐらいの時期に、もう既にそういったロボットと人間社会みたいなものの関わりの本質的な問題に言及している作品っていうものがあるっていうところは、非常に興味深いなというふうに思いますけど。
人間ってアイデンティティが好きじゃない?自分の。
そうだね。
そこを追求していく上で、この人型の人でないものっていうのって結構いいツールになるのかもしれないなという。
そうだね、例えばアイデンティティ形成前の人間っていうのがロボットと同じというような感覚を持っているというふうに仮定をすると、ロボットが追い求めていくかのように、
人間が私は我であるっていうような感情をいろんな経験体験を通して蓄積していって、なるほど私というのはこういう人間なのかっていうものを確立するっていうのはまさにこのロボット映画でよく語られる部分だし、何ならオズの魔法使いですら同じようなことを言ってるわけじゃん。
だからそこの心とはみたいなところって哲学でもよく語られている話題でもあるからさ、人間の永遠のテーマなんだろうね多分ね。
そうね、自分とは何かという追求っていうのは誰しもやっぱりしたくなるし、僕はそういう話を人間が好むのは自分から動物性を排除したいからなのかなって正直思っていて。
15:18
僕らも動物でしかないじゃないですか、それをすごいいろんなところで突きつけられると思うんですよ、生きてると。非常に論理的に物を考えている割には感情に流されるし、本当に男の大半は下半身で物を考えちゃう場面があるし。
特にヤンヤンちゃんはね。
かもしれない。とかいろんなところでそういうものを突きつけられると思うんだけど、やっぱり人間は人間だと、我々は特別なんだと、我々はこういう力を持ってるから人間として覇権を握ってるんだというふうな、
鮮明意識的なものね、動物界における鮮明意識的なプライドを守るために、やっぱり人としてのアイデンティティっていうものを何かというと模索するし、何かというと確かめたくなっちゃうんじゃないのかなっていうふうに勝手に思ってるんですけど。
だからやっぱりなんだろうな、こういう作品を見た時にやっぱり人間っていいなっていうふうに思うんだけど、それって反面人間っていいなをすることによって、自分も捨てたもんじゃないなって思いたいのかなとかちょっとうがった見方を自分にしちゃうっていう。
お前のその感動は自分を救うための無理矢理な感動になってないかみたいな、これをちょっと感じちゃうんだよね。すいませんね、この作品を読むんじゃなくて僕という人間についての話になってしまったんですけど。
言うても、ヒューマンドラマの9割方そうじゃない?
そうね、心を洗われた気がするみたいなこと言うけど、実際はたぶん洗われてないし、そういう素晴らしいヒューマンビイングみたいなものを目にすることで、本当に自分も荒れる気がするというより、自分もそういう言い方ができる人間の一端なんだから、
自分もきっといい人間に違いないとちょっと思いたいっていうのがあるかもしれない。
あると思うな。すごくすごくうがった言い方だし、すごく嫌な言い方だけど、これに感動できる人間であるという自分に酔いたいみたいな。
それもあるよね、でもそれでもいいのかもしれないよね、別にエンタメってそういうもんだし。確かに感動をテーマにした作品って一体何のためにあるかって言ったらある意味そこかもしれないよね。
と思うよ。
だってそこが露骨になると僕らは感動ポルノみたいな、ある種嫌悪感みたいなものを抱いたりするわけじゃない。それって要は自分のそういう感情を見透かされているような気がするからなのかもしれないよね。
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そう、自然な形で感動させてくれないとさ、ほらこれで感動するんだろ、ほれほれって言われると、なんかちょっとそれで感動して自分を救おうとしている自分が余計惨めに感じられてしまうから、それが嫌になるのかもしれないっていうのもちょっと感じたりなんだり。
確かにね、多分僕らの年代のおじさんたちがティーンズ映画の感動物を見てちょっと嫌な気分になるのはそこかもしれないね。
さあじゃあちょっと再現に戻りますが、これってなんかあります?
一個ね、どうしても下せないところが一個だけあるんです。下せないというか、僕はもうこれはツッコミを入れてくれと、向こうが待ってるんじゃないかと思うシーン、思うね、シーンじゃない、設定。
はい。
あの長女なんですけど。
あ、長女ね。
長女。名前忘れちゃったけど長女いるじゃないですか。
長女っていうのはマーティン一家の長女ですね。
長女です。その長女が12年後か16年後のちょっとお姉さんになった頃から、リトル・ミスが結婚するまでの間なんですけど、なんで未来の突っ張った格好って全部マッドマックスなの?
マッドマックスでしたね。
マッドマックスだったよね。
マッドマックスだったね。あれはマッドマックスだったね、確かにね。
いやでもね、それは想像力の限界ってあるよねっていうのはちょっとあって。正直クリス・コロンバスですよね、これ、監督。クリス・コロンバスと言ったらあれですよね、ホームアローンですよね。
ああ、ホームアローンかとか。
ちょっと心配になって検索しちゃったりして。
ホームアローンですね。あとハリーポッターと賢者の石ですね。
そうなんだ、賢者の石ですか。
賢者の石です。たぶん2作目までかな、クリス・コロンバスが組織と言ったのは。たぶん秘密の部屋までやってると思いますけど。
彼はやっぱりホームドラマの達人というか、やっぱりほっこりした雰囲気と、笑いっていうところの徹底っていうのがあるのかなというふうに思っていて。
21:02
まあそこら辺が得意な監督さんなのかなというふうに思うと、ある意味わかりやすい笑いを作ってる人でもあるのかなという。
結局は子供が笑えるって何みたいなところをたぶん理解している人だと思うので。
確かにそれはあるね。
ホームアローンなんてまさにそれじゃないですか。とにかく犯人たちが、泥棒たちがどう面白く転ぶかっていうのを徹底的にやってるんですよ。
あれもう改めて見るとエグいですからねマジで。スタントマン何張り塗ったのかなっていうような。
あこまでやったらあの二人死んでる。
冷血ない転び方をいっぱいしてるんで、でもやっぱりそのやり過ぎ感を子供たちには受けるだろうというのをしっかり理解している人だと思うんですよね。
アンドリューに関しても、別に対象年齢は子供じゃないですけれども、そういうわかりやすい笑いの形っていうものを挟み込んでるのかなって気がして。
ある意味ね、未来の姿って難しいですね。建物とか乗り物とか見てて限界感じるもん。いわゆる未来の街、いわゆる未来の乗り物みたいな。
だってそれこそドラえもんが出た当時はさ、未来の乗り物なんて車が空飛んでさ、人類みんな全身スーツだぜ。
でも同じようなもんだったじゃん。車空飛んでたよね多分ね。病院とかもさ、ワオンみたいなドアだったじゃん。上下に開くシェルター風の。実用性皆無っていう。
あれ困るよね。別にあの時代だったらひょっとしたらどこからでもモニターで見れるのかもしれないけど、なんかちょっとそれ回信とかしにくくないみたいな。
しかも多分普通にストレッチャーを押して中に入ったら絶対あっこの男性ガタンガタンってなるから、患者さんうんうんってなるはずだし、あのベッド何より寝にくそう。
なんかどうなのっていうのはちょっと色々思いましたけど、そこはまあ突っ込まないのが吉なのかもしれないですよね。未来をテーマにした作品に対して、いやそのデザインはっていうのは。
でも逆にああいうあの典型的なコテコテ、レトロフューチャー的なデザインのものが出てくることによって、分かりやすく僕らははいはい未来ねって思える。
そこが変に現実的なところをついてしまうと、かえって僕らはそれを現代のシーンなのかもしれないとか思っちゃう可能性もある。
っていう風に考えるとレトロフューチャー的な舞台装置っていうのはもう説明不要な。
だから遥か未来とか書かなくても説明不要に、これ遥か未来だって思っちゃうとか、そういう機能を持った設定というか設計なのかもしれないなっていうのは何となく見てて思いましたけどね。
24:07
だから突っ込まないのが基地です。
だからもうマッドマックスを見たら未来の不良ねって思うようにしましょう。
これはもうバックトゥーザフューチャーでも同じことが起きてますから。
あとはそうね、僕ちょっと今回とんでも説じゃないですけど、今回もちょっと説を一個用意しておきましたんで。
マジっすか?割と僕ね結構真面目な話題…
どうぞ真面目な話題からじゃあ行きましょうよ。
真面目な話題っていうか、僕今回これでね言いたかったのはこれ一個だけなんだけど。
どうぞ。
前回のポケ沼でもさ、そのAIの行く末みたいなところだったじゃない。
だから今見えているそのAIの行く末と、当時見えていたAIの行く末っていうのはこんなにも乖離したんだなっていうところがあって。
やっぱりその当時のAIっていうものの認識って、やっぱり人間に代わって機械的なタスクをこなしていくっていう、
今その当時ある、例えばその自動販売機とか改札券のこの通り道とかっていうような一部を担う何かっていうことではなくて、
全てを人間の代わりにやってくれる完璧なロボットみたいな。
それをなんかAIというふうに認識をしてたのかなみたいな。
やっぱりその人間の感情だったりとか社会的な役割っていうところまではなんかよくわかんないから、
この作品でこういうものもあるかもしれないねみたいなところっていうのがすごく革新的な部分だったんじゃないかなというところで。
でも一方今のAIってどういうものなのかなっていうと、
やっぱりそのデータの解析だったりとかそのパターンの認識っていうのをディープランニングすることによって、
いくつものパターンだったりとかっていうのを何千何万通り何億通りっていうふうに入れていったときに、
こういう言葉を言われたらこういうふうに返すよみたいな。
一見そのチャットGDPでもあたかも感情に見えるような言葉を話しかけてくれたりもするんだけれども、
でもそれっていうのはこちらが発したパターンによって返ってくるものなんだなっていう感情とか倫理観みたいなのっていうところが、
あたかもあるように見えてそれは学習のパターンによって出てくるものなんだよっていうのが、
当時のロボットと今のAIっていうところの大きな差になってくるのかなと。
だからアンドリューが時計を作るっていうシーンがあったりとか、
27:05
木のなんかを作るっていうシーンがあったんだけども、
あれがたぶん一番なんか僕の中で象徴的だなと思ったんだけどさ、
アンドリューはあれを作ることで人間味みたいなのをすごく表現していたけれども、
ある意味それっていうのは結構今のAIにも的を言っている部分があって、
AIに絵を描かせたりとか映像を作らせたりとか歌を作らせたりとか詩を作らせたりっていうのはできるようになったけれども、
それって結局そこに込められた意味だったり感情みたいなのっていうところのデータに過ぎない、データの焼き増しに過ぎないから、
人間が作るその不完全さみたいなところっていうところはやっぱり今の昔のAIのイメージでも、
今のAIのイメージでも変わらない部分なのかなって思ったっていう話を掘り下げていきたかったなっていう感じ。
なるほど。
アンドリューが作られた段階ではそもそもやっぱり芸術と長持ちつくものは機械にはできないっていう共通理解があったから、
アンドリューの創造性っていうのが人格の発芽みたいな象徴として描かれたのかなっていうふうに思うけど、
今それをやらせてるもんねっていう。
そうそうそうそう。
全く新しい手法だったりとか、全く新しい表現みたいなのっていうところは現段階でもないわけじゃん。
いやでもね、そうとも限らないと思うよ。
そうなの?
だって僕らは収積したデータを元に構築したものは新しいものではないっていうふうに思ってるじゃん。
うんうん。
でも収積したものによって新しいパターンだったり新しいものが生み出されるケースっていうのは全然あって、
例えばアルファ号の躍進なんてまさにそれなんですよ。もうお忘れですか?アルファ号。
アルファ号?
それこそですね、このAIブームの起こりというか、本当に始まり、このAIフィーバーの始まりも始まりの出来事だったと思うんですけど。
アルファ号の何?
アルファ号。
躍進?
躍進です。アルファ号が人類最強をバッタバッタと投げ倒したですね、出来事があったじゃないですか。
もう世界中の誰もが見守った一曲とか。
お忘れですか?
30:02
なんかF1レースが出てきたんだけど、違うよねこれ。
なぜ?
アルファ号の躍進って言ったら、2024年アルファ倒り後継チームの念願のトップ5入りって。
違いますね。
違いますね。
2015年の10月の出来事ですね。ヨーロッパ王者ファンフィ相手にですね、ハンディキャップなしで初めて勝ったコンピューター囲碁プログラムです。
しかも5戦5勝という完全勝利だったんですけど、これがグーグルのディープマインドっていうのによって作られた、それこそディープライニングベースのAIになるんですけれども、
結局アルファ号が打った一手っていうのが、そもそも5ってめちゃくちゃ難しいんですよ。
将棋とかチェスなんかはもう当の昔にコンピューターの方が強いみたいな感じになってたんですけど、
5に関しては非常に複雑なので、戦略性だったり、プログラムを組むのが難しかったわけです。
ところがディープラーニングをすることによって、ありえないほど大きい試行回数を行うことによって、これまでに人間がプログラムしてどうこうとは別の手を作り出すことができるようになったわけですよ。
結局それによって勝てちゃうというか、人間よりある意味強くなっちゃったんですよね。
それってある種新しいものを作ってるんですよ。
アートに関しても僕らは今までにされてきた様々な音楽を読み込ませてAIに作らせたら、
それはツゲハギのものは出てくるっていうふうに考えているのかもしれないんだけれども、
ひょっとすると僕らがまだ見つけていないコード進行だったり、
僕らがあんまり意識的に活用していないような不協和音コードの活用方法だったりっていうのを、
やつらが安々と見つけてくる可能性は十分にあって、
っていうふうに考えると、既存のものを組み合わせたからといって、それは新しいものではないのかっていうと、絶対そういうわけでもないんじゃないのかっていうふうに思えてきてしまうんだよね。
そういう意味で言うとさ、アンドリューが作ったあの馬だってさ、ひょっとするとさ、ママが言ってたように、
ただどっかで見たんでしょって言ってたんですけど、ママはギリギリまで全然信じないで、その可能性は十分にあるのよ。
いや心の中から浮かんできたんですってアンドリューが言ってんだけど、
でもそれはひょっとすると彼が読み込んだありとあらゆる馬のデータの様々な部分をツギハギして出力した何かだったのかもしれないんだけれども、
33:05
それが絶妙な協調性を生んで非常に優れたデザインになっていたんだとしたら、それはアンドリューの創造性によって作られた唯一の美的なものなんだから、それも立派な創造性の一つとして認めてもいいんじゃないのかという話に変わっている。
難しいね。
そうだからね、本当にこの辺りって難しくて、AIが作り出したものに関しては一線を引いている人は多いというか、
まあ優点みたいなところはあったと思うんだけれども、でもツギハギでも十分新しいものは作れるというか、何だったら人間だってある意味そういうことをやってるわけじゃないですか。
ポンコチシンみたいな言葉もありますけど、やっぱりシュハリもそうですけれども、これまでに積み重ねられてきた道だったりメソッドだったり、あるいは様々なものの模倣を通して新しいものを作り上げていく。
人間はその過程っていうものを明確に目に見える形でプログラム化されてないから、その間にどんなプロセスがあるのかっていうのを当にも意識していない。
だからいろんなものを学んで、その先に自分の表現を見つけ出して作りましたって言ってるんだけれども、実はそれはある種、自分がこれまで受けてきた様々な文化の織物に過ぎないかもしれない。
だとしたらAIにもそれはできるはずなんですよ。
確かにね、そうすると人間らしさってなんだ?
そこに帰ってくるんですよ。アンドリューを結局最後まで人間たちはなかなか認められないままできてるんですよ。この作品の中でもね。
最後の最後にハンジが人間社会でね、その神話や伝説上の宗教的な人物を除いて、最も長生きした人類の一人であるっていうふうに認めて、最後エンディングへと物語が駆け抜けていくんですけれども、
ギリギリまで認められなかった人類が最後にアンドリューを認めた理由は彼が死ぬことを選んだからっていう、それ一つだけなんですよね。
そのあたりも結局この作品の中で繰り返し描かれていることとして、人間はロボットに自分たちを超えられる、自分たちの立場を奪われることを恐れているっていうのが何度も描かれるんですよ。
で、最後の最後で彼らが認めた理由がアンドリューが自分が死ぬっていう仕組みを作って、今まさに死のうとしてるっていうその局面になってるわけですよね。
っていうふうに考えると、彼らがアンドリューを人間として認められたのは、彼が死ぬことを選んで今まさに死のうとしているから初めて認められた。
裏を返せば彼がいなくなるという安心感がさえあれば、安心感さえあれば認められるということも、そもそもその時点でもうずっと認めざるを得ない状況にはなってたはずなんですよ。
36:14
認めざるを得ないけど認めたくないと。でも彼が死ぬんだったら認めてもいいと。
なるほどね。
すでに彼と人間との違いっていうものを合理的に説明ができないっていう状況になってるわけですよね、その時点で。
そう考えると、結局その肉体を構成しているものが人工的であろうが天然のものであろうが、そこが人間を人間たらしめているものではないのかもしれないっていうことを、この作品はまさに言っていて。
それ言い出したら、それこそ水槽の中の脳みそ的な話にもなるんだけれども、その一個人が何か自覚していたら、それって人間って言ってもいいんじゃないのかなとかも思ったりするし、
肉体の構成物ではないよねって、人間とは一体何なのかって言った時に、思考を支えてる何かしらの、何かしらなんですけど、
想像性すら揺らぐよねっていう話にもなると思うんだよ。人間だからできることって何?って聞かれた時に、それこそ我を思うゆえに我々的なラインまで落としちゃわないといけないのかなっていう。
というよりかは、今の話を聞いてすげえ思ったのがさ、人間らしさとかっていうものがAIに代化できるようになってきたからこそ、逆に人間は獣であることを認めないと人間性を表現できなくなっちゃったんじゃない?
これからアートの世界は獣の席になっていくと?
もしかしたらね、本能的なものだったりとか、何て言うんだろうな、ある意味、より変屈になっていったりとか、
エヴォーショナルって言ったらちょっと変だけどさ、衝動的なものだったりとかっていうものが強くなって、それが衝動ってあるよね人間にはね、みたいな。そこがどんどん人気になっていくんじゃないかなって思っちゃった。
そうだよね、それはでもあるかもしれない。それこそ作品の中でもポーシャがアンドリューに対して、人は間違えるのよと。間違えて学ぶとかじゃない、ただ間違えるのと。
そうして自分を見つけるのよみたいな話をしていて、その不完全さみたいな部分が結局人間であるっていうところに話が移り変わっていく可能性はあるよね。
39:13
なんか面白いね、人間とは完璧なものである、それを補助するのがロボットだっていうところからスタートしてるのに、逆に不完全さを求めないと、人間が人間だらしめるものを言えなくなるって、えらい矛盾になってくるんだね。
そうだよね、本当にそのあたり非常に面白い。ある意味では人間は自分の手で神を作り上げてしまったがゆえに、神を元にしてですね、神を上に立てて自分たちはそれよりも界の不完全な存在であるということをアイデンティティとして使うことになるのかもしれないですね。圧倒的なものを作り上げてしまったら。
本当にこのまま進んでいくとさ、それこそサイコパスっていうアニメーションがあるんですけど、サイコパスっていうのはどういう世界観かというとね、犯罪者たちの脳みそを集めてるわけですよ。
それはネタバレになってくるんだけど、サイコパスっていうのが完全管理社会の一つになってるわけよ。人間の適性みたいなのをAIみたいなのが診断して、あなたはこの職業に就いてください、こういう仕事をしてくださいっていうのが割り振られるわけよ。
社会で生活していく上で、犯罪指数っていうものがあって、その犯罪指数が一定ラインを超えると、あなたは犯罪を今から起こしますから逮捕しますねっていう世界線だったのよ。
じゃあその犯罪指数っていうもののアルゴリズムはどこから作られてるかっていうと、大量に集められた過去の凶悪犯罪を起こした人の脳みそを集めて、そこから電気信号を抽出して作られたAIが人を裁いているっていう。
おもしろいですね。
この設定すごい面白いなと思ったんで。
設定の前半部分は完全にフィリップ・K・ディックのマイノリティリポートですよね。
そうだね、完全にパクリだね。
マイノリティリポートの場合は、プレコグの聴力者数名が政府の中枢で働いていて、彼らの予知能力によってプレ犯罪者が捕まえられるようになっていたのが、
それをよりSFに近づけるというかね、犯罪者の脳を読み込んだAIのアルゴリズムみたいな部分は非常に面白いというか、より一歩SF感を進めたような設定で結構面白そうですね。
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でも僕はアニメ見ないんで多分見ないんですけど。
ダメなんですよ本当に。本当ダメなんですよね。何だろうな、もうおじさんになったからのかわかんないけど本当に見れなくなっちゃって。
オープニング見てたらもうなんか、あぁいいかなってなっちゃうんですよ。
オープニング飛ばしたらいいじゃん。
謎なんですよ。オープニング越えて見始めても結局、結局ダメなんよ。
そうなんだよ。
なんかね、声が鼻に付くのかな。
下手したらなんか最近ジブリの大読みの方がまだまだ見れるみたいなラインになってきてますね。
なんかもう脳が疲れてんだよ。
そう多分疲れてんだよなんかもう。腹立ってきちゃって。うるせえなって思っちゃうの。そんな声で俺にしゃべりかけるなって。誰も俺にしゃべりかけてないんだけど。
でもその怒りの衝動性ってやつが、まこちゃんの人間性を人間たらしめてる。
AIは多分アニメ見てもキレないですからね。
そうそうそうそう。
あなたの猫舐でゴヤクソとか言わないですから。
言わないですよ。
言わないですからね。
このファファの顔で怒んないですか?
そうですね。
ファファめって。
実際見ていただいて。
とりあえずね、僕が言いたいこと一つここで言いますけど。
お願いします。
アンドリュー。
はい。
アメリカにおける、黒人奴隷解放宣言後の黒人の公民権運動をSFに落とし込んだ作品説。
今ちょっとまたピンとこないな。どういうこと?
これちょっと僕は見ててね、何かすごく重なる部分を感じてしまったんですよ。
そもそもアメリカの作品ですから、やっぱり自由とは何かとか尊厳とは何かみたいな。
リバティとは何かみたいな部分ってやっぱり大テーマに置かれるとは思うんですよね。
はいはいはい。
僕が見ててね、すごく引っかかるというか。
なんかこう釈然としないなって思った部分が一個あるんですよ。
この釈然としないなっていうのはなんだろうな。
なんでって正直思っちゃったシーンとして、アンドリューが私は自由になりたいっていうのをマーティンパパに言った時に、
マーティンパパがすごく嫌な顔をするんですよ。
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なんで自由になりたいんだみたいな。自由になって何をするんだみたいな。
で、あなたにお使いしますみたいな。今と同じじゃないかみたいな。すごく嫌な感じをするんですよね。
結局アンドリューに説得というか、いろいろと言われて、またリトルミスの後押しも受けて、
マーティンパパを追われてですね、彼の独立を助けるんだけれども、結局なんかちょっと気まずくなってしまって、
和解するのは最後にマーティンが、最後って言ってもマーティンの最後ですけど、
マーティンパパが亡くなる時に、あの時は自分が謝っていたみたいな、間違っていたみたいな話をして、和解をして旅立っていくみたいな、そんなところなんですけど、
それまでのですね、マーティンパパのアンドリューに対する接し方って、限りなく肯定的というか、需要の姿だったと思ってたんですよ。
それに相対するというか、相反するような立場として、マーティンママと長女っていうものが描かれていたはずなのに、
マーティンパパは結局アンドリューにあれだけ積極的にいろんな物事を教えて、彼の個性っていうものを信じようとしていたにもかかわらず、
いざ彼が自由になりたいって言ったら、なんでこんな嫌な顔するんだろうって、ここにものすごい違和感を僕は感じたんですよね。
でも、もしもですよ、マーティンから見たアンドリューという存在が、いわゆる家好きの奴隷だったとしたら、これってものすごくピンときちゃうなと思って、
家好きの奴隷っていうのは、家事に奉仕するのが仕事として与えられていて、それは押しを受ける受けないとかではなく、一方的な献身になるわけですよ。
その一方で、家長たる存在が、いたずらにじゃないですけれども、ある意味では自分自身の自尊心を満たすためだけに、家の奴隷に対して教育を受けさせてみたりだとか、
良い服を着させてみたりだとか、身分には不相応なマナーを身につけさせたりだとかして、可愛がるみたいな、そういう描写っていうのは、奴隷っていうものを真正面から描いた作品でもたくさん見受けられるわけなんですよ。
ついに先日我々で見たですね、例のあれあるじゃないですか、例のトンパチチーブシャブシャクエンティンタランティーの作品、ジャンコ繋がりたるものです。
あそこに出てくるサミュエルLジャクソンまさにそれなんですよ。奴隷たちの中でも特別な存在として、家長から可愛がられ、
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そして自分は、ある意味では中間管理職的な立場で良いように使われてるだけなんだけれども、着てるものも良ければ下の者に対して命令もできるような立場にされていたりだとか、
その一方でそれとはまた別のパーソナリティとしての描かれ方をしてると思うんだけれども、やたらと色っぽくて可愛らしい服装をさせられてる黒人奴隷の女性もいたじゃないですか。
さながら着せ替え人形のような、そんな扱いを受けてるような人間もいるんですけども。
マーティン・パパオのアンドリューに対する接し方っていうのは、非常に対等な友人であるように僕はすごく初めのうちは見ていたんだけれども、
結局、自由という言葉に対する反応とその対応の仕方っていうものを合わせてみたときに、マーティン・パパも自分自身では彼のこと、アンドリューのことを友達のように感じていると思っているのかもしれないけれども、
その根底の部分にはやっぱり奴隷に近いような認識っていうものをアンドリューに抱いていたんじゃないのかと。
その絶対的な上下関係っていうものがあることによる安心感で持って、アンドリューにあらゆる物事を教えたりだとか、彼に服を着させてみたりだとか、みたいなことをしていたんじゃないのかっていうのが、そこで僕はちょっと見えてしまったんですよね。
そこを通してその後の展開を見ていくと、結構重なる部分はあるなっていうふうに思っていて。どうですか、ちょっとここまで。
今のを聞いて、あ、そうかもって思えたのがあって、何かっていうと名前なんだよ。まずマーティン家じゃん。公民権運動といったらマーティン・ルーサー・キング。
しかもアンドリューでしょ。公民権運動といったらアンドリュー・ジョン・ルイスじゃないですか。
重なった。
重なっちゃったんだよ。すげえと思って。マーティン・ルーサー・キングは知ってる人多いと思うから、ちょっとはじめるんですけど。
なんでこのアンドリュー・ジョン・ルイスっていう日本においてのすげえマイナーな人間を僕は知ってるかっていうところは、
昔、つい最近、なんかのね、そういうYouTubeのやつの衝動動画をチラッと見たから。
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そんなものがあるんですね。
つい1週間前ぐらいは、アメリカ合衆国の公民権運動をした活動家で、学生非暴力調整委員会だったと思うんだけど、
学生運動のマーティン・ルーサー・キングに賛同する立場のグループのリーダーを務めた人で、その後下級議員になった人がいて、
アンドリューとマーティンじゃんと思って。
今ちょっとね、言われてね、うわーってなった。
僕はね、全然意識してなかったそれ。
NDRってなんか意味あんのかな?
NDRはないんじゃない?
公民権運動NDRちょっと今調べてみていい?
お願いします。
じゃあその間にちょっと僕間つないでますんで。
この仮説を裏付けるような隠れ設定を見つけておいていただけると嬉しいんですけど。
僕がこの後の展開も似てるって言ったのは、結局アンドリューが自由というものをマーティンパパから授けられた後も、彼の自由の本当の獲得には至ってないということなんですね。
これもまさに重なるなと。
奴隷解放宣言っていうものが出たのは1863年ですね。
南北戦争っていうものが集結するのがその数年後になるんだけれども。
結局そこで奴隷解放ってなっても、南部で奴隷を使った、
面下のたくさんのプランデーションがある中で、いきなり全ての奴隷が解放されて社会が成り立つわけもなく、法的には解放されたかもしれないんだけれども、
結局その奴隷制度が廃止された後も、悪法は存在していたし、
結局教育だったり公共施設に関して、黒人がやっぱり未だに差別をされたりだとか、
あるいは南部アメリカにおいては、いわゆる人種隔離政策、アバルトヘイト的なことが結局行われたりしているわけで、
差別が正道化されているような世の中で、結局彼らが本当に自由を手にしたなんて言えるはずはないわけじゃないですか。
そこがまさにこのアンドリューの存在に重なるなと。
マーティンから、いわゆる自由という言葉と一応自由であるという立場は授けられたけれども、彼は依然としてまだ本当の自由にはなっていないわけですよね。
自分自身のプログラムに従って動いているし、結局周りの人たちは彼のことを異物として見ている。
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社会の中で同じように扱われることはない存在として行き来ざるを得ないような状況にある。
これってまさにこの奴隷解放宣言の後、結局最終的に公民権運動、マーティン・ルーサ・キングが活動したのって60年代後半?
公民権運動が1960年代だね。
これってどういうことかというと、奴隷解放宣言は1863年なんですよ。公民権運動が起きて1960年代なんですよ。100年経って。
100年経って、全然状況としてはそういう運動が起きて初めてね。
アイハブアドリームみたいな話がありますけど、アイハブアドリームが始まるまで前段がめっちゃ長いんですけど、
あの話を出さなければならないぐらい、結局圧倒的な差別っていうものはずっとそこには存在し続けているわけで。
その辺りを見るとすごいですね。
やっぱり彼が、アンドリューが自分自身の自由を手に入れるために200年という歳月をかけて歩み続ける姿っていうのは、
本当に黒人奴隷が自分たちのアイデンティティっていうものを見つけて、それを追い求めて自らの手で獲得していくまでの長い戦いを見ているような気がしたんですね。
これが出たのが、何年だっけ?1990?
ん?映画アンドリュー?
99年でね。
99年。
そう、99年なんですけど、ここはあんまり重ならないんですけどね。
これ現代が、バイセンテニアルマンなんですね。
バイセンテニアルは、バイは2倍のバイですね。
あ、そうなんだ。
バイセクルのバイですね。2つ乗っているんですけど。
2倍のバイではないですけど。
びっくりしちゃったよ。それっぽいこと言うぐらい。
センテニアルはセンチュリー的な意味ですけど、要するに200年間みたいな意味です。
200年男みたいな感じなんですよ、直訳すると。
本当に彼は200年近く生きて死んでいくというような話になってくるんですけれども。
だいたいですね、奴隷解放宣言は1863年の話ですから。
この作品の舞台は一体どこなのか、全然わかんないんですけど。
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海岸線沿いということだけど。
1863年から200年って考えたら、2063年ぐらいが舞台だったら面白いななんてことをちょっと僕は思いながらですね。
ちょっと見ちゃったりしたんですよ。
問題は、結局黒人奴隷解放の宣言は1863年ですけれども、
現代アメリカにおいてもですね、貧困層の黒人率っていうのはやっぱり高いんですよ。
全体の平均でいうと、貧困率っていうのはだいたい11%ぐらいなんですけど、黒人率に限定すると18%とかになってます。
やっぱり明らかに黒人の方が貧困層が多いっていう話もあるんでしょうね。
依然としてやっぱりアメリカの方が、それが1999年の作品になると多分今よりも余計になるのかもしれないし、
横たわっているそういった問題をテーマに映画を描くっていうのは、やっぱり映画監督だったらやりたくなることの一つなのかもしれないんだけど、
真正面から描くと両方から石が飛んでくるっていうケースがあるんですよ。
これ本当に、やっぱり描き方って非常に難しくて、双方にいろんな考え方があるから、
描き方をどんなにこだわっても両方からやっぱり石飛んでくるってことがあったりして、
そういう時にメタファーとして何かに落とし込むっていうのは多分考えられると思うんですよ。
ひょっとするとアンドリューを通して、人間の尊厳だったり愛情だったりみたいな、そういう大テーマとは、
別なところの隠しテーマとして、奴隷解放宣言からですね、
いかにして自分自身のアイデンティティを獲得して自由を手にしてきたのかっていう、
黒人奴隷たちの絶え間の歩みっていうものを同時に描こうとしてたのかもしれないという、
そんな話をですね、ちょっと追いついてしまったというところなんです。
すごいね、僕はマーティンとアンドリューで感動してね、
ワオってなってるからその後の話はね、僕はかなりこう、ずっと信用しちゃった。
けどNDRと公民権運動を結びつけるような情報は?
ないです。
ちなみに114も調べたんですけれども、情報はないです。
ないですか。
さらに200周年というところが公民権運動に何か関連のある数字かどうか、
200年という数字も調べたんですけれども、ないです。
そこまで細かく考えてたらすげえよ。
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まあそうっすね。
ニアピン賞でいうと、14賞だったっけな?
公民権の運動によって、第14修正条項みたいな感じで法律が変わったらしいっていう。
14というのは引っかかったんですけど。
それ以上の情報はなかったね。
でもね今ね、驚くべき事実が見えました。
マーティン・ルーサーキングの、この作品NDR114じゃないですか。
マーティン・ルーサーキングの誕生日は1月15日です。
惜しい。
惜しい。
惜しい。
惜しい。これドンピシャだったらもうそれだったよね。
いや完璧だったね。ちょっとアンドリューは?
アンドリュー…ジャン…
あれなんだっけ?さっきまで言ってたのに。
名前忘れてしまった。
アンドリュー…ジョンソンじゃなくて。
ジョン…ジョン・ルイス。
あ、そうそう。アンドリュー・ジョンソン・ルイス。
アンドリュー・ジョン・ルイスの誕生日は1940年生まれというところしか僕の目には見えない。
ちょっと今情報がすぐ出てこないですけど、きっと1月14日でしょ。もしくは11月4日でしょ。
でもね、14日限定すると1個だけありますね。
なんすか?
これは歴史的にはですね、アメリカ憲法修正第13条及び14条によって奴隷解放宣言というものがなされてます。奴隷制が廃止されてます。
けどそうすると1はどこいったんだって。
アメリカナンバーワンだよ。
アメリカナンバーワンですかね。ちょっと悔しいです。上手いことこじつけられる人いたら見つけてください。こじつけて言っちゃってるけどね。
さて、どうですか?特になければ今日の本質、本題に入ります。
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アンド・リュウ。人とロボットの境目は一体どこに?ということなんですけれども。
いやもうここまでの内容を総括していくと、なんかちょっと僕の中で若干ネガティブな答えになっちゃうんだけど、
人が人であるものっていうのは、やっぱり本能的なものに近いものがあるんじゃないかなと思うんだよね。
とすると偏見だったりとか思考性みたいな。思考性ってあるね、志に向くに性の方ね。心がどう向くかっていう話。
なるほど。
まあ僕もなんかちょっとその辺は重なるのかなという気はしますけど、やっぱり不完全であることなのかなっていうのをこの作品を見てると思ってしまいました。
僕はね昔から完璧が好きなんですよ。完璧が好き。完璧が好き。完璧なものが好きみたいなふうにずっと思ってて、自分は完璧になりたいと。
もう何もかも完璧にこなしたいと思っていたんだけれども、それは無理だから。でもその無理なこと、それが無理なところがまた人間の面白いところなのかなっていう。
またその無理だとわかってるものに、それでもなんか立ち向かっちゃうところが人間の面白いところというかかっこいいところなのかもしれないとか。
そんなことをちょっと思ってしまうんですよね。例えばだけど、僕がその中学時代に恋をしていた子は、僕の目から見ると完璧なんですよ。
露骨に首をかしげないでもらいたいんですけど、でも多分完璧じゃないんですよね。でもそこがまた愛らしく見えるのかもしれないじゃないですか。
1:06:03
逆に言うと僕が中学時代に恋をしていたえいちさんに関しては、不完全すぎて大好きでしたね。
一歩先を行ってますねあなた。
僕は割と精神操縦タイプなんで。
それはもう一歩先の先に行った人がたどり着く愛情な気がして。ちょっとなんか早くないって思いますけど。
僕は一回精神ぶっ壊れて、そこから再構築してる人間なんで。
そうかそうか。
ちょっとコギトエリスゴも早かったのよ。
そういうことかもしれない。
そうそうそう。
本当にそこなのかもしれないなってなんとなく思ってしまいました。アンドリューの影響は絶対あると思いますけどね。
本当に。そこにこそ美しさじゃないけれども、そういうものを見出していった方が、人間社会の中の美学はきっと健全に回るような気がして。
そうだね。
それで言うと、日光東照宮の酒柱とか先行ってますよね。
酒柱ってなんだっけ?
一本だけ門の支柱が逆向きにつけられてるんですよ。
あーはいはいはいはい。
曰く完璧なものっていうのは、そこから先は崩壊が始まると。
うん。
だったら初めから完璧に作り上げなきゃいいというね。
はいはいはい。
酒柱が逆さまであり続ける限り、未完成であり続けるから、崩壊することはなく永遠に続くという。
あー。
確かホーリー作った東照もそんなことを言ってたよね。
あ、そうなの?
今、建根されたけれども、完成は何百年後だみたいな。
この木がこういう風に曲がったらこの寺は完成するみたいなことを言ってたんじゃなかったっけなっていうのを、歴史の先生が言ってた気がしなくもないんだけど。
ほんと。
なんか気のせいだったらごめん。
まあまあ、その辺は詳しい人が多分補足してくれると信じて。
そうですね。
どうですか?語ってみてもう特にないですか?最後に語り残したことというか。
そうだね。この映画を見てアンドリューに関してポーラ…ポーラ?
ポーシャ。
ポーシャだね。ポーシャがこう人間らしさっていうところを語るし、さっきマコちゃんも言ってたんだけどさ、この間違えることこそ人間なんだっていう言葉があったじゃない。
うん。
すごくなんか僕すごく救われて、あ、もう夜中にラーメン食べていいんだって、そう思いました。
趣味についてかかる1時間ポケットで沼を。このポッドキャストではメインパーソナリティの箱べらがあらゆる趣味にハマってしまう沼リビットことスワンプマンを月間にメジャーなスポーツからマイナーな食品に至るまでゆっくり語り続けます。
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