わかる。ペラペラのやつ。
紅生姜のフライ。あれめっちゃ美味いんだけど、こっちだとあんまりなくて。
確かにさ、串揚げそれこそ、大阪の串カツ屋さんあるじゃない?
あれがこっちに来るまではあんまり食べれなかったけど、俺福岡時代はなんか普通におやつとしてその辺のお惣菜屋さんに絶対あったらいいなって覚えがある
あとなんかもう真っ赤になるほど紅生姜が入ってるさつま揚げみたいなやつ、紅生姜天
あれもあんまりこっちじゃ見かけなくて 確かに確かに
なんかね意外とやっぱり食文化って差が地域によって出てくるみたいなところはあって、たまにすっごい口恋しくなってですね
串かつ屋さんとか行ったりだとかして、紅生姜成分を補給したりみたいなことよくありますね
もうやっぱりみんなねあの 業務スーパー行って
馬鹿みたいな量の紅生姜買うべきですよ そうですね
意外と無くなるから まあそう食生活が変わるというねその代わりね
豊かになる 豊かになるならいいんですけど、やっぱり監修みたいなものをしっかりと守りたい人はあえて手は出さない方がいいかもしれないですね
それで生活変わっちゃうから まあそうね、特に料理を作ってもらってる旦那様は
あんまりこの紅生姜をいろんなものに付け合わせすぎると嫌がる奥様もいらっしゃるからかもしれないしね
あまりその味変がちょっと嫌な奥様って結構世の中にいらっしゃるらしいじゃないですかツイッターとかで見ると
余計なことすなみたいなねありますからね はいはいはい
「うるせえ!」 うるせえ言われるなっていう強い意思を持った人だけが業務スーパーに行っていただければというようなところですか
今日なんかね非常にね、本題につなげにくいイントロなんですけど
どうしたらいいのかなっていう、今ちょっとこうどうしたらいいのかなっていう気持ちしかないんですけど
まあ… しょう…しょうがないね
もうね、今時ね、あの昭和おじも言わねえよそんなの
笑
しょうがないねみたいなね、ちょっとこうわかりやすいように区切って言っちゃうとかいうそういうところもちょっとまた昭和感があって素晴らしいんですけど
まあ前回はね、バックトゥーザフューチャーで世代間ギャップみたいなお話をいたしましたけれども
今回はですね、土着のね、まあ習俗であったりだとか
あるいは地域の慣習みたいなところが多少なりとも関わってくるような
まあトークになってくるんじゃないかなというふうには思いますけれどもね
そんなお話ができたらなと思いつつ早速本題に進んでいきたいと思います
まあちょっとジャブ的なお話になりますが、いわゆるですね、考察系ホラーだと思うんですね。
でね、この度ですね、僕はこの作品を見る前段階として、ちょっと知人からですね、
婚姻にしている知人からですね、ホラー小説をお勧められたんですよ。
近畿地方のある場所についてっていう。
なんかツイッターとかで流行ったよね、それね。
そうこれね、ちょっとだいぶ話題になったみたいで、もともとなんか小説家になろう的な、
書く読むっていう、要は無料で投稿ができるね、小説サイトに投稿された作品らしくて、
今でも多分無料で読めるんじゃないかなと思うんですよ。
瀬須寺さんっていう方が書いていて。
で、はい、瀬須寺さん、瀬須寺ピンではなくて、その瀬須寺さんが書いたそこの作品がだいぶ話題になって、
まあ書籍化され、今はまた映像化されている。
はい、今映画館で見れるみたいなんですけれども、これを読ませていただいたんですね。
はいはいはい。
怖いから代わりに読んでみたいな感じで。
本当?
代わりにじゃないか。最後のページは怖くて開けないから、一緒に読んでもらった上で一緒に見たいみたいな話がありまして、
ちょいちょい読むわっつって読んでみたんですけど、これがですね、いわゆるその考察系ホラーだったんですね。
この考察系ホラーって一体何なのかっていう話になるんですけど、
ホラーとかいわゆる怪談の類って、なんだかんだでよくわからないからこそ怖いみたいな節もあるわけですよ。
幽霊の正体を見たり枯れお花じゃないですけれども、
全てが明らかになると、かえって怖くなくなってしまうっていう、そういうものもあると思うんですね。
そういったホラーの持ってる欠陥みたいな部分を上手に回避するのがこの点の考察系ホラーだと思っていて、
すなわちどういうことかっていうと、描写の中で全てが明らかにならないんですね。
いくつかのパズルピースが、さもその背景の何かによって繋がっているかのように描かれる。
それはおそらく一定の実像を持っていそうなんだけれども、ところどころ描写がブレていて、他の解釈もできるようになっている。
だから最終的に本当の真相っていうものがどこにあるのかっていうのは、
絶対にさまざまな読者あるいは鑑賞者の中で一つの答えにはたどり着かない、みたいな。
つまり何が言いたいかっていうと、いわゆるエンタメとアートの狭間的なところにあって、
ホラーというジャンルであるんだけれども、そこに解釈によって成立がするゾーンっていうものを一部用意してあるわけですよ、背景として。
だから読み手が一定の答えにたどり着くんじゃなくて、ある程度ここら辺のゾーンにはたどり着けるけれども、
そのゾーンの先に関しては、あえて明らかにしないでぼかしておくことで、読み手たちが勝手にそこを推察して、ああでもない、こうでもないって語る。
その語りが楽しみ方のもう一つのステージになっている。
そういう話で言うと、映画って見て楽しむものではあるんだけれども、見た後に語らう楽しさっていうものは確かにあるんだよね。
ただ、今回のこの考察系ホラーっていうのは、まさにそこを主戦場にしているタイプのホラー。
だから小説に関しても読んで終わりじゃなくて、読んだ後これをどう解釈するかっていうのをホラーファンタジーが語り合って、ああでもない、こうでもないするっていうのをむしろ主戦場にしている。
そういうタイプのホラーが実は今、主流になってきているという。
この流れって結構面白いなって僕は個人的に思ってるのね。
一体何かっていうと、階段の類って江戸時代の頃のものっていうのはやっぱり背景がはっきりしてるんですね。
人の恨みだったりだとか、恨みを買うことによってそれが自分に返ってくるみたいな。
人を呪わば穴二つ的なね、あるいは因果応報的な構造をしているのが古くから親しまれてきた階段なんだけれども、
現代階段っていうものが新耳袋あたりから広がっていく中で、むしろ理不尽な回位っていうものがむしろ主流になっていく。
これは一体何があるのかっていうと背景には、おそらくは人間社会が変わったことなんだよね。
つまりは例えば大家族で、なおかつ集落、村社会っていうものが機能していた時代においては、人と人との関わりっていうものこそが恐ろしさを生む。
誰かとどう関わるかっていうことが非常に恨みを生み出す可能性があるから。
人間対人間と深く関わるのが当たり前だから、その中で円滑なコミュニケーションが取れなくなること、あるいはその中で祖母が生まれてしまって人から恨まれることへの恐怖っていうものが、
おそらく階段に結びついていたんじゃないのかと。ところが現代になってくると、むしろそこらへんは希薄化していくんだよね。
つまり相手のことを対して知らなくても別に社会は成り立っていくわけで、各家族化し社会構成も飛騨化することで一つ一つの繋がりが希薄化していくわけだ。
そうすると別に繋がりに対する恐怖はないわけよ、別に繋がってなくても社会は動いていくから。
じゃあ何に恐怖するかっていうと、自分に何の日もないのに襲いかかってくるものへの恐怖になる。
このあたりはおそらく1990年代あたりから連続殺人みたいな
シリアルキラーの問題とかが出てくるわけですよね
迷いがについてはあんまり全然記憶してないですね
確かにねその辺のなんかがっつりした回というわけでもないし
結構何て言うんだろうな害を及ぼすタイプの回ではあんまりなかったりするので
マイナっちゃマイナーな回の一つではあるけれども
なぜか日本全国どこでも迷いがと言われるような伝承
その迷いがに近いような伝承っていうのは結構淡々とあるっていうところが面白いところだな
あれですよね特定の手順を踏まなければとか条件付きで行くことができる
でも普通はいけないよみたいなそういういわゆる卑怯の地みたいな伝承っていうのは
日本に限らず世界中にもあるよね
日本で言ったら例えば浦島太郎の竜宮城もそのうちの一つだと思うし
あれも元は中国から伝承として伝わってきているはずだし
あとまあそうだな例えば何があったっけな
でもそれで言うと中国で言うと蓬莱山とかもそうじゃない
だからいわゆる桃源郷とかもそうだよね
そういうところに多分つながっているのは卑怯伝承みたいなもののうちの一つとして
その迷いがっていうものが設定されているのかなって気がしましたね今聞いていた
そうだねあとは結構ヨーロッパ地方とかだと
妖精の国っていうのはよく出てくるかなと思うんですよね
次ちょっと山岳信仰とかの話にちょっと移っていくんですけども
やっぱり日本で山がやっぱり多いので
日本で古来から山っていうのは神の宿る聖地っていう風にされていて
登山とかっていうようなものっていうのでレジャーとして楽しまれるのって結構最近だったんですよね
それまではどうされてたかっていうとやっぱり崇拝とか修行の対象っていう風なところになってましたと
やっぱり信仰としてはやっぱり有名なところで言うとやっぱり富士山であったりとか
立山連邦だったり白山とか熊野山山とか吉野とか大宝とかっていうようなところが
実際に神様として信仰されているし今でも守玄道っていうね
ところの修行場としてもやっぱり使われていると
山頂とか特定の地域っていうのは神域っていう風にされていて
立山寺の立ち入りが禁じられるような禁則地っていうところも多かったりするんですね
例としては奈良の大社の神宮の奥神宮とか
勝賀大社の御二山って言うんだっけな
あるいは大原山とかっていうところが挙げられると思うんですけども
そういう風にやっぱりこの山っていうのは恐れの多い場所みたいなところで
神に神住まう場所というところが昔から言われていたと
人情みたいなものではなく定められた機能を
定められたように執行するものとしての役割としての業者
という言葉を使っています
町情緒あふれる業者さんじゃなくてもうマニュアル通りにはいはいいただきました
はいって感じの業者として不要品回収業者としてね
僕は解釈いたしましたということでお話していくんですけれども
とりあえずこの作品における山っていうのは不要物を受け取る神としての
機能を持っているんじゃないのかただここでちょっと僕が整理をしておきたいのは
神と鬼というこの2つの神聖に関するお話なんですけれども
もとより神とするものと鬼とするもの
これ両方とも言葉の意味合いとしては
時代性だったりだとかあるいは文脈によって全く異なる捉えられ方を
されることがあるんですけれども基本ですね
まだ宗教的な構図っていうものが完全に整理をされる前段階における
要はアニミズム的な世界観においては神と鬼っていうものって基本的にはあんまり
線引きがはっきりしていないものが多いですよっていう話を先週したんですけれども
改めてもう一回言いますすなわち
人間からすると理解ができないというか手が及ばない
超自然的な力あるいは自然そのものの力っていうものに対して
人間はそれに恐れっていうものを抱きつつも信仰という形へと高めていくと
ただその恐れっていうものはやはりですね
二通りあってすなわちですね恵みをもたらすものに関しては
これを神としあるいは災いをもたらすものを鬼と呼ぶ
どちらも基本的には大きな力人間に及ばない大きな力っていうところではイコールで結ばれるんだけれども
それが解釈者である人間がそれを恵みと見るか災いと見るかによって
神と鬼っていうのはどちらにも触れるんじゃないのかっていうふうなお話をさせていただいております
このあたりに関してはかつてですね僕がめちゃくちゃ大好きでよく見ていたですね
ダークサイドミステリーというBSでやってた素晴らしい番組があるんですね
実に素晴らしい番組ですねこれの中で鬼について語られた回があるんですけれども
ここでその神と鬼の極めてですねなんていうのかな
グレースケール的なというか明確な正義がないよねっていうところのお話は実はされていたりしたので
そこがですね僕はこの作品を見ていく中で非常にちらついた部分だったりするんですね
というのも今回のこの山ミシングチャイルドビデオテープの中では
舞台としてこの山が大きな意味合いを持ってくるんですけれども
本作における山っていうのは神という解釈もできれば鬼という解釈もできるのではないかと
いうふうな見立てなんですね
例えば山に関しては大間が大前提としてお話をしてくれたところでもあるんですけれども
いわゆる人里と異界とのちょうど境界にあるような機能を持っているのが山であり
だからこそ山にまつわるさまざまな言い伝えだったりだとか
いろいろな機能を持っているのが山であり
山にまつわるさまざまな言い伝えであったりだとかあるいは神話であったり
あるいはそれにまつわるような現象であったりっていうものが
日本各地でもたくさん見られるとそのうちの一つとして有名なのが
大間も話してくれたけど奪わせて山に見られるようないわゆる人間が都合良くですね
この山っていう何もかも隠してしまうような大きなる存在に対して
自らが持ち合わせているけがれであったりだとかあるいは秘密にまつわるようなものを送り出して
受け取ってもらうっていうふうなそういう機能ですね
例えば奪わせ伝説のような明確にこういった風習があったとされているものではなくて
古い民話だとか習俗としてこういうものがあったみたいなものを前提としたお話は残ってるんだけれども
ただこういうことっていうのはおおむねあっても何もおかしくはないよねと
この話もどこまでしたか全然覚えてないんだけどね
全然覚えてないんだけど覚えてないからもう一回繰り返しになっちゃうかもしれないけれども
狩猟祭習民俗においては口減らしのために集団の中で最もですね
集団への寄与するような力を持ち合わせていないものを切り捨てるっていうふうな判断っていうのは
極めて自然な形でというか
慣例的に行われてきていたっていうことがはっきりしています
これに関しては僕は最近読んだサピエンス全史という本の中で
一族だったかな人類学的なところで狩猟祭習の生活を依然として行っている民族に対する調査の中で
そういった種が見られるみたいなお話も出てきたような気がしますけれども
そういった中で日本の集落の中でも当然奪捨てっていうふうに年老いた女性っていうものに
この場合は限定されますけれども
それ以外にも口減らしのために生まれた赤子を早い段階でくびり殺してしまうみたいな
そんな判断もかつてされていたであろうことは自然と理解ができるし
そういった中で山っていう全てを覆い隠すような存在が
人間にとって都合よく扱われてきたっていう部分もあるんじゃないのかというふうなお話ですね
この場合の山っていうのは都合よく解釈すると人間としてはそれを神として
要するに神の一部として取り込んでもらった
あるいは全てを山のせいにして山によって取り立てられてしまった
つまり山を鬼として見立てて山に取られてしまったっていうふうな扱い方がされたのではないのか
いずれにしても起きている出来事は全く一緒なんだけれども
解釈者によってそれは神とされるか鬼とされるかっていうのは
簡単にコロコロと変わるようなものなんじゃないのかと
そのあたりがやっぱり日本の神の捉え方としては非常に面白くて
あらみ玉とにぎみ玉みたいなお話もあるように祀れば福の神だし
それを怠ればたたり神にもなり
当然神との対話の中で触るの神にたたりなしみたいな
そんな言葉が出てくるように神は絶対的なもののように描かれてはいるんだけれども
人間との距離感っていうものは結構生活の一部として機能しているし
なおかつ触れようとしなければ別に触れなくてもいいようなもののような
そんな扱い方もしていて結構この辺ってかなりファジーな関係性っていうものが
日本の場合はすごく構築されてきたんじゃないのかなっていう気がするんですね
つまり神の存在によって人間の行動が縛られるというよりは
神は神として機能しているし
それを人間がどう扱うかっていうものの主導権が結構人間に
あったりする部分もあるんじゃないのかっていうところが結構面白い側面なんじゃないのかなという気がしています
ここから本来的なミッシングチャイルドビデオテープのお話になってくるんだけれども
この子供の語りの中でそういった山の特性っていうものが一体どのように機能しているのかっていうことをちょっと整理していきたいんですね
山の中に消えていった人物っていうものがこの作品の中でいく人が出てくるんだけれども
特に中心になるのはやはり主人公の桂太と弟の日向です
桂太は話の冒頭で明らかにされるようにかつて山に踏み込んでいったと
その中で弟の日向がついてきたと
別に桂太が連れ込んだわけではないんだけれども日向がついてきてしまった
そしてその際のビデオテープっていうのを桂太自身が回していて
そのビデオテープがこの作品の冒頭部分で長回しで出てくるわけなんだけれども
ビデオテープの中での言動はかなりついてきてしまう弟に対して
それを邪剣にするような言動が表出しているわけですよね
こういった関係性っていうものって結構兄弟を持っている人からすると
あるよねみたいな感じで結構うんうんって感じになると思うんですよ
残念なことにですね僕は兄弟いるんですけれども下なので
上の兄弟じゃないので自分が下なんでね
そういうことねびっくりした
自分が下なので上がどういうふうに下を見ているのかっていうのを主体的な感覚で知ることはできない
まこちゃんの説を考えてそこの部分を読み取るとものすごいこれ
用できてるなって気がするんだよね
つかさを捨てたのがケータであればそうだよね
僕自身もそう思ったんですよケータだろうなって思ったんだけど
人によっては見方に変わるから
つかさを捨てたのが一体誰だったのかっていうところも結構議論の余地がある部分かもしれないと
ゆきは知ってるんですよ
例えばつかさ自身がつかさを捨てたケースも考え得るんじゃないのかみたいな
ところもあったりすると思うんでね
つまりは結局ケータを一番近くにいながら一番理解してたつもりなのに
救いきれていないっていうことに対する絶望から自ら
なんて自分は使えないやつなんだみたいなふうに思っていたら
つかさ自身がつかさを捨てるっていうケースも考えられなくもない
この辺はちょっと僕も深めてないから何とも言えないんだけれども
この辺は要は山は捨てたものを引き受ける機能を持ってるっていうところは
たぶん誰しもが気づいて最終的に理解していく部分かなというふうに思うんだけれども
それ以外のところで一体誰が何を捨てたのかっていうところは結構
見方によって変わってくるような気がするよね
あとその山の中に捨てるっていうのが
僕はあれからちょっともう一回三角進行について調べ直してたんですよ
そしたら月経を捨てるって感覚とはちょっと別なんですけれども
忌み子屋とか忌み屋っていうようなものっていうのが江戸時代だったりとかっていうところぐらいから
かなり昔から古代 古代って言ってもそんな古代ではなかったと思うんですけど
僕が調べた文献の中で江戸時代にはそういう風習あったよっていうぐらいのところだったんだけど
月経中の女性が山に作られた小屋で月経中過ごすっていう風習は昔からあったみたいね
それは月経の織物を捨てるっていう感覚っていうよりかは
山に行くことで月経中っていうのは血がいっぱい出ている
つまり気が放出されているから体の中に気が足りないから
山に行って気を充足させながら体を休めましょうっていう風習はあったらしい
晴れと気の概念みたいなものがやっぱり日本には古くからあるわけで
血が出ていくっていうことに対する気を感じるところが多分あったのかもしれないし
それを神域としての機能を果たしている山に持ち込むことによって
それを引き取ってもらうみたいな多分発想なのかなって気はなんとなくするよね
やっぱりお母さん問題っていうのは結構この作品においては付きまとっていて
お母さんの死みたいなものがもう少し上手に描けたかったのかなみたいな
お母さんは本当に最後の最後で初めて死んでいたことが明らかになるみたいなのが全然良かったし
一生生きているんだけれどもずっとすれ違い続けている
ケータ自身が自らの罪の過剰から完全に自分だけの世界に陥っているからみたいな
いろんな表現の仕方あったんだろうけれども
ちょっとお母さん幽霊はうるさかったよねっていうのもやっぱりどうしてもあったね
やっぱり見せない恐怖は見せない恐怖で突き詰めてほしいよね
これが入ってくることでちょっとうーんっていう感じになってしまう
もしお母さんを生き残らせるんだったら
僕だったら最後に司がお母さんに会うか電話するかして
母さん日向のとこ行ってみようかって言って山に連れて行こうとするみたいな
で終了するみたいな
司じゃなくてケータね
ケータだ
そういう連鎖が起きていくみたいな感じのも面白いかもしれないけれども
リングのラスト思いを起こす
まだ続くみたいな
どっちにしてもやっぱり山は一体何だったのかっていうところをしっかりと大事にして表現していてほしかったし
僕の解釈においてはやっぱりあくまでステル主体は人間であるという
自ら不要だと判断してしまうことの恐ろしさ
その人間の感情が持っているどこまでもドライな感覚
本来そんなことを考えるのはものすごく近畿的なというかさ
そんなことを考えるのってどうなのって思う自分がいるはずなのに邪魔だな要らないなっていう風に
一瞬でも純粋にしてしまうその感覚の恐ろしさみたいなものに
フォーカスをして描いていってくれた方が面白かったなっていうのは正直思いましたよということで
私からの山不要品回収業者説以上になります
ありがとうございます
というわけでこれでやっぱり1時間かかってるんですよね
かかりますね
ただやっぱりこの1時間かかるっていうことが
この作品は一応成功しているということの証でもあるかなという気がしますよ
いろんな解釈を生み出してそこから作品に通じつまがどうあってくるのかみたいなことを楽しむみたいな
この場でやってることっていうのはまさしく今全盛期を迎えている深読みホラー界隈の
狙っていることですから我々は今まさに手のひらの上で転がされてるわけですよね
嬉しいね
嬉しいですね
あとはあれですよ今絶賛上映中の近畿地方のある地域についてみたいなのも
深読みホラーになるので原作読んだ限りは深読みホラーだったので