2025-08-20 1:23:24

【Replay】復讐劇『#Revenant』グラスが最後に見たものは何だったのか? [Replay] Revenge Tale #TheRevenant – What Was the Last Thing Glass Saw?

You all have stolen everything from us. Everything The land. The animals.

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映画談義ポッドキャストパーソナリティまこです。

今回は #ポケ沼 よりオーマを迎えての収録です。

#レヴェナント 蘇りし者 について。

前回に引き続き復讐ものですが毛色が違いますね。

本作も高く評価された一品。

信仰や生き様。復讐心との葛藤。明確なメッセージを取り巻く暗喩的イメージカット。

なんかわかった気がしてたんだけど……ラストシーンこれなんなん?

復讐は何も生まねえ!

って少年漫画の主人公がよく言うけどその言葉の本質って何なんだろう。

信仰が異なるもの達が交錯するときそこに生まれる歪って?

お楽しみください。

#revenant

#LeonardoDiCaprio

#レヴェナント

#アメリカインディアン

#自然信仰

#animism

#入植

#フランス

#復讐劇

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podcasterの まこ(@_macobana)が、メインチャンネル『ポケットに沼を』(⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#ポケ沼⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ )では語り足りないアレコレを一人語りするポッドキャスト番組、『#よもやまこばなし 』(#まこばな )にて展開された映画談義がついに専門チャンネルに。

語りたい映画なんて尽きることない!

エピソードの公開は毎週or隔週となります。


ご感想は是非 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#リルパル #ReelPalツイートをお願いします。

いただいたツイートは番組の中で取り上げることがあります。

テーマトーク投稿フォームはこちら↓

https://forms.gle/4PT2GBA7TY8vAoCx7


直接のメッセージを送る場合はこちらまで↓

⁠⁠yomoyamakobanashi@gmail.com⁠⁠


これからも番組をよろしくお願いします。


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"You all have stolen everything from us. Everything. The land. The animals."

Hey, it’s Mako, your friendly neighborhood movie podcaster.
This time, I’ve got Oma from #ポケ沼 joining me for a deep dive into The Revenant.

Yeah, it’s another revenge story— but trust me, this one hits different.
It’s a critically acclaimed beast: faith, survival, the inner war between clinging to vengeance and letting go… all layered with symbolic, haunting imagery.

thought I had it figured out… but seriously, what was that last scene about?
You know that line manga heroes are always shouting— “Revenge won’t bring you anything!”?
Well, what’s the real truth behind that?

And what happens when people with totally different beliefs and faiths collide?
The distortions that rise up from that clash… man, it’s worth unpacking.

Stick around— this one’s gonna get intense.

#TheRevenant
#LeonardoDiCaprio
#AmericanIndian
#NatureWorship
#Animism
#Colonization
#FrenchHistory
#RevengeStory

I’m Mako (@_macobana), your host for “Yomoyama Kobanashi”— a spin-off of my main show “Pocket ni Numa wo” (#ポケ沼).
This is where I go off on the movie thoughts I couldn’t cram into the main channel.
Sometimes I bring in guests, sometimes it’s just me talking your ears off.

New episodes drop weekly or bi-weekly— whenever I’ve got something worth talking about.

Got thoughts? Tweet them with #リルパル or #ReelPal and I might just read them on the show.
Got a topic you want me to cover? Drop it here:
https://forms.gle/4PT2GBA7TY8vAoCx7

Or just slide into my inbox: yomoyamakobanashi@gmail.com

Thanks for listening— and for sticking with the show.


00:04
Reel Friends in TOKYO バックナンバー 過去のエピソードをプレイバック!
はい、ということで本日のテーマは、『Revenant』グラスが最後に見たものは何だったのか、です。
はい、ということで。
はい、最後に見たものは何でしょうね。
はい、ということで、『Revenant』復讐者について今日は語っていきたいと思います。
はい。
前回がジャンゴ繋が…
え?繋がれし者だったっけ?繋がれざる者じゃない。
アンチェインド。繋がれちゃダメだよ。繋がれざる者。びっくりした。
チェインしちゃダメ。
チェインドじゃダメですわ。アンチェインドだからね。
今回は、蘇りし者ということで。
ちょっとね、物繋がりできちゃいましたけどどうなんすかね。レオナルド繋がりでもありますね。
そうね。
そんなわけで早速ですが、まずはあらすじから。
はい。
ちょっと問題があってね、先週休んだんで、見終わったの先週なんですよね〇〇。
僕もそう。
そう、ちょっと今日は怪しくない?大丈夫?
ちょっと怖いね。
わかるよね、見終わった瞬間の熱量と1週間置いた時の熱量って微妙にやっぱ違うよね。
微妙どころかって話だね。
今、自分がメモしてる内容をね、ちょっと収録、まこちゃんが来る前にザーッと読み直したんだけど、
あれ俺こんなこと書いてたっけ?いっぱい書いてあった。
そうなー、大丈夫かーっていうのをちょっと思いつつでいきますが。はい、じゃあまあ行きましょう。
グリーカー京都なんか書いたっけ?なんかよくわかんないこと書いてた。まあいいや。はい、じゃあ2分間。
行きましょう、2分間、はい。
よーい、ドン。
はい、ということで今回見たのは、映画レベナント、よみがえりし者です。
レオナルド・ディカプリオが主演、そしてアカデミー賞も受賞した、主演男優賞を受賞した作品になります。
有名なタイトルなので見たことがある方も多いかなというふうに思いますが、舞台は1820年代のアメリカ西部です。
ヒュー・グラスという主人公が繰り広げる壮絶な生存と復讐の物語となっております。
毛皮の攻撃を行っている一団の道案内人を務めていたグラスは、熊に襲われて重傷を負って、その後仲間に見捨てられてしまいます。
特にですね、そんな中で彼の息子、インディアントの婚欠である息子が殺され、彼はジョン・フィッツ・ジェラルドという男に復讐心を抱きます。
瀕死の重傷からまさに奇跡的に生還したグラスは、その後、極寒の荒野を這いずりながら必死に前に進み、少しずつ傷を癒しながらフィッツ・ジェラルドを追い詰めていきます。
最終的に彼はですね、毛皮攻撃団のアジトまで戻ってくることに成功し、その後逃走したフィッツ・ジェラルドを追いかけていきます。
03:09
最終的に1対1の戦いへと発展していくのですが、最後彼は復讐を成し遂げるのか否か、ここですね、微妙な心を結構雄大な自然の中で描いている作品となっております。
とにかく見どころとしてはレオナルド・ディカプリオの渾身の演技、そして熊野を襲撃シーンに見られるような、どうやって撮影したのと思わせるようなダイナミックな映像の数々。
レヴェナント、復讐と生存、そして人間と自然との関係を描いた力強い作品を皆さんお見逃しなく。
面白いよ!見てね!
ちょっといいですか?
あのさ、残り30秒からの引き伸ばしを。
俺もライトマンだけどね。
何のことかよくわかんないな。
もうあらすじが1分半ぐらい、ちょうど1分半のところであらすじ全部言い終わって、残り30秒に関しては引き伸ばしましたよね。
喋ってたらね、気がついたらなんかいい感じにまとまりそうな展開になっちゃって。
で、もう終わろうかと思ったらまだ30秒あったんで。
どうしたらいいのかなみたいな感じになっちゃいましたね。
すいません。すいませんでした。
はい、というわけで。
許そう。
じゃあ早速ですがやっていきますか。
今回の作品のメインテーマというか、ストーリーでも結構様々なメタファーであったりだとか、
あるいはキリスト教的な思想、あるいはネイティブアメリカン的な思想っていうものが渦巻いていて、
そのあたりに突っ込んでいくと結構展開していってしまうので、
とりあえずフワッとしたところで、これはちょっと褒めたいというかマジすごくないっていうところをちょいだしして、そこから本題に入りましょう。
OKです。
僕どうしても言いたいんですけど。
僕もね1個だけちょっとあって。
じゃんけんぽん!
じゃんけんぽん!
じゃんけんぽん!
あいこでしょ。
あいこでしょ。
熊とのバトルシーンあれどうやって撮影してんの?
あれやばない?
あれってさ、だってCGにしたとしてもよ。
CGにしたとしてもそのグリーンカーテンというかさ、
グリーンカーテンなのか、とりあえずグリーン熊を操る人間がいなきゃいけないってことでしょ?
06:06
だからさ、多分だけど、分かんないのはやっぱり、僕がね想像したこの撮影どうやったかは、
まずリカプリオに特殊メイクを施して、背中の肉とかのあたりの傷ついたら血が出るみたいな処理をしておく。
だからCGじゃなくてあえて生物を使った方がいいんじゃないのかなみたいな。
で、そしてモーションキャプチャーができるようなスーツを着たアクターに熊役をやってもらってプリオを襲う。
で、最終的にはそのCGの熊をそこに乗っけていくっていうようなイメージがあったんだけど、
でもあそこ泥まみれだったりするじゃない?
そう、しかも戦闘中にどんどん汚れていくじゃん。本当に熊と戦ってたんじゃない?
とさえ思わせるような本当にとんでもないシーンで、ついにここまで来たんだなっていうのを僕はすごく感じたのね、映像表現が。
僕が以前にすごい感動したのは、スパイダーマン2のドクターオクトパスとスパイダーマンがビルの側面にへばりつきながら銃を無事に戦うシーンですごい感動したんですよ。
カメラがどこにあるのかわからないというか、本当にCGを使って動かしてるからこそできる。
いやもうここまで来たんだなっていうふうに思ったんですけど、もう時代はもう2世代3世代も後になってですね、ここまでリアルな表現ができるようになったんだなっていうすごい感動して。
とにかくえげつないんですよ。
で、そしてこれがただえげつないだけのシーンで、それで終わりだったら、まあ汎用な映画で終わったんでしょうけど、やっぱりここのシーンが、ここでのこの天末っていうのが後に生きてくるというところを考えてみると、
やっぱりこのクマとの戦いのシーンっていうのが、ものすごいリアリティで描かれることの意味っていうのが、やっぱり二重三重に効いてくるんじゃないのかなっていうふうに思って。
いやもう外せないシーンだなと思う。しかもそれが結構序盤にあるので、ぜひちょっと見ていただきたいなって思うんですけど、全体的にグロいですよねこの作品ね。
なんていうんだろうな、汚いものをちゃんと汚く描いてくれた映画だよね。
だから一番僕すげえなと思ったのが、レオナルド・ディカプリオって確かベジタリアンじゃない?
09:02
あ、そうだっけ?
ん?違ったっけ?
これ違ったらごめんね。確か俺ベジタリアンだと思ってたんだけどさ、生肉は食うわ、生魚は食うわで、よくこのシーンオッケーして撮影したなっていうのが。
ほんとだ、ベジタリアン向けの食材を作る企業にとか書いてある。
そんな話聞いたことあってさ、よう生肉食ったなとかさ、生魚のさ、しかもこの腹肌の部分からがじりつくじゃない?
指輪物語にゴラムがごとくさ。
てかなんかもう、バイソンの生肉を自家食いみたいな、って言いながら。あれガチですか?
まあバイソンではないにしろ、何かしらの肉っぽそうじゃなかった?
ですよね。ですよね。
よく特殊技術で作った食品をさ、食べさせて、実はキャンディーでしたみたいなやつって結構あるけど、
なんかこう、この映画の表現的にというかさ、なんかこう、ほんとに絶対食ってそうじゃないっていう。
ちょっと調べたら出てきました。
川で手つかみした魚をそのまま食し飢えを回避するシーンも印象的だけれど、
これなんていうの?シネマカフェさんっていうサイトなんですけど、ちょっと引用しますね。
最も衝撃的なのはベジタリアンといわれるディカプリオがバイソンの生肉を食らうシーンだろう。
このシーンの撮影にあたり撮影班は本物そっくりのゼリーで作ったレバーを用意した。
ゼリーです。
ディカプリオはそれを使うことを拒否。
リアルさを追求するため本物の生レバーを食した。
やべえな。
やっぱ生レバーでしたね。だってリアルすぎるもんあれ。
YouTubeで韓国人が生レバーを食べる動画っていうのを最近ちょっと見たんですけど。
何を探したらそれにたどり着くの?
疑問だね。
そっくりすぎて、これマジなんじゃねえのかなと思ったらやっぱりマジなんですね、これ。
ホワーってなってるのは割とマジホワーってかもしれないね。
そうだね。ガチガチみたいですよ。本気のリアクションですね。
実際今回の撮影は、もうラストのバトルでは鼻の骨を折っちゃったらしいし、本当にディカプリオ。
体張るね。
12:01
熊のシーンはワイヤーで釣って地面に叩きつけるみたいなことをしてたみたいですね。
実際に叩きつけられているということなんでしょうね。
プリオがここまでの逸材というか、本当に俳優魂の塊として耐性していくとは。
タイタニック当時、誰が予測したかという。
そうね、機構士とか呼ばれてたもんね。
日本のテレビの、本当に見た目だけで消費していく感じの、まさに下校の標的にされてましたけど。
レオ様レオ様とか言って。
やっぱ彼の本質ってそこじゃなかったよねっていうことがね、今になってわかりました。
レバー食べる人なんだよって。
そうだよ。
俺ちょっと日本の生レバーじゃなかったら、あんまり食いたくないよな、本当に。
まあでもそもそも日本だともう生レバー食べちゃいけないんじゃないですか。
飲食店で出しちゃいけなくなりましたよね、確か。
そっか。
そうそうそうそう。だからもう食べれないです。
だから生レバーを食べたい人はレベナンと撮影するしかないんですよね。
そっか、撮影するか。
パイソンいねえんだよな、もう。
ねえ、本当だよね。ちょっとパイソンはそうそういないんでね。
あとなんかあります?軽いジャブとか。
軽いジャブ?この映画見てさ、僕が一番こういうことかって、ちょっと再発見したところがあって、
ゴジラマイナス1じゃなくて、アメリカ版初代ゴジラ。
名前忘れたけど。
ゴジラキングオブザモンスターズ、はい。
それでなんかマコちゃんがさ、異国の地に来たアメリカ人の話。
だからこの未開の地の野蛮人がどうのこうのっていう話をしてたじゃない。
なんかこの映画を見て、その解像度がすごく上がった気がする。
白人っていう文化、ヨーロッパ文化からのアメリカ文化っていうところが開かれる最中のところで、
ヨーロッパからアメリカに行くところで、他の人種っていうところをどういうふうに捉えてるのかなっていうところだったりとか、
どういうふうな扱いをしてるのかなっていうのが、このジャンゴ叱り、このレベナント叱りで、
すごく歴史的背景とともに解像度がすごく上がったなっていうのが思って。
15:05
でも確かに、このジャンゴ叱り、このレベナント叱りっていうところで、
生きている人たちが日本っていうよくわかんない国っていうところに来たら、
まさにこのレベナントのグラスの気持ちとほぼ変わんないんだろうな。
でもグラスじゃないな。
グラスよりはむしろフィッツ・ジェラドとか。
フィッツ・ジェラド。グランドフィッツはあれだ、ブリッジだ。
フィッ…ごめんね。
そういうのいいから。
フィッツ・ジェラドの気持ちなんだろうなっていうのがすごいちょっと見えて、
またちょっとね、キング・オブ・オンスターズをもう一回見たいなっていう気も出てきた。
フィッツ・ジェラドという存在も決して、悪っちゃ悪なんだけど、
ただの悪として捉えるには非常にもったいない映画ですよね。
悪ではないんだよね。
戦争とか争い事って基本的にはさ、
正義と正義のぶつかり合いというか、主張と主張のぶつかり合いだから、
フィッツ・ジェラドの立場の文化の主張的には全然フィッツ・ジェラドとは間違ってないし、
アリカラ族だったりポーラー族だったりっていう立場から見た白人の敵対心だったりっていうところも全然間違ったことはない。
文化的にはね。
僕はもはや文化とか立場というのを超えて、
信仰と信仰の争いが今回のテーマになっているんじゃないのかっていうような気はしましたね。
インディアンたちが持っている信仰と、
流れてきた大陸に新たにやってきた白人たちの持っている信仰との戦いっていう2つの大きな戦いがある中に、
グラス、同じ白人であるはずのグラスの信仰と、
フィッツ・ジェラルドの持っている信仰とのぶつかり合いっていうのも同時に発生しているみたいな、
そんなイメージを持っていて、
何より、だんだんそのままぬるっと本質的なテーマに入っていきますけど、
フィッツ・ジェラルドも自分の信仰について語ってるんですよね。
リスか。
そうそう。父親が信仰を全く持っていなかった。
しかし父は遭難して、どうにもできなくなった時に木を登ったらそこで神に出会った。
神やリスだったと。
そのリスを打って食したと。
だから神って、あのエピソードは、神って何なのかっていう神の解釈になってくるのかなって気がしていて、
18:07
あのエピソードからフィッツ・ジェラルドが得たものは、結局自分自身が生きるためには周りのものを犠牲にしていくしかないのであるという、そういう信仰。
逆に言えば、自分自身が生きるためならば周りを犠牲にすることっていうのはむしろ必要なことであるという、そこの根本的な信仰が彼にはあるのかな。
そういう視点で彼の行動を全て見ていくと、彼って常に自分自身の生存のため、
ないしは周囲の自分が仲間だと思っている人間のためだったらば、どんなに冷酷な判断もできるんですよ。
ここが結構重要なところで、必ずしも自分本位というわけじゃなくて、彼自身が仲間であるって考えているのであれば、それはしっかりと手を差し伸べたりはするわけですよね。
一番初めにあいつ誰だっけ、あの若蔵。
あの若蔵を演じてる俳優さん、僕今一番注目してて。
なんかよく見る顔だよね。
最近よく見るんですよ。本当にいろんな役やってて。
純朴な青年だったり、ただのアホだったり。
僕結構アホ役でよく見るかな。
そうですね。コメディ映画で本当にまるまるアホを演じることもあったりするんですけど、それも上手なんですけど。
最近なんかあれですね、あれに出てましたね。ホラー映画に出てましたね。
サマー、何サマーだっけ。
ウォーズ?
なんちゃらサマーだったっけ、ミッドサマーか。ミッドサマーっていう映画に出てたんです。
あれも見てください。彼が生皮剥がされて死ぬんで。
彼を助けてるんですよ、一番初めに。
さらにその後ですね、彼は重傷を負ったグラスを抱えて移動していくことに対して、強く反発してるんですよね。
楽にしてやるべきだということを終始言い続けると。
最終的には同意を得ないままですね、彼を殺そうとし、留めに入った息子を視察し、その事実がその若造に伝わるとまた厄介なことになるから、
全ての事実を隠蔽してグラスを捨て、息子の死体を隠し去っていくっていうような行動に出るわけなんだけれども、
そうなる以前に彼が主張していたことっていうのは果たして間違いなのかと。
確かに最終的に彼は下手を打って、かなりずるい方法を取ったんだけれども、
全員にいる段階でグラスを見捨てるっていうような判断っていうのは必ずしも間違いではないわけですよね、見方によっては。
そうだね、登山においては基本的に見捨てるべき存在になってくるだろうし、ギリギリまで助けようっていうのはあるんだけれども、
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例えば登山だったりとかサバイバルっていう状況において、
あとはその救難活動とかっていう場面において、その一人を助けるために3人が、あるいは救護者が怪我をするような状況があるときには、
その救護対象っていうものをある程度見捨てなきゃいけない状況っていうところも生まれてきたりもするわけだから、
だから本当だったら隊長があの判断を下していかなきゃいけないんだよね、本当はね。
よく言った。そこなんだよね。この作品の中で一番不甲斐ない存在っていうのはやっぱり隊長なんだよね。
結局彼がやったことっていうのは、本来自分が下さなければならない決断を後に残った人たちに押し付けただけで、しかもそれを金っていう形でね。
金を積んでそれを任せた挙句、それを執行しなかった彼らを責める。
契約不履行だから怒るのはわかるんだけれども、本来的にはあなたがしっかりとあそこで判断していればこんな事態にはならなかったよねと。
少なくともグラスは死ぬが、何の罪も犯していないグラスの息子が死ぬなんていうことには本来なり得なかった。
このような最悪の事態を招いたのは、見方を変えれば隊長自身であるっていうふうにも全然言えちゃうんだよね。
だから彼は結局、なんであんな残念な人として描かれてるのかっていう。
おそらくはやっぱり重要な人物だから、信仰に結びつけて何かしらのメッセージが彼にもあるんだろうけど、僕はそこまでちょっと深めることはできなかったので。
そこは僕に任してください。
どうぞお願いします。
それをちょっと言う前に、フィッツ・ジェラドルの立場っていうところを、宗教には結構絡むんだけど、
メタファーとしてじゃなくて、キリスト教っていう歴史の部分からっていうところで一回ひも解きたいなと思ってて。
フィッツ・ジェラルドの立場っていうのが、マニフィスト・ディスティニーを一番多分体現しているっていうか、分かりやすく表現したのがフィッツ・ジェラルドルだと思うんだよね。
マニフィスト・ディスティニーですね。
そうです。マニフィスト・ディスティニーです。
あれですよね。白人が未開の地を開拓することこそが彼らに託された使命であるみたいな、白人が自分自身の侵略を正当化するために生まれたような思想ですよね。
そうそうそう。ネイティブ・アメリカンの土地を奪うっていうのが神の計画であると。神によって決められたことだから、ネイティブ・アメリカンをどんなに虐殺しようと、彼らは未開の地の異郷と。
24:12
だから全然殺したりとか奪ったりすることっていうのは悪魔と戦ってるようなもんだと。だからオロケイってしたのが19世紀のところでアメリカで広まったマニフィスト・ディスティニーっていう考え方なんだけども、
プロセッサーと加速の戦狂たちがこぞってね、野蛮人としてそれをキリスト教に回収させたりとか、あるいは虐殺したりっていうのが文明化の使命っていうふうにやったのがそのマニフィスト・ディスティニー。
これは結構後々にも響いてきて、アメリカを開国した後にもネイティブ・アメリカンを捕まえて、寄宿舎的な再教育をしようといって、かなり残虐なことをしたりっていうことがあったりとかもしたっていう歴史が一応アメリカの開国時のキリスト教っていう場面ではあって。
その当時のアメリカに住む人々のそういうマニフィスト・ディスティニーを語っている人っていうのが、たぶん一番表しているのがフェイス・ジェラドの主張なのかなと。
だから神っていうのは、リスだろうと何だろうといいと、ただ我々の主義主張に即している存在であるっていう、神っていう存在が目的と手段がすり替わっちゃった、宗教としての目的と手段がすり替わっちゃった状況っていうところが、
信仰のための手段じゃなくて、手段のための信仰みたいになったのが、たぶんそのぐらいの時期になったのかなっていうところがあって。たぶんそういう存在なのかなと思ってて。
でもグラスっていうのもさ、結局はネイティブ・アメリカンと結ばれて子供を授かったって言ってるけれども、現在を抱えている存在でもあったじゃない。
と言いますと。
例えばだけど、何て言いだろうな。たびたび妄想シーンが出てくるじゃない。その妄想シーンで出てくるのってパイソンの死体の山だったりとか。
バイソンじゃなくて、パイソンはヘビになっちゃうね。
そうですね。ヘビじゃなくて、こっちのほう。
バイソンですね。アメリカのバイソン。
当時、自分らが食べる目的でも捕まえてたし、ネイティブ・アメリカンの食料を奪うみたいな形で、バイソンを大量虐殺的な感じでシャレ神戸の山作って遊んでたのが確か白人だったと思うんだけども。
27:12
そうですね。スポーツ目的でもあったりしますね。彼らはスポーツで銃撃ちますんで。
すげえな。
僕、バイソンが絶滅しかけるドキュメンタリー見たことあるんですけど、やっぱりレベチですね。本当に骨の山。
その一個一個が全部頭蓋骨。全部じゃないです。頭蓋骨で山ができるんですよ。
すごいよね。
絶滅内容を飼ってるんですね。アメリカ全土で数百頭レベルまで一回下がっちゃったんでね。
まだ絶滅してないの?
してないんです。その後、なんとか増やして増やして、今50万頭ぐらいまで戻ってるっていう。絶滅までいかなかったんですよ。
僕、絶滅したと思ってた。
してないです。
してなかったんですか?
してないです。一応。
元より温厚な生き物なんで、狩りやすかったんでしょうけれども。
そのあたりがやっぱり本当にすごいよね。倫理みたいなものが存在してないんだなっていうのをすごい感じるんですけど、
そんな彼らがサブエッジズとネイティブアメリカを呼ぶという、そのあたりですよね。
そう。当時の入職者っていうの?入職者たちの独立戦争っていうか、フランスと戦争したよね?
そうですね。1779年ですね。
1776年か。
のちょい前っていう設定になるんだよね。
そうですね。まだ全然独立じゃない状況ですよね。
そもそもフランスとインディアンとの間に良好な関係があるので、まだ独立戦争ではないですね。
そのあたりでいうと、それ以前になるんじゃないかなと思います。
その辺のグラスの立ち位置っていうのの現在っていうところもあったけども、
グラスは確かに現在を抱えている人だけれども、そこから土地の信仰と交じろうとした人間っていうのと、
その時代を象徴するようなマニフィストデスニーっていうものを、
もう地でずっと抱えているよっていう人とのすごく対比なのかなっていうところがあった気がします。
30:05
たぶん一番そういうことなんだろうなと思ったのが、
Revenge is in God's hands, not mine?
復讐は神に委ねられた私は関係ないっていう言葉がね。
あれどこで出てきたんだっけ。
最後のフィッツ・ゼラルドを殺すか殺さないかみたいなところで川に流すじゃない。
その時にリカプリオがボソッという言葉があって、
これっていうのは聖パウロのお手紙の内容のやつで、
聖パウロっていうのがどういう人かっていうと、
新約聖書のよく出てくるお手紙を書いた人っていう聖人のところで、
だからキリスト教の教義だったり倫理だったりっていうところを、
よくいろんな人に広めたよっていう人がいて、
その辺の話から、キリスト教っていうところが今回の話の中心なんですよっていうところ。
そのキリスト教の流れみたいなのだったりとか、
良かった面悪かった面みたいなっていうのが、
このフィッツ・ゼラルドに当てられたんじゃないかなというところですね。
そこで区切りですか。
一回とりあえず。
俺でもフィッツ・ゼラルドはそんなにキリスト教を意識してないと思ってますよね。
全然意識してない。
彼は全然自分自身を信仰してると思います。
神はいると思ってますけど、
キリスト的かなとはそんなに思わなかったですね。
たぶんマニフィストディステリーの時の、
信仰ってこういうことだったんじゃないのっていう話を体現してたんだと思うよ。
正当化はしてるとは思いますけど、
ただやっぱり彼がやってることって、
普通にキリスト教的にもアウトなことしかしてないじゃないですか。
人を騙してるし。
だからその時の信仰っていうのが、目的と手段がすり替わってるから、
だから手段のためだったら、
その信仰っていう目的自身、
信仰っていうもの自身の価値が下がっている状況が、
19世紀だったり18世紀だったりっていうところがあるっていうところだから、
僕たちはあんまりそこに疑問がない気がする。
33:01
僕はむしろキリスト教っていう、
キリスト教的な思想に振り回されているなと思ってるのは、
むしろグラス自身だなというふうに思ってました。
グラスの持ってる思想っていうのは、
彼はインディアンの妻と結ばれて、
こうなしているところから、
彼の思想って結局、
信仰にすごい揺らぎがあると思うんですよね。
元々は彼自身は当然、アメリカに渡ってきた入職者なわけだから、
元々はキリスト教的な思想を持って大陸に渡っているんだけれども、
結局ですね、
妻と結婚して子供を成して以来、
インディアンの思想に結局流入していったわけじゃないですか、彼は。
これ完全に別物じゃないですか。
インディアンっていうのは結局アニミズムに近くて、
自然進行ですよね。
そもそもそのあたりもものすごく大きく、
インディアンとかネイティブアメリカンとかぐちゃぐちゃ言ってるわけがわからないので、
インディアンで統一しますけど、
これちょっと面白い話で、
インディアンってインドだと間違えてインディアンっていう風に名前つけられてるんですけど、
そうなんだ。
そうですよ。
だって遥かインドを目指して船旅してったら、
島に着いて、大陸だここはインドに違いないと思ってインディアンって名付けたんですよ。
それマルコポーロ?
マルコポーロじゃないですよね。コロンブスじゃないですか。
コロンブスだ。
タマコの人だ。
本当はアメリカ大陸見つけたのはアメリゴ・ベスブッチみたいな話はありますけど、
とにかくインドと間違えてインディアンって名付けてるんですよね。
インドじゃないのに。
さらにインディアンっていう名前がちょっと差別的なんじゃないのかみたいな話になって、
ネイティブアメリカン、アメリカの原住民という言葉が生まれたんですけど、
そしたらインディアンの人たちの団体が挙げた声明の中に、
我々からいろんなものを奪ったのについに故障も奪うのかっていう、そういう声も上がるっていうね。
別にインディアンと呼ばれてきたことに対して別にそんな何もマイナスなことは思ってないのに、
そこに勝手に差別的であるみたいなふうに言ってネイティブアメリカみたいに名前を呼びかえるのは何事だみたいな。
別にインド生まれじゃないけどインディアンで、別に我々インディアンと呼ばれて暮らしてきたんだからインディアンでいいみたいな。
36:05
そういう話もあるので。
作品でもインディアンっていうふうに呼ばれた気がするので、インディアンでいきます。
とにかくインディアンの思想っていうものと彼は段々と繋がっていくわけですよ。
僕はすごく特徴的だなと思ったのは、結局これ復讐劇じゃないですか。
キリスト教的には復讐はゼトされてないよね。
全くもってされてないけどね。
右のほっぺた引っ叩かれたら左も出すんだっけ。左を叩かれたら右出すんだっけ。
そう言われるとちょっとドッキリしたかもしれないけど、
基本的にはパウロさんによると復讐っていうのは神が代行してくれるもんだから、
自然そのままの流れに任せなさいっていうのがキリストの教義だね。
たぶんなんだけど、最後の話しちゃうとちょっと話飛びすぎるな。
グラスは最終的に復讐をするか否かみたいなところの選択を迫られるわけじゃないですか。
キリスト教的には復讐を遂げないことが正解なわけですよね。
でもさ、このインディアン的に考えたらどうなのかしらっていうのを僕はちょっと考えてしまったんですよ。
シャーマニズム的には復讐っていう扱いってどうなってるんだろうね。
当然のことながら、作品の中でそれは語られるはずだと思って僕は見たわけよ。
そうやって見た時にですね、一番初めのクマさんシーンがすごく引っかかるんですよ。
クマさんなんでグラスを襲ったかわかりますか?
あれコグマがいたからでしょ。
コグマがいる時の母親っていうのは子供を守るために非常に童貌になってるんですよね。
それでグラスを襲って、グラスに殺されたわけですよね。
クマさん目線で言ったらそれってどうなんですかね。
っていうこと?
結局グラスにクマさんは別に悪いことしてないのに虐殺されてるわけですよ。
クマさんが?
そう。グラスはその後子供を守るために必死こいてるんだけど、その子供を守るために必死になるっていう行為は、それまさにグラスに襲いかかってきたクマがやったことと全く一緒なんですよ。
全く一緒。
そこに対して考えてないね、そうだね。
全く同じことをやってるんだよね。
グラスはそれに気づいてないんだよね。
39:03
グラスは襲われたから殺したっていうふうに思っているけれども、そもそもクマ視点で言えば子供を守るためにクマは必死になってたわけだから、それってその後描かれるグラスと全く同じことを知っているわけで。
その結果殺されてるクマ、しかもそれはグラスの手によってなされているっていうことを考えた時に、これって結構大きな意味を持つんじゃないのかっていうふうに思うんですね。
それはなぜか。
これはここに多分インディアンの思想が入ってくると思うんだけれども、インディアンのアニミズムっていうのは本当に人間っていうのを自然の本当に一部だと捉えてるんですよね。
まるっきり。
だから例えば土地を割除するみたいな思想も一切なかったわけです。
大地があり、自然があり、人間があり、動物たちがいる。
そこで生きているっていうふうなそういう理解だから、別にそれらが調和してただ皆で生きているっていうような理解なので、そういうふうに考えると、
土地を例えば使いますよってなった時に、その土地をその後高級的にその人がずっと所有するみたいな思想なんてそもそもないわけで、
そのあたりの文化的な違いっていうのが、結局入職してきた白人とインディアンとの摩擦につながっていったわけですよね。
例えば、当然白人は契約を結ぼうとする。
インディアンは契約がよくわからないわけですよね。
土地使いたいの?みたいな。
どうぞどうぞ、みんなの土地ですから、みたいな感じで契約を結んでしまう。
でも白人からしたら、それによって自分の土地が生まれたと思ってしまう。
向こうは別にそんなふうに考えてないから平気で入ってくるわけですよね。
白人から見たら平気で入ってくるインディアンは、何なんだこいつになってしまったりする。
結局そこで武力的な摩擦が起きる。
あるいはもっと裏を返して、インディアンはそういうところを疎いらしいっていうことで、一方的に契約を押し付けるような白人も当然いただろうし。
そういう思想が全然違うっていうところがまず下敷きにある中で、完全に自然と調和している人間がいるっていうふうに考えると、
結局クマとグラスも全く同じなのがインディアン的な考え方なんですよ。
っていうふうに考えると、動物だったから仕方ないとかは通用しないわけですよね。
裏を返せば、インディアン的な思想で言えばクマは死んでも仕方ないし、グラスも死んでも仕方ないわけです。
それは別にどっちが勝とうが負けようが、全然そこには何の価値もなくて、それは起きるべきことが起きているというだけの話なのかなというふうに思うんですよね。
そう考えると、インディアン的な思想においての復讐っていうのは、そもそも復讐という概念が存在するのかみたいな。
42:04
でもどうだろうね、復讐自体はあるのかなと思ってて、
例えばアリカラ族が女の人がさらわれたって言って、しかもかなりひどい扱いをされていたから、
白人をずっと追っかけてたっていうのもあるし、
あと途中で出会ったレバーくれたインディアンの人。
いましたね。
あの人も確かアリカラ族を追っかけてたんじゃなかったっけ。
仲間を集めるぜみたいなこと言ってたよね。
そうそう。
っていうのもあるから、人間同士の争い的な、復讐と呼ぶのかどうかわかんないけれども、
争いの中で生じる、切った切られたみたいなのっていうのは当然としてある文化なのかなと思ったんだよね。
でね、そのあたりを考察していくことで、最終シーンの考察もまたはかどるのかなっていうふうに僕はすごく思っているんですけど、
結局ね、グラスがやってたことっていうのは復讐の連鎖に過ぎないんじゃないのかという。
僕はそのクマさんのシーンがすごく気になったまま見続けていたら、若造いるじゃん。
若造が水筒に落書きするんですよ。
サークル描いてたね。
あれがきっかけで彼の生存がわかるんですけど、渦巻き描いてたんですよね。
近くにカタツムリがいたんで、それを描きましたよみたいな描写にはなったんだけれども、そんな渦巻きを描く必要なんてその時点ではないわけで、
あれも一つのメタファーなんだろうなと僕は思っていて。
そうですね。
あれは螺旋ですから、結局だからもうこの連鎖していく復讐の波の中にもグラスが巻き込まれているということを描いているんじゃないのかというふうに思ったんですね。
たぶんこれはちょっと僕の半分予想になってくるんだけど、ネイティブアメリカン、インディアンの中でシャーマニズムっていうのがあるんですよ。シャーマンキングのあれよ。
ありましたね。スピリットオブファイヤーみたいな。
そうそうそうそう。完全にあれの文化の中にサークルっていう概念があって。
サークルオブライフですか?
たぶんあのサークルオブライフのサークルだと思うんだけど、ちょっとアイヌ文化と似てるところもあって、人間だったりとかっていうのも自然進行の中の一つだから、生命とか自然のサイクル。
45:04
だから死んで生きてまた誕生して成長して老化して死っていうのが、宇宙の流れの中の全て循環していくんだよっていうののシンボルマークとしての渦巻き模様っていうのがよくインディアン文化でも使われるわけよね。
だからそれを案に書いていて、それをグラスが持ち続けたっていうところが象徴だったのかなと。
で、クマンっていうのも一応シャーマニズムの文化では、まず一つは家庭と母性っていう、クマは母親になるとかなり気性が荒くなるっていうところで、
家庭の守り神としての象徴っていうのもあるんだけれども、力とか知恵とかっていうのの象徴でもあり、一番ここで大きいのが再生の象徴でもあるのよ。
クマが。
そう。クマが冬眠してまた目覚めるっていうので、再生とか新たな始まりの象徴みたいなので使われたりするのね。
で、似たようなところでワシとか、なんだっけな、メモしてたんだけどな、バッファローが繁栄とか保護をやって、ワシはこの霊的な力っていうのを象徴して、クマがその再生の象徴になってるから。
最初にここでクマに襲わせたっていうのがこの再生の始まりのシーン。
で、その中で水筒をもらったことで成長老化っていうところを描いて、水筒を捨てたっていうところで、そのサークルから外れようとしたみたいなメタファーになってるのかなって僕は理解した。
なるほどね。トーテムポールとかにもワシとか使われますもんね。
でも僕はすごくね、インディアン的な思想の中では、僕は結局自然の流れに身を任せることこそが本来的には是なんじゃないのかというふうに言いたいのかなと思います。
もちろん復讐に胸を焦がしてしまうようなインディアンたちもこの作品の中にいっぱい出てくるんだけれども、すごく印象的なのは、風が吹いたら木を見なさいみたいな、亡き妻の言葉が何回も出てくるじゃないですか。
あったっけ?
いやいや、何回も出てきたじゃん。
僕が一番覚えてるのは、息をしろ。力強く。
それはグラスでしょ?
あ、そっか。
じゃなくて、亡き妻の言葉ですよ。風が吹いたら木を見なさいみたいな。枝は揺れて飛ばされそうだけど幹はビクともしないみたいな。
48:08
あー、言ってた言ってた言ってた。
グラスが息子を殺された直後も木が映ったと思うんですよ。それで。
うんうん。見上げてたよね。
めっちゃ風に揺れてるんだけれども、幹はビクともしないみたいな。
自分が壊れそうな時も結局、芯は残り続けるみたいな。
だから、強く生きろ的なね。好きなみな言い方をすると。
強く生きろ的な、自分であり続けろ的なことなのかなって僕はなんだかと思っていて。
出ないと、これはもう完全に僕の妄想にはなりますが、結局妻は何をしたかったのかということになるんですけど。
定期的に亡き妻がグラスの元に現れるんですよ。
そうだね。
その度にちょっと優しそうなんですけど。
最後の最後で、すごい嫌な顔してません?
確かに。
嫌な顔してあげると消えますよね。
うん。
で、グラスの顔もなんか、え?みたいな顔して終わるじゃないですか。
うんうんうんうん。
あれなんなんってことなんですよ。
はいはいはいはい。
症状通りに読み解くと、結局妻が期待したことをしてないからああいうことになってるんじゃないのかっていうような気がするんですよね。
うんうんうん。
そう考えた時にひょっとすると、いろんな部族が出てくるけれども、少なくとも妻がいた部族はより自然と共存するタイプの族だったのかもしれず。
うんうん。
要はその、命を取る取られるみたいなことっていうのは自然の中では当たり前だから、そのことに対して復讐誌を燃やすこと自体が本来的には別に自然ではないみたいなことを言いたかったんじゃないのかと。
僕はなんとなくそう思ったんですね。
で、そう考えると、あれだけ死の危機に瀕しているにもかかわらず、なぜグラスが死なねえのかっていうことの意味をすごく感じるんですよね。
で、一番びっくりというかやべえのは、崖から落ちて死にかけた後に、馬の臓物捨てて死体の中で寝るじゃないですか。
はいはいはい。
あのシーンも僕は段を取るために仕方なくやってることのように見えたんだけれども、でも言うならば腹から出てきて朝を迎えるみたいなのって、あれもまさに再生の象徴というか。
そうだね、確かにそうだね。
まさにもう一度生まれ変わることのメタファーになっているのかなというふうに思って、あのシーンを改めて見てみると、グラスの背景が滲むんですよ、妙に。
51:13
あれは何か神と交信してるんじゃないのかとか、自然と一体化しつつあるのかみたいなふうにちょっと思ったんですけど。
でも確かにその再生っていうイメージで言うと、あっこをきっかけに雪解けが始まってるんだよね。
すると春っていうその再生だったりとかっていうところの時間のスタートってなると、あっこで、じゃあやっぱり僕の説あってんのかもしんない。
ちょっと待って、そのまま突き進む前に、僕が理解できてないところが実はあって、背景が妙に滲む演出、もう一箇所出てくるんですよ。
これラストシーンなんです。
でね、最後に妻の幻影を見るんですけど、その直前にグラスの背景が同じように、全く同じエフェクトで滲むんですよ。
3回滲んでるってこと?
いや2回です。
2回だよね。
2回です。だから馬から生み落とされたシーン。そして最後に復讐を終えて、妻を見る直前に滲むんですよ。
で、妻に嫌な顔されて。で、グラスの顔がアップになった瞬間にまた元に戻ってるんですよ。
これはいったい何なんじゃというのがわからなくて。
僕はだから、僕の解釈としては、結局妻が、まあ風が吹いたら木を見なさいということで。
要するに自然そのものが示している生き方っていうものを歩むべきであるというような。
自然の中に復讐などないという。
己の生きる道を生きるというね、その復讐に取り憑かれることがゼではないぞという。
そういった意味で彼に生きるチャンスを何度も与えてきたんじゃないのかというふうに思うんです。
本来的にはグラス絶対死んでるから。グラスは絶対に死んでるはずだけれども、死なないで生き続けたのは、そういう妻の加護があったからなんじゃないのかなっていう気がするんですね。
ただ結局最終的にグラスは復讐は自然に委ねるみたいなことを言って、最後はもうやつを川に流すんですけど。
妻的にはそれってどうなんて感じだったんじゃないのかなっていう。
54:04
もっと言うなら、そもそも復讐をするっていう行動自体に借り立てられること自体が。
自分の手で下さないで、むしろもう拠点に戻ってきたんで、やつはもうどっかに飛んずらしてるんだったら、あんたはここで生きなさいよっていうのが、もしかしたら妻の真意というか。
ていうことなのかな。てかむしろその復讐は何々に委ねる云々じゃなくて、そもそも復讐を委ねるって言ってる時点であなたは復讐を意識してるよねっていうことなのかなと。
だからもう本来的には復讐をどうするとか、復讐するしないじゃなくて、復讐というものが存在しないのが自然なのではないのかみたいな。
だからこそひたすらグラスは超過酷な自然の中でひしこいて生きなければならないような描写が多かったんじゃないのかっていう。
結局自然に対して復讐なんて人間はできないわけじゃないですか。
だからやっぱり過酷な自然の中では命っていうのは奪われて当たり前、彼の生命維持のために魚たちは捕まえて食われ、大人しいバイソンも生肉食われ、
そうしてグラスは生きてきたんだから、そこに復讐なんていうものは存在しないんだよっていうことを妻は彼を生き延びさせることでひたすら伝え続けたにもかかわらず、
彼は最終的に自然に委ねるとは言いながら復讐を意識したまま最後まで生きてしまった。
それに対する妻のなんなん顔だったんじゃないのかなっていうふうにちょっと思ったんですよね。
今のマコちゃんの話すっげー俺鳥肌立ったんだけどさ、魚と肝臓じゃん。
俺とんでも説として言おうと思ったけどこれ一本に繋がったかもしれない。
お、期待大ですね。
ゴジラの時のとんでも説と同じぐらいの温度で聞いてほしいんだけど、
僕これね見た時にキリストvsユダのガチンコボトルだと思ったの。
グラスはキリスト、フィッツゲラレドがイスカリオテのユダ。
これヤコブのユダと間違いないよね。
ちょっとよくわかんないです。
ユダって2人いるんですよ、12人の中に。
あ、そうなんですか。
ヤコブのユダは完全に空気だからみんなユダユダって呼んでるんだけど、正確にはイスカリオテのユダとヤコブのユダね。
これはどうでもいい話なんだけど、
そのグラスがキリストとして描かれてフィッツゲラレドがイスカリオテのユダとして描かれてるのかなっていうのを思ったのよ。
やっぱラストバトルで思いっきり手のひら刺されますしね、グラス。
あれ性魂ですよね。
しかも性魂つながりで言うと、キリストがロンギニスで刺された場所はどこか肝臓なんですよ。
57:07
肝臓か。
キリストのモチーフなんですか?魚。
あ、そうなの?それ初めて知った。
魚とワインとパンだよ。
ワインとパンは知ってるけど魚はあるの?
そうそうそうそう。
キリスト教でよく出てくるモチーフとして魚っていうのがあるのよ。
もともとペテロだったりとか、あの辺の人たちっていうのは漁師だったっていう話もあって、
キリストと魚って結構ね、切っても切り離せない存在でもあるのよね。
ちょっとその辺のキャラクター説明をまずしていきたいんだけど、
グラスっていうのが、王様ではないんだけれども、天国のモチーフとしての拠点への道を知っている存在なんだよね。
王様じゃないけど天国の場所はわかってますよっていう存在で、
熊に殺されかけたけども、墓から復活してまた道に順ずる人なのさ。
ここがちょっと史実っていうかそのキリスト教の中と違うところなんだけど、
違うところだからここはちょっと僕のトンデモ説の根拠の薄い部分なんだけど、
結局2回復活してんだよね。
1回目が熊に殺されかけて復活したところ。
2回目が崖からのところ。崖から落ちて馬の腹から誕生したっていうその2回なんだけれども、
ちょっとそれを度外視すると、復活して道に順ずるっていうところの行動っていうのをずっとやってきた人。
しかも最後のセリフでリベンジイズゴッツハンスノットマインっていうセリフを吐いて川に流すっていうところ。
グラスがキリストの存在って考えると、途中に出てくる太陽がバーって出てくるシーンだったりとか、
空が変に明るくなったり暗くなったりするシーンだったりとか、
あとは隕石みたいなのがバーって出てくるシーンとかっていうのが、ある意味神からのコールみたいな。
コールってこっちのコールね。いわゆる神からの通信みたいなのっていうところにも捉えられるのかなっていうところがあったっていうのと、
あとフィッツゲラルドがイスカリオテのユダだと僕は思ってて、
これ結構こじつけになっちゃうかもしれないんだけど、
1:00:02
フィッツゲラルドの手にしようとする、たびたび口にする数字が30とか300なんだよ。
この3なんちゃらっていう数字がすごく大事で、キリストを売りそばしたときに、ユダは銀貨30枚でキリストを売り飛ばしてるんですよ。
で、この一番最初に30っていう数字が出てきたのが一番最初のシーン。
怪我は30枚で一組だよ。30だから絶対間違えんだよって言うシーンが一つ。
あとじゃあ報酬どうするっていう話になったときに、息子と若造は俺の金いらねえからって言ったから、結局フィッツゲラルドが手にする金額っていうのは300ドルなんだよね。
まあちょっとこれ30じゃないから、うーんっていう感じなんだけど。
この30っていう数字に加えて、グラス、キリストに対する裏切りをして、表面上最後の見たりを依頼されて受諾しているんだけれども最終的に裏切るっていう行動をする。
しかもイスカリオテの家だってどういう存在だったかっていうと、一連の裏切りの最後の晩餐のあたりの下りがあるので、キリストの一番の弟子っていう近い扱いになってたんだよね。
結構12章の中でもくらい高かったのよ。
だからその、冗談というかさ、毛皮取りの中でもいろんな意見役として存在してたじゃない、最初のところで。
っていうところも重なるのかなと思って。
隊長が、たぶんペテロなのかなと思うんだよね。
ペテロっていうのが、俺は知らないよって言って、結局キリストを裏切ることもできず、裏切ることもしなかったけどもキリストに準じることもできなかった。中途半端な存在だったな。
キリストにお前はニワトリが何回鳴くまでの間、私のことを知らないと3回言うだろうみたいなことを言われて、本当にその通りになっちゃったっていう逸話があるんだけども。確かペテロだと思うんだけどな。
途中まではグラスの道に従って歩いてきたんだけれども、熊に襲われることによって、グラスの言葉が聞けなくなる。キリストの神の言葉が聞けなくなる。
その時に、導きを従おうとする者と、アシデマトリだから斬ろうとする者、裏切る者とか裏切りの過端を後悔する者みたいな感じで、その12人それぞれの動きっていうのが出てきたっていうのが体調の一項だったのかなと思って。
1:03:14
とすると、熊からの復活っていうところをちょっと切り捨てるとするとだよ。一番最初に馬からの復活のところで、一回画面が由来で、最後のところで画面が由来だとしたら、キリストの死の数とちょうど合うんだよね。
復活して、40日後にいろんな人の弟子とかに教えを問うた後に、結局キリストって亡くなるんだけれども。
最後のシーンの揺らぎの後、見つめてるようだけど、グラスは亡くなったのかなって僕は思っていて。
っていうのが僕のトンデモ説としてちょっと面白おかしく言おうかなと思ったんだけど。
キリストと同化していくグラスっていうものを、キリストの道中と重ね合わせて描いてるのかなっていうのはすごく僕も感じたので。
結局、そもそも過酷な旅路っていうものも、結局十字架を背負ったまま、丘のてっぺんまでのしのしと歩いていかなきゃいけなかったキリストと重なる部分もありますし。
多分そうなんだろうなっていうふうには思うんですけど。そんな中に多分、妻からの誘いがあるんですよ。
そうそう。だからそこも合わせて考えるとさ、結局最後までグラスって信仰を捨ててないわけさ。その死ぬところまで。
だから、あれをどういうふうに監督が表現したのか、したかったのかっていうのは、ちょっと僕の中で結論は出ないんだけれども。
結局キリスト教っていう信仰に対して、ユダンの裏切りによってキリストが殺されることになるんだけれども。
そこら辺の内容っていうところが、キリストががちつよになってしまった結果、ひっくり返ってしまったんだけど。
信仰にどう準ずるのっていうところを問いかけたいのかなと思ってて。
コールが聞こえなくなった信仰の人たちに、どういうふうにあなたたちの信仰っていうのを捉えて、それを生きるのかっていう、キリスト教の思想っていうところがグラスの真だとすると。
1:06:16
そもそもインディアンの人たちと愛し合ってこうなしたっていうところがあったんだけども、根本的には混じり合えなかったのかなっていうところがあるんじゃないかなと。
ただそれを監督が何を言わんとしてそれを表現しようとしたのかなっていうのはちょっと僕には理解できなかった。
死の淵を歩くシーンあるじゃないですか、まさしく吹雪の中でさ。
あの時に見た芸が確か廃墟と化した教会だった気がするんですけど。
木抱っこするとかね。
あのインディアンに助けてもらった時に、あれこそまさに信仰が揺らいでいる瞬間だったんじゃないのかなっていう気がするんですよね。
キリスト教的な思想ではなくて、自然と一体となって生きていくインディアンとしての。
たぶん息子の芸が木に変わったっていうのも、その妻の言葉と重なっているのかなって気がするので。
どっちが幸せなのっていう話にもなるのかなって気がするんですけどね。
でもなんか、この柔軟っていうのがキリスト教の一個のキーワードじゃない?
全てのあなたに対する辛いこと苦しいこととかトラブルっていうのは、あなたがレジリエンスするための神からの試練なんですよ、みたいなところがある。
だけど、なんかこう、それってインディアン的な思想と全く相反する思想じゃん。
あなたはサークルの一部だから、そこであなたが死のうと思うっていうのと、レジリエンスしなさいっていうところの大きな違いっていうところがあるから。
でもどうなんだろうね。
信仰がまさに揺らごうとした瞬間に、翌朝起きたら、命の恩人であるインディアンが吊るされてて、人は皆残虐であるっていう。
フランス語が書いてあったんだよね。
首に下げられていてっていうのがあって。
まさに、信仰が揺らごうとした瞬間にまた試練が降りかかってくるっていう。
それもキリスト教的なアレなのかなっていうふうに思うんですけど。
監督はどういう文脈でそれを移したかったのかはわからないですけど、僕はなんて厄介なんだという。
1:09:07
いいじゃないかと。幸せに暮らしていけるならばと。
彼は友情を築いていたわけだよね。
多分、あのインディアンの方もおそらくグラストンの出会いによって、本来的な復讐みたいなものから離れた生き方を選ぶことができたかもしれないよね。
グラストンのためにいろいろ必死で小屋作ったりとかさ。
勇気溜めて笑いあったりとかね。
あの人たぶんシャーマニズムの中のメディスマンっぽいような感じのこともやってたから、治療するみたいなところもあるから。
そういうグラストンと共に生きる的なところもたぶんできたろうなっていうふうに思うんだけれども。
これはキリスト教をどう描いてるのかっていうところが、ちょっと見る人によっては変わってくるところなのかなと。
僕は自分が信仰していない宗教を悪く言いたくないので、あえて深掘りしませんけれども、僕はそこちょっとうんってなったシーンでしたね。
本当に人間の嫌なところがその後バババババッと描かれるっていう。
それによって結局グラストンも復讐心をグワッと燃やしていってしまい。
あれは試練なんですか?
柔軟として描いてるんだろうね。
そう考えると、僕らがちょっと汲み取れてないだけなのかもしれないけど、今まで見た映画の中で一番モヤッと終わってるんだよね。
そうね。
汲み取りきれないみたいな。
しかもこれをキリスト教の信仰を彼がまた再度獲得していく物語だというふうに描くと、
それってインディアンたちはどういう立場になるんだよという。
奪われ続けて挙句、信仰を否定されることにもなるわけじゃないですか。
それってどうなのっていうところの答えが最後の表情だったんじゃないのかっていう気がするんですよね。
そう考えたら腑に落ちるような気がしてきたんですよ、僕は今聞いてると。
結局グラスは自分の信仰を取り戻していくっていう物語なわけじゃない。
結局何もかも奪われて復讐心に燃え。
それで何度も行くたびにいろんな物を奪われ続けてブチ切れて復讐に燃えていくんだけれども、
最終的にその復讐っていうものを自然に委ねることで、
俺が今神と一体化したんだみたいな成功も得て、
まさにキリストと同じ存在として、同じような重なる存在として全てを手に入れた。
1:12:03
そこで終わってしまえばひょっとしたらそれは本当にまさに文字通り、
キリスト教の信仰っていうものを取り戻していく復讐劇の作品として完結していたんだと思うんだけれども、
そこにたびたび差し込まれる亡き妻の思想や、
そして誰よりも一方的に奪われ続けてきたインディアンたちの姿っていうものが描かれ、
そして最後に失望顔の妻のなんなん顔ですよね。
あ?みたいな。
そう、現れることによって、結局君たちが必死に獲得して満足しているものっていうのは、
こっちから見たら無価値ですよっていうことを言ってるのかなって気がするんですよ。
あー、なるほどね。
インディアンサイドから見た場合に彼の物語って一体どう映るのかっていう話になるわけですよね。
息子を殺されて、その復讐のために必死に追い詰め追い詰め、いざやっつけたけど自然に任せて、
俺は今救われたんだ。
いや、我々が奪われたもの、ご存知ですかって話じゃないですか。
もう空虚だよね。
そうそう。
ひょっとするとその部分なんじゃないのかなっていう。
あー、なるほどね。
だからこの物語を徹底して、キリスト教的な思想の中でグラスっていう人が、
もがき苦しんで最終的に救いを得る物語として描きつつも、
それだけ丁寧に描いたそれっていうのが、それは白人社会によって信仰され、
白人社会によって何か意味付けされてきた信仰による救いでしかなくて、
その外側にいて、なおかつその思想を持っている人たちに奪われ続けた人たちから見た時に、
それは何の意味もなさないんじゃないのかって。
なんか今ちょっとピンときたわ俺。
なんかすごい風に落ちた。
だとしたら、すごいああいう顔するわ妻。
そりゃそうだよ。意味わかんなかったもんあの顔。
でも本当にこれで多分全然確立された存在なんだなっていう、
顔でこのキリストを紐解いていくと、確立されたっていうのはわかるんだけど、
そこまでの顔することないじゃんみたいなことを思ってたのよ。
言うてお前の旦那だろみたいな。
そうね。
もうなんかさ、お仏を見えるようなさ。
本当になんかそう。
そしてグラスポカーンみたいな、グラスポカーンエンドじゃないですか。
印象的だったのはその直前に、
グラスが結果的に助けたことになる族長の娘とも目が合うんですけど、
1:15:04
族長の娘も完全にお仏を見る目でグラス見てるんですよね。
そうなんだよ。
僕あのシーンで、例えばアリカラ族の人たちがね、
もうちょっとコミュニケーション取るかなと思ったら、
なんかこう、お前によって助けられたみたいなことを一言でも言うのかなと思ったら、
なんの言葉も発さず、
もうそれこそ動物とか虫けらを見るような目で、
この白人たちを見つめて、
なんかこう去っていくみたいな。
逆にそのアリカラ族がそのあの時のグラスを、
例えば害したりすることで、
これ日本の宗教的な発想かもしれないけど、
汚れが映るぐらいのさ、
そんなぐらいの扱いだったじゃない?
あのシーンが来たことによって、
この映画このまま終わらないぞって思ったのよ。
多分これを本当にグラスが信仰を守る物語として終わっていくのであれば、
おそらくあのシーンで、何か絵も言われぬ表情を娘はしてグラスを見るだろうし、
アリカラ族の族長も何か言って、
何も奪わずに去っていくみたいな。
なんかちょっと認めた感じで去っていくっていうのが、
おそらくそういう物語で終わろうとしたらそうなるんだけれども、
あそこで不穏な空気が流れ始めるんだよね。
これってどうなるのかなって思わせて、最後のあの妻の何々顔に繋がっていくんですけど、
アリカラ族から言わせても結局そういうことなんだと思うんだよね。
結局さ、インディアンたちが当たり前のように自然と共存してきて、
共存してきた自然っていうその雄大な自然っていうものを一方的に奪い取ってきたお前らが、
何を何かちょっと奪った奪われたで争って殺し合ってんだと。
何なんていう。
多分そこなんじゃないのかなっていう気がするんですよね。
奪った奪われたみたいなことでごちゃごちゃ言ってるけど、
お前たちがやってきたことってそういうことなんじゃないのかっていう。
多分そういうものが全部乗っかってきてのあの顔になってんのかなみたいな。
もうちょっとアリカラ族からは感じました。
確かにそのインディアン的なシャーマンリズムのサークルの考え方からすると、
そのグラスの切った切られたっていうのはサークルのこのごく一部なわけになってくるじゃない。
それにお前たいそうなことを見て、
1:18:00
っていうそのちっぽけさみたいなところももしかしたらあるのかもしれないね。
なんかね、すごい、なんだろうな、なんかすごくね、
あのエンディングによってこの作品はしっかり名作になってるんだなという気がします。
あれが結局違ったらまたちょっと、
まあいい作品だったなぁで終わるのかなって気がするんですけど。
なんかキリスト万歳で終わっちゃったからこの作品つまんないよね、多分ね。
あーなるほどね、今回なんかいろいろ話しながらすごい解像度がすごく上がったな今日は。
ある意味ではその復讐を遂げずに、
すべてを任せてキリスト教的に救われたグラスはその後何もない人生を送っていくわけじゃないですか。
だからまあ自然とともに意気揚々的な方向で生きていたら多分それは受け入れることだから、
多分その後も繋がるような気がするんですよね。
なんかそのあたりも多分、信仰の違いを描いて、
まあわかんないな、ちょっとやめよう、ダメ。うまく言えないからやめよう。
その後ね、どうやってグラスが生きるのか、まあ多分死ぬと思うんですけど、
どう生きれるのかみたいなことを考えると、
このシーン、いつもはやっぱり失望顔ですね。
これどうなんだろう、わかんないけどさ、
俺ずっと疑問に思ってたんだけど、
グラスがその最初の受難をしてからずっと目が曇ってるんだよね。
目なんか濁ってなかった?
多分僕ずっとなんかグラスの目の汚さがずっと気になっちゃって、
その幻覚シーン以外でずっと目が曇ってるんだよね。
そのリアル、現実だよって言われてるシーンで、
なんとなくこう白っぽい感じの目をしてて、最後のシーンでも、
本来のレオナリド・ディカプリオの青い綺麗目じゃなくて、
なんかこう濁った目みたいなところがずっと気になってて、
もしかしたらそういう、ある意味その文化の違いから見える、
そのブラインドというかさ、見えてない部分っていうのを
あの目で表現してた部分もあるのかなって今こじつけた。
ちょっともう一回見てみたいですね、その辺りもね。
そういう細かい理由は絶対あるはずなので。
じゃあそろそろ最終的な問いに戻りますが、
レヴェナンとグラスが最後に見たものは一体何だったのか。
1:21:03
まあでもちょっと難しいけど、結局己の文化しか見てなかったってすると、
何も見えてなかったっていうのが僕の答えかな。
まあ確かにね、見ていたものが全て否定された瞬間だから、
最後に見たのは何もなかった空虚なものだったと。
僕はね、もういっそここまで行っちゃうかな。
信仰の終わりを見たんじゃないのかと。
今思いつきました。
かっこいいじゃん。
かっこいいですよね。
あれだけ丁寧に丁寧に描いて信仰を取り戻していく物語を描きながら、
最後の最後に立場が変わった瞬間にそれが意味をなさなくなるみたいな、
足元を救われるような瞬間を得て、
かつてフィッツ・ジェラルドの父がリスを見て信仰を得たようにですね、
逆に妻の原因を見たことによって、
グラスは信仰の終わりを見てしまったんじゃないのかという気がしました。
どんな宗教を信仰していようと、作品として見れば、
いろんな深い考察ないしは解釈ないしは感想を持てる作品だと思うので、
皆さんにもぜひ見ていただきたいなと思う両作でございました。
すごく良かった。
何か言い残したことあります?
そうですね。
いろんな心理描写だったり、宗教の話だったりとか、あるいはサバイバルとか、
その自然っていうところがね、いろんなところが描かれた、
すごく重厚な作品だったと思うんですけども、
やっぱりこの僕のね、この映画を見て一番学べたことっていうところは、
やっぱ山に入るときは熊よげ系スプレーを持って行った方がいいなって、
そういうことですね。
01:23:24

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