あとあの自販機が結構好きなんだよ。
あーわかる。
あのー牛乳瓶特有のさ、1番から20番までの数字が書いてあってさ。
そうね。
であれなんかこう、じゃあ俺6番の牛乳買うって言ってもさ、順番号に出てくるもんだからさ、全然6番と全然違うところから牛乳来たりするやつ。
そうね。オヤオンってやつね。
あれ結構あのー、ジレッタンスが好きなんだよね。
いやー、まあでもあれは別に昭和じゃないよな。
あれは令和最新版だね。
あれは令和最新版ですね。あんなもんはなかったからな。
それこそ俺幼稚園でしたよ。あの牛乳瓶使ってたの。小学校からはもう紙パックになりましたからね。
え、そうなんだ。
全然瓶じゃなかったですね。瓶は幼稚園まででした。で、牛乳瓶の蓋でコマ作ったりとかね。
あとあのいまだに納得いってないのは麺粉ね。牛乳瓶の蓋を麺粉にして遊ぶみたいなのさ、聞くわけよ。
俺本当に申し訳ないんだけど、いまだに納得いってないんだけど、麺粉ってさ、本当にひっくり返る?
ひっくり返るよ。
ひっくり返らねえよ、麺粉。何回やっても。何回やってもひっくり返らねえよ、あれ。意味がわかんねえよ、ひっくり返るの。
ひっくり返すのにちょっと技があってさ、上から叩きつけるとあんまりひっくり返らないよね。
斜め45度くらいから斜めに発射させちゃダメなんだよな。下向きにしたまま斜め45度にパーンってやるとひっくり返るし、
あとセコ技としては相手の麺粉のちょっと向こう側に足を置いとくの。それでパーンってやるとひっくり返る。
全然わからない。何もわからなかった。今度やってみせて、本当に。言ったからには何回も何回もひっくり返してくれよ、本当に。
一回もできたことないから、本当は。全く意味がわからない。
その手のことに関しては、この間大阪でボロ負けした三つパッカーだったのさ。
マジであれ本当に悔しくて、すぎ悔しいって。
おだしょー 詳細は後日アップロードされる大阪お散歩編っていうのがありますんで、そちらをお聞きいただければと思いますけど。
それってどっちでアップするの?俺物の方?
おだしょー どっちかな?俺物かな?その方がいいかなという気がしますんで、裏番組の方でアップさせていただきますんで。
大阪で何が起きたのかというのをぜひ皆さんも楽しみにくださいというところですね。
おだしょー そんなわけで大阪で遊んだあれも、牛乳瓶の蓋も失われゆく伝統的な日本ということで、今回は。
松竹座だっけ?
おだしょー 松竹座ね。
見ましたか?
おだしょー そうですね。お近くでやりましたんで。
伝統に迫る映画を扱っていこうかと思います。というわけで本日も参りましょう。
おだしょー はい、ということで本日のテーマは、映画国宝を伝統と狂気の狭間で。ということでね、やらせていただこうかなということなんですけれども。
ヒューパルがまた最新作を扱ってきた。
おだしょー ということでね、ジャイアントピーチYっていうね。
来週かな?
おだしょー 来週だね。
収録自体は明日ぐらいにやっちゃってもいいかもしれないけどね。
おだしょー そうだね。ジャイアントピーチに関してはじっくりお待ちいただくというところで、皆さんにはお楽しみにお待ちいただくとしてですね。
今回は邦画の大ヒット作品ですね。
そうですね。
おだしょー くしくもですね、本作の脚本を書かれたのが、僕らがですね、告表したあれあったじゃないですか。未来の未来。
未来の未来。
おだしょー あの監督がもともとタグを組んでらっしゃった。お方ということで。
ネオンを分けたね。
おだしょー ですね、ほんとね。スカーレットヨハンソーじゃなくて、なんちゃらかんちゃらのスカーレットみたいな。
果てなきスカーレット。
おだしょー みたいなね。タイトルのやつを出してましたけど、あちらが結構告表三昧だったのに対して、告報はですね、まさかのというか、邦画の記録を塗り替えた。
あ、そうなんだ。
おだしょー みたいですよ。どうもね、踊る大捜査船2が邦画実写の興行収入で、歴代一位だったらしいんですよ。それをまあ22年ぶりに超えたと。
逆に22年も超えなかったの、あれが。
おだしょー まあやっぱり邦画の主戦場というか、アニメ作品が大きな交渉を得るようになってきて、結局映画産業って大きな博打じゃないですか。
だから投資する側もやっぱりある程度回収できないと困るわけで、そう考えると戦える分野にお金をやっぱりつぎ込みたいっていうふうにおそらくなるんでしょうね。
そういった中でですね、本作が大きく記録を塗り替えたというのは結構素晴らしいことですよね。
そうだね。
おだしょー 日本の映画もね、海外の映画賞なんかで認められるようになってきてですね。
いろいろとヒット作ももちろんあるんですけど、そういうのが当たり前になっていてほしいというか。
そういう思いは常にありますね。なんか安心して邦画を見に行きたい。
ポスターを見て、はいはい、またいつものやつねみたいな。
今売り出したい俳優とか。
今が旬のモデルよみたいな感じのしょうもないキャスティングとかね。
その言い方。ずーらんだよ。
おだしょー 事務所パワーだかなんだか知らないけれども、アイドルをとりあえず俳優寄与しましたみたいなさ。
そういう形で集客を狙っていっても、やっぱり本当に映画を好きで、映画を楽しく見て、映画について語りたいよっていうお客さんはどんどん離れていっちゃうというか、もう離れ切ってるんじゃないっていうふうにちょっと思うんですよ。
それでなんか国内映画賞みたいなのを作ってさ、なんかこう自分たちで、はいよくできましたねみたいなことやってても、どうやってそれで盛り上がるんだっていう話だし。
それじゃやっぱ賞にも拍がつかないですよねっていうところ。すごくね、いきなり邦画批判が入ってるんですけど大丈夫ですかね。
邦画という産業に対して僕はすごい色々思うところがあるという、そういうお話であって、本作に関してはもう、いや良かったですねという。
いやーやばかったね。だってマイケル見るちょっと前ぐらいにこれやべえぞっていう話になって、実はもっと早くに撮ろうっていう話になってたんだけど、仕事が色々重なったりとか新幹線が止まったりして、収録ができなかったりして。
そうですよね。はい。
いやでもこれはちょっともうすぐ撮ろうって言って、お互い熱が上がっちゃったよね。
そうですね。でまた面白いのは、これだけ日本の文化伝統にすごく即した作品がですね、撮影したのがリ・サンイルさんという方で、横浜育ちの在日韓国人3世の監督さんなんですよね。
これまでにもフラガールとか悪人とか撮られたそうで。
聞いたことあるみたいな。
はい。悪人も結構エグい作品ではありましたけど。山田隆之だったかな?だったと思います。違ったらどうしよう。毎回適当なこと言うからね。
それとも謝罪のコーナーですね。
あれ違ったかな?なんか出演者、妻吹佐都市って書いてあるんだけど。
妻吹が出てるんだ。
おかしいな。おかしいな。山田さんは出てないか。
妻吹、岡田翔成。
岡田翔成ではない。岡田雅樹でしょ。
雅樹って読むんだこれ。
いや、ちょっとね、僕が考えてたのと違いましたね。
ちょっと違うんじゃない?
すいません。悪人違いました。ちょっとこれはいずれ見ましょうね。
悪人はいずれ見ましょう。しきしりんさんに思いを発せながら。
そうですね。
悪人の脚本が吉田秀一なんですね。
国宝も吉田秀一の作品なんですよ。
気に入ったんですかね、この組み合わせが。
かもしれないね。
多分文章としての表現と映像にそれを起こしていくっていうところで、すごく合致するものがあったんじゃないですかね。
なんかいろいろ考えるところもありそうな気がしますけれども。というわけで、ちょっとぐだぐだ話しすぎましたので、あらすじ紹介に行きましょうか。
はい。ということで、今回紹介するのは、2025年6月公開の映画国宝でございます。
先ほども申し上げたように、邦画の記録を塗り替えた大作となっており、3時間ほどあります。
作者の吉田秀一さんは、本人が3年間歌舞伎の楽屋に潜り込んで描き上げたという渾身の作品で、かなりの改造を放っているんじゃないでしょうか。
物語をシンプルに言うと、ヤクザの子供が歌舞伎の国宝になるまでの50年を追いかけるという、そんな人生のドラマ。人間ドラマと言っていいのかな。
主人公のキクオは、任教の一問に生まれながらにして、15歳で高層で父を亡くし、天外孤独の身になる。
ところが、そのヤクザの中でやっていた子供歌舞伎みたいなものを、実際にリエンの名優がそれを見出して、原井半次郎が歌舞伎の世界へと拾われていく。
半次郎の息子には、春介という息子がいて、二人とも同い年ということで、互いに兄弟のように、あるいは親友としてライバルとして、芸の道で互いにしのぎを削っていく。
転機として半次郎が事故で入院してしまい、その大役としてキクオを指名した。自分の息子ではなくキクオを指名した。
そこから二人の運が、歯車が狂ったかのように、二度と交わることがないんじゃないかというぐらいに大きく分かたれていく。
その流れの中で、映画の各種は常に血筋なのか、あるいは才能なのかというふうな、一つの大きな問いが常に観客に投げかけられていく。
そういった中で、最後、主人公のキクオは舞台の上で何かを見る。それは一体何だったのか。美とは何なのか、才能とは何なのか、演技とは何なのか。皆さんの目でお出しをかめください。
噛んじゃった。
噛んで伸びたね。髪伸びは初めてだった。
髪伸びは初めてですね。ちょっとね、本当最近だから、語りたい作品が初めて渋滞した感じになっていて。
今日オンラインになるまで、結局我々が今日何を語るのかというのが合意形成できていないままスタートしてるんで。
気持ちが追いついてないっていうのはあるかもしれないですね。
いやーでも3時間の作品ですよ。
あっという間だった。
本当ね、そこにびっくりしたよね。3時間なんだけど全然あっという間で。確かに諸々起きて、あれ何のシーンだっけな。
もう一区切りなのかなと思ったら何年後っていう風に出るみたいな。
そこでまだ続くんだって思うんだけど、それがいやまだ続くのかよじゃなくて、いや続いてくれてよかったと思えるというか、早く続きを知りたいっていう。
これはですね、プリズンブレイク見てた時と同じぐらいのワクワク感でしたね。
そうだったね。プリズンブレイク僕見てないからさ。
早く次の話見たいわーみたいな感じですね。
ちょっと種類が違いますけど。
いやーでもね、我々いずれもストリーミングサービスで見ましたけど、劇場でなくてもね、本当にドラマがしっかりしてるから、追いかけていくうちにあっという間に夢中になれるというかね、引き込まれる作品でしたね。
そうだね。じゃあV行ってきますか。
行ってくださいよ。
まずちょっと映画から全然関係ないV。
今回の映画でね、主人公が桃を掘ってるじゃないですか。
そうっすね。ミミズクだっけ。
ミミズクの。
ついこないだなんですけど、営業先に挨拶回りにちょっと行ってきたんですよ。
熱いなと思って帰りさ、その辺の町の銭湯みたいなところでサウナがいいよっていうところがあったから行ってきたね。
そしたらね、お湯使ってる間からなんかおかしいなと思ったらさ、やたらこう長袖、半袖、長ズボン、半ズボンの人がいっぱいいるんですよ。
インゴとしてのね。
そうですね。だって今履いてるのはお風呂だからね。
そうそう。
お風呂履いてるのになぜか長袖とか半袖とか半ズボン履いてるような人がいっぱいいたと。
そうそうそうそう。
で、サウナ履いてるとさ、周りみんなもんもん履いちゃって。
俺ちょっと今ミスったーってなって。
ちょっと外気浴という内気、椅子みたいなところで休憩しながらさ、ボーンとさ、巨大スクリーンのあるね、銭湯で。
そのスクリーンをボーンと眺めてたんだけど。
そしたら結構5年配のさ、長袖、長ズボンの方が体洗い始めて、お月の人2人みたいなのが
チューします、チューしますって言いながら体洗うわけよ。
作法みたいなのがあるらしくてさ。
1人は多分ベテランの人なの。
1人はちょっと最近お月になった人みたいな感じで、めっちゃ1人がめっちゃブチ切れられながら。
食欲を失うラーメン屋みたいなね。
店員が店員を怒鳴りつけてるみたいな。
怖えーって思ってたんだけど。
でもさ、僕、和彫りってマジマジ見たことってじっくりじっくり眺められたわけじゃないから。
視界に入ってるようなものを持って見てるみたいだったんだけど。
和彫りってさ、あんまりじっくり見たことなかったからさ。
生まれて初めてぐらいの感覚で、2,30人の和彫りの人に囲まれて風呂入ってたからさ。
いろんな和彫りを拝見させていただいたわけさ。
すっげー怖かったんだけどさ。和彫りってめっちゃ綺麗だなって思って。
いろんなモチーフとかをその人なりのこだわりで彫ってらっしゃったりとかして。
これって写真集とかあったらちょっと見てみたいなって思いました。
全然映画と関係ないジャブです。
なんか独特な色彩感がありますね。花札の絵みたいな。
浮世絵の見え切ってるようなポージングとかさ。
やっぱ独特な魅力はあるなというのはすごく感じます。
感じるけど怖い。
マジで怖かったね。入った瞬間に終わったって思ったよね。
あれですよね、我々番組の中で銭湯の寝書き案しかしてないですね。
銭湯に行くと何か起きますよみたいな感じの話になっちゃってるのが申し訳ないですね。全国の銭湯さんは。
でも僕の場合銭湯に行く回数が非常に多いから、語体数が多い中で話題を抽出して喋ってるから、毎回そんなことが起こるわけじゃないですよね。
僕はそう考えると比較的当たりを引く率が高いんですけど。
しかも特定の方向性の当たりを引くよね。
不思議なんですよね。
そういう星の下に生まれてしまったらしいんですけど。
愛されるの意味が怖いんですよね。
さておきですね。確かにね、中でも俺はすごく思ったのは、
あれだけ気合の入ったモンモンを一緒に入れた上で、こいつと一緒にならへんのかい?みたいな。
ケンタッキーの子。
ケンタッキーのCMしてる子だよね、あの子。
してたよね、昔。
今日ケンタッキーにしない?って言ってた。
ヒゲのおじさんしか分かんない。
ヒゲのおじさん?
ひろっとした目つき。
誰ヒゲのおじさん?
やせたさ。
誰?
ケンタッキーにしない?って言ったら、俺なんかこのおじさんしか分かんないんだけど。
ケンタッキーにしない?って言ってるおじさんなんていたっけ?
俺が言ってるのは高畑光さんですね。
はい、堀プロ。
この人だ、そうだな。
笑いケント?
カクケントね。
カクって読むんだこれ。
最近はカクさんがやってますね。
カクさんの前です。
高畑光さんがやってました。
今日ケンタッキーにしない?って言ってましたね。
いいよってなっちゃうね。
みつきさんはこれシンデレラガールなんですね。
堀プロの仮装犬の女の人と一緒ですね。
仮装犬の女?
仮装犬の女はやってないけど、澤口康子さんもシンデレラガールですから。
そうなんですか。
しかも舞台ピーター版もやってますね。
ていうことは澤口康子の後輩でありながら、坂木原育恵の後輩でもあるということですね。
ちょっとどうでもいい話は置いといてですね。
なんかね、ああそういう風にいくんだみたいな。
あれですよね、あの子なんて名前だっけ?
それがケンタッキー?
ハルエだっけ?カズエだっけ?
そんな感じの名前、3文字の。
ハルエじゃなかったっけ?
ハルエだっけ?
秋子ちゃんのイメージがちょっと強すぎてさ。
秋子ちゃんすごい塗れ歯やってたからびっくりしちゃったんだけどさ。
すごいよね。
割としっかりめな塗れ歯をやってたんでちょっとびっくりしました。
北の国から割りの。
北の国からすごいんだ。
秋子ちゃんの塗れ歯は結構すごいですよね。
そうなんですね。
有機苗さんですね。
それさておき、ハルエさんだね、ハルエさん。
ハルエさんはそっち行くねーよっていう風になりましたけど。
しかもちょっとさ、国宝を見た後にね、小説読むのはしんどいから小説を元にした漫画を読んでみたんですよ。
漫画も出てるんだ。
漫画もあったの。なんか探したら。
そしたらね、漫画の方もね、漫画の方とか原作読んでないから知らんけど、
もうちょっと裏話があって離れたのかなと思ったら、ぬるっと離れてきましたね。
そうなんですね。ぬるっとね。
むしろ映画の方がまだ語ってる方だった。
同じぐらい。
同じぐらいね。
まあでもさ、そこら辺は語りすぎてるんじゃない?男女のついついくっついて離れたってさ。
なんか理屈じゃない部分もあるじゃない。
それで言うと、あのぐらいがちょうどいいのかなっていう、そのハルエの献身的な態度に対して、見てそうで見てないキクオみたいな。
結局キクオはずっと他のことしか見てないっていうね。
だからそこに今、ハルエが離れていくっていうところのなんとなく理由を我々はなんとなく見るし。
じゃあなんで駿介選ぶのっていうのも、駿介が芸を失ったから。
その辺りもなんとなくちょっと感じさせてくれるような、ちょうどいい描き方だったかなというふうには思いましたね。
あの三人のやり取りを見てるとさ、どうしてもあのモハメド・アライ・ジュニアのあたりのさ、
バキと小杖ちゃんとモハメド・アライ・ジュニアの三人三角関係の話をね、すごい頭チラついちゃって。
誰がチラつくんだよマジでそれ。
誰がチラつくんだよ。
お前がさ、何かと言うとバキを引用してくるけど、バキは国民的な漫画ではないからね。
特定の界隈にやたら響いてるだけだから。全然だから別にそんな。
黒絵じゃないのよ。やめろよほんとにもう。
ティッシュ何ケース使ってんだよってね。
まあそんなわけで、他にジャブありますか?
すごいさ、もうこれ聞いたら今後多分国宝のすごいシリアスなシーンがまともに見れなくなるジャブがあるんだけど。
うん、それなんかちょっとね、ちょろだし我々なんか語ってる間になんかしてたんで、何だったのかなっていうふうに思ったんですけど。
国宝でさ、一番シリアスなシーンがニカッと吐くさまれるんだけど。
はい。
って言えば面白いんじゃなかったなっていうシーンがあるじゃないですか。
ありましたね。
すっごいシリアスなシーンで、すっごい重たいシーンなんですけど。
はい。
僕あの時にね、どうしてもジム・キャリーのインタビューが脳裏に散らついちゃって。
そのジム・キャリーのインタビューがどんなんかっていうとね、どんなことを言ってもこの顔をすればごまかされるんだよみたいな。
インタビューっていうかテレビのトークショーね。
トークショー。
ありましたね。
このハゲオヤジ。
ちょっと前歯出しながら顎引いてちょげる顔するやつですよね。
そうそうそうそう。
あれがさ、ポンって最初のシーンの時に頭にポンって出てきちゃって、あのジム・キャリーの顔が。
2回目ちょっとさ、なんかもうジム・キャリーが邪魔してくるのよ。
あれはね、やっぱ天才のゆえんですね、ジム・キャリーのね。
あのちょっと気になる方はですね、YouTubeのショート動画でも漁ってみてください。
ジム・キャリーの一発ネタというかね、あるんですよ。
どんなことを言ってもこれは冗談だよっていうのが伝わる、これは冗談だよ顔っていうのがあるよっていう。
そういう文脈ですね、披露するんですけど。
本当にね、その通りだなって。
あれはもうこれは冗談だなって伝わりますからね。
あんな生ぬるい伝え方じゃダメだよね。
生ぬるいやつじゃダメ。
いやでもあれはね、だから生ぬるくなっちゃうっていうところに意味があるんだって。
本当にそう思ってはいるんだけど、その気持ちをなんとか蓋して、お前のことも大事だよって伝えるためのさ。
そのためのセリフだから。あそこでジム・キャリー顔したら終わりなのよ。
こいつマジで気にしてねぇんだってなっちゃうから。
頭の中のジム・キャリーがあの顔をさせるんだよ、俳優たちに。
いや見たいなぁ。吉沢さんのあのふざけた顔見たいなぁ。
いやぁ気になるわ。いやいいジャブですね。
いいですね。
でもねこれ本当に今回ジャブないのよ。
いやそうなんだよ。
なんかね真面目に見ちゃった、本当に最後まで。
本当に真面目に見ちゃったよね。
本当に真面目に見ちゃったんだけど、一個だけまあ敷いてあげれば。
はいはいはい。
歌舞伎見に行くとあんなにハプニングが起こるんですか?
まあハプニングが起こる方が珍しい話だよね絶対的にね。
俺やだよ。衆命の舞台見に行って血吐かれるのもやだしさ。
なんかね。
税払いながら顔でおーって。
二人で出てきたのに途中で一人になるとかさ。
どうしたんみたいな方が勝っちゃうよねっていう。
そうだよね。
それも含めて、たしなむのが歌舞伎の2なんですかね。
歌舞伎2でもああいうシーンを見たことある人はもう少ないんじゃないですか。
でもなんかさ、クラシックピアノと同じじゃない。
演奏する曲と演じる題目はもう変わらないわけじゃないですか。
でもそれを誰がやるかっていうところで楽しみ方があるし、さらに言えばそれをどこの舞台でいつやったら何の舞台かみたいな。
そこまで全部生き物として見てる感じ。
だからこの役をこいつはどう演じてくるのかなみたいな。
だがあいつは役に食われてるなみたいな。
ちょっとどういう意味って聞き返したくなるような批評があるじゃないですか。
あるね。
でもそういうのを言いたいし、言って楽しむみたいな土壌もあるわけじゃないですか。
そうだね。それこそ楽しみ方がジャズと一緒なのかなって。
やっぱりこのベースの楽譜っていうのがあって、そこのセッションでやっていくときのたまたまの流れだったりとか、たまたまのノリとかっていうので、
この曲が少しずつ変化していって、でも大元の流れにちゃんと戻していくというような流れがあるから。
もしかしたらその歌舞伎の楽しみ方ってジャズなのかなって、ちょっとかっこいいこと言ってるみたいな。
それはでもハプニングが起きたときじゃない。だって大目変えたら普通にくだまいたおっさんに批判されるよ。
楽に食われてるな。
古典楽譜もそうじゃん。基本変えないじゃない。変えちゃダメ。むしろ変えない中でどうやり切るかみたいなさ。ただ読み上げればいいわけでもないみたいな。
だからやっぱりどっちかって言ったらジャズよりはクラシックよりなんじゃないか。
だってクラシックなんてね、すごい細けえからな。バッハとかを強弱つけて弾いちゃダメとかあるじゃない。
あるね。
だってピアノがまだないからみたいな。
だからやっぱりそこの全てを含めてやり切った上で、そこに消しきれないその甲を見るというか。
そこにそれをどうその人物が解釈して表現したかみたいなね。
だからあくまで大筋は絶対変えないんだけれども、そこに乗っかっている解釈で読み解いていくみたいなところなんじゃないのかなって気はする。
ジャズはどっちかって言うとなんだろうな。何になるんだろうな。むしろ変えることは前提じゃない。その変える技量じゃない。
スーパー歌舞伎。
スーパー歌舞伎はそうかな。そうなのかな。そんなフランクになっちゃう。
わかんない。ワイヤーアクションとかやるからか。
ちょっと気になりますけれども。
そう考えると日本語と元になった芸能が全然違う意味になってるっていうのが面白いなって思ってさ。
古典芸能で言う歌舞伎って変えないながらも変わってるところを楽しむじゃない。
一方で日本の歌舞伎物っていう言葉をゴリゴリに変えまくった人に使われる言葉じゃん。
歌舞伎っていうのはそういう感じですよね。だからね、早い話は歌舞伎ってやっぱ大衆娯楽だったわけですから。長らくね。
でもそれがずっと続いてきたっていうことによって伝統芸能という形になっていく。
いわばだから能狂言から派生していくわけじゃないですか。
能や狂言っていうものがより大衆化していく中で歌舞伎になっていくっていう解釈だと浅いって言って怒られるかもしれないけれども。
そういう方向性なのかなっていうふうに俺は思うんですね。
そして歌舞伎がさらに大衆化して生まれていくのが大衆演劇なわけじゃないですか。
大衆演劇僕結構見てたんですよ。
そうなんですか。
働き始めた時に、北区に住んでたんですよ東京の。
十条って駅があってそこに大衆演劇の劇場があるんですよ。
いつも白塗りの歌舞伎役者みたいなポスターがドゥーンって。
なんだろうなーって思いながらずっといたんですけど、ある時ARと飛び込んでみて、びっくりした。
大衆演劇って歌舞伎とか能とかそっちの方だと思ったからさ。
静かに鑑賞するものだと思ったのよ。
ゴリゴリに声援するわけ。
おばちゃんおじちゃんももちろんいるんだけど、結構若い女の子たちも。
国宝の中のさ女の子が、「誰だよー!」みたいな黄色い声出してたけどさ。
もう あんな感じ
もっとひどいかもしれない なんかジャニーオ唄がジャニーズ見てさ
あのキャーッと言っているような感じで もう 出てきた瞬間から
なんかその雰囲気が面白くて、なんか何回か変わってた。
なるほどね。だから多分、おそらくは江戸の頃の歌舞伎ってそういう風合いだったんだろうなって僕は思ってるんですよ。
そういう、なんていうのかな、その初めて行く時になんか色々知っておかないといけないとか、そういうなんかこう精神的な抵抗みたいなものも基本的にはなくて。
やっぱり歌舞伎役者っていうものすごい、今でいうインフルエンサーみたいな影響力を歌舞伎役者は持っていて、歌舞伎役者のブロマイドが街中で売られるわけですよ。
浮世絵というね。だからそれってまさしく大衆娯楽の中でのアイドルだけじゃないですか。
だからまあ、いわゆる伝統としてどんどん格式みたいなものは育っていく中で、失われている大衆娯楽性みたいなものはどんどん下の方へと動いていく。
でもそれはもう完全に独立してるから上下はもはや関係なくて、能狂言はありき、歌舞伎もありきで、大衆演劇もありきっていう風に。
だからその変わっていく中で、失われたものを他のところが結局どんどんそれを引き継いでいくみたいな。
たぶんそういうものになるんじゃないかな。
再動化していくみたいな。
そうそうそうそう。
だって狂言なんて別にコントなんだからさ、ギャースか笑っていいはずなんだよね。
確かにね。
そう、だから室町時代の絵とか見ると、やっぱり能狂言やってる舞台の下でウェーイってやってる人が描かれたりするわけですから。
だから能楽堂でなんか神妙に見る必要はないんですよね。
僕らが見に行ったブスがあるじゃないですか。
ブスありますね。
あれは?
あれは狂言です。
狂言?
狂言です。だってゴリゴリにネタじゃないですか。
あおれおげーあおれおーえー。
あおぐぞーあおぐぞー。
みたいな。
しばらく真似してましたね。
あれはギャグですから。
誰一人笑ってなかったけどね。
まあね。笑っていいんですよっていう。
狂言がガチ勢すぎてさ、笑ったら怒られそうだったもんね。
笑わなきゃいけないんです逆に。逆に笑うべきなんですけど。
でもなんかそういうところをすごくね、なんとなく感じると。
だからもっと中村やとか言いたいじゃないですか。
言いたいね。
でも言っちゃダメみたいな空気感もあるじゃない。
まあ確かに。
言っていい人とダメな人みたいなのもあるわけですよ。
なんとなくね。
でもやっぱりそんなに肩肘張らなくてもいいんじゃないっていう。
娯楽なんだからっていうところは大衆演技が引き継いで言ってくれてるから、
言えるっていうことなんだと思います。
これはジャブなのだろうか。
ジャブというのは雑談だったのよ。
じゃあちょっともう本題入りますかね今日は。
入りますか。
どっちからいきます?
どちらからでもよろしい。前回なんだっけ。
前行ける。
前行こうか。
じゃあ俺から行こうか。
はい、どうぞ。
じゃあねちょっと僕も整理しながら行きたいんですけど。
映画国宝。
Bは舞台にない説。
ということでね。
やっていきたいと思うんですけど。
この映画国宝のラストシーンが結構印象的でですね。
キクオは人間国宝として迎えられた上でですね。
最後に詐欺娘という舞台を踏むんですよ。
ものすごい量の神吹雪が雪として舞っていくような舞台なんですけど。
全部終わった時に。
なんかもう真っ暗闇の中にスポットライトがペーンと当たってて。
その舞台上でその消えかけているスポットライトに照らされた空間に。
なんかキラキラキラーって漂ってるみたいな。
それを何かこうしみじみと見つめるキクオみたいなシーンなんですよね。
これ同じようなシーンって今いくつかあって。
しゅんすけが死の間際に見たのもそれなんですよ。
彼も舞台を演じ終えるわけですよね。
もうすでに足は餌食して片方を失って、もう片足ももうダメになってきている。
それでも演じたいということで。
かつてですね、藩次郎の大役として演じられなかった。
かつてキクオに奪われた役を演じ切って死ぬんですけど。
その瞬間に彼が見たのも舞台の上でスポットライトに照らされてキラキラ舞っている何かを映し出すんですね。
さらに遡っていくと、キクオが初めて人間コホコホの万菊おっちゃん、万菊じいさんの詐欺娘を見るんですよね。
その時にも彼はそのキラキラを見てるんですよ。
そうすればそうかね。
で、その時にわーすげーみたいな感じになって芸の道へとまたさらにのめり込んでいくっていう。
だから彼にとっては芸の道を極めていく上で、あの景色っていうものはものすごく熱烈に求める彼にとっての美そのものだったんじゃないのかという。
さらに遡っていくと、キクオの父が死んだのも雪の日で。
で、その時に見たキラキラした景色もまさしくその雪がちらついているような。
だから彼の中でのそのなんていうのかな、あのキラキラみたいなものっていうのは彼が追い求める美の象徴でもあったし、
それは現体験として父が死んだ時の雪景色のことだったんじゃないのかと思うんですよね。
だからあの少年だった頃のキクオはその父が死の間際に命を散らしていくそのシーンを見て、
その儚げに散っていく命とそのちらついていく雪とみたいなものを見て、ひょっとすると美しいものを見たんじゃないのかと。
父を失った悲しみの中でね。
でも彼はその美しさっていうものの中に父の広がっていく血を見るんですね。
僕が立てたい説っていうのはこのあの夜にキクオはその父の鮮血とそのキラキラ輝く何かを見た結果、
血に執着するようになってしまったんじゃないのかと。結局彼はずっと人生の中で僕には血がないと。
つまりは役者の血が流れていない。春月にはそれがあるでも僕にはこれがないんだと。
だからその芸の道でお前はその才能があるから芸を伸ばせって藩次郎に言われて一生懸命頑張るんだけど、
それでも血が流れていないから怖くて仕方がないと。
つどつど自分の血の流れていない体を呪い、血が流れていないから申し訳なくなり、血が流れていないから何かと情けなくなり、
そして血が流れていないからこそその血を持っている春月にすごい嫉妬するっていうそういうこうずっとサイクルの中で生きているわけじゃないですか。
でも実は彼が見せられていたのはその父の血を見て結びつけられたその血そのものでは実はなかったんじゃないか彼自身は気づいていなかったけどね。
それは何かっていうとそのものの哀れだったんじゃないかというか。
つまりはですねすべてを失っていくものが見せる儚い美しさ。
それに本当は見せられていたんだけれども父の死によって広がっていく専血を見て父への執着が始まってしまったってそこの大きな勘違いが実はそこにずっと生きていたんじゃないのかなということなんですね。
自分の体に流れている人狂の血と決して手には入らない歌舞伎の利縁の血っていうものを人生のほとんどにひたすらその執着に費やしていくことになると。
でもそれは絶対に手に入らないからずっと苦しみ続けるっていうことなんですよね。
で面白いのは人間国宝になったその日の夜です。
その日かもわかんないけどなんかこうインタビューを受けに行くんですよ彼は。
おめでとうございます的なねインタビューを受けに行くときに車で移動中ドアの向こうは粉雪がちらちら散ってるんですよ。
そしてそれはダイヤモンドダストのようにキラキラ輝いているんだけれども。
これまさしくですね父が死んだ時と同じような雰囲気じゃないですか。
でも彼は全くその雪に別に心を動かされてないんですよね。
何かこう意味深な感じでそれを見てじーっと見てなんかこうはぁーみたいな感じになるかと思ったら全然そんなことにはならないで。
そのくせ最後の最後でその舞台上でスポットライトに照らされた何かに対してすごい心動かされるんですよ。
ここでね僕はすごく思ったのはじゃあ舞台上でスポットライトに照らされて空気中をちらちら舞っている何かって何かっていうと誇りじゃないですか。
プライドの方じゃなくてね。
違います違いますチリです。
ダンスの方ね。
そうです。彼が見ていた美ってあれチリなんですよねっていうふうに僕は思ったんですよ。
そしてチリっていうのは美しくもなんともないものなんですよ。
すなわちですねこの美しくもなんともないものを美しいと見せる。
それこそがですね彼が到達したその美の真理だったんじゃないのかと。
いうふうに思いたいっていうことなんですよ。
そう考えたらいろいろと何かこう見えてこないかっていうね。
実際彼自身はなぜここまでその利縁で生きてこれたかっていうと確かに芸の才はあるんだけれども顔がとにかく美しかったわけですよね。
そうだね。
実際吉澤龍さんすごい美しい顔してらっしゃるんで。
僕はもう本当に彼を映像作品で見るたびにですね。
お嫉妬の炎に身をやつしてですね。
3日目は飯食えなくなるんですけどそれだけ美しいんですよ。
孫ちゃんも十分美しいと思うよ。
いやまあそれはわかってんだけどね。
それはわかってんだけど。
とにかくですね。
彼は結局自分自身のその美しい外見っていうものを武器にしつつ、かつ芸も磨いて自分にない血を乗り越えようということをひたすらやっていくわけだよね。
ところが万菊さんですよね。
万菊おじさん。
人間国宝の女方なんですけれども。
綺麗な顔してるわねみたいな。
何て言ったっけ。いずれその顔に食われるかもみたいな。
食われるわよ。
みたいなことを言うわけですよ。
結局彼はその言葉の意味が全然ピンとこないままそのシーンは流れていくわけなんですけれども。
ただ実際彼はその顔に食われていったんじゃないのかと。
その顔に食われるってどういうことなのかみたいなことをいろいろ考えていくんですけれども。
結局彼は初めから美しいから顔が。
女になれちゃうんだよね。
でもその彼が見せている綺麗な女っていうのは彼自身が見せてるんじゃなくて彼が持ってるその外見が見せてるものでしかないんだよね。
ここで立ち返りたいのは結局その万菊さんの舞を見て
菊王が感じたその美の正体っていうのは結局
明かりに照らされてキラキラと舞う埃みたいなもので
つまりは美しいわけではないんだけれども美しく見せられてしまうという。
実際万菊じいちゃんはじいちゃんでしかないんですよ。
すごいじいちゃんなんだけど舞台に立ってひとたび舞い始めるとそこには確かに生めかしくも儚く美しい女性の姿が見えてくるという。
結局菊王が追い求めているのはそれであって
だとしたら彼自身の初めから持ち得る美しい顔っていうのは確かに邪魔でしかないんですよね。
でも彼はそれに気づかないんですよ。
なぜならそれに頼らざるを得ないと考えているから。
それってなぜかっていうと彼は地に執着しているからなんですよね。
とにかく手に入らない地。
しゅんすけだけが持っている。
しゅんすけだけがというかリエンにいる者たちが持っている地っていうものを追い求め続ける。
だから結局何とかして地を持ちたいと思った結果秋子ちゃんをたぶらかすわけですよね。
秋子ちゃんかわいそうでしたね。
すっごいかわいそうでしたね。
お前毎回映像作品見るたびにそれ言ってるからもう何号までいるのかわかんないですけどね。
絶対にお前にもらわれる方が幸せになれない感じがしますけど。
そういうことはないよ。
話戻すけど、結局秋子ちゃんたぶらかし事件の結果、
彼は秋子ちゃんと交われば後ろ盾になってもらえるかもしれない。
だからある種仮にも血のつながりを持てるっていうふうな強みを持てると思ったんだけど、
その根担も全部バレてたもんだから完全に感動されてですね。
地方の土砂回りをせざるを得なくなると。
そこで待っているのは何も歌舞伎に造形のない男たち。
あるいは舞台のあるホテルだか旅館だかに泊まってるただの一般客なわけですよ。
誰も見てない中で舞い続けるんだけれども、そんな彼に見せられる男が出てくるんですね。
このエピソードも実はめちゃくちゃ重要だと思っていて、
とある宿泊客、しょうもない30代前半か半ばぐらいの会社の同僚で泊まりに来ましたみたいな感じの連中のうちの一人が、
きくおに見せられてですね、興奮しちゃってきくおに迫るんですよね。
他の連中も悪ノリして、お前なんかもうちょっとやってもらえよみたいなこと言って押し出してくるんだけど、
結局それでもう男じゃねえかみたいな、この偽物が!みたいな感じでボコボコにされるみたいな。
あれって結局彼自身が芸を持っているんだけれども、きくおには確かに芸があるんだけれども、結局顔が邪魔してるんですよ。
男たちは顔しか見てないんだよね、初めから美しい。
芸を持って完成される美しい女というその芸術作品を見ていなくて、結局ただのきくおの綺麗な顔を見て綺麗だなって思っているだけ。
だからそこには結局きくおが追い求めているその芸としての到達点はないんですよ。
そこで結局狂ったように屋上で回って、あきこちゃんにどこ見てんのみたいなこと言われて。
青木さやかみたいなこと言われて、そこできくおは気づくわけですよね。
芸だけを追い求めるつもりだったのに、結局血を追い求め続けてしまっていた自分みたいなものにも気づかされるわけですよね。
あきこちゃんからのどこ見てんのよっていうのをね、いただいてというわけですね。
だからまあ変な話ね、その後話がどう終わっていくのかなみたいな気づいたのかなっていうところで、どうやって話が進んでいくのかと思ったらここで改めてのマンギクなんですよね。
マンギクさんを呼んどんでみたいな感じになって、結局さ、マンギクは一体何を見てたのかっていう話なんですよ。
やっぱりマンギクが見ていたのはやっぱり美なんでしょうね。
そしてその美っていうのは表現するものであって、初めからそこにあるものではないという。
だから彼はその美しさが何もない部屋で安堵して死んでいくわけですよ。この部屋には美しいものが何もないとか言ってね。
だから美しいものがそこにあったら美しいものを彼が作り上げる必要がないからなんじゃないのかと。
マンギクは表現者なわけだから、美をその場に作り上げるという、そのプロセスによって彼自身の価値っていうものが生まれるわけでね。
彼の芸能っていうふうに考えると、マンギクがキクオに伝えられたのはまさにそれで、キクオが全てを失って、かつ自分の持ち得るものを捨て去るということの意義に気づいたからこそ呼び戻してくれたんじゃないのかと。
で、これでキクオが戻ってハッピーエンドかなと思ったら、その後のソネザキ神獣ですよね。
いや良かったですね。ソネザキに我々も行ってきましたからね、この間。
あそこソネザキ神獣ですね。
そうですね、はい。で、このシーンで結局シュンスキは死ぬんですけれども。
あそこでシュンスキが見たものも、やっぱり全てを捨て去って演じ切るという。
彼の場合は本当に命も捨ててしまっているわけなんですけれども。
何もかもを捨て去ったものだけが見れる美っていうものは存在しているんじゃないのかっていう見方と、
あとはやっぱりさっきも言ったように、美しくないものを美しく見せることこそが芸なんじゃないのかっていうのが、
この2本がこの物語の中で最も重要な筋だったんじゃないのかなというふうに僕はちょっと思ったんですよね。
どうですか?
いや、すごい納得した。
本当?
特にね、満月の下りがね、俺ちょっと未だに飲み込めてなかったんだよ。
ここには美しいものなんて一ついないでしょ。
美しくある必要がないと思うのみたいな動画がいいんじゃない?
ないんだよ、このおっさん。
ちょっと思ってたのよ。
美しく見せるためのものであって、そもそもが美しいっていうわけではないなっていうところが、
今の話聞いて、なるほどなと思ったし、
あとは最初の、初めて満月の舞台を見たときに、
世界一美しいバケモンだみたいなセリフがあったと思うんだけど、
その言葉が今の真子ちゃんの説っていうか話をすごくまといてるセリフだなと思ってさ、
本質的にはバケモンなわけさ。
たぶんバケモンっていうのは国宝としての偽料っていうバケモンでもあるだろうし、
ひとかはメイクをとったらただのジジイっていうバケモンっていう意味でも
もしかしたらあったのかもしれないな。
でもそれを美しく見せるかどうかっていうのが、
ただのバケモンをバケモンとするのか、
バケモンの能力によって美しく見せるのかの瀬戸際というか境なんだなと思うと、
あのセリフっていうのはめちゃめちゃ意味があるセリフなんだなっていうのをすごく聞いてる。
おだしょー ありがたいですね。
特にね、やっぱりその塵を見て美しいと感じるっていうところも、
非常に日本の物の哀れ的なさ、あると思うんですけど、
結局平家物語の冒頭の句なんか有名じゃないですか。
春は後物。
おだしょー それは違う、枕草子ね。
平家物語?
おだしょー 擬音精舎の鐘の声。
諸行無常の響きあり。
枕草子の花の色。
上者必須のことわりを表す。
求めるもの?
おだしょー 溺れるものも久しからする。
ただ春の世の夢の如し。
たけきものもついには滅びぬ。
さあどうぞ。
一重に風の前の尻に同じなんですよ。
そういう字なんだ。
おだしょー そうですね。
たけきものって言われたあたりが全く記憶に残ってなかった。
おだしょー なんでだよ。
あれってまさに無常観の句であって、
平家が没落していく様、上者必須、たけきものもついには滅びぬ。
そこには要するに変わりゆくもの、消えてゆくもの、春の世の夢、そして風の前の尻。
結局、失われていくそこにこそ美しさみたいなものを感じる日本人の無常観みたいなものを、
物の哀れみたいなものを描いていくというか。
それで言うと、結局全てを失っていく春助の最後の舞台が持つ美しさっていうものも、
そこに失われていくからこその美しさが存在しているし、
そして雪の夜に見た父親の最後の姿っていうものも、命を懸けて息子を逃がす父親の死というさ、
失われゆくものの美学みたいなものが、それは人狂という形ではあるけれども、そこにはあるだろうし。
そして万菊さんと自分自身がそうであるように、彼らが到達した人間国宝としての儀礼の粋というものは、
命の終焉とともに失われていくわけですよ、それは。
未来永劫を続いていく宝ではないわけですよね。そこにこそ美しさがあるわけですよね。
今そこで待って人々が見て美しいと感じる、そこに彼らの舞の意味があるんだけれども、
彼らの舞台の意味があるんだけれども、それは時の流れとともに失われていくわけですよ。
それって美しくないっていうさ、いうお話でもあるんじゃないのかなっていう。
だから僕のこの論っていうのは全て、彼が見たね、最後に見たものっていうのがスポットライトに当てられた誇りだったんじゃないのかっていう、
そういうお話から派生しているので、撮影したね、監督がですね、違いますって言ったらもう全部引っ越されされる。
いやあれ誇りじゃないですよって言われたらそれで終わりなんですけど。
リサイルさんにね、それ言われちゃったらもう終わりなんですけど、僕はそう見たよっていう、むしろそう見た方が楽しくないっていう。
だってひたすら美を追い求めたね、そう男たちが、最後の最後で見たものっていうのが、ただの誇りに過ぎないというさ、
ただの塵に過ぎないのだとしたら、それってなんて面白いんだろうってすごく思うし。
なんかこうとても、それをもって僕は今作を非常に素晴らしい作品だなと思ったというお話でございます。ありがとうございました。
いやー面白かった。
まあそんなわけでね、僕の論はタイトルとしては、美は舞台にない説でした。
なるほど。
そこに美はないから、作り上げるからこそ価値が生まれる。そしてそれはいずれ失われるからこそ価値がある。
いわば風の前の塵に同じですよという。
なるほどね。
僕の説も説というか、ここが説っていう話では正直ないんですけども、もしかしたら少し内容的には似通る部分があるのかもしれない。
なんだろう、どんな話?
僕の話なんですけども、美とは深淵であるっていう話なんですよ。
おー、ニーチェ。
ニーチェです。今回のね、国宝を見終わった時の第一感想なんだけど、
確かにすごい絵を見たなっていうところももちろんあったんだけども、なんか最初に出てきたのが、すごいというより怖いっていう感情だったのさ。
で、なんでだろうなと思って、この3時間の映画の中ですごく絵がめちゃめちゃ綺麗だし演技も圧倒されるし、
なんかこう普通だったらこの手の絵が見たら、ああいい絵が見た、すごい絵が見たっていうところで終わるはずだったんだけど、
なんかその自分の中の感想としてはすごいっていう感動とはちょっと違う、なんかモヤモヤ感がすごくっていうかソワソワした感じ。
すごく強く出たんだよ。で、ほとんどちょっと自分語りになってしまうんだけれども、
そのソワソワ感、怖さっていうのが何だったのかなっていうのをちょっと自己分析してみたっていう話を今回ちょっとしようかなと思います。
で、どんな映画かっていうところは先ほど真子ちゃんがいろいろ言ってくれたんだけれども、
人形の生まれた菊王っていうところが高層で父を失って歌舞伎の名模に引き取られて、
その芸人に人生を差し出していくっていう話になっているんだけれども、
自分がこの映画を見ていて一番引っかかったのが、彼が女形だったっていうところだったんだよね。
男が白塗りをして舞台の上で女性になる。素顔を覆って別の存在になっているっていうところ。
だからそれが見ていると変身というよりかは根本が何かから変わる。
ある意味変態みたいな。そんな状況だったのかなって。
途中に聞いたことがあるようなないような演目がいろいろ出てくるんですけど、
正直さっきもちらっと話したように自分の人生の中で古典芸能に触れたのはこの中学の時に見たブスぐらいだから、
正直すげーって圧倒されたし、見ると引き込まれたって気づいたら目が離せなくなったっていうような感覚がすごくあったんだよね。
芸に人生を捧げるっていうのが、すごく言葉にするとめちゃめちゃ綺麗な言葉なんだけれども、
この映画を見ているとこの捧げるの中身が、手に手放していくっていう方がすごく近かったのかなとすごく感じたのさ。
やっぱりすごく印象的なシーンの一つに、終盤に近いところで、
人間国宝ですねってインタビューを受けるあのシーンっていうのがすごく印象に残っていて、
藤枝だっけ?藤くず?
藤娘。
藤娘。
あのー、まいこさん。
あー、いたね。
お娘さんだったって話だよね。
そうそうそうそう。何子だっけ?
なんとか枝だったっけ?藤枝?違うな。藤枝じゃない。
藤いかぜはお前さすがに藤いかぜに影響されすぎだろ。
ちょっと名前忘れちゃったんですけど。
その子はね、きくおに一通りインタビューした後に、恨み事みたいな感じで父だと思ったことは一度もない。
ところからスタートしていくわけさ。
ここから恨み事の一つでも言いに来たのかもしれないなと思ったら、
その子は続けて、でもあんたの舞台を見ていると、正月でも来たみたいな気持ちになって気づいたら手を叩いたみたいな。
っていう風に語っていくわけさ。
これがね、自分の中の怖さの核みたいなところとすごく似てるんだろうなって思ってて。
その子自身は、きくおという人間を見たときに、正直恨みみたいなところもいっぱいある。
だから父の演技っていうものに共感だったりとか、素晴らしいという感情をなるべく持ちたくないみたいなところがすごくあったんだと思うんだよね。
引かれ舞いとしているし、父とも思ったような。
だけど舞台を見たら引き込まれて気づいたら拍手をしていた。
自分の意思とは関係なく体が反応してしまっているっていう状況になっている。
だから好きとか嫌いとかで引かれるっていうわけでもなくて、憧れるからでもなくて、恨むことができる間なのにそれでも引き込まれる引力っていうのが
こっちの気持ちと関係なく働いているっていう状況だったと。
ここからちょっと自分の話になってくるんだけども、正直言うと見てる間すごい焦りの感覚がすごくこの映画で強かったのよ。
なんでかなっていうところを正直に捉すると、なんかこのうらやましいとかすごいとかそういうことじゃなくて、
自分がこんなに、こんな風に何かに賭けたことがあっただろうかっていうのをずっと考えてた。
例えば今の仕事、詳しくは言わないけれども、学生生活含めてかなり今やってる職業のためにすごく打ち込んだと言っても過言ではないと思う。
あるいは今やってるポッドキャスト、一週に一回ずっと映画見て話してっていうのはそれなりにしっかりやってきたと思う。
趣味の範囲ではあるけれども、しっかり熱量をかけてこれまでちょっとやってきたなっていうところはあるんだけども、
なんか何もやってこなかったわけじゃないんだけれども、
でも自分の中のいろんなことを考えると、人生を差し出したと言えるほどのものはしてなかった気がしたなと。
何かしら逃げ道を残したのは、まあまあこれが全部のことじゃないしねって、
全てのことに言い訳を言える立場に立っていいだなっていうところは、自分の中で見てて思ったんですよ。
最初この焦りみたいな感情っていうのが、自分が一芸を持つ人に焦がれてしまうっていうのは、
その人が一芸のために抱える空洞みたいなのに、自分の空洞を重ねているのかな?
投影してるのかな?みたいな、そういうことをちょっと考えたんだけれども、
隠し子の場面を見てて、それって自分を慰めてる話だなっていうのもちょっと反省したんだよ。
似ているから惹かれるっていうのは、心地いい反面、今回の映画とはちょっと違うなと。
だから引き込まれるっていうのが、向こうが自分がどうしても超えられなかった線の向こうにいる人。
その菊汚っていうのは、自分が干する芸というもののために、
全てのものを空洞にしていった、その真ん中に芸というものを置いていった。
一方で自分に置き換えていくと、自分の中心は何かがあるのかもしれないけれども、
そこの周りにいろんなものを置いていて、穴はいろいろ開いてあるけれども、
いろんな空洞を埋める何かっていうものが自分の手元にはいっぱいあるわけさ。
だから、何かオンリーワンを持っているっていうその人の各空洞っていうのと、
自分が空いてる空洞っていうのを見比べたときに、どうしても自分が持っている空洞って
他のものがいろいろ自分の中で結構満足している結果でもあるんだけれども、
いびつな空洞が空いてるよなっていうふうにもちょっと思ってしまったわけさ。
だからこそ、菊汚は芸以外何にも持っていない人間だけれども、
芸をやらしたっていうときには、その人生の全てが見えてくる。
でも、大局的にそれを見ている自分としては、すごいなって思う反面、
自分の何かに賭けてきたものっていうものが、ひどく空虚に見えてしまうっていうような感情が
多分自分の見ているところですごく入り混じってたのさ。
なんか途端に今まで頑張ってきたものが無価値に感じちゃうみたいな。
無価値とまでは言わない。価値が低いものだったな。
なんか誇れるものじゃないなっていうような気がしてきちゃうわけさ。
っていう勝手な焦りが出てきて。
だから正直、一芸に取り憑かれていくことっていうことが、
なんていうんだろうな。
その幸福なのか呪いなのかっていうのも、見終わった時点で、
これを僕2回ぐらい見たんだけど、
どっちだったのか、この人は復興になったのか、幸福になったのか、
どっちかっていう結論は僕は最後まで出せなかったんだけれども、
じゃあこれから自分の人生を賭けていく何かを始めようっていう気持ちには
あまりならなかったんよ。
ならなかったっていうのは、単純に今の自分に満足してますとか
そういう話じゃなくて、そんな簡単な話じゃなくて、
自分が今まで何を避け続けてきているのかなっていうのを
突きつけられた感じで、一つを選んで、それに時間を奪われて
下手なままやり続けて、他の可能性を全部捨てるっていう選択肢が
今の自分にできるのかなっていう、そういう課題を
僕に突きつけてきたっていう映画の一つだったのかなと。
なるほど。
キクオっていうのがそれを全部やった人間だった。
だから怪物に見えたし、目が離せなくなった。
でも自分は、たぶんまだ何もその捨てたりっていうところが
仕切れてないっていう部分ももちろんあるよねっていうところを突きつけられた。
だから隠し子の子みたいに、全てを捨て去った芸というものの前で
気づいたら拍手をしている側に立っているのかなっていう。
だから俺は何かに欠けたっていうことを起これないから
焦ってるんじゃないかっていう自己分析をしましたっていうのが
このシーンです。
じゃあ何か言い残したこととかあれば聞いておきますけど何かあります?
そうですね今回ちょっとすごいどっちにしろ真面目な話になっちゃったので
こっちもちょっと真面目なんですけど
何か異変を感じたら早期に受信しましょう
語りたいものがある
好きでたまらないものがある
それならもう話すしかない
気になったもの
ハマったもの
人生をちょっと楽しくしてくれる者たちを持ち寄って
本気で語り倒す30分
笑えてちょっとためになって
たまに明日何か書いたくなる
毎週日曜更新
俺たちの物語
誠大間でお送りいたします
アメリカかどっかで
ある男が起きてやら
飼い犬がなんかくちゃくちゃ食ってて
ウィンナーかなと思ったら
自分の足の指だったっていう話を聞いたことあります
気づかないってことはつまりそういうことなのかなという
はい
アメリカの場合は
歯医者の治療で100万とかそういうレベルもあるからさ
不調があっても行かないっていう
なんなら行けないっていうね
行けないんだよね
個人保険ですからね
日本はね幸いにして国民解放権なので
だからといってバカすか行けという話ではないんですけれども
必要な人がちゃんと行くという
そしてその必要な人が常に行けるような体制を
今後も維持するためにもですね
ちゃんと必要な人だけ行ってくださいなんですけど
不調があったらね
見ておいたほうがいいんじゃないでしょうかね
特に糖尿病はさ
本当にケア大変だからさ
そうですよね
早めに行ってさ
予備軍のうちにどうにかしちゃったほうがいいって
そうですね
宝石が必要になってからとか
生活の事故が変わっちゃいますしね
気をつけましょう
本当に
気をつけましょう
我々気をつけましょう特に
ダメですよ本当に
ちゃんとリスナーに夢を届けないといけないのに
デブであるなんてことを伝わっちゃいけない
デブな声とか出しちゃいけないから
そうだね
常にかっこよくね
あたかも痩せているごとき声で
お届けしないといけない
いやーでも楽しかった
いい映画だったね
ものすごく
見終わった後
僕は気持ちよかったんで
もう一回見てもいいかなって思うんだけど
なんだろう
僕の中ではすんって落ちてるから
もう一回見るにしても
俺5年後ぐらいでいいかなっていう
自分の中ですんと落ちてる位置は
もう5年は見なくていいですね
僕のヒューマンドラマとの付き合い方
これですから
僕は結構こういう映画出会ったら
定期的に見たくなっちゃうから
すぐたぶんまた見ちゃうと思う
でも3時間
3時間あっという間だったな
3時間映画って言ったら
タイタニックとかですか
あと2001年宇宙の旅
あれ3時間もあったっけ
そうだよ
あれは最も長い映画だったな
精神的にね
いつ終わってくれるのっていう
まだ続く
ファンの人いたら本当に申し訳ない
怒られますよ
僕の中ではリリファル史上最も辛い映画って言っても
過言ではないってやつ
未来の未来ですね僕は
僕は未来の未来です
これはもう絶対ですね
本当に申し訳ないです
国宝を見て確信しました
ちゃんと脚本雇ってください
そうです
いや良かったな
今回良かった良かったしか言ってないんで
もうちょっとしょうもない話をいくつかしておきたいんですけど
キャスト陣がすごく良かったなって思いましたよ
僕が邦画でキャストを褒めるってすごい珍しいことなんですけど
吉澤亮さん良かったですね
元々顔は綺麗なんですけど
良かったですね
横浜流星さん
苗字がいいですねやっぱね
横浜だからね
横浜ですからね
横浜流星の横浜は良い横浜ですよ
良い横浜ですね
頭はすっからかんぽんくら
宝刀息子って感じが素晴らしかったですね
良かったな
良かったです
その癖やっぱりごちと嫉妬する
ずっと気になってたんだけど
インタビューの時の野球ボールはどっから出してたんだろうなって
分からないです
ずっといじくってたんだけど
深淵から出してたじゃないですか
ステータスオープンできるタイプの人間かもしれない
アイテムボックス持ちかもしれないから
アイテムボックス持ってたのか
高畑美月さんもすごい可愛かったですね
この子は声が素敵ですねっていうのを
声が素敵ですね
刺さったかもしれないですね
あと森七さん
森七と書いて森七さん
あーこの人ね
森七さんが秋子ちゃんだっけ
じゃなかったっけね
あれの人だよね
舞妓さん家のまかないさんの人だよね
違いますよ
あずま千五郎っていう
神方歌舞伎の獣神の娘です
田ぶらかしたやつねキクオが
そうそうそう
なんかやってたのそういうの
舞妓さん家のまかないさんやってた
とにかく秋子ちゃん
秋子ちゃんがね
可哀想だったし
森七ちゃんがすごい
あんな体当たりの演技で来ると思いませんでしたから
びっくりしちゃった
俺と結婚しようよって
もうやめてそれ
セクハラすんのやめて
俺へのセクハラだからもうやめて
いやすごかったな森七さん
びっくりした
結構ね何者入りで
道端でスカウトされたみたいな感じのあるで
そうなんだ
初めて見た時は若い頃の豚田光みたいな感じでしたけどね
あー確かに確かにちょっとわかる気がする
この人やっぱり和服が非常に
綺麗に着込ませる人だなって
そうなんですか
その心はっていうね
わかんないですけど
あとね地味に僕がこういいなって思ったのは
寺島忍さん
寺島忍さん
あれです春介の母
あーお母さんの演技も良かったよね
はい
この方はもともと李縁の方なんですよ
へー
尾上紀五郎の娘ですね
そうなんだ
だからまさに彼女はですねその伝統ゆえにですね
この李縁に生まれながら舞台に立てなくてっていう
女だから
はい
っていうのがあって非常に苦しんだというかね
結局女優の道に進んでいくわけではあるんですけれども
ただその後ですね
歌舞伎の役者にずっと本当は男だったら歌舞伎役者に絶対なりたかったーって言っていて
その後なんかで立ったんじゃなかったっけな
へー
なんかそう泣きながら喜んでるなんか会見みたいなものを見た覚えがあるんですよ
へー
なんだっけな
ちょっとわかんないっすね
その辺全然調べてなかったんであれですけど
なんだろう全然わかんないわちょっと詳しい方教えてくださいっていう感じです
でもそんな彼女がまさに李縁の妻として演技されているっていうのも
なんかすごく面白いなっていうふうに思いましたし
いい感じでしたね
そのぐらいですかねキャストに関しては
良かったです本当にいい映画をありがとうございました本当
これからもどんどんこういうのが来てくれると嬉しいです
懐かしいから
え?
次回どうする?
ジャイアントピーチそろそろやらないと叱られるんじゃない?
怒られるかな
是非見てくださいって言ったから8000兆人ぐらい見てるんじゃない?
でも羊探偵団も今見れるんで
そんなこと言い出したらディズニープラスでアバターファイア&アッシュが来てますから
ノスタルジーリサイクルしてる暇ねえな最近
そうなんだよなちょっとな
ノスタルジーをリサイクルしてる暇がないですね
ちょっとまずいですね
まあなんか
オフレコなところでちょっと相談をして決めますか
また次回お楽しみにでちょっと引っ張りますか
まあでもジャイアントピーチは撮ろう
まあそうね次回じゃあとりあえずジャイアントピーチはちゃんとやります
ちゃんとやろ?
ちゃんとやれよ
さすがにやるよ
そりゃそうだよ
言ったんだから言ったんだからやれよ
次回もまたお楽しみにじゃねえよ
ワクワクしててくださいねじゃねえんだよ
やるっつったことやれよっていうね
ちょっとね本当にピーノさんにも怒られましたから
お便り読んだらやれよっつって
だって見れなかったんだよ
だって見れなかったんだよ
見れたらやれよ
見れるようになったら確実にやりますんで
忘れてないように
ツタやディスカスは含みません
ストリングが来たら見ますということでね
ちょっとお楽しみに
じゃあ次回はジャイアントピーチの予定でいきたいと思います
ということで今回お聞きいただきましたのは
なんだっけ
映画国宝伝統と狂気の狭間でですね
ということでですね
番組では投稿フォームを通じて寄せられた感想やリクエストを
実際に番組のテーマや構成に反映しながら制作しております
最近も投稿フォーム受け付けておりますので
ぜひ皆さんもお願いしますね
またXでハッシュタグリルパールをつけたポストも受け取っております
いただいた声は番組の中でご紹介させていただくこともありますので
ぜひあなたの声をお届けください
公式エクサカウントはリールフレンズイントーキョーで検索
フォローもよろしくお願いします
リールフレンズイントーキョーは
アップルポッドキャストをはじめとする主要なポッドキャストアプリで配信中です
本日のお会いでは誠
オーバーでした
それじゃまたねー
またねー