はい、eda.comより解説を読ませていただきます。
君の名は雀のとじまりの新海誠監督による2007年公開の劇場アニメーション「秒速5センチメートル」をストーンズの松村北斗主演で実写映画化。
1991年春、東京の小学校で出会った遠野隆と篠原あかりは、お互いの孤独に手を差し伸べるように心を通わせるが、卒業と同時にあかりは引っ越してしまう。
中学1年生の冬、吹雪の夜に栃木岩船で再会を果たした二人は、雪の中に立つ桜の木の下で、2009年3月26日に同じ場所で再会することを約束する。
時は流れ2008年、東京でシステムエンジニアとして働く高木は、30歳を前にして自分の一部が遠い時間に取り残されたままであることに気づく。
あかりもまた当時の思い出とともに静かに日常を生きていた。
高木と心を通わせていくヒロイン、篠原あかり役を高畑光。
高木に思いを寄せる高校の同級生、澄田かなえ役を森七。
高校時代の高木役を青木ゆず。
高木の会社の同僚、水野梨沙役を桐生舞が務め、その他に宮崎葵、吉岡秀孝が共演。
アットザベンチで注目を集めた映像監督、写真家の奥山義之がメガフォンを取り、愛に乱暴の鈴木文子が脚本を手掛けた。
では、内容に触れる話に入っていきますので、ネタバレ気にされる方は是非見てからこの先は聞いていただけたらと思います。
では、マリオさん最後に。
今回ばかりはそうなりますよね。
わかりました。最後に。
じゃあ、オイスさんいかがでした?
すごく良かったところと、そのまま飲み込めないなってところと、そこが両方あるけど、総合的には良かったかなっていうぐらいなバランスで自分は落ち着いてはいます。
マリオさんが言う前にあるんですけど、アニメ版は実は僕そこまで刺されてなくて、見た当時。
当時高校生だったっていうのはかなりデカいと思うんですけど、その当時だったんで、やっぱりちょっとセンチメンタルすぎるというか。
高校生にはちょっとね。
そうですよね。高校生がそんな後ろ見てたらダメですからみたいな。
30歳になったらコーナーグルームみたいな。
怖ってなったのはこうやって。
なので、あんまり惹かれてなかったんですね。
その後、20歳ぐらいで見た時に、なるほどこういう感じかっていうようやく落とし込める感じがあって、今回っていう感じなんですけど。
実写になったことで、ある程度原作アニメーションのいろいろな部分をちょっとずつアジャステーション変えてたところで見やすくもなってはいるし、
ちょっとテーマ性みたいなのを少し切り替えてるような気もしたというか、恋愛における思い出の話というよりも、
良いか悪いかは一旦置いておくとして、30歳で大人になる話っていうところにどちらかというと視点が行っているような気がする。
もちろん原作にもそれはあるんですけど、そこをより強く打ち出してる気がして、
そこは今回の実写映画で大手配給で描けるっていうところのバランス感としては、なるほどなっていう感じは受けましたし、
あとはアニメでそもそもやってたところを実写化することの強さというか、
あ、こうなるんだっていうところの面白さがあって、特に高校生編ですよね。
あそこはちょっとすごかったです。
結構感動しちゃいました、あそこだけでも。
森七が演じる役柄がかなり主体性を帯びているというか、自分そこに息して歩いてるって感じが、もちろん実写の役さんがいることですごくあって、
そこの細かい実写ならではの部分っていうのはすごくよくできてるなっていうのと、
監督がかなり原作にリスペクトを加えた上で、じゃあ現代でそれを映像化するのはどうするかってことをよくよく考えて作られた作品なんだろうなとは思いました。
ただ一方で、現代版のアカリパートに関しては割とどうなのとは思ってるっていうのは言いたいなとはちょっと思ってるところはあります。
これはたぶん後々話していければなと思ってるんですけど、そこを少し優しすぎないかなっていう、
もうちょっとドライでも良かったんじゃないかなっていうのは個人的には思いました。
僕はですね、ものすごく解釈一致の部分と解釈非一致の部分が結構両極端に振ってる部分があって、
結構僕前半は無茶苦茶ノリに乗って見てたんですよね。
小学生パートですよね。だからアニメ版で言うところの第一章、大河章の小学生のパートと、
あと第二章、コスモワールドの高校生時代の話はもう今回無茶苦茶よくて、
ただ、どうしても現代だから第三章、秒速5センチメートルの章を肉厚にせざるを得ないんですよね。絶対。
時間が1時間も伸びてるんだから。そこでこう微妙に解釈がずれる部分があったなっていうのはあって、
それをやっちゃうと結構良くない感じに見えるなっていうのはありました。
っていうのがあったんですけど、ただ全体的な方向性としては、この番組でも僕とマリオさんが2人でアニメ版の方の秒速5センチメートルの時の話をしたことがあるんですよね。
3年以上前の話をしましたね。で、あの時にアニメ版のラストは過去に縛られるんじゃなくて、前に進む決断をしたところなんだっていう風な話で、結構世の中では秒速5センチメートルは呪われる話っていう風に言われがちなんですけど、
そうじゃなくて、そのから抜け出して毎日その話になったって話をしてて、そこの解釈は一致している部分もある。ただその呪いがよりちょっと悪視するっていう部分も本作の中にはあるなって思って。
僕、あの桜のとこ行ったらあかんやんって思う。そこはね、結構この実写版になって、場面が増えたことで、行間ってそれがあったとしたら結構高木よりあかん人間に見えるなっていうのがちょっと際だったかなと思う。
ただ、アニメ版の時よりもよりあかん人間だったものが前に進んだ話としては良かったのかなっていうふうにもう一晩経って、ちょっと落ち着いてるっていう感じです、現状は。はい、以上です。ではマリオさん、ありがとうございました。
そうですね。めちゃくちゃ喋るのむずいな。もうちょっと原作が人生に食い込んでいる人間の話なので、この作品の個別のどういうとこがどうでみたいな話よりも、自分と秒速5センチメートルとはみたいな話になっちゃうんですよね、どうしても。
そういう意味では、僕、原作を見てからここに至るまで見え方が変わっていってるんですよね。さっき山口さんが言ってたように、すごく過去にとらわれる話というか、ただただすれ違ってしまったという強烈な思い出に引きずられてしまうみたいな、それがインパクトのあるラストを、僕も最初そういうふうに受け取っていて、そこに打ちのめされたみたいなところがあるんですよね。
でもやっぱり時間を経るごとに、これは過去を断ち切るというか、そういったことも含めて人生だし、だから世界は美しいみたいな、そういう論脈というか、開かれたのを提示しようとしてたんだっていうのを、
多分、前回も山口さん自身も伝えなかったことなんだろうけど、ようやくそこにショック療法がでかすぎたので、そこに至るまで時間がかかったんですよ、やっぱり。
っていう流れを初めて見たのが大学生の時ですけど、そこから大人になって、今までの間に考えがシフトをチェンジしてきたみたいな感じがあるんですよね。
なのでそういう意味では、僕も少しずつ大人になってきたし、秒速5センチメートルの作品も一緒に大人になってきたんだなっていう感覚が本作からすごいあったというか、
僕が考えていたことをちゃんと言語化してやってくれてるみたいな作品になっててめちゃくちゃ嬉しかったです。
しかもそれを作っているのがめっちゃ僕と同世代ぐらいの人たちが作ってるみたいなことにめちゃくちゃ嬉しかったっていう、感激したし嬉しかったっていうのが感想ですかね。
ただ一方で、新海誠、新海誠、この原作を同じぐらい、30代ぐらいの年代で作ってるっていう意味でそのヤバさも際立つんですけど。
マジかってなったんですけど、ただ僕は30歳でそれぐらいの新海誠を作り上げたような繊細さ、鋭さみたいなのは持ち合わせてない大人なんですけど、
ただ僕と同じぐらいの感じで丸く収まるじゃないけど、考えてきた道筋みたいなのが残る秒速5センチメートルになってたっていうことが何より嬉しかったです。
もうストレートにつきます。はい、以上です。
はい、ではお便りいただいてますので紹介させていただきます。では、いつ命、マリオさんお願いします。
ヒカリコー太郎さんからです。
エンドロールが始まった時、涙で愚書濡れになったって言って小さく拍手しました。
乾いた今、文章を打っています。これはすごい。
秒速を改めて作ること、これまでの新海誠作品が好きであること、実写として演者に秒速の物語を託すこと、
全てに真実なこれ以上ない自由回答を見せられ、感極まるばかりです。
決して断絶ではないし呪いでもない。素晴らしかったです。
そしてこんなにも店長メンバーの方々の感想が気になる映画もありません。配信楽しみに待っております。
ありがとうございます。
すごいテンション。
気持ちわかるわーって一緒ぐらいテンションですよね。
そもそもね、実写化できるんですか?みたいな。思ってたじゃないですか。
実写化する意味があるのかっていう。
あるんですか?みたいな。ここですよね。
この原作がアニメ作品ということで、感情移入しやすいものではあったと思うんですよ。
そもそもこれ、前マリオンさんと個人的に話してたことなんですけど、高木はノーバディーであるべきだっていう話をしてたんですよ。
何者でもない存在であるべきっていう。
感情移入の対象のための存在なのだから、何者かであってはならないっていう存在なんじゃないかって話をしてて。
実写になるっていうことは、もうそれは松村北斗を代入してしまっている状態なんですよね。
見るこっちが、代入したいボックスの中に入れない状態で始まってるから、本来の秒速5センチメートルの原作がアニメにあった、見たときの感覚にはなり得ないと思うんですよ。
地上説的な感覚にはなり得ないから、ちょっとそのやっぱり距離感がまず変わってるなっていう。やっぱり劇映画を見てるっていう感覚だったんですけど、本当に原作の方は主旗を読んでる感じというか。
そうですね。超パーソナルな心情風景の話を延々と見ている、みたいな感じですよね。
そもそも面白い面白くない話が進んでないと思う。
もうその中、もう独り言ですよね。独り言に、「俺もわかるぞ!」みたいな。そこにうなだれちゃう人はそこにめちゃくちゃ刺さっちゃうし、
何言ってんだこいつ!みたいな。なる人はもうとことん打滑のことを嫌うみたいな。そういう作品ですよね。
そこに肉を与えたというか、地肉させたというか、まさに実写化することで実来感を与えていると同時に物語にしているっていう。そこで絶対にずれるんですよ、元から。
ただ、そこは何かおかしくはなってないっていう風な感覚で僕は見ましたかね。
そもそもあの原作を2時間の劇映画に落とし込んだらこうなるっていうのは、それはそうだなっていうのは思ってましたね。
だから本作見てて思ったっていうのは、モノローグは本当に少ないですよね。結構もう、業館とか役者の表情とかにタンクスみたいな形。演出とかですよね。
タンクスっていうことをしっかりやってましたよね。
僕は見やすくはなってる、じゃなってるっていう。
20分の1で会えますみたいな。
もうちょっと設定ミスってないかみたいなね。もうちょっと倍率高め、だいぶ厳しくした方がいいんじゃないかみたいなね。
でも逆に逆にですよ。こんなにニヤミスミスしてるのに会えないって逆にじゃないですかみたいなのもありますよね。
ある意味ほぼ理論値出してるのに会わないっていうのが、やっぱり確率の妙とも言えるんじゃないっていう。
これはもう逆張りみたいな意見ですし。
それで言うと、やっぱりあれですよね。
あ、高木くんだったんだっていうのを認知しないままにしてほしかったですね。
名前で知っちゃったみたいなのは、そこまではやらなくてもよかったかもしれないですけどね。
ニヤミスだったら永遠とニヤミスしてて、逆にね、してほしかったのはあるんですけど。
だからその、これすごい大事な部分なんですけど、2人が再会しないことが運命によってなさしめられてるものなのか、
あるいは選択によってそうしたものなのかっていうのはめちゃめちゃ大事な部分だと思うんですよ。
予測5センチメートルにおいて。
ちょっとそれが運命によって出会わないようになってるっていうのは、ちょっとちゃうなっていう感覚が僕はあったんですよね。
会いそうで会わない、会いそうで会わない、で最後に会えたところでも会わないっていうのは、
もちろん最後の選択はそれでやっぱり際立つんだけど、
会わなかったのは偶然の産物でしかないっていうふうにも見えちゃうなっていう感覚はあったんですよね。
だからあれなんですかね、名前見つけても会わなかったのはそこは偶然じゃないって言えますよね、そこは。
これはもうなんかあれですけど、逆張りかなんかあれですけど。
ある種はそこがちょっと世界形的でもあるのかもしれないとこかなとは思ったりはしなかったけど。
あと決して断絶ではないっていうふうになってるんですけど、本当にそうだなと思ったんですけど、
ただモチーフとしてすごい重要な宇宙ですよね。
宇宙のモチーフっていうのを結構今年、宇宙を通じて人と繋がるって映画が多かったんですよね。
今年というか去年からですか。
去年からですね。
あの、言い訳のせいで。
まあ名は上がりますよな。
まあほぼ思い出しましたよね、プラネタリウムの松村北斗さん。
プラネタリウムの松村北斗さんと別のキャラクターでパニック障害まであったので、
これはスリーアウトでしたね。
ちょっとなんかずらさんかったんかなって思っちゃったというか。
あれこれ?
これはどうなんでしょうね。なんかわかんないですよ。
もう完全にかぶせにきてるのか、たまたま煮ちゃったパターンみたいな。
松村北斗とはちょっとわかんないですよ。
という存在はちょっとかぶりを、これはちょっと合わせてるんじゃない?みたいな気がしますけど。
他はちょっと意外となんですかね。
その深海マクト的なモノローグと宇宙っていうモチーフを重ねた時に、
プラネタリウムのナレーションをさせるってむちゃくちゃしっくりくる配置なんですよ。
そうそう。てかそれでそもそも言い訳のすべてがお好きっておっしゃってたんですもんね。
そうそうそう。
そうなんですよ。
だから好きなんですよ。
だから意味決まってるじゃんっていう話だし。
それこそちょっとだけ、
奥山芳幸監督のポッドキャストみたいなのちょっと聞いてきたんですよ。
アナっていうタイトルのポッドキャスト。
でちょうどなんか、まだ続くポイントですけど、秒速路線締めの今回の話をしてた時に、
作り方の時にキャラクターを分厚い、映画で語られない設定運の資料をちゃんと渡したみたいな話をしてて。
あれ?
で、ちゃんとそこで三宅翔監督も、
言い訳のすべてそういうことをやっててみたいなことを言ってるので、
うちの分かってやってると。
その辺とかやっぱりめっちゃ多分意識してると。
ですよね。
だからもう分かってかぶせたってことですよね。そこを。
そこは分かってた。
でも、その進化意味覚的なことをやろうとした時に、むちゃくちゃいいんですよ。
やり方として正しいと最後。
そう、正解です。
正解ですよ。
アニメでモノローグやっても成立するけど、
実写でモノローグは結構軽い演出になっちゃうから。
そう、軽いと思います。
実写でやられたら、全部喋れや。みたいになっちゃうから。
そこをナレーションによってさせる。
劇中で行われているプラネタリブのナレーションとしてそれをさせるっていうのは、
本当に上手いんですよね。そこは。
要所に絞って。
あと似たようなことをしてたのは、
今年で言ったら、星つなぎの医療局か、
ゴールデンレコードとワンポップチキンっていう。
そこも被ってるんですけどね。
そこもね、びっくりしちゃいましたね。
ゴールデンレコードも今年3回目。
そうですね。
ファンタスティックオンの時に確かにゴールデンレコードの話して、
そっからマスターエリオでもゴールデンレコードそのものが出てきて、
で、秒速でした。みたいな感じでしたね。
あと、この夏の橋尾美優も。
岡部隆文監督もいますし。
あれも宇宙を見ることで人と繋がるっていう話で、
それはエリオもそうだったし、夜明けのすべてもそうだったんですけど、
この秒速5センチメートルって、
初め宇宙を見ることはむしろ現実を逃避する手段なんですよね。
人と繋がらないために現実じゃなくて空を見るっていう。
すごい幻影的な空を見ますよね。
なんですけど、最終的にそれがもう一回意味が変わって、
改めて人と繋がるっていう意味になるっていうのは、
これはすごく良いと思いました。
本当に原作で語っていたけど語れなかったことを、
ちゃんと言語化して語ってくれたなっていう感じがそこですね。
あんまり僕の中では。
まさに夜明けのすべての動画で、
星を繋いで星座になるって話をしているのが、
まさに今回その文章を無理にしてる感じ。
ちょっとやっぱそこはね
実写ならではのプラスというか
ほころびというか
ほつれみたいなところですよね。
そこはねやっぱ素晴らしかったですね。
たったそれだけのことを気にするという動作に
この人が好きであるっていうものが
詰まってるじゃないですか。
気にしちゃうじゃないですか。
分かりますよ。
ちょっとずっと言っちゃったみたいな
向こう全然気にしてないんだけどな
みたいなことが気になっちゃうみたいな気持ち
めちゃくちゃ分かるなと思います。
松倉さん。
なんでしょうね。
言葉選びは難しいんですけど
まずその原作の
ノーバディである高木っていう存在に対して
そこまでこう
なんていうか
こができらない
演技というか存在感だったかなって気はしてて
やっぱりこう
ちょっとそこで存在感が強くなりすぎると
本来の高木からずれすぎるかなと思うんですけど
割とその感情移入の対象として
少しこう存在感がパジーな感じのキャラクターというか
超男前なのに
ノーバディ感を残してる雰囲気だったんじゃないかなと思って
すごい良かったんですよね。
そうですね。
原作のアニメと比べるとというか
よく見ると違うなって感じはするんですけど
けど
いやでも高木だなって思えるというか
絶妙なバランスだなと思いましたけどね。
あとやっぱ声ですよね。
声いいですよね。
プラネタリオンのところの声がやっぱりいける場面ですけど
ファーストキスの時に思いましたけど
松村くんの声で僕は泣いてるのかなって
思いますよやっぱり。
そうですね。感情を抑えてるんだけど
その奥にしっかりあるような感じというか
そうなんですよね。
僕その1回目?
ちなみに2回目って言うんですけど
実写?
実写版を2回見て
全然言ってなかったんですけど
公開日に1回見て、今日来る前に1回見て
その前に原作のアニメも3回ほど秒速浴びてきてるんですけど
やっぱね、1回目2回泣いた
2回泣くかしらだったんですけど
その数全部松村北斗なんですよ。
プラネタリウムのところと
最後の感情っていうところ
全部松村北斗なんですよ。
もうおいおい泣いてしまって
声もあるし
そこの溜め込んでるものというか
においおい泣いてしまってましたね。
あと今回
尺が伸びた時によってどうしても
映画は変わらざるを得なかったシーンだと思うんですけど
懐いてる人にはそれなりに腹を割れるキャラクター性
あれなかったじゃないですか
そもそも60分くらいのアニメの中で
それを描く時間なんてなかったから
徹底的に非人間的なコミュニケーション能力に
書いた人間としては
もちろんコミュニケーション能力が低いというか
したくないっていう方が強いと思うんですけど
懐いた人間に結構こいつ距離感近いな
それが私とキュンというか
可愛さにもなってきました
怪儀のある人間なんですよね
上司のおはべさんとか
そうですね、やりとりだったりとか
かつての恩師とのやりとりだったりとか
そうですよね
2人で飲んでる時
こんなキャラやってなっちゃいました
逆に高校生編でこれはモテるわと思ったぐらい
ちょっとね、あれは
あれ出されるとちょっと
なんかね、来ちゃいますね
ちゃんと血肉のある人間としての
道の高きみたいなのを出すっていうことを
どうすればいいのかみたいなのは
多分めちゃくちゃ考えたんだろうなと
思いますね、そこはね
あと三部構成なんですけど
僕はもう仕方ないと思ってます
そうですね
まず
初めて見る人が見た時に
あの三部構成ってかなり退屈というか
話を引っ張る権威力自体はないんです
確かに
元の原作の方の描述を
見進められるモチベーションにて
高きに感情移入できているかどうかしかないと思うんですよ
話は別にないんですよ
ただ今回その三部構成をやめて
結構時系列をぐちゃぐちゃにしたことで
話、ストーリーラインができてるんですよ
それはなぜこの二人は離れているのかっていう
ミステリーの要素ができてるんですよね
小学校時代に仲良くなかった二人は
どうも今全く他人になっているぞっていう
それはなぜなのかっていう
過去に遡ってその謎を解いていくっていう
ストーリーになってるから
そこが高きに感情移入できるかどうかとは別に
この映画を見続けられる駆動力になっている
っていうのがあって
それは最高性の上手さだなとは思ったんですよね
だから高き自体に乗れなくても見れるし
もう少し昔仲良かった人と別れてしまった話
っていう普遍性が強くなってたと思うんですよね
だから対象が広まった映画になってたなと思って
僕はむしろ分かりやすくなってるのかなと思ったんですけど
やっぱりその分癖は減ったと思うんですよ
だから感情移入できない人間を奮いにかけるぐらいの
強烈な悪の強さがやっぱり原作の魅力ではあったと思うので
やっぱりそこを上手くなった分
その上手さが逆に物足りなく感じる部分もあるなとは思うんですよね
そうですね
原作のアニメと公開実写と直近で見比べたので
断然思うんですけど
原作はちょっと濃いっすね
濃い!すごい!みたいな
ちょっとテンコ盛りっすねみたいな密度が違うとはなんで
それを期待すると多分片透かしをくれるとは思うんですけど
でも僕の中で秒速5センチメートルとは何かっていうことを考えて
こうだって思ったことがきちんとそこに描かれてることの方が僕は大事
本質はトライプルっていう
そうなんですよね
そこが大事かなと思う
もちろん圧倒的な山崎雅之の一曲フルで流しますのを
怒涛の勢いで流すとか
とにかくモノログまみれでいきますみたいな
パワフルさももちろん大好きですし
それ変わんないんですけど
でもやっぱ実写版でやりなし遂げたことも
もちろん同じぐらい評価されるっていうか
僕にとってすごく素晴らしいことっていう風に思います
それこそアニメ版はもうそこをこそ魅力にしなきゃいけない
せざるを得ない作品だと思うので
アニメ版がある以上それを超えようとはしないっていうところは
同じ方向性でですね
超えようとしてこないっていうのはすごい好感持てるなと思って
そうですね
同じ方向性でねもちろん
もう一個一段階違うというか
クオリティのものというか
すごいことをするでももちろんやりきったらすごいですけど
そうじゃない方向でやるっていうのはもちろんありというか
それは多分違う映画でやるべきなのかなっていうのは
どう思うしっていうのはありますよね
はいでは次のお便りいきましょうか
ではマリオさんお願いします
はいM原さんからです
店長メンバーの皆様こんにちは
いよいよ来てしまいましたねこの日が
本ラジオの第49回アニメ版秒速回で山口さんが言っていたように
電車の扉の開閉ボタンを無言で教えてくれるおじさんがいないとか
言いたいことはたくさんありますが
ちゃんと秒速5センチメートルしていた作品だったと思います
本作で特に良かった点を2つ挙げると
1点目が小中学生時代
とにかく子役の2人が素晴らしかった
めちゃくちゃ可愛いし
のことなく松村穂太と高畑美月の面影がありましたね
明かりが野暮なことを言う子供2人にバータという場面は
人によっては岩船での諸々より呪いになり得ると思いました
2点目が森七演じる澄田かなえが登場しているシーン全部
元々秒速で一番好きなキャラクターはかなえですが
実写版は正直原作を超えたと思っています
特に強烈だったのがカラオケを歌っているかなえが
途中で照れくさくなって笑いながら歌うようになる場面
アニメ映画にはない本映画のオリジナルですが
率直に言ってこのシーンを考えた人はヤバいです
カラオケこじらせ人間の自分には本作で最も衝撃的なシーンでした
以上の2点を含め過去編は非常に良かった本作ですが
アニメより描写が断然増えた現代パートは説明できるセリフをはじめ
アニメ版をより分かりやすく見せようとした弊害が
違和感を感じる点も多々ありました
とはいえ前編を通して十分に本作を楽しんだのも事実
秒速5cmに未だ呪われ続けている人間として
本作を皆様がどのように語るか楽しみにしています