リスナーリクエスト 映画『ワンスアポンアタイムインハリウッド』創作における暴力はどこまで許されるのか Listener Request: Once Upon a Time in Hollywood — How Far Can Violence Go in Storytelling?
2026-06-13 1:45:38

リスナーリクエスト 映画『ワンスアポンアタイムインハリウッド』創作における暴力はどこまで許されるのか Listener Request: Once Upon a Time in Hollywood — How Far Can Violence Go in Storytelling?

"When you come to the end of the line with a buddy who is more than a brother, and a little less than a wife, getting blind drunk together is really the only way to say farewell." — ナレーター、『ワンスアポンアタイムインハリウッド』(2019)

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毎度どうも。映画談義パーソナリティのまこです。 今回取り上げるのは #ワンスアポンアタイムインハリウッド です🎬

リスナーの方からの心温まるメッセージ、ありがとうございます。今回はそこからスタートしました。

ハリウッドを震撼させたあの凄惨なマンソン事件を、タランティーノはどう料理するのか。そしてその先に何を伝えようとしているのか。

「創作の中の暴力」って、エンタメとして消費していいものなのか、それとも社会的なメッセージを内包すべきものなのか——答えが出ない問いほど、考える価値があると思うんですよね。暴力描写のストーリーテリングが持つ二面性を軸に、観客として揺さぶられる感情の正体に迫ります。

タランティーノというフィルターを通すと、世界はどう変わるのか。一緒に考えてみてください。

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podcasterの まこ(@_macobana)が、語り足りないアレコレを一人語りするポッドキャスト番組、『#よもやまこばなし 』(#まこばな )にて展開された映画談義がついに専門チャンネルに。 語りたい映画なんて尽きることない! エピソードの公開は毎週or隔週となります。

ご感想は是非 ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#リルパル #ReelPal でツイートをお願いします。 いただいたツイートは番組の中で取り上げることがあります。

公式noteもやってます。 https://note.com/mako_reel_pal/n/n17867575e9f5

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これからも番組をよろしくお願いします。




"When you come to the end of the line with a buddy who is more than a brother, and a little less than a wife, getting blind drunk together is really the only way to say farewell." — Narrator, Once Upon a Time... in Hollywood (2019)

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Hey there! I'm Mako, your movie talk personality. This episode covers #OnceUponATimeInHollywood 🎬

This one started with a genuinely heartwarming message from a listener — thank you so much for reaching out.

The Manson Family murders shook Hollywood to its core. So how does Tarantino handle that weight — and what is he actually trying to say?

Is violence in fiction something we're allowed to consume as entertainment? Or does it carry an obligation to mean something? The harder the question, the more worth asking. This episode digs into the double-edged nature of violent storytelling and the complicated emotions it stirs up in us as an audience.

What does the world look like when it passes through the Tarantino filter? Come think it through with me.

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Podcaster Mako (@_macobana) started out sharing his unfiltered movie opinions on his talk show #Yomoyamakobanashi(#makobana) — and now those conversations have found a home of their own. There's no shortage of films worth talking about! New episodes drop weekly or bi-weekly.

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00:13
The Real Friends, The Real Friends, Sit Back,Relax, and Come Enjoy!
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お互いのそれぞれの名前を呼ぶだけじゃん。アメリカの他社紹介で。 Peter, John Wick,John Wick, Peter みたいな。あれもさ、日本の紹介の仕方じゃないよね。
日本だと、もうちょっと丁寧に。 こちら側の伊藤さんで、営業開発部で、そっかい何々をしてくださった方なんですよ。あ、そうだったんですね、みたいな。
そっから先の打ち解けはもう自分らでやってくれみたいなさ、このコミュ力を常にそれぞれが試されているみたいな、そういう環境だよね。
03:06
恐ろしいよ、本当に。切り口を用意するまでが紹介側のお仕事っていうわけじゃないんだなっていうのは、ああいうのも見てすっごい思いますね。
確かにそう考えてみるとさ、向こうのさ、映画の世界だけかもしれないけどさ、始めましての時って結構ズキズキ聞くよね。
本当そうだよね。文化なんじゃないでしょうかね。本当に日本だとどうなんだろう。ビジネスとまたね、プライベートでもまたちょっと変わってくると思うけど、
比較的聞きすぎるのは良くないみたいな。あるじゃんね。
あるあるある。あんまりズキズキさ、人のプライベートに踏み込むとさ、なんやこいつみたいな。
そうそうそう、ごそくで踏み込み上がってみたいな。なんかそれで言うと、昔は違ったかもしれないけど、今の日本は比較的常識っていうものが不定形になりつつあるよね。
何歳までにはこうあるべきであるとか、こうしておくのが社会規範であるみたいなものって、結構生き方の自由っていうところが比較的守られてる感じは僕は最近感じるんだよね。
確かにね、例えば僕らぐらいの年だったらさ、「ご結婚されてるんですか?」とかさ、「お子さんどうですか?」みたいな質問が、たぶん一昔前だったら当たり前に交わされてたけど、今じゃNGワードだもんね。
そうそう、NGワードだよね。そこら辺結構国際的にはどうなのかなっていうのが結構気になるところではあるよね。
でもハリウッド映画見てると結構聞いてない?
うん、聞いてると思う。
しかもさ、子供とか言って聞くときにさ、「あ、去年亡くなったんだ。」って、「あ、ソーリー。」くらいでさ、なんかするじゃん。
初対面にその話する?みたいなさ、そこまでさ、自己開示そんなにできないよって。
できない、本当に。なんだろうね、本当にね。そこら辺もコミュニケーションのテイクエッグみたいなところが結構ちゃんとあるのかもしれないし、
どんなことを聞かれても、こう答えなければならないみたいな。
たぶんそういう規範意識、社会人としてのこうあるべきは結構意外と向こうの方が硬いのかもしれないっていうのがあって。
なんかこう、例のウィル・スミス・ヴィンタ事件でもそうだったじゃないですか。
結局向こうの感覚では、やっぱり公の舞台において暴力行為を働くということに対する社交界の常識破りっていうところの問題がものすごく大きかったじゃない。
06:05
背景における情みたいなものよりも、むしろ振る舞いとして何が優先されるかっていうところすごく反応としては、
本国だと非常に強かったそうだみたいな話を聞いたときに、なるほどねっていうふうにも思ったんだけれども。
確かにこの、なんだっけな、大学の時の友達でさ、国際学部のやつが留学でこっち来ててさ、
一緒に家で宅飲みしててお笑い番組見せたのよ。そしたらもう日本の番組はクレイジーだみたいなこと言い始めて、
何言ってんだこいつと思って話して行ってたら、テレビでこんなに公にホラー力を触れていいのかみたいなことを言ってて、
その後に何日か経って、これがお笑いだよみたいな感じで、スタンドアップコメディのDVDを持ってきたのよそいつは。
それで見たら、例えばなんだっけ、それを求めてる、文化の違いだから良い悪いはないんだけどさ、
例えば足に障害がある人をスタンドアップコメディのコメディアンがいじくってて、
でもお前サッカーできねえじゃんみたいないじりをすごいしたの。
俺らからするとこっちの方がクレイジーだぞみたいな。
なるほどね、イクオリティとイクイティの間違いみたいな、その公平公正っていうことを、要するに障害を笑うなみたいな感じと、
それも結局包括的に捉えて同じ人間だから笑っていいじゃないかみたいなところのそこら辺の線引きの曖昧さの違いだったりだとか、
あとはそのドツキ漫才のドツキっていうものが果たしてそれが演出として捉えていいのか、それとも暴力であるのかみたいなね、
いろんな物差しが多分違うのかなっていうふうに思うんですけれども、今回はですね、我々は暴力が一つのキーワードになるような物語の語りに挑戦していきますので、
ちょっと頑張っていきましょうかね。そんなわけで本日も、
今日すごくない?
いいじゃないですかね、なんかね。
いいパスでしたからね。
というわけで本日も参りましょう。
はい、ということでね、本日のテーマはリスナーリクエスト。
映画ワンサンホンタイムインハリウッド、創作における暴力はどこまで許されるのかでございます。
なるほど、いや俺もしかしたらドンピシャな話するかもしれない。
いいですよ。僕はね、そんなにこのテーマとはあんまり関係ない話かもしれない。関係なくはないけどね、もちろんね。
09:07
ちょっとなんかね、あんま今回説としてね、なんかあれきたりすぎて面白くないかもしれないっていうところはあるわ。
結構この本作は位置づけ的にもう当人が語ってる部分もあるのかもしれないですけどね。
ちょっとまあそこら辺はちょっと僕も詳しく調べてないですが、タランディーノがどう語ってるのかというところはね。
ちょっとあの今回ですね、リスナーリクエストということでリクエストにお答えする形になりますので、まずはお便り紹介からさせていただきますね。
はい。
今回サラダ油さんですかね、という。
はい。
お初だよね。
そうですね、レイルパールネームサラダ油さんでございます。サラダ油なんですかね。
これ俺いまだに分かってないんだけどさ、俺はサラダ油ってずっと呼んでたんだけど、料理番組だと比較的サラダ油って呼ばれること多くないですか。
確かに、俺もサラダ油かもしんない。
何がどうサラダなのかっていう。
まあでもそれ、なんかね、昔なんか見たんだよな、おせんべいのサラダ味って何がサラダ味なんだみたいな話があったんだよな。
ちこちゃんでやったんじゃないですか。
あ、そうだ、あれは全然サラダ油が分かる、なんでサラダは。
それ落ち着いてくれ、ごめん。
サラダ言いすぎてちょっとよく分からなくなってきてる。
おせんべいのサラダ味はサラダ油で揚げてるからサラダ味なんだって。
ああ、なるほど。
でもサラダ油がなんでサラダ油なのかは、油片ぶら。
確かね、生食できる油って意味だったんじゃなかったっけ。
へえ、オリーブオイルでもそうじゃん。
だから揚げ物に使う油って昔は基本的にそのまま使っちゃい、そのままじゃダメみたいな。
あ、そうなんだ。
だった気がする、分かんないけどね。
へえ。
生食可能な油っていう意味合いでのサラダ油だったんじゃなかったっけな。
ああ。
ということで、ちょっとサラダ油さんからのメッセージ読ませていただきます。
お願いします。
サラダ油 タランティーンの3作品、すべて聞かせていただきました。
ありがとうございます。
サラダ油 いずれも何回も見ている作品でしたが、映画が持つ意味などをよく咀嚼されていて感銘を受けるばかりでした。
ああ。
サラダ油 ワンス・アポンはタイム・イン・ハリウッドの公釈を拝聴したいです。
ということで、我々本日は公釈垂れないといけないので。
公釈を垂れなきゃいけないよね。
エラそうに公釈垂れないとサラダ油さんが満足して帰ってもらえないので、
12:04
全力で公釈垂れさせていただきますね。
今日ちょっと全体的にエラそうに喋ったほうがいいか。
エラそうに喋ったほうがいいのかもしれないですね。
一つすごく嬉しいのは、サラダ油さん本当にありがとうございます。リクエストいただいて。
嬉しいのは、今まで僕ら散々スター・ウォーズは怖くて触れられないみたいな話をしてきたんですけど、
正直同じくらいタランティーノファンは厄介なんですよ。
ああ、そうなんだ。
これは本当にそうで、タランティーノ監督自身がやっぱり映画オタなんですよね。熱心な。
だからある意味では映画好きにこそ刺さるような演出であったり、映画好きだからこそわかるような、いわゆるイースターエッグ的なものも散りばめてくるので、
タランティーノを語るっていうのは、映画好きの称号を手にする的なさ。
要は勲章化されてる部分もあったりするのかなって気はするのよ。
だから中途半端に語ると反発を招くみたいな、そういうコンテンツである側面もおそらくあるんじゃないかと。
われわれはそういうのには屈しないので、タランティーノ作品中途半端に語り上がってクソがんみたいなこと言ってくる人はいるんですけど、
いるんですけど、そういうしょうもないメッセージを送ってくる人もいれば、
サラダーブラさんみたいに僕らの切り口に対して面白いって言ってくれる方もいるので、
いろんな人が見ていろんな解釈で読み解き、そしてそれを互いに共有したり、
あるいは時にね、そうじゃないよとか言い合ったりすることで生まれる面白さっていうのが、
この映画が作り出す二次的な喜びだと思うので、
それを皆さんと共有できればっていうのが、やっぱりこの番組の方向性というか、
目指すところでもあるので、本当に嬉しいですね、こういうメッセージをタランティーの作品でいただけると余計に
ありがたいですね、逆にあの、群蔵劇関係に関しては僕はしょうもない、
あの一人物がさ、最後まで全部覚えられなかったっていうところでね、結構しょうもないことしか喋ってない気がするんだけど
そんなことはないです、そんなことはないです、やっぱり切り口はいろいろあった方がいいので
そんなわけでね、今回は群蔵劇ではなかったというのが一つの救いになったみたいなね、そんな
いやいやありがたかったよ、本当にありがたかった
でもだからね、昨今のタランティーの作品は比較的大間に合うのかもしれないね
そうだね、でも一個だけ、あのー、分かんな、ちょ、ん?
いや、分かった、ごめん、あの全然別の映画とちょっと混同しそうになった、大丈夫
非常に、あのー、最近はこういう、なんていうのかな、歴史に根差した作品みたいなのを撮りがちなタランティーの
15:03
あ、そうなんだ
そうなんです、だからちょっと面白かったなっていうのもありました
まあまあとりあえずじゃあ、ワンサーフォンのタイミングにハリウッドをね、語っていきたいと思いますね
まずはあらすじ確認からいきましょうか
ああ、そうですね
なんか最近抜けてますね
なんか今ね、ジャブを誘導してた
すいません、なんかね、居眠り超えて20分遅刻してきた奴が言うことじゃないんですけども、はい、いきましょうかね、はい、すいません、はい
よーいどん
はい、ということで今回ご紹介するのは2019年公開のクエンディン・タランティーの監督作品、ワンサーフォンのタイミングハリウッドです
監督の長編作品の中ではですね、ブラドピットね、僕らが大好きなブラドピットと、そしてレオナルド・ディカプリオという2大スターの初共演ということで
あ、初なんだ
そうなんですよ、非常に注目された作品でもあります
舞台は1969年、黄金期から衰退期へと移行していくハリウッド、主人公はですね、かつてテレビの西部劇スターだった落ち目の俳優、リック・ダルトンですね
リック・ファッキン・ダルトンですね、今は二流ドラマの悪役、ゲスト出演に甘んじていて、時代の流れに取り残されて焦る日々を送っています
そんなリックの側には親友かつ専属のスタントマンであるクリフ・ブースがいつもいる、二人はですね、親友以上、恋人未満ね、みたいな感じでお互いに生活していますが
クリフもまたですね、過去のトラブルが災いしてリックの世話係みたいな、本業に全然関われないような生活を送っています
ある日ですね、リックの隣下にですね、ロマン・ポランスキーと売り出し中の若手女優シャロン・テイトが引っ越してくる
新しい時代を象徴する存在として輝いている二人と、時代に飲み込まれていくリックとクリフが対照的に描かれていく中
映画の舞台及びシャロン・テイトから想像できるのはですね、かの有名なカルト教団の殺人鬼ですね
終始不穏な空気が流れていく中、果たしてですね、一体この映画の結末はどこに向かっていくのか
歴史上起きたあの悲劇がまた繰り返されてしまうのか、皆のですね、観客全員の不安が高まったそのクライマックスですね
ラスト13分、最高に気持ちのいいね、素晴らしい展開が待っていますので、ぜひ皆さんもご覧ください
いいですね、ちょうどいいじゃないですか、素晴らしい
一応ね、この作品について語る上で避けては通れないのが、チャールズ・マンソンですね
なんかあるらしいね、俺全然詳しくないんだよなそれ
マンソンといえば、マンソンですよ、マンソンですね、本当にあのもう極悪非道な事件を起こした男で
18:06
彼についてはですね、いくつも犯罪ドキュメンタリー系でまとめられているので、おそらくnetflixあたりを探ればいくらでも出てくると思います
気になる方はマンソンで調べていただければ、多分ドキュメンタリーいっぱい出てくると思いますし、youtubeなんかでもマンソンで調べれば、彼自身の本物のマンソンの動画がたくさん出てくると思います
チャールズ・マンソンはですね、ヒッピーを抱き込んでコミューンを形成していたんですね、彼自身もともとはミュージシャン目指してたんですよね
で実際に音楽をいくつも作ってはいて、そのうちの一つがビーチ・ボーイズのプロデューサーかなんかに目をつけてもらったのかはな、とにかくそれはビーチ・ボーイズ実際に歌ってるみたいなものもろありまして
でもその件で確かなんかこうちょっと逆恨みしてるんですよね、たぶんビーチ・ボーイズのプロデューサーかの誰かを
彼が住んでいた場所っていうのが後にロマンポランスキーとシャロン・テイトが引っ越してくる邸宅なんですよ
えーそうなんだ
で、結果的に彼は名声を得たかったけど名声は得られなかったんで、そういう著名人に対するねたみそねみみたいなものがぐちゃぐちゃして
それでいて彼自身めちゃくちゃチンチクリンなんですけど、変に和術がうまくて、当時ヒッピーブームもあって
家出してきた家出少女たちとか、行き場のない寝なし草若者たちも映画、西武劇の撮影の時に使われていた映画村に集まって
共同生活を送りつつ洗脳していったと、週末論を掲げて悪魔ども豚どもを殺すんだみたいな感じで洗脳し
彼の命令のもとシャロン・テイトっていう本当に超若手ハリウッド女優が妊娠中にも関わらずですね
その時家に遊びに来ていた友人ともどもナイフで斬殺されるという事件が起きたと
じゃあ途中まであの流れっていうのがちあったんだ
そうですよ、だからマンソンが一度訪ねてくるじゃないですか
途中でなんか挑発の男が来ましたよね、シャロン・テイトの家に
誰誰はいるかみたいなこと言ったけど、いやもう引っ越したよみたいな
前の住人だよって言われて、それで引き返してくるじゃないですか
あれはガチですっていう話ですね
21:04
ここら辺は詳しくはドキュメンタリーぜひ見てくださいっていうところで
本当にもう洗脳が行き届いてるんで、マンソンが捕まった後にですね
交流中に額にマンジを掘るんですよ
マンジっていうかハーケンクロエッツだと思いますけど
額にハーケンクロエッツ掘って、そしたらその後ですね
同時に交流されていた実行犯の少女たちですね
額にマンジを掘り抜いて出てくるみたいな
マンソンがやることは全てみたいな
もうなんかすごい世界ですよ本当に
でもね本当に彼が喋ってる喋りを見ていると
なんか変に引き込まれる感じがあるっていうのはわからなくもないっていう
上手いんだ
上手いのよ、なんかこう本当に話し方とか
意味がありそうに感じる
喋りがいっぱいできるんで
それで結構まさしくね
自分はどう生きればいいのかとか
あるいは社会に対して何かメッセージ伝えたいみたいなさ
ふわふわした気持ちで放浪している若者たちには
彼のその言葉っていうものが妙に感じるところがあったんじゃないのかっていう
だからある意味では非常に日本でいうところの
オウム心理教の事件に近いような構造を持ってるかなって気がするんですよね
何かこう鬱屈した気持ちを持っている
自分を貴族するものがいまいち見えなくて困っているみたいな
そんな若者たちの心に取り入って洗脳を施してしまう
それが最終的には鬱屈した
今日その鬱屈した感情に振り回されてですね
何の恨みもない人たちに対する教皇へと呼んでいくっていう風な
そんな構図があったということで
それをまず理解しておくことが必要かなという
それを知っていてみるとこの作品の見え方が全然変わってきて
例えばですけれどもだからその一番初めはですね
そのマーゴット・ロビーが演じるところのシャロン・テイト
初登場シーンでは誰かよくわかんないんですよ
けどその彼女が
何だあれ
何だっけあれ
セクシーダイナマイトじゃないですか
あのくだらないスパイ映画パロディの下品なコメディ見たじゃん
24:01
あれ何だっけあれ
オースティン・パワーズですね
オースティン・パワーズみたいな
オースティン・パワーズですね
オースティン・パワーズみたいな
オースティン・パワーズみたいな服装した人と一緒に車乗ってきたじゃん
それでそれを見たリック・ファッキン・ダルトンが
言うじゃんロマン・ポランスキーだっつって
すげえって
そうすげえって言ってたけどあの瞬間に
これマジでこれ描くんかになるんですよ事件を知ってると
ロマン・ポランスキーって言われた瞬間に
てことは隣に乗ってんのはシャロン・テイトになるわけなんですよ
てことはもうシャロン・テイト出てきたってなると
その前だったカートとかに描かれるヒッピーが出てきた瞬間に
この事件をやるんだっていう
そういうカラクリになってくるのか
そうなんです僕はこれは本当にこの僕の大好きな俳優2人が出てるっていう
非常にミーハーな気持ちで見始めたんですけど
もうディカプリオですよ僕が敬愛してやまない
だってマコちゃんの髪型は全てディカプリオに
そうですよ前世紀のディカプリオにしてくださいって毎回言って髪の毛切ってるんで
僕の敬愛するディカプリオとやっぱりね
若き日のロバート・レッドフォードに激似なブラッド・ピットですね
この2人が出るということですごいミーハーな気持ちでわーいって見てたんですけど
ロマン・ポランスキーだぜって言われた瞬間に顔青ざめますよマジで
うーわうつてんかいじゃんと思って
もう最悪ってなるわけよ
なるほどねそういうからくりだったのか
そういうからくりなのこれ実は
全然何も考えずにさ
昔の服って奇抜だなって
でもあれはだからロマン・ポランスキーがポーランドだったかな出身で
経営の芸術技術質な監督だから
それを引き出すための服装なのかもしれないですけど彼の服装がね
でもそういうからくりでもありましたということで
なるほどね
最後に何が起きるかをみんな知った状態で見ているからこそ
えっそうなるのになるっていうことなんですよ
だから爆笑とともにすべてが救われた気分になるっていう
はあそういうからくりだったのか
でもね今の話は僕の今回話す話をかなり強化してくれる話だわ
よかったです
知ってよかった
そんなところを一応押さえた上でじゃあいつも通りジャブにいきましょう
もう先に言いたいジャブがあるんですよ
ジャブは何ですか
27:00
やっぱりねブルースリーはねチャンコックワンが一番いいよ
えっとあれですか
少林サッカー
ヒップマンの
似てねえって思っちゃった
そうねちょっと顎がシャープすぎたよね今回の人は
そうそうそうちょっと違うんだよなってすごい思って
ヤツがちゃんと出てくれてればこの映画もまた一段階洗礼された映画になったかもしれない
そうですねあれも完全にタランティーノがやりたいことをやった感じはありますけど
あれはグリーンホーネットっていうテレビ番組の
ケンって言ってたもんな
ケイトウですねカトウですカトウ
カトウだ
カトウだけどケイトウだから
そう
よくわからない謎のアイマスクをつけたね運転手ですけどグリーンホーネット
あれはでもねめちゃくちゃ遺族に叱られたらしいですね
そうなの
亡き父だか亡き王子だか忘れましたけど侮辱しているつってめちゃくちゃぶち切られたらしいですね
まあでしょうね
あれはね
まだアジア人チビの深下野郎の時から使われてなかったじゃん
まあ傲慢で滑稽な自称武道家俳優みたいな描き方でしたからね
これはねどうなんていうのかな
それは怒られて当然かなというふうに思うんだけど
分からなくもない部分があって
本当にねアクション映画俳優さんが
何もう普通に公式の試合とかにも出て受賞するようなレベルまで行く人いるじゃないですか
まあ言い出したらトランスポーターの人誰だっけ
あるよボーンアイデンティティとかね
ボーンアイデンティティって言ってた?ボーンアイデンティティは違うでしょ
ちょっとごめんじゃあ俺被ってるかもしんない
トランスポーターとボーンアイデンティティって同じ女優人口じゃなかったっけ
ボーンアイデンティティは君の大好きなグッドウィルハンティングの人だからね
嘘?知らなかったそれ
めちゃくちゃやないかジェイソンステイサムだトランスポーターの人
ジェイソンステイサムはもともとイギリスの飛び込みの選手らしいですし
そうなんだ そうです全然バトルしてないですけど
30:02
飛び込み選手ですから体の身体感覚とか身体操作の感覚が非常に繊細なはずなんですよ
だからエクスペンダフルズであんなに出てたんだね
エクスペンダフルズで結構スノボールって言ってスノボールじゃないクリスマスっていう役をやってたんだけど
まあはちゃめちゃにやりまくる男でしたよ
本当ですか ブチギレると何するかわかんねえみたいな
なるほどねそれはどう飛び込みと関係があるんですか
飛び込みって何?飛び込み試合じゃなくて?
違うよ水泳の飛び込みだって
そういうこと?
道場破りみたいなの撮ったの?
そうそう
逆に言いたいんだけど道場破りの選手って何?そんな狂気ねえじゃん
なんかさこうさストリートファイトみたいなやつにさ
おいこのジョージに勝てる奴いねえのかおいかかってくる奴いねえのか
って言ってジェイソン・ステリーさんもこうやって
それちょっとスナッチに引っ張られすぎてる
しかもスナッチであいつ戦わねえしスナッチでステンさんはほぼ戦ってないから
飛び込みだったんだ
そう飛び込みをやってたらしいですけどね
確かに水の抵抗少なそうだもんね
やかましいね髪型の話をするな
とにかくですねアクション俳優やってて実際に何かの競技だったり試合だったりに出て
結果を残してる人がどうこう言うのはいいんですけど
ブルスリーも含めてね
アクション映画にただ出てるだけなのに
ちょっともう武道の達人ですみたいな空気感出す俳優さん
滑稽だから本当にやめてほしいっていうのは僕すごい思うんですよ
それわかるんだよな
なさくないですかっていうかもう入り込んじゃってるのかわからないんですけど
申し訳ないですよ作品の中だけにしてくださいっていう
日本の俳優さんで一人いるんだよ生きてんなこいつっていうやつ
日本の多分中ではかなりアイドルで
アイドルって言っちゃった有名な方ではあるんですけど
映画とかやっても確かにね
いろんな武術とか勘でるらしいんですけど
しかもそれを
ひきらかす番組がすごく多くて
僕好きくないですね
まあ好きくないことはありますよね人によって
だからそこらへんはね僕は別に特別誰かをイメージして言ってるわけではないんですけど
33:03
そういうのは良くないなっていうふうに思ってます
今逃げたな
逃げてないですよ逃げてないですよ
多分全然違う人をイメージしてましたどっちかっていうと
本当?
全然有名じゃない人なんですけど
僕よく主張される方ですね
そうなんですね
屋上とかで
そうなんですね
あのメンバーの一人です
ちょっとよくわかんないですけど
ということでそんなことを感じましたっていう
だからブルースリーに対するフタランティーンの描き方は
おそらくそういう感覚をそこに込めたんじゃないのかなっていう
ブルースリーが進化化されてるのはわかるけど
確かに彼は武術家としても一応有名ですけど
言うてっていうところもあるよねっていうことは
多分言いたいのかもしれないなっていう気はしました
今はもうAI時代でえげつないほどブルースリーなど
不可視動画がいっぱい出てきてますから
あれ一回マカちゃんに俺メールしたもんね
これ本物のやつなのかAIなのかどっちなの?
嘘に決まってんだろうが
っていうね色々ありましたけど
っていうのが一つねいいジャブでした
僕いいですか?
お願いします
やっぱオープニングがもう本当に
タランティーンのさすがだわっていう感じがしましたね
バーレローっていうさ
リック・ファッキンダルトのね
テレビ番組の白黒でしかも4対3の画面なんですよ
テレビサイズの最高ですよね
タイムマシンに乗ってる感じがする
昔のアメリカにも行って
今まさにテレビ見てるのかなっていう気持ちにしてくれて
1969年に今いるんだなっていう気分にさせてくれる感じといい
散りばめていく色んな人名とか番組名とか
そこも見事なんだよね
その時代に根差したものがいっぱいやっぱり散りばめられていて
ディック・ヴァンダイク賞みたいな話を確かしてたんですけど
ディック・ヴァンダイクは確かね
チムチムチェで歌ってる人じゃなかったっけ
え?煙突掃除屋さん?
チムチムニーチムチムニーチムチムチャブー
チョンチョンチョンってやつよね
チムチムチェ
あですよね
はいはいはいそうですわメリーポッピンズ出てますね
おおディック・ヴァンダイク
36:02
ちなみにまだ生きてますからね100歳です
え?まだ生きてんの?
ディック・ヴァンダイクが90歳ぐらいの頃にアカデミー賞の何かに出てた時の映像がすごいんですよね
まさに生きるレジェンドで普通に立って踊ってましたからね
はいはいわかるわかる
わかるわかるでしょ?
スーパーカリフラージュリスクエスピアリドーシャス歌ってるイメージあるでしょ
ペンギンと一緒に踊ってるのか
しかもこの人さメアリーポッピンズのリターンズにも出てんだね
あそうなんだそっちも俺見てないんだね見たけど多分流し見で途中でもうなんか
興味を失って他のことしちゃった感じがするんでもう一回見返しますじゃあちょっと
いやまあとにかくだからそういうさ名前を散りばめていくことによって
その当時感を出していくみたいな
あのさなんだっけディカプリオがさすっげえしょうもなさそうな音楽番組に出てるのあったじゃないですか
なんかグレインドールっつって
一瞬差し込まれるやつ
なんか後ろでさトレーダー来た女の人がこうやって踊ってさ
煙草吸いながらグリーンドアっていう歌歌ってるし
あれもなんかねフラバルーみたいな名前の文字が後ろとあと女の子が来てるトレーダーにも載ってたんだけど
それもなんか当時やってた音楽番組らしいんですよ
俺あのシーンちょっと一個突っ込みたくてさ
なんですか
なんで3人であの配置にしたの?4人にしようよ
そこ?
2,1じゃんどうしても絶対右の空間ちょっと空いてるじゃん
絵面が悪くなんない
それがまたいいんじゃない?こうちょっとアシンメトリーな感じがして
なるほどね
あれ好きだったわあのシーン何度でも見れるわ
最高なんだよね本当にね
踊り方といいね
当時感があるというか
あのゆるいツイストね
やる気ないやつね
そうやる気ないツイスト
あれあれすっごい好きっていう
いや何度でも見れる
ほんとやっぱりディカプリオ天才だなって思いますね
いやすごいよね
39:01
ちょっとブラピの方の話になるんですけど
何の映画出てもさ
あのブラピの服ダサい問題っていうのがさ
出てきてしまうと
出てきてしまうんですよ
一番僕史上ブラピで最大に服ダサい映画は
ファイトクラブなんですよ
まあまあそうねそれはね
今回もそこそこダサくね
スナッチの時もちょっとダサかったよ
でもあれはなんか役どころとして
ジプシーのさあんまり金持ってないみたいなところだったから
まあまあまあしゃーないなっていう風に
なんか思ったんだけど
大手舞台に出る人にかなり近い人じゃん
もうちょいなんか
日本で言うさ
あれのTシャツにすごい似てると思ったんだよね
何だっけ
ミニ四駆
タミヤレーシングファクトリーの
それは結構多くの人的に回しといても大丈夫か
あのシャツを見るとちょっとこうね
たぎるものがありますよね
でもそうかなクリフォースかっこよかったよ
かっこいいんだけど多分あの服を着れるのはあいつだけだよ
まあまあそうなんだよね
だからそれが許されるっていうのはあるじゃない
そんなこと言ったら
ビートイットに出てる時のマイケルジャクソンのシャツとかもさ
なんかもうお前
鍵盤だぜ
鍵盤と音符だぜ
それでいいのかって思うけどクソかっこええやんけ
まあ確かにね
いいんだよだから
許される
確かにちょっと
同じ鍵盤でも
ミルフェルが
付けてた鍵盤のネクタイはちょっとダサかったもんね
ピアノキーネクタイ!
つってね
誰に伝わるんだってそれ
ズーランダーのネタ誰に伝わるんだって
ピアノキーネクタイだけが彼の実績だからね
実績だから
すぐピアノキーネクタイの話する
ピアノキーネクタイを開発したのよつってね
やかましいねほんと
いやー
今ホットなハイトゥー
ハンサム
やかましいわほんと
ズーランダーは大好きですけどね
じゃあブラドピットでいいですか
ブラドピットに関してはただただかっこいいだけなんですけど
犬呼ぶときのやつやりたいっていう
42:00
やりたいわかるすっごいやりたい
口をちょっと歪ませるのがいいんだよね
かっこいいーっていうねもうね
最悪かっこよすぎるほんとに
やべーよ
やべーってっていうね
でなんかもう
あのなんていうのかな
アウトローに若干振ってるブラドピットって
やっぱいいんですよね
いいねー
なんだろうね
嫌いじゃないのよ
ジョー・ブラックによろしくに出てるような
もうほんとにもう
高青年
美少年みたいな
ブラドピットも
嫌いじゃないんですよ
ベンチャミンバトンとかね
可愛いなーって
もう大抵って気持ちになるんだけど
もうピーナッツバターの代わりに僕を舐めてって気持ちになるんですけど
まあまあまあとにかくね
本当はプリコットの話してる?
とにかくブラドピットは本当に美しいときは本当に美しいんだけど
彼の魅力ってやっぱこのアウトロー感なんだろうなっていうのをすごく感じてしまって
もうだってカクテルのセロリかじってるだけでかっこいいもんね
いや本当にかっこいい
ずるい
ずるい
ただあの
あのカクテル考えたやつ正気じゃないよね
あれは美味しいの?
調べたもんだってあれ何かなと思って
ブラッディマリーですね
ブラッディマリーって言うんだ
ウォッカとトマトジュース
へえ
場合によってはタバスコ入れる人もいるかもしれない
そこにセロリが刺さってるっていう
多分おかしいんじゃねえのっていうね
トマトジュース嫌いなんで僕
本当にもう何がいいのかわからない世界になっちゃうんですけど
なんかスープだよねもうそれ
もうなんかトマトジューススープだよね
もうそのまま煮込んでほしい
そのまま煮込んでジャガイモもちょっと入れてほしいっていう気持ちになっちゃう
いやーでもかっけえんだわな
あのシーンで一個さ
なんかアホな勘違いしたことがあってさ
なんすか
あのセロリかじった後に
ブラッドピットの家にシーンが映るんですよ
でほらお土産だって言って
包み紙を開けて骨をあげるシーンがあったの
最初あの包み紙焼けるときセロリ持って帰ってきたの?って思って
喜びさんでかじる犬っていうね
セロリを
泣いてやるかい
45:00
犬ってセロリ食うんだ
でもあげたら普通の骨だったから骨だよねって
しょうもない勘違いしました
ありましたね
でも面白かったっす
かっこよかったわ
どうぞ
いいすか
ブラッドピット置いといて
シャロンの方なんですけど
シャロンの足汚ねえ問題って
それはね俺も触れたいんです
シャロンって言うと足汚すぎねえっていう
あれはわざと汚してるのか
マジで汚ねえのかどっちなのか
わざと汚してんじゃん
意味があって汚してるのかさ
あの時代のサンダル履いてたら足ってこうなるよねぐらいの気持ちなのか
なんだろうね
俺もねどういう意図があったのかはちょっとよくわからなかった
足汚ねえしさ
足乗せるしさ
彼女も汚かったよね
クリフが乗せたさ
プッシー
の足も汚かったよね
足汚ないっていうイメージ
当時はフットケアみたいなのがなかったんじゃない
でもあれ普通に血汚れてるみたいなやつでしょ
わかんないけど
あれあれあれだわ
彼女さ車運転してきたじゃん
絶対彼女のスタイルだとパンプス履くじゃない
パンプスで運転できないから脱いで運転してたんじゃない
だから裸足で運転してアクセル踏むから足の裏が汚れてたんじゃないの
天才かお前
ちょっとでも打倒ラインじゃない可能性あるよね
今コナンくんのピシューンってやつやってたよ
頭打ち抜かれてるやつね
ピシューンってやつね
かもしんないよね
タレンティーノってそういう描写も変にこだわってやりそうな気がしますよ
やりそうやりそう確かに確かに
じゃあそういうことなんでしょうね
ヒッピーの足の裏が汚いのはシンプルにお風呂入ってないからじゃないですか
多分臭いんだろうね
そうね脇毛もボウボウでしたしね
風呂入ってなさそうだもんね普通に
入浴施設あんのかしら
48:00
ないでしょう
おじいさん住んでたところはそうかもしんないけど
あるかもしんないけど基本入んないじゃないですかみんな
そっかね
でもねあとね
あのプシーあんまりプシプシ言いたくないんですけど
プシーちゃんを演じてるあの女優さん
大注目株でですね
以前俺お話したと思うんですけど
デミムーアの主演映画
サブスタンス
がクソ面白かったよっていうのを大間に言ったんですけど
これにダブル主演みたいな形で出てるんですよ
マーガレットクアリーっていう
今回のプシーよろしくですね
非常にぶっ飛んだ演技とぶっ飛んだ役どころなので
素晴らしいですね
本当にぜひ見てほしいし語りたいですね
サブスタンスはちょっと要チェケラーなんで
本当にねこのワンサポーのタイムインハリウッドに出てる
ヒッピー役の子たちって結構
この後にギュイッと上がった子ばっかりだなっていう気はしていますね
発掘するのがうまいのかわかんないですけどね
タランティーの目の付けどころがいいのかもしれないですね
僕からいいですか
シャロンテートの無垢さみたいなものが
見事だったなっていう気がしていて
マゴトロビほぼほぼセリフないじゃないですか
ただキャピキャピしてるだけなんですよ
キャピキャピしてちょっと
楽しいっていうだけだよね
そうね
映画にもお金払わないみたいな
1000円2000円くらいだったら払えよっていう
思いますけど
払えない金は持ってないだろって
そんな大丈夫ってわけじゃないですが
これからっていうそんな若手のじゅうさんなんであれですけど
非常に天真爛漫な感じでセリフもない中で
見事にマゴトロビが演じ切ったというか
演出の妙もあるなっていう気はするんですけど
彼女が無垢に描かれれば描かれるほど
その後の天末を知っている観客は非常に悲しい気持ちになるっていう
ここまで純真無垢でこれからの自分の
51:02
映画界での活躍みたいなものに
期待をしているというか
ワクワクしている彼女が
この後あんな目にあってしまうんだっていう
そういう恐怖である不安を見事に
マゴトロビの演技が増幅してくれているし
映画館で自分が出てるシーンを見てすごく喜び
観客の反応を見て喜びみたいな
そこのあたりもすごく純真でいいし
しかもあのシーンで
マゴトロビが見ている自分っていうのが
本物のシャロン・テイトなんですよ
だって顔違ってたじゃん
マゴトロビじゃなかったじゃん
これ本当にお前なの?って思ってたのよ
あれもシャロン・テイトを知らないとよく分からないんですけど
シャロン・テイト本人なんですよ
本物の映像なんですよ
そうなんだ
シャロン・テイトが出てきて
本物のシャロン・テイトが映画作品に出てきて
それをマゴトロビが演じるシャロン・テイトが見て
喜んでるっていう構図になっていて
タランティーノがいかにこの作品において
シャロン・テイトという女優に対して
対する思いを込めたのかっていうのが
多分そこにこもってるんだと思うんですね
彼女の本物の映像を使うっていうところに
だからそこらへんすごく良かったです
ブラッドフィットもう一個褒めていい?
お願いします
あのバトトリップしてさ
がっつり入ってる時にさ
あんな人の顔覚えてるクリフすごくね
そうね
でもまぁそこらへんあんまり僕は褒められないけどね
バトトリップしたことがないから
どれだけすごいかわからない
大間が褒めることはそういうことだと
皆さんわかっておいてほしいですし
警察の皆さんもぜひちょっとマークしておいてください
うちは葉っぱはやってないよ
葉っぱはって言い方よくないですね
何もやってないですけど
何も薬物やってないです
でもなんかやっぱブラッドフィットはね
ぶっ飛んでてもかっこいいですね
でもあの
俺半年前のシケモクを吸う勇気はねえわ
そうね
あれは絶対おいしくないですよ
いや絶対おいしくないでしょ
相当追い詰められて
多分大学生ぐらいの時の俺だったら
54:01
やってるかもしんないな
あーなんか足開けたらなんかもう
なんか忘れられたやつが
カンピング入ってたみたいなやつ
いったらオッケーっていって
かもしんないけど
今だったら絶対やんない
そうね
しかもましてLSD付けっていうさ
もう絶対なんかもう
その加工のせいで余計に腐敗とかして
そうでやだよね
やべえやつに
なんかさ
化学反応とか変に起こして
なんかもうすごいことがあってそうだよね
そりゃバッと入るよみたいな
くだらないジャブもいく?いいですか
はいはい
リックダルト主演の
ナチス映画
あれ大好きすぎるんですけど
サワークラウトが食いたいやつはいるか
つって
サワークラウトは焼き料理じゃねえよっていう
あれではドイツ人は怒んないんですかね
怒るべきだと思いますけどね
まあまああれですね
今焼いてるから
焼いた肉ができるから
付け合わせのサワークラウトはいるかって
意味なのかなって思いましたけど
いやーあれはね
本当に
実はタランティーノこの作品の前に
イングロリアスバスターズってやつやってるんですよ
なんか聞いたことある
これもナチスを
題材にした作品
ですね
それをナチ狩りをする
アメリカ人特殊部隊
イングロリアスバスターズっていうのが
実はいたみたいな
いないんですけど
おとぎ話をやってるんですよ
そうなんです
とにかくぶっ飛んだ
ナチをとにかく
飼ってですね
頭の皮を剥ぐっていう
アメリカインディアン式の
処刑をしていくっていう
そういう作品をやっていて
ちょっとかぶるというかね
やりすぎな火炎放射器
だからこそもうね
あのシーンだけでテンション上がるというか
笑ったんですけど
ラストの火炎放射器をね
あれ笑わせる?
まだ使えたの?みたいな
めっちゃビビって奥に行ったと思ったら
火炎放射器しょって出てくるリクダルトン
57:00
なんでそれ選んだんだよ
他なんかあるだろっていう
いくらでも他何かあるだろ
アメリカなんだが
火炎放射器しょってくることはねえだろっていう
でもねあれ火炎放射器はね
わざとだと思うのよ
俺の今回の説からすると
クリフが
普通にボコして
リックがここで銃を持ってきちゃだめなのよ
銃でも仮にオッケー
でもリボルバーだったらオッケーだけど
火炎放射器には多分意味があると思う
楽しみにしてます
本題はありますか?
あるんだけど1時間くらいになりそうだから
そろそろ怒られるから
本題に入っていきましょう
今日どっちから
どっちからだっけ
前回どっちからだった
俺からやりました
じゃあ僕からでいいですか
ワンスアポンアタイムインハリウッド
観客全員車輪説
お話していきたいと思います
この映画ね
観客はみんな車輪なんですよ
車輪でなきゃいけないんですよ
そうなんです
っていうのをまずちょっと頭に入れといてください
まずちょっとその前に
前提だけね
共有しておきたいんですけども
以前からちょいちょい話が出て
僕が話したりとか言葉に出してる
東映とか統一化っていうような
言葉があるんですけども
人が
別の他者に対して
こういうふうな
人間像なんだろうとか
あるいは
こういうふうなものを私にしてくれるだろう
っていうことを
言葉にしたりとか態度に
出さなくても
出したりもするけれども
相手に
求めるみたいなところを
東映っていうのと
あと統一化っていうのもあって
他者と自分を
同じように見るみたいな概念があって
この映画
東映と統一化のお話なんだろうな
っていうのが僕の今回の
読みの本筋になってきております
暴力的な映画ってさ
多分これタランティーノ監督が
100万回言われたセリフなんだと思うんだけどさ
ああいうのを見て育つから
現実でも暴力的になるんじゃないか
って映画の中でも多分
言われている話だったじゃない
だから豚どもをぶっ殺せ
みたいな話が出てきたんだけれども
でも
映画やテレビの暴力っていうのが
人を暴力に走らせる
っていう構図が
よく批判の対象として
言われる話で
1:00:00
でもよく考えてみれば
映画のヒーローに自分を重ねたら
世の中こんな
荒れてないよねっていう
絶対
その
暴力だったりとかっていう表現って
絶対いろんな映画とかでも
100%出てくる話ではあるんだけれども
でも一方で
ヒーロー像っていうのも同時に語られてる
わけだから
そっちに自分重ねて合わせてる人も
絶対存在するわけで
だからそんななんか
悪い話でもないじゃんっていうのが
僕の勝手な意見なんだけれども
自分をヒーローに
重ねることっていうのと
例えば現実で
ヒーローみたいに振る舞うっていうのに
関してはこれ直接的に
繋がっているわけではなくて
この間に
自分の中で処理をしてるっていうのが
絶対あるはずなんよ
映画の中で見ているときは
自分を重ねたりとか楽しんで興奮して
でも終わったらそれを
映画館の中に置いて
現実に帰ってくるっていう
一連の流れがあって
それがある意味
投影にもなっているんじゃないかなと
もう一つは映画の中で
自分を重ねて楽しんで興奮して
っていうのを
映画館の外に持ってきちゃうっていう
ところがある
それが多分同一化になってくるんじゃないかなと
映画の中ではね
この大前提
っていうところをちょっと
覚えておいて欲しくて
まずちょっとね
二つの関係性でちょっと見ていきたいんですけども
あ、そうだ
もうちょっと偉そうに喋らないと
そういうことなんだよね
サラダ油さんと求めてないと思うけどね
本当?
演じなくても我々ちょっとそういう
高尺たれに聞こえるところあると思うんで
大丈夫です
そっか
謙虚にね
リックとクリフの関係性なんですけど
まず
この二人で
僕が見たときには
別々の人間として描かれているっていうよりかは
その一人の人間の
掛け合っている部分
っていうところを補いになっている
二面性のあるこの二人の
関係性なのかなというふうに
思っております
リックは表舞台に
立っている
俳優さんで顔も売れている
でも自分のことを
認められないとか
昔はすごかったみたいな
今の自分っていうのを
認めてあげられない
仕事も自信もどんどんなくなって
酒飲んでないって
セルフネグレフト気味なんだよね
表に立ってはいるんだけれども
自分を支えられていない
っていう
そういう人だった
逆にクリフは
表舞台には上がっていない
1:03:00
スタントマンだから絶対に
裏方のお仕事
今は仕事も不安定になっている
でも
解決力とか実効力とか
自信がある
みたいなところっていうのが
何が起こるとしても
自分で解決していけるとか
自分で何とかするっていう力があるみたいな
そういう
インとヨーみたいな
そんな関係性がこのリックと
クリフの2人の関係性なのかなと
これが
まさに
投影の関係
になってるのかなと
リックは
表舞台に立ってるけれども
自分自身っていうものに自信がない
からそこの
欠けてる部分っていうのをクリフに投影している
クリフっていうのは
自分に自信はあるんだけれども
そこの外面に出ているものっていうものが
ないからそこを
リックに
投影しているっていう
お互いに投影し合ってるよねっていう
関係性をここで見ていると
それを見ているというか
観客が
映画を見るときに
この2人ってそういう
お互いのお互いっていうものを
投影し合ってるんだろうなっていう構造を
まずそこで見せる
で、こっからが本題なんですけども
もう一人
対比として選ばれ
描かれている
2人がいて
それがシャロンとヒッピーの女の子
女の子というか
ヒッピー達というか
っていうのが対比して
描かれていると思うんだよね
で、先ほどちょっと
ジャブにも出てきたシャロンなんですけども
劇中だとこの女優さんで
映画に出ている側の人
なんだけれども
なんか
割と後半というか中盤くらいから
映画に出ている人っていうより
観客そのものとして描かれているんじゃないかな
と思っていて
で、象徴的なのが
自分の出演作を映画館で見る場面
で、チケットを
買ってというか
騙してはないけれども
騙してはない
たかって
お客さんとして
座ってオンスクリーンに
映る自分を見て周りのお客さんが
笑ったりとかすると
ちょっと自分も嬉しくなる
自分のシーンとかは
自分がこういう風にやったんだっていうのを
回想しながら
その場でもちょっとやっちゃったりして
で、そのが終わった後に
ありがとうありがとうみたいな感じで
なんかちょっとニコニコニコニコする
っていうような
あれって結局
映画っていうものを見て楽しんでいる人の
顔っていうものを
映し出しているのかなと
で、演じている人じゃなくて
それを楽しんでいる人の顔
だから自分を映画に重ねてそれを楽しんで
1:06:02
でも彼女は
映画館の外に出た時に
じゃあその自分
映画館で
演じた自分っていうものを
現実に
持ってきてるかって言ったら
持ってきてないんだよね
一切暴力は行わないし
そういう関係みたいなことも
しないと
だからさっき言った東映の
一番健全な形として
このシャロンっていう人物が
描かれてるんじゃないかなと
映画を見て重ねて楽しんで
で、映画館に
全部置いていく
で、そのシャロンが
それができてる人として描かれていて
その
映画を見ること自体っていうのが
彼女の現実を楽しくする燃料
になっていると
だからこの
シャロンっていうのが健全な観客の
見本みたいな感じで
描かれているんじゃないかなと
で、対する
ヒッピーたちなんですけども
これが映画館に置いていけなかった人たちとして
描かれているんじゃないかなと
で、彼らがどういう存在かっていうと
廃れた西部劇のセットに住んでる
じゃないですか
で、もう使われなくなった
昔の映画館で
映し出される
世界にそのまま住んじゃってると
で、文字通りフィクションの中にいるんだよね
現実に帰る場所がない
っていう
ヒッピーとしての暮らしっていうところも
と、さらにはその
映画館のところに
住まざるを得ないっていう
帰る場所がないっていう
ダブルで帰る場所がないっていうような
暮らしをしていると
で、最後に殺しに来るときには
彼らは結構理屈をつける
自分たちはテレビの暴力を見て
育ったから
だからその暴力を作った側に返してやる
みたいなことを言って
豚の鼻息の真似をして
って言って
っていうのをやって
自分に酔いしれながら外に出ていく
っていうシーンがあったんだけども
これがまさに
同一化の悪い例になってるんじゃないかなと
映画とかの暴力っていうのを
楽しんで置いて帰るんじゃなくて
行動、現実の行動の
理由とか
根拠にしちゃってると
フィクション映画を現実に持ち越して
行って
同一化してしまったっていう姿をそこで描いているんじゃないか
で、つまり
ヒッピーはシャロンがやっていた
その映画の本来の楽しみ方
っていうものではなくて
同じ映画の暴力に触れているのに
映画の世界から
帰れなくなっちゃってる存在
っていうところの
2つの結末っていうのを
シャロンとヒッピーを対比することで
見せれるっていうのが
この映画になってる
だからこの
二重構造というか
観客は
リックとクリフを見て
東映ってこういう状況なんだね
っていうところを
1:09:00
まず見た後に
シャロンとヒッピーを対比して
自分たちが
どっち側なのか
っていうところも
見ていく
じゃあ自分はどうなのっていうところに
多分最後
考えなきゃいけなくなるって
来ると思うんだけれども
それがラストの乱チキ騒ぎだと思うよ
ほう
それまで観客っていうのはずっと
外側からこう
見ていくわけじゃん
誰かの感情移入したりとかっていうのは
結局外側から中側を
見た時に出てくるもの
健全はこうなんだよねとか
失敗はこういうふうなんだよねっていう
ヒッピーとシャロンを見て
学んだりとかっていう
ことを知っていると
ラストでこれが全部
ゼロベースになっていくのね
ヒッピーたちがこう
めちゃめちゃ過剰に痛めつけられるシーン
クリフに
鼻輪を折られるわ電話機やら
何やらで顔ぐっちゃぐちゃにされるし
犬に弾を噛まれるし
っていう
すごい場面が
最後になってくるんだけれども
でも普通に考えたら
めちゃめちゃ残酷なシーンのはずなんだけれども
演出として
完全に痛快に楽しく
見れるように撮られていると
しかも笑えるように
作られているだから見せ物として
気持ちよく見せてくるわけさ
僕ら観客っていうのは
あのシーンを見た時に
もうのめり込んで
投影しているわけさ
クリフであったりとかリックだったりとかに
スカッとして悪者やっつけたぜ
やったぜ
なった後に
あなたたちはどっち
ヒッピーなの
アロンなのっていうのを
あそこで突きつけている
っていうのが
まず一つのシーンなんじゃないかなと
ここがすごいと思うんだけども
タランティーノって結局
暴力映画を現実に持ち越すんじゃないよ
みたいな
説教臭いことをやってないと思うんだよ
投影とか
映画を見てそこで楽しむだけ
っていうところが健全なんですよ
なんて一言も説明しない
代わりに
観客を席に座らせたまま
実際に
暴力的なシーンを見て
でもこれって現実じゃないよね
っていうところを
観客に
そのまま体験させている
だから
なんていうの
暴力の
表現とか
なんとかっていうのは
映画だから面白いんじゃん
だからこういう風にしたらお前ら楽しいだろ
残酷だったりとかって
よく言うかもしれないけど
映画だからこれが面白いんだ
っていうのを
全力で楽しませようとしている
1:12:00
っていうのが
タランティーノ監督の今回の映画の
すごく面白いかな
だったなっていうところだよね
ちらっとさっき
リックが火炎放射器に
意味があるって言ったのは
あれも
ある意味対比になっていて
クリフはもともと
暴力をかなり行っている
現実世界でも暴力を振るっている
人っていうのは
ああいう劇的な場面になっても
同じ暴力を使っていくよねっていうところ
とリックに関しては
劇中で演じて
行う暴力
銃で撃つとか
ガンマンになってみるっていうのと
あとそのドイツ映画っぽいので
火炎放射器をやる
だからリックはそのまま
現実世界になっても
現実の暴力を
持っていないから
映画の世界の暴力を
そこに
持ってくるしかないわけさ
だからこれって
フィクションじゃん
ってそこで言えちゃうわけさ
だからあそこで
リックが
火炎放射器じゃなくて銃とか
あるいは殴ったりとか武器を
殴りつけたりっていうのじゃなくて
映画の世界の暴力を
そのままあの事件の時に
起こしたから
観客っていうのは
これはフィクションだからね
っていう楽しみ方ができるんじゃないかなと
だから観客が
全員シャロンっていうのは
観客がこのシャロン側の方の
スタンスに立って
映画を見てた方が
世の中は面白いんじゃないの
映画って投影して楽しむ場所なんですよ
っていう説明する装置として
使われてたんじゃないかなと
映画を通して
この映画の中で楽しんで
現実の暴力を
現実に変えてこいと
それを楽しむ場所
楽しむことができるからこそ映画であって
変えてこれるからこそ
映画なんだよ
っていうようなことが
この映画で言われていったんじゃないかなという
今回なんか割と
あんまり
うっとんだ話でもなんでもなく
構造を読んだっていうそんな感じです
ありがとうございました
いい話でした
はい
まあやっぱりね
その暴力映画っていう風に
よく呼ばれる
ジャンルですから
タランティーの作品っていうのはね
まあでも
だからこそ
その批判に対して
アンサーという形で
映画を提示し続けるっていうのが
タランティーの監督の
いいところというかね
ブレないところで
そこが面白いのかなという風に思うので
結構今の話もよかったですね
1:15:01
はい
ありがとうございます
で僕も結構やっぱり重なる話にはなってしまうので
サクッといきますけれども
ただでも切り口は
全然違って
えー
僕の説です
映画
事実上の
映画無力論映画説
でございます
映画無力論
無力論映画説
はい
映画無力論映画なんですこれは
ほう
はいということで
まあこの作品は正直
まあその性質上
イングロリアスバスターズと
同じ構造にあって
まあ一定の読みが
よく提示されるんですよね
まあ要するに現実に起きた
出来事ではないことを
描いて
うん
で現実に悪いことをした人たちを
作品の中でボコボコにすることによって
うん
まあその悪い
ものによって踏みにじられた人々の
命だったり生活っていうものを
うん
まあ救うじゃないですけれども
まあ言わずこうなんていうのかな
弔いのための映画とでも
言いましょうかねっていう風に
読まれると
実際タランディの自身も
シャロンテイトという人物を
描きたかった
それすなわち
被害者シャロンテイトでは
なく
あの当時ハリウッドで
生活をしていたシャロンテイト
という人間を描きたかったらしいです
ほう
シャロンテイトっていう名前は
マンソン事件によって
うん
残虐な事件による被害者の
名前になってしまった
ああなるほどね
あの時ハリウッドが
ハリウッド終焉のね
ハリウッド暗黒時代の
始まりとても
言いましょうかね
非常に特筆すべき事件だったんですけれども
やっぱりその事件の力によって
シャロンテイトという
一人の夢見る
若き女優っていう存在が
被害者っていう
肩書に変わってしまった
それがやっぱりタランティーノという映画大好きマンからすると
非常に許せないことだったのかと
もしれないと
その点でいうと本作において
その首謀者であるマンソンが
限りなく
スクリーンタイムが短いんですよ
あの一瞬だけですからね
家訪ねてくるって
それ以外では全然
留守にしてていないんですよ
全然映んないの
あれもだからタランティーノのスタンスなんじゃないのかという
つまりはこの事件を描くけど
この事件に削くつもりはないし
この事件の首謀者なんぞ
1:18:00
画面にそんな治めてやるかと
ふざけんじゃねえクソが
ぐらいの風に思ってると思うんですよ
多分
それでいうと本作っていうのは
代理復讐フィクションによる
ハッピーエンドに
無理やり書き換えることによって
追悼しているっていう風に
読むことができると
ただ
ただだよ
僕がここで言いたいのは
これはそういうタイプの
カタルシスを得て
気持ちいいぜっていう風な
作品ではなくて
むしろ虚しさの方が先に
立つような
すなわち映画に現実を変える
力などないということを
自らの映画をもって
提示する映画は
無力であるという
無力論映画なのではないかと
いうことを
言いたいんですよ
これはまあなんていうのかな
何も
肩の力が
抜けてしまいましたっていう作品ではなく
むしろその映画にその現実を変える
力はないということを積極的に
認めていくっていう
結構ポジティブな形での映画
無力論映画なのではないかという風に言いたいと
ちょっと要は分からないので
ちょっとやっていきますけれども
これが公開したとき
2019年なんですけれども
ちょうどですね
それこそ公開後にですね
公開から8日後
かな
ウォルマートでの
銃乱射事件っていうのがあって
もう結構
亡くなられたようでね
23人から9人
2日に分けて人が死んでるんですが
これに対して
トランプがですね国民への演説で
暴力の称賛を止めなければならないと
これは
今日常になっている
無惨で残忍なビデオゲームを含まれる
みたいな形で
暴力的なゲーム批判みたいなことをしたんですよ
これってやっぱり本当に
アメリカにおいては
青少年保護の観点においても
たびたび繰り返されているもので
日本も同様ですよね
要するにメディアの暴力が
現実の暴力は無論なんですよ
残忍な事件を起こした
青少年の家を家宅捜索したら
暴力的な
題材の漫画が出てきたみたいな
その手の文脈
っていうのはやっぱり世界各国で
出てくるわけですよね
そういった流れの中で結局
タランティーノみたいに
暴力というものを一つのツールとして使いこなす
監督からすると
自分の立ち位置であったり
あるいは捜索した作品
っていうものの価値を問われるような
場面になってしまうわけだ
それで言うと
1:21:00
やっぱり意識を
常に日頃から彼は
知っているはずだと思うので
一つこの作品の中でも
彼なりの
立場を示しているんじゃないのかな
っていう気はするんですよ
そうですね
この1969年っていうと
本当に西武劇が終わり
になるんですよ
商業的な終了を迎える
だからこそこのヒッピーの子たちは
西武劇の
野外スタジオを
ねじ込み化することができたわけですね
もはや誰も使ってないから
あれはもう事実なんですけど
本当にそうだったんですけどね
実際その後にシャロンテッド事件も起きて
ハリウッドの黄金時代は
終わったんだと
このシャロンテッド事件をもってと
言われたような
そんな時代になるわけですよ
さらに言えばさっきオウモも言ってくれたけれども
ヒッピーのうちの一人がね
テレビ見て育ったんだぜ
みたいな
殺しを見て育ったんだぜ
殺しを教えたい人たちに殺しを
返してやるんだ
みたいなことを言ってたけれども
あれも結局わざわざ言わせてるわけだから
タランティーノはやっぱり
あのセリフに対する一つのスタンスっていうものを
この作品の中で描いているっていうのは
間違いないんじゃないのかと
いうふうに思うわけです
ここでやっぱり
考えていかないといけないのが
すなわちですね
シミュラークルなんですよ
シミュラークル
はいシミュラークルね
これ本当に意味不明なことなんですけど
シミュレーションとシミュラークルっていうのは別々ですよ
っていう
シミュラークルっていうのはその模造のことで
要するに現代において
何がしかのイメージっていうのは
現実を映す鏡じゃないですよねっていう
イメージっていうのが
イメージ自身を参照するようになって
現実とはまた別のもう一つの
ハイパーリアル
超現実っていうものを指し示してる
つまり映画っていうのが
いわば映画というイメージは
現実を映す鏡ではなくなってるんじゃないのかという
ここでやっぱり見ていきたいのは
タランティーノの映画の作品っていうものは
これはシャロンテイトを
救った
フリをしてないんですよ
結局本作において
シャロンテイトは悲劇に巻き込まれずに
済んだ
で、それは
ある種僕らに一瞬だけでも
救済の気持ちを
ちょっと放物とさせるんですよ
良かったって
で、そして
暴力によってボコボコにするのを見て
笑いながら
あーこんな終わり方があって良かったな
っていう風に喜ぶことができるんだけれども
でもそれは
救いではない、現実の救済ではないことを
何よりも承知してるわけですよ
映画はシミュラークルだから
現実とは別の領域なんですよね
1:24:01
それでいうとね
結局
なんていうのかな
本作のタイトルが何だったのかっていうのは
めちゃくちゃ重要で
Once Upon a Time in Hollywoodなんですよ
One
Once Upon a Timeっていうのは
ロングロングアゴーと同じような話で
昔々あるところに
なんですよ
要するに昔話
おとぎ話の導入で使われる
言葉なんですね
要するにもうタイトルの時点で
これは現実の話ではないんですよと
これからおとぎ話を始めていくんですよと
そしてこのおとぎ話の中では
本来起こるべき
起こるべくして起きたって言ったら
ちょっとあれですけど
本来起きてしまった
あの悲劇は起きませんよ
っていう
おとぎ話であることを
大前提として作られた映画なわけですよ
つまりは
タランティーノははなから
この作品をもってシャロンテートの
過去を塗り替えて
映画によって現実を救おうとは
思っていないわけです
これは積極的に
これは虚構に過ぎない
ただ虚構の中でもって
おとぎ話でもって
その彼女の
救いの物語を
描いた
でも現実は変えられないじゃないかっていう
そこのだからもう
一種の定観みたいなものも
そこには含まれている
だからこそタイトルがもうすでに
ワンスアポンなタイムなんですよという
ことなんじゃないのかな
っていう風に思うんですよね
これすごくね僕は大事なところだと思っていて
だから結局この暴力も
同じじゃないですかっていう
どんな形でね暴力を振るおうが
映像作品の中でどんな形で暴力を振るおうが
所詮それは
現実に影響を及ぼすような力なんて
そもそも持っちゃいないんだと
それが例えば
正義のために振るう拳だろうが
悪がね
理不尽に振るう暴力だろうが
所詮それらは映像作品の中で描かれる
虚構としての機能しか持っていなくて
現実に影響を及ぼせるはずなんて
初めからないんだよって
だからこそできることもあるよね
っていう
それがねとにかくタランティーノが
やりたかったことなんじゃないのかなっていう風に
思うわけですよ
それで言うとイングロリアスバスターズも
結局同じ構造ではあるんですよね
イングロリアスバスターズっていう作品では
さっきも言ったように
煉獄側の秘密部隊イングロリアスバスターズ
っていう連中が
ナチをボコボコにして
最終的には
映画館に集まったヒトラー含む
ナチスの
高官たちを
全員焼き殺して
ヒトラーに関してはオーバーキルみたいな感じで
銃弾何百発も打ち込んで
蜂の巣にして殺すっていうシーンが
1:27:00
出てくるんですよ
そんなジャスティン・ビューバーみたいな殺し方するの?
そうジャスティン・ビューバーみたいなだからもういいんだ
2ランダー2の話を挟み込んでくるんだ
見事なまでに
完璧な木までにやるんですよ
でもそれは
結局
シミュラークルでしかないわけですよね
それでもって現実世界の歴史は
書き変わらないんですよ
絶対に
結局そのナチスドイツによって
引き起こされた大量虐殺の歴史っていうのは
二度と書き換えることはない
でもせめてこの
虚構の世界の中では
起きえなかった未来
起きえなかった過去ですね
起きえなかった過去の話っていうものを描いてもいいじゃないかと
それができるのが映画だろうと
映画は所詮
現実に何かを及ぼす力など
持っていないんだから
この2時間なり
3時間なりこの銀幕の中で
描かれる物語性の中においては
自由に自分たちが
望むものを投影していいじゃないか
っていうことを
伝えてくれてるんじゃないのかなっていう
そんな気がするわけですよ
だから無力だからこそできることがあるよね
だってさっきさ
オーマはヒーロー映画を見ていたら
世の中もっと良くなってるじゃないかって
言ってたじゃないですか
でも本当にヒーロー映画を見て
ヒーロー映画に感化される人たちがいるんだとしたら
正義のために人ぶん殴っていいわけですからね
でもそうじゃないわけじゃない
僕らはそこから何かを感じるにしろ
自分の生活様式の中に何か組み込もうと思ったにせよ
そのままそれを遺憾するわけないじゃない
そこには必ず解釈があって
そして
取捨選択があって
諸々やっていくと結局それは
映画に影響はされたかもしれないけど
別に映画によって現実が書き換わったわけではないわけですよね
それは結局個人が
映画っていうツールを通して
何かしか自分の考えを
持っただけであって
映画によって生み出された
現実ではないんですよ
この辺りの区別が
つけられない人多くない
っていう
ことを多分
言いたいのかな
なんていう気がしましたね
っていう
お話なんですけれども
なんとなく伝わりましたかね
全然伝わりました
シャロンテイトっていう
一人の女性の人生っていうものを
映像作品の中で取り戻す
彼女自身の運命は変えられないけれども
シャロンテイトっていう
人物がどう生きたかっていうのを
取り戻すっていうタランティーノが言ってること
っていうのは何もブレちゃいないと思うんですよ
でもやっぱりそれができるのは何よりも
映画が現実には何もできないんだという
その前提があるが
ゆえにむしろそれを
1:30:02
それを積極的にやることができるんだよね
っていう
お話だと思うんですよね
ということなんですけれども
なんかある意味被ったね
根っこは同じなのよ
つまりは映像によって人間が
感化されるのかどうか
ここまであからさまに
主題を
見せられたら
その話をせざるをえないよね
その視点でもってというか
マンソン事件を知った上で見ていると
余計にそれを感じるわけですよね
こんなことしていいんだって
でもだってこんなことする人いなかったじゃん
あそこまで
過去の出来事というか
歴史に関するものを
切り抜きながら
全く違う
歴史改編をするわけですから
歴史改編って
やっていいの?
っていう節はあるわけですよ
演出という面で
例えば誰々という英雄が
何人殺しましたみたいな
記録が残っていて
そこにドラマを作るために
戦闘中に銃弾を
5発くらい食らって
右側の肺は破裂していて
でもそれでもやっつけたみたいな
演出をしたとしましょうよ
これはまだ政府みたいな
タランティーノがやってるのは
何百人殺しましたっていうところを
完全に無くして
いきなり爆殺されましたに
してるようなもんですから
そんなことしていいのになるわけですよ
でもそんなことしていいじゃん
って言ってるの彼は
だって映画は現実じゃないんだから
そして
映画で何をやろうが結局それは
現実に起きた出来事は何一つ変わらないんだから
だからいいじゃないっていう
こういうところを
思い切って踏み込める人っていうのは
今までいなかったんじゃないのかな
っていう気がするですね
彼がそれをできたのはある意味では
虚構だったり
創作っていうものを
何よりも愛しているからこそ
創作と現実の区別
っていうものの
選挙が明確であり
現実なわけないんだから
だから自由に作っていいんだ
そして自由に作ったものを我々は共に楽しめばいいんだ
っていうところの多分開き直りというかね
がやっぱりブレスにある方なんだろうな
っていう気がしますね
そうね
結局多分タランティーノって本当に
僕はあまり
これまでさこの番組やるまで
タランティーノ作品ってほとんど見てこなかったんだけど
なんかもう
映画見て
楽しもうぜみたいな
俺も楽しんでるよみたいな
そういうことをもう
節々に言いたいんだろうなって
でなきゃあんなにカメオ出演
1:33:01
したがらないよ
そうですね
でも今回出てないですよね
いなかったよね
今回いなかったね
この手のアプローチだと出ないですからね
どうなんだろうね
俺一瞬マンソン
なんか
タランティーノのガッって
ずっといじってみたんだけど
これ違うってなって
違いますね
そう
あとはなんか
映画館の
主人みたいなさ
騙されて
というかさ
招き入れた人いたじゃん
騙されてないけど
騙されてはないけど
あの人かと思ったけど
いやこれ違うなって
いなかったよね
いなかったですね今回は
いなかったはずです
わかんないですけど
出るとしたらめっちゃわかる形で
出る人ですから
そうだよねしかも
真っ先に殺されにかかるからね
たぶんその方がね後々の撮影上
都合がいいんでね間違いなく
まあそうだよね
いやー
本当に面白いな
って思いますね
彼の作品感というか
もう
今回ね
トークテーマは一応
なんだっけ
創作における暴力はどこまで許されるのか
というお話で一応
問いかけておいたんですけどいかがですか
これはもう僕の説からすると
映画を現実に
持ってくる方がバカでしょっていう
そうね
だから何やってもいいと思うんだよ
でも逆に言うと
その暴力を一切なくす
っていうことは
そこに
起こる
例えばその人間ドラマだったりとか
人が亡くなるからこそ
見えてくる人間像だったりとか
その悲しいことが起こるからこそ
そこにレジリエンスする
人間とかっていうものを
同時に描けなくなるから
だから
その映画という
媒体自体が存在できなくなる
気がするんだよね
ありとあらゆる暴力を抜いたら
だってアンパンマンだって無理じゃん
まあそうね
脳筋の解決の仕方じゃん
全部
殴って解決だからね
日本人は
幼少期から暴力を
擦り込まれて育ってますからね
まあね
未だにそういう価値観はありますからね
俺もだって嫌だもん
喧嘩するなら勝って欲しいなっていう
思いますもんね
嫌だもんねって
そうそう
勝つべきでしょみたいな思っちゃう人は
ありますしね
あれですね本当にその通りで
1:36:01
創作にじゃあ逆に
創作で暴力を描かなくなった時に
僕らは暴力が何を生み出すか
っていうのを一体どこで理解すればいいんだっていう
だから創作にこそそれを求めないとっていう
そうなんだよ
それは結局
現実で暴力が起きないように
創作から暴力を
無くすんじゃなくてむしろ
現実で暴力を起こさないように
しようとするのであればむしろ
創作でどんどん暴力を描かないと
我々は暴力によって何が生み出されるのか
理解できないから結局現実の中で暴力を
振るうだろうって話になると思うんですよ
ちょっと人殴ってことないから
分かんないからちょっと試しにやってみよう
って話になっちゃうじゃん
そこはね
人ってどうなるんだろう
だからこそ創作でこそ
過剰な暴力っていうものは
どんどん出していって
いいんじゃないのかなって気はするし
結局
やっぱこう
代理復讐の部分はあるんでしょうね
日頃の分だったり僕らが感じているものがあって
やっぱり
理不尽に奪われるものに対して
やっぱり寄り添う何かがあって欲しい
と思った時には
分かりやすい映像表現として暴力が
存在するわけだから
暴力でもって守られる弱者っていうものが
描かれて
ホッとするっていうのが必要なのかなって気はしましたね
と思いますよ
だって本当に
なくしたら警察とかが
出すさ
交通安全ビデオとかさ
暴力団ボクミスビデオさ
それなくなっちゃうでしょ
そうですよね
そこはどんどん描いて
叱るべきなんじゃないかなって気はしましたね
いいと思います
そんなところですけどね
楽しかったですか?
これはね
僕トランティーンの作品の中で一番好きかも
良かったです
ラスト13分のためにもう一回見たいですね
見たいし
最後のエンドロールが
くすまじい煙草
どうしてみたいな
ビカプリオの演技力が
まじでね
いつまで成長するのかなって感じだね
本当に
本当に
本当にああいう人に見えるから
だから
最高だよね
リクタルトにまた会いたくてしょうがない
どうもねワンサポのタイムインハリウッドは
続編ができるらしいですよ
へえ
しかも今回主人公はクリフブースにして
ブラッドピットが主人公の
スピンオフみたいな形で出てくるらしいです
へえ
その後今度は誰をボコボコに
するのかっていうのちょっと期待大ですね
期待大ですね
じゃあそんな
ところになるかなと思いますので
サラダブラさんいかがでしょうか
ご満足いただけていたら
幸いでございます
何か言い残したことがあればお聞きしますが
1:39:01
いかがですか
そうですね最後に
なんかこんなこと言うのも
あれなんですけども
一個クリフにね文句言いたいところがあるんだけど
うん
あのもうちょっと
大きい犬用の皿買ってあげろよって
語りたいものがある
好きでたまらないものがある
それならもう話すしかない
気になったもの
ハマったもの人生をちょっと楽しくしてくれる
者たちを持ち寄って本気で
語り倒す30分
笑えてちょっとためになって
たまに明日何か書いたくなる
毎週日曜更新
俺たちの物語
誠大間でお送りいたします
家だとちょっと気にしてしゃがんで
入れるんだけどやっぱりはみ出して
床が汚してますね
あの大きさにさ
あのでかさの缶2つは入るのって
あのねって言うね
いやー
あれはね
クソまずそうなんですけどね
うん美味しくはなさそうですね
ねーでもまあ
舐めてましたけどね
あれはもうお薬の仕方ですから
いやーなんか幼少期はちょっと思い出しましたよ
やめてください
悲しいね
姉との悲しい思い出は引っ張り出さなくていいですから
いやーよかったですね
なんかねあの
あのなんだろうな
何の意味もないカットがすごくかっこいいんですよ
いいね
その犬の餌がぬるっべちょって
落ちるシーンなんて別にどうでもいいじゃないですか
どうでもいいんだそのぬるっと落ちたべちょ
なんか無駄にかっこいいんだよね
そういうのがねなんかね
最高だな
特に今回ねタランティーノブシを感じた
セリフ回しが
あの子役との会話ね
あー
このセリフ回しはね
タランティーノブシを感じましたね
なるほどね
うん
ここもさすごいよね
あの子めちゃくちゃ顔整ってるよね
すごいよね
あの子は有名な子なのかしら
じゃないですか
有名になるんじゃないですか
有名になりそうだよね
すごいでも上手だったし
いやー
素晴らしいですね
ディカプリオに対してあの物音しない演技は
いいですね
素晴らしいよ
誰だ
名前が出てこないな
キャストで
わかんないな
ちょっと要チェックかもしれませんということで
いやー楽しかったですね
1:42:01
これがマイキーマディソン
27歳?27歳?
そんなことないな
絶対違うでしょ
マイキーって言ってる時点で男じゃない
ああいた
ジュリアバターズ
17歳だそうです
バターズ
バターズ
そうバター達
へえ
綺麗な子だな
めっちゃ綺麗な子やな
すごい
はあ
なんかいろいろ出てるんですかね
シャッフルフライデーとか
最近もなんか出てるみたいではありますけどね
はい
どうしましょうかね
次回
次回はあれ
あのノスタルジーリサイクル
ノスリサ
そういえば忘れてましたね
そんな企画あったっけの世界になってるんですけど
何上げてたっけ
ノスタルジーリサイクル
ちょっと今さ
ジャイアントピーチ見れるのかなと思ってさ
ジャイアントピーチね
ジャイアントピーチディズニープラス見れるっぽいよ
見るしかないですね
じゃあもうジャイアントピーチですね
いいですか
いいですよ
じゃあちょっと我々の懐かしい
子供の頃楽しかった映画を
見直したらどうなるかシリーズというのを
今やらせていただいているので
その第2弾ですか
そうですね
ということでジャイアントピーチをやっていこうかなと思います
ちなみにですね
リクエストまたいただいておりますんで
そうなんですか
ジャイアントピーチの後にまた
今後はですね
自分たちセレクトと
来てたらリツナリクエストみたいな
交互にね
交互にね
扱っていけたらなと思っておりますけど
とてもねやっぱね
今回ロマンプランスキーが出てきたからね
ローズマリーの赤ちゃんは見たいですね
何それ
分かった
ホラーで何か見たいとか言ってた
そうそう
ローズマリーの赤ちゃんですね
ロマンプランスキー監督の
傑作でございます
実際リクファキンダーさんも
言ってましたから
ローズマリーの赤ちゃんって
あれだな
今年の真夏のホラートクシューの時かね
そうですね
ぜひ見ましょう
というところで
よろしいですかね
お聞きいただきましたのは
Real Friends in Tokyo
今回はリスナーリクエスト
映画Once Upon a Time in Hollywood
創作における暴力はどこまで許されるのか
でお送りいたしました
番組では投稿フォームを通じて寄せられた
感想やリクエストを
実際に番組のテーマや構成に反映しながら
制作しています
面白かったここは引っかかったなど
短い言葉でも大歓迎です
またXでハッシュタグリールバルをつけた
1:45:01
ポストも受け取っております
いただいた声は番組の中でご紹介させていただく
こともありますので
ぜひあなたの声をお届けください
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本日のお会いとは誠
大間でした
それじゃあまたねー
またねー
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