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100人、200人にしか届かないかもしれない。求めてないかもしれないけど、その100人、200人の人にとって心の一歩になったり、本当に見てよかったなって思えるものであれば、すごいやる意味は、お金の話は置いておくかとしても、気持ちの面でも絶対やる意味あるなと思っているので。
黒木瞳の映画ここだけバナシ
黒木瞳の映画ここだけバナシ、今日も聞いていただきありがとうございます。
映画に携わる様々なジャンルの方々と、ここだけ話していきます。今回のゲストは、前回に引き続きGucchi's Free School 主催の古矢 聡さんです。よろしくお願いいたします。古矢です。よろしくお願いいたします。
古矢さんは、海外の未公開映画を会社ではなくて、個人で配給されているということですけれども、
心に残る不思議な世界観を持つ作品ばかりで、だからこそ古矢さんは、良い作品なのに公開されない未公開の映画を選んで買い付けているということなんですよね。
良作なのに日本で公開しないからもったいないということなんですけど、見分け方っていうのはどういったところにあるんですか、ポイントは。
そうですね。わざわざ小さい映画みたいなものを探そうと思って探しているわけではもちろんなくて、そもそも大きい映画は普通にやってるから見ますよね。
それはそれで配給されているのでいいとして、自分の好みを掘って行ってというか、気になった映画を見に行って行ったら、それが結果的にそういう小さい映画が多かったというだけの話なんですけど。
なので見分け方っていうのは、そもそも見分ける云々をしてないので何とも言えないんですけど、ただどうですかね、僕の中ではこれがいいなって思えるというか、配給したいなって思えるような作品っていうのは、
例えば前回のお話のアメリカンスリープオーバーっていう青春映画を配給したいな、これをやりたいなって思ったかっていうと、今までの青春映画をアメリカンスリープオーバーを紹介することによって、ちょっと今までの青春映画というのは見え方が変わってくるんじゃないかとか、
今後青春映画っていうものを考えていく上でヒントになるんじゃないかみたいな作品の良さだけじゃなくて、その作品を通してもうちょっと広がりがあるような考えられることがあるんじゃないかって作品を結局は選んでいるような気がしていて、
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なので、ケリー・ライカート監督の作品も今公演してるんですけど、ミーツ・カットフっていう映画は西部劇なんですけど、女性の西部劇というか、普通に西部劇って考えると、例えばネイティブアメリカンが襲ってきて、保安官がやっつけてとか、銃撃戦がすごいとか、いろいろあると思うんですけど、イメージが。
全く違う、女性たちがただただひたすら水を求めて歩くみたいな映画なんですよ。そうなった時に、西部劇ってこういう描き方ができるんだとか、そしたら今までの西部劇で女性ってどういう風に描かれていただろうとか、今後はこういう違う視点から語る西部だったり、あるいはアメリカっていう国家を考えるようなものとかって出てくるだろうなとか、
いろいろ自分の中で考えられるなと思ったり、そういうことに対して、皆さんもどう思いますか?みたいな感じじゃないですけど、そういうことを共有できるような、そういう作品が結果的に僕はもしかしたら配給したいとか。
お好きってことですよね。
そうですね。っていうことになっているのかもしれないなっていう、改めて考えるとそういうことを言えるかもしれない。
爆発的に大ヒットという作品ではないけれど、なんか心に引っかかるというか、心に魚の骨が引っかかってるみたいな、そういう作品が多いなっていうふうにはちょっと感じて、だからきっと心に残っていくんでしょうね。
そう言っていただけるとすごく嬉しいんですけど、見分け方というか、やっぱり自分の中で見たときに、そういう心に残る、あるいは違和感とかでもいいかもしれないですけど、何なんだろうこれっていう気持ちでもいいと思う。
そんな感じ。
それを大切にというか、それを自分の中でも考えていく上でも、配給をするというか、紹介するとか、自分で紹介しながら自分で考えていくみたいなこともあるかもしれないんですけど、
だから、もし配給したいなって思って、でもどういうものを配給すればいいかわからないみたいな、もしあるとするならば、そういう自分が引っかかったものみたいなものに、自信を持つというか、その感覚を信じて配給というか、そういう作品を紹介するっていうのはなかなかいいんじゃないかなっていう。
自分が楽しいと思ったものを深掘りしていって、自分の中の妄想の映画史を作る。これはどういったことなんですか?
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結構僕は、勝手に妄想の映画史みたいなことを考えるときがあって。
妄想の映画史。
いわゆる普通の映画史的な考え方じゃない、自分独自の見方なんですけど、自分の見方というか。
例えばですけど、よくアメリカ映画とかで怪我をしたりすると、なぜか冷凍食品で体を冷やしたり、そういうシーンとか結構あったりするんですよ。
そうでしたっけ?
見てると時々あるんですよね。神社の朝とかいう映画とか、結構探せばいっぱいあると思うんですけど。
例えば、またここで冷凍食品使ってるんだとか、そういう見方とか。
あるいは青春映画でいうと、基本的には家のドアから出入りしないで、家の窓から出入りするシーンとかがあるとか。
この映画では窓をこういう風に使うのかとか、そういうようなことって見ていくと似たようなシチュエーションとか、でも微妙に違うみたいなことがあったりするんですけど。
そういうようなことを考えてストックしていくじゃないですけど、そういうことから映画を見るって結構僕好きで。
それが妄想の映画史ってことですか?
そうすると、窓の映画史って考えられるなとか。
窓の映画史ね。窓から出入りする映画ね。
あとはこの女優さん、よく食べ物を食べるけど、食べ物を食べるときに毎回食べこぼしてるなみたいな。
その食べこぼし方がワイルドだったり、でもちょっと悲しくて食べこぼしたりとか、いろんな食べこぼし方があるだとか。
そういうのを見て食べこぼす人たちの映画史とか、食べこぼし女優、俳優とか勝手に名前つけたりして楽しむっていう楽しみ方。
なるほど。
そうなんだ。
ご自分の中でそういうものを妄想の映画史と名付けて映画を楽しんでらっしゃると。
そうですね。そういうとこに注目してみたりすると、普段だったらあまりピンとこない映画かもしれないけど、そこだけは素晴らしいとかなったりすると、ちょっと自分の特別な一歩になったりするかなと思ってしまって。
映画の目利きになるコツはというお話を今伺ってますけども、あとは先ほどもおっしゃったように自分が面白いと思ったものに自信を持つということですよね。
素直にそうですね。
たぶんぼんやりこの映画好きだな、この映画好きだな、みたいなことは思うと思うんですけど、それをもうちょっと、つまりどういうことが好きだったんだろうっていうことをちょっと抽象化するじゃないですけど、
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一歩踏み込んで考えていくと、さっき言ったみたいに、もしかしたら窓の使い方にグッときたとか、そういうとこに行き当たるかもしれなくて、そうすると今言ったみたいに好きなものを深掘りしていくと、妄想的なもの、妄想の映画史みたいなものがいろいろ出来てくるかなっていうことは思いますね。
ミックスカットオフという作品ね、古谷さんがやってらっしゃる、上映してらっしゃる。その水を求めて砂漠のようなところを歩いていくんですけど、女優たちがどんどん汚れていくじゃないですか。
はいはいはい。
すごく手とか指とか顔とか、どんどんリアルに汚れていくでしょ。ああいうところが、ああいうところがすごい好きなんですよ。リアリティが。
はいはいはい。
この汚れた指っていう映画史はどうですか?
そういうのすごいあると思いますね。すごいあると思います。僕パッと出てこないんですけど、そういうテーマを決めるじゃないですけど、それってつまりリアルだっていうことだと思う。
それで思い出したけど、エディットピアフを見た時に、イタリアのなんていう女優でしたっけ、マリアン・コティアールさんのエディットピアフを見ました時に、その映画自体ももちろん私もエディットピアフ大好きですけども、素晴らしかったんですが、一個だけすごく気になったのが、
すごく若い時は幼い子がやるんですけども、途中ぐらいから、ティーンエイジャーになったぐらいから、ご本人がやられるんですね。どんどん歳をとって。
はいはいはい。
指が一緒だったんですよ。
ああすごいでも、なるほど。指は変えられなかったんだ。
そう。で、やっぱり顔もふけメイクしてらっしゃるし、手の甲なんかも特殊メイクしてらっしゃると思うんですが、この爪。
すごいとこ見えますね。なるほど。
爪が若い時と同じだったんですよ。
すごい素敵ですねそれ。
それがすごく印象、もちろん素晴らしい大好きな映画なんですけど、それが気になっちゃって、よく私とかもちょっと長い人生を生きなきゃいけない時に、やっぱりマニキュアというかこういう爪は、やっぱり変化しないと。
指の甲とか指とかっていうのは特殊メイクができるんですけど、爪自体には特殊メイクができないんですよ。
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だからそれだけがすごい気になって、自分がやる時はそこをすごく気にするんです。
若い時、階層の時と同じ色を使わないとか、長さを変えるとか、限られた日数の中で、それすごく気を使ってますね。
とんでもない見聞き発言が。僕なんかよりも全然細かく。
いやそれは演じ、演者だからだと思うんですけど、なのでミックスカットオフの女優の汚れた指と手、それがすごく印象。
ありがとうございます。
いいんですねこういう見方で。
もちろん大正解だと思います。
特にそのミックスカットオフは、監督自身もそれをすごい気にされてたみたいで、絶対選択もしないっていうのと、順取りで、だから本当にちゃんと汚れていくようにそのまま。
順取りでしょうね。
取ったっていうね、こだわったところなので、まさに言及されてたところはまさにの部分でした。
アーティストっていう映画があったじゃないですか。
パリに行くエアフラーの中で、まだ日本に入ってきてない。それで飛行機の中で見たんですけども、すごく感動して。
これ絶対素晴らしいって。絶対素晴らしいって言ったら、そしたらパリの友達が、素晴らしかったですよねって私も見ましたみたいなことで。
それが日本に入ってきて、公開されたんですね。
そしたら、お客さんほとんど入ってなかったんですよ。
そうなんですか。
アカデミー賞まで取ったのに。
あの映画、あんまり入らなかったんですね。意外でした。入ってるイメージが。
一緒にやってたのが、たぶんテルマエロマエか何かが同時公開されて、そっちの方みんな入って。
確かにちょっとパッと見ね、白黒になってるんですよね。
そうです。
一般受けを狙うには、もしかしたら。
でも私はすごい感動したんで、字幕で見たいなと思ったので、字幕付きも見てみたいと思って。
お客さんが意外と少なくて、あの時はすごいがっかりした記憶があって。
もっと見てよ、みたいに思ったことはありましたけども。
当たり前の話ですけど、お客さんが入る映画と、映画の良し悪しってもちろん全然違くて。
もちろん入っていい映画もありますし、でもその基準は全然別のものなので。
だから僕も、いわゆる100万人、200万人入る映画じゃなくて、100人、200人しか届かないかもしれないというか、求めてないかもしれないけど、
その100人、200人の人にとって心の一歩になったり、見てよかったなって思えるものであれば、
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すごいやる意味は、お金の話は置いといたとしても、気持ちの面でも絶対やる意味はあるなと思っているので。
しかもそれを、100人、200人しか求めてない映画を求める人っていうのは、見るとやっぱり返してくれるんですよね。
熱い思いを伝えてくれたり、見ていてわかるので。
作り手の方たちとの共感?同じ温度差になれるっていうような感じ?
同じ思いを、その一体になっているみたいなこととかすごい感じるので、やっぱりやる意味があるなというか、
やっていて楽しいというか、何者にも会えることのできない仲良さっていうのはやっぱりあるかなというふうに思いますね。
万人が楽しめるものと少数マイノリティ。この意見も大事ですからね。
そうです。同じように大事ですもんね。
次回も自主配給の世界ならではの醍醐味に迫ってまいりたいと思いますので、
来週もフリアさんにお付き合いいただきたいと思います。ありがとうございました。