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2023-12-22 09:59

自分が興味がないことを理解の入り口とするのも良さそう

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自分の興味があることだけしかやらない。というわけでなく、「なにこれわからないな」という違和ですね。
そこに触れた時にどうするかって話です。

考えられる範囲でいいので想像して「他人の主観」を出してみる。

最後には客観&主観の統合となりますが、
客観→主観→理解というイメージです。

従来は、自分が好きなことから入って他人からどう見られるかみたいな。
それは主観→客観→理解だったのかなと。

理解は変わらないし、着地はそこです。ただ入り口は「客観」か「主観」でどちらもいける。そうすると、色々なものが理解がしやすく面白くなるのかなって話でした。

#客観 #主観 #理解 #想像
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サマリー

興味がないことを理解の入り口とすることも良さそうです。

自分が興味があることや好きなこと
シゴクリラジオ
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回も、シゴクリラジオを始めていきたいと思います。
今回は、自分が興味があることや、好きなことをやりましょうとは言ってはないと思うんですが、
そっちの方が、長続きすると、持続するという印象はあるし、その通りだと思います。
ただ、自分が興味がないとか、そこまで関心がないことを意図的に考えてみると、実は理解が深まる、意外なことを知れるという意味で有用ではないかなと思いました。
そのことについて少し話していきたいと思います。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオの大橋です。
今回はですね、自分が…
自分が興味を持つ、持つこととかね、好きなこと、関心があることっていうのは、まあいいでしょうと、何かやっていると思います。知らないうちに。
その評価はですね、置いておいてですね、今回ですね、興味がないとか、もっと単刀直に言いますと、わからないようなことですね。
それを、なんでだろうと考えています。
それを、なんでだろうと考えていくことが、実は重要じゃないかなと思ったりします。
例えばですが、イラストとかね、絵を描くことに関して、僕自身がすごい秀逸であるとか、得意であるってことは全くないんですが、
とはいえですね、絵心がないとかっていう言葉はあまり良くないので、使っていません。
なぜなら、習熟するために練習をしていないからっていう理解であって、それ以上でもいいかでもない。
でですね、じゃあ…
その絵を描くっていうことに、じゃあそういう得意さもないし、僕がですよ、イラストとかね、描いてる方、漫画とかね、いろんなことやってる方いらっしゃると思うんですが、
そういう人が、なんでその、なんだろう、自分でイラストレーターになろうとかね、絵を使った何か描く、ビジュアルを使うような仕事をするのかとかね、
そもそもその人の仕事に対する感覚っていうのが、
スキルとしてね、自分にはないわけですよね。
僕にはないので、わからないっていうのはあるわけですよ。
で、その考え方で、そこで当たり前なんですが、自分ができないわけですよね。
絵を描くことができない。
例えば、今目の前にですね、アヒルがいるんですが、アヒルとしてはぬいぐるみですが、
このぬいぐるみのアヒルさんをですね、模写すると、あまり上手くないわけですよ、きっと。
なので、このぬいぐるみのアヒルを描いて、イラストを作ったり、キャラクターを作ったり、
漫画やストーリーを作ったり、4コマを作ったり、なんだろうな、ポストカードを作ったりね、
そういう方っていらっしゃると思うんですけど、そういうことはできないというか、やらないわけですよね、僕は。
なんでやるんだろうっていうところに突っ込んでいけるかっていうのは、
割とポイントなんじゃないかなと思います。
ちなみにですね、先に言っておくと、僕自身は人と違ったりするとか、
自分が人と違う、もしくは人が僕と違うってことは当たり前だと思っているので、
なんでなんだろうなっていうのは、
なんていうんですかね、分からないからダメとかね、いいとかっていう話じゃなくて、
分からないのは分からないっていうだけなんですよ。
ただ、分からないままにしておくと、なんか気持ち悪いというか、分かりたいわけですよね。
はい、で、ちょっと分からないですが、
言葉が適切か分かりますか?
全く他人に興味がない人っていうのは、あんまり本当にいないんじゃないかなと思っているんですよ。
病気をしたいね、なんかまずい状況になれば別なんで、そこはちょっと置いておくんですが、
多くの人は人に興味があるのかなと、いろんなのがありますよね。
人にちょっかいを出す方もあると思うんで、いろいろあるんですが、そこは置いておいて、
そういう意味でですね、僕自身は人に興味があるので、
なんでこういうふうな行動をとって、なんでこのような考え方をするのかって、
そういうことは、知らず知らずのうちにですね、いろいろ蓄積しているっていう感じでもあります。
で、今回はですね、じゃあ自分が分からないとかね、興味がないっていうね、
絵を描くことと数学
例えば他の例を言うなら、どうなんでしょう、例えば数学とかですよね。
なんか聞いてるあなたはどうでしょうか?数学好きですか?得意ですか?
あんまり好きっていう人って多くないんじゃないかなとか思うんですが、
そういうですね、嫌われてはいないんだけど、
あんまり好きじゃないなみたいな、数学とかね、あと学問とか研究とかっていうと、
それ役に立つのっていう、二言目に言う方いらっしゃると思うんですけど、
役に立つものしか世の中にないわけじゃないですよね。
役に立つっていうのも、すぐ役に立つものと、後から役に立つものもあるので、
役に立つっていう軸、かつ短期間ですぐに、今自分が理解できるものっていう範疇で、
物事を捉えていると、いわゆる視野共作といいますか、すごく狭くなってしまう気がします。
それも置いておきましょう。
そういうふうにですね、自分が興味がないようなことっていうのは、ある種客観的に入れるわけですよ。
なんでこれに興味を持つ人がいるのか。
自分が興味がないから余計そうですね。客観的になれると思います。
分析できるということですね。
で、ある種自分も扱わない。
そういうようなものを外からアプローチで入っていく。
なんですが、そこで客観的にデータとかね、こういうふうになってますって言うんだと、
全く熱がないじゃないですか。
なんで、想像としては、主観ですよね。
数学をこういうような具合している人とか、数学者とか、もしくは研究者、
さっきここで言ったらイラストを描いている人とかでもいいんですが、
やっている人に表意というと行き過ぎなんですが、
その人の視点に、想像で立つと。
なんで置き換えが必要ですよね。
つまり、自分が熱中したという行為で、
その人が熱中していることを補って理解すると。
これは割と普通のような気がしますが、どうでしょうかと。
なんで主観性というのが生まれる。
客観と主観
ただ、その主観というのは自分が主観的に見るというよりも、
その表意して、その対象者の人の立場に想像できる。
それを想像して入ることができる。
これが内に入るという僕は思っています。
最後に、最初に客観的に見たものと、
二つ目にその人の立場に立って主観的に入ったものを統合して、
客観と主観で世界を見ることができるんじゃないか。
若干言い回しが難しいかもしれませんが、
自分が興味がないことの方が実は客観的に見られますと。
ただ、そこで終わってしまってはダメなんで、
さらに突っ込んで、
どういうふうに考えるかをその人の立場だったらこうじゃないかってことを想像して考えてみる。
それが主観ですね。
それを統合することでより見られるんじゃないかなっていうことを
この間思ったんで、少し共有してみました。
これは常識ともしかして反するかもしれません。
僕自身も自分が興味があるということの方が解像度が高くなるし、
というようなことをビジネス問わず思っていたりします。
なんで?
社会というか、他人というか、他の人というのは、
僕が例えばアイデア出しが面白いとか、
ビジネスのアイデアを考えるのが面白いとか、
調べて何かやるというのが面白いと言っている、
同様なレベルで面白いとは多分思わないと思うんですね。
もちろんそういう方もいらっしゃると思うんですよ。
それを理解してもらうには、
何か聞いている方とかもそうですが、
それを聞く人が何か置き換えているのではないかというのが、
よくある理解につながるのではないかと思ったりします。
むしろそれがないと全然理解できないことが多いのではないかという話にもつながっていくかなと思います。
つまり、もっとまとめてしまうと、
客観と主観、最初から客観から入るということと、
後で主観を入れるというやり方もいいのではないかと。
従来の今言っている、
自分が興味があること、
自分が興味があることをまずやる。
それは主観スタートですよね。
自分の主観ということですね。
から始まって、他人の客観みたいな。
自分の主観、他人の客観というのが、
オーソドックスな好きを極めていって、
それを他の人から見ても仕事になるというか、
役立つようなものとか、
価値を生じるものにしていくというのがやり方かなと。
これはよくわかるようなかもしれません。
今回言いたかったのは、
自分の客観ですね。
要は、自分の客観から入っていって、
他人の主観に入っていく。
それを統合するというようなやり方になるという話となりました。
ちょっとまとまっていないかもしれませんが、
今回は以上となります。
地獄エリラジオ大橋でした。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
以上、失礼いたします。
ありがとうございました。
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