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シゴクリラジオ
こんばんは、シゴクリラジオのおかしです。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
今回のテーマとしては、楽と楽しいという違いですね。
ある記事を読んでそう思いましたので、そのあたりを深掘りしていこうかなと思います。
今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオのおかしです。今回ですね、楽と楽しいですね。
同じ楽ですね、音楽の楽という、楽しいっていうですね、を書くんですが、
それをですね、楽と読むのか楽しいと読むのか、実際ですね、感音は辞典とかその意味まで調べてませんが、
解釈ですね、考え方として何が違うかというところを少しですね、深掘りしていきたいかなと思います。
まず楽ですね、楽したいとか、例えば働きたくないとかね、楽しいお金を稼ぎたいみたいなのは世の中にありますし、
僕はそういうことを思ったことがないわけではない、つまり思っていることもあります。
人間ってそういうもんかなと思ったりしますが、もちろんそう思わない人もいるし、
常にそんなこと考えているよ、そんなにそんなことしか考えていないっていう人もいるかもしれません。
それがですね、言い悪いはないですと。
楽しいって次何かというと、これは心の状態ですよね。
どちらかというと楽したいってもちろん心の状態とか感情ではあるんですが、やや理屈っぽいかなと。
楽しいよりも理屈かなと。楽だなって思ったので、確かに感覚では正しいんですけど、
まあそれってかなり僕としては限られることかなと考えています。
楽と楽しいを比較してどちらがいい悪いということはもちろん言えないし、
これは僕の感覚であり考え方なんですが、
楽をするというところで、例えばプログラミングとかの効率化自動化ですよね。
例えば同じことを2回やる、3回やる。
だったらコードを書いたり、自動化するための何か工夫をしてですね、
コードじゃなくてもいいんですけど、効率化できませんかと。
一緒にまとめてやるとか、時間を決めてやるとかね。
効率化するというのは楽をしたいという欲求から生まれることなんで、
それは素晴らしいことなんじゃないかなと思います。
この場合の効率化って楽したいんだけど、結局考えていることかなと思います。
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ここで考えるというのが入ってくるかなと思います。
楽をする方法とかね、そっちに行くとかなり怪しくなるんですけど、
この場合ですね、考えない、何もせずにというポイントですが、
楽をするでもそのために効率化するなんてことはもちろんなくて、
その楽した何かだけを得たい。
要は楽をする場合も2種類あるかなと。
要は自分が考えたり動いたりして、効率化してその先にある楽。
これは何かいいんじゃないかと思うんですよね。
もう1個、自分は動かずしてただ楽をしたいと。
この場合が成立するかなんですが、成立というよりもそれで何を得られるのかというところが
激しく疑問が出てくるということなんですね。
楽しいという話でいくと、楽しいって自分とか人が楽しいとかいろいろあるんですけど、
自分が楽しいというのは全然いいことかなと思います。
いろんなケースが言えるんですけど、ビジネスとか仕事を作るみたいな話ですよね。
なるとどうしても人ですね、他人、お客さんという人を楽しくしてもらう。
当然自分もある程度楽しくないと続かないと思うんで苦労ばっかりして、
何も報われないというのはないわけなんで、その場合報われるというのは誰かが楽しいということかもしれませんが、
その解像度といいますか、類度といいますか、程度は様々あるかなと思います。
ただ楽しくするというところで考えた時に、さっきの楽で出てきた考えるケース、考えないケースというのがあった時に、
楽しいって何ですかって言った時に、楽しいという時に考えない楽しさってあんまりないかなと思っています。
もちろん楽しさというのを感情とか感覚で取られてしまうと理屈抜きという意味でもできるので、
考えるが理屈だと考えない楽しさもあるかもしれないです。
ただそれも含めて楽しいということは何かしら直感ベースであったとしても、
時差があって、結局考えているんじゃないかなと思ったりしたという話です。
簡単に整理すると楽というところでは考えないケースもあるし、考えているケースは効率化、例えばです。
楽しいというケースでいくと直感ベースで感じることもあるんですが、
例えばお客さんのために何をしていったらいいか楽しいだろうかというのは、
ある種企画とかアイディアに結びついていくんじゃないかなと思ったという話です。
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楽とか言葉のチョイス、選択によるんですが、考えていないケースということです。
つまり楽して考えずにという時ってだいたいダメというか、
騙されるとは言わないんですが、得られるものがほぼない。
何も考えずにやるという表現は行動を助長するとか促進するという意味では非常に使えるんですが、
そればかりで今やっていることの意味はとか言われたときに、
これって何か意味あるのかなと、ある種の振り返りですよね。
というのが作動しないようなものって、本当にそれが意味があったとしても、
やっていることに意味があったとしても、学習とか学ぶという意味はなかなか定着しないんじゃないかなという話なんですよね。
なので、もっと極端に言えば楽して学びたくないとか考えたくないという場合って、
効率化は実際に考えたりしているので、得られるケースというか非常に価値があるかなと思うんですけど、
ただただ楽したいだけで何もやりたくないというのはよろしくないのかなという話なんですね。
だから楽ってあまり考えなくてもよくて、楽しい方向で考えると。
楽しい方向で考えるということは、自分も含めて他人、お客さんとかもそうですし、
さっき言った直感的に楽しいというのも含みますし、さらにさっきの楽ですね。
楽で考える効率化も含んで、こっちで考えていったほうが世の中的に自分もですし、
社会も人も幸せになるんじゃないかなと、そんなことをふと感じました。
結局そこで考える考えると言っているんですけど、考えるという単語もこれもまた概念で、
どうも考えずにやるとか考えてやるというところの考えるという言葉が非常に難しいんじゃないかなと。
つまり自分の意見とか主張、それこそここでよく扱っているアイディアとかですね。
これって考えた上で出てくるものなんですよね。そのベースが全くないと、
なんか全然違う方向に行ってしまって、考えてという言葉が宙に浮くといいますか、
届かないんじゃないかなと思ったりしました。
なんで考えること自体がすごい哲学的なこととか、非常に難しい行為を行っているわけでは実はないというか、
そういうふうにあえてくれぐれ回して考える、人に伝わらないような言い回しとかね。
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そういうのはちょっと違うんで、ちょっとそこは外しておきたいんですけど、
ここで言っている考えるというのは、例えばお客さんを楽しませるためにはどうしたらいいかといったときに、
自分がサービス提供者、事業側とかね、フリーランスとか何でもいいんですが、
提供する側に立ったときにその人に向いて、その人のために何ができるかという状態ですよね。
そのときに脳が動くと僕は思うんですが、その動いている状態がまさに考えていると。
アクションとして考えるだけだと脳の活発化したものになってしまうので、
基本的には考えるに行動も含まれていますと、形にすると。
あえて言えば考えて形にするというふうになるんですが、
その動き、脳が動くから一連の流れ、形にしていくということを考えるというのかなと思いました。
なので、長くなりましたが、簡単にまとめるとやっぱりですね、楽っていうのは否定しないんですが、
効率化のほうですね、考えるほうの楽と、あとは楽しいほうですね、楽しくやると、自分も他人もですね。
どちらかだけだと大変なことになるので、両方を意識してみるといいんじゃないかなというところを強く感じました。
これですね、結局自分の単一視点というんですかね、自分がこうだっていうのだけでは成立しなくて、
社会自体がですね、他人とか集団とか関わっているコミュニティ、所属先、さまざまなものが関わっているので、
そういうところですね、外して自分がね、いいでしょっていうものっていうのがね、それが全体を反映していたらいいんですけど、
自分だけってことはないかなと。結局ですね、その自分がいいと思ったものも人に受け入れてもらうためにはある程度ですね、
妥協とは言わないんですが、その人の立場から考える人はあるし、それをですね、考えたくないのであればなかなか難しいし厳しいと。
これはですね、もうどんなことでも言えるかなと思います。これって性格的なものもありますし、
その人から見た視点とか考え方を自分の提供するものに入れたくないっていう人って、なんか意外にいるんじゃないかなと思っています。
それはですね、どういうことかというと、他人に迎合すると言いますか、強い言葉で言うとなんか従うみたいなね、従順と言いますか、
感覚になるのかなと思うんですが、なんかそこはかなりずれていて、僕は思うんですけど、そういうことではないですよね。
単に他人の視点から見たときに自分の考え方を受け入れてもらうためにはどうしていけばいいかと。
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なんかそういうふうにですね、コミュニケーションの場というか、自分の考えをですね、受け入れてもらうためにどうしていくか。
なんかそんなふうになっているんじゃないかなと思います。
ちょっと長くなりましたが、今回は以上となります。四国レジオ大橋でした。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。以上失礼いたします。