付き合う人とAIの選び方
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
このシゴクリラジオは、パーソナリティー仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。
今回は軽めですが、付き合うAIを選ぶという、付き合う人を選ぼうみたいな、別に先民思想みたいな、人種で選ぶとかそういうことじゃないですけど、
なんかね、人を選ぶの大事じゃないですかねっていう、その人選びならぬAI選びということで、最近感じたので、少し話していきたいと思います。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオの大橋です。今回ですね、テーマとしては付き合うAIを選ぼう、もしくは選ぶ、選んでいるというテーマですね。
人じゃなくてAIですね。付き合う人を選ぶと、まずはそこから考えていきたいんですが、何でしょうね。付き合う人を選びましょうって言います?してます?選んでます?
付き合う人を選ぶっていうのは、いろいろ状況分脈があるんで、なかなか単独では取り上げづらいんですが、例えばすごいストレスがたまるとか嫌な人だなみたいな人に、神経すり減らし精神病になることはないじゃないですか。
難しいですよ、仕事場とかね、職場とかね、嫌なお客さんがとかね、あんまり言うと嫌になりますが、そういう状況もありますから、それを踏まえてないわけじゃないですよ。
ただ、例えば友達とか気持ちいい人の方は絶対いいわけで、って思いませんか。ていうか、僕はそう思ってますよ。で、同様にですね、AIもそうじゃないか。むしろ人とかAIは選んでいかないと、自分も影響を受けますからっていう話ですね。
で、そのフィルターバブルと言われてますが、フィルターになっちゃうんでしょうね、なんでもね。耳が痛いとか、自分の考え方が違うものを受け入れないっていうね。
受け入れないのはまあ難しいけども、よく問題になるのは、そのフィルターで絞り込んでいるものではない、絞り込むときに明らかにスパムとか誹謗中傷みたいなのがあるとね、あと攻撃するとかね、ストップスパムで迷惑営業めるとかね、受け入れる必要ないじゃないですか。
で、それがですね、人の考えになると途端に何か変わりまして、自分の考えと違う人を受け入れないのはダメだというのが攻撃ができるわけですね。
これがですね、非常に防ぎづらい、考え方っていうところの型を持って誹謗中傷してくるとかは論外だなと僕は思ってるんですけど、難しいですよね。
なぜなら何で難しくなるかというと、これで誹謗中傷ですよって言われても、ハラスメントとかでもよく感じる方いらっしゃるかと思いますが、何がハラスメントなのか、何が誹謗中傷なのかもう分からなくなってるわけですよ。
裁判に持っていくんですかねっていうレベルになってきてると思ってて、何でも裁判にまたどうかなと僕はまだ思ってるんですけど、そうじゃない時代がもしかしたら来るかもしれないですね。
フィルターバブルとか言っておきながら、散らかしておきながらそこは回収していかないですけど、難しすぎますね。
人じゃない、今度AIだったらどうかってことでいくと、AIも選べると思うんですよ。
ただ、AI選ぶって何かなと思った時に、LLMという大規模大規模言語モデルを学習して、汎用AIとしてオープンAIのGPTとかGoogleのGeminiとか、
アンソロピックのCloudとか、XのGlockとかいろいろいらっしゃるじゃないですか。別にどれどれを使ってもいいと思いますが、
もしくは個別のサービスを使われてて、それがどのLLMかを意識されてないとかもあるかもしれませんが、結局独自の国産LLMみたいなものはかなり限られている気がしますし、
あとローカルですよね。パソコン等を落としてローカルで使うというか、プログラムみたいなものを入れてやるのはかなりスペックがいると思いますので、あんまり一般的じゃない。
動画とか画像生成とかでやる人とか、あとは研究者とか、あんまり一般的じゃないような気がします。わからないですが、僕はやってないですね。
この時のAIって何を選びますかという話なんですよね。汎用AIなのか特化型AIなのかというときに、ここで一つだけ言うならば特化型AIですと。
自分はAIを使っていますという人で特化型AIを使っています。別にLINEを批判するわけではないですけど、LINEで使えるAIがあって、
サービスとしてはLLMに接続していて、要は例えばGPTを使っているわけですよね。モデルを選択して使うと。
それはAPIという技術で、割と簡単にできる。ただ、それをAPIを繋いでサービスとして成立させたり、当然ながら設計ですよね。
LLMは簡単、何でもAIチャットクンみたいなやつを作るなら、その会話をスムーズに行えるような、いわゆる指示を入れたりするとか、
もしくは入れすぎないようにするみたいなのがあって、カジュアルに会話ができる。
だからそれは有料なわけです。無料なものはないはずです。なぜならLLM事業者は、トークンというか、
AIを使うところで利用料を得ているというわけですよね。個人で無料でワークで使えるやつも有料な感じがしますよね。
ここで気づく方がいらっしゃるかもしれませんが、OEMというのは販売元の販売先ライセンスでしたっけ?
日本語に略すのが難しいんですけど、自社で作れる、例えば製造メーカーがドリンクを作れます。
だけど自社の名前を出さずに、御社の企業側が、例えば出版社があって、そこのドリンクだって。
頭が良くなればちょっと微妙ですけど、活字がいっぱい読めるようなドリンクとか、薬事法に引っかかりそうですけど置いておいて、
そういうツッコミどころ満載のドリンクを出版社が作りたいとしたら、その出版社の名前にできるってわけですね。
それはいわゆる外部委託とか何が違うんだって言ったら、ブランドを出せるっていうところがポイントになるような気がします。
品質も維持されつつって感じですか。
例えばコーラではないですけど、コーラっぽいやつとかを、味は変えるのかわかりませんけど、出版社のコーラみたいにして出せるっていうね。
コーラをそのまま使うことはできないかもしれませんが、そういう風にやれると。
そんな感じなわけですね。
LLM。つまり、GPTのLLMを企業、サービス側が使って、それをユーザーに届けるってことで、ある種小売りというかね。
卸しは卸し元って言うんですかね。
オープンAIのLLMがあり、売り側はサービス側、企業者は小売りとして一般の人に向けて物を仕入れて適切なサイズに仕入れてくる。
例えば使いづらかったりするので調整しますっていうのがコストコじゃないですけど、
どっちかっていうとコストコみたいなやつが生成AIの汎用AIみたいな感じになってて、
たぶんですよ。小売りでコンビニみたいなやつが一般の人向けになっている。
だから一般の人向けで、僕の周りの観察ではありますが、情報がバイアスであるとか偏っているかもしれませんが、
生成AIを使っている人はパソコンであったりITであったりが割と得意な方が多いし、
IT系の人とかはやっぱりその汎用AIとかチャットGPとかジミンとかを使っているような印象はありますよね。
だから特定の個別のサービス、さっきのLINEなんちゃらAI組みたいなやつとかはあんまり効かないです。
わかんないですよ、使っているかもしれないです。
ちょっと長くなりましたけど、この時にその使うAIって選んでおかないと、
その個別なんちゃらAIを使うのとは言いませんが、それでやっていると、
AIなんだけど、そのAIって結局元のAIがありますし、さっきの汎用AI側も元のやつがあるわけですよね。
元のやつって何かというと、さらにその汎用AIも学習させているわけですよね。
だからその学習元によってはすごくバイアスがかかり、
例えばこれはあんまり言うと怒られるかもしれませんが、
例えば日本の情報がないとします。
日本語とかでしかなかったら英語に直してもニュアンスが違ってくる。
例えば雨がザーザー降るみたいな、ザーザーっていうのを英語に直せないわけにないでしょうけど、
その変換、翻訳で失われるものがある。
つまり日本語があって、それを英語に変換する、それを学習させたところで、
そのザーザーというニュアンスは得られないから、
そういう例えば詩とか日本の文化に基づいたようなものを、
そのLLMが学んでいるかというと怪しいと思ったほうがいいんじゃないでしょうかね。
だからそういう意味では日本のLLMを作るというのは、僕は意義があるんじゃないかなと思いますが、
批判的思考の重要性
それを置いておいて、そういうふうに偏っているわけですね。
例えば男性と女性というところのバイアスもあって、
例えば仕事についてというときに言ったときに、有名な話があるときに、
医師というとどうしても男性を早期思い浮かべがちなんだけど、
女性の医師も医者もいらっしゃるわけじゃないですか。
そういうところでLLM自体が、つまりAIがバイアスを持っているということですね。
ということはってなると、結論としては当然だから人もAIもバイアスを持っている。
AIは感情を持っていないかもしれないという前提としておきますが、
ところでAIを選ばないとバイアスを受けるわけですよね。
例えば僕の仕事といいますか、繁盛中で言えば、
アイディアを出せるかといったらAIはそこまでないよねと言った結論です。
もちろん出させるように何か仕込んで人間が頑張れ、
もしくはそこから学びを得るということは十分しつくした上でということですけど、
でもそれはLLMが、例えばAIとしてアーティストからめちゃくちゃ学んでいたり、
創造性豊かな人から学んでいたら結構使えるかもしれないなというわけですよ。
どこまでいけるか分かりませんけどね。
それを使うAIによって人間も影響を受けますよね。
ということなので、AIは選びましょう、AIはいろいろあるよねということを知っておく必要があるんじゃないかなという話になります。
ここでもうちょっとライトに言うと、付き合う人を選ぶというのはなかなか難しいかもしれないじゃないですか。
いきなり人間関係を変えるとか難しい。
だけどAIを変えるのっていきなりもう使う使わないができるから、
なんか楽しそうだなと思ったらそっちを使ってみて、飽きたら別のやつを使ってみるということで、
AIサービスはいっぱい個別のやつが出てくると思いますが、
汎用的なやつはそこまで出せるのかなということでいくとちょっとよく分からないですよね。
1個にまとまっていくとは思いませんが、1個だけじゃなくて2、3個ぐらいは残るが、
だがしかしというところでどう残すかというところがありますよね。
あとは個人のユーザー、僕も含めてそれを選んで使うというところで選ぶことができるので、
そのときにバイアスというのがあるよなと。
そのバイアスがあるよなと意識しながら使うというのは、
実践ではどういうことかというと、
要は正しいことを常に言ってくるわけではないよねとか、
ちゃんと批判的に見てどうなるんだろうねとかを参照して考えていかなきゃいけない。
そうすると何が起きるかというと、
AIが言っていることとか言い出してきたことだけでは不安だなと思うのが、
僕の感覚では割と普通なので、どうしようかなとなっていくと、
結局書籍であるとか、文献ですよね。
研究とか論文とか、権威があるものが言っていたら、
全部言い訳でもちろんないですが、となっていくんだよなと思ったりします。
つまり本当に確証が取れることって、そこまでないのだろうなというような、
だから全部嘘とか違いますよねと言っているわけではないですよ。
だけど、これで正解ですと言い切るのが本当に難しいというか、
わからない時代になってきたんだなということを感じましたね。
付き合うAIを選ばずに、そのAIが言っていることが本当だと、
もし思ってしまっていると何が起きるかというと、
なんか批判しないですよね。
それ言っていることがいいよねってなる。
批判というのは別に悪口を言うとかじゃないですよ。
それ本当なんだろうかなと疑問に思ったりして、
それを自分で検証して、さすがにこれは違うんじゃないとか、
さすがにこれは合っているかもしれないなとか、
もしくは全然違う視点から見たら合っているかもしれないけど、
極端な考え方だなとかね。
いろいろ言えるわけですよ。
その感覚が非常に大事なんだよねって思ったりしています。
でも逆に乱暴に言うと、
それがナイス、批判しないですという人がAIを使い始めると、
これは若干危険なものもあって、
それがAIが言っていたからいいじゃないですか、
何を言っているんですかという話になって、
AIの普及とリテラシー
それはさすがに無理でしょってなって、
要はAIが普及するというのはいいんだけど、
AIの使い方とか、いわゆるリテラシーみたいな話になってくるんですけど、
AIの仕組みとかになっていって、
それってどうしようみたいになってきますよね。
よく言っている話に戻ってくるんですけど、
AI自体を選んでどうするということをやりたいよねって話でもありますし、
あとはAIの捉え方ですよね。
人が今やっている作業をAIに任せるのもいいですよ、全然いいと思います。
だけど、これはもう何度も何度も言っていますが、
じゃあ浮いた時間何するの?ってなるわけですよね。
浮いた時間何します?って。
この間そういえば見たんですけど、
1日1時間2時間浮いたらどうしますってことで、
読書をしたりとかこういうことをやりたいと言っている意見があったんですけど、
それをAIで使ったら浮きますよねってことで、
多分読書できないですよ。
ここが人間の差がというか、僕も含めた虚しさですが、
1時間浮いた2時間浮いたってなるわけじゃないですか。
あと何かやったらスマホをいじって、
別に見なくてもいいコンテンツを消費していると。
スマホサービス事業者側はそれで何かやられるかもしれないけど、
何も意味ないですよね。
得するのって言ったら怒られますけど、
スマホ事業者とかスマホコンテンツサービス事業者になっちゃうんじゃないかっていう。
笑えないというかね。
別にスマホを使うとかそういうことではないんですけど、
何だろうねってなるわけですよ。
だから要はもう一回言うと、
労働から解放とは言いませんが、
やっていることが仕事なりプライベートなりで、
時間が1日1時間浮きますと。
できなくないと思います。多分できる。
で、できました。
じゃあどうするの?何するの?っていう時に、
別にそこまでやることないですっていう人も。
これはね、乱暴かもしれないですけど、
みんながみんなそんなにあるわけじゃないじゃないですか。
これやりたいよとかね。やりたいことある人はいいですよ。
じゃあ別にやりたいことなかったらダメって言ってないですからね。
だからそれを突き詰めていくと、
結局人はなんで生きるの?みたいな話になっちゃうんですよね。
それを別に否定しないし、
それを考えないと生きていけないなんてことはないですから、いいと。
ただこれは僕の心情として、
何で生きているの?何をやっていったらいいだろうねってことは、
僕はね、僕はですよ。
だからそれを人に考えようとか、考えなきゃいけないって、
こう裏腹に主張し始めるとちょっとおかしくなるんですが、
浮いた時間の活用
そんなこと言ってたら言ってくださいね。指摘してくださいね。
言ってはないと思います。
その時に僕自身がどうしようかなって時に、
1時間浮いたら、
より学びたいとか、よりできなかったことをやれると、
それはハッピーじゃないですか。
できなかったら仕事ができたり、
今まで諦めたことができるっていうのは、
ものすごくいいことじゃないですか。
っていう風に使っていきましょうねっていう話なんですけど、AIを。
AIに使われてて、AIに使われるっていうのは、
文字通り、その作業が楽になったっていうところだけだったら、
多分AIで逆に使われてるんじゃないかっていう視点にも、
今話して気づきました。
要は、AIに使われるっていうよりも、
そこだけ切り取るとね。
そこからさらに、
AIに任せて浮いた時間を何に使うかを、
やらなければ、
単に使われて終わりじゃないかなって思ったんですよ。
1時間浮いた時間を何に使うかは自由ですっていうのは、
もちろんあるんだけど、
それは結局、
やりたくないこととか、
なんていうんだろう、
何もしなくてよかったらそのままじゃないですか。
問題はITとかスマホとか、
インターネットと一緒でみんなやってくるわけですよね。
みんな同じように1時間時短してくると、
何が起きるかというと、
結局、ギスギスしますけど、
学んだり変化していかないと、
社会がみんな変わっていかなかったら、
何もそのままでいいんですけどね。
なっていかないじゃないですか。
だから、他がAIを入れたら、
自断されて、
自分の意思でやってるわけじゃなくて、
渋々、職場で言われたからやって、
会社で言われたから、
時間が減るんだけど、
自分が時間が浮いたと思ったら、
総労働時間って変わるわけなくて、
皮肉だなって思ってます。
選べるAIの重要性
救いようがないと言えば、
救いようがないんですが、
どうしていくのかってなった時に、
浮いた時間なりで、
時間をもって、
自分がやりたいことだったり、
少しでもやりたいことをやっていくぐらいしか、
僕はできないかなって思ってますし、
しごくりとしてはそういうふうにしたいし、
やらないと良くないんじゃないかなってことを、
自戒を込めていっています。
難しいですよ。
だから、AIを使うっていうことが、
何なんですかね、
AIに仕事を奪われるってことは何なんですかね、
一つずつ詰めていかなきゃいけなくて、
誰かがこんなことを言ったからこうなると思いますっていうのは、
感想でしかないから、
それを参考にするのはいいんだけど、
あなたがどうAIを使っていて、
どういうふうに向き合ってるんですかっていうのは、
本当にその生き方が見えるような気がします。
小説家の久田さんが、
AIのプロンプトを公開していたので、
これはリンク貼っておきますけど、
見ていたんですけど、
本当に小説をAIに書かせようとしているんだなっていうのが、
プロンプトの対話を見てて思いました。
僕から見たら、
成功というよりも、
AIが作ったわけじゃないよなっていうか、
AIがっていうのは何なんだろうなってことで、
チャットGPTの、
しかも年末がちょっと古い気がするんですけど、
慣れ慣れしくはないような、まだね。
だから、
小説家風に頑張って、
LLMをカスタマイズしていったプロンプトでね、
プロの小説家がね、
したものが作れたっていう感覚ですかね、
僕の感想としてはね。
これはね、いろんな人の意見を聞いてみたいと思いますが、
小説もちょっと評価できなくて、
アクターガーションって結構とかってる感じがしてて、
ハマれればいいけど、
ハマれなかったら別に面白くないよねってなっちゃうんで、
それもありますよね、
小説もできた小説も、
なんちゃらの雨か忘れましたけど、
ぜひ気になる人は読んでみてください。
ただ小説も、
世界観とか組み合わせによって全然面白くて、
その物語のパターンが決まってるとかじゃなくて、
現代のところで具体的に起こして、
どうなるかってことで、
最近の小説雑誌が人気というのは、
ちょっとよくわかってないんですけど僕は、
なんでだろうなっていうのも気になったりしているところでした。
AI時代ね。
というわけで前も言ったような、
いろんな人が言ってるかもしれませんが、
AIを使うし、
使われる?わかりませんけど、
使うからこそ人の考え方が問われるよね。
そこを問わなかったら別にAI使わなくてもいいし、
AIに任せて終わりだよねみたいになっちゃう。
怖いなって思いながら。
でも今回はAIは選べるわけですよ。
これを使えって言われて会社でしぶしぶ使わなきゃいけないみたいなやつは、
しょうがないですけど、
そうじゃないところでいろいろなAIがあったり使えるので、
試してみるともしかしたら面白いかもしれません。
もしくはAIっていろいろあるんだってことを知るだけでも、
もしかしたら面白いかもしれません。
今回は使えばAIを選べるので、
選んでみたらいかがでしょうかみたいな話となります。
四国理ラジオ大橋でした。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
以上失礼いたします。