チャレンジの意義
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
このシゴクリラジオは、パーソナリティである私、仕事クリエイターが仕事づくりに関して話をしていく番組です。
考えましょう、やりましょう、楽しみましょう。 なんでしょうね、と思いますけど。
楽しんで仕事を作っていこう、楽しんで仕事をしましょうという道義でもあるんですけどね。
リスナーのあなたは仕事楽しいでしょうか? 深い意味はありません。
心の中に楽しいよって思っている人と、つまんないなって思っている人が、顔に出る出ないはあると思いますが、
ちょっとこれはわかんないんですけど、目ってどうこうって、要は黒目の部分だと思いますが、
黒目の中にさらに黒目みたいな、まあレンズなのかな?わかりませんけど、どうこうってありますか?
どうこう開きますよね、嬉しいとね。 開いてます?って。どうこう開きっぱなしでも困りますけど。
目を見て話すみたいなことをしないと、相手のどうこうを見ていたらちょっと怖いかもしれないけど、
相手の目が開くというかね、大事ですよね。 そんな話とは今回関係ない。
目の話はしないですけど。 今回はチャレンジというか、自分がやっていること、
主語繰りもですが、どちらかというと何か試すことが面白いかどうか問題。
これね、あると思うんですよね。
てかそこから逃げ切れないと思いますけど、やっていることが面白いかどうかって、
そんな話ですよね。 結論的にはわかんないです。わかんないんでやりましょう。これを何度も話してますけどね。
わからないからやってみるみたいな話、今回もですね、していきたいと思います。 今回もどうぞよろしくお願いいたします。
プロダクトアウトとマーケットイン
はい、主語繰りラジオの大橋です。今回ですね、テーマとしては、
何でしたっけ? 飛ばすなと思いますけどね。
チャレンジですね。要は自分がやっていることがですね、 面白いかどうか
っていうところですね。それについて僕もわかんないです。 前回
だったかわかりませんが、最近言ってるのは、 プロダクトアウトと言いますか、要はプロダクトアウトというのは、
商品サービスを自分で作って、自分が作ります。これがいいなと思ったものを作って出す。
例えば iphone みたいなものでプロダクトアウトかなと思います。 つまり、自分がいいなと思ったものを出してみて、いいよいいよっていう指示ですよね。
で、
マーケットインじゃないや。 プロダクト、マーケットアウト。いや、マーケットアウトも違うわ。
マーケットインかな。ちょっと言葉を忘れましたけど、多分マーケットインだと思います。 要は世の中の人や人々が、要は他人がですね、いいですよ、これ欲しいですよっていうものに
合わせて作っていくっていうのもありますよね。 すごい全体的にざっくり言うと、昔って
物が作れば売れた時代はプロダクトアウトで良かった。だって欲しがってるんだもん。 洗濯作れば売れるし、テレビ作れば売れるっていう時代があったようです。
昔になっちゃいますね。で、 一方で、いやそうじゃない。もういっぱい出てきて物がいっぱいありふれてきたので、そんなテレビいらないよ。
テレビ2台も3台もいらないよ。 携帯電話はそんな2台も3台もいらないよと。
わかんないですけどね。で、そうやっていらなくなってた時に、それは物の話してますけどサービスでも一緒ですよね。サブスクリパーってもういらないよとかね。
そうそう、ソーシャルネットワークサービスですよね。SNSいっぱいあっていらないよ。無料とか関係なくですね。
無料で提供しててもビジネスとしては広告でビジネス成り立ってたりしますから、そこは一旦置いておきましょう。
ただ、そういう商品とかサービスっていうのがあった時に、物サービスですね。
問わず、そうやって作ったものとか作ったサービスが、出せば売れるってことはなく、こういうニーズがあるんです。
例えば今だったらSNSって、今やる人います?っていう、やるっていうのは新しく作るって意味ですけど、新しく作る人いますか?って時に行くと、
今ある物っていうのは僕が把握している感じだと、本当に特価型、本当にXとかが言いづらくなった、
そのブルースカイみたいな代々使っているのもちょっと違う、こういう感じがいいんですよねっていうのを作っていく、もしくはそれをユーザーの声を聞いていくっていう話で作っている人もいるのかなと思っています。
いい感じのSNSってね、難しいとは思いますが、その距離感を絶妙に調整していくことができるのは、
今までの知見と言いますか、SNSの体験、SNSネイティブっていう人だからこそ、もしくはSNSを使い込んだからこそ、分かる解像度が高いというものの調整ですよね。
だけどそれ解像度が高い調整であるってことは、ユーザーが限られたり、もしくはその人だけしか思っていない可能性もあるから、ユーザーの声を聞くんだけど、どこまでいけるか正直分からないです。
だから、別にプロダクトアウトがダメとか、マーケットインが必ず良いっていうこともないわけです。
何でかというと、ユーザーの声を聞いたところで問題は両方ありまして、まずプロダクトアウトの問題は、自分だけしかそれを欲していなかった問題ですよね、単純に言えばね。
自己表現とクリエイティブ活動
もっといろいろあると思いますけど、マーケットインというかユーザー側に合わせるようなもの、デザイン志向なんてものはそれに近いと思いますが、
ユーザー側に合わせる場合は、ユーザー側に合わせるがゆえに、ユーザーが嘘をつく、利用者が嘘をつく、有名なところかわかりませんが、よくある例えとしては、サラダマック、マックサラダ、要はマクドナルドというハンバーガーチェーン、ご存知の方が多いかもしれませんが、
そこでユーザー利用者に聞くと、何が欲しいですかと聞くと、サラダが欲しいと、だけど健康的なものが欲しいと、だけど出すじゃないですか、売れないんですよね、というのがあると。それは何でかというと、アンケートとか意見を聞くときの格好をつけるみたいなのがあると思います。
つまり、何か勉強しますかと言われたときに、勉強していないというのが言うのが恥ずかしいと。要は見栄を張るというやつですね、格好をつけるというやつ。何か勉強しますよみたいな、YouTubeを何かアホみたいに見てて、ゲーム実況ばっか見てて、何か笑ってるんだけど動画を見て学んでますみたいな、配信者のトークぶりを学んでますって言えるじゃないですか。別にそれ半分冗談なんですよ。
だけどそれをそのまま書けないから、動画で学んでますって言ったらすごい。でも学ぶって何とか、動画を見るって何とか定義はいろいろですから、それが難しいんですけど、ただその回答者は学んでますと言うと。意識を高めてますって言った方が格好良いと思って。
少なくとも口上げで疲れたって言って、だらーって半分塗りながらスマホを見てるなんていうふうなことは言いたくないわけですよね。
で、やっててもね、別に言う必要もないですけど、なんでサラダマックじゃないけど、何かもう肉を食いたいのだと、カロリー全開でいきたいのだとか、安くていっぱい食べたいとかっていう本音を書かないわけですよ。
言えないし。それで要は嘘をつきたいわけじゃないってやつですよね。人間の真理ってものすごい重要でして、本音を言うのかっていう問題が常にあるわけですね。
だからユーザーが嘘をつく。あとは嘘をつきたいわけじゃないんだけど、そういう事実と異なるようなことを述べてしまうので、それに従って作ると作れない。
だからイノベーションって言葉が難しいですが、馬車がある時代に車を作るには馬車をもうちょっと速くしてくれる。馬を何匹も寄せてくれってなって、速い馬を作ってくれてなりますから、なかなか難しいなって思うところですね。
何を目指すかにもちろんよります。話を戻していくと、どう足掻いても、ここから何言いたかったかというと、どう足掻いても仕事作りにおいても、仕事作りじゃなくても何か新しいことをやる時に、どう足掻いても自分のやってることが良いとか悪いとか、面白いとか面白くないとか、冒頭で面白いかどうかって問題でしたけど、分かんないです。
で、なんでこういうことになるかというと、クリエイターとかアーティストであれば作品みたいな風になるわけです。漫画を描く、写真を撮る、イラストをやる、文章でもいいですよね。節からショートショートでもいいですし、さまざまなものがある。
それが売れるかどうかって分かんないじゃないですか。で、あと売れるだけじゃなくて、売れるとか置いといて、値付けしなくても面白いねって言ってもらうかどうか分かんなくないですか。
で、仮に僕が仕事作りとか行為、それをチャレンジして見せたり共有するのも、僕は面白いと思ってますが、これが世の中的に支持されるかなんて正直分からなくて、むしろこういう感覚を持ってる人って少ないんじゃないかなって思ってたりするんですよ。
だから、ある種、例えば、マインクラフトで言えば、マインクラフトっていうゲームがあるんですけど、そういうゲームからすると、マインクラフトを持ってないんだけど、マインクラフトをやっているゲーム実況動画を見ているみたいな人って多分いらっしゃると思うんですよ。
で、もちろんそれでマインクラフト、マイクラを買う人もいると思うんですけど、そういうのってないですか。今自分は所持してないし、持ってないし、ユーザーじゃないんだけど、そういうのを見てみて面白いなと思うっていうこと。
で、買えってことじゃないですよ。買わなくても見ている。近いのは、マインクラフトを持っているんだけど、プレイしていなくて見ているっていう人もいるかな。
まさに僕はそうで。それでちょっとマイクラを始めたり再開してたりするんですけど、それは置いておきましょう。
ただ、それと同様で、仕事作りとかは別にしていないし、会社員とかで仕事はこなしているみたいな感じだけど、そういうことをやっている人の話を聞いたりするのはいいよねっていう人が多いんじゃないかなと思っています。
実際のあなたがズバリそうかはわかりませんけど、そんなみんな仕事作りしていないと思うんですよ。僕が言うのもなんなんですけど。
で、仕事作りって何?ってなるんですけど、究極何でもいいんですよ。そんなこと言ったら怒られますけどね。
で、ここに目の前にラムネ菓子があるんで、ラムネ菓子どれだけあるのかというと、こないだこれ買ったやつなんで別に。前のやつは食べきりましたけど、たまに頭が疲れたら食べてます。
無同等ですね。で、これ面白いなと、これやってみたらいいんじゃないかなって思うことがまずいる。だから好奇心とか違和感というのは必須なんですが、別にそれプレッシャーかけて好奇心出せとか、神持て!みたいな。
そういうスパルタじゃないですからね。自発的、自律的にやらないといけないっていうのがあります。
自分が面白いなと思ったことっていう意味ではプロダクトアウトなんですよね。究極的なプロダクトアウトかなっていう。
で、なんちゃら思考がいっぱい出てきてちょっと混乱するかもしれませんが、アート思考みたいなのがあって、これいいんじゃない?って自分が思うようなこと。まさにアートってそうじゃないですか。
例えばラムネっていう文字を見て、これはアートだと思って、じゃあ自分なりにこのラムネって文字を表現してみようみたいな。わかんないですけど、何か表現する。アートのアイディアまで出てこなかったらごめんなさい。
例えばマッチ棒あるじゃないですか。マッチ棒って今あるんですか?家にあるかな?そのマッチ棒を使って、マッチ棒っていうのは火をつけるやつですね。あれ何でできてるんだろう?それを置いといて、そのマッチ棒で数字を作る。で、ラムネって文字を作る。ごめんなさい、ラムネはカタカナのラムネですね。カタカナとは作りやすいじゃないですか。
これが僕が作ったマッチ棒アーティストとしてやるかどうかを置いておいて、マッチ棒アートですっていう。アート性は少ない気がしますが、やったとするじゃないですか。っていう表現がある。で、これを僕がやりたいと思っただけであって、それをいいと思うかはまた別等ですよね。
でも、ここでやらないと、そのラムネっていうカタカナ文字をマッチ棒で表現するというアート活動、もしくはアートアイディア、アート作品っていうのがあって、もう、いつやるんですか?って話になるわけですよ。いつやるんですか?問題。いつ表現するかと言い換えてもいいし、いつアウトプットするかってもいいし、いつ、それこそバイブコーディング、バイブコーディングってずっと言ってますけど、AIにその指示をプロンプト打ち込むのかと。
いう話ですよね。もっと言えば、いつ行動するんですか?って話になる。これは何度も言ってますけど、今行動せよとか、行動したら正義であるとか、行動したものが勝つみたいな、そういう、それもちんぷだなと僕は最近思っているので、なんだろうなと思います。
っていうことを言わずに、行動していきたいな、やっていきたいなってことを思わせないといけないなと思ってまして、思わせないとよっていうか、楽しくなるんじゃないかとか、ある種の勘違いではあると思います。
挑戦の重要性
その人にとってはね、聞いてる方にとって。もしかしたら面白いんじゃないかなって思えること、それを勘違いと言ったら怒られるかもしれませんが、そういうふうに思ってもらわないと、しごっくりもそうだし、何か新しいことってやらなくないですか。
で、このラムデっていうカタカナをマッチ法で表現するということが面白いんじゃないかと僕は思った。リスナーのあなたが思うかどうかは知らないですよ。
つまりあなた自身が、ご自身がですね、これをやったらいいんじゃないかなと思ったことをやってみるっていうことしかもうないんですよね。この状況では。
それが、いやそんなないよと、自分が面白いと思ったことはないよと、これをやったらいいなと思ったことはないよっていう方がもしかしたら多いのかもしれません。
ゆえに、だからこそ、そうやってやってる人を見て、面白いものを出してるなーとか、面白いことやってるねーって思われれば、僕はまあ幸せ者だなと思いますよ。
それで、情報としてというか、エンタメとしてというのは成立するか分からないんですけど、そこを伝えていくのが、このポッドキャスト、四国理ラジオの役割ですし、そういうことを実践してやっている人とゲストを呼んで話していくとか、
その人が実践していないとダメとかっていうことはもちろんないんですけど、話をして、何だろうな、考えを深めたりするっていうこと。
深めていかないと、その上っ面の表層の部分だけで、ラムネっていいよねーみたいなことだけ言ってたら始まらないんで、そこを深めていかなきゃいけないわけですよね。
ということに深めるってことは、より考えたり、より考えるというのは頭の中で考えるだけじゃないですよ。行動して実践して、体験して、他の人では得られていないこととか、自分が思ったことを検証していく。
だから、前回も言ったと思うんですけど、粘って試して試行錯誤して、これどうかなってことを繰り返して、
確か、前回はYouTube動画でのアイディアの出し方ですよね。AIバイブコーディングみたいなことを言うよりもアイディアの出し方みたいな方が刺さるんじゃないか、そういうのを擦ると言いましたけど、
そういうのに手応えを得たらそれを試してみるっていうことをフィードバック、ビジネスショーでは今も書かれているんでしょうか、PDCAを回すみたいなことは必須になるわけですよね。
PDCAを回すことかっていうことじゃなくて、自分で考えたことを出して、それをやってみて回すってことが、たぶん本当に何もやったことがない人だったら難しいと思います。
ただ、それは何でも言えることなので、抽象化したり具体化したりして、何度も何度もこういうことかもしれないなってことを気づいて学んでいくってことも含んでます。
なので、学びとか気づくと、新しいチャレンジをするってことは非常に僕は相性がいいというか、親和性が高い、というかほぼ一緒だ、アイディアの出し方もそうだと思ってますし、仕事にもそうなんです。
僕の中ではですよ。でもそこまで、もしかしたらいかないし、全然違うものだなと思われている方も多いと思いますけど、それはそれで全然良くて、僕が僕なりに感じたことを出していく、それを表現していくということをやっていくこと、
それが楽しんでもらえるんじゃないかなというふうに思っています。ある種のアーティスト、アーティストカストみたいなものが至極に表現であり、同時にそれを楽しむエンタメとして見ていくという
客観視するプロデューサー的な感覚というか、デザイナーと言ってもいいですが、そういう感覚を両方持つ視聴生が僕には求められるのかなと思います。
実践と学び
でもこれも難しいんでバランスがね。どこまでできているかは分からないです。ただ、僕はそういう人がいてほしいと思うし、僕がそういうことをやっている人がいたら応援するっていうのは変わらないので、
新しいことをどんどんやってくださいという感じはあります。ただ、新しいことをやってそれが価値かどうかっていうのは見ていく必要があるし、
全部新しいことをやっていくことが全部うまくいくなんて手放しで言っているわけではないから、批判をするし、どうしたらいいかということを考えますし、
そういうののバランス感覚は常に求められるし、あるんじゃないかなというふうに感じます。
話を戻していくと、結局最初にアートじゃないんだけど、感じたことがあって、それを出すっていうところはやっぱりプロダクトアウトだし、どうですかっていうところを自分が書きましたっていうことは不安なんです。
じゃあそれをやりたい、こういうことをやりたいっていう100のリスト、1000のリスト、10000のリスト、アイデアリストを作ったところで、
じゃあそれを書かなきゃいけないですね。漫画なり小説なり写真なり何でもいいんですけど、文章なりね。記事を書くでも何でもいいんですけど、それこそつぶやくでもいいんですけど、やらなきゃいけないし、書かなきゃいけない。
誰かに示さなきゃいけない。誰かも別に友達とか近しい人でもいいし、SNSとかノートでも何でもいいんですけど、出さなきゃいけないです。
例えば、ノートで最近始めたところの企画で、小ネタっていう日常にビジネスのアイデアが潜んでるんじゃないかっていう企画でやってるんですけど、こういうのも反応がどうかを置いておいて、やらなきゃダメじゃないですか。
やりますって言いましたよね。で、やってます。僕はやってます。で、それがうまくいくかどうかというか、反応があるかとか、こういう需要があるかどうかっていうのは、ある程度やり続けないとわかんないですよ。
だから発信するんだけど、発信っていうのはある種の長期戦みたいなものがあって、長期戦っていうのは1回やって2回やって3回やってっていうものの1、2回3回ぐらいでわかるものじゃなくて、
やっていってそれがどういうふうなものになっていくか、むしろ自分も変化するし、その伝えていくことがどこまでできるかっていうチャレンジでもありますから、多くの人はそんなにすぐ出して、僕も含めてですよ、簡単に読まれるものではない。
だからそれがですね、甘いとか厳しいとかっていうことではなくて、そういうものなんですよね。
一つだけ言えるのは、じゃあ他の人がこういう記事書いたり読まれてたりとか、バズってたから読まれますよねっていうふうに言う人いるじゃないですか。
バズは運もあると思いますが、そのコンテンツが面白かったら誰でも読まれるかっていうと、全然そんなことないんです。
今後はまた変わってくるかもしれないし、どんどん変わってくるかもしれないですけど、権威とか知名度があるわけなんで、
例えば路上ですごい有名なアーティストがすごいミソボらしい格好をして歌ってたら、多分あんまり聞いてくれないと思うんですよ。
なんか汚い格好だなって言われて、それを素人で全然上手くないんだけど、すごいファビラスっていうんですか、綺麗な格好というか豪華な格好をしてたら、王族かみたいな。
それだけで聞かれる。
この時に思う方がいらっしゃると思うんですよ。見た目かっていう。それは文章というか記事におけるタイトルとか、アイキャッチみたいな画像とかね。
そうそう作り込んだものとか動画で言うと、いわゆるサムネイルですよね。サムネ動画みたいなものかって言われるんですけど、それだけじゃないと思いますよ。
で実際に、じゃあ見せかけの人なんだね。見たけど中身というか全然別に微妙だったねっていう人もいれば、それにきっかけでその人の歌声がいいなと思う人もいるんでしょう。
だからどこで着地するかっていうのは正直わかんないけど、入り口があってその人の聞く機会がなければ話が始まらないっていうのもわかるし、
入り口だけで見た目だけが良くて中身何もないしスッカスカだしさって言ったらそれはダメじゃないですか。
だから両方いるんですよ。だから中身が良ければ入り口が汚くてもいいですよねっていう。
まあ僕もそんな偉そうには言えないんですけど、ごめんなさい。だからその冒頭でですね、ラジオの説明を初めて聞く方もいて、
初めて聞く方はこの20分聞いていただけると思ってませんけど、聞いてくれたら嬉しいなと思いながらも、
そういうふうにするようにして変わっているわけですよ。変わっていくし変えていくと。
そこら辺ですよね。その変えるのもいきなりできないと僕は思いますから、僕は多分できてないです。
だから少しずつこうじゃないかな、ああじゃないかなっていうふうに試行錯誤していくと言ってるんで、僕も試行錯誤していきますから。
実はあなたもですね、試行錯誤をそこまで言うならやってみようかっていうのと、言うだけじゃなくて僕がやるんで、
そういうのを見てもらって、こいつが言ってることは嘘じゃないかなとか、信じていただくっていうことを本当に信頼としてね、
やっていくしかないのかなっていうことを改めて思っているわけです。最初に考えて感じたからそれを示すことがいかに大変かっていうのは何となくわかっています。
だけどそこはそういうことをやっていきたいから、慣らしてなんとかしていくしかないな。
で、あとはそれをやり続けて試行錯誤していくっていう、だけと言えばだけなんだけど、そういうことをやり続けるのが難しくなっていくわけですよね。
狂うわけじゃないけど、いろいろね、社会的な影響を受けますから、自分一人だけで生きているわけじゃないんで、いろんな環境とか変化がある中で、
保ってやっていくってことは、一世界一空間ではないわけなんですよね。
生きているし、その生々しい中で時間を使い、ネタを考え出していくということを、エンタメとしてね、消費したりするっていう感覚の人だと、それを忘れているかももちろんしれないですけど、
忘れててもいいのかもしれないです。ただ、漠然とはしてないんですが、何かを生み出すことは企画側なんですよね。
別に企画側が偉いとか消費側がダメとかってことはなくて、お客さんというのは消費なり、コンテンツなり、もしくはサービスを期待する側じゃないですか。
僕ももちろんスーパーとかサブスクとか見たりするし、そのお客さん側に立つわけなんですが、一方で企画側というのは何かを提供し作るっていうスタンスなわけですね、姿勢なわけですよ。
世の中的にそれを全部分けるわけじゃなくて、それを日々の生活の中で行ったり来たりするという時に、何かを作り提供するということをする人、もしくはそれを経験が全くない人は僕はないと思っているんですけど、
会社員でも公務員でもどんな仕事でもそういうことをやっぱり提供しているだけで、それを忘れているだけじゃなくて忘れているだけなんですが、
その時に提供するということは、誰か先に喜んでもらうとか、考えるという企画という概念が、そもそも今は生み出していないんだけど将来生み出されたり、それが実現したとしたらこうなるというある種の概念の操作みたいな部分があるんですよね。
だからですね、これがもちろん体験とか知識とか経験とかもありますが、ただこれもですが、やっぱり企画したことがないと、あとは体験したことがないと、ないというか分からないですよね。
新しく何か作るというのが本当に何かが何にも分からない。ラムネがありまして、このラムネという商品を作るにはみたいなことを言われても、この人は何を言っているんだみたいな、ゲームを作るとか何を言っているんだみたいな、
新しいことへの挑戦
もしかしてなっている方もいらっしゃるかもしれないです。でもそれって誰でも、これは別に慰めるわけでもなく、バカにするわけでも全くなくて、分からなかったら分からないわけです。
だから勉強したり学んでいくしかないと。それってAIではないことだから、人間が思うことだから、感じることだから、やっていきましょうねっていう、いわゆる誰でも初心者です。
最初は初心者。だからことを学んでいったり、挑戦していくというかやっていくと上手くなっていっていくということが、僕は死後繰りにもあると思っているので、
あらゆることを、新しいこともそうですが、DNAみたいなものとか遺伝みたいなものは頑張って半分だというふうな仮説です。
だから人工環境説ということで、自分でやりたいことがあれば、その環境を整え学んでいくことができれば、半分はできるんじゃないかというところですね。
その半分に賭けたい。これがですね、友人とも話してたんですけど、これが全部遺伝とか才能っていう先天的な意味ですね。先天的なもので決まってたらつまらなくないですか。
スポーツが得意な人は、はいスポーツが得意なものが決まってるんで、スポーツやってくださいって。じゃなくて、スポーツが得意なんだけど、研究したいっすっていう、
研究者になりたいです、文献調べたいですとか、スポーツ的要素はないけど、スポーツ的に研究やりたいですっていう人もいてもいいじゃないですか。
っていう方が僕は面白いと思うんですが、リスナーのあなたはどうでしょうかというところです。僕はそういうのが面白いと思うから、そういう仕事をしたいですし、
だからなんていうんですか、ご会話してほしくないんですけど、自分のスポーツの才能とかそういうのがあるから、それをやるなってことじゃないですよ。
それは違いますよ。そうじゃなくて、やりたい方向があるならそっちをやってみて、それは先天的なものではなく、後天的に、後からいくらでも学べて環境を変えていくことができるよっていう方が、
僕は好きですと、僕は好みますっていうような
自分は生き方したいですよね。かつ、そういうのも社会的にも他の人もできたらいいですよねってことを思っているので、こういうことを言っているわけですね。
そういうのが一部なかったら、実際に喋ってないですね。あと、自分だけでいいや、自分だけでそれを得て、自分だけやればいいんですよねって思うなら、
言わないですよね。しごくりなんて言っている人がないですよね。 そうそう、ないです。
それはなんとなく、さすがに、もう2年半ぐらい喋り続けて、さすがにもういいでしょと。
いいでしょっていうのは、2年ずっと聞いてくださっている方がいらっしゃるかわかりませんけど、聞いてくださっている方がいたらコメントしてください、
ありがとうございますという、ありがとうございますって変ですけど、言っていきたいと思いますので、そういう方はいらっしゃらないかなと思いますけど、大丈夫です。期間は関係ないです。
そういうふうに、まとめますと、プロダクトアウト、最初に自分がいいなと思ったことをやっていくっていうことがいいなと僕は感じています。
てかそれは、その人が、僕がですが、しごくりもそうですけど、自分だけしか価値がないなと思っていることはあんまりないんじゃないかなっていう仮説もあります。
誰かは、誰かにとっては、あ、岡田さんそういうのを求めたんですよねっていうのをあるんじゃないかと。
それがですね、個人開発とかウェブサービス開発なんかで言われるのが、妄想のペルソナみたいなやつがあるわけですよ。そんなニーズないですよっていう。わかるんですよ。
自分がめちゃくちゃいいなと思ったものが、全然その人には刺さらない。価値としてそもそもないですよとかあるし、価値があっても届いてないとかもあるじゃないですか。届けられない。
そんなもんじゃないですか。そういういわゆる困難というか、そういう簡単じゃないというか、別にボールペンをノックしてペンの芯を出してくださいということではない。そういう難易度ではないですよね。
とはいえ、逆立ちしてね、この間言ったかわかりませんけど、逆立ちして歩いて1キロ歩くみたいな、そういう難易度でもない。そんな難しくないわけですよ。多分ね。多分ですよ。
僕はそこにポテンシャルという意味での可能性というのを持っていて、何かものを作る、サービスを作るって面白くないですか?って思いません?って僕は思ってるんですよ。
プログラミングするのも面白かったし、面白いと思いますし、文章を書くのも面白いと思いますし、面白いと思いません?アイデアを出すのも面白いと思いますし、ビジネス、仕事づくり考えるのも楽しいと思うんですけど、面白くないですか?
面白い感伝わってないですかね?伝わってなかったらちょっと反省とか振り返りはしていきたいですけど。すみませんね。だからこそ伝えていかなきゃいけないなと思います。
だけど、ここが難しいところでありますが、伝わってない人とか、興味ない人に無理に興味を持ってもらって、その人を教育するぞとか、全日本人1億人を仕事にするぞとか、そんなことは思ってないですよ。全然。
あかまでも興味を持って、そういうものがあるんだなとか、そういうのいいよねっていう風なのをいじめにでも思ってもらえる人が対象者になります。
それは僕の商売というか、アイデア出しとかリサーチとかそうで、やって欲しいとか、そういうのができますかね?っていうのがない限りできないじゃないですか。
あとは店を構えるとか場を設けるとかっていう話になってくるんで、四国立スペースもそうですが、四国立スペースでみんな来て四国立しないと生きていかないなんてそんな話じゃないですよ。
興味ある人がいると。ただこれは企業をするとか何かやっていこうっていう人の数が少ないのは分かっているわけです。10人いた時に1人いるかな?ぐらいです。僕の感覚では。だから1割ぐらいなんですよ。
だから四国立を聞いている人はもしかしたら周りに四国立的な人がいたらいいけどいなかったりするから聞いている人もいるかもしれないし、
何かチャレンジしたり、何か新しくやっていきましょうねっていう人が周りに1割なんだけどそういう人が割といるかもしれないですね。
ってことはかなりポジティブに捉えてまして、何かやっていこうよねっていう人が聞いていたり、そういう気持ちを得ようとしている人が聞いている。
名古屋のスタートアップ文化
まあ自己啓発ラジオでは全然ないですけど、気持ちとして上がるってことは大事だし、そういう人がいるんだな、やってる人がいるんだなっていうことが幻想ではなく、あると思っています。
だから1割はいる。だけど1割の人が潜在化して、はいお願いします、お願いしますみたいなね。
お願いします変ですけど、一緒に何かやりましょうよとかね、こういうのやってるんですけどどう思いますかっていうような感じになるかはまだまだ僕にはわかってないです。
ただ1割は要は10人いてゼロ人とか100人いたら10人とかであって100人いても誰もいないとかねことはないと思っています。
さすがに。さすがにない。だけどたくさんの人ではないのもわかっている。
で社会っていうのはですね変わっていくってこと言ってるんですけど、じゃあその名古屋っていうね、自分の名古屋なんですがスタートアップ不毛の地というふうに揶揄されているのか自称しているのかわかりませんが、あるわけですよ本当にそういう言葉が。
で何でかっていうと新しいことをやるっていう感覚があんまりないんですよ。
でそれは別に名古屋っていう土地柄っていうわけでもなく、別にそれ全体的にそうじゃねって思ってるんで、まあまあいいですよ別に。
別に新しいことをやらないとダメだとか思ってないですよ全然。
さっき言ってたようにタイプとか性格とかあるじゃないですか。
僕は割とそういうふうにいろいろやってた方が、僕は退屈しないし楽しいからそういう役割なんじゃないかな。
こういう言葉が好きかどうかわかりませんけど使命感みたいなのあるじゃないですか。
使命感まではないんですけど、僕はそういうことやってた方がいいし調子も上がるし価値も出せるような気がするかもです。
気がするとかかもって感じぐらいです。
であとは結果と言いますか出していったもので支持されるかもしくは価値が出るか本当にそれを淡々とというかね、粛々とやっていくのみになります。
そういう行為って全然面白くないし、別に出すことでもないですよね。
粛々と何かやってますって政治家でもないですから、別に政治家でも何もないから何て言うんだろうな。
謙遜するとか自虐するわけでもなく、やっていっているだけですよねっていう感じですね。
ちょっとまとまりは悪いですが、少なくとも何かやろうとする人をポジティブに歓迎したいなとするし、
いいよねっていうふうにはやっていきたいと。
なんでかというとですね、これは単純に10人いて1人しかいないっていう、要は少数派みたいになるから、
別に絆舐め合いみたいなのをしたいわけでもなく、マイノリティだからみたいな、マイノリティを保護するぞみたいなこともなく、
純粋に気持ちよく、いいっすねやっていきましょうっていうところを目指しているし、
僕自身がそういうのを示していくっていう必要があるし、それを示していった。
その示し方は僕なりのやり方になるし、僕なりの結果でしかないですけど、やっていくしかないのかなってことを改めて思いました。
商売の楽しさ
だからこそ、プロダクトアウトみたいな感じでやってますけど、
全然それはマーケットいいんじゃないけど、仕事作りしたいですかって聞いても、たぶん誰もそんなことをしたいわけじゃないよなとかね。
あと心の中では思ってるけど、別に言わないというか、そんなの経営者とかスタートアップとかそういうことをやる人がやるんじゃないですかってもしかしたら思ってるかもしれないですけど、
いやそんなことないと思いますよ。
自分で、てかめちゃくちゃ面白いんですよ。
自分で考えたアイデアとか作ったものとかサービスを売れるのってめちゃくちゃ面白い。
それがですね、例えばメルカリとかで、そういうのは事例がバンバン集めてガンガン行っていきたいんですけど、
例えばですよ、メルカリとかですね。
小額決済者、要は小額商品、要は数百円のものっていうのを買うんじゃなくて出品する人だと思います。
出品して売れてる人っていうのは、なんか楽しいなって感じてるみたいなデータをメルカリが出してました。
僕はそれすごいいいなと思ってまして、別にメルカリ自体はどうかはあんまりなんですけど、僕はメルカリは別に使ってるわけじゃないんで。
その時に思ったのが、自分が、しかも作ったものじゃないですよね。
自分が不要品だと思ったものでもいいけど、何かを出して、要は商売の面白さってそういうことだと思うんですよね。
自分で工夫をかけて根付けしたり、提供したものを誰かに役立てて買ってくれるってわかりやすい役立ちじゃないですか。
っていうのに役立ててるんだったらいいよねって思う。
その感覚がまさに、やってみたり、商売したり、仕送りしたりっていう感覚にまさに僕の中では一緒なんですけど、
やってみたら良かったとか、自分が要らないものでも誰かに喜ばれるなとかね。
これはですね、何とかしている、普通何々しているだけっていうのが、実は他の人に価値がありますよねっていうのに近い。
かつ、根付けされてお金を頂くようなことになると、よりそれが鮮明になるっていうのとほぼほぼ一緒かなって思いました。
その自分がまさにハンドメイドの作品とかにいいんですよね。
ジュエリー作るとか、雑貨ですよね。ピアス作るとかネックレス作るとか、ネイル作るとか、服作るとか何でもいいんですけど、
自分が自分の間で作って、それを作るのも結構いいと思います。
だけど、さらにそれを誰かに売ったり誰かに買ってもらえるって、めちゃくちゃすごいいいことだと思うんですよ。
仕送りってでもそういうことですよ。お買いされ、ちょろちょろってね。
その方はまだここまで聞いてないと思うんですけど、ちょろちょろって何かやって、はいはいお金得たよみたいな。
そんなんじゃないですかね。そんなメッセージ1ミリも出してないから、それを誤解する人がいたら、それはAIとかプログラムでちょろちょろってやって、聞いてないとか読み込んでないとかってことでバレますから、めちゃくちゃわかりますよ。
で、こういうことを言っておくと何が起きるかというと、お客さんとか話をするときに、あっさい話とかっていうのは一切投げられるわけですよ。
あっさい話をするなんていうわけじゃないですよね。例えば主語繰りって儲かるんですかみたいなことを言うなとは思いませんが、
聞いてたり理解しようとしてたり、もしAIじゃないけど分かっている、分かる分からないの話もしましたけど、
分かろうとしていたり分かっているのであれば、その質問をするなとは言わないけど、
なんでそう思ったかとかを書いたり、そういうふうなリスナーというか問い合わせというかお客さんになってくるんですよね。
リスナーもお客さんじゃないですけど。
っていうことです。だからそれも伝えるメッセージとか伝わってないとかももちろんあると思いますが、
あまり言うと怒られるかもしれませんが、パーソナリティラジオ・ポッドキャスター側がリスナーを育てるというわけじゃないんだけど、
そのテンションとか知識とか経験とかを共有してどういう姿勢とかどういうふうにやっていきたいか対話していきたいかが、
そのまま僕は出てくるんじゃないかなと思ってます。
多分ね。
だから変な質問が来たり変なこと言われたから、パーソナリティが悪いんだとかはそこまで言わないですよ。
だけどそれは選んでいけるし、変な人に寄っていったら変な人になるし変な人が聞くし、
変な人の方に行かなかったら変な人の方にならない。
それは僕が思う変な考えとか変なものっていうね。
これは悪い意味では変ですね。
例えばその浅さ。浅い考えがすなわち悪いわけじゃないですよね。
じゃけがいみたいなのが浅いわけじゃないですか。
でも本質はわかんない。
それを試すっていうのはすごい浅いわけですよ。
そういう意味ではね。
だけどじゃあ深ければいいのかって言ったら、深さも結局自分が学んだりなんかする部分でしか言えないわけだから、
例えば囲碁のことを語ってくださいって言われても僕は全然わかんないから言えないわけですよね。
料理のことを言ってくださいって言われてもわかんない。
そんなにいっぱいあるわけですよ。
そういうところからすると、ある程度考えたり何かして深めていくってことをやっぱり選ぶ必要があるわけですね。
つまり、選ぶってことは他のことを選ばないってことにもありますから、
時間と選択
まさに時間なんかそうで、何かをやるってことは何かをやってないわけですよね。
だから選んでないっていう人がもしかしたらいるかもしれないけど、時間をそれで費やしてますよね。
費やすっていうか選んでますよね。
選んでるしかなくても結果的にそれは選んだことになるんだよなって思ったりします。
で、時間じゃなくてお金もそうですよね。
お金をかけたくないんだけどかけてるものがあれば、それはやっぱり選んでることになるんじゃないかなって僕は思ったりします。
時間とかお金だけじゃなくて、今回四国理の的なテーマでもそうですけど、
新しいことをやるってことをやっぱり回数を増やしたいなら、
あ、ごめんなさい。新しいことをやっていきたいなら新しいことをやる回数を増やした方がいいですし、
新しいことをやる頻度とか、一日に一回なんかやるとかもそうですけど、
それをどんどん高めていったほうがいいですよね。
当然それも人によって毎日は大変だよとか、一年に一回でいいんだよだったらそれでいいじゃないですか。
例えば花火大会って、今どんどん花火大会が梅雨が終わったら出てくると思いますが、
その時に毎日花火大会は大変じゃないですか。
だけど花火大会をやるとか花火市とか花火をやる人はそういうのを毎日やってるかもしれないじゃないですか。
人は分かんないですよ、花火業界についてはね。
そういう意味でですね、自分がやっていきたい方向に少しでも情報を得るとか人口環境説ってことでいくと、
そういう人の考え方を見る四国理スペースでも全然いいですし、
僕の考えとか面白があってくれるならフォローしていただくとかノート見ていただくとかも全然還元ですが、
そういうことをどんどんやっていかないと自分でいきなり何もないところでポンと読み出すことは大変ですから、
まずはそういう場に行く、もしくはそういう考えを浴びる、もしくは批判できてもいいんですが見てみる。
そして自分がやっていきたい方向を少しでも雲を切るなんて言葉を昔言われてたり使ってたんですけど、
ふわふわしたものじゃなくて、塊にあるものは何なんだと、外側じゃなくて内側にあるとか、塊にある何か本質的なのは何なんだろうなっていうことを、
自己探求というとどんどん不散臭いとか怪しがる人はいるかもしれませんけど、そういう部分はあるわけですよね。
何をしていきたいのかというところがあまりにもふわふわすぎると動けないし、
とはいえ固めすぎるとそれをやるだけの作業ですってなっていて、あまり刺激的じゃないですよね。つまらないですよね。予定調和になってきすぎている。
そういうところもありますから、少なくともやろうとしている人を落とし入れるとか、やるなっていうところではない。
自己探求の重要性
そういう空間を用意してお待ちしていますというわけではないですけど、やっていこうとしていますから、示していってどんどん形にしていきたいですね。
というところで、今回は着地が悪いですが、締めたいと思います。今回は以上となります。
中国流ラジオ大橋でした。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。では、以上失礼いたします。