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  2. アイデアは自分にとっての可能..
2025-11-18 1:05:41

アイデアは自分にとっての可能性自体だと思う

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サマリー

今回のエピソードでは、アイデアの重要性とその生活への影響について考察されています。発想の原点から日常生活でのアイデアの役割までが探られています。また、遊びの中におけるアイデアの重要性と可能性の広がりが語られています。自己表現や新しいアイデアの創出は遊びを通じて行うべきだという主張が強調されています。さらに、アイデアとその可能性についての探求が行われ、創造力が新しい選択肢を生み出すことについても触れられています。プログラミングとアイデアを形にするプロセスの重要性も取り上げられています。アイデアは自分の可能性そのものであり、それを実現するためには資源や技術を自由に組み合わせることが求められます。従来の固定観念を超え、多様な視点を持つことでアイデアが生まれ、発展していくことが強調されています。アイデアは人の可能性を広げる重要な要素であり、その実現には形にすることが必要とされています。ビジネスにおいては、単にアイデアを売るのではなく、新しい価値を創造することが重要であると論じられています。

アイデアの重要性
はい、シゴクリラジオ大橋です。よろしくお願いします。このシゴクリラジオは、パーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。
今回のテーマは、アイデアの話をしてみましょう。アイデアの話というのは、ちょっと違和感発想法を私自身がやっているんですが、その違和感発想自体でもいいんですけど、
そもそも発想って何ですかと。アイデアを考える。もしくは、アイデアが必要なときって何ですかと。そんな問いかけが出てきました。
これは、リスナーのあなたも余裕があれば考えていただきたいんですけど、意識をしていなかったりするんじゃないかと。要は、現状を全て、何事も毎日暮らしていて困っていないです。
お金も時間も全部ですけど、困っていませんということだったら、ということはないと思うんですけど、もし仮に皆さん困っていないのであれば、不満もないし、生きててよかったみたいになるので、
充足っていうふうに満たされたり肯定するのはいいんだけど、発展とかになると、今こうなってきてないよね、じゃあこうしようというのが必要じゃないですか。というときにアイデアっているような改善ですよね。
一方でこれだけだと、社会の発展って技術進化とか社会システムが、制度がとかになっていくと思うんで、ちょっと大きすぎるんですけど、一方で現状に対して満足してないとか、不満というか理想とするものになってないからやらなきゃいけないよねっていうのは、
ちょっとストイックな感じしますが、まあまあそうじゃない人もいるでしょうね。その感じ方はわかんないですけど、僕はちょっとストイックな感じますけど、そういうのが悪いわけでもない。でもそれってずっと追い込んでるから、ちょっとしんどいというかね。
わかりますよ。でもそれを緩めてもうこれでいいんだと思ってしまったらもう終わってしまうっていうタイプの人もいると思うので、もう緩めたらね。でもそれは若干怖いですよね。緩めてちょっと休もうかみたいな。ができなかったりするからね。
そんな感じですね。テーマとしてはですね、今回は発想アイディアっていついるんだっけみたいな、割と原点ですが、ちょっといい問いかけがあったんで、ちょっと考えてみようと。ちょっとだけ考えたところを共有しつつ、自分の深掘りも含めつつね。
アイディアって何ですかっていう。そのあたり。何ですかっていうのは別に結論ないんですけど、僕の中で今考えられていることを話していきたいと思います。アイディアに興味がある人ぜひお聞きください。ながらね。なんかしながらお聞きください。今回もよろしくお願いいたします。
はい、中国リーダージョー大橋です。よろしくお願いします。今回テーマはですね、アイディア発想。アイディアを出すことっていうよりも、アイディア自体が発想とかアイディア自体がどういう場面で用いられているんだろうか。もしくはそのアイディアってそもそも何で必要なんでしたっけというところです。
で、ある記事で、これは想像性の研究ということで、詳しい人は知っているところで、想像性の研究というのは実はありまして、想像性はクリエイティビティですね。イメージのほうじゃないですね。それが面白くて4つのCがあるって話なんですね。CはクリエイティブのCですね。4つバババッと言っていくとですね。間違えないように。
間違えないように読み上げようとしたけど、ないか。ちょっと待ってくださいね。ちょっと段取りが悪いですけど。これじゃなくなった。あ、これか。
ビッグCからですかね。ビッグC、プロC、リトルC、ミニCっていうようななんとかC。英語ですね。これ面白いんですけど、CってクリエイティビティのCなんだけど、そのCが大文字なのか小文字なのかで分かれてたりするみたいなのがあるんですよ。
英語とか習うと、大文字ってなんでしたっけ?キャップ?ビッグ?キャップ?大文字のA、Bとかを言うとき、リトルAとか、スモールAか?リトルでしたっけ?分かんないですけど。
そうそう、分かれてて。で、非日常みたいなものがビッグCですね。これ何かっていうと、偉大なる発見発明みたいな、社会的にすごいみたいな、そのノーベル賞とかあるじゃないですか。そういうのがすごいよねっていうやつです。
これもアイディアですけど、あんまりないですよね。それっていきなり出るもんじゃないですよねっていう話ですよね。で、それ以外の日常じゃ、我々というか僕もですけど、毎日すごい発明してるわけでもなく、毎日は日々地味なことをやるわけです。
それをしたくない人は、たぶんビッグCを生み出せないはずですし、知らないです、そんな人はね。これからはつまんないなっていう人ももしかしているかもしれないですけど、そんな上手い話はありませんでっていう話なんで。
で、あとミニ、リトル、プロっていうのがありまして、これが日常になるかなと。で、プロは専門的ってことですよね。別にそのプロ級っていうふうに言わなくてもいいけど、専門的な知識とかビジネスですよね。
例えばポストイットっていうのが、間違ってなければ強力な糊ですよね。付箋紙を作ろうとしたんだけど、剥がれるやつができちゃって、意外にこれ使えるんじゃねっていう話がある。
もともと強い強力な糊を作ろうとしてたのに、いい感じで剥がれやすい糊ができることで付箋っていう商品が生まれたって面白くないですか。
それって結構このプロシールとかっぽいんですけど、でもそれは専門的に、科学的にとか研究的にっていうことをやってると、考えても実際に試さなきゃいけないんじゃないですか。紙に乗り張ってね。
で、乾かしてとかやってて、その時に剥がれたのを見逃さなかった。もしくはそれをやってみようと思ったっていうのが大事ですよね。
日常生活におけるアイデア
あとリトルとミニですけど、リトルっていうのは日常生活なんだけど、本当に仕事、学生さんだったら学校とかですね、仕事されてる方は仕事、主婦の方は主婦ってことの日常生活の中とかにある中、所属するコミュニティとかも全然いいんですけど、
日常の中にあるところでのご自身があなた自身で見つけるようなこと、職場でパソコンが動かなくなったみたいな時にどうしますとかね。で、動かなかったら再起動しましょうみたいな時の再起動するっていうのは一つのアイデアですよね。
より詳しい人に聞いてみるも一つのアイデアですよね。それが割とあるんじゃないかなと思います。だからリトルとプロっていうのを行き来するイメージはあるんだけど、専門的なものっていうのはその専門的なものがかかってくるから、なかなか僕がスポーツの話でプロ的な専門的なことは言えないですし、やってないからね。
でもビジネスとか仕事作りとかっていうところになると、よりアイデアの関しては専門的になっているはずですから、プロシーにはなるかもしれないですね。領域としてね。
最後のミニって何かっていうと、これは実は今言ってたようなリトルで日常の発見っていうのはすごく大事なんですけど、そうじゃなくて内省ですね。自分の中で気づいて解釈するようなことですね。
だから問題解決って言った時に何をイメージするかっていうと、生活してたら寒いから暖かくするとか、そういうのも生活の中ではアイデアになると思いますけど、もうちょっと個人の意味、内省みたいな感じですね。振り返りとかね。
で解釈をするようなことがミニシー、だからどちらかというと内省的な振り返りのことかなっていう感覚で思ってます。だからアイデアって言った時に発明級みたいなやつのことのみを想像される方は多分あんまりアイデアっていうのに考えない人だったり、詳しくないっていう人なんでしょうね。
というのは何度も言ってますけど、そのアイディアとかなかなか苦手だっていう人は、その出てくるアイディアっていうのが誰かが言ってたり事例があった時に、そういうのがどこかに落ちてると思ってたりあったりするわけです。ソフトウェアがあるとか、スーパーの棚に並んでるとか、それを自分が情報として知らなかったりみたいな感じなんです。アイディアが情報になっちゃってるんですね。
でも、このポードキャストを聞いてる人だったらご想像つくかもしれませんが、そもそも情報っていうのは、その情報だけでどうこうにならないじゃないですか。株がどうこう、インサイダードリクトがありますけどダメですけど、それを既存の公開されてる情報から考えるのだったらいいんですけど、そこから情報を自分で解釈して、パターンとか見方があって、株価チャートとか知識のして、
それを自分なりと蓄えて、それを考えていくと知恵になるみたいなね。情報、知識、知恵みたいなのが得意になった時に、その知恵レベルの方になってくるのはやはり人間が考えて、もしくは自分が、もしくは他の人が考えたものを役立たせるようにする。
じゃあその知恵みたいなのはこうですよって言っても、それを情報みたいに扱ってる人は多分知恵になってないですよね。このあたりまたAIとか人間が考えることは何ですかってことで、話すと長くなってくるんで、これぐらいにしておくんですけど、でもまさに情報アイディアとしている人っていうのは、感覚でいる人はこのビッグシーンみたいなアイディアを出すとか、すごいアイディアを出すとか、もしくはすごいアイディアじゃないとダメだとか、
優れたアイディアみたいなのがどこかにあるみたいなふうに思っていると、今言ってたミニ、リトル、プロっていう内政したり、職場とか学校とか、日常生活の課題とか、より専門的なものとかもそうですけど、アイディアを見つけていくってことがあまりできなかったりというか盲点になるわけです。
で、それはさっき考えてたんですけど、まさにフワフワすると。浮いちゃうんですよね。なんか目の前の課題をどうにかしたいっていうのはもちろんいいし、いいんだけど、アイディア自体がどこかにあって何かできるみたいなのが一番良くない、フワフワするやつですね。着地しないっていう感じで、それは曖昧ですし具体的にもならないだろうなっていう話がまず一つあります。
結論的には、そういうアイディアって何だろうなって考えてた時に、僕の原点的には、これも何度か言ってるかもしれませんが、初めての方向けに言えば小学生とかですね。子供の頃に外で遊ぶのもいいですけど、中で遊ぶと休憩時間ね。
下敷きの裏がボードゲームになってて、消しゴムのコマにして鉛筆で転がしてボードゲームみたいなことをやると。そういうのがだんだん禁止されるようになったりするわけですけど、遊び道具を持ってくるのみたいなね。
別に授業中とか遊んでないですよ。ボードゲームが遊びとかね、柄が入って、柄とかキャラクター物がダメとかね。あれじゃないですか、それはね。
まあまあそれ置いといて。そういうのがあった時に、コマっていうのはちゃんとしたコマって言うんですか、わかります?
サイコロも、サインの目って古いですけど、市販のサイコロじゃなくて鉛筆に、鉛筆が六角鉛筆だから丸だとダメですけど、六角鉛筆とか四角でもいいですけど、鉛筆に対して鉛筆とか、あれボールペンはないと思うんですけど、
鉛筆で圧をかければペン先で穴が開くんですよ、小さいね。やったことある人はわかると思うんですけど、それで点の数とか、もしくは数字を書く感じですよね。
ペンなかったから鉛筆の穴の数でやったと思うんですけど、穴っていうか小さい点ですよね。1から6までつけて、それで転がして遊ぶと。
で、その市販のボードゲームみたいなものが下敷きサイズですよ。下敷きサイズ、今はB5ですよね。B5だと思うんですけど、飽きたんで、自分でオリジナルのキャラクター作って、新世界みたいなのを作ってましたけど、
そういうのもずっとやってるわけじゃなくて、みんな来なくなったなと思ったらもうやめて、違うことやると。結局外、公園とかお子さんとかいろんな人、子どもたち、家族連れいますけど、遊んでるじゃないですか、いろんな遊びがあると。
遊びの本質
そういうのを見た時に、遊ぶっていうのはそこにあるもので何かをままごとみたいな感じでやったり、ロールプレイですよね。演じたり、戦闘じゃないけど戦うみたいなやつで、見えない剣でチャンバラやるとかね。チャンバラも古いですよね。
いわゆる鬼ごっこみたいな、従来からあるような遊びをやってアレンジしていくとかもできますよね。それなんですよね。どちらかというと僕のアイディアとか遊びっていうのはね。
遊びの中には多分アイディアがあって、この中でこの工夫ですよね。自分たちで遊びたい、なんか楽しいことやろうっていう時にアイディアが生まれてくるっていう。
だから遊びをする、楽しむ必要みたいなのがあって、面白いみたいな必要性があって、それって自分たちで考えて何かやらないと、誰かが先生とか他の友達が何かを待ってて何かないかって言って出させてやるっていうね、でもないわけじゃないですか。
待っててもないし。自分たちは今これをやりたいとかね。自分はこれをやりたいってなった時に違ってくるじゃないですか。だから遊びにはアイディアが必要だし、遊んでるってことは多分アイディアがあるわけですよね。
つまらない遊びみたいなものがあって、それをずっとやらされるのもまたしんどくないですか。これつまんないけどやってなきゃいけないですよね。めっちゃ大変ですよね。それは違うよなぁ。
そんな感じがあります。だから遊ぼうみたいな話ではあるんですけど、遊ぼうっていうのはそもそも大人になると忘れてしまうみたいなのがあって、だから遊んでないんですよね。大人がね。
遊ぶっていうと誤解があって、お金を使って飲み歩くとかね、ギャンブルするとか、テーマパーク行くとか、それは遊びなんだけど、それはいいですよ。だけどそれってお金使ってるじゃないですか。お金使った遊びを否定しないんだけど、つまんないなって思わないですか。
お金をかけて遊ぶことが市場で醍醐味で素晴らしいことですっていう人が、世の中にもちろんお金持ってる人がお金使ってどうこういうことに対して批判してるわけじゃなくて、
それってめちゃくちゃ資本主義の権限と言いますか、お金があればいいのだみたいな、それこそミハイル・エンデカの桃の時間泥棒っていうね。時間泥棒の話じゃないんですけど、ミハイル・エンデカの桃っていう小説ではそういう灰色の男っていうのが出てきて、まさに時間を貯蓄するんだったかな。
なんか変な話ですけど、スキームというか仕組みだよって言われて、そうなんですねみたいになってますよねみたいな。
例えば転職ってあるじゃないですか、職を変える。転職ナビに登録しなくても別に転職できますからね。いや、するなって意味じゃないですよ。どういうことかって言ったら簡単で別に知り合いとか知ってる人に直接聞いてやればいいじゃないですか。
要は疑ってるわけですよ。既存のルール、既存の制度、もしくは既存のやり方、選択肢みたいなのがあったときに本当にそれだけなのかっていう、疑うっていうともしかしたら信じてないみたいなふうに捉えられる人がいるかもしれないけど、疑ったほうがいいですよね。
例えばじゃあ、なんで疑うことをそんなにいいっていうかっていうとシンプルで、さっきの小学生の頃でもいいですけど、遊びがあって、今でもいいですよね。遊び言われて、どっか行こうって言われたときに、どこ行くのってなったときに、どっか行くとこないみたいな。
で、行くとこないねってなって歩いてるみたいなね。歩いて話そうかみたいなのを、友達とか友人とか相手次第だと思いますけど、いいよ、歩いて話そうみたいな人もいれば、歩いて話すのはちょっと無理ですっていう人もいると思うんで、その辺りなんですよね。
伝わってますね。だからそのときに、歩いて話して何か見つかってそこ行こうかっていうのも、多分僕は楽しめるんですけど、それ嫌な人もいますよね。嫌な人もいると思います。分かります。だから好みとか、遊び方っていうんですか、飲み友達みたいなのはあると思うんですけど、僕はそんな人はいないんですけど。
概念としてあったときに、飲むのが好きな人が、飲むってのは酒ですね。お酒を飲んだりどっか食べたりするっていうのが好きな人は、そういう食べてどっか行くっていうわけですよ。でもその人とは飲んで話すだけだから、どっか例えばスポーツしましょうとか、どっか出かけましょうとか、どこかそれこそ美術館行きましょうとか、その友達にはならない可能性はありますよね。
だからそれが良い悪いとか、友達扱い分けましょうとか、カテゴリーとかクラスターに分けましょうとか、そんなこと言ってるわけじゃなくて、それは全然エダ派の話で、その人同士の遊び方みたいなのが非常に大事なのかなっていう。遊ぶっていうか、なんていうかなと思います。
ごめんなさい、さっきの子供の時の話でもないですけど、でもいいんですけど、自分たちが遊んでいることが面白くないなみたいな思ったときにどうするんですかっていう。こういうものなんだ、世の中はこういう遊びしかないんだ、受け入れようみたいになります?ならないですよね。
チャンボラーができないなら手で手刀で戦ってもいいし、地面に何か書いて戦略ゲームみたいなのやってもいいし、いくらでもできるじゃないですか。っていう感覚っていうんですか。
日常生活におけるアイディア
アイディアっていうよりも多分僕が言いたいのは可能性の話なんですよ。つまり既存のもので3つあります。じゃあ3つのうちから選んでくださいって。ある、それはわかりますよ。収束してアイディアを決めてって収束して決めなきゃいけないってのはわかります。だけど最初から3つなんですかって話ですよね。
いろいろ考えて10個あったうちに3つになっていったら理解できません。自分もやっていったから。だけど最初から3つなんです。このように転職ナビは3つしかなくて、3つからしか選んじゃいけません。もしくは転職っていうのは3つしかあなたの選択肢じゃなくて、そこからしか選んじゃいけませんって言われたら、僕はすごく腹立つっていうよりも、腹が立つんでしょうけど、シャクというか、苛立ちを覚えているわけですよ。
そういう状況にね。なんで3つなんですかみたいな。迷いますよね。あなたは神ですかみたいな。神だったらいいんですか。神ですみたいな話になってて、ちょっとおかしくなってるんで、ここら辺で修正しておくんですけど、そういうふうにアイディア自体が冒頭言ってたら、必要とされる場面でどんなもんですかとか、アイディアって何ですかってときに可能性だなと。
特に遊ぶときにそれを広げる。遊ぶというと、大人の方というかね。これ大人しか聞いてないと思うんですけど、良い年をした人が遊ぶっていうと、どうしてもどっかにお金を使って遊ぶみたいなのが強いような気がします。
そっちじゃないよなって思います。見えやすいですね。分かりやすいですね。カラオケ行きましょうとか。カラオケも別に、これは人の命が回りますから、公演でいきなり叫んでたらちょっと怒られたりするかもしれないけど、例えば楽器演奏なんかは公演でギター弾いたりウクレレ弾いたりとかしてる方いるから、練習ではあるけど、半分は遊び版あるわけじゃないですか。
遊びだからダメってわけじゃなくて、技術を上達するっていうことでいいと思うんですよ。だから、分かりやすい見えに見えるものっていうのが遊びとかいわゆる、最近は製作パッケージもそうですけど、熊対策のパッケージもありましたけど、
分かりやすい見える形にするみたいな具体化されたのがあると遊びね。それが選ぶ。だから3つしか選んじゃいけません。それってだいたいつまんないんですよね。どっか遊びに行くときも決まっているところを選んで、選ぶってあんまり面白くなくて、こういうのどうだろうかなって考えて、
そうやって行って探してみようとか、探索というか回避の余地がないとたぶんつまんないと思うんですよね。旅行とかエンタメとして定着しているところも、自分が見つけたんだよとか、自分でそこまで行って気づいて発見したっていうのはないとつまんないんだと思います。
それだったらグーグルマップとか動画のレビューとか、もしかして観光地の撮影したもので行った気分になって、それで終わるって感じです。だけど違いますよね。
これはだいぶ前ですけど、世界をぐるっと回ってきた旅人も、友人であるシジ君をゲストに招いて話したときもいましたけど、やっぱり臭いっていうね。確かに臭いは独特でしょうね。風とか乾き具合とか気候みたいなものって表現できないですよね。
日本のジメジメした梅雨もしくは夏って全然イメージできないですもんね。分かってないとね。だからダメとか良いとかじゃなくて、そういうのはあるよねっていうのって、想像のイメージの方ですよね。
クリエイティブの方を両方を鍛えられるような気がしますよね。だからもう少しまとめていくと、結局日常的にいろいろ考えて、遊びっていう話もしましたけど、別に仕事の中で必要なものをどうしようと。
なんかこれがうまくいかなくなったらどうしよう。それこそ最近だとね、セキュリティじゃないけど、サイバー犯罪じゃないけど、ECで届かないみたいになったらどうします?みたいな。だから要はその問題が起きた方がいいとかいう話じゃなくて、問題が起きたらどうしようっていう対応もアイデアじゃないですか。もしくはそうならないように予防していくっていうのもアイデアですよね。
そういうのって選択肢だし可能性だなって僕は思ってて、それは発明級のものじゃなくて、しかも仕事でやってるものだったら随時あるし、もしくは自分でやってるプロジェクトとかやってることに対してもアイデアっていっぱいあるんじゃないか。もしくは考えるアイデアがあるというか、必要とすることっていっぱいあるんじゃないかな。
要は特殊なものじゃなくて、日常生活にアイデアはあり、考えてるし、出してるんですよ。って思います。だけどそこに意識して気づかないというかね、普段やってる人。もしくは今話を聞いて初めてそういう選択肢がアイデアだっていう人もいるかもしれないけど、あるんですよ。
それの積み重ねがないと、結局大きな発明をしようっていうことを言ってるわけじゃないんですけど、人に役立つものもそうだし、自分が役立たないなって思うものとか、そういうの生まれないですよね。考えていかないといけないよなっていうのがありました。
ポイントは、さっき言ってたときに遊びっていうのがわかりやすいのは、結局ワクワクするかどうかなんですよね。楽しくないですか?どうですか?苦しいんですかね。だからここら辺りは僕はやっぱりわかってなくて、僕はもしかしたら一生わかんないかもしれないです。
要は今言っているアイデアを考えたり、状況があってそれをどうこうしていくかっていうときが楽しいですよね。当然それを解決したり形にしていくのも楽しいんですけど、そのあたりってそもそも慣れてないと嫌というか問題が起きることが嫌とか、問題が起きたら対応しなきゃいけないみたいになってて、これをどうしていったらいいだろうかなっていうときに全くワクワクしないっていうね。
これはもうしょうがないんでしょう。そんなことは思ってます。環境じゃないですか。蓄積ですよね。今僕が言ってたように3つから選べって言われて全然別にね、苛立たない人もいるだろうし、3つだったら3つなんですねって納得する人もいると思うんですよ。
そう、だけどそういう人はクリエイターだとか、自分で生み出したりとかアイデア出してこうしていくっていうことはできないですよね。むしろあんまり得意じゃないでしょうね。だからダメってことじゃなくて、向いてる向いてないみたいな話になるとあんまり選ばないんじゃないかなと思います。企画したり起業したりとかね。
アイディアの重要性
そうそう、それだけなんですよ。そう、だけど世の中は面白いもので、なんか向いてないんだけど起業向いてないんだけど起業しましたって人もいるし、それって考え方もだし、あと学び方もだし、自分がやってみたい方向にやるみたいなのは関係ないんじゃないかなと思います。
だから自分が向いてないとか、向いてるからやるとかっていうのは後付けでいいかなって感じがしますね。全然そのなんかやったことないけどやってみたいっていうのがあれば、それを多分大事にした方が良くて、そうじゃないとやんないですよね、何もね。今までの既存のことで充足してて、はいもう、理大臣もんじゃないですけど、もうこれでもいいですって言ってたらもう何も生まれなくないですかっていうのが一つの主張なんですよね。
だからアイディアに対して選択肢と考えるし、その選択肢自体が狭まっていると嫌になるし、そのアイディア自体でワクワクするっていうね、考えるとワクワクしないですかねっていうね、昔そうですよね。
で、それを良い大人っていう人たちが、僕もなんですけど、それは子どもの遊びであって大人は違うんだよねって言い始めたら多分すごくダメというか、違うよなっていうふうに感じるわけです。
言語で言ってもいいけど、たぶん言語でこう言ったとしても、理屈で言ってる話じゃないんですよね、この今の話はね。もうわかんないかとか伝わんないかなみたいなことないですか。別にこのアイディアの話は一つの例であって、別に聞いてる方になんかよくわかんないなっていうのもあっても全然いいんですよ、それは違っていて。
こちらからすると、そうかそういう経験ないと伝わらないなみたいなのがいっぱいあって、それは僕自身に、僕も他の人から言われて、ちょっと僕はわかんないですねみたいなのがありますから、それはお互い様というかいろいろあると思うんでいいんですけど、でもその時に伝えたいけど言語化してやっぱり伝えてもわからんもんはわからんわけですよね。
それはいっぱいありますよね。
で、その時にそこも踏まえた上でやっぱりワクワクするっていうところがやっぱり僕はアイディアにあるから、それを純粋に素朴に伝えていくってことが、AIがどうしようが、僕の仕事になるかちょっとわかんないですけど、だけどそこしかないかな、残るのそこしかないかなって思い出せますね。
アイディアを出すって言うと簡単みたいな風にもしかして出してる人は思うかもしれないですけど、簡単というよりもいろいろやろうみたいな感じもありますから。
で、あともう一個だけですね。可能性の話ですね。ワクワクするっていうのがアイディアじゃないか。だからワクワクするってことはアイディアがあると。アイディアがないってことはワクワクしないかもしれないし、選択肢が狭まられてそこから決めろって決められた中でやるっていうのが苦手かもしれないですよね。
誤解ないように言うと、アイディアを考えていろいろ考えた後にそこから決めるならいいですよ。納得しますよ。だけど決められたこの3つから選んでくださいって言われたら嫌な気分になるわけです。僕はね。自分でそこを選びたくないですか。もちろんそれも社会システムとか社会の仕組みからするとできないこともありますよ。あるんですけど、なるだけですね。なるべくやりたいよねっていうのがあります。
で、なんでそんなアイディアアイディアアイディアって言ってるかっていうと、これも初めて聞く方向けに簡単に言えば、僕自身は社会人はシステム開発プログラマーからなんですけど、プログラミング自体は全然好きですし、今のも全然好きですよね。全然やってないですけどね。
ウェブシミュレーションのAIでバイオコーディングっていうぐらいしかやってないですけど、ただなんでかっていうと、こういうものを作りたい、もしくはお客さんこういうものを作ってほしいときにプログラミングという技術があって、それでお金を稼ぐというかね。
プログラミングすると、実現しようとしているこういうツール作りたいんだよが形にできるじゃないですか。だからそれも創造ですね。クリエイティビティだと思うし、できると。
プログラマーとかプログラミングっていうプログラマーになるとか否定してるわけじゃないですけど、僕がなってやったときにプログラミングしかしてないなとか、プログラムを作る仕事だなみたいになってるわけですよ。
もちろんそこからステップアップしたり、出世というかキャリア積むという感じでいろいろやっていけばいいんですけど、アイディアを形にするというところではプログラミングって一緒だなって僕は思うんですよ。あんまりそのアイディアを形にするときにプログラミングっていう風に言ってる人、意外にいないんだろうなっていう風に思ったりします。
アイディアを形にする手段がプログラミングじゃなくて、もうプログラムっていうのが技術としてあるから、プログラミングに技術があるから、プログラムを作れますよねっていう。
プログラミングっていうのを手段化しないのはメタ認知の問題だと思うんですけど、自分はその仕事をやるから、そういう手段でお金を稼ぐとか仕事をやるからそういうもんだよねって言われてると思うんですよね。
だから別にITエンジニアは批判してるわけじゃなくて、だけど僕からすると、悪く言えばそれに没頭できないってことですね。プログラミングだけで何かやろうっていう風になると、なんか違うなみたいな。
これは本当になんか違うなって思った感じです。なんか違わないな、いいなって思い続けるか、そこまで疑問に思わなかったらプログラマーでやり続けられるんだと思います。
自己認識と職業の多様性
僕は疑問に思って、その企業みたいなこととか、なんか違うことや授業を起こすみたいなことをやっていった方が僕はいいなと思って、やめて20代、27くらいだったかな。
友人と会社を作ったっていうのがあるんですよね。それも未来予知みたいな感じになっちゃって恐縮なんですけど、なんか自分でそのアイデアを考えて、これが仕事になるっていう風にして、なんかやっていこうが面白いんじゃないかなと思ったわけです。
今はもう変わらないです。全く変わらないです。だから狂ってるように思うかもしれないですけど、アイデアアイデア言って狂ってるかもしれないですけど、プログラミングとかもアイデアを形にするっていうわけです。
プログラミングじゃなくて文章も言語化ということで形にしているという捉え方です。だから小説書く気はないですけど、書いて伝えるとかっていうのも全然好きだし、
それってこういうことを伝えるには、これ企画ですよね。文章企画だと思いますけど、どういう構成にしていくといいとか、どういう風な順序で伝えるといいのか、どういう流度ですよね。
伝えてみるといいのか、説明風がいいのか、それとももうちょっと感情寄りのやつがいいのか、レポートみたいに筋道論理立ててやるのがいいのか、それとも一部だけピックアップして話していくのがいいのか、
なんかそういうのあるじゃないですか。ポドキャストでもそうかもしれないですけど、そういう言葉を使ってこれも伝える形にするって感じですよね。
ライターの仕事もやったことがありますし、会った時にこれもまあまああるよねみたいな。一時期ロゴを作るとかもやったんですけど、イベントを企画するとかもやってましたし、
それは全然良かったし、ダメじゃないし、ワークショップもやったりとかしましたけど、そういう中で企画とか、新しいものを見出して考えて形にするっていうのが好きなんでしょうね。
それはあります。だから形にするのが好きっていうよりも、正確に言うと形にしていく過程が好きだし、今ないじゃないですか。ないものを今ないのをこういうのあったらいいよねっていうのを言って、それを形にしていくのがいいんじゃないかなというか、面白いと思っているわけです。
ちょっと長くなりましたけど、ここで言いたかったのは、結局この話はアイディアっていうのを特定の領域に固めて、そこで何かやるっていうことがある種できない体質かもしれないです。
だから形にできないっていう意味じゃなくて、特定の領域、スポーツ領域のこの部分で何かやってますみたいな風なのがとても言いづらいし、そこに興味がないってわかります?
だから絞れないんですよね。リソースをここに形にはめてやるっていうのが多分苦手なんだと思います。
これは最近思ったのが、自己紹介しているときに、職業というか何の仕事をしているんですかっていうときに、いまだにこういう仕事をしてますっていうのが言えないわけです。
そういう方っていらっしゃると思うんですけど、特に僕みたいなタイプ、なんかいろいろやるとか。
それ逆だなと思ってて、言えないっていうよりも、行ったところで、初対面の人だったら別に企画してますとか、授業企画してますとか、そんなんでいい。
分かる人は分かるし、作る人はなんでもいいんですけど、そのときにしゃこじるというか、肩書きを述べろとかそういうことではなく、わっつらのものを置いといて、
僕の中では、分かりやすいってことが嫌だなみたいなのがあるわけです。分かります?矛盾してますよね。
だから分かりやすいのがいいっていう時代とかもあるけど、今は分かんないですけど、分かりやすいってそれだけじゃんみたいな。
分かりやすいってイコール分かったつもりになる方が、僕はバイアスとして強いんですよね。そんな簡単に人分かんないですよねとか。
その上で、人のイメージに残らなかった、人の記憶に残らなかったら終わるよねっていうのも分かりますよ。分かるんで。
分かりやすいものを掲げたときに、それによって失われる可能性とか選択肢の拠地の方が多いはずなのに、
それで分かっちゃったつもりになって、その下の潜在的なものに行かない方が嫌だなと。
でもこれってミステリアスとか謎とか不思議とかっていっぱいありますけど、それを言ったときにある程度この人面白そうだなっていうふうに思ってもらわなければ、
結局一緒じゃないですか。分かりやすい職業バーンとね。大工してますって言ってもいいし、世の中を変える大工してますって言ってもいいけど、
どちらも良くて、僕の中ではアイデア大工みたいな謎の概念を踏み出したときに、
大工だけどそれは一つの仕事だから、そういうこともしてますっていうふうになるよなっていう。
だから一つの何か掲げることが、それが全部っていう、それに決められたり決まるっていうのが嫌なんでしょうね。
自己分析っぽいですけど。っていうのを僕が言ったっていうよりも、他の人が自己紹介してるときに、
高校で教員してますっていうときにめちゃくちゃ分かりやすいじゃないですか。教員ってね。
だけど、そうなんだっていう感じになって、その人がどういう教員かみたいなことを深掘りしてきたくなるかはまた別じゃないですか。
雇用されてるってことね。雇われてるとそうなるけど、企業化ってまさにぐちゃぐちゃじゃないですか。
フリーランスもぐちゃぐちゃじゃないですか。特定のことを集中して、動画クリエイターですとか言ってもいいし、
SNSマーケターですかって言ってもいいですけど、それは知らないですけど、それによって自分が可能性が狭まった気になる。
狭まって俺感じるっていうのは良くないんでしょうね。
もちろんそれは、そんなのはお母さん幻覚ですよと決めてやっていかないとダメなんですよねっていうのは分かります。
一方で、その感覚が消えないから、そっちを大事にした方がいいかなっていう違和感、もしくは直感。
これは何かっていうと、たまに言ってますけど、秋元康さんっていう企画、AKBとかおにゃんこクラブの方ですけど、
その人が企画術っていう本で言ってるのが、カルピスの原液みたいな話をしてるんですよね。
アイデアの重要性
企画っていうのはどうかって。企画っていうのは授業でも何でもいいですけど、何かを生み出すときにカルピスウォーター、
カルピスの原液があればカルピスウォーターとかカルピスソーダとかできるじゃないですか。カルピスをかき氷にシロップかけたりね。
そっちのカルピスみたいなやつが好きなんですよね、僕ね。
なんでかっていうと、このアイディアを実現するためには、プログラマーだったらプログラミングでしか、もしくはプログラミングっていうのにプロ級になってると、
そっちに頭いっちゃいますよね、どうしてもね。だけど、それってプログラムとかシステムを作るみたいになっちゃうじゃないですか。
別にプログラマーとしては否定してないですよ。過去の僕の話ですよ。
だからそうなると、自分ってシステム作りたいんだっけ、プログラムやりたいんだっけってなってたときに、なんか微妙だなみたいな。
そんなこと言わずに別に会社員とか別にそれで働いてやるっていうのももちろんありますけど、
そこってある種熱量の話で欲求で、なんか違う気がするみたいな。
プログラマーでやっててめちゃくちゃつまらなかったんですよね。最後の方とか。1,2年は全然面白かったんですけど、飽きちゃうんですよね。
これあかんなっていう。だから僕自身の精神衛生上みたいな意味で、これ本当のマジの話で、
なんかやってないとダメなんですよね、きっと。っていうところがあるんで、
カルピスの現役ってことで、要はアイディアなり何かがあって、それを形にするんだったら、特定の技術や何かがいるならそれを学べばいいよねっていう感覚なんです。
もしくはそういう人と組むっていう方が、僕は楽しいし、もしくは世の中が、
ずっと言ってますけど、社会に出て20年ぐらい経ったけど、全然その新しいことやって、もっとやっていこうよっていう雰囲気になってなくないですか。
20年前と比較しようがないんですけど、増えてなくない?みたいな。
だからおかしいなっていう意味では、変な人、僕みたいな人たちがめちゃくちゃいてどんどん盛り上がっていってるかと思ったら、ないっすよねって僕は思いました。
少なくとも僕はそう見えます。もちろんそういうコミュニティとか、スタートアップ村じゃないけど、
コミュニティ属性がある人たち同士だったらそうなるかもしれないけど、それなんかちっちゃいじゃないですか。
別にその集合クリスペースとか、そういう村みたいに閉鎖的にやろうってことは全然なくて、
もっと巻き込めるよなっていう。だから本来届いてほしい人に届いてないみたいな意味ではAIと一緒で、
AIは別にITができる人が使うだけじゃなくて、そっちじゃないですよね。
やってない人がもっとやって、だから今僕の感覚であるこの手段的な意味ですね。
それを道具としてどう使うか。AIもプログラミング文章もね。そうした時にどうこれができるかねっていうのを
アイディアを形にするっていう意味で使っていかないですかねっていうのが大きな提案だし、
形にするでも形にするって何するのってなるから、それがアイディアだし、カルピスの原理みたいなもんで形決めなくていいんですよね。
これをやりますっていうふうに決めなくてよくて最初からね。じゃあこれは本にした方がいいから本にしましょうねっていうのは多分
企画的だしアイディアっていう僕のイメージに近いですね。そのためのアイディアを考えるというか。
本を書いたことがあるとかは置いておいてね。それは家がいいです。それがプログラミングがいいです。
それはイベントがいいですとか。そのようは形にするアウトプットにする何かは経験はいろいろあった方がいいわけです。
やっておいた方がいいっていうことをいろいろ積んだり見たり経験を養わないと、それ何ですかわかんないですみたいになりますよね。
僕自身がその経験豊かとかは全く思わないですけど、1個1個の自分が経験したことを体験してきたことっていうのは全部家庭になります。
すなわち肥やしというかヒーローというかエネルギーになるし使えるわけです。
そこを見ているときに必ずアイディアっていうのは生まれるとかあるし、見ていないだけだったりするような話ですね。
何でもできますっていうのは全然ダメなんだけど、アイディアがあればいろいろできるよねっていうのが好きなんだよなっていうことが
視点を変えることの価値
伝わっていればすごく嬉しいかなと思います。
コミュニケーションとか雑談とかね。
その人と仲良くなるとかもちろんあるんですけど、その雑談自体面白くないですかって。
そういうのあるんだって気づけたら面白くないですか。
面白いとかワクワクするみたいなところにやっぱりアイディアが近かったり選択肢が近かったり。
僕の中では遊び的なものとか何か作るとかでさっき言ったプログラミング文章とか企画とかね。
そういう手段っていうのが何かあってそのあたりが面白いんじゃないかなと思いました。
だからこのアイディアっていうか発想工夫何でもいいんですけど、実際あなたご自身が解決しなきゃいけないとか、これが不満だとか、これはこうした方がいいとか提案したとか。
鍵を忘れたからどうしたみたいな対応みたいなものっていうのが全部アイディアなんですよね。
僕は思います。こんだてもんね。今日慣れた部屋もアイディア。
っていうので誰しもアイディアに触れてるんだけど、仕事でもいいし、状況によってはすごく固定的な機能的誤着っていう心理学用語がありますけど、
ロウソクに火をつけるものだと思っていると、ロウソクを画鋲で刺すのか何かわかりませんけど、何か使えなくなるんですよね。
ペンっていうのを何回も話しますね。ペンあるんで。
やめましょうか。この喉飴あるんですけど、喉飴っていうのがあります。
喉飴は喉が胃がらっぽかったり、ちょっと乾燥してたりすると潤いを与えるために舐めて唾液を出すことで潤いになりますよね。
っていうのはありますよね。わかりますよね。
だけどもう一方で、それは自分で食べる時じゃないですか。でもこれを人に与えれば、優しさとかその人を心配するとか差し入れとか、喉調子悪い人にドラえもんアンパンマン活動じゃないですけど、あげるよみたいなね、にもなるじゃないですか。
この時に喉飴っていうのは自分の喉を潤すみたいな視点しかない人は、それだけで終わるじゃないですか。だからダメっていうわけじゃないですよ。そういう状態になっているわけです。
大阪のおばちゃんよろしく、飴ちゃんってことで配るっていうのも全然いいと思うんですよね。
もっと違う視点で言えば、喉を大切にしているような歌手の人とか、声の仕事をしている人が喉飴をいつも切らさず持ってたんだけど、喉飴を忘れてしまった時に、
じゃあこのストックあるんで喉飴どうぞっていうお互いの仕事仲間みたいな歌手仲間とかね、アナウンサー仲間みたいな人たちからそれもらったら嬉しいじゃないですか。
ストックいつも持ってるんですよっていう話で、お互いの仕事を円滑にするっていう、お互いの同業者のネットワークみたいなのがあったりするのかもしれませんよね。
知らないですよ。想像で言ってるだけなんで。
ここで大事なのが、喉飴自体を単に喉を潤す手段ですっていう風に、自分が接しまって決めちゃうことで、可能性が固定、可能性というか視点が固定されているわけですよね。
そこが一番僕が気に食わないというか、本当だろうかって思う部分なんですよね。
ペン持ってこのペンっていうのは書くことしかないのだろうかみたいなことを哲学してやってるわけじゃないですよ、毎回ね。
だけど、ことあることとかそれを全部流してしまうと、世の中にある仕組みっていうのは全部固定化されており、何もできないっていう状況が嫌だし、そこに抗うわけです。
抵抗する感じです。
本当にそうです。
そこがですね、僕にとってのアイディア。
だからあるんですよ。世の中にあるし、そんなことも書きましたし、喋りましたね。
日常にアイディアはあるんだけど、アイディアはないみたいな、どっちやねんみたいな、全問答みたいな、あるんです、ないんですみたいな、どっちやねんっていうような話をしてたことを思い出しますけど、本当にそうです。
アイディアっていうのはいくつかまとめると、一つ目は日常にあるし、皆さんご自身、リスナーの方も気づいてるけど、なんかその意識しなかったりするよね。
ごくありふれたものだし、自分でもさっき言ったようにプロCとか内接なミニCで仕事とか学生生活とか学校、学生さんとかだったらリトルCみたいなのがあると。
ビッグCみたいなものはあんまりない。発明系のものはないんだけど、日々何か改善したり解決したりされてるんですよ。
仕事だったら絶対そう。
あと集団の生活でもそうですよね。キャベツが高いから白菜にしようとか半分にしようとか、それもアイディアですよね。
形にするっていう意味でいくと、形にする過程みたいなのも楽しいんだけど、アイディアを考えて既存の選択肢が決められて3つですっていうよりじゃなくて、
その3つを生み出すもしくは考えた後に3つで絞るならいい。だから僕自身が感じさわるというかシャクになるというのは決められたことをやるっていうのが見てないでしょうね。
ルールとか制度とか法律とかそういうのはもちろん守りますけど、そこじゃなくて、これ本当なの?っていうね。そんな感じです。
アイディア自体が遊びとか選択肢とか可能性みたいなものに僕は紐づけてもるんですけど、アイディアって言った時に大変だとかあんまり考えたくない人もいるんだろうなっていうのを思うと、
より僕自身がアイディアを出していく、もしくはアイディアを考えてやるっていうことは言っていった方がいいんだろうなってことも改めて思いますね。
あと最後に4つ目か。カルピスの現役説みたいなのが好きで、手段が決めるというよりも手段がプログラミングだったらプログラムができるし、文章とか言葉だったら文章になるしっていう感じなんですね。
だから別に特定の手段、アウトプットを決めてそのためにやるっていうのは窮屈かなみたいなことを思ってるだけです。
もちろん何か企画する授業をするって時に決めなきゃいけないし固めていかなきゃいけないんだけど、固めることでさっき言ってたようにアメの話ですよね。
自分だけが舐めると思ってないとか、鉛筆は別にサイコロでも使えますよね。分かります?
決められたイメージのものっていう機能的固着じゃないけど、バイアス円形もありますし、自分もありますよね。傾向とか偏ってるのはありますよね。
でもそれってその偏りがあるっていうことが別に悪いわけじゃなくて、本当にそうだろうかっていうふうに他の可能性を捨ててないのかってことを思っちゃうわけですよね。
だからアウトプットを決めずに、アウトプットというかやる手段を決めずに考えて、じゃあそれはこの手段ですよね。こういう道具がありますよねっていう方が建設的かなって思うわけです。
多様なアウトプットの探求
だから別に僕が今からプロ野球選手になるとか、そんなことはまず無理ですし、やらないし、やる気もないですけど。
そういう可能性があるから、プロ野球選手に挑戦してないみたいな、夢に日付を打たないとか、夢がゾンビ化するみたいな話ではないと思ってるんですけど。
いろいろやれるから、いろいろやってるけどいいよねみたいな、そこでごまかすつもりは全然ないです。
そこはないですね。だけど、なんかこの一つの特定の何かっていうふうにしていくってことが多分苦手なんでしょうね。
で、これは若干社会に対する甘えではありますが、そういう人が生きててもいいじゃんっていうことは、でもこれ別に今始まったことじゃないですよね。
最初の冒頭の話とか、このそもそもポドキャスト企画自体が、こういう人いてもいいよねっていう依存甘えありきみたいなことで、いやなんか窮屈じゃないですかっていうね。
もうちょっと増えてもいいんだけど、10人に1人ぐらいでもいいですよね。100人に1人じゃなくて、なんか10人に1人とか、なんかね、よくわかんないけどいろいろやっててなんか勝ちになったよみたいな。
そういうのって僕はね、大事だと思ってます。ただ僕はそれが自分がその仕事をしてやってたり、そういうことをやってきたから、自分がやってきたことを否定しないっていう参加コストじゃないけど、そういうバイアスももちろんあると思いますよ。
なんだけど、今回やっぱり話してて思ったのが、決められたことをやってくださいとか、その通りにやって改善はいらないですとかだったらもう速攻やめますよね。
実際そんな感じになっちゃうんですよね。いろんなプログラマーとかもそうでしたし、なんかつまんなくなっちゃう。
で、じゃあつまんないですよね。じゃあ現状ダメですよねって言って、それだけだったら待ってる人だけじゃダメじゃないですか。
なんで仕掛ける。仕掛けるためには企画企業ですし、自分で何か起こしてアイデアを出してこれやりますって言ってやっていくしかないじゃないですか。
で、もちろんそれがそんな簡単に、なんか1秒で60万円とかね。1秒で60万円ヤバいな。そうそう。1ヶ月で何十万かずきましたみたいなノウハウみたいなのがことしわかに流れてるんですけど知ってます?
なんかね、あるんですよね。そんなことあるわけないじゃないですか。っていうところで、そっちはまず疑ってほしいですよね。それはアイデアじゃないって感じですよね。
じゃあまずシンプルに、アイデアじゃお金をかけずに、ノウハウじゃないですよ。お金をかけずに、じゃあどうやって価値を生み出すんですかって言ったら結構ないですよね。
だから自分が今まで経験したこととか知っていることとか考えたことを出す、見せる、形にする。もしくは自分がやってみたいことをやる。
そういうのを値段にしながら他の人が困っていることをやると。それを解決するとお金にはなりやすいですよね。必ずお金になるとはもちろん思わないです。
でもそれは最初に元手がないからできないですよねってなるから、そこが知恵だと思うんですよね。困った、考える、試すっていう。
そういうことを本気でっていうのはちょっと違うんですけど、今そこに困ってないとか充足してて求めてなかったらやらなくないですか。本当そうだと思います。
そうなんですよ。そんな風にちょっと偉そうに話したかもしれませんけど、別に偉そうに話すつもりもなく、僕自身にとって仕事クリエイターはおかしいっていう人にとってアイディアってなんだろうかなって言ったときにものすごくやっぱり身近で可能性であり、彼らの現役であり、その可能性でワクワクしていくような塊なものですごく大事なものなんだなと思いました。
だからアイディア自体を売るっていうと、お金にするとアイディア自体ってお金にならないんで、全然推奨しないです。
だけどそれを企画にする事業にする、いろいろ加工してね。だからきゅうり農家さん、別に指定してるわけじゃないけど、きゅうりをそのまま売ると1本何十円、50円とかね、100円もちょっと季節当てたら100円とかになりますけど、だけどそれぐらいじゃないですか。
だけど創作料理の居酒屋でもいいし、なんか創作料理屋さんみたいなところになってきゅうりがすごく飾り包丁入れて、なんか綺麗とかっていう、みんなで売ってた場合、それがいいわけじゃないですよ。でもそうこうすると価値がぐっと上がって、きゅうり1本も使ってないんだけど、もしくはきゅうり1本使ってて、もしくはいろいろ他の材料も入れてるから、きゅうりだけではないけど、
それで今1本、ごめんなさい、1サラダ1000円取れると。きゅうりその1本を使ってないから、あれ?ってなるね。だからきゅうりを1本100円で買っても、それ1000円で売れるから、まあ原材料費で言ったらもうちょっとね、人気費とか違いますけど、あれ?ってなる。
農家さんに例えば手取りで1本売っても3割4割しか卸で、卸っても3、4割だと思うんですけど、7割も入ってこないですよね。6割かな?わかんないですけど、数十円、1本100円で売っても30円くらいしか入ってこないのが、1本100円で買ったサラダを作った人は1000円入ってきて、あれ?ってなるわけですね。
差額で900円と30円みたいな感じになってて、おかしいんだみたいな。30倍以上計算あってるかわかんないんで、そこはちょっと適当ですけど、その創作料理を作って、作る店をプロデュースしたり、やる人はもっと儲けたりとかね。
じゃあわかんないです。だけど、儲けるからダメとかってことは全然なくて、そこに価値とかアイディアを入れて、それが認められるというか今の中に受け入れられるとか、そういうのがあれば確かに価値になりますよね。
っていう時に、アイディアとしてキュウリをどう勝ちづけるかっていうことを考えた方がいいわけです。だけど、これはまた否定しないんですけど、農家さんだとアイディアがキュウリを売る、自分が作ったものだからそれを売るってことを考えがちじゃないですか。
でも、実際は料理をするシェフの人とかにいいキュウリを直接売った方が多分儲かるんでしょう。だけど、大変ですよね。わかりますよ。現実的に大変なのはわかるけど、そうしていった方が多分いいんでしょう。
最近だと冷凍キュウリでしたっけ?キュウリも冷凍できるんだっていう水分をうまくやればね。そこら辺も技術が変わってくると保存とかも変わってくるんで、それで全然違ってくるのもありますよね。むしろ冷凍キュウリをどんどん作って売るとかもできますよね。
ここで今何言いたかったかというと、アイディアをそのまま売るっていうと、結局アイディアを売るっていうのは僕からするとそういうどんどん出してきるものなんだけど、さっき言った生産者さんがキュウリ作って売るっていうのと同様の視点で考えてほしいんですけど、それをそのまま売るって考えるとあんまりよろしくないというか、あんまりお金になりづらいっていうのがあるわけですよね。
だから事業にする。だから形にする。企画にする。で、いったときに全然違う価値が生まれるわけですね。そもそもアイディア自体は形にしてなかったら何も評価できないし、見える形にしていかないと何も言えないのは分かるんですよね。これは何度も批判的に言ってますけど、アイディアに価値がないと行動に価値があるっていうのは僕はちょっと乱暴すぎかなと思ってて、アイディア自体が出せない人もいますからね。
アイディアが見つかっててもそれをやろうとできなかったりするときに、じゃあ一緒にやろうっていうのは価値になりますよね。そこら辺ですね、見方を本当に疑ってみて本当にそうなのかっていう。
だから今僕が言っているアイディアが形にならない、お金にならないっていうのも、別にやったことない人がそれを言うわけじゃなくて、やってる人が僕が言ってるんで、ある程度言える。だけどこれもバイアスかもしれなくて、適切な人にアイディアを持っていけばそれは売れるかもしれないですよね。
新規事業をいっぱい考えてて、推しって一緒に売れるかもしれませんよね。だったらその仕組みを作らなきゃいけないよねっていう話になります。
価値の創造
はい、ちょっと長くなりましたけど、アイディア話でした。リスターターの方にとってアイディアってどんなものですか?ぜひですね、コメントいただけたらいいです。
なんかね、多分ポジティブな人が多いかなっていうのもあるんで好きですね。不満とかだとちょっとしんどいじゃないですか。不満を浴びるとかね、愚痴みたいな。
これから何かしていこうみたいなのがシンプルに好きだし、そうやって何か挑戦していく。これは本当にミッションとかそんなかっこいいこともなく、心から何かをやろうとか、何か挑戦しようとする人を応援していくし、応援していける社会がいいですよね。
僕だけが頑張れって言ってもしょうがないんで、それこそ僕も応援してほしいですよね。僕自身が誰かを応援してなかったら、僕が応援されることはないから、みんな頑張れと念じておきましょう。
なんでシゴクリスペースもやってますし、よかったら検索して調べてみてください。今回宣伝になっちゃうのでやめときますけど、また聞いてみてください。今回はアイディアって何ですかね。発想するときってどうですかね。
結局日常にあるよっていう話ですね。それで解決というか、答えが出たってわけじゃないんですけど、日常にあるのかないのかっていうね、本当かなとか、気づいてない人に気づいてっていうのはまた難しいわけで、そのあたりをまた考えていきたいと思います。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。以上、シゴクリラジオ大橋でした。
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