あとリトルとミニですけど、リトルっていうのは日常生活なんだけど、本当に仕事、学生さんだったら学校とかですね、仕事されてる方は仕事、主婦の方は主婦ってことの日常生活の中とかにある中、所属するコミュニティとかも全然いいんですけど、
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で解釈をするようなことがミニシー、だからどちらかというと内省的な振り返りのことかなっていう感覚で思ってます。だからアイデアって言った時に発明級みたいなやつのことのみを想像される方は多分あんまりアイデアっていうのに考えない人だったり、詳しくないっていう人なんでしょうね。
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で、それはさっき考えてたんですけど、まさにフワフワすると。浮いちゃうんですよね。なんか目の前の課題をどうにかしたいっていうのはもちろんいいし、いいんだけど、アイディア自体がどこかにあって何かできるみたいなのが一番良くない、フワフワするやつですね。着地しないっていう感じで、それは曖昧ですし具体的にもならないだろうなっていう話がまず一つあります。
結論的には、そういうアイディアって何だろうなって考えてた時に、僕の原点的には、これも何度か言ってるかもしれませんが、初めての方向けに言えば小学生とかですね。子供の頃に外で遊ぶのもいいですけど、中で遊ぶと休憩時間ね。
下敷きの裏がボードゲームになってて、消しゴムのコマにして鉛筆で転がしてボードゲームみたいなことをやると。そういうのがだんだん禁止されるようになったりするわけですけど、遊び道具を持ってくるのみたいなね。
別に授業中とか遊んでないですよ。ボードゲームが遊びとかね、柄が入って、柄とかキャラクター物がダメとかね。あれじゃないですか、それはね。
まあまあそれ置いといて。そういうのがあった時に、コマっていうのはちゃんとしたコマって言うんですか、わかります?
サイコロも、サインの目って古いですけど、市販のサイコロじゃなくて鉛筆に、鉛筆が六角鉛筆だから丸だとダメですけど、六角鉛筆とか四角でもいいですけど、鉛筆に対して鉛筆とか、あれボールペンはないと思うんですけど、
鉛筆で圧をかければペン先で穴が開くんですよ、小さいね。やったことある人はわかると思うんですけど、それで点の数とか、もしくは数字を書く感じですよね。
ペンなかったから鉛筆の穴の数でやったと思うんですけど、穴っていうか小さい点ですよね。1から6までつけて、それで転がして遊ぶと。
で、その市販のボードゲームみたいなものが下敷きサイズですよ。下敷きサイズ、今はB5ですよね。B5だと思うんですけど、飽きたんで、自分でオリジナルのキャラクター作って、新世界みたいなのを作ってましたけど、
そういうのもずっとやってるわけじゃなくて、みんな来なくなったなと思ったらもうやめて、違うことやると。結局外、公園とかお子さんとかいろんな人、子どもたち、家族連れいますけど、遊んでるじゃないですか、いろんな遊びがあると。
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そういう状況にね。なんで3つなんですかみたいな。迷いますよね。あなたは神ですかみたいな。神だったらいいんですか。神ですみたいな話になってて、ちょっとおかしくなってるんで、ここら辺で修正しておくんですけど、そういうふうにアイディア自体が冒頭言ってたら、必要とされる場面でどんなもんですかとか、アイディアって何ですかってときに可能性だなと。
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今はもう変わらないです。全く変わらないです。だから狂ってるように思うかもしれないですけど、アイデアアイデア言って狂ってるかもしれないですけど、プログラミングとかもアイデアを形にするっていうわけです。
プログラミングじゃなくて文章も言語化ということで形にしているという捉え方です。だから小説書く気はないですけど、書いて伝えるとかっていうのも全然好きだし、
それってこういうことを伝えるには、これ企画ですよね。文章企画だと思いますけど、どういう構成にしていくといいとか、どういう風な順序で伝えるといいのか、どういう流度ですよね。
伝えてみるといいのか、説明風がいいのか、それとももうちょっと感情寄りのやつがいいのか、レポートみたいに筋道論理立ててやるのがいいのか、それとも一部だけピックアップして話していくのがいいのか、
なんかそういうのあるじゃないですか。ポドキャストでもそうかもしれないですけど、そういう言葉を使ってこれも伝える形にするって感じですよね。
ライターの仕事もやったことがありますし、会った時にこれもまあまああるよねみたいな。一時期ロゴを作るとかもやったんですけど、イベントを企画するとかもやってましたし、
それは全然良かったし、ダメじゃないし、ワークショップもやったりとかしましたけど、そういう中で企画とか、新しいものを見出して考えて形にするっていうのが好きなんでしょうね。
それはあります。だから形にするのが好きっていうよりも、正確に言うと形にしていく過程が好きだし、今ないじゃないですか。ないものを今ないのをこういうのあったらいいよねっていうのを言って、それを形にしていくのがいいんじゃないかなというか、面白いと思っているわけです。
ちょっと長くなりましたけど、ここで言いたかったのは、結局この話はアイディアっていうのを特定の領域に固めて、そこで何かやるっていうことがある種できない体質かもしれないです。
だから形にできないっていう意味じゃなくて、特定の領域、スポーツ領域のこの部分で何かやってますみたいな風なのがとても言いづらいし、そこに興味がないってわかります?
だから絞れないんですよね。リソースをここに形にはめてやるっていうのが多分苦手なんだと思います。
これは最近思ったのが、自己紹介しているときに、職業というか何の仕事をしているんですかっていうときに、いまだにこういう仕事をしてますっていうのが言えないわけです。
そういう方っていらっしゃると思うんですけど、特に僕みたいなタイプ、なんかいろいろやるとか。
それ逆だなと思ってて、言えないっていうよりも、行ったところで、初対面の人だったら別に企画してますとか、授業企画してますとか、そんなんでいい。
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僕の中では、分かりやすいってことが嫌だなみたいなのがあるわけです。分かります?矛盾してますよね。
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分かりやすいってイコール分かったつもりになる方が、僕はバイアスとして強いんですよね。そんな簡単に人分かんないですよねとか。
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大工だけどそれは一つの仕事だから、そういうこともしてますっていうふうになるよなっていう。
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自己分析っぽいですけど。っていうのを僕が言ったっていうよりも、他の人が自己紹介してるときに、
高校で教員してますっていうときにめちゃくちゃ分かりやすいじゃないですか。教員ってね。
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雇用されてるってことね。雇われてるとそうなるけど、企業化ってまさにぐちゃぐちゃじゃないですか。
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SNSマーケターですかって言ってもいいですけど、それは知らないですけど、それによって自分が可能性が狭まった気になる。
狭まって俺感じるっていうのは良くないんでしょうね。
もちろんそれは、そんなのはお母さん幻覚ですよと決めてやっていかないとダメなんですよねっていうのは分かります。
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その人が企画術っていう本で言ってるのが、カルピスの原液みたいな話をしてるんですよね。
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カルピスの原液があればカルピスウォーターとかカルピスソーダとかできるじゃないですか。カルピスをかき氷にシロップかけたりね。
そっちのカルピスみたいなやつが好きなんですよね、僕ね。
なんでかっていうと、このアイディアを実現するためには、プログラマーだったらプログラミングでしか、もしくはプログラミングっていうのにプロ級になってると、
そっちに頭いっちゃいますよね、どうしてもね。だけど、それってプログラムとかシステムを作るみたいになっちゃうじゃないですか。
別にプログラマーとしては否定してないですよ。過去の僕の話ですよ。
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プログラマーでやっててめちゃくちゃつまらなかったんですよね。最後の方とか。1,2年は全然面白かったんですけど、飽きちゃうんですよね。
これあかんなっていう。だから僕自身の精神衛生上みたいな意味で、これ本当のマジの話で、
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ずっと言ってますけど、社会に出て20年ぐらい経ったけど、全然その新しいことやって、もっとやっていこうよっていう雰囲気になってなくないですか。
20年前と比較しようがないんですけど、増えてなくない?みたいな。
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別にその集合クリスペースとか、そういう村みたいに閉鎖的にやろうってことは全然なくて、
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これをやりますっていうふうに決めなくてよくて最初からね。じゃあこれは本にした方がいいから本にしましょうねっていうのは多分
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やっておいた方がいいっていうことをいろいろ積んだり見たり経験を養わないと、それ何ですかわかんないですみたいになりますよね。
僕自身がその経験豊かとかは全く思わないですけど、1個1個の自分が経験したことを体験してきたことっていうのは全部家庭になります。
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伝わっていればすごく嬉しいかなと思います。
コミュニケーションとか雑談とかね。
その人と仲良くなるとかもちろんあるんですけど、その雑談自体面白くないですかって。
そういうのあるんだって気づけたら面白くないですか。
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僕の中では遊び的なものとか何か作るとかでさっき言ったプログラミング文章とか企画とかね。
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やめましょうか。この喉飴あるんですけど、喉飴っていうのがあります。
喉飴は喉が胃がらっぽかったり、ちょっと乾燥してたりすると潤いを与えるために舐めて唾液を出すことで潤いになりますよね。
っていうのはありますよね。わかりますよね。
だけどもう一方で、それは自分で食べる時じゃないですか。でもこれを人に与えれば、優しさとかその人を心配するとか差し入れとか、喉調子悪い人にドラえもんアンパンマン活動じゃないですけど、あげるよみたいなね、にもなるじゃないですか。
この時に喉飴っていうのは自分の喉を潤すみたいな視点しかない人は、それだけで終わるじゃないですか。だからダメっていうわけじゃないですよ。そういう状態になっているわけです。
大阪のおばちゃんよろしく、飴ちゃんってことで配るっていうのも全然いいと思うんですよね。
もっと違う視点で言えば、喉を大切にしているような歌手の人とか、声の仕事をしている人が喉飴をいつも切らさず持ってたんだけど、喉飴を忘れてしまった時に、
じゃあこのストックあるんで喉飴どうぞっていうお互いの仕事仲間みたいな歌手仲間とかね、アナウンサー仲間みたいな人たちからそれもらったら嬉しいじゃないですか。
ストックいつも持ってるんですよっていう話で、お互いの仕事を円滑にするっていう、お互いの同業者のネットワークみたいなのがあったりするのかもしれませんよね。
知らないですよ。想像で言ってるだけなんで。
ここで大事なのが、喉飴自体を単に喉を潤す手段ですっていう風に、自分が接しまって決めちゃうことで、可能性が固定、可能性というか視点が固定されているわけですよね。
そこが一番僕が気に食わないというか、本当だろうかって思う部分なんですよね。
ペン持ってこのペンっていうのは書くことしかないのだろうかみたいなことを哲学してやってるわけじゃないですよ、毎回ね。
だけど、ことあることとかそれを全部流してしまうと、世の中にある仕組みっていうのは全部固定化されており、何もできないっていう状況が嫌だし、そこに抗うわけです。
抵抗する感じです。
本当にそうです。
そこがですね、僕にとってのアイディア。
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日常にアイディアはあるんだけど、アイディアはないみたいな、どっちやねんみたいな、全問答みたいな、あるんです、ないんですみたいな、どっちやねんっていうような話をしてたことを思い出しますけど、本当にそうです。
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ビッグCみたいなものはあんまりない。発明系のものはないんだけど、日々何か改善したり解決したりされてるんですよ。
仕事だったら絶対そう。
あと集団の生活でもそうですよね。キャベツが高いから白菜にしようとか半分にしようとか、それもアイディアですよね。
形にするっていう意味でいくと、形にする過程みたいなのも楽しいんだけど、アイディアを考えて既存の選択肢が決められて3つですっていうよりじゃなくて、
その3つを生み出すもしくは考えた後に3つで絞るならいい。だから僕自身が感じさわるというかシャクになるというのは決められたことをやるっていうのが見てないでしょうね。
ルールとか制度とか法律とかそういうのはもちろん守りますけど、そこじゃなくて、これ本当なの?っていうね。そんな感じです。
アイディア自体が遊びとか選択肢とか可能性みたいなものに僕は紐づけてもるんですけど、アイディアって言った時に大変だとかあんまり考えたくない人もいるんだろうなっていうのを思うと、
より僕自身がアイディアを出していく、もしくはアイディアを考えてやるっていうことは言っていった方がいいんだろうなってことも改めて思いますね。
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もちろん何か企画する授業をするって時に決めなきゃいけないし固めていかなきゃいけないんだけど、固めることでさっき言ってたようにアメの話ですよね。
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決められたイメージのものっていう機能的固着じゃないけど、バイアス円形もありますし、自分もありますよね。傾向とか偏ってるのはありますよね。
でもそれってその偏りがあるっていうことが別に悪いわけじゃなくて、本当にそうだろうかっていうふうに他の可能性を捨ててないのかってことを思っちゃうわけですよね。
だからアウトプットを決めずに、アウトプットというかやる手段を決めずに考えて、じゃあそれはこの手段ですよね。こういう道具がありますよねっていう方が建設的かなって思うわけです。
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最初の冒頭の話とか、このそもそもポドキャスト企画自体が、こういう人いてもいいよねっていう依存甘えありきみたいなことで、いやなんか窮屈じゃないですかっていうね。
もうちょっと増えてもいいんだけど、10人に1人ぐらいでもいいですよね。100人に1人じゃなくて、なんか10人に1人とか、なんかね、よくわかんないけどいろいろやっててなんか勝ちになったよみたいな。
そういうのって僕はね、大事だと思ってます。ただ僕はそれが自分がその仕事をしてやってたり、そういうことをやってきたから、自分がやってきたことを否定しないっていう参加コストじゃないけど、そういうバイアスももちろんあると思いますよ。
なんだけど、今回やっぱり話してて思ったのが、決められたことをやってくださいとか、その通りにやって改善はいらないですとかだったらもう速攻やめますよね。
実際そんな感じになっちゃうんですよね。いろんなプログラマーとかもそうでしたし、なんかつまんなくなっちゃう。
で、じゃあつまんないですよね。じゃあ現状ダメですよねって言って、それだけだったら待ってる人だけじゃダメじゃないですか。
なんで仕掛ける。仕掛けるためには企画企業ですし、自分で何か起こしてアイデアを出してこれやりますって言ってやっていくしかないじゃないですか。
で、もちろんそれがそんな簡単に、なんか1秒で60万円とかね。1秒で60万円ヤバいな。そうそう。1ヶ月で何十万かずきましたみたいなノウハウみたいなのがことしわかに流れてるんですけど知ってます?
なんかね、あるんですよね。そんなことあるわけないじゃないですか。っていうところで、そっちはまず疑ってほしいですよね。それはアイデアじゃないって感じですよね。
じゃあまずシンプルに、アイデアじゃお金をかけずに、ノウハウじゃないですよ。お金をかけずに、じゃあどうやって価値を生み出すんですかって言ったら結構ないですよね。
だから自分が今まで経験したこととか知っていることとか考えたことを出す、見せる、形にする。もしくは自分がやってみたいことをやる。
そういうのを値段にしながら他の人が困っていることをやると。それを解決するとお金にはなりやすいですよね。必ずお金になるとはもちろん思わないです。
でもそれは最初に元手がないからできないですよねってなるから、そこが知恵だと思うんですよね。困った、考える、試すっていう。
そういうことを本気でっていうのはちょっと違うんですけど、今そこに困ってないとか充足してて求めてなかったらやらなくないですか。本当そうだと思います。
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だからアイディア自体を売るっていうと、お金にするとアイディア自体ってお金にならないんで、全然推奨しないです。
だけどそれを企画にする事業にする、いろいろ加工してね。だからきゅうり農家さん、別に指定してるわけじゃないけど、きゅうりをそのまま売ると1本何十円、50円とかね、100円もちょっと季節当てたら100円とかになりますけど、だけどそれぐらいじゃないですか。
だけど創作料理の居酒屋でもいいし、なんか創作料理屋さんみたいなところになってきゅうりがすごく飾り包丁入れて、なんか綺麗とかっていう、みんなで売ってた場合、それがいいわけじゃないですよ。でもそうこうすると価値がぐっと上がって、きゅうり1本も使ってないんだけど、もしくはきゅうり1本使ってて、もしくはいろいろ他の材料も入れてるから、きゅうりだけではないけど、
それで今1本、ごめんなさい、1サラダ1000円取れると。きゅうりその1本を使ってないから、あれ?ってなるね。だからきゅうりを1本100円で買っても、それ1000円で売れるから、まあ原材料費で言ったらもうちょっとね、人気費とか違いますけど、あれ?ってなる。
農家さんに例えば手取りで1本売っても3割4割しか卸で、卸っても3、4割だと思うんですけど、7割も入ってこないですよね。6割かな?わかんないですけど、数十円、1本100円で売っても30円くらいしか入ってこないのが、1本100円で買ったサラダを作った人は1000円入ってきて、あれ?ってなるわけですね。
差額で900円と30円みたいな感じになってて、おかしいんだみたいな。30倍以上計算あってるかわかんないんで、そこはちょっと適当ですけど、その創作料理を作って、作る店をプロデュースしたり、やる人はもっと儲けたりとかね。
じゃあわかんないです。だけど、儲けるからダメとかってことは全然なくて、そこに価値とかアイディアを入れて、それが認められるというか今の中に受け入れられるとか、そういうのがあれば確かに価値になりますよね。
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最近だと冷凍キュウリでしたっけ?キュウリも冷凍できるんだっていう水分をうまくやればね。そこら辺も技術が変わってくると保存とかも変わってくるんで、それで全然違ってくるのもありますよね。むしろ冷凍キュウリをどんどん作って売るとかもできますよね。
ここで今何言いたかったかというと、アイディアをそのまま売るっていうと、結局アイディアを売るっていうのは僕からするとそういうどんどん出してきるものなんだけど、さっき言った生産者さんがキュウリ作って売るっていうのと同様の視点で考えてほしいんですけど、それをそのまま売るって考えるとあんまりよろしくないというか、あんまりお金になりづらいっていうのがあるわけですよね。
だから事業にする。だから形にする。企画にする。で、いったときに全然違う価値が生まれるわけですね。そもそもアイディア自体は形にしてなかったら何も評価できないし、見える形にしていかないと何も言えないのは分かるんですよね。これは何度も批判的に言ってますけど、アイディアに価値がないと行動に価値があるっていうのは僕はちょっと乱暴すぎかなと思ってて、アイディア自体が出せない人もいますからね。
アイディアが見つかっててもそれをやろうとできなかったりするときに、じゃあ一緒にやろうっていうのは価値になりますよね。そこら辺ですね、見方を本当に疑ってみて本当にそうなのかっていう。
だから今僕が言っているアイディアが形にならない、お金にならないっていうのも、別にやったことない人がそれを言うわけじゃなくて、やってる人が僕が言ってるんで、ある程度言える。だけどこれもバイアスかもしれなくて、適切な人にアイディアを持っていけばそれは売れるかもしれないですよね。
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