1. シゴクリラジオ!
  2. 初めての人を意識しておくと多..
2025-07-04 45:13

初めての人を意識しておくと多分良さげな空気になる

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サマリー

シゴクリラジオの今回のエピソードでは、初めての人を意識した仕事づくりの重要性が語られています。大橋は、顧客との関係性やコミュニケーションのあり方、特に新規リスナーへの配慮について考察します。初めての人との会話を楽しむことが、自己開示やコミュニケーションの重要性を引き出す鍵であると述べています。また、相手の立場に立つことでより良い対話が生まれる可能性を探求します。初めての人を意識することは、演劇やラジオなどのコミュニティにおいて重要であり、ホスピタリティが求められます。視聴者や参加者の視点を理解し、心地よい空間を作るための案内や対応方法について考察します。また、初めての人を意識することが、ラジオや商品の成功において重要であることも論じられています。情報を発信する際には、特にSNSや新しい商品を提供する時に初心者を含む幅広い視点を持つ必要があります。初めての人を意識することで、コミュニケーションやサービスの質を向上させる可能性が示されます。演劇の体験を通じて、印象が重要であり、それが関係性を築く鍵になることが強調されています。

仕事づくりの考え方
シゴクリラジオ
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
この番組シゴクリラジオは、パーソナリティーである仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。
仕事づくり、カタカナで仕事、ひらがなで作りで仕事づくりですが、何でもいいんですよね。
こういう仕事がありますと言われて、それをやりますと言うのと、作ってないですよね、という話ですね。
仮に、会社員とか就職でついている方でも、その中で工夫してこういうふうにしました、提案要素があれば、仕事づくりしているのかなと思ったりしますよね。
大橋さん、そんな仕事づくり、提案がないなら仕事なんかないですよ、と思われる方は多分仕事づくりしている方なんじゃないかなと思います。
お客さんとか顧客の要望に応えることも仕事づくりかもしれないんですが、
ただ、一応根本的には自ら主導で、AIがとかじゃなくて、コンピューターがというのでもいいんですけど、
基本的に自分でこうしたらいいんじゃないかというのがあって、作ったと言えないかな。
仮にAIが提案したやつを形にするのもいいんですけど、それ面白いですかというのと、それをやりますという話で、
90%、95%やれないんじゃないか。あと、やれたとしても虚しさが残る。
あと工夫がないのでつまらないみたいなことになるんじゃないかなと思いながら仕事づくりということも走っています。
初めての人への配慮
今回テーマは初めての方向けというか、初めての人というのを想定しながら、
サービスをする、もしくは仕事を作る、もしくは開くという感じですかね。
身内の人だけ向けに何か話しているわけじゃないとか、関係性がある前提で話しているわけじゃない。
ここは言語化が難しいところなんですが、そういう初めての方に開くという感覚を少しでも共有できればいいかなと思いまして、
今回その初めての人向けに何をやっていけばいいかみたいな答えはないですが、話をしていければいいかなと思います。
今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、四国理ラジオの大橋です。
今回テーマとしては初めての人向けの扉と言いますかね、余白と言いますか、遊びですが、
そういう余白を設けておくのがいいよねという話です。
今回、気づいた方、初めて聞いた方という人には全然わからないと思いますが、
冒頭ですね、ずっと聞いている方だったらですね、
冒頭のコールですよね。
僕が別に喋っているんですけど、
四国理ラジオでこの番組の話を、番組紹介ですよね。
今までやってなかったんですよ。
今回は初めてやりましたというわけじゃなくて、少し前からやっているんですけど、1年前とか2年前はやってなかった。
これって聞いた方が初めての人だったら不親切じゃないですか。
知ってるよね、僕のこと知ってるよねみたいな定義でやると。
知らんがなっていうね、話だと思うんで。
なので一番最初の番組ですよね、初めての四国理ラジオを聞いてくださる方もいるかもしれないけど、そこまでやらないよねっていうね。
どういうことかというと、瞬間瞬間が問われるわけですよね。
だから切り取って自分が思うように解釈しろって話じゃないですかね。
それはやりすぎですけど、とはいえ人はわがままだと思うので、
むしろそういうもんだと思うので、一瞬で私はこういうものですって言うので怪しいなとか、
あと怪しいものじゃありませんって言ったら怪しいじゃないですか。
怪しくないです。怪しいものですっていうのも怪しいじゃないですか。
そういう状態なんですけど、とりあえず自己紹介をするというよりも、
この番組はこういうものですよね。
もちろん僕のことを喋っても伝わるとは思っていなかったりするんで、
徐々に伝わると思っていなかったっていうのは伝わると思っていないっていうのをもう一度説明しておくと、
僕がこういうもので怪しくない、しかしこういうものですって言っても、それが伝わるとか理解できるかって別じゃないですか。
ただ説明はある程度は尽くした方がいいかなっていうのがあると。
一方で番組紹介っていうのはさすがにやっておかないと不親切かなっていうふうに思いまして、
自分が思ったからやってるだけで別にいらないよっていうね。
別にやらなくてもいいし、必須ではないんですが、
そういうふうに気持ちが変わったり気分が変わったり、気が変わるっていうのはすごく大事だなと思いまして、
そういうふうに紹介をしてたりします。
たまにこの程度でいいと思うんですが、僕はね。
この程度っていうのは僕のやってる講義のことを言ってるんですが、
初めの方はわからないかもしれませんがっていうふうに、
初めての人が聞いている定義、定義というのはそういう姿勢とか状況とか様ってことですが、
初めての人が聞いているということを意識されているかどうかっていうのは問われるかなと思います。
別に偉そうに言ってるわけじゃなくて、初めて聞いている人がどの程度本当にいるかわかりませんよ。
わからないんですが、初めての人は聞いてないよね。
僕のこと知ってる人だけでいいよねっていうふうになっていったら、
多分聞きづらいかなと思います。
実際にはこのラジオを聞いている方、フォロワーの人もそうだし、
対話の重要性
いいねいただける方とかも、もちろん僕を知っている方はいらっしゃるかもしれませんが、
それは関係性がある人での話でしかないから、
面白いかどうかって言ったらちょっとよくわからなくて、そこまでかなと思ったりします。
なぜなら別に僕の友人であったりする人が僕のラジオを聞いている可能性は、
高いか低いかって言われたら低い。
なぜなら別にそれを聞かなくても話せるし、
別にそこまでね、お母さんの考えが聞きたくないですよっていう、
別に拒否されてるわけじゃないけど、いらないってわけですね。
不要というかね、のはあるかなと思います。
だから僕も知っている人も、関係性がある人はもちろん聞くんだけど、
聞き方変わってきますよね、そういうのってね。
聞かなくてもいいやとかそういうのあるし。
それは情報の取り方とか捉え方ですから、別に自由ではあるんですけど、
僕はそういうふうに感じている。
ということはどういうことかというと、関係性がない。
要は初めての方とか、もしくはここがラジオというかインターネットっぽいという、
ポドキャストっぽいんですけど、僕のことを知っていたり、
一方的に聞いているんだけど、
それこそ狙い通りなんですが、こういう人いるんだよね、
面白いよねって思ってもらえたら全然ありがたいし光栄なんですが、
そういうところで、この人は、
ラジオのリスナーの方も別に僕は会っていないわけですが、
このメディアというか場では会っているわけです。
四国理ラジオで会っているという不思議なことが起きるわけです。
でもこれは成立し得るというのは、
四国理スペースはちょっとメタバースになっちゃいますが、
Xでも何でもいいんですけど、
そのところに来てもらうことで情報が伝達される。
もしくは僕の考え方もしくは、
僕の考えをジャイアンみたいにぶつけてるわけじゃないですけど、
世の中とか社会の人の刺激を得て、
僕がこう考えて、じゃあこうじゃないですか、
ああじゃないですかってことを、
僕は言っているつもりなんですが、
要は僕自身が一人で勝手に生きていて、
何かやってるわけじゃなくて、
必ず社会の変化を受けて、
その状況を受けた上で喋ってるんで、
別に僕のすべてのオリジナルの独自の何かっていうだけなことはないんですよね。
アイディアと一緒で何かと何かの組み合わせじゃないんだけど、
僕は誰かのアイディアや社会の状況を得て、
他人の考えを得て、
ニュースや記事を読んで、
そういうものを踏まえた上で、
全部は無理ですよ、が、
組み合わさっているっていう感じですよね。
だから社会性があるラジオっていうと、
何か違うんですけど、
多分それは違うんですけど、
でも本質的にはそうかなって思ってます。
で、聞いてる方の大多数、
99%と言っていいでしょうは、
ここで聞いたところでの関係性を作っていくしかない。
関係性っていうよりも、
このラジオリスナーみたいな、
僕がたまたまポッドキャストっていうね、
配信者っていうだけであって、
その関係性に上下があるという意味じゃないんですけど、
聞いてくださってありがとうございますねっていうところで、
話ししていって、
今日はこんな感じですっていう感じが、
僕は好きです。
僕はね。
で、実際にサードプレイス、
サードプレイスは微妙ですけど、
サードプレイスとか、
語る場、対話の場みたいなものは、
そういうイメージ、
要はワークショップとか、
ファシリテーションではないですけど、
なんていうんだろうな、
話をしていって、
理解していく。
もしくは、
なんていうんだろうな、
技術的にはレベルが高いと思われるかもしれないですけど、
でもやってる人はやってる話で、
何を言ってるかっていうと、
相手の名前がニックネームでいいですよ。
相手の情報もほとんどない。
もちろん見たら、
性別もいろいろありますけど、
身長とか、
外見的なものはありますよね、
情報としてね。
背が高い、低いとかね、
自分よりね。
そういうやつとか、
話が早口である、
もしくはゆっくり喋られるとか、
あと声が大きい、小さいとかね、
言葉が難しいとか、
もしくは言葉が優しい、
わかりませんけど、
そういう情報を得ていったときに、
その人のことを知らなくても、
そこで対話ができるっていうのは、
ある種の訓練はやっぱり必要かなと思ったりします。
対話というのはですね、
定言は難しいんですが、
僕が思うには、
考え方とか、
意見とかを言える、
言えるということが相手が聞いている、
もしくはこっちは聞いている、
お互いがそれができるような状況を指します。
これはですね、
最近思うのは、
対話の場みたいなものでもいいんですが、
対話の場って言ってる時点で、
それが非日常的になるわけですよね。
ワークショップとかがそうなんですが、
ワークショップというのはご存知のない方が
いらっしゃるかもしれませんけど、
ワークショップというのはイベントですと、
どこかに人が、
講師がいたりいなかったり、
みんな先生だということで、
参加者同士が学び合うというか、
知らない人からすると、
ちょっと気持ち悪いというか、
変な場所になるんですけど、
変では何もなくて、
真面目にというか、
やっている方がいらっしゃると思うんですが、
僕もですね、ワークショップ形式ですよね。
形は好きで、
何かというと、
来てそこで、
参加する人がみんな
目的がいろいろ違うんだけど、
初めての対話の重要性
共通言語として
話をしたり聞いたりして、
学んだりとか、
その人にとっての学びやヒントがある
ということを目指すということで、
やってたりします。
だから僕が出すコンテンツというのは、
もしくはアウトプットは、
誰かにとっての学びである必要性は、
あるかなと思っています。
必要性があるかなというよりも、
なってほしいです。
言葉は俺ですけど、
クソにもミソにも役立たない。
あんまりいい言葉じゃないかもしれませんが、
要は何に役立たないようなことって、
あるわけですよね。
少なけれども、
レスラーのあなたが、
今回の話に役立つかどうかは分からない。
分からないけど、役立つこともある。
だから毎回役立つとは全く思っていない。
ただ、
これ面白くないですかというふうに、
やり続ける。
言い続けるというね。
感覚はなくなっていないし、
別に僕はそういうことやることは嫌いじゃない。
大好きで、
着てくださいみたいな感じではないですよ。
そういうテンションで別に言ってるわけではなくて、
どうですかね、
ぐらいの感じですよね。
で、
ワークショップというのは、
そういうふうに、
誰かが一方的に話すわけでもなく、
実践というかね、
話をしたりグループで分かれて、
参加者同士で話をしていくときに、
手法として、
相手の本名を
知らなくても、
ニックネームというものがあったり、
仕事を別に開示しなくてもいいですし、
要は、初めての人と
どう会話をしていくかということですよね。
話の構成とコミュニケーション
会話というよりも対話で、
お互いに話を聞くと。
その聞くのが、
表面的な、
お仕事どうですか、
大変ですね、
そうですね、
終わるというわけではなくて、
ここが難しいと思われる方が
いらっしゃるかもしれませんけど、
仕事の話を細かく、
具体を話さなくても、
ある程度話をできる。
ということは、
自分のことを言語化する。
要は、
自分の仕事を言語化したり、
もしくは、
言語化というのは、
自分の言葉で説明できる。
もしくは、
自分の感じていることを
相手に感じてもらうようにする。
なかなか、
こうやって言葉にすると、
すごい手法のように聞こえますが、
少なくとも、
相手にそれを伝えなきゃいけない。
面白さを伝えたいのか、
辛いんだけど面白いよね、
面白さの方を伝えたいのか、
全然違うじゃないですか。
辛さと面白さがあって上でのことだよね、
ということで、
そのバランス感を伝えたいのか、
その3つだけでも全然違うと思います。
そこが、
ミスっていると、
あの人は辛いことを言う人だな、
という。
本当は面白いことを伝えたかったのに、
伝えたいことが、
話の組み立て方もあるので、
それはありますが、
つまらないことを伝えて、
後から面白いことが来るから、
ちょっと我慢して聞いてくださいね、
みたいな作り方で、
という人はあまり話が上手くないですね。
最初に言わなきゃいけないですかね。
なぜなら、
相手がそれを我慢しなきゃいけないということは、
相手に最初に言わなきゃいけないけど、
でもそれを後で聞いて、
我慢しなくてもよくない?
というような。
いい感じの部分だけピックアップすれば、
よくない?
ということもあるじゃないですか。
家庭として。
僕もそれを自分に突っ込みを入れて、
それを30分かけて話さなくてもよくない?
なんて。
あるような気がするので、
ブーメランだ!
と思いながら喋っていますが、
ブーメランが来たら返すわけです。
無限ブーメラン。
それは冗談として、
そういう場があるわけですね。
慣れていると、
普段、自己開示するとか、
自分のことを伝えるということが、
普通になっているんだけど、
普通じゃないですよね。
多分ね。
もう一回言いますけど、多分ね。
と思い始めています。
つまり、
語るというと、
暑苦しいかもしれないですけど、
青臭いかもしれないけど、
全然そんなことないですよ、
ということは言いたいですね。
じゃあ、日本の中にそういうことを
感じている人、
考えている人がいないかもしれないけど、
とりあえず、
ブログに書くじゃないけど、
インターネットの片隅に置いておくじゃないですけど、
言っておこうかなと思いました。
要は、
なんだっけ、
別にね、
誰とも話して、
ニコニコ平和でいきたい、
というのがあるけど、
そうもなっていないじゃないですか。
考え方を知りたいとか、
あなたがどう思っているか知りたい、
というふうに、僕は思っているわけです。
そういう人が多いと思っているんですよ。
多いと思っているんだけど、
そのすべがない、
やり方がわからんとか、
そもそも環境が良くなかった。
例えば、良くない環境というのは
ネガティブですけど、
お前の考えはいいと、
みんながやっていることに従えと、
あなたの考えはどうでもいいと、
私が親の立場とかに書いて、
子供に対して私が言うように振る舞えと、
そういう環境で育てられた方は、
当たり前ですけど、
自分の考えがどうでもいいや、
と思うじゃないですか。
ちなみにそれは、
僕が言っている自分の考えがどうでもよくて、
お客さんが言う通りにしようとか、
というふうなことを、
ニュアンスとして言っていることがあるかもしれないですけど、
そこまでは、
そういうのじゃないですからね。
自分の考えがあった上で、
その考えは一旦置いておいて、
それぐらいのニュアンスでしか僕は言わなくて、
自分の意見とか自分の考えは、
持たないといけないかなと思っています。
これはマストなんですよね。
その上で、
どうかという話なので、
これももっと言うと、
演劇の体験
自分の考えや答えが持っていて、
相手に聞く。
相手の考え方を別に無視して、
自分の考えを言うみたいなことではないですか。
聞かなきゃいけないですよね。
それを理解しようとしなきゃいけない。
ということはどういうことかというと、
理解をしようとするというのは、
相手の立場に立つという、
非常に難しいこと。
自分がその状況に置かれたら、
そうかもしれないなって思えることが、
実はほとんどなんじゃないかなと思います。
実はね。
だから、
自分の相手の立場に立っていく、
要はその移動ですよね。
移動すらしなければ、
相手の立場に立っていけない。
相手の立場に立っていく、
要はその移動ですよね。
移動すらしなければ、
それは相手と僕が違うから、
違いますよっていうのは、
それはやっぱり、
寂しいというか、
跳ねつけているというか、
寄せつけていないという感覚なんですよね。
ここは感覚の話になっちゃいますが、
やっていると、
多分その相手の話を聞いてくれる人と、
自分の話しかしない人というのを、
別に分けるわけじゃないんですけど、
それがはっきり分かれるシーンで、
そういうところかなと思います。
話を聞いてくれないというのは、
話を発して、
聞いているふりをしているが、
実は何も聞いていない人って、
いらっしゃるじゃないですか。
そこなんじゃないですか。
そんな話し方の話になっていますけど、
今回はそういう話じゃなくて、
始めた方向けの、
余白とか予知というか、
扉を開くという、
歓迎するみたいなやつですね。
だから始めた方は、
別にコミュニケーションの話を、
毎回僕はしているわけではないんですが、
コミュニケーションもすごく重要な、
仕事づくりにおける、
パーツというかスキル。
スキルってよくないですけどね。
捉え方?
捉まえ方?
捉え方になるんじゃないかと思いますけど、
これを話をすると、
一番先に思い出したのは、
僕のやっていることとして、
番組紹介をするという、
これをなんとなくやるんじゃなくて、
始めた方に向けて、
しっかりと届ける。
始めた方、聞いてくれ!みたいな、
願いながらやると。
願っても何も変わらないんですが、
でもそれは、
実作があるので、
粘る感じで、
地道にやっていくしかないかな、
というのは思います。
もう一個例を言うと、
昔ですね、
20代社会人の時に、
何のきっかけかわからないですけど、
演劇ですよね。
要は、
舞台があって、
ステージがあって、
そこで役者さんが、
生でですね、
演技をして、
それを物語として、
お芝居として楽しむという、
演劇のことを見ることを感激と言ったりしますが、
感激というよりは感じる、
激しいじゃなくて、
見る劇で感激ですね。
そういう見る劇、
要は演劇を見に行っていたんですよ。
別に友達とか、
そういう人を作って見るわけじゃなくて、
自分で本当に一人で見に行って、
面白いなと思って、
かなり見に行っていました。
それも、
一流能というと、
怒られるかもしれませんが、
いわゆる劇団がたくさんありまして、
社会人劇団というやつですよね。
サッカーで言ったら社会人サッカーみたいなやつで、
プロとして、
別に他のことをやりながらやっているんだけど、
という意味ではプロじゃないんだけど、
劇団としてやっていたり、
劇団員の人がやっていて、
面白いなと。
もちろんその中では、
著名になった人とか、
それを成り割りしている人もいると思うので、
一概に全部、
素人とかね、
素人だったらちょっと失礼ですよね。
プロじゃない人を見に行ったってわけじゃないですけど、
面白いなと思って、
見に行っていたんです。
特に覚えているのが、
ある劇団員、
劇団の方で、
演劇への初めての人向けの案内
いわゆる劇団というか、
役者、芝居を見に来る人というのは、
かなりコアな人だと。
コアというのは、
思考性が強いという意味ですね。
今の言葉で言うと、
悪い意味ではないけど、
オタクと。
演劇オタクみたいな感じ。
あと関係者が多い。
だから演劇関係者、
例えば舞台に出ている、
役者の人の友達とかね、
見打ちが多いってことなんですね。
だから僕みたいに野良で、
一人で全然知らないけど、
行くってことって、
ないかなと思ったり。
よくあるのが、
舞台でその入り口で最後に、
役者の人が、
ありがとうございましたってことで、
ずっとずらーっと並ばれるんですけど、
そういうので挨拶したりとか、
なんかやるっていうことがあるんですよね。
僕はそういうのは一切やらなくて、
どうもよかったですって感じで、
通っていくだけだったんですけど、
そういうのを感じても、
ほとんどの人が、
見打ち関係者だったりするようです。
でも、
よくあるのが、
舞台が始まると。
舞台というのも、
30分で終わることはないですけど、
1時間とか、結構あるんですよね。
その前に、
説明するわけですよ。
この劇団はこういうもので、
今回の芝居はこういうもので、
芝居によっては、
演出によって変えたりとかしたりとか、
あと施設ですよね。
設備としてはトイレとか、
あとよくあったのが、
携帯電話ですね。
電源を切ったりとか、
そういう話で鳴ったりとか、
しないように、
ご案内があるんですけど、
その時に初めての人向けに、
必ず、
そういう話をするというのが、
僕は素晴らしいなと思いまして、
そういうのは覚えてますよね。
劇団の役者の人とか、
物語とか、
感激した、
よく覚えてる作品はと言われても、
全く出てこないですけど、
全くないわけじゃないですけど、
ちょっと忘れてますけど、
さらに良かったということで、
ホスピタリティというと、
ちょっと大げさなんですけど、
対応はいいなって思いましたよね。
だから当たり前ですけど、
そういう最初にご案内される方も、
当然役者さんなんですけど、
方が、
顔じゃないですか、
ある種それが、
いわゆるビジネスショーなのかな、
真実の瞬間というのがありますが、
そういう話、
いわゆるフライトアテンダント、
飛行機で接客する、
チキンオーバービーフじゃないですが、
機内食というのに、
機内食が出る飛行機の時に、
牛肉がいいですか、
鶏がいいですか、鶏肉がいいですか、
という風に聞いて、
それでお弁当というか、
機内食が出てくるという話じゃないけど、
そういう時とかの、
フライトアテンダントさんに対応が、
航空会社、
全てを決めるみたいな、
大げさだと思いますよ。
そういうのが全てじゃないですか、
窓口対応とか、
そういうことですよね。
その意識を持てっては、
僕は思わないですけど、
そこまで言わないですけど、
でもそういうのはありますよね。
新しいお店に行った時に、
この店員の対応が悪いなと思ったら、
その店に行かなくなりません?
とか、
その商品の品のどれが悪いなと思ったら、
行かなくないですか。
そんな感じで瞬間的に判断しているんですよね。
ということは、
リスナーというか初めて来た人も、
このラジオは案内もないんだなと。
お前は何者だってことも、
案内ないんだなってことで、
一応仕事クリエイターも
行ってますから、
仕事クリエイターなんぞやと、
説明がクッソ長くなるから、
いいやってやってるんで、
そこはちょっとごめんなさいですけど、
ただどういうことをやってるかってことは、
うまく説明できてはないんですけど、
うまい説明は多分ないと思いながら、
あの手この手でやってるんですけど、
毎回何か遊びながらやってるんですよ。
そういう演劇の人、
劇団の人、
劇団の対応というのが、
初めての方向けの案内を毎回してて、
ラジオにおける初めてのリスナーの重要性
この劇団は信頼できるというか、
そういう人に余地があるんだなってことで、
そういうことをやると、
初めての人も、
例えば、ないかもしれないけど、
僕が誘うときに初めての人でも
こういう風に言ってくれるから、
楽ですよね。
そうそうそう。
そういう若がりじゃないけど、
若がり一つが、
違う人の、初めての人向けとか、
例えばスポーツ観戦とかでもいいじゃないですか。
スポーツ観戦も、
知ってる人には当たり前だけど、
初めて行く人は分からないわけですよ。
っていう人向けに、
案内があるのはいいんでしょうね。
それは知ってる人とか、
すでに何回も聞いてる人にはちょっと、
耳障りというか、
ノイズになるかもしれないけど、
でもまあ、いいじゃないですか。
それは初めての人向け。
それを言うなとか言う人がいるコミュニティとか、
場だとよくないですよね。
いわゆる、古参ですよね。
古く参加してる人が幅を大きかせ、
新しく来る人、新参者として、
来るなと、
いう圧を受けてしまうので、
初めての方は大歓迎、
っていう風に言うからには、
説明しなきゃいけないんでしょうね。
そういう風にね。伝わりますか。
この番組自体もですね、
配信してる方も多分聞いてくださる方が多いと思うのは、
これはまさに演劇と一緒で、
身内というか、
別に身内とは思ってませんよ。
ごめんなさいね。
配信というところで、配信者というカテゴリーになると
一緒になるわけですが、
そういう配信者向けの話って、
多分、
面白いかもしれないですね。
ただ身内化しますよね。
要は固定化されるので、
配信者向けの話をしてもいいんだけど、
そうする場合は、
新しく聞く人向けとか、
新しく番組をやる配信者さん向けとか、
という風に
メッセージを立てているかどうかで、
だいぶ番組の印象は変わるんでしょうね。
もちろん、
それをやりたいかどうかもありますよ。
あるし、
そういう企画というか、
そういう番組なのかどうかもありますから、
一概に言えないんですけど、
僕はそういうのは
演劇と配信の関連性
大事かなと思ってやってます。
初めての人向けっていうのは、
常に初めての人が聞いてくれるとか、
もしくは、
この言葉を発しているが、
分かっていないんじゃないかってことで、
さすがにそんなに
聞き返してないんですけど、
ゲストの方を呼んだときに、
そのゲストを、別に僕と関係があっても、
どういうことなんですかっていう風に
触れるかどうかっていうのは、
僕が知っているから聞いているわけじゃなくて、
リスナーで初めて聞く人がいるので、
というか、
絶対知らないわけですよ。
僕が呼んでくるゲスト、
失礼な言い方かもしれませんが、
僕が呼んでくるゲストの方の話は、
分からないわけですよね。
なので真っさらな状態のリスナーを想定して、
その人向けに説明をしている
という感じでやっています。
それが技術としてどうかという話は
なくて、
なんだっけ、
僕と、
その場合ゲストの人と話している。
そのもう一人、
知らないけど、
僕と話したっていう謎の概念ですが、
ちょっと通りすがりの方じゃないけど、
話聞いてもいいよという人がいて、
ちょっと時間を取っていただいているので、
こういう感じでしゃべるので、
質問があったら聞いてくださいね、
ぐらいのノリで、
その人から見てというのを常に想定する。
なので脳が疲れるわけですよ。
当たり前かもしれません。
要は自分とその人の話だけだったら、
相手の理解をする、
僕の話を伝える、
この2個でいいんだけど、
その人は食っている。
それは並列処理をしなければいけないので、
たぶん、
イメージでいうとお腹が減るわけです。
それをゲストトークした後って、
めちゃくちゃ腹減るというか、
それをね、
腹減ることを感じてくださいと、
そんなことは言わないですけど、
まあまあありますよね。
逆にそこでお腹空かないとかという人は、
たぶんそこで脳を使っていないので、
あんまり考えていないですよね。
そこで言ったら、
全員的に回すかもしれませんが。
だから、
面白い話で対談とかあるわけじゃないですか。
インタビューとか。
それも、
脳を使っていないというか、
対談風にしているだけで、
何も話が深まっていかないというのは、
そういうことなんだろうなと思います。
つまり、よくわかんない。
例えば、
相手のことを理解しようとしていなかったら、
腹は減らないし、
初めての人というのは想定していなかったら、
腹は減らない。
だから、想定していなかったら、
腹は減らなかったらダメというわけじゃないですけど、
証拠として、腹は減るんじゃないかなと思います。
疲れます、たぶんね。
疲れなかったら、たぶんそこを使っていないのかもしれないですよね。
筋肉痛にならないというかね。
まあ慣れていて、
それをずっとやっている人は、
そんなに気にならないかもしれないですが、
そこまでいくとかなりの手慣れで、
それこそプロインタビュアーじゃないけどね。
いわゆる職業として、
仕事としてやっている方かもしれませんね。
そんな感じでですね、
劇団でそういう体験をしたというかね、
いいなと思ったので、
僕もそういうのを取り入れて、
でもこれは何度も言っておきますが、
始めた当初からそんな気持ちでやっているわけじゃなくて、
僕がそんな配信を続けていくことで、
変わっていったというのが一番大事かと思います。
要は、
それを僕は自然というか、
オーガニックという感じになるんですけど、
要はその不自然に、
誰かに言われて、
やらざるを得ないから、
初めての人を意識する重要性
いやいや紹介しているわけじゃないんですよ。
いやいややってないですよ。
それ出ちゃうじゃないですか。
嘘をつけないから。
だから自分がやりたいタイミングでやってくださいって話なんですよね。
だからこれを聞いた方で、
配信社の人がいて、
自分のラジオでもやろうかなというのも、
全然ありがたいんだけど、
それは自然じゃなくて、
自分がやりたいと思ったらいいじゃないですか。
じゃなくて、
誰かに言われたからやらなきゃいけないかな、
みたいな時ってないですか。
やっぱり紹介はしなきゃいけないよね、みたいなそういう。
なんかあるじゃないですか。
言われているやつね。
マーケティングとかもそうですよ。
SNSは毎日発信しなきゃいけないとか。
そんなクソくらいですよ。
ちょっと言葉が悪かったです。
申し訳ないですけど、
そういう感じで要は、
ノウハウとかいろいろ言われるけど、
それは何なんですかね。
不自然なんですよ。異物。
異物混入です。
で、
ノウハウ自体は否定しないですよ。
だけど、
毒は薬にもなるし、
薬は毒にもなるっていう話で一緒で、
結局ですね、
接種の仕方とか状況次第なんですよ。
だから、
そのものを否定するわけじゃなくて、
オーバードーズと言われる過剰接種ってやつがあると思うんですが、
要は、
例えば薬もいっぱい飲めば死ぬわけですよ。
てか水も飲んだら死にますからね、
飲みすぎたら。
今コーヒー飲んでますけど、
飲んでますから、やりすぎなんですよね。
だからノウハウばっかり追い求めてる人が、
それは成功するわけないじゃないですか。
ここで言う成功っていうのは、
行動して、結果を出して、
それが成果に繋がっていく、
その人が定義する何か良さそうなことっていう意味で
使ってますが、できるわけないじゃないですか。
なぜなら、その接種の仕方が、
自分の中の接種ってことを
仕方を考えてないからですよね。
で、接種の仕方も、
自分が考えるっていうのも、
自分だったらこういう風にした方がいいなっていう風には
っていうことですけど、
そして、それで行動していくってことがなければ、
結局、薬を提供してるのに
毒にしてたりされてるね。
わけですよね。
逆はないわけですよね。
毒を提供してるんだけど薬にすることにはできなくて、
それはあなたは毒を出さないでっていうような
感じになるわけですよね。
でもこれは皮肉ですが、
薬でこれがいいよって言ってるんだけど、
その薬を提供すると、
接種しすぎて毒になってるっていうのが、
なんか、
ハマってないパターンってやつですよね。
まあまあ、よくありますよね。
だからこそ、自分のやり方とか、
自分が自然にできるやり方っていうのを、
多分考えないと取り入れられない
って感じですよね。
どうなのかなと思います。
そういう感じです。
で、そういうわけでですね、
えっと、ごめんなさい。
しごくりに話を戻せば、
結局、初めての人っていうのが非常に重要になるわけですね。
接種の仕方と効果
だから、今回も
いくつか出てきたように、
初めての人向けに話をするっていうのが、
ラジオ的には。
もしくは、このラジオを聴いていて、
ゲストを呼んできたときに、
初めての人向けに説明してるっていうのは、
別になんか、
初めての人からお金もらえないじゃないですか。
もらってるわけでもなく、
成立できないですからね。
その人たちを意識して届けないと、
価値が減ずるっていう意味じゃないですよね。
で、あと、別にこれ、
子産のフルーク、
いないと思うんですけど、
最初から、
2023年1月からずっと聞き続けている、
紙リスナーみたいな人がいて、
多分いないと思いますが、
いたら教えてください。
で、
そういう人が、
権威で、
その人のもとに全部ひれ伏せみたいな、
その人の言ってることが正しいみたいなことでもないし、
その人がしか、
子産のリスナーしか喋っていけないとか、
意見を伝えてはいけないとか、
っていうのはないですから、
そういうものなんで、
この番組っていうのは、
そういう新しく聞く人とかに、
開放していると。
当たり前なんですけど、
そうやって意識していかないと、
忘れちゃうんですよね。
言っている自分も忘れてしまいます。
だから、これ本当に伝わっているのかなとかね。
これって初めて聞く人にとってはどうなんだろうね。
って思いながら、
いろいろ、
堂々巡りじゃないですけど、
話しています。
なんで、
手ごくりっていう意味では、
サービスですよね。
新しく自分が何かやりたいですっていうね。
ラムネの話、いっつもしているのでやめましょう。
メモ帳があって、このメモ帳、自分はいいなとか、
あと文具があって、ペンがあって、
この文房具いいなと思う。
SNSとコミュニケーションの課題
そういうのを作りたい、商品に返す。
作って、
僕自分がいいと思うんだったら、
他の人もいいんじゃないかと思う。
全然いいと思います。
やるじゃないですか。
全然違うところの視点ですよね。
初めての人の視点で、
なんで自分の文具をみんなが見てくれるんだろう。
見てくれていない状況ですよね。
っていう話ですよ。
なんでこんな風にやってるんだけど、
反応がないんだろうみたいな時に、
冷静に見た時に、
そんなの触れられないし、分からないじゃないですか。
個人が作る文具なんて、
怪しいというか、
何なんだろうねってなる。
もちろん今の話はオーバーではあるんですけど、
でも例えばクラウドファンディングしますとか、
SNSが新しく始めました。
誰か見てくれます?
フォロワーとかいいねがつきます?
ってなると、
そんな作るわけないんですよ。
クラウドファンディングなんて、
よく達成率がどうとか言うけど、
それはクラウドファンディングのコンテンツというか、
やることがいいというよりも、
その趣旨に賛同するという意味での
伝えることは大事ですけど、
その人の情熱というか、
必死に来てくださいとか、
元々の
繋がりですよね。
だから繋がりがなかったらダメって言わないですけど、
元も子もないことを言えば、
繋がりがある程度なければ、
成功しないってあるんじゃないかなと思うんですよね。
クラウドファンディングなんてね。
それが全部可視化されているわけではないし、
見えないじゃないですか。
でもそんなものというか、
そんなにいきなり始めて上手くいくってことはないからこそ、
初めての人向けっていうのを
忘れるわけですね。
これは思考の盲点ということで何度も言っていますが、
簡単に言うと、
サービスとか企画とか経営とか、
企業、
何かやる人というのは、
立場というのはサービス側に立つわけですね。
要はさっき言ったらペン、
文房具を作る側だから提供します。
それを使うユーザー、
利用者やお客さんがいる。
それは、
別にペンを企画する人じゃなくて、
ペンを作る人じゃなくて、
ペンを使う人じゃないですか。
だから作る側と使う側が便利的に分かれます。
その時にまさに、
作る人は、
使う人の気持ちを忘れます。
忘れがちになるってやつですね。
今度は逆で、
使う人は作る人の気持ちを分からない。
だからペンを僕は今持っていますが、
これをペンを持つ時に、
作り手がこういうことを考えたんだなって思います?
思わないじゃないですか。
ペンは文字が書けたらいい。
もちろんクリエイターみたいな人とか、
その感覚が鋭い人は、
あらゆるものをペン、
使うものに対して、
こういうクリエイティブがあるんだ、
こういう仕組みがあるんだ、
こういうアイデアがあるんだってことに気づくわけです。
それはあると思います。
そういうことを否定しているわけじゃなくて、
そういうのはないわけじゃなくて、
盲点なんで、
ペンを使っている時に、
このペンいいなっていうのは、
ペンのクリエイティブを考えない。
作る側は考えない。
ペンを作っている時に、
このペンの使い勝手いいよねっていうふうに、
作る側はなかなか思えない。
人間の学習機能とかっていう、
その感覚にあるんじゃないかなと思います。
これ思考の盲点で、
僕は無くならないと思います。
だから盲点と言っているのは、
あるんだけど気づいていないって言うんですから、
気づいていないんですよ。
なんで、これ解決策はあまりなくて、
その盲点というか、
その立場の違いは絶対あるから、
切り替えましょう。
その立場に立って考えるっていうのが、
難しいと途中で言いましたけど、
あえて違うことをやって、
切り替えさせるしかないんですよね。
よくありますよね。
なんて言うんだろう。
だからわかりやすく言ったら、
SNSで例えばインスタグラム始めたら、
みんな見てくれるとか、
X始めたら見てくれる、
ノートもみんな見てくれる、
あとYouTubeなんてね、
何度も言ってますけど、
登録者数3人ですから、
3人で別にひげするわけでもなく、
そんなもんなんですよ。
わかります?
そんなもんなんですよ。
だからそんなもんが悪いわけじゃなくて、
そういう数字が出てくるわけですよ。
そうそうそうそう。
で、仕事に行って、
もしくはサービスを作るとか、
起業するって、
そういうところに向き合わなきゃいけなくて、
SNSで起業だとか言ってるけど、
全然見てくれないし、
全然うまくいかんなんて人は、
ゴロゴロ言うだけですよ。
それを失敗だから、
恥ずかしいから、
言わない人が多い。
そもそもチャレンジする人が少ないと思うので、
どうかなと思いますけど、
そういうところで、
発信の重要性
全然うまくいかなかったって言うんだけど、
でも、そこで一つだけ言うならば、
今の話に寄せるならば、
それはただ単に発信したいだけでしょ。
発信側に立ちたかっただけでしょ。
確かに発信側に立ったんだけど、
それを使う側から見られてますか、
見てますかって言った時に、
見られてないことが多いわけですよ。
ごめんなさいね、偉そうに言ってますけど、
僕もできてないことが多い。
だから思考の盲点であり、
やってみて、
うまくいくことはないってことを感じましたと。
まさに感じてる方がいらっしゃるかもしれない。
その時に、
どうできるかってところが、
どうやっていくかってところがポイントなんですね。
これは正解ないし、
こうすればいいなんてないですよ。
あったら、みんな成功しますよね。
だから、
こうすれば成功するなんていう人が、
僕の中で一番不散臭いというか、
一番怪しい。
トップオブトップですね。
もちろん自信があって、
再現性があって、こうやってやればいいんだっていう人が
いるかもしれないけど、
それはあなたがそういう風に考えたノウハウであり、
そういう考え方であって、
考え方の一つ程度に過ぎないですよね。
状況や文明が変われば、
全く違いますし、
よくあるのが、社会の状況なんて変わっていくから、
常に変化していくわけですよね。
もちろん本質として、
人は話したいとか、
社会の中に生きたいとか、
もちろん一人になりたいとかもあるかもしれませんが、
矛盾を抱えたりというのは、
多分あるわけなんで、
そういう本質的なことは変わらないかもしれないですね。
変わらないかもしれないけど、
考え方の一つぐらい捉えておいて、
自然に自分が、
そういうのがあるかなと思って、
捉えられるならやった方がいい、
という話になります。
仕事の問題は話が長くなるので、
これぐらいにしたいと思いますが、
今回は初めての人向けに、
良い印象を残す
意識してみるという、
こうやってまとめてしまうと、
すごい当たり前のこともしれませんが、
僕の演劇での体験で、
いいなと思ったこととか、
気になる方は、
真実の瞬間とか見ていただいて、
そういう一期一会じゃないんだけど、
そこで触れたところの体験や感覚が、
そのサービスを決めるというのは、
あると思うんですよね。
多分、これは分からないですよ。
だけど、僕のポッドキャストを
聞いてくれていただいて、
この人はいい感じだなと思っていただいて、
一生聞けとは言いませんが、
たまに聞いてくれる人で、
なんかおかしさんという人いたな、
アイデア出しとかやってたな、
リサーチとかやってたな、
聞いてみようと思う人が、
もしかしたらいるかもしれませんね。
別にそういう依頼がいっぱい来てるわけじゃないですよ。
だけど、
ここで印象として悪かったら、
もう二度と来ないじゃないですか。
見ないし聞かないじゃないですか。
それだけなんですよ。
だからみんなにみんな、
八方美人ですね。
みんなの皆さんが、
いいですよ、聞いてください、ニコニコ、
っていう風にしてるわけじゃなくて、
全然そんな気持ちはないです。
刺さる人には刺さってくれればいいかな、
くらいの感じの聞き方で。
とはいえ、誰でも聞くなっていう風に
厳じてるわけでもないですから、
だったら別に後悔する必要ないですからね。
誰でもいいわけじゃないんだけど、
出しつつ、
聞ける人は限定されてくるよね、
っていうようなことと、
同時にみんながすぐ出したら
聞いてくるわけじゃないっていう、
いろんなものを混ぜこぜにしながら、
その中でやっていくっていうのが、
なんていうんだろうな、
活動。
私語繰りでもいいし、
私語繰りじゃなくてもいいんですけど、
プロジェクトの活動とか、
やっていくことなんじゃないかなと感じました。
どうでしたでしょうかと、
今回終了したいと思います。
ここまでお聞きいただき、
ありがとうございました。
四国レジオ大橋でした。
以上失礼いたします。
45:13

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