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2024-10-08 11:18

やれるのと、言ってるだけは全然違う

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今回グダリ気味なので、流し気味でオネシャス!😆
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サマリー

このエピソードでは、実践が伴わない知識と体験に基づく知識の違いについて議論されています。特に、情報の真の価値が実際の経験から生まれることに焦点が当てられ、インターネット上の情報へのリスペクトの欠如についても触れています。

体験と知識の違い
シゴクリラジオ
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回も、シゴクリラジオを始めていきたいと思います。
今回のテーマとしては、やってみないとわからない、もしくはアウトプットですね。
兵役とか、当たり前のことが書いてある、みたいな、そういう情報に出会ったことはありませんかと。
非常に言い方が難しいんですが、書くのと体験して書いているのと、体験していない人が書いてあることに対して何か言う。
それが全く違うと、そのあたりで今回話していきたいと思います。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオの大橋です。今回ですね、ちょっと冒頭長くなりましたが、書くと、自分の体験を書く、もしくは学んだことを書く。
俗に言うと、インターネットを検索して誰かが言ったり書いたりしているから、すごく乱暴に言えば価値がないみたいな話なんですよね。
価値がないというのは、本当に価値がないわけではなくて、価値がないと感じますと。
そういうレビューというとちょっと限定的ですが、指摘というんですかね。
例えばですが、企業ってあるじゃないですか。リスナーのあなたが企業をしているかわかりませんが、企業をしていない人から知ったときに、
というか大きな人は企業をしていないんですよね。10人に1人も企業をしていないと思います。数パーセントですかね。
100人に1人くらいしか企業をしていない。企業をしたことが、僕はあるわけです。今も企業をしているというかね。
やっているんですが、そのときにですね、企業をしていない人からすると、リスナーのあなたが企業をしていないとして、お勤めとか違う形態で働いていると。
そうすると企業をしている人がすごいと思うわけですよね。例えばですよ。
じゃあ、別に僕はすごいとか思っていないんですが、企業を、例えばそういう人からですね。
私も企業をしたいよと、僕も企業をしたいよということで、ビジネスの企業本みたいなやつを読みやすくするじゃないですか。
本じゃなくてもいいですよね。ネット記事とかでもいいですよ。
そしたら、例えばですよ。企業はちゃんと考えてやってくださいと。もうちょっと言い方があるんですが、そんなことは書いてあると。
僕もちゃんと一社目に友人に立ち上げて、うまくいかなかったわけなんですけどね、結果的に。後悔はしていませんと。
それって、僕も同じことを言って、ちゃんと考えてやりましょうと。
でも僕としては、また戻ったらもう一回同じことをやるんで、やらざるを得ないんです。
なので、そこは全然後悔はしていないんですけど、例えばですよ。ちゃんと考えてやってくださいみたいな。
もしくはちゃんと計画を立てたり、企画じゃないですけど、いろいろ考えてやってみてくださいと。
別にそれぐらいは言えるんですけど、自分もどうかなと思うので、アドバイスってなかなかしづらいなという話もなってくるので、
ちょっとここは切りつつ、戻り戻しますと、そういうどこにでもあるようなことを言っているみたいなことを、例えばですね。
僕が言われたとするわけですよ。言われていないんですけど、仮想でね。
で、困ったなと。分かりますか。困るんですよね。困るというよりは、どこかに書いてあるとか誰かが言っているから、
僕が言っている、さっきも話しているんですけど、企業はちゃんと考えたほうがいいよと。
だから他のところも書いてあるから意味ないんですよねという感じ。
こういう方に出会ったことがある人がいれば、ストレスになるから申し訳ないなと思うんですけど、ちょっと笑ってあげて、
そういう方もうまくいらっしゃるようになるのが、ある種の経験とか実績があるというのが、
笑って、すみませんねぐらいの、むしろちょっとごめんなさいねぐらいの愛想でやれるのがいいのかもしれないですよね。
で、何でだろうなと思ったときに、それは僕が一番大嫌いな言葉がありまして、大嫌いというのもどうかと思うんですけど、
インターネットに落ちているという言葉を使う方いませんか。
別に誰かが話して使ったからあげらしといて、いやーいい使ったーとか言わないですけど、僕はあんまり使わないですね。
使いたくない。だから多分使ってないはずです。
落ちてるってなんだよみたいな思うわけですよね。
落ちてないんですよね。
AIが勝手に作っているやつは知らないですよ。
AIを勝手に作ったやつを誰かがあげているのは知らないですけど、あと自動生成の機種とかあるのかな。
ちょっとわかんないですけど、例えば僕が割と結構考えてとか考えたものをアドプトしているわけですね、ブログとか。
それを見てインターネットの落ちているとか言われたら、ちょっとイラッとしますね。
リスナーのあなたが一生懸命考えたり、これは自分が考えたから、著作権がどうとかじゃないんですよね。
考えたから落ちているわけじゃないんだよみたいなことを思うわけですよ。
それに対してインターネットに落ちていたから適当に持ってきたみたいな人は、ちょっと著者に対するリスペクトが足りなすぎるんで、
別にコピーしてもいいんだけど、誰が書いているくらいは書いておいてくれやっていうね。
本当は駄目ですよ。引用の仕方もあるんで、無断転載になりますからね。そこは駄目なんですけど。
そこは置いておいて、そういう書き手に対するリスペクトみたいなのがないと、僕は嫌というか嫌だなと思うんですよね。
そういう人からすると、リスペクトしていない人からするとインターネットが落ちていて、
例えば僕の企業の体験からして、ちゃんと考えてやってくださいというのも刺さらないでしょうし、
それはどこかに行ってやるから役立たないんですよねということを、その人の視点では言ってきちゃうんですよね。
まあまあまあ、そういうのはその人の立場もわかるんでいいんですよ。
いいんですけど、結局何度も言ってますけど、自分が気持ちよくなるみたいなアドバイスとかって、
もはやキャバクラとかいったら怒られるかもしれないですけど、お金を払って気持ちよくさせてよと、
自分の話を聞いてくれと、そういう商売ですよね、そこまでいくとね。
アドバイスをするって、そういう商売もあるかもしれませんよね。その人を気持ちよくさせるみたいなね。
でもありにくいですね、そういうことはやってないんですよね、僕はね。やってないです。やる気もないので、
ちょっとお店というか人が違うよねっていうことは言うし、もしくはそうならないようにしているっていう状況がある中で、
事故みたいな感じでですね、インターネットが落ちているとか、他で書かれてたんで別に当たり前のことは言ってます。
受け手の姿勢
それですね、どうなのってことになるわけですよ。
ここで、すいません、ちょっと長くなったんで、そろそろ切っていこうかなと思うんですが、
冒頭に少し申し上げたようにですね、例えば逆ですね、自分のことは置いといて、人が書いたり言っていることに対して、
それがどこから言っているから価値がないよねってことは、僕は相当に思わないんですけど、
その人が本当に思ったり考えているってことだから、それはその人の生き様とか生き方とか考え方とかね、
なんでその通りなんだなっていうふうにある種受け入れてしまうんですよね。
もちろんそれが反射ができるとかね、そういうのはちょっとよく分からないんですけど、
その人が言っていることだから、その人のある種真実だから、その人はそうなんだなっていうふうに受け入れると。
それがですね、これは言っちゃうともう終わっちゃうんですけど、その学び手ですよね、聞き手側ですよね。
その人がどう言っているかとか言っているかは、もうぶっちゃけ発言とかね、変わらないとか、教科書なり新聞とかなんでもいいですけど変わらないんで、
あとは受け手ですよね、例えば読み手側ですよね。受け手がどう学ぶかってことなんで、そこは学び手側の姿勢だなってことは思ったりします。
なんかちょっとグダってますが、そんなふうにですね、言っているだけと、もしくは分かったって言っているだけって感じですね。
分かったとか言っているのと、本当に実践して分かるのは全く別だよねっていう話を多分言いたかったんじゃないですかね。
ちょっと雑ですけど、こんな感じで今日は終わりたいと思います。
だから別に軽い言葉を発しちゃいけないとかそういうことじゃないんですけど、
言葉の上っ面だけ見てどうこうって、全然良くないなというところですね。
実際そういう言葉って悪いふうに使われたり、うまく回っちゃうと全然ダメなんですけど、あんまりないかな。
あんまりないからいいかなとは思うんですけど、そんなことを思ったという話となります。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
四国ラジオ大橋でした。
以上失礼いたします。
11:18

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