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遊ぶといえば、何でも面白くなるのではないか説
2026-05-07 43:25

遊ぶといえば、何でも面白くなるのではないか説

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サマリー

本放送では、「遊ぶ」という行為が持つ可能性について掘り下げています。数学の学習を例に、単に知識を詰め込むのではなく、疑問を持ち、探求する姿勢こそが学びを深め、面白さに繋がることを示唆しています。さらに、仕事や日常生活においても、「遊ぶ」という意識を持つことで、既存の枠にとらわれず、創造性や新たな発見が生まれる可能性を説いています。コンテンツを消費するだけでなく、自ら「作る」視点を持つことの重要性を強調し、遊びと創造性の密接な関係を解説しています。

「遊ぶ」とは何か?数学から考える学びの原点
はい、シゴクリラジオ大橋です。よろしくお願いいたします。このシゴクリラジオは、パーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。よろしくお願いします。
ゴールデンウィーク明けということで、休まれた方、お仕事あった方ということで、状況はわからないですけど、私は休んでいまして。
遊ぶということですね。今回のテーマは、遊ぶって何ですか?みたいな。結構難しいんじゃないかなと。
で、数学がちょっと面白いんじゃないか。算数、数学、なんでそうなってんの?みたいな話ですけど。例えば、一次関数YイコールAXプラスBというのがありますが、なんで直線なの?みたいな。わからなくないですか?みたいな。
でもですね、それを証明することができたり、もしくは、球の体積を証明するのがすごく難しいみたいな部分じゃないですか、積分か。なかなかね、数学が苦手だと。僕もそうですが。
何だったんだろうなと。学び直しではないんですが、何か振り返っているところです。何で分かりづらかったんだろうか。もしくは、何で分かろうとしなかったんだろうか。もしくは、何で周りの人は教えてくれなかったんだろう。別に恨み物質ではないですけどね。
それって能力にしていいんだろうかなって思ったんですよね。環境みたいなやつって、能力。わかります?要は周りに教えてくれる人がいないだけであって、その人が別に数学ができるできないは関係なくて、周りの環境で決まってしまうんだよと。
例えば、数学の、何だっけ、ナバさんでしょかな、著者がルールと事実が違うという話をしていますと。ルールっていうのは決められているのでそれに従うしかないんだけど、事実はルールから導き出された、証明がされたものなんで、その通りだっていうことですね。
でも、ルールと事実を混同し、ルールを事実だと思うと。ルールから証明されたものを乗っ取って事実が出てきたんだったら、別に一緒じゃんっていう人もいるかもしれませんが、ルールと事実は別なんですよね。
ルールは変わる可能性が絶対ないわけじゃないんだけど、事実の方は変わりようがない。基づいたルールが変わってたら変わるんですが、証明されたらもうそれは事実として認識される。
そういうのって難しいことを言っているように思われる方がいらっしゃるかもしれないですけど、非常に大事だなと。だからその時の算数でもいいし数学でもいいですけど、なんでこうなるんですかっていう時に、そういうルールだよ、そういう風に決まってるんだよ。社会はこうだよ。大人だったらこうだよみたいなね。
例えば数学っていうのは役に立たないよねみたいな話っていうのは今年は一般にあるんじゃないかなと思います。特に例えば三角関数とか。確かにそれを取り上げて一個一個どうですかっていう風に言ったら、例えばここに鉛筆があるんですが、この鉛筆を持って字が書けることって役に立つんですかって言われた時に、こういうことに役に立つかもしれないねっていう風な、
言えるかもしれないんだけど、社会生活を営む上で使うよとか考える時に使うよって言われてもピンとこないわけじゃないですか。書く支援がなければね。自分で書かずに誰かに書かせるっていうような生活スタイル環境があればいらないわけで。
そういうのってありませんか。だから役に立つとかどうかっていうのは、あんまり数字が良くないなって僕は感じてます。だから言いたいことは、役に立つとか立たないとかっていうのは置いといて、数学とかにおいて、
自分がわからなかった子供の頃でもいいし今でもいいんですけど、わからなかったことっていうのを放置したり、なんでそんな風になってるんでしょうって言われたものっていうのに、最後に返ってこれるからですよね。
なってますって言われてやってて、なんでだろうねって言われてわかんなくなるとか。そんなばっかなんじゃないかなと。その時に適切に教えてくれる人がいたりするっていうのはいい。
だけど、ここ難しいんですけど、学校のカルキュラムというか教える側の立場に立ったら、そんな全部教えてたら、そこに興味、なんでプラスって数が足されるんですかみたいなことを延々と楽しいっていう人もいれば、もうちょっと勘弁してよっていう人もいると思うんですよね。
その興味に応じてやることはできないわけですよね。興味があれば各自やってくださいみたいな。難しいですよね。
という意味で、ちょっとまとまりが悪いんですけど、それぞれの学びたいものを、なんでだろうねっていうのを疎開しない程度の何かっていうのを作れればいいんですけど、
現行の制度が良い悪いというのを置いておいて、難しいんでしょうね。制度というか先生もそうですし、先生が悪いというよりは環境が難しいんだろうなって思ったりします。
「遊ぶ」という概念の再定義:仕事とプライベートの融合
数学の話はそれでいいんですけど、今回は数学の話はどうでもよくて、数学で特に出てきたのが、数で遊ぶとか数学で遊ぶって概念なんですね。
別にこれ数学に限らず、今回お話したいのは何々で遊ぶという、冒頭の話も持ってきましたけど、ゴールデンウィークだから土日、あ、ごめんなさい。
祝日だから休みだから遊ぶっていうふうに、もしかしたら、そんな意識せずに遊ぶというふうに言われる方いらっしゃるかもしれないし、
仕事じゃなかったり、プライベートだから遊ぶというふうに言われているかもしれませんが、もうちょっと意識的に、意識高い系でもいいんですが、遊ぶっていうふうに言葉を使ってみたらいいんじゃないかって話なんですよ。
ちょっと長くなるので、今回冒頭の話が長くなりましたが、今回のテーマはですね、遊ぶと言えば大体面白くなるんじゃないか説です。
本当かいなと思った方いらっしゃれば、時間があれば聞いて一緒に考えてもらえれば嬉しいです。
今回は遊ぶと言えば大体面白いんじゃないか説について少し考えてみたいと思います。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、四国理ラジオ大橋です。すみません、長くなりましたが、今回のテーマは遊ぶという言葉にちょっと掘り下げまして、その遊ぶと言えば大体面白くなるんじゃないかという話をしていきたいと思います。
まずはですね、遊ぶって何ですかって言われた時に結構定義難しいなと思いました。
社会人の方で仕事を働いている方がいたら遊ぶ。じゃあ年金生活とか、あと主婦の方とか、いわゆる働いてないって言われて、労働してないっていうね、家事育児が労働だと思いますが、年金生活の人は年金がですね、2ヶ月に1回振り込まれるわけですが、その時にその人って無職ではあるんですが働いてないですよね。
じゃあ遊んでるのかって言われたら、ちょっとわかんないですよね。そのあたりで想像していただいて、仕事以外のことをやってたら別に遊ぶでもないかなって思ったりするんですよね。
仕事がある人は、要は自分のメインの活動じゃないことを遊びと思ったりするんですけど、ここでもっと混がらせると、企画職というかアイデア、僕のようなアイデアを考えたりする人とかは、特にクリエイターもそうですよね。
何か生み出す人というのは、日常と非日常みたいにあんまり分けてないです。で、何でかって言うとですね、例えばオンオフですね。仕事のオンオフって最近はないですかね。
要は仕事をやってる時はオンで、時間が終わってからオフになります。オフになったら自分のことをしますみたいな。もちろん仕事中に自分のことをするってことは、サラリーマンの人とかだったらなかなか難しいですし、業務委託でもそれは難しいと思うんで、混同を混在させろってことじゃなくてね。
一方で、学んだりとか気づいたことっていうのは、ごじょごちゃなわけですよ。つまり僕がプライベートで気づいたことがビジネスの方に役立ったり、お客さんのアイデアにプラスする、こんなのありまして、こんなの来ましたよっていうのがヒントになる。
それは雑談というふうに思って、まさに役立たないと思う人がいるかもしれませんが、それは違ってですね。めちゃくちゃ役立つし、まさにそういうのを求めてたりする。
なんていうんだろうな、越境みたいな話で、すごく極端に言えば、いかにプライベートのことを仕事とかビジネスに持ち込めるかってことですね。それはプライベートの話をしようってことじゃなくて、プライベートで得たことをそこに持ってこれるか。
それを切り分けてるから、量と質が上がっていかないとも言えるわけですね。質は言い過ぎだと言っても量は上がらないですよね。よくわかります?
仕事での成果、もしくはやり方を仕事の中で得たことでしかやらないと、成長とか学びとか考える時間って少なくないですか。
そうじゃなくて、プライベートで仕事しようとは言ってないですよ。そこが難しいところなんですが、プライベートの時間でもちょっと考えたり、もしくはプライベートで得たこれのやり方を仕事でもできないかとかね。
もっと言えば、例えば受験勉強みたいな話がわかりやすいかわかりませんが、塾でしか勉強しませんっていう子じゃなくて、家でも勉強します。学校でも勉強します。塾でも勉強します。
単純に勉強時間ですよね。勉強している。そこでは受験勉強ですね。総量が多い方が当然様々な問題を考えているし、体験しているし、練習している人が多いので、その時間が少ない子よりも受かりやすいんじゃないですか。もしくは覚えてるんじゃないですか。
それは暗記してよって話じゃないですよ。そこで自分なりのやり方を考えたり、間違えることが多かったら、10回やって9回失敗して1回成功しているよりも、1回やって1発で成功したからもういいよっていうふうにした場合、1回で成功して完璧だよっていう人がいるかもしれないけど、実はその子はあと9回やってもう1回やってみたらすごく難しかったってことはありません。
数学なんか特にそうで、これ自分で解説して解けたよね。じゃあやってみようと思ったら、あれ?全然できないみたいな。それは別に数学じゃなくてもアイデア出しでもあるかなと思ってまして、違和感発想法なんていうものを僕は言ってるんですけど、簡単なのができるなって思ってやってみたら、自分でやってみるとなかなかできないね。よくありますよね。ものすごく分かります。
だから、世の中の習得したり学んで何か教える、もしくは何か考えて自分でやってみるということが、いかに量がいる、倍々いるっていうかね、想定しているよりも倍以上はかかるよねって、もっとかかるかもしれないですね、習得ってね、理解するということになってくるんじゃないかなと思ったりします。
なので、基本的には僕のスタンスは分けない方がいいんじゃないかっていう感じなんですよね。
遊びの質:コンテンツ消費から創造へ
その辺で、もう伝わったかもしれませんけど、遊ぶっていう言葉を使ってみたらいいんじゃないですかって話なんですね。子供の頃、もしくは子供、お子さんがいらっしゃるのはわかるかもしれませんが、中で遊ぶ、外で遊ぶみたいな。
すごく漠然としてないですか。外に行ったら遊べる。公園で行ったら遊べる。要は何か遊ぶんですよね。何か見たり観察したりことです。前、遊びの定義をもしかしたらしたような気がしました。世界に介入しその反応を得るみたいな。
何か言ってたような気がするんですけど、本当にそれですね。間違ってないんじゃないかと思いますけど、そういう行為をすれば、少なくとも僕は、Nイコール1って僕の家の話ですけど、面白くなるんじゃないかなと思ったりします。
大人になって外で遊ぼうなっていう人ってあんまりいないですよね。僕が覚えてるだけでも、小学生か中学ぐらいでギリギリ、小学校ぐらいですからね、外で野球じゃないけど、キックベースみたいなやつとかね、ボールをサッカーみたいに蹴るやつとか、キックサッカーみたいなやつとか、自分たちで遊びを作ってそれで遊んでたのがギリギリ小学生ぐらいだって、中学生ぐらいになるとそういうことってしなくなりますよね。
だんだんボーリングだとかカラオケだとか、商業施設が既存の施設に入っていって、高校ぐらいになるとそういう遊びってほとんどしなくなってくると。それが悪いとかいいとかはなくていいんですけど、そこで失ってしまうものがいっぱいあるわけですよ。
失ってしまうものというのは、今言ったように外で遊ぶということができなくなるということですね。わかります?言ってること。
で、よくあるのが、今回は2つかな。まずそのライフハックみたいな話で気が向かないなみたいな話ですよね。
で、連休明けでちょっと仕事めんどくさいなみたいな時に、例えばですよ。仕事がめんどくさいわけじゃないですか。だけど仕事で遊ぶっていう風に言った時にどうなります?仕事で遊べます?っていう話で、もし仕事で遊ぶっていうなら何をして遊びます?
ここで遊ぶっていう体験というか概念ですよね。概念というか考え、イメージっていうのはものすごく少なくて、凝り固まってしまっている人だとゲームするみたいな具体的な行為。
例えば、スーパーマリオカートみたいなやつあって、それをやって、あれはレースゲームですね。ご存知のない方もいらっしゃるかもしれませんが、レースゲームでマリオをしている方が多いと思いますが、メジャーなキャラクターがカートに乗ったものを動かしていく対戦ゲーム。
ゲームをすることが遊ぶことなんだ、みたいな風になっている方がいるかもしれません。もしくはアプリでソーシャルゲームと言われているような、簡単にポイントを貯めて、経験値を貯めてレベルを上げて、時間が経ったらやるみたいな、ログインとアクセス、スマホに特化したようなものをソーシャルゲームと言ったりすると思いますが、パソコンのゲームでもいいですよね。
家庭用ゲーム機とかプレステとかもいいですし、人間のスイッチでもいいです。そういう家庭用ゲーム機を使ってゲームをすることを遊ぶだと捉えていると、仕事で遊ぶと言われた時に、仕事でゲームをするんですか?みたいな話になりかねないわけですよ。
どうですかね?リスターのあなたは何を想像できますか?遊ぶって。遊ぶっていうのは、これ結構難しいなぁと思ったんですよ。前の介入するみたいなことも言ったので、そのあたりもぜひ参考にしていただきたいんですけど、遊ぶっていう時にゲームでしか遊ぶっていうイメージがないと、ゲームしか遊べなくなるんですよ。
ちょっと音を立てちゃうんでやらないですけど、ここにペンがあって、ボールペンを置いて、鉛筆とかでやった子供が遊んだかもしれないですけど、ペン先立てて垂直に立てますと。
ノックするところを人差し指とかで一本持って支えて、それでどっちかの方向に飛ばすと、鉛筆とかにしてやると。
これ何かって言ってるとゴルフなんですよ。ゴルフは小学生でやらなくていいんですけど、ゴルフ僕はやらないですけど、ゴルフのグリーンに例えて鉛筆で飛んだ距離でボールが飛んだということで、それでパワーを目指すと。
難度でパワーが割れませんが。グリーンも手で描いてね。っていうゲームが鉛筆を置いて指で弾くというか芯を押し出すみたいな感じですね。ちょっと説明が難しいんですけど、誰でもできる遊びかと思います。
ものすごく気を抑えるわけじゃない。それをやるとゴルフができるわけですね。これって何だろうなと思います。確かにゴルフってスポーツをやってるし、卓上のメモとかペンで鉛筆でやってるから、これもゲームだって思う人もいるかもしれないんですけど、
ゲームにしては、ゲーム機っていう専用のものを使ってるわけじゃないし、鉛筆がないお家もあるかもしれませんが、メモ用紙がないお家もあるかもしれませんが、チラシの裏がなかったら置いておいて、紙はあるんじゃないかな、ノートでもなんでもいいんで。
それの上に鉛筆を置いたらゲームになるっていうことですね。一人でもちろんやってもいいし対戦してもいいですよね。そういう遊びって、発明というかどうやって遊べるのかなっていうふうに考えてやるわけです。
しかも相手がいたら、小学校とかの時に友達と遊んだっていう方が多いかと思うんですが、多分そこで隊員を学ぶというか、いろんな学級のクラスの子がいて、その子たちと遊んで何ができるかっていうことをやると。
ゲームをやるっていうのは、僕はあんまり好きじゃなくて、もちろんゲームはめちゃくちゃやってたんですけど、ゲームで遊ぶっていう感覚ってあんまり好きじゃなかったような気がします。どちらかというと体を動かす方、スポーツとか外でね。
なんでかっていうと、ゲームに奪われてしまうような感じなわけですよね。興味がドラクエとかロールペンゲームとか論外だと思うんですけど、遊びでロールペンゲームやる人いますけどね。まあ置いておきましょう。
ゲームをやる。プヨプヨとかでもいいですけど、対戦ものゲームをやる。そのゲーム自体に集中してしまうわけですよね。もちろんゲームをやることでその人のやり方とか考え方を理解するとかもありますが、それはあくまでゲームだけですよね。
ゲームですごい嫌な攻撃をしてくる人が別に社会生活で嫌なやつかって言ったら別にそうでもないわけです。そんな感じもしますけど。もちろん一致する人もいるかもしれないけどそれはわかんないです。
だからそこで話をしたりとか、一緒にコミュニケーションをしなきゃあまり理解が不困らないという意味では今言ったように鉛筆でゴルフゲームみたいなものを作って遊んで自分でやった方がクリエイティブというか、それが絶対いいと思わないですよ。
別にそれを毎回やるのがめんどくさいという人もいると思うんで、それを強制するわけじゃないです。だけどそれが遊んでるんじゃないかなって思うわけですね。なんか伝わりますか?
「何々で遊ぶ」の実践:抽象度を高める視点
気が向かない時に遊ぶっていうことを言ってみたらいいと。それは今仕事の話をしましたけど、別に仕事じゃなくてもよくて、数学って何?って思う方がいたらちょうどよくて数学で遊ぶんですね。数学で遊ぶとか数で遊ぶとか何でもいいんで、法定式で遊んでみる、グラフで遊んでみる、図形で遊んでみる、全部遊んでみたらいい。
僕は遊べてないんですけど、絵で遊ぶっていうわけです。イラスト、スケッチとかね。なんで?描いて遊ぶっていうね。描いて遊ぶってことですけど、それができる人とか、もしくはそれをやってみる。
目の前に新聞がありますが、新聞で遊ぶと言ってもいいし、文章で遊ぶ、言葉で遊ぶと言ってもいい。その抽象度が高ければ高いほど、多分その人が言ってる人は、何とかで遊ぶっていうのを意識しなくても、遊んでる人は、いう認識がある人は、もしくは認識をしなくても、まさにその遊んでる人っていうのは上級者と言いますか、解像度が高いというか。
よりやってる人かなと思います。数学で遊ぶということを真にやってる人は、数学を研究してる人とか、数学に詳しい人じゃないかなと思います。その人が別に数学初心者を、なんだよみたいな、初心者がみたいな風に扱うかというと、またそれは全然別なので、そうじゃない人が多いんじゃないかなと思います。
コーヒーで遊ぶとか、食べ物で遊ぶっていうのもいいですけど、遊ぶって言ったら、キャッチボールするとかそういうふうに、食べ物で遊ぶっていうことではなくて、それを使って何かおいしいものが作れないかとか、新しい料理、メニューを作れないかとか、違った扱い方ができないかみたいなことを考えるわけですね。
それを遊ぶと言っている。だから仕事で遊ぶと言ったら、その仕事自体が何かによるんで例がうまく出せないんですけど、例えば文章を書く仕事の人がいたら、その文章を書くときに決められた通りのやり方で毎回同じようにやっていれば飽きてしまうわけなんで、違うやり方をしてみようというのがまさに遊ぶという感じなのかなと思ったりします。
伝わりますかね。
遊ぶと言った人と一緒に話して、その遊びが生まれるからですよね。本当にそれだけだと思います。
ポートキャストもそうです。ポートキャストで遊ぶ、YouTubeで遊ぶ、サッカーで遊んでもいいし、読書で遊んでもいいですし、何でもいいんですよ。伝わってきますかね。
外で遊ぶも漠然としている方がいらっしゃるかもしれませんが、散歩で遊ぶ。散歩で遊ぶって何ですかと言ったら、散歩をしていて10歩ごとに左や右を見て、そこにあるものを探して面白いものを見つけてくるみたいな。
それが散歩で遊ぶという何か決められた、こうしろって話じゃないですよ、ものかわかりませんが、自分なりにこうしたら面白いかもしれないねっていうのを予測したり推測したり考えて、その遊びを作りましょうみたいな話ですよね。
今回は何々遊ぶって言ったときに、まとめに入ってくるんですが、ゲームで遊ぶみたいに既存のコンテンツを消費するんじゃなくて、別にマリオカートとかドラクエが悪いとかそういうことじゃないですよ。面白いコンテンツなんだけど、そのコンテンツに頼りすぎてないかっていう。
その消費してないかみたいな。じゃなくて逆なんですよね。自分でそのコンテンツ、遊ぶ何かを目指す。だから数学で遊ぶっていうのは、数学っていうものが別に遊ぶためのコンテンツじゃないわけですよ。
ゲームは遊ぶための試行品みたいな感じで特化されてるから、ついついそれをやると遊んでいるっていう感覚になるし、実は遊んでいるわけですよね。だけどそれ自分で作れるじゃないですかって話で。
料理で遊ぶもいいし、何なりで遊ぶって言ったときに絵で遊ぶでもいいし、文章で遊ぶでもいいし、なんでもいいです。そのときにそれを自分で作ればいいわけですよ。だから謎解きみたいなのが好きだったら、謎解きっていうコンテンツをやるんじゃなくて、謎解きで遊ぶっていう風にして、再定義して抽象化します。
遊ぶって言ったら、謎解きのコンテンツとかクイズとかクロスワードでも何でもいいんですけど、そういうクイズを解くっていうのを遊ぶとやっているって思うかもしれないけど、遊ぶっていうのはもっと上位というか、上位下位の意味は上とか下とかはなくて、抽象度が高いっていう感じですね。
遊ぶんで、自分でコンテンツを作る。つまり謎解きを作って差し上げると。ご自身で謎解き好きなら、それを作って誰かに解いてもらうっていう遊びもできるわけです。もしくは謎解き自体を企画して、それでイベントに来てもらうことも遊びだと僕は思っていいと思うんですね。
この辺、この辺り伝わりますかね。だから遊ぶっていう風にした時に、やっぱり大きいのは、今回の一番話で出てきたところで大きいのは、ゲームのようにコンテンツがあってそれを消費して楽しいよねっていうのを全然否定しません。だけど、そればっかりやっていると、自分で遊ぶって何ですかねとかいう時に、自分で自ら作りそれを試してみる。
だからクリエイターの人たちはそういう感覚ですよね。自分で遊んで自分で作ってみるって。それが面白いかどうかはまた別ですけど、自分で作ってみるっていうこと、それで遊んでみるっていうこと。もしくはそれを誰かに提供して遊んでもらうっていうことになりやすいのかなって思ったりしました。
仕事における「遊ぶ」:創造性と裁量の重要性
で、仕事で遊ぶも、これ初告示なんで、企業とかねビジネス作るってどういうことかなって考えていくと、非常に僕はこの遊ぶと作るは非常に似てるなと思って明らかになってくるんですけど、仕事で遊ぶって言った時に仕事で遊ばない仕事をやるみたいな時って、言われたことをやったり自分が気が済まないことをやったり、そういうものが仕事だよねっていう考え方のこともいらっしゃるし、別にそれは否定しないですよ。
だけどその考えでいくと、やらなきゃいけないなっていう風になっていく仕事がありますというだけですよね。そこに一味に持っていったら怒られるんだけど、クリエイティビティがなくて言われたことをやる。
でも業務委託とかなんて仕事をやってると分かるんですけど、裁量ですよね。自分の方に裁量があって、そんな範囲をどれぐらいコントロールし、それをどこまで入れていけるかっていうところがコッシーという風になってくるんで、何か言われた通りにやってます、そこにいたからいいですみたいな風な意識が低いとは言わないですけど、それだけだとそこに遊びや裁量へ余地がないから体験が膨らまないですよね。
さっきの受験勉強の例で言えば、塾に行って1時間勉強したらわかりますってことは多分ないんですよね。その1時間勉強するってことにより、勉強のスイッチを入れたり、家で勉強してた2時間3時間になったことがわからない部分を聞いてみるとか、使い方とか感覚なんじゃないかなと思います。
だから仕事で遊ぶという感覚っていうのは、仕事で何か言われたことをやるってことじゃなく、自分で提案とか、こういう風にしたらいいですかってことを考えていくわけです。でもそういうことをやれる人って少ないわけですよ。なぜかっていうと、やらなきゃいけないことで押しつぶされたり、それだけで終わる。もしくはそういうことを求められていない。もしくは求められても時間がない。
様々な状況や環境があるんですよね。多分ね。だけど、遊ぶって言ってるからにはやっぱり仕事で何か作る。仕事っていうところを、もしくは仕事自体をメタ的に言ったら作る。さっき言ったら遊び自体を作っているゲーム自体を消費するんじゃなくて、自分で作るっていうような感覚がものすごく大事なんじゃないかなと思うんですね。
仕事を作るっていうのは、ビジネスを作る企業をするという、なりわいでもいいですし、作ると。それこそ山を持ってたら木切ってそれを木材として売るみたいなことをやってみたらいいわけですよ。簡単に言ってますけど、実際にやるのは大変だと思いますよ。
よくハンドメイドグッズを売ったらどうとかって言う人いますけど、実際にやってみたら難しいんですよ。それを提供し、商品化し、提供し続けるってことなんで。でもそれは言うだけじゃなくて、やってみたらいいんですよ。
というふうに、まさに仕事で遊ぶ、もしくはビジネスで遊ぶ、なりわいと言いますか、仕事で遊ぶってことがまさに仕事クリエイターになるんですが、そういうことをまず経験として体験としてやってなければ何事も進まないのかなっていうふうに思ったりします。
職国理的に初めて聞く方もいらっしゃるかもしれませんが、そういう時に確実にうまくノウハウみたいなのがありますみたいなのは非常に怪しいわけですよ。
多分僕はないと思っていて、ここで言えるノウハウ的なものはものすごくシンプルで、やってみたかどうかなんですよね。自分で階段みたいに立って行った時に、いきなり何かハンドメイド作家ではできないし、
木材を山で加工して切ってとかはできないんだけど、まず何ができるんだろうとか、自分の持っている山の木がどれくらい育成されているのかとか管理がどうなんだみたいなことを数値化してみたり調べてみたり、他の人がどういう風にやっているかを考えていく。
いや、そんなのは誰でもできますよってもしかしたら言うかもしれないけど、多分誰でもできないですよ。実際に自分が山を持っていなかったらできないし、これから山を持とうとしても山を買うまでできないかとしますよね。まるで山のレンタルでもいいんですけどね。
実際にそれを着手してやってみる。その経験を蓄えていく。確かにこの1平米か10平米か分からない山の目的がいっぱいありますが、その中で木材をこれくらい取れて、その中でこれくらいは加工して時間がかかっている。もしくは自分でやったらこれくらいかかる。
それをデータとしてでもいいし、体験としてでもいいし、経験としてでもいいんです。それを蓄積して明らかにして、じゃあここまではできる。つまり山を持っていてこれくらいの面積があればこれくらいの木材はできる。しかしそれを売っていくことはできるのか?できますよね、当然。
売るというのは、その木材を加工品をそのまま買うのか。まるで山を買うんですかって話だし、それを加工したものだったら買うんですかと。看板材だったら割り箸みたいにしますね。加工場はどこにあるんですかみたいな。加工したらそれをどこに持っていくんですかみたいな。その加工した割り箸も誰が買うんですかって。割り箸どうですかって言われてもなかなか買わないですよね、個人の人だとね。
だけどお店で割り箸とかできたりお弁当で割り箸ができたら喜びますから、だったらその事業者側に持っていった方がいいですよね。じゃあその事業者で割り箸がすでに買っているところにどう割り込んでいくんですか。そこからスイッチというか変更する余地はあるんですか。これから新しいいい飲食店がどんどん生まれて変わっていくっていう。ラーメン屋とかは個人の店とかいっぱい出たり無くなったりしますから、そういう余地があるのかどうかとかね。
その辺りですよね、考えていく。そこまで行って初めてできるかどうかになります。だからそれをいきなりいいやというか一発でやってやれるのかなんて全部基準の空論ですし、それを一個一個確かめて自分の中でやっていく。もしくは自分でやるっていうのは全部自分で手を動かせってことじゃなくて、誰かにやってもらえるならその人に任せればいいですよね。
だけど勘違いしてほしくないのは誰かに任せるってことはその人に委ねるってことでもあるときにそれがコアなものでその人がいなくなったらやばいよねっていう柱が折れてしまうとか全部回らなくなるようなことは任さない方がいいですよね。それは何でもそうですよね。その辺り間違えてはいけないですよね。
そういう細かい話はいろいろあるんですが、ただ話を戻すと仕事を作っていくには本当にやるしかないですよね。くどいですけどね。それをやるしかない。思いついたアイディアや考えてみたアイディアをやってみましょうということになります。
「遊ぶ」ことの誤解と真の意味
今回言えた仕事遊ぶっていうのは大体面白くなるんじゃないか説はもしかしたら遊び自体を知らなければ意味がわからない話なんでそういう解説と言いますかね僕なりの考え方を説明したことになります。
だけど遊ぶって言った時にこれは秘密でもなんでもないんですが話を受けて仕事で遊んでますとか表現として言うのはいいんですよ。たぶん遊ぶって仕事をしててね。
だけどそれを公のところで行って遊びまーすって言ったらあんまり良くないんでしょうね。なぜなら今実はの方ももしかして感じているかもしれませんが遊ぶって言ったらゲームをするとか何も生産しないとか要はコンテンツに浸るみたいな。
休業的なというか何もしないっていうようなこととか他事をするみたいなね会議での内職みたいな違うことやるとか授業の内職とかねそういう風なイメージもなりかねないんで遊んでますっていうので表現をして伝えていくっていうのはちょっと考えた方がいいかなっていう話なんですね。
だから例えば僕がその仕事クリエイターみたいな名前を名付けたのはあまり深く考えてないんですけどこれを遊びクリエイターとか仕事で遊ぶんで仕事エンジョイニストみたいな仕事エンジョイニストもちょっと違いますけど要はなんかもうちょっと違う名前で遊ぶっていう要素を入れてたらやっぱ違ってたんでしょうね。
なんていうんだろうな。ニッチがずれるわけです。そういう。だから自分では遊んでいるし遊んでていいんですよ。自分の中でね。遊びという定義というかちゃんと決まってたら。
だけどそれを遊んでますって言ったところで言葉って難しいなと思うんですけど他の人がリスナーのあなたがね僕が考えてる遊ぶっていうものを正しく100%そのまま受け取れるかというと多分5割も伝わらない2割1割とかだいぶロスしちゃうと思うんですよ。
それはリスナーのあなたがどうこうの話じゃなくてその経験や体験がなければわかりづらいですしそれを共感できないっていう人ももちろん自分の体験から思われる方もいらっしゃるんで仕事で遊ぶんじゃないっていう方もいらっしゃると思うんですけどそういう方はしょうがないなと思いつつも実際にそのゲームの話をしてコンテンツを消費するんじゃなくて自分で作る方って言った時にそれがまさに視点の転換でそこからドライブと言いますか
自分がやってみたいことややってみたいことっていうよりもやってみたいって良くないですねやってみたら面白いかなぐらいの何かを自分のタイミングで扱ってみる取り扱ってみるって感じですよね別にね誰かに強制されるわけではないからそういうのを楽しんでそれは楽しまないとやれないし楽しんでいることがまさに遊んでいることになるんじゃないかなと思ったりします
やっぱり経験値が上がりますし量も溜まりますし勝手にやるしこうなったら面白いんじゃないかっていうことを想像していくことができるんで僕はですね遊んでいくといいんじゃないかなって思いました
日常に「遊ぶ」を取り入れる提案
なんか自分がですねやっぱりそのライフハックぽいかもしれないですけどテンション上がらんなとかこれどうなんだろうなって時に何か遊んでみる何々で遊んでみようみたいなとか今日はこれで遊んでみようみたいな風にしてみてください
もしくは1日自体を平日とかでも会社員の方で働いている人とか学生さんで勉強されている方とか職場の方で育児家事とかねやられている方とか本当に年金生活の方で無職の方とか本当に様々な立場の人がいると思うんですがそういう時に今日は遊んでみようみたいな1日遊んでみようみたいな何で遊んでみようみたいな何々で遊ぶも何でもいいんですよね本当に
でそれ何がなるの何が生まれるのかなってことをまさに楽しんで楽しんで遊んでみるという話のお勧めでもありましたこれはですね結構聞いてくるんじゃないかなと思います抽象度が高いのでいかようにも加工できるかなと思います
前回の話が何か遊ぶっていうのは何か世界に関差し介入しその変化のフィードバック得ることだみたいな話を多分したと思うんですよねしてないかまあいいや
youtubeではしゃべったような気がします
その時にごめんなさいねしゃべってなかったですごめんなさいポッドキャンス聞いてる方ですね
まずでその時に思ったのが何て言うだろうな
子供の頃だと大人と比べてその世界への介入が少ないからそうやって手がかりというかいろいろやってボールを投げたりボールをね
ジャンプしたりボールでボールを蹴ったりねわかんないけどそれでボールというもので触れていったりその遊ぶっていうことをどこかをやっていくわけですね
だから子供っていうお子さんがいる方だったら子供って遊ぶわけじゃないです遊んでよって言ってくるじゃないですかそれがコミュニケーションなわけですよね
でそれを取り入れる大人が取り入れるのであれば学ぶとか仕事するときに遊びをもっと取り入れてはいかがですかねっていうのが一つの着地になりますね
でそんな遊びがいろいろできる人はもしくは遊びを入れている人は勝手に上級者なり経験者になっていくような気がします
たとえ今が初心者だって初めての人にもそうなっていく気がしますその意識があるならばですね
なぜなら経験する量や遊んでいるんで勝手にオンロード疲れになるし自分で工夫するし
そういうわけだったら何か問題を解くってことじゃなくて自分で問題を作るもしくは問題定義自体を変えてしまうとか
仕事だったら仕事をやるんじゃなくて自分で自ら企業したり提案してこういうことをやってみたらいいんじゃないかって取り組みを生み出していくってことができるわけですね
ゲーム作りでも何でもいいですハンドメイド作家でもいいですけどね
だから作るっていう観点になってくんじゃないかなと思います遊ぶという行為自体がね
だから遊ぶと作るというのは似てるというかほぼほぼ一緒なような気がします
という意味では仕事クリエイターって仕事作りって言ってるんですが仕事で遊んでるとかビジネスで遊んでるというか
その領域でこういうことになったら面白いんじゃないかなってことを言ってるような気がしました
言葉遊びからアイデア遊びへ:創造性の探求
例えば話で遊ぶということができたり言葉で遊ぶっていうのは高度な遊びのように思われるかもしれませんが
例えばパッといい例かわかりませんが橋橋橋みたいなのがあった時に川とかにかかっている橋橋
イントネーションはどちらでもいいですけどね僕もなんか偏ってると思うんで
橋の橋ですよね中古じゃないってことです
あと箸ですね自分で料理を手にする木製でも鉄製でもいいですけど
箸ね手で持って料理をつまむような箸だから箸の箸で箸を持つみたいな
で何っていうねその橋橋橋で分かれますよね
ちなみに大橋の橋は橋の橋です川と川をつなぐ橋ですね
どうでもいいそういうふうに言葉で遊ぶってことができる人は
自らどこかで遊ぶチャンスを常に伺いもしくは来たら遊んでいるような気がします
話で遊ぶというのもその一話一話の話でどういうエピソードが展開されたり
どういうネタがあってどういう風になってるかの話を話で遊んでるって感じしますよね
伝わりますかね
遊んでる人っていうのはその分野で多分何か結構やられてたりするんじゃないかなと思います
アイデアで遊ぶというふうに僕はあんまり言ってないかもしれませんが
アイデア時代でこうなったらいいよなっていうのも一つの遊びだと思います
ただ妄想みたいなのを別に否定はしないんだけど
アイデアっていうのは1万個でも10万個でもいいんですよ
考えたらやっぱり1個でもいいからやっていくっていう方が僕は好きだし
僕はそういうふうにありたいなと思ってます
仕事クリエイターってさっき言いましたし
何か実現する企業もそうですけど
何か実現していくときに何でもいいから形にしていかないと進まないですよね
ですときに妄想でいいですよっていうふうには僕はやっぱり言いたくないというか
それはちょっと違うなと思いますから
何でもいいからやってくださいと
それがすごくどんなにしょぼいなとかどんなに小さなことでも一歩は一歩じゃないですか
0から1って大きくなくても0から0.1、0.1、0.2ってどんどん積んでいくことができると思います
それは信じる話になってしまいますが
必ず歩んだら蓄積しどんどん上に上がっていけるんで
そこは楽しんでやっていきましょうというわけで今回は以上となります
ちょっと長くなりましたが今回は以上です
四国理ラジオ橋でした
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました
以上失礼いたします
43:25

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