学びを結果に変える視点
どうも、しぶちょーです。
ものづくりの視点は、産業機械の現役エンジニアである私、しぶちょーが、ものづくりに関するトピックを独自の視点で解説する番組です。
今日は、ボイシーのデイリートークテーマに沿った回です。
今日のテーマはこちら。
学びを結果に変える方法
インプットをアウトプットにつなげる工夫
学んだことを仕事に生かした経験
目標達成のための具体的な行動計画の立て方などなどを語ってくださいというテーマでございます。
学びを結果に変える方法
この言葉ね、個人的な感想ね、あくまでも個人的な感覚の話なんだけど
ちょっと不純な発想だなってね、思ったりするんですよ。
純粋ではない。学びに対してね。
学びを結果に変えるっていう視点は、学びに対して不純な発想であると感じるところがあるんですよ。
今日はそんな学びの感覚に関する独断のお話をする回でございます。
数学と小説家の交わり
それでは早速いきましょう。
まずいきなりなんだけど、一冊おすすめの本があるんでこれを紹介したいんですよ。
こちら。
世にも美しい数学入門
この本ね、めっちゃくちゃ面白いからぜひ読んでほしい。
博士の愛した数式って小説知ってます?
結構前よね。2000年代の小説だった気がするんですけど
あと映画家とかも知ってるんですけど
知ってますかね?
私もね、あまり映画見ない方なんだけど
これは見てね、すごい良かったなと思いました。
もちろん小説も読んで映画も見てめちゃくちゃハマったというか
すごい影響を受けた作品の一つなんですけど
博士の愛した数式っていうストーリーはね
記憶が80分しか持たない天才数学者の博士がいて
その家に勤める家政婦がいて
家政婦が主人公なんですけど
家政婦の子供であるルートっていうアダナなんだけど
ルートと私とその博士の3人が交わりながら
この愛情を深めていく
そういう奇妙ながら美しい物語なんですよ。
数学の奥深さと日常が混ざり合っていく感じ
これすごい作品なんですよね。
おすすめなんでね、小説ぜひ読んでほしいです。
その小説の作者が小川陽子さんという方なんですけど
小川さんは数学の専門家でもなんでもないんですね。
もちろん小説家なんで。
なんで数学をテーマにした小説を書くためには
調査が必要だったんですよ。
だからこの博士の愛した数式っていう小説を書く上で
実際の数学者にインタビューをして
いろいろと数学の世界とか
数学者の生き方っていうのを調べながら書いていくんですね。
その中で数学者の藤原先生という方と出会って
小説家である小川さんが藤原先生と
すごくインタビューを通じて息統合して仲良くなっていくんですよ。
事実は小説より気になりっていう言葉ありますけど
面白いですよね。
小説を書くためにインタビューをした結果
小説家と数学者っていうね
全く交わることのないであろう2つの属性を持つ2人が息統合すると。
そんな小説家の小川さんと数学者の藤原先生の対談が
1冊の本になっていて
それが世にも美しい数学入門という本なんですよ。
この本のリンクは概要欄の方に貼っておきますんで
数学の美しさ
気になる方ぜひとも読んでください。
博士の愛した数式も面白いんですけど
この世にも美しい数学入門これも面白いですよ。
特に数学の専門的な知識はいらないです。
いらないんですけど
数学の世界、数学が何が面白いのか
何が美しいのかっていうのがよく分かる本です。
この本はね
すごい面白いなと思ったのが
学ぶということ
もといえばその学問そのものに対して
すごく根本的で純粋な発言がすごくたくさん書いてあるんですよ。
特に面白いなと思ったのは
この本に書いてある言葉で
役に立ったら学問じゃないと
そう言い切ってしまうところがあるんですよね。
数学者の方がそう言い切るんですけど
今日のテーマである
学びを結果に変える方法
これは全否定している言葉です。
数学は実用にすぐ役立たないからこそ素晴らしいんだと
そういうことが書いてあります。
理由はシンプルで
数学は数学だからです。
何かに活かそうとか
応用しようとかそういうことじゃなくて
ただ純粋に数学っていう世界を探求する学問
それが数学なんだと
それ以上でも以下でもないと
発見した法則を応用して
なんか新しいことができるようになったぞとか
世の中に役立つぞっていうのは
ぶっちゃけ数学の世界では本当にどうでもいいことで
数学の世界の持つ美しさ
世界の真理を覗くみたいな
少しでもそういう世界の真理に近づく
ということのみに
みんな夢中なんだと
何かに役立てようというのは
数学の世界では不純だと
そういうふうに言い切ってるんですよね
これはなかなか面白い視点だなと思いました
別にこれは数学に限らず
純粋な学問の考え方らしいです
私なんかは大学で工学をやってましたけど
数学者の視点でいくと
工学部っていうのは
学問として認めてないという人もいるらしいですよ
理由は工学っていうのは
人の役に立つことを前提としてる学問なんで
最初から役立てるということが前提にある学問は
その姿勢が不純なんだと
工学って物を生み出して
人間社会を豊かにするっていうことを
前提に成り立ってるんで
確かにそれだけを追求する
純粋な数学を追求するという学問の括りと比べたら
なんかちょっと種類違いますもんね
もちろんですけど
これは数学者の先生の一部の人が言っていることなんで
これが学問に対する見解の正解ではないですよ
あくまでもそういう視点があるらしいよっていう話です
私の偏見を語らせてもらうと
数学屋さんってね
大体みんなちょっと様子がおかしいんですよ
変わり者というか
超偏人な人がめちゃくちゃ多い印象
あくまでも偏見ですけども
でも話していて
そんなぐらい変態的な人はね
数学者に多いというか
数学家に多いなっていう感じがしてましたね
もちろんいい意味でね
さすがにちょっとこいつは様子がおかしすぎるなってやつも
いるじゃいるけど
やっぱすごいね
独自の感覚というか視点を持っているなと
だから数学屋さんが言っていることをまともに聞くと
頭がバグるというか
ついていけない部分もあるんですけど
そういう特殊な世界で生きている人たちなのよ
とても学問に対して純粋
数学というものに対して純粋なんですよ
だからそういう何だろう
役に立つということが不純だと
それすら不純という考えが
こういう世界にあるんだなっていうのはね
非常にこのね
世にも美しい数学入門を
読んで感心した部分ですね
ものづくりしているとね
役に立ってなんぼとか
人を幸せにしてなんぼだみたいな
そういう感覚があるんですけど
役に立つこと自体も
追求する上での不純と捉えると
そういう視点があるというのはね
非常に面白いと思います
さらに数学の世界ではとにかく
美しさというのが大事です
とある詩人の人は
私は数学者になれるほど
想像力が豊かでもなかったので
詩人になった
という言葉を残すほど
数学ってこう
無味感想なものじゃなくて
すごく感情的というか
情緒的な世界なんですよね
世界に近いっていうのかな
私は数学者じゃないんで
数学の本質的な美しさみたいなものは
理解はできないんですけども
でもこの本を読んだ後
私なりに解読すると
すごく複雑な現実を
いかにシンプルに
数式にできるかみたいな
それが世の中にあるんだっていうところが
やっぱ美しさみたいなんですよね
例えば
世界中美しいとされている式
というのはオイラーの等式というものがあって
Eの
相対乗プラス1
イコールゼロという式なんですよ
Eっていうのは
ネイピア数ね
自然体数の定義で
2.7182…と
無限に続く無理数なんですよ
Iっていうのは虚数ですね
だから二乗するとマイナス1になる数字と
こう考数学でやりますよね
対はお馴染みですね
円周率3.1415…
ってやつね
無限に続く無理数です
こんな無茶苦茶な数字たちの
組み合わせなんですけど
そのEを
数学の美しさ
Iとπをかけた積で乗じて
プラス1すると
ゼロになると
確かにこれは
マジで意味わからんなって感じですよね
私は数学詳しくないけど
これは不思議だなというか
美しさは感じます
無限に続く少数の組み合わせなのに
ちゃんとゼロになるっていう
そういう公式が成り立って
しまうんですよね
しかもこれは別に
人間が人工的に生み出した概念じゃなくて
もう世界そのものが
そうなっているわけです
この式は宇宙のどこにいても成り立つと
数学なんだよね
それは自然の中に存在する数字
ということなんで
まるで大自然が生み出しているような
美しさがあるんですよ
学びの意義
これは数学者じゃない
私にも
すごい世界だなっていうのが伝わりますね
数学者って
面白いのは
法則を見つけたっていうんですよね
生み出したとか開発したっていう視点ではないです
もともと
世界の底にあった真理を
数学によって発見した
という立ち位置です
新しく生み出したんじゃない
もともと世界にあったものを
見つけたっていうのが
数学という学問なんですよね
そう考えるとやっぱり役に立つ
っていう視点がないのは分かりますよね
その問いは
部粋ですよ
例えば化石とかと一緒ですよね
ティラノサウルスの化石見つけました
それって社会に役に立つの
って言ったらめちゃくちゃ部粋ですよね
それに近いような感覚があるなと思いますね
ここまでは
非常に高尚な学問の
話をしてきました
私別に大卒ですけど
研究とかもしてないので
学問を語れるほどやってるわけじゃないんですけど
ちょっとこの話のレイヤーを
落として具体の方に
話にしていくと
これ私たちの生活にも関わる部分
あるなとは思います
役に立ったら
ダメだとまでは言わないんですけど
一つね
結果に繋がらない学びって
もっと許容してもいいんじゃないんですか
という話です
自己研鑽とか
大いに結構ですよ素晴らしいと思いますが
純粋な興味
好奇心からの学びって
もっと大事にしていいなと
思うんですよ
心のどっかでこう思ってるわけ
自分を高めなければならない
スキルを高めなければ
稼ぎを上げなければ
人より優れなければならない
だから勉強する
学ばなければならない
結果のための学び
学びが何かに繋がらなければならない
それによって
自分が高まらなければならない
思い込んでしまっていると
そう感じる節が
SNSとか見ててもそうだし
私の周りの人見てても思うんですけど
そうじゃないですか
そういう脅迫観念みたいなの
ありません
でもそれって学びとはちょっと
異なってきませんかと
なんか面白そうだから学んでみるとか
純粋に知りたいから学んでみるっていう
その好奇心に従って
学ぶことって
もっと生きていく上で許容してもいいんじゃないかな
って思うのよ
でもやっぱ社会の風潮が
あなたの成長を煽っていると
それは間違いないです
今のままじゃいけないんだよと
いやこの先もうなんかこう
ブーカの時代
先行きが見えません
だから備えてスキルを上げましょう
煽り散らかしてくるんですけど
それは自己啓発をビジネスにしている人たちの
向上に過ぎないので
そこにね
あまり踊らされるのは
ないかなと思います
だって結果だけを
効率的に求めた学びっていうのは
必ず薄いものになります
だってさみんな学びたいから
学ぶわけじゃないじゃん
だから不安だから学ぶでしょ
手っ取り早く結果が欲しいから
学ぶってなった時に
みんなが手元に欲しいものってなるべく
時間をかけずに学んだ感じが
出るものなんですよ
だからもっと言えば自分が成長した実感が
欲しいと
そうなると
手軽に結果のようなものが
得られる学びのようなものにしか
手が伸びないんですよ
これは
学びの純度が低いなと
これって不純だなって僕は思うんですよね
もちろん
自分のことは棚にあげてますよ
私も人並みに自己啓発本好きなんでね
別にそういう自己啓発本が悪いって
わけじゃないんですけど
あまりにもファスト的な感じで
学んだ気になれるような本とか
そういう教材が
世の中にいっぱいあるなと
それを売るための歌い文句みたいなもので
人の気持ちを煽る
みたいなそういう風潮も
すごく構造としては
あるなと思いますよ
もちろん
私もそういう
自分を高めなければならないなとか
新しい技術を身に付けなければという感覚
気持ちはありますよ
ただ気持ちはあるんですけど
ちゃんとそこをメタ認知できているかどうか
大事です
社会の構造みたいなもの
煽られてるなっていうのを
客観視した上で
学びを判断できるかっていうのが
ポイントだと思います
そういう人の心の隙間に対して
気づいている企業は
そこを正規として
煽り倒してきますから
そこは客観的に
自分の学びっていうのは
どういうポジションにあるのか
どういう気持ちでそれを学んでいるのか
いいんじゃないかなと思います
だから純粋に
やってみたいとか学んでみたいっていう
自分の心の声というか
好奇心からの学びっていうのを
もっと許容して
大事にした方が
いいんじゃないかなというのが
結果社会への疑問
私の今回の一つのメッセージでございます
もちろんね
全てがそうじゃないですよ
結果ありきで
このスキルが生きていくのに必要だから
身に付けたいと言って
学びを始めるっていうのはもちろんありです
このプログラミングのスキルが
身に付けたいとか
AI関係の知識が身に付けたいとか
いろいろあると思います今の時代
ただその場合でもよくよく考えてほしいのは
学びを結果に変える方法を
考えるのは
やっぱりおかしくて
だってさそれは学びを
結果に変えるっていうのは
学びを始める時点に
もうすでに終わってないとおかしいんですよ
結果ありきでこういうスキルが
身に付けたいって言って学びを始めるんだったら
これは学べば
こういう結果に繋がるよねと
算段を立ててからスタートするでしょ
だって学びたいスキル
というか身に付けたいものがあって
学びをするわけだからさ
結果に変える方法なんて考える必要ないじゃん
もう学びをスタートした時点で
それは達成されていないと
おかしいんですね
普通に考えたら
学びを結果に変える方法なんてことを
考えるフェーズって
存在しないはずなんですよ
存在しないんですねそのフェーズは
でも
学びを結果に変える方法って何なんだろう
と思ってしまっているということは
これってね学びそのものではなくて
結果に対する解像度が
低いと言わざるを得ないと
だからすげー
ふわっとした形
ふわっとした結果で
なんとなくこういうスキル必要かもみたいな
曖昧にスタートを切るから
学んだ後にこれ何に使えるんだろう
結果に変える方法を
考えなきゃなということになるわけです
要は雰囲気でなんとなくこれが
流行ってるからって学び始めちゃった
ってことだよね
好奇心でもなく
言いつけたいスキルがあるという強い思いでもなく
なんかやってないと不安だな
っていうふわっとした感じで
ふわっと学び始めちゃうと
結局最終的に学びを
結果に変える方法を考えなければならない
そうなって
しまっている可能性が高いよ
ということです
学びを結果に変える方法
っていうのを考えようと思ってしまった
場合は
それより前のことをもっと
学びの楽しさ
振り返って考えた方がいいんじゃないかなと思います
まとめると
学びを結果に変える方法を
考えるということは
学びに対して不純であると
もっと純粋に学びを楽しんだ方がいいんじゃないの
というお話
もしくは結果に対しての解像度が低いと
自分が身につけたい
スキルが明確になっていない
状態で学びをスタートして
しまっていると
この2つのどちらかじゃないかなと思います
結論はやっぱ
心から学びたいとか
面白いと思えることを探して
それを勉強するのが一番ですよね
リアルな体験の価値
というまとめでございます
ここからコメント返しです
チャープ579
与えられた効率で意味がないにいただいたコメントです
長谷川さん
プラモデルにハマっているうちの息子に
考えていた自分を見つめ直す必要が
ありそうですね
答えを与えるより気が付かせたり
暖かい目で見守るような心のゆとりが
必要ですねということで
ありがとうございます
子供が何か作業していると
これこうじゃなくてこうやってやったほうがいいんだよって
アドバイスしたくなる気持ちめっちゃわかります
そうじゃないよねやり方
っていうのがあるんですけど
それに本人が気づくか気づかないかというか
本人が自分で気づくっていう
そのプロセスがねやっぱ大事
ですよねだから
与えちゃダメなんですよ効率を
効率悪いなと思ってもですね
じっと黙って見てあげましょう
子供に対しては
それでいいと思いますよ
子供に対してはそれでいいんですけど大人が
効率悪いことやってたらそれやり方
違うだろって指摘してあげてくださいね
ということで
ありがとうございます続きまして同じく
長谷川さんシャープ580
リアルこそ実在する本物の
現実のリアルにいただいたコメントです
普段ウェブミーティングなどやっていますが
やはりリアルの対面の方が
圧倒的にリアルがビビっときます
リアルイベントって思ってる以上に
価値が高いのかもしれませんということでありがとうございます
長谷川さんも現実のリアルは
実在するリアルだということに気がついて
いただいたようですね
実際そうですよねなんか打ち合わせもさ
Zoomでね打ち合わせ
するのは非常に効率的だし
私なんでねZoomで
打ち合わせするんじゃなくてまずテキストベースでやりましょう
みたいなメールのやり取りするっていうところを
すごくするときもあるんですけど
実際面と向かってディスカッションすると
一番意見出てきますよね
なんなんですかね
別にZoomとやってること大して変わらないとは思うんですけど
目の前にその人がいて
いろいろと
表情とか見えない情報ですね
Zoomにしてるときの
やっぱ
失われてる情報ってあるでしょうね
対面とZoomだとね
コミュニケーションロスが
やっぱオンラインってすごく多くて
やっぱ我々が
普段どれだけその
日々ですね言葉にできないような
人の雰囲気とかから
症状を察したりとかそういうものを受診して
コミュニケーションしてるんだなっていうのが
対面にすると
よく分かりますよね本当に
そういう意味でもねすごくリアル
イベント重要だと思います
ただ冬になってくるとやっぱ感染症がね
流行ってくるインフルエンザとかねコロナとか
いろいろ流行ってくるんでそこら辺はリスク
ヘッジしながらですね
どんどんねリアルイベント参加していきましょう
ということでありがとうございます
今回はここまでとさせていただきます
私は支部長技術研究者
という技術ブログを運営します
またXの毎日役立つ技術情報の
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全然ありでございます
ぜひぜひよろしくお願いします
というわけで今回はここまで
以上支部長でした
ではでは