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2025-04-03 30:51

アイデアの種まきをどんどんしていこう!

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サマリー

アイデアの育成において、種をまくことが重要であり、ただまくだけではなく、適切な手入れが必要です。成功する芽を育て、最終的に収穫につなげるためには、繰り返しの行動と工夫が求められます。アイデアの種を撒くことで成長や収穫の可能性を探る話題が展開されています。失敗や成功の経験を振り返りながら、新たなアイデアを育てる過程とその重要性について論じられています。また、アイデアの種まきを通じて人々との関わりが成長や収穫につながることが強調されています。リスナーには、興味を持ち続けることやアイデアを育てる楽しさが促されています。

アイデアの種まき
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
今回のテーマとしては、アイデアの芽を育てる種まきです。
アイデアって、収穫というか果実になったものというイメージがありますが、植物の例えとして、種をまいて、そこから芽を出して成長して、果実、もしくは花、目的のものですよね。
そこまで育てるという感覚が非常に重要なんじゃないのかなという話を、シゴクリラジオでも何度もしているのかな?分かりませんが、そんなアイデアの育て方、育てるって何でしょうか?
そんな話を今回していきたいと思います。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオの大橋です。今回のテーマはアイデアの種まき、育てる、成長させる、収穫するみたいなアイデアの育て方とか、もしくはアイデアを育てていくとはどういうことかということについて話していきたいと思います。
シゴクリって言っている仕事づくりもアイデアがあって、それを明日、もしくは今すぐに収穫できる、刈り取って形になるかというと、それはないわけですよね。
もちろん今まで育ててきたものが実を結んで収穫できるような状態であったら収穫するだけですが、何も今ないときに、要はアイデアの種も開いていないし、水やりとか芽も出ていないし、成長していなくて枯れているとか、そしたら実は取れないじゃないですか。
花も咲かないじゃないですか。だから芽を出すためには、もしくは種をまかないためには、アイデアのことは種が必要ですよね。
よってですね、これは合理的に考えていただいた方がいいんですけど、アイデアの種を、花というか植物の種を買ったりとか見たことがある人、袋に市販でもされていますが、かなりの粒が入っていますよね。
それを全部まいたら絶対そこに芽が出てくるかというと、そうじゃないのかな。実際に芽が出る確率が高くても、環境とかもしくは水やり、土とか、日光とか、栄養とか、気温とか、いろんな状況があるから一概に言えないし、僕も全然詳しいわけじゃないんですけど、
じゃあ95%発芽率ですから、95%は絶対悪いわけじゃない。でも100個の種をまかないと、1個の種ではちょっと大変だなと思うわけですよね。大変だなというのは確率が低すぎるので、1が100ではないんですけど、
1個だけじゃなくて、たくさん2個以上3個以上どんどんやっていったほうがいいと。それがアイデアの種に対する、アイデアの種をまく、もしくはアイデアの種を育成する、アイデアの種自体をたくさんまいておくという。
種まきっていう習慣があるかなと思いますけど、いろんなところに種をまいておくというのが重要かなと。まず思います。
その種をまいたら、100個まいたら全部100個のアイデアになるわけじゃなく、まず目が出るかですよね。アイデアの目が出るかはこれも人によって違うと思うんですが、何を目とするかですかね。
人によっては目が売り上げとか立つとかもそうだし、お客さんが生まれるとか、もしくはそれいいねって言われているような反応とか、何か動きですよね。
ここでもくどいんですけど、しつこいんですが、重要なんで何度も言っていくんですけど、やらないとその成果というか手応えは得られませんから、やらずに黙っていて何か得られることはほぼないんじゃないかな。
あり得るとしたらその人を認知している誰かが声をかけてくれることはありますよね。では認知されるためには何かはやらなきゃいけなくて、何かって言ったときに広告なのか発信なのかみたいな色々あると思うんですが、
それも結局広告したらすぐ何か契約がつながるとかそういうわけでもないですし、SNSで発信したらそれがすぐ仕事になるとかそういうわけでもないわけなので、ここも粘りも必要ですが、
目としてまずどこまで行くかということを見ていかなきゃいけないですよね。見ていくというのは結局回数重ねて積み上げていくということにしかならないと。地味ですがそんなものかなと思っています。
目が出たら今度そこから成長させていかなきゃいけないので、そこからフェーズが変わってくるかもしれませんが、人によって感覚が変わりますよね。
だから実が成るまでがアイデアだという人もいれば、実を収穫するところまでかとかもあるし、目が出たらいいとか本当にそれは人次第かなと思うんですが、僕の感覚では収穫とかある程度成長してしまったらあとは収穫できてしまうと思うし、
収穫したものをどう使うかという循環の方とかが大事かなと思ってしまうので、意外にというかアイデアの種を育てて目が出たらあとはもういいかなみたいな思っちゃってるかもしれません。それがいいかどうかわからないですよ。
あとは収穫を何にするかとか、どういう状態を自分の感覚と連動させていくかによるんですが、少なくともまずアイデアの種をいっぱい巻いておきましょうというところですね。
成長と成果
巻いたら放置じゃなくて、巻いて目を出すように育てましょうということですね。育てないと、要は手をかけてあげないと、声をかけたりでもいいし水をやったりでもいいし、なんかそういうことしないと栄養を上げたり、光を上げたり寒くないか暑くないかやらないと、手をかけないと勝手にはやってくれないですよね。
それを植物工場みたいなところに持っていって自動化することももしかしたらできるかもしれませんが、アイデア自動工場みたいなのはやっぱりなくてですね、勝手にボコボコ生み出されたら楽ですけど無理かなと。
その分のコスト、お金をかけたり時間をかけたりするっていうことがあるのであれば、それがまさに僕が言っているような威爆案発想みたいなやつで日常生活の中で何か見出したり、もしくはニュースとか本読んだり話を聞いていったりしてそこで得ていく経験、解釈、理解。
その自分ですね、リスナーのあなただったらその人が見ている世界をまさに人が体験していくところがある種の自動工場とは言いませんが生産部分かなとは思ったりします。
種を蒔いて育てていって成長して収穫させるというところで、最初の話に戻っていくと、じゃあ今種を蒔き始めてすぐにならないじゃないですか。時間がかかりますよねってことをまず言いたいっていうのと、
時間も勝手にじゃあ1年待ってたら、ぼーっと待ってたらできるわけじゃなくて、手をかけなきゃいけないんですね。手間をかけると言ってもいいですけどね。それはもう時間をかけたらいいという意味じゃないので、手間っていうのはそこでいうアイデアを育てていくっていうのを姿勢というかね、やることである。
水やりとか、光をあげるとか栄養土をあげたりとか、そこをやらずにいきなりできないので、それをやってやると成長するもしくは実が成るっていうことになるんじゃないかなっていう、非常に泥臭い話ではありますが、そういう話になるんじゃないかなってことを思ってますし、
活動というか今僕は生きてますと。数の話でいくと、アイデアを100個種をまいたらいくつ収穫できるんですかなんていう、もしかしたら質問されるとか思う方がいるかもしれませんが、感覚的にはその中で1割ぐらいが目が出たらいいんじゃないですか。そんな出ないんじゃないですかね。
その100個のアイデアもどういうアイデアかによりますし、多くは均等じゃないわけですよね。100個並べたものを全部均等にやるってことは多分ないと思ってて、優先順位なり自分がやりたいかどうかってことになったりするんで、それはできないような気がしますね。
ビジネスアイデアでもいいですが、もっと流度がバラバラでビジネスアイデアになってないのもあれば、すぐやりたくてできているものもあれば、自分の仕事とかビジネスに近いものを重ねているものはもっとやりやすいじゃないですか。早いじゃないですか。
新規性が高くてチャレンジングなものはだいぶ形にしていくのが時間がかかるとかね。そういう形でいろいろ流度というかムラというか、一つ一つの種が違ってくるんで目の出方も違ってくるんじゃないか。
だから10個出たとしても、本当に目が出てるの?というような目の出し方だったり、もしくは目が出てくるのが遅いものはあるわけなんで、一元管理というか一概に言えないということか、全部均等ではないということは確かです。不揃い、バラバラの目が出てくるという感じですよね。
そこから目を出したとして、みんな一応目は出てきたと。そうしたときに成長するのはどれくらいあるかといったら、そこから1割とは言いませんが、かなり限られるんじゃないでしょうか。100個種まいて10個目が出て、そのうち5個出たら成長したらいいんじゃないか。3個かもしれません。
最後に収穫して実が成るのはどれくらいかといったら、わかりません。もしかしたら1個かもしれない。だから100個あって1個かもしれない。その1個が収穫して終わりってなると、100個やって1個しか出ないんですか?ってなるじゃないですか。
成果の活用
それは100から見たら1って少ないんですけど、実際に出た収穫とか実になったものっていうのはそれだけじゃないわけですよね。100個を育てようとした労力っていうのは多分かかってないと思ってまして、100個の種はまくんだけど、種まきって何かって言ったら、
例えば僕がこのポッドキャストとか四国ラジオで喋ったものをやりますみたいな宣言すると言うじゃないですか。それでもう1個の種まきかなと思います。誰かと話すのも1つの種まき。誰かっていうのはAさんと話したらAさん、Bさんと話したらBさん、それでもう2つです。そんな感じです。
っていうか、それをやることで得られたり整理できたりするものがあるじゃないですか。そうなっていくと、その種まきっていうのも、Aさんに言った話は忘れてたよっていうのであれば、それもそれでいいし、しばらくしてからAさんがあれどうなってるのって言われて、思い出してまたやるとかもありますから、そういうところで1個1個のアイディアの種って本当にバラバラの状態かなっていうふうに思います。
話を戻しまして、100個の種から芽が10個出て5個成長して収穫できそうなものが、実が成りそうなものがあったら1個しかない。それで100個だったら1個でしょってなるかもしれないですけど、実際に100っていう数字と1っていう数字はあんまり意味がなくて仮の話なんで。
収穫した1個からたくさんの実が成るかもしれないじゃないですか。もしくはそこから芽を取って花にするとか、そこは運用次第なんですけど、それで得られた知見はものすごい可能性があって、1個のアイディアが勝ちになりましたっていうのは、ものすごい自己肯定感もしくは自分を促進してくれる、もしくは受容してくれる、自己受容ですか。
あとは社会的に認められたりするかもしれませんね。あとは自分の経験にもなりますし、失敗じゃないけど成功との振り返りフィードバックでもあり奇跡でもあり、もしかしたら自分の実績としてプロフィール載せてどうですかっていうふうに言えるものかもしれませんよね。
非常にアイディアを、種を撒いて成長させていくっていうのは、僕は可能性がすごくあるなと。可能性だけしかないと言ってもいい。そういうふうに見ないとやれないかなとも思ってます。
じゃあ終わりました。でも面白いのは種ですよね。今度は実から種があって、それをまた撒いて、種が収穫できたらまた撒いて、新たに収穫すると。
今度は植物的なものまでは僕も分からないんですけど、よく理解しませんけど、また循環としてそこから成らせることができる。また種を撒いて、1回それで成功してたりするから可能性は成功確率がより高くなると思って、
今度は同じように100個も開かなくても、もしかしたら10個、もしくは5個、もしくは1個でもいいかもしれない。同じことをまた繰り返すということで確実にできていく。
僕だったら飽きてしまうので変化を入れて、アイデアをまた入れて変えていく。今度はうまくいった収穫したものを変えてまた循環させていくということをすると、
100個のアイデアの種が1個しか収穫できなかったというけど、今度は2回目のループでは1回目の収穫したものを使うのでほぼ確実にうまくいくかもしれない。
よく新規事業じゃないですけど、新しいことをやってうまくいった後のうまくいっているものに乗っかるとそれは楽なんですよね。楽なんだけど、今度はそれをやっていればいいということで他の新しいことをしなくなるというジレンマみたいなものも生まれるので、
このあたりはちょっと注意したいとは思いますが、少なくともそんなうまくいった話を置いておいて、その前にまずアイデアの種を撒きましょうと。
成功の循環
撒いたらメンテナンスというか水やりして育てていきましょうということをやっていかないといけないなと。
いけないし、それがまさに死後繰りですが、それをやってじゃあいつそれが形になるんですか。もしくはいつそれがうまくいくんですか。もしくはいつそれがどうなったらいいんですか。
いつ収穫ができますかみたいな話って、植物も目安とか季節とかそういうのはあるとは思いますが、ならないかもしれませんよね。
あとは、なる前にうまくいかなかったりすることがありますよね。そういうことがそもそもあるし、多くはならない。
逆にその大体のものがうまくいってるっていう人はちょっと怖いわけですよね。自分がやることは大体うまくいくっていうのはなかなかポジティブでいいんだけど、
それは違う見方、もしくは厳しい見方かもしれませんが、それはうまくやれることしかやってないかもしれないじゃないですか。
だから難易度を低いものをやってうまくいってるよっていうのも別にダメじゃないですね。
ただ、成長とかレベルアップみたいなところでいくとやっぱりやれることをやっててもうまくならないというか上達はしないですよね。
だからチャレンジの余地みたいな、要は伸びしろというか、余白がないと全力で走りきれないっていうかね。
例えば50m走って50mじゃないじゃないですか。助走距離とスタート地点とゴールした後まだ伸びるから80mくらい欲しいじゃないですか。全体でね。
だからあくまでも50mは0から50mであって、前後、マイナスで1m、5m、ゴールした後とか、余白で余地が欲しいような感じがします。
8割くらいでやって、残り2割をすごいやれるような、自分の取り組む力をそこに費やせるかっていうところが重要というか、いいんじゃないのかなと思ったりしました。
そういうことを種まきしてるよと、いろいろやってるよと、でも成長はしてるのかな、あと収穫ができてないよとかね。
というところで、要はうまくいかなかったり、要はうまくいかないもんいろいろ言語化できますが、少なくとも自分の中でリスナーのあなたがですね、うまくいってないぞと。
これは感覚的に、言語化は全然できてないんだけど、うまくいってないことは確かだ、だけどどうしたらいいかわかんないみたいなことはあるんじゃないのかなと思います。
もしくは逆で、うまくいってて誰かに話したいぐらいだって言ったら、全然共有してくださいよっていうね。
そのお金取るか取らないか知らないですけど、それは知らないです。
そういう中でうまくいかないよねっていうときにポイントというかですね、そもそもだいたいうまくいかないっていうことを前提としていただくと心が楽になるかもしれません。
別にリスナーのあなたがですね、あなただけがうまくいかないっていう話じゃなくて、だいたいの人がだいたいうまくいかないっていう世界があるかなと思ってます。
じゃあ全部100個やって全部100個ダメだったらどうしたらいいかって言ったら、ここからはもうマインドセットの話になるんですけど、また100個やりましょうっていう。
もしくは101個目をまずやりましょうっていう感じですよね。
コミュニケーションと影響
ここでもういいよと疲れてよってなってしまうと、確かに新しいことはやりづらいかなと思います。
なんかもう疲れちゃったみたいなね。
でも疲れるってことはやったってことでもあるじゃないですか。
あともう1個気になるのは、頑張ってやった、無理してるって意味ですね。
頑張ってっていうのは要は自分よりも普段の力以上にやった方がいいとか、成長のために何かやった方がいいっていうことと矛盾するんですけど、
頑張りすぎてしまうことだと張り詰めてしまって疲れてしまうんですよね。
だから頑張るんじゃなくて、力を出したり伸び伸びやれたり、いい感じで力を使えるっていう風にしないと辛いですよね。
なので、もしかしたら疲れは頑張りすぎた結果かもしれないんで、もしかしたら休んでいいペースでいいピンドでやればいい感じになるかなっていうのもありますね。
で、あとはもうこれは慰めになるかわかりませんが、誰かが見ている、僕がねリサーノアナウンサーの活動を見ているとかなかなかない状態ではありますが、
ただその仕事作り、様々な人とコミュニケーション、コミュニティなり仕事なり、日常生活なり、ご近所さんわかりませんが、
いろんな人との繋がりがあったりもしくは、そんな繋がりがなくても社会生活を営んでいるのであれば、
ご自身ですね、リサーノアナウンサーのあなた自身を見てくれている人はいるわけですよね。
というか見てくれているわけですよ。
それが何でもいいですよ、発信するんでも、喋るでも、書くでも、発表するでも何でもいいんですけど、
全てにおいてゼロってことはなくて、話をしたらその人と関わっているじゃないですか、話している間とか関係しているんですよね。
だから社会であろうが、社会と言わなくても仕事場の人でもいいし、専業主婦の方とか家事育児とかやられている方だったら、
お子さんでもいいですし、パートナーの方でもいいですし、とりあえず学校とか保育園の先生でもいいですし、
そのまんまともがいらっしゃるかどうかわかりませんが、そういった身近な人ですよね。
身近に今関わっている人が全くゼロってことはないわけですね。
コンビニの店員さん、スーパーの店員さんでも喋るだけだけど関わっているじゃないですか。
少なくとも関わりが絶対あるんですよね。
明示的に友達だとか友達じゃないとかっていうところを飛ばしたら、一旦抜いてみたら、引いてみてみたら関わっているわけですよね。
関わっているんで、その人たちに影響を与えるというと大げさですが、そこで店員さんだったら自分はお客さんとして関わっているわけじゃないですか。
なので、印象はあるわけですよね。
このお客さん感じいいなとか、もしくは逆もありますよね。感じ悪いなとか。
逆もあるじゃないですか。店員さん感じいいな、感じ悪いなみたいな。
人はなんで機嫌が悪い時もあれば、機嫌がいい時もあるとは思いますが、
そういった様々な社会生活、まさにコミュニケーションの人とのやり取りっていうのが、
仕事とかビジネスとか、仕事をクリエイトする仕事作りとか、ピックアップして抽出しなくても関わっていると思うんですよね。
関わる瞬間にあなた自身が、僕だったら僕自身がそこで関わっているので、
何か伝えたり、もしくは相手から学んだりということを何かやっているんですよね。
それがまさに誰かが見ている、見えられている、影響を与えている、与えられているということなんじゃないのかなってことを思っています。
若干強引なんですが、アイディアっていうのも結局その社会、もしくは自分、もしくはリスナーのあなた、
とにかく誰かが、考えた人がじゃなくてもいいんですけど、考えた人で中心になってでもいいし、
自分がやりたいならやればいいので、そうやって種をまいて育てていくというのは、
コミュニケーションを含め、いろんなところで見られているし、もしくは影響を与えているんじゃないのかなという話でもあります。
だから、もっと乱暴に言ってしまえば、リスナーのあなたが考えたアイディア、種まき、
アイディアって言うほどアイディアじゃなくてもいいんですけど、何かやりたいなとか、こうしてみたらいいかなとか何でもいいんですけど、
そういったものをまず考えることが、社会に影響を与えているとも言えるじゃないですか。
もしくは、社会に影響を与えられたから、今生きている日本社会というのがあったときに、そこから転じて出ているわけですね。
分かりやすく言えば、時事ネタのニュースを見て、こういうのがあるんだなと思ったときに、これを改善するためにどうしたらいいかとか考えるわけですね。
もしくは、課題と言われているけど解決策がなかなかなくて、誰もやらないだろうなというのがある。
僕もやらないし、それは問題だよなと思うじゃないですか。
でも、そういうのを意識したり認識したりするだけでも全く意味が変わってくるわけですよね。
何か良いものを出そうとか、何かやろうというふうに力んだり意気込んでいることが良いとはあまり思っていなくて、そうなんだねぐらいのところでフワッと捉えておくと良い。
もしくは、出てきやすいかなと思うんですよね。
最初にその意気込みはもちろん大事なんだけど、意気込んだからできるわけではない。意気込みがあるからできるわけでもないので。
期待値とかという意味では、この間の話からすると、意気込まない方が伸ばせるかもしれないわけですね。
アイデアの種まき
意気込むことでの期待値が高まりすぎたり、先回やったら田中先生さんというところでの学習熟達論、学習における型においての反応の大きさが大きいとやはり意気移駐してしまうんですよね。
だからたくさんアイデアの種をまいたり、たくさんのものを育てたり、たくさんの人と関わる。
たくさんというのは何万人、何億人とかという話じゃなくて、一人じゃなくて二人とかね。
二人じゃなくて三人、もしくは同じ話じゃなくて違う話をしてみるとか、やり方がいっぱいあるんじゃないのかなという話になります。
そこで誰かが見ているし、社会生活、もしくは社会に影響を与えているし、やろうとしていることが必ずですね、
何かその場で収穫ができなくても、種をまいたものを学んだり、何か自分のヒントになったり、次に生かせる、次の種まきに生かせるまで考えれば、
何かそこで全くですね、やったことが全部無駄だった、100%無駄ということは、このアイデアを種まきして育てて成長させて収穫するというプロセスにおいて、
僕はほぼないんじゃないかなというふうに考えていました。
なので、種をまき続けるし、育てるし、成長を見守って手をかけるんですね。
やるし、ということをやっているんじゃないかなという、ある種の自己分析的な話でもありますが、
リスナーのあなたのアイデア、種まき、育てる、成長、収穫というのはどのような進捗というとね、ちょっといやらしい、進捗というのは嫌ですけど、
何かこういうことをやられてて、こういうことをやってみてどうだったかみたいなのは、自分で見なくても誰かに話したりされている方もいるかもしれませんが、
秘密の授業で言いたくないというのだったら全然なしでいいんですけど、そういうのはどういう形であれ、共有していくと面白いかもしれません。
夢という言葉も若干使いづらくなっていますが、使いづらくなっていると僕は思うんですけど、
何かやりたいことがありました、興味関心があります、どんどんやっていけばいいし、それがまさにアイデアの種まきだと。
成長の楽しさ
興味関心、遊びですね、僕の言葉で言った遊ぶ、クリエイティブするということが育てる最初の一歩になるかなと思います。
そういうのを僕もこのポードキャストも通じてですが、どんどんどんどん伝えていくし、やっていることとかで反社会的とか倫理的にどうなのというのがじゃなかったら、
だいたいの人がそんなことしないじゃないですかって僕は思っているので95%くらいですよ。
そちらに目を向けて、ネガティブな使い方とか悪い使い方もありますが、そうじゃなくてポジティブなふうに目を向けてそれをやろうとしている人がいたり、
もしくはやろうかなと迷っている人がいたらやってくださいというのが僕の役割かなと思っているんですよね。
そこで怖いというか不安があるなら僕も手伝うとかできる人は限られるんですけど、
こともできるし、もしくは間接的に伝えていって、ポジションというか狙いでもあるんですけど、そういう人がいたんで自分もやってみようと。
少しでも新生活、まだもう2日目、もう1回会社とか大学とか高校でもいいですけど、学校行きたくないという方がもしかしたらいるかもしれませんが、
無理してストレス出して病気になって体の不調が起きるということを無理することは絶対ないしやるべきじゃないとは僕も思いますが、
その上でいろんなことをやってみて、やってみることを楽しんでみるというのは大事かなと思います。
楽しみじゃない無理時とか、新幹みたいなやつですね、アルコールハラスメントみたいなね、
アル中だったら急性アルコール中毒になくなってしまうので、自分の身は守りつつ楽しんでやるというところがいいんじゃないかなと思っています。
最後ちょっと脱線しましたけど、とりあえず誰かが見ているよということで、リスナーのあなたが聞いていてそれに対して僕が見ているよとは言えませんが、
聞いているよということは感じているので、でもリスナーのあなたは今度聞いているよというメッセージを出した側じゃなくて、
今度は誰かに話して聞いているよ、もしくは聞かれたよということをお互い繰り返していくというか、感じでもあるんじゃないかなと思います。
今回は以上となります。四国にラジオ大橋でした。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
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