クリエイティブエッジ社会の概念
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。今回のテーマとしては、想像的な社会、もしくは想像的な仕事というものが、さまざまな分野に広がっていきますよ、と。
最近AIの話ばっかりしてますけど、AIが結局入っていきまして、AIという言葉を使わずに、仕事なり会話なりコミュニケーションなり生活をしていくと、何が残るんだろうか、もしくは何が生まれていくのだろうかというときに、
エッジですね、先端、要は最初に生み出す人と、もしくはそれを人に提供したりするというところが、要はエッセンシャルワーカーと言ってもいいんですが、
両端の人ですね、どちらが良い悪いとか、価値とか、そういう比較はしてないんですが、どちらも想像性が増す。
これをですね、チャットGPTでやり取りしていったときに、クリエイティブエッジ社会という言葉をいただきまして、クリエイティブエッジ社会いいなと、
想像型先端社会と言ってもいいです。エッジ先端というとちょっと分からないですけど、端ですね。
何か業務フローなり業務の流れみたいなところの、最初に生み出す人と最後に対応する人みたいなところをエッジ、端と呼んで、
それらの想像的な仕事、もしくは想像的な価値が上がるのではないか、そんなことを考えてみました。
それについて今回共有していければいいかなと思います。今回もどうぞよろしくお願い致します。
はい、しごくりラジオの大橋です。今回はですね、クリエイティブエッジ社会、社会論というと大げさですし、研究にもなっているわけではないと思いますので、
僕自身のね、何かそういう考え方をしている人がいるなと、何かヒントになればと思います。
AIの話としてパートナーだとか相棒だとか、いろいろ言われたりしています。一方でその仕事を奪われる、もしくはAIの著作物が著作権あるのかないのか、
もしくは学習における書作権侵害とかあるんじゃないか、様々な問題が起きている中で、AIを使っていくことが浸透しつつある。
リサーバーのあなたがAIを使っているかどうかとかは一旦置いておいて、使っているとして、使っていていかがですかみたいなところですよね。
いろいろ言えることはあるんですけど、今回はクリエイティブエッジ社会、冒頭で簡単にお話した通りで、難しい話ではなくて、
まず最初に何をやるかみたいな原始的というか、現体験というか、新体制ということですね。
人がまずAIに指示をする、もしくはAIを使うところの最初のAIに触れる部分ですよね。それは人間がやらなきゃいけないです。
その後の諸々のことはAIがサポートしてくれるから、あとは人間がチェックをするとか見るということになる。
最後の末端というか、サービスなり何かを提供するのは人なので、そこで人が受けて、もしくはAIを通して人が受けてやる。
結局、人の社会なので、AIがメインの社会ではないので、人がAIをどう使うかというのは主従としては変わらない。
人間がメインというのは変わらないかなと思います。
これが仮に変わったりするというのは、SF的な意味で面白いんですけど、変わったらAIを使う意味は人としては意味ないですからね。
支配的になるということではないんですけど、AIをうまくツールとか道具として使うということであれば、そういうような考え方になるかなとは思ったりします。
支配というと強いですけど、共存という感じですね。
今言った通りなんですけど、あらゆるところでAIが入ることで豊かになっていくと思いたいし、
そういうポジティブな未来を描いています。
なんですが、いきなりそういうふうには多分ならないと思ってまして、
どういうことかというと、今までの業務が維持するということがあると、そこにAIが入ることで時間が減るわけですよね。
人間がやる量が減る。
下手すると時給みたいな換算にすると、1時間が半分になって30分になったので30分でいいじゃんってなるんですよね。
多分そうなると思います。
なので、報酬というかお金の支払い方とか評価の仕方が業務委託じゃないですけど、
何かの成果物の量とか、量の方ですね。時間じゃなくて量にしなきゃいけないし、もしくは一式みたいな感じで全体でやっていくような、
要は発注の仕方もしくは報酬の感覚ですよね。
お金のもの差しっていうか、成果物の目安みたいなのも変わってくるんじゃないかなと思ってます。
そういう中で、最初の部分ですよね。
オペレーターの役割の変化
アイディアだったりコンセプチャル的な、抽象的なものですよね。
設計したり最初に何か企画したりみたいなものは、勝手にAIが生成してくれると言っても、
それをAIを使ってもやはり違うよねという風になるんで、どうなんでしょうね。
AI生成でアイディアを出してきたので、それをチェックしてうまくいくっていうのがあればいいんですけど、
多分しんどいかなと思うので、そこは多分人間が主かなって思います。
主というか、AIがサブにはならないって感じですよね。
AIがサブでしかないって感じです。割合の問題ですね。
業務をどんどんフローで流れで分けていった時に、最初の部分はやっぱり人がメインかなと思います。
最後の末端の部分で人が判断したりとか、判断というかチェックだけじゃなくて、それに対して受けるってことですね。
作ったら今後どうなるか、保守運用みたいなところもAIがやるんだけど、
AIに聞いて帰ってきて、AIで通して大丈夫ですってことはあんまりないのかなと思ってまして、
人の考え方が欲しいわけですよね。
例えばコールセンターってAIでAIチャットボットとかAIボットが入って、
もしくはAIのAIオペレーターみたいな人がいて、それでもしかしたら通る。
全然ね、仕事量が減るかもしれませんが、それはそれでよくある質問で会話で開始できるようなものだったらいらないじゃないですか。
オペレーターの人いらないじゃないですか。
だからオペレーターがいるってことは人の人ってことですよ。
AIオペレーターじゃなくて人のオペレーターってことがオペレーターですけど、
そういう人がいるってことはちょっとこれおかしいですね。
すいません、ちょっと直ったかと思います。
で、そのオペレーターの人に繋いでっていうのがコストがかかるので、
それを貴重なものになる。
ただザッポスでしたっけ、ザッポスかザッポスか忘れましたけど、
靴でしたっけ、売ってる靴のECとかありますけど、
あそこなんかはオペレーターと話す時間をKPIみたいにしてて、
要はそれ話してた方がいいよねっていう、
要はずっと喋ってる、4時間とか喋ってるね。
すごいじゃないですか、そこまではやらなくていいんですけど。
ではそういう人と話すみたいな、
要はオペレーターっていうのが問い合わせとかクレームに対応するっていうような、
最近ではコストセンターじゃなくてプロフィットセンターっていうように、
顧客の信頼度を獲得してそこで確実にお客さんに変えて、
信頼を生み出すみたいな意味でのプロフィットというか利益ですね。
価値をね、ベネフィットセンターかプロフィットじゃなくて、
ベネフィットってことで、ベネフィットの方がいいですね。
お金だけじゃない、便宜だから利益以外のカスタマサポートっていうか、
満足度?満足度じゃないな。
信頼度ですかね。
みたいなものが上がるってことでベネフィットセンターとか一体のような気がします。
ちょっとわかんないです。
ただ業界の調べてたら出てきたんで多分あるでしょう。
そういう感じでコールセンターとか、
オペレーターの仕事も変わってくるんじゃないかっていうのを提示してるわけですね。
例えばオペレーターの仕事をしてる方がいらっしゃるかもしれませんが、
僕がやったわけではないですが、
そうやってかかってきた電話に対して、コールに対して、
どういうふうに立ち回るかが、マニュアルだったり何かやり方あるんだけども、
その人なりの個性なり感覚で話をするというのが価値になる。
これがまさにマニュアルとか合理的な処理じゃなくて、
創造性、クリエイティブな方になる。
ある人は一緒にゲームをやるかもしれませんよね。
ある人はエピソード、もしくは人生相談みたいなのを始めるかもしれないし、
もしくは受け身に徹して、そうなんですね、そうなんですねとずっと聞いてくれる。
ある人はシニアの人に対して年齢が若いから孫みたいな感じで、
孫プレイというと怒られますが、孫を演じて対応するとかね。
様々なやり方がある。
これは今言った例が別にそういうことがあるっていうことじゃなくて、
アイディアであり創造的な話なんで、
それがそのオペレーターの人それぞれに求められるし、
そのオペレーターのマネジメントとかもしくは会社側がそれを求めてくるようになります。
何故かというと、当然勝手に記号ががやりたいんじゃなくて、
そういう要請が、要求が消費者生活者側から出てくるんじゃないかなって話です。
どういうことかというと、もはや電話もちろんね、
解決しなきゃいけないから電話しかないってこともありますが、
ウェブとかホームとかチャットでやって、しかもチャットボトルもありますから、
それで解決してしまえば、オペレーターさんっていらないじゃないですか。
オペレーターいらないんですよね。
だから最後の取り出ではないんですけど、
そのオペレーターっていう人がいる意味は何なのかってことになってくるわけですね。
つまりあらゆる合理的なシステム的なマニュアルを見たりとか、
セルフで消費者生活者が解決できることはもうそれでいいと。
じゃあ何が起こるのって話なんですね。
合理的なものがだいぶ失われていくと。
もちろんITとかAIとかよくわかんないですっていう人もいらっしゃるので、
そういう人の対応とはありますよね。
でもそういう人もどんどん最終的なAIを使ったりとか、
AIに聞いてやることになるかなと思います。
でもそれでも解決しなかったりわからなかったり、
そういうことの不具合とかですね。
AIがうまく動かないとか繋がらないとか、
そういう時はオペレーターの人に電話になるかわかりませんが、
インターネット通信になるかわかりませんが、
チャット的な、何だろう、
チャットGPTだったら音声モードとかありますが、
そういう感じで話す。
まずAIオペレーターで話してからオペレーターかな、
というのがいいかどうかわかんないですよ。
いいかわかんないけどそういうような流れになったりするかもしれないですね。
この間話したかもしれないですけど、
AI面接官というのがいるから、
面接という状況においてはAI面接官を通してから
面接官という本当の人間が出てくるみたいなのが
あり得るんじゃないかなと思います。
そういうのがあるから。
オペレーターのほうもわかんないですね。
実際のほうはわかんないですけど、
そういうのが出てくるんじゃないのかなと。
最終的にその人と話すことができるということで、
その人と話すということは合理的な処理というのは
今までのできて、だいたいわかるとできてるじゃないものだから、
すごい難易度が高いか複雑か、
オペレーター側もわからないとかのレベルとかになってきて、
あともうちょっと違うのが話したいというやつですね。
要は人と話すということがすごい価値となってくるというのは、
だいぶもしかして気づいている方がいらっしゃるかもしれません。
雑談の重要性
コロナ禍も入って、コロナ禍は過ぎたのかな。
ところで、リモートとかでは雑談オンラインですね。
雑談がしづらいみたいなのがあったというのを、
全社会の社会人の人とかもそうですが、
社会に生きる全ての人が何らか経験したわけですね。
学校とかでもリモートだしね。
雑談とか普段話すことみたいなのが、
四国映画場でも2年前でしたっけ、
雑談が価値になるぞとかずっと言ってたんですけど、
最近そんな全然話してないですけど、やっぱりそこは残るんですよね。
何か話したい。
どこかに行って話したい。
要は承認欲求というよりも、
自分というのが社会に所属しているというのを、
グルーミングじゃないですけど、
なんかいるよっていう。
僕ここにいるよみたいな感じで、
自分がここのコミュニティに所属しているとか、
そういうのを示すというかね。
自分自身でも確認していく人があるし、
相手もそのように思ったりすると。
よく溜まったりとかね。
サークルとか、学校、職場、所属というのは、
そういう意味の価値があるし、
なくならないかなと思います。
AIと人のコミュニケーション
全然ね。
仕事がなくなっても、
何か溜まるってあるんじゃないかなと思いますから。
そういう中で、
喋るですね。
雑談して話していくということが、
特に小売とか、
接客業もしくはお店とか、
小売センターもそうですが、
誰かにサービスとして関わるみたいなところですよね。
非常に価値が出てくるんじゃないかなと思います。
例えばコーヒーショップ、
チェーンでも個人店でもいいですが、
店員さんと話す。
スターバックスさんというのはね、
スタートプレスターという言葉をうまく使っているんじゃないかと思いますが、
話して楽しいという人がいらっしゃるんじゃないかなって思ったりします。
じゃなくても、
コンビニとかでよく、
なじみの店員さん、もしくはなじみの客さんであれば、
世間話をするのもよくあるんじゃないかなと思います。
それはスーパードラッグストア、
あらゆるリテールですね。
小売という店ではある。
家電量販店、
何でもいいですよね。
飲食店でもいいです。
飲食店は小売じゃないか。
そういうさまざまなところで話をしたい。
もしくは話をさせてくれということになるんじゃないかなと思います。
なぜなら、
生活として全部リモートワークですということにはできないし、
仕事的にならないんですが、
価値が上がっていくんじゃないかなという話になります。
今回コロナ禍ではないけど、
ポイントはAIが入るということで、
要は人とのコミュニケーションの量が相対的に減るわけですね。
相対的というのはなくなるわけじゃないし、
AIとのやりとりが増えるわけです。
例えば1日8時間あったときに、
今まで8時間ではないんですけど、
人と話してたんですよね。
8時間きっちりとしましょう。
でもAIが入ることで、
これAIに聞いた方がいいよとか、
先輩とか後輩、先輩に聞きづらいしAIだなとかって、
多分もうすでにあるんだろうと思いますね。
特に新入社員の人で先輩聞きづらいからAIに聞こうとかって聞いてる。
それが良い悪いか置いておいて。
後、後輩同期とかに聞きづらいから、
じゃあAIに聞こうとか。
勉強とか学んでいくのもAIに聞こうと。
AIが入ってきて半分ぐらいになってするじゃないですか。
4時間。
そうすると4時間はAIとやり取りする。
もしくはAIとチャットじゃなくて、
本当に音声で話してもいい風になっていって、
職場でもAIと話してる感じになる。
残り4時間は、
ごめんなさい、4時間になるんで、
その4時間分で人に話してたことが、
より効率的に済むっていう風になれば、
4時間余りますよね。
効率的じゃなかったら、
何かはちょっとよく分からないです。
ただ、人と話すって、
さっきの話でいくと、
例えば僕と先輩だったら、
先輩と僕の時間両方使うじゃないですか。
例えば1時間話したら、1時間両方使いますよね。
僕しか話してないのに、
相手が1時間そこにいて、
先輩はその時間を使ってないってないじゃないですか。
つまり同期するんで、
必ず相手と自分の時間をお互い、
会議で内職したりとかそういうのは知らないですけど、
お互いを覚えるとか、
使うことになるんですよね。
それがAIを使うことで非同期と言いますか、
AIってその人じゃないから、
同時にね、
サーバーというかコンピューターが対応してるっていうだけなんですけど、
それが可能になるってわけですよね。
だからそれは非常に革命というかですね、
大きなことなんだよなって思います。
だから話戻すと、
人とのコミュニケーション量が相対的に下がることで、
人はコミュニケーションをせずに生きていくんだと、
今まで100喋ってた人が50でいいよっていう風に、
じゃあ残り、
AIで話す量が50、
残りの50が人と話す。
それでもう満たされるんですか?
ってなるかというと、
当然だから多分満たされないんじゃないかなと思うんです。
AIとの話ってやっぱりAIなんで、
それがすごいスムーズになってたとしても、
やはりそれは人ではないから、
AI、ロボットでありAIであるので、
満たされないんじゃないのかなっていうのが僕の仮説です。
コミュニティの価値
だから分かんないです。
人によっては満たされていいですわ、
人とあまり関わりたくないですよっていう人もいらっしゃると思うので、
それはそれでありかもしれないです。
ただAIとやり取りしてると、
AI依存ではないし、
AI中毒ではないんですけど、
やっぱり精神がやられるか、
もしくは人とどう喋っていいか分かんなくなるみたいな。
だってAIとやり取りしてる時に、
AIがどこまで抑えてるかって多分分からないですよね。
AIは何でも知ってるし、
もちろん嘘はつくんだけど、
相手がどれくらい知ってるかを考慮せずに、
っていうふうなやり取りになると思うんですよね。
もちろんそのやり取りの中で、
ここまで話したよねとかって確認はできますが、
やはりその人の個人のキャラクターとか、
性格、背景、知識、いろんなものがやっぱり、
AIによって違ってくるところはあるかもしれませんが、
やはり汎用的なAIの方が一般的には使われやすいと思うので、
特化型のAIでなんかってことは、
ちょっと厳しいんだろうなってことは思ってます。
ビジネスとしてもね。
そうなったときに、
だから相対的に減るので、
人とのコミュニケーションが減るので、
その分をどこかで埋める必要がある。
そうなると、
生活必需品ということで、
ネットスーパーみたいなものを使おうが、
Uber Eatsみたいなデリバリーを使おうが、
人がまだ持ってくるじゃないですか。
そこがさらにロボットになるとしたらって考えると、
ちょっと恐ろしくないですか。
つまり、
AIロボットに対してありがとうとか、
もちろん言うのはいいんだけど、
そのAIと話しても、
それはAIじゃないですか。
だからAIの違い、
お話し上手ロボットとか、
それこそコミュニケーションね、
ロボット、
なんかラボットだとか、
何でしたっけ、
このコトモでしたっけ、
アプリのやつとか、
その寄り添う系のロボットとか、
AIロボットみたいなのありますが、
それはそれでいいんですよ。
ただ、ペットとか子供とかに近い感覚でしかなくて、
人じゃないみたいなところは、
絶対的に分かった上で使うと。
だからそれを使うなとか、
やるなとかいうことじゃないんですけど、
そういうところじゃないですか、
みたいなところですよね。
で、さっきの宅配の人とか、
ネットスーパーってことで、
便利に買えたとしても、
それを持ってくる人に話すと。
それこそピザの配達のね、
人とすごい話すとか、
郵便物とか、
それこそ宅配便とかね、
そういうものを届けてくれる方と話すとか、
分かります?
要は生活動線上で接する人と話す。
逆に言うと、
町内会コミュニティみたいなものが、
なかなか盛り上がらないとか、
場所によりますよね。
自治体とかエリアによりますか、
って言われているんですが、
都会部だとね、
都市のところとか、
でもそれが実は逆にプラスになるかもしれない。
プラスというのは、
転じて、
そういうところをやっていった方がいいじゃないですか、
っていう風になる。
それは当然だから、
ポジティブに言っていますが、
仕事の量が減るとか、
仕事でやる負荷が下がるので、
何かやる余裕が増えるっていう風に、
ポジティブに捉えています。
もっとマイナスとかネガティブなことはもちろん、
あるとは思うんですが、
多分そこで、
人と関わるコミュニティとか、
それこそ町内会みたいな、
ローカルなものとか、
それこそ町の家団とか、
お手入れされている方がいらっしゃるんですが、
そういうところでの、
ボランティア活動みたいなものが、
すごくですね、
活発になる。
なんでか、
って思いません?
そんなお金もらわずに、
なんでやるの?
ってなるじゃないですか。
でもそれがまさに、
やらないと、
心が豊かにならないみたいな話になって、
それは文字通りで、
ウェルビーングってことで、
心、精神豊か、
身体豊かみたいな感じで、
やり取りをしないといけなくなるんですよね。
だからそれもAIとか、
ロボットとかがやるかもしれないけど、
多分それは人がやったほうが良くて、
土触るといいとかあるじゃないですか。
まさに本当にそんな感じで、
自然に触れる。
もしくはそれを一緒に、
誰かと雑談しながらやるみたいなものが、
すごく関わる。
すごく価値が上がるような気がします。
今まで、
それが価値がなかったわけじゃないんですよね。
なかったわけじゃないんだけど、
経済活動なり、
お金を生み出すとか、
実用性のほうに、
価値を切ってきたわけですよ。
本当そう思いません?
だから、
思わない方もいらっしゃるかもしれませんけど、
僕は思っていて、
社会活動の重要性
そういうのは価値がないわけじゃないわけですよね。
NPOと活動が大事だからやるんですよね。
必要だからやるってわけですよね。
立ち上げたりね。
でもそれは、
やっていくことで社会が良くなるみたいな、
それは本当にさらっとポジティブに言っておくと、
そういうことをやっていくことで、
時間が、
社会に関与するとか参画するってことですよね。
参加するってことが、
増えるんじゃないのかなと思います。
つまり、より人間社会ってものがあったときに、
経済活動だってことで、
いろいろ時間を、
搾取というと怒られると思いますが、
奪われてたみたいなところで、
AI等が入り、
時間が増えて、
いろんな社会活動なり、
コミュニティの活動なり、サークルなり、
見過ごされてたとか、
時間がなくてできないことがやれるようになる。
時間がなくてできるようになるというよりも、
コミュニケーションというのが大きいですけど、
それを一つの起点にして、
日常生活に関わる人ですね。
AIとかロボットじゃなくて、
関わる人に対して、
よりコミュニケーションの密度が上がるんじゃないのか、
というのが一つの説です。
具体的には、
例えば書店とかで、
独立系書店というのがいろんなところでできてるんですけど、
これはやはり意味があると思ってて、
やはり意味があると思ってて、
書店というものがビジネスとして成り立ちづらいみたいなところを
踏まえていただくと、
じゃあなぜやるの?ということになるんです。
多分それは、
人は本を読みたいとか、
あとは何か知識に触れたいというのはあると思うんです。
僕も本屋さんが好きなんですけど、
でもそれを抜いたとしても、
でもなんで本なの?ということになるんですけど、
それはやっぱり本ってイコール人なんですよね。
その著者であり、
その人の考え方であるんで、
それが別に、
文章とかもそうなんですけどね。
結局ね。
その誰かが書いた、
AIが書いたものじゃない。
もちろんAIが全部書いてたってなってて、
AI本みたいなのがあったら、
それはほとんど意味ないんですけどね。
人に触れて会いたいみたいになるわけです。
仮にそこにある本が全部AIが書いてたとしても、
仮にですよ。
本屋の価値は、
そこにある本をそこで読んで話をする前は、
議論というとちょっと堅苦しいんですけど、
この本どうだったとか、
そういう話をする。
AIの本だったねっていう。
っていう会話をできるわけですよね。
リアルベース。
本屋さんという人はリアルの書店の方です。
これが本屋さんのリアルじゃなくても、
本屋っぽいものということで、
読書館みたいなコミュニティのオンラインで集まるようなものも、
もっと増えてくるか、
水面下で個々が、
僕がどうってことで、
僕一人がどうやるとかじゃなくて、
社会的ですね。
多数の人がそれに気づいてやっていくってことが、
起こり得るんじゃないのかなって話です。
それは本屋としては多分相性がいいし、
そういう意味で本屋がなくならないし、
もしくは本屋が今までの本を売ってるっていう価値を、
ではないところで話をするとかコミュニケーションをするんだと。
そんな風になっていくような気がします。
なっていってるし、
僕はなっていく方が面白いんじゃないかなって感じがします。
多分ですけどね。
だから本屋さんの価値も変わるし、
本屋さんでの仕事も変わるしってことになっています。
本屋の役割の変化
だいぶ話が大きくなりましたが、
結局クリエイティブエッジ社会というものにだいぶ戻すと、
本屋さんの例でもいいし、カフェの店員さんでもいいし、
それこそプログラミングとかシステム開発とかもそうかもしれないですけど、
それこそ最初に上流で設計したり要件定義みたいなことをやって、
言うじゃないですか。
その人たちの価値は上がるかもしれない。
その間でコードを書くとか、
テストするというのがAIがだいぶやっちゃうので、
変わってくると。
最後に納品します、納品しました、補修します、運用しますというときに、
AIでさっきのオペレーターの人と一緒で、
AIでやり取りしてお客さん企業側がそれで解決したり、
担当者側のほうで解決できるようなものは多分上がると思うんですよね。
もしくは変わらなくても調べたりAIに聞いたりして対応をする、
いわゆるAI補修担当みたいなのが出てくるんじゃないかなと思いますね。
それをやって解決したらもう終わりじゃないですか。
じゃなくて、それ以上のことで補修運用とかをやる企業、
もしくは開発した企業、開発してくれたところに
人に聞くということになると、何が起きるかというと、
シンプルに、これはあんまり言うと怒られるかもしれませんが、
単にその接客みたいになってきて、
感じがいい人がいいと。
対応がいい人がいいという。
物調ドラというか、無愛想で聞くんですか?みたいな人。
そういう方もいらっしゃるかもしれないですけど、
それだとあの人じゃない人がいいです、みたいな感じです。
もしくは職人寄室とかでもいいんですけどね。
どういう感じでその対応をするかというものが求められる気がします。
それもクリエイティブな気がします。
だからプログラマーの人の仕事がなくなるとは思わないんですが、
いきなりないんですが、
その仕事の質がクリエイティブよりかコミュニケーションよりになるか、
もしくはそういうのをやりたくないなら、
完全にクロコでAIのコードをチェックするとか、
そっちの方になっちゃいますよね。
どうしても。
もしくは上流で設計するとかになります。
だからポイントは、人が関わるとかコミュニケーションするというところが
価値が上がる、もしくは想像的に全員体がならざるを得ないということですね。
伝わりますかね。
だからカフェだとイメージしづらいかもしれないですが、
スーパーのレジみたいなところでセルフレジと友人レジがあったときに、
セルフレジでもいいわけですよ、一旦。
効率を考えたら。
10台に対して5台に1人くらい、店員さん見てますけど不正がないようにとかね。
万引き防止とか、そういう感じでやれば5台同時に使えるし、
明らかに1人を立てておいた方が5人分雇うよりいいわけです。
経営的な話ですよ。
だけど、友人レジが仮に無くすとそこでコミュニケーションが消えるんで、
会話が消えるって言った方がいいですかね。
お客さん同士の会話しかなく、もしくは静かになって活気はないですよね。
それこそ、いらっしゃい、いらっしゃいって言ってタイムセールとかってあるじゃないですか、スーパーとかね。
最近だと試食とかシーンとかだいぶ見かけるようになりましたけど、
そういうのもあるわけじゃないですか。
そういうのが活気になると。
それって人と人じゃないですか。
AIじゃないですよね。
AIはあまり通さない。
もしくはAIを通しても人が直接人とやり取りするから、
ああ、なんか賑わってるなと、活気があるなと。
人っ気を感じるってことですね。
そこが価値になるから、友人レジもやはりすごい、
必ずレジを通さなきゃいけないわけなんで、そこで価値になる。
だから、ピッピとスマートレジみたいなもので、
アプリとかスマホで通してできるものは確かに便利なんだけど、
便利が故に寂しさがあると。
わかります?
だから少しぐらい不自由な方がいいっていうのも、僕はあるかなと思います。
あえて人によっては、
いや、そんな喋りたくないんだよっていう人ももちろんいらっしゃると思いますが、
たぶんずっと喋れなかったり、何も会話しなかったら、
たぶんボケるというか、頭もめぐらないですし、
対応力みたいなのが生まれないし、
やはり社会的スキルみたいな意味で話すことで伝えていくってことが、
AIがあるからやらなくていいやってもしかしたら考える方もいらっしゃるかもしれませんが、
逆なんだと思います。
より雑談とかよりコミュニケーションしてその人と接する方に、
価値が出てくるっていうのが僕の見立てです。
あくまでも僕が勝手に言ってるだけなので、
絶対そうなるとは思いませんが、
僕はそういうものの方がいいなっていう風に、
舵を取るというか、そっちがいいなと思ってますね。
ご機嫌社会みたいなのを言ってるんですけど、
そっちの方がいいんじゃないかなと思いますね。
AIロボットとかでご機嫌取っていい感じに生きるも全然ありなんですけど、
結局人だと思うんですね。
人が面白いかどうか。
人と話して楽しいかどうか。
そこですよね。
それでしか得られない成分みたいな言い回しがあるんですが、
要素というかね。
それって結局人と誰かと話すしか得られないものがあるんじゃないかなってことです。
ポッドキャストもそういうのに近いんじゃないかなと思ってて、
今後ラジオポッドキャストも復興してるか復元してるかわかりませんが、
僕のラジオもですね、諸国ラジオも、
このラジオでしか得られない成分が何かあれば、
何か出てたら嬉しいです。
出てなかったらそれはそれでいいですけど、
その人がですね、僕AIじゃないんで、
僕が喋って何か伝えようとしてる、
あがいてる感情をですね、
その劇場みたいに楽しんでいただいて全然結構で、
それで何か少しでも何かいいなと思ってくれたらいいっていう話ですね。
で、そのクリエイティブエッジ社会ってことで、
その想像的に人と接する、もしくは人とAIが接するところですよね。
の立場の人とかポジションとか役割っていうのが価値が上がる、
もしくは想像的になるって意味で価値が上がるってことですね。
で、そうじゃないAI、もしくは間中間のところの部分は
AIで慣らされてしまうとあまりやる、
価値がなくなるというよりもやることがなくなるんだと思います。
実際にやりとりとしてね、業務としてね。
やりとりとしてなくなったら何やるかってことになりませんか。
実際にそんなやることを考えるのは、
企業側とか経営側の仕事でしょっていうのは全然ありなんで、
それはありなんですけど、実際にそれを想像してみたら、
リセラーのあなたが想像していただいて、
これなくなってAIがやるようになったらどうするのって言ったら、
多分AIの子が上手かったり、再現性が高かったらそれで終わるじゃないですか。
終わるんで、次に人は暇になるわけですね。
暇だと多分精神をやむか、
何でもいいので学んだりしたいと。
それこそ冗談でもなく、
AIとのコミュニケーションの重要性
例えばパズルゲームみたいなのがあって、
そのパズルゲームをただやってるだけでお金がもらえたら楽しいですか。
詐欺とかもダメですけど、楽しいですかって話なんですよね。
僕はそれを楽しいとか楽しくないとか置いておいて、
それでお金を得られればいいんですよっていう考え方ができるのもわかるんです。
ただ、虚しくなるだけだと思うんですよね。
カルマというか業がたまっていって、
その憎しみというかすごいものになってしまうわけですよね。
そんな恨みを買うようなね。
そうじゃなくて、関わる人接する人が幸せになったり豊かなったり、
あの人と話したら楽しいとか面白いとか、
こういう切り口があの人らしいよねみたいな風で、
お互いをリスペクトするというか、
いいよねっていう方が良くないですかねっていうのが、
僕の社会観というか考え方なんですよね。
だからそれがAIによってよりできるかっていうのはまた別問題だし、
別問題だと思います。
みんながみんな、そうやって接していくのいいよねっていう風に、
みんながみんな思うとは僕は思ってないんですけど、
少なくともポジティブにAIだったり、
今後の社会を考えていった方が僕はいいかなと思うので、
少なくとも謎なんですよね。
握ってるのは人間側なんで、人間がAIをどう使っていって、
それでじゃあパズルゲームやってて、
いや虚しくないです、ゲームやっててお金もらえない、それでいいですっていう人も
もちろんいると思うんですよ。
でも多くの人はパズルゲームやってても何も面白くないというか、
飽きるはずなんですよね。
だからそのパズルゲームをやるにも工夫がいるはずなんです、アイディアとか。
もしくは誰かと一緒にやるとか。
で、結局人かアイディアかどちらかがいるか、もしくは両方。
両方ないともう作業であり、
AIで代替されてしまうんじゃないのかなと思って、
クリエイティブエッジ社会というのをちょっと、
唱えるというかね、まとめてみたというところになります。
じゃあクリエイティブじゃないものも残るよねとか、
作業っぽいのも人間必要だよね、もちろんその通りで、
それは全部否定するわけじゃないんですけど、
なんかそのクリエイティブじゃないというか、
何もその頭を使わなくていいよ、
それでやってるだけだよっていう風に言われる方いらっしゃるかもしれないですけど、
それはほとんどのものがAIやロボットとかに変わっていくっていう見方ですよね。
変わっていくと、さっきの話でそこにいた人がいなくなるので、
その人は暇になるか、もしくは違うことをやる。
よく言われるのがロボットとかAIをメンテナンスする仕事になっていくっていうのは、
ある種シュールではありますが、
でもそんなシュールでもなく、変わったんだよねみたいな、
仕事を直接じゃなくてAIをメンテナンスして間接的にやり取りするんだよねとか、
今台数これくらいやってるよとかそんな風になったり、
もしくはそのロボットで対応できないものをその人がやるっていうようなものがコミになっていく。
だからそれこそプレイヤーみたいな人がマネジメントをやるような、
リーダーとかチーフみたいになって、よりマネジメントの側になったり、
好むと好まざるに関わらずですね。
マネジメントとかその人で何かやるのが好きな人は、
よりAIを使ってパワフルにやるかもしれませんよね。
もしくはそのクリエイティブな会話とか雑談とか、
AIとかロボットが得意なこと、不得意なこと、もしくはアイディアとかを
人側が出していくってことで、
相対的に社会のクリエイティブ度が増すんじゃないのかなっていう風に、
これは理想でありちょっとややバラ色でポジティブなんですが、
そういう風になっていったらいいなと思いまして話してみました。
人間同士の関係性
リスナーのあなたのAI観、社会観どういうふうにお考えでしょうか。
ポイントとしてはやっぱり人と話すことが面白いとか楽しいという風に
僕が思っているだけなのかもしれません。
だから多くの人はそんな人と話したくないですとか、
できればずっと溜まって過ごしたいですっていうね、
人もいらっしゃると思うんで全然それを否定してないですけど、
それはそれで置いといたときに僕ができることは何かって言ったら、
ここで喋ってるんで、喋りますよ、喋り続けますよと。
ポッドキャストを始めたのも喋ってた方がいいということで
喋ってるんですけど、そこが上がるとちょっと
この人やばいなって思う方もいらっしゃるかもしれませんが、
喋っていきます。
それで喋っていったものがどうなるかは置いておいて、
喋っていってどうなるかご一緒にですね、
この人どうなるんだろう。
動物園、オリみたいなのを観察してますよね。
でも動物からすると人間というのを観察されていると。
お互い観察し合ってね、楽しんでいきたいといければと思います。
今回は以上となります。
クリエイティブエッジ社会。
今の進捗というかパーセンテージは分からないですけど、
AIエージェントとか来たらだいぶ変わってしまうと思うので、
今のうちにAIを使ったり考えてみたり、
それこそは別に仕事を転職して変えてみるでもいいし、
仕事送りとしてね、副業なんでもいいんで、
自分で仕事ができたらいいなとやってみる、
そういうものを少しでも応援できればいいかと思います。
以上となります。仕事送りラジオ大橋でした。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
以上失礼いたします。