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シゴクリラジオ
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
今回のテーマは、最後は愛嬌かもしれない。
最後というのは、その人のイメージや印象を決定づける何か、話しかけやすさと言ってもいいかもしれませんし、
同時に話しかけにくさも大事だと思うんです。
分かりますかね、その辺り。
分からない。その辺りを少しずつ話していきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオの大橋です。今回のテーマ、最後は愛嬌かもしれないというわけで、
最後って何かというと、その人の印象を決定づける何かって何ですかって言われたときに、
いろいろ考えていくと、最終的には愛嬌。愛嬌っていうのは結構難しい言葉なんですけど、
フレンドリーみたいなものでもいいですし、フレンドリーって友達じゃないのに有効的みたいな感じになるから、
役者と言いますかね、友達風を演じているっていうのもあるわけですよ。
なんかそれ怖くないですか?
なんでフレンドリーって言葉をあんまり使わずに愛嬌って言ってるんですけど、
可愛いとかもちょっと違うんですけど、愛おしいとか愛らしいとかもあるかもしれませんし、
冒頭に話したように話しかけやすいとか、もしくは話しかけにくいもあるかなと思って、
これ何かっていうと、なんで話しかけにくいが出てくるかっていうと、話しかけやすいから話しかけられると。
そこまではいいんじゃないかなと思うんですね。話しかけられないように。
ただそれは話したいとか交流したいとか、もしくは常に交流モードだったらいいじゃないですかって話ですよね。
要は話しかけられやすい人の課題っていうのがあるとしたら、
ちなみに僕は話しかけられやすいかは分からないです。むしろ憎い方かなと思ってるんで、
話しかけられやすい人の課題は要は一人で考えられないですよね。
なんで一人考えられないかっていうと、一人の時間を取ろうとすると話しかけられるからですね。
話しかけられるがゆえに、別に一緒に考えたらいいじゃないみたいな風になってて、
みんなでみんなでやろうみたいな風になっちゃうかもしれませんね。これは推測なんでちょっと分からないです。
話しかけてほしいんだけど全然話しかけられないみたいな人がもしかしたら多いかもしれませんが、
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愛嬌が不足してるっていうと、元も子もないし、僕も愛嬌不足してるかもしれないんで、
自分に対して言ってるようなものもあるんですけど、
でもね、そういう愛嬌レベルを比較する話は別にここでは全くなくて、
単にリスナーのあなたがですね、誰かに話したいとか問い合わせでもいいですよね。
何か相談したいとか、何かありますよね。
このコミュニケーションをとるタイミングにおいて、その人の何を基準にするかっていうことじゃないですか。
これ結構難しくないですか。
例えば実績があるとか、著名であるとかね、たまたま近くにいたとか、知り合いだったとか、
その人しか話す人がいないとか、いろんな理由があると思うんですけど、
その話しかけにくい、あえて話しかけにくいみたいな人に連絡取らないじゃないですか、みたいなことを思うんですよね。
僕は割とどうすかって話しませんか、みたいなことを言う方なんで、
もちろん企画をやる人はそういうふうなものを、その動作をね、誰とでも仲良くなれとは言わないけど、
コミュニケーション自体の部分で、作法というか原理原則レベルでって思うんですけど、やっぱり慣れないと辛いですよね。
カジュアルに連絡を取るってことができないと、誘えないんですよね。
で、誘えないってことは何が起きるかっていうと、誘うコストが高い。
つまり誰かを誘うためにすごい考えたり、すごいネタバレをしたり、
そもそもそんなことはなくて、まず相手の状況を知ったりとか、
もう今はどんな予定も入れられないとか、逆もありますよね、どんな予定でも入れられるか。
だからまず誘ってみないとわからないですよね。
っていうのがあるんだけど、誘うコストが高くなるから、考えちゃうからまたできなくて、みたいになっていくっていうのは、
あると思うんですよ、苦手な方ね。
そういう人は確かに企画ってあんま向いてなくて、向いてないって言うだけです。
やるなって言ってないぞ、向いてないなと思ってて、そのコストが低い人のほうがそれは有利だなって思います。
で、話を戻しますと、愛嬌みたいなのがあるのかなと思ってまして、
特に愛嬌って言うのが好きなんですけど、
特に最後の印象とかが強いのかなって、僕の場合ですよ。
最後の印象が強いかなと思ってまして、その最後の印象があんま悪いとか、
なんだかなってモヤっとする感じだと、連絡あんましないですよね。
どうですか、リザーナのあなたはどうでしょうか。
連絡をするっていうと、その人と仲がいいとかももちろんあるんですが、
特に仲がいいとかでもあんましないですよね。
定期的にやり取りしてるっていう方が僕もいるんですが、それなりに。
そういう人って、最後の印象がもうこれはダメだなっていうか、
なんか違うなみたいなのだったら、結構ね、そこで何かやるとモヤっとするじゃないですか。
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で、そこで関係性があれば、なんでこんな風になったんですかね、みたいな。
要はメタっぽいやつですね。
間奏線としてそのやり取りをしているときに、
どうなんだろう、これ僕の誤解ですか、みたいな。
っていうことを説明して、別に誤解ですよ、みたいなこともあると思います。
全然あると思います。
ただ、これはもう経験則でいうと、そういう何か疑念を抱いている時点でもはや、
関係性って結構ヤバイなと思ってまして、
その関係性って結構ヤバイなと思ってまして、
疑念っていうのが根っこレベルであるからこそ、
枝派でこれどうなの、あれどうなの、みたいなことが起きていると。
そのことを思っちゃうんですよね、僕はね。
なのでまとめますと、やっぱり愛嬌と言いますか、最後ですよね。
その人と最後にやり取りをしているときに、
その愛嬌と言いますか、最後にやり取りをしているときに、
その愛嬌と言いますか、最後にやり取りをしているときに、
その愛嬌と言いますか、最後にやり取りをしているときに、
その愛嬌と言いますか、最後にやり取りをしているときに、
那個いい感じの人だなっていう風に思っていただければね、
あのご連絡いただくとか、
なんかそういうことがあるんじゃないかなと思ったりします。
なんかそういうことがあるんじゃないかなと思ったりします。
ちなみに僕は、体感でですが、
体感ですが、誰かに招待されて何かやるよりも、圧倒的に自分の方が手数が多いというか、提案しているので、圧倒的に僕の方が誘うことが多いんですよね。
で、ちなみにこれに関してどやーと言っているわけは全くなくて、自分の中では普通にそういうのをやっているので、
何て言うんでしょうね、やったぞとか、誘ってやったぞとかね、そういう人いません?
自分がやってやったんだぞみたいな人いますよね。
実は何とかそうだとは言っていませんが、そういう方と相性が非常に悪いわけですよね。
あと僕そういう風にやられると嫌なんで、もう次はないというか、大人になっているのでご縁がないとかね、ちょっと機会がないとかね、そういう風にごまかしますが、
まあないですよね。その本当の理由、唯一とはないというのがありますよね。
たまにそういうことを詰めてくる人がいるかもしれませんが、それもどっちかに転ぶかですよね。
それではそうだったんだ、そんな風に思われてたんだ、ごめんなさい、これからはみたいな風になる?って思うんですけど、なかなか難しいんじゃないかなって思ったりしながら話してみました。
まあなんかそのコミュニケーションにおいてですね、愛嬌っていうのは要は能力とかそういうことでもないので、
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この愛嬌みたいな話をすると、能力とか高めてもしょうがないみたいな風にもしかしたら思われるかもしれないんですけど、それはそれとは別なので、愛嬌が良くて能力が高ければいいんですけど、
人って結構難しくて、能力とか技術の方に走っていくと、今も流行っているのかな?わかんないですけど、スキルがあれば食っていけるみたいなのってありません?
それはある種正しいんだけど、ここを誰も受け付けないとか、待っているだけとかだったらやっぱりダメだと思うんで、プライドが高いみたいな風に言っちゃうとちょっとうーんみたいになりますよね。
ここ難しいですよね。プライドが高いけどそれなりに仕事をしてくれる人がいるみたいな時に、でも求めるものって上質なものとかクオリティが高いものってもちろん言うんだけど、どういうレベルで言ってるか次第なので、
あまり偏らない方が僕はいいんじゃないかなって思ったりします。だから愛嬌があれば全部いいわけでもあって能力がいらないとかでもないし、能力があれば愛嬌いらないとかでもないので、僕は思うので、そのあたり、たまには気にするみたいなのが大事かなと思っています。
ちなみにこのラジオで愛嬌を振りまいているわけでは全くないので、つまんないなと思った人は全然つまんないでもいいですし、面白いなと思ったら面白いと言っていく。本当に割り切ってます。
いろんな人に聞いてもらいたいともちろん思いますが、そのいろんな人の中につまんないよねっていう人を集めていきたいというわけではないわけですよね。ここを結構仕事づくりでも大事かなと思ってまして、全くニーズがないとか全く特殊で1億人って1人しかいないと思ったら、さすがに商売とかビジネスとしては成り立たないかもしれませんが、
でも1億人だったら人口って世界80億人だから8人には響くわけで、その8人めちゃくちゃすごいと思いません?っていう風にも考えられるんで、考え方次第ですね。だから僕は少なくとも、たくさんの人に届いたからいいっていう風に、それはたくさん届いたほうがいいんでしょうけど、でもその届き具合って全然違うじゃないですか。
何だっけなあれ、三国志?いや、公威と留保?わかりませんが、将の兵じゃなくて将の将みたいな感じもあります。要はそのマネジメントとか経営とかする人とか、その人たちっていうのはやっぱり少ないわけです。10人いて1人とかもしくは2人とか、マネジメントの方がまだ多いですが、なんかですね、そういう人のために何か言えることもあるんじゃないかなみたいなことも思ってます。
別に僕はそういう経験ないんですけどね。なんか自分が経験してないから言えないっていうのもまたちょっと寂しくないですか。だから抽象化していろいろ合理的に考えたら言えることもあるし、合理では全然ダメだよねってことももちろん言ってますから、感情も入らないと、そうしたら何を伝えたいって思っているのか。合理だとできないじゃないですか。合理だと全部一緒になりますよね。
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っていうのは何度も確認してますけど、ロジカル心理とか合理的に考えると、合理のレベルもありますが、全て同じ結論になっていくんじゃないかなと思います。その全ての事情を同じように捉えていくわけですからね。そこに感情を乗せないとこの人が何を伝えたいかってやっぱりわからないんで、合理的に言えばバランスみたいな話になるんだけど、でもバランスなんだけど、愛嬌大事じゃないですか。
愛嬌大事かもねーぐらいの話が今回の話でした。愛嬌みたいなものはなければ、結局話してもらえなかったり、話が続かなかったり、話は断ち切られるというかね、話すと話が消えるとかって寂しくないですか。
そんなことを思いました。愛嬌大事にしてくださいって言われても何もできないんですけど、愛嬌大事かもねーぐらいの話で今回は緩く終わりたいと思います。四国理ラジオ大橋でした。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。以上失礼いたします。