人形みたいな、踊り屋みたいな感じなのか、それとも先生みたいに、頼み、頼み、駄目だよ、それは、みたいな。そんなことじゃ駄目だよ、っていう感じなのか、
母のように、なんか、あっちゃん、そんなんじゃなかでしょ、みたいな感じなのか、キャラ、キャラ、キャラがあるのか。
暴君にも?どんな人格の暴君なのか。
そう、暴君、どんな、暴君、
じゃあ、ちょっとその話。
いないから、暴君、たぶん、中に。
ええ、そうなんですか。
確か、マニュアルが、暴君というか、はい、わかりました、みたいな。自分の中にはいない。
そうか。じゃあ、暴君の話を、この後しようかな。
暴君、気になる。どういう人、どういう存在なんだろう、暴君が。
朝の一口目、夜の仕込み時間。
今回も引き続き、落田文子柴田さん、いや、のりちゃんに来ていただいて、お話をしています。
すごい気になってくれている、私の中の暴君っていう話をできたらなと思うんですけど、
これは結構、私の最近の自分自身の発見で、割と大きな出来事だったんですけど、
今、お世話になっている、目上の方がいて、結構その内政的な話をするんですけど、
その方からいろいろ仕事の話をしていた時に、何が聞かれあったかな。
なんか私が、アドバイスを求められた時に、何でそうなっているのっていうのを、
本当に何でそうなっているのかが分からなくて、相手はビジネスを立ち上げたいみたいな方で、
どういう仕組みになっているんだろうなとか、何でその思いとこのビジネスがつながるんだろうなが分からなくて、
何でそうなっているのっていうのを繰り返し聞いていったら、後々それが相手にとって、
すごいムカつく経験だったっていうのを知って、そうなんだって、ちょっとびっくりして。
え、そのやりとりが?
やりとりが、でもそれも今ちょっと自分でも分かるなって思いながら、
自分が熱意を持ってやろうとしていることを、何でそうなっているの、何でそうなっているのって、
ただただそれだけ聞かれたら、なんだよこの人ってなるな、確かにってすごい後から思ったんですけど、
でもそのエピソードをその方も客観的に知ってくれてて、
たのみさんの中に某君がいるよね、みたいなことを言われて、
その時知りたいって思ってとか、何かこう自分の経験から言えることがないかなって思って知りたいって思ってたと思うんですけど、
その聞き方とか一つが多分、何でもうちょっと説明できないんだろうとか、
何で設計できてないんだろう、みたいな気持ちがあったんじゃないか、みたいなのを見透かされていたというか、
そういう意味で某君いるよね、みたいなのを言われて、
多分その方が言ってくれたのは、そのエピソードだけじゃなくて、やりとりしてて私から感じるんだと思うんですよ。
私が割とお願いされてたものは100%以上で出さないといけない、みたいな感覚とか、
もうお願いされてるんだからそんな、こっちの学びよりもとにかく成果物だ、みたいな。
そこは最低限の責任だと思って、仕事を出したりとか何かを相談人にする時も、
この人の時間をもらうわけだから、自分の現状を正しく説明して、時間が無駄にならないように、
こう、的確に説明して、こういう状況でここに困っていて、こういうことが聞きたいんですけど、どう思いますか?とか、
準備して聞くみたいなのを一生懸命やっていたりとかする時に、それをやってない人にジャッジが厳しくなるというか、
みたいな時が多分あって、それを暴君って指摘されて、でもみんなそれぞれやりたいこととか、
異体世界観とか全然違う中で、それをなんでやらないんだ、みたいな態度で接することは、いい結果にはならない。
で、でもその時言ってくれたのが、なんかその暴君自体も多分役立ってきた、私の中で。
それを飼っていることによって、何かを乗り越えられてきたっていうこともあるから、
でもこれからは多分それを暴君のままじゃなくて、なんかもう少し違う形にして出せたらいいねっていうことを言われたんですよね。
確かにそれは役立ってきた。私が例えば心が折れないとか、何かを実際に乗り越える時に役立ってきたかもしれないけど、
それは自分の中で役立たせるのはいいけど、暴君って名前のままだと、
なんか相手をジャッジする、指定するとか、なんでここまでやってないの、みたいな気持ちが出ちゃう、みたいなものに使われちゃうから、
何に役立ってきたかをちゃんと思い出して、もしかしたら名前変えれたらいいかもね、みたいなことを言われたんですよ。
で、それまで自分で一応事業と呼ばれるものをやっていく中で、悔しい思いとかもしていく中で、いろいろ活動してきたんで、
もう鎧は着てなんぼ、みたいな感覚で生きていたから、脱いでいいよ、みたいな感じが衝撃すぎちゃって。
暴君もういらないよって言われて、大丈夫です、それ、みたいなのが結構衝撃だったんですよ。
だから自分を守るために着けてたもの、身に着けてきたものが逆に人に対して厳しくなっていたっていう。
人に厳しくすることをしなくてもいいよってこと?
厳しくするイコール鎧なの?
厳しく…なんだろうな。
自分ができてる当たり前、難しいことじゃなくて、自分にとっては難しいことじゃなくて、当然のことだと思うことをできてないものに対して、
なんでやねんっていう。
その方と今やろうとしているのは、何かをできるようになるためには、できてないって指摘をしたりとか、威圧したりとか、やらなきゃいけないって咳立てるみたいな方法もあるけど、
それは最善策ではないと思っていて、
なんかそれでやると、それこそ全然優しくない世界観の戦い方だし、
何かをできるようになる時って、たぶんその方が、自分まだやったことない、やれたことがないことをやるために適切な手助けとか気づきとかを与えていって、
でもその熱意は失わずに、これできたらこうなれるみたいな希望とか、こうやったらここにいけるんだみたいな、
内側のモチベーションをしっかり高めながらどんどんできることを積み重ねていくっていう方が、
結果的に自分でやれたっていう感覚にもなるし、やれた喜びにもつながっていくし、
でもその、なんか咳立てられてとか、ビジネスってそういうもんだからみたいな、甘いこと思ってんじゃないよみたいなのでやっていくって、
結局、なんかどんどんそのビジネスが成功していったとしても、なんか怯えながらやっていくというか、
こういう世界で厳しい世界だから、やってないと死ぬんだみたいな世界観でしか努力していけないみたいな感じにもなっちゃうから、そっちじゃないよねみたいなのがあって、
なんかその、なんでできないんだにはあんまり意味がないというか、短期的というか、その場ではヒヤッとして何かやれるかもしれないけども、
一生怯えながら、
そうね、脅迫観念みたいなね。
脅迫観念で生きていくってつらいじゃないですか。
そう、なんかそっちじゃないよねって。
なんかこう、解きほぐすみたいな、なんだろう、なぜできないのかを、なんだろう、という、でも結局気持ちの問題かなと。
やる気がそこまで出ない、出てないっていうことなのか、その人がそこまで向き合えない、そのめんどくさいことまでやるのに、気持ちが強くないというか。
なんか、気持ちはめちゃめちゃあるんですよ。
それはみんな自分でこう授業をやりたいって思ってたら、思いはめちゃくちゃあるし、時間もしっかり使うし、それこそその場で私が出会った場所って、どうしたらうまくいくかを学ぶ塾みたいな場所だったので、
やっていきたいっていう思いはあるんですけど、でもやっぱりやったことないことってそれを考えるっていう頭すらなかったりとか。
やり方がわかんないとかね。
だから、私も今本当発見の連続なんですけど、ビジネスやるときってこういう構造で物事を見ないといけないんだとか、
それこそ、この間前回お話しした、全員来てもらいたいって思ってたら誰にも刺さらないビジネスに結局なってるみたいな話の考え方とか、
いろんな概念が無数にあるんですよね。
それをやっぱ知らないと考える頭も持てないし、でもがむしゃらに一生懸命はやっているみたいな状態。
そこに一個こういう考え方があるよねみたいなことを、その今いるステップに合わせて共有してあげれたら、
次一回これで整理してみよう、みたいなことを思えたりして一歩こ上がれるみたいな。
その繰り返しでしかない。
だから、せき立てるだけには意味がないんですよ。
それって、こうなる、こういうものにしたい、こういう会社にしたいというか、こういう事業にしたいみたいなのは明確にあっての、
じゃあここに行き着くにはどうしたらいいのかみたいな方法を学んでいるっていう。
学ぶのに、それはどういうことだなっていう質問になっていくっていう。
やることはもう明確になっている状態。
皆さん、それがやりたい原体験があったりとか、
あともうすでにもうスタートをしていて、生み出したいサービスの形とか場所とかは、
ここから結構流度がありますけど、もう作り始めているものがあったりとか、
でもその設計自体が、この人にこうなってほしいっていう思いがあったのに、
本当にこのサービスの設計でよかったんだっけみたいな結びつきが、
ちょっと実はよく考えると曖昧だったりとかするみたいなことがあって、
やりたい世界観はもう持っている方がめちゃめちゃ多い。
他と似たようなものって多分他にもある世界だと思うんだけど、どの業種も多分。
それはこう、自分は他とはここが違うみたいなのがちゃんとあるのかな?
それも、やっぱり駆け出しの時って、そこまで設計して始めたりしないですよね。
私もそうですけど、ただただ作りたくて、これがあったら素敵だって信じてやまなくて、
作ってみてとか作っている途中でやっぱり相談して、
初めて競合っていうものを意識したりとか、それもやっぱり意識してみようっていうフレームワークがあって、
そうか、意識するものなんだとか、そこで初めて気づくというか、
だから本当にきっと柴田さんもラクザ文庫を作る時に、きっとこういうものがあったらっていう、
そんな構造とかから入ってないと思うんですよ。
こうしたら、この設計なら儲かるみたいなところから、多分スタートしてないと思うんですよ。
この世界があったら絶対に素敵だって思ってスタートしてると思うんですよね。
旦那と私がちょっと違ったんだけど、旦那はやっぱり本を売るためにはみたいな。
本を継続して売っていくためには、本屋っていう本をただ売るだけのものでは成り立たなくなっていくであろうから、
カフェというものを併設することで、カフェというものでお金を生みながら本を守り続けるみたいなことがやれたらね、みたいなことで、
はぁはぁって言って、じゃなきゃもう食べていけなくなるんで。
がなくなったら。っていうのでやってたので、お金のためといえばお金のためというか、生き抜くためというかで始まってはいたけど、
そこに、じゃあどういう場所がいいの?みたいになった時に、こういう場所がいいっていうのがあって、それを作った感じ。
まぁ、でもそんなに絶対このビジネスで私はみたいなのが、私にはなく始められたから、
あれですけど、やっぱりもうこれでって思ってる人は、これでやっていくんだ、みたいな。
人はやっぱりこう、勉強もしないとって思ったりするかもしれないし、なかなかね、
競合もいたら、やっぱり比較もしないとというか、いけないし、っていうのは。
だから熱い思いと、ものすごく冷静な判断と同時にしていかなきゃいけないみたいな。
分析するみたいなね。冷静にね。
そこは大変ですよね。
そうだね。そこで暴君が発動していたところを、どう制御するんですか?
どう扱うんですか?それ。
結局、何で助けてくれてきたかを思い起こしたときに、何だろうな、
何か話、交渉しに行ったはずだったんだけど相手にされなかったな、みたいなこととか。
なんかこう、何だろうな、一大人としてとか、事業をやりたくって言ったはずなのに、
あんまそう、もしかしたら見られなかったかもな。
だからその、信頼がおけなかったら、話もきっとしないというか、
例えば大きい企業同士が企業名を背負って交渉しに来るのと、
よくわからない個人が、こういうことをやりたいんで、こういうことで協力していただけませんか?って来るのと、
だと相手も全然受け取り方が違うじゃないですか。
期待値と信頼感と、
それが何か、自分の経験不足とか話し方不足もきっとあったと思うし、
でも何かそれが悔しかったときに買い始めた感じがするんですよね。
悔しいなって思ったりとか、優しい感じだけじゃダメなんだ、みたいな。
信頼のおける喋り方って何なんだろうなとか、
ビジネスとして会いに行った方であれば、
フニャフニャしちゃダメだとか、
必要なことだけ話さないとダメかなとか、
あとは、知ってますよをアピールしながら、
今この辺ってこうなってるっぽいですけど、この業界どうなんですか?みたいなことを、
ちゃんと理解してますよみたいなことをアピールする会話みたいなのを入れなきゃダメかなとか、
その気持ちを奮い立たせるための勝ってる気持ちみたいな。
それでよく言ってた舐められちゃいかんみたいな、そういう心理が。
そうか。
それが、それを相手を厳しく見るみたいなジャッジの視点になっちゃうとポークになっちゃうんですけど、
本来はきっと負けん気とか、なんか折れない気持ちとか、
そういうものだったはずなんですよね。
そこを、だから助けられてたんだなと思ったんで、
それはそれで、ありがとうともいったん思って、
でもそれをだから、私はなんだ、それこそこの数年で、
それを大得していったわけで、
それを数年前の自分になんでできないのって言っても、
する必要がなかったからしてなかっただけなんですよね。
優しい世界で生きてこれてた。
それをなんでできないのっていう意味もちょっとよくわからないなと思ったし、
だから必要になって、
でも某君として出す必要はやっぱないんですよね。
その時、過去の自分が、今ここまではできるんだなって思ったら、
次、じゃあこうできるようになった方がいいなっていうのがあった時に、
それができるようになるために必要なものを手助けしてあげればいいだけで、
なんでできないんだって言う必要はない。
なんかすごいやっぱり、女性が一人で、20代くらいから。
その時はそうですね。
やっぱり足元見られるじゃないけど、
そういう感じの、普通男性だったらそんな感じじゃなかったかもしれない部分が、
多々あったのかなっていう、結構辛いというか、
差別じゃないけど、そういう感じもあったんだろうなと思うと、
しんどい思いもあっての生まれてきた坊くん。
経営者って孤独だし、坊くんがいったからやってこれたっていうのは大いにあると思う。
けど、女性で起業してる人とかも世の中にはいっぱい多分いて、
みんなじゃあそういう人たちが多分同じような傾向をみんな多分してると思っていて、
そこで坊くんを勝ってる人と、勝ってない人は果たしているのだろうかみたいな。
客観的に見てて、もともとわりと強くいれる人もいるし、
坊くんいそうだなって見える人もいるし、
でもそこを突破して、今も堂々としてるなって思える人もいる感じがします。
それって男性とかにでもそうなのかもしれない。
でもそうだと思います。
坊くんがいないとやっぱり経営って難しいなって思ったりする。
折れちゃったら会社なくなっちゃうから、折れちゃうわけにいかないってなると、
やっぱ買わなきゃいけない時はありますよね。
勝って強くなった上で、ありがとうって、さよならできるというか、
やっぱりその道は絶対に通るべき道なのかな、坊くんを一度買うというのは。
そうかもしれないですね。
一人でっていうのはなおさら、なんかみんな経営者は孤独って言うけど、
本当に孤独だと思うから、
やっぱりアルバイトしかしてなかったり、雇われしかしてなかったから、
違うなって思うんですよ、やっぱり。
そこでなんか孤独はすごく感じる。
やっぱり雇われは気にしなくてもいいことがいっぱいあるんだなっていう。
言われたこのエリアのことだけこなして帰ればいいっていう。
なんかその責任とかも含め、っていうのがなんか、
その経営する側の立場ってなってみないとわからない。
わからないですよね。
わからないから、本当私一時はアルバイトしたいって思った時がすごい。
アルバイトをしたいなって思った時がある。
考えることがありすぎてっていうか、気にすることがありすぎて、
なんかそのアルバイトになりたいって思ったことがあるけど。
そうですよね、お店どうしてこうとか、お客さん増やさないといけないかなとか、
このままでいいんだったっけとか。
それを常に常に、なんかこうお客さんの様子だったりとか、
お客さんの入り方だったりとか、体感しながら、
常にこう、それに惑わされるじゃないけど、
なんかこう、ブレさせられながら、
なんかこれでいいのかな、これでいいのかなって思いながら、
ずっとやり続けるみたいな。
なんかそれがね、アルバイトではなかったなと思って。
正解もわからないし、指示してくれる人もいない。
そう、全部自分の中の感覚とか、自分からずれてないかとか、
変えるにしても、おかしなことにならないだろうかとか、
そういうことを気にしながら、なんかこう、やるのってすごく孤独だし、
やっぱり誰かに相談はしたくなるし、答えは欲しくなるよね。
答え欲しくなりますよね。
そこでやっぱり外にも、わかってくれる人がいないっていうのなんかは思わない。
この感じ。
本当にそうですね。
わかってくれる人がいない感覚がすごくあるから、
なんだろう、勝っちゃうよね。
違います。
僕、勝っちゃうんだろうね。
平柴田さんは勝ったことないんですか?
あ、のりちゃんだった。
のりちゃんね。
私、勝ったこと…いや、常にそうやって悩みながら、
じゃあどうしたらいいんだろう?どうしたらいいんだろう?っていうことしか考えてなかったから、
いや、でもそれをしたらこうなるし、みたいな。
っていうので、なんかこう、常に…悩みを言う?悩みを言う?
なんか例えば、お願いしていたバイトさんに、
もっとこうしてくれたらいいのに、なんで頭が回らないんだろう?って思っちゃうとか。
あー、あったな。
そういうのは、これができないのかっていうのはあったりはした?
私もそういう気持ちになった時があって、それもなんか暴君なんですよ。
分かりっこないタイミングだったりするのに、
かつその代表なんて毎日悩み尽くしてるわけだから、
だったらこうした方がいいよなとか、もう考えてる時間が違いすぎて、
理想のやり方とかって、もうどんどん考えてるわけですよね。
でもそれをお願いしたその相手に、
こんだけ自分の人生みたいな感じで考えている理想とギャップがあった時に、
そこになんでなんだろうって思っちゃうというか。
でもそれも違うわってなったりして。
そうね、でもそれはできるようになってもらうしかないというか。
だから、こうしてほしいよって言うしかないんですよね。
言っても、でもできないっていう。
時には、参ったなぁにはなる。
だから、いやーでも、バイトが何人か行った時に、
この子はじゃあもうしょうがない。
この仕事しなくていいよ。
でもこの子は他の全部やらなきゃいけない。
みたいなのも、なんかどうなんだろうって思ったり。
差が出ちゃうってことですね。
そうそう、同じお給金いただきながら、
この子はもうしょうがないっていうのとかも違うかなとか。
でもできないって困るよねっていう。
でもなんでできないんだろうっていうか。
訓練しかないのかなっていうのは。
訓練。
訓練。やれるようになってもらう。
訓練を、だから組織だったら研修を受けてもらうとか、
なんか上司つけて教えてもらうとかを一生懸命するわけですよね。
そこはもうそちら側に、こっちのレベルに達していただかないと、
おめんなさいってなっちゃうっていうか。
そこを、なんか差が見えるのは全然いいと思うんですよ、冷静に。
この子はここまでできる。
この子はここは苦手なんだな。
冷静に見えることはすごく大事で、
それがなんかうまく回んないなぐらいだと絶対ダメで、
そこがよく見えてることは大事だけど、
でもその気持ちの話で、
それがこの人がダメだってなる意味はなくて、
この子はこうできない、
じゃあどうやって回そうかを冷静に考えなきゃいけないのが経営者で、
逆の立場にきっとなることもあるじゃないですか。
何か仕事を受けた時に、
こっちは一生懸命やってるけど、
なんか違うって言われるとか、
そうすると一生懸命やってるけど届かない届かないって苦しくなっていくしかなくて、
でもそういう時に言ってほしいなって思うのは、
今ここまでやってくれてるけど、
ここがちょっと足りないんだよねって言ってくれたら、
そこか全然頭になかったってなるわけじゃないですか。
やっぱりそういう見極めて、
これが足りてない、やってほしいって言うとか、
それでもやっぱり難しそうであれば、
チーム編成でフォローするみたいなことを一生懸命できないといけないんだなって思うので、
気持ちの問題とやるべきことを冷静に見るみたいなことなんですかね。
よっぽどその子の適性みたいなものを分かってないと難しいよね。
この子ができないことを、この子はすごく得意とか、
なんかその適材適所みたいな、
その子をよく知って、その子が無理をせず、
変に頑張らずに、その子のいいところをちゃんと生かせる場所、
生かせる働き方みたいなのを適所に持っていけるっていうことができたら、
誰も不満を持たず、しかも業績も上がりみたいな、
いい塩梅で、風通しもよくみたいな、できると思うけど、
子を知るって、多ければ多いほど難しい。
難しいですよね。
今度少なかったら少なかったで、補いないっていうところがいっぱい出てくる。
やっぱり誰か得意でもそこはやっていかなきゃいけないっていう。
そうですね。
なんかその、難しい、やっぱりそこは伸ばしてもらわないと。
足りないところはみんなで。
それも、状況を説明してやってもらうしかなくて、
でもやっぱりそこに、なんでできないんだ、は持ち込む必要がないんですよね。
そうか、なんでできないんだ、そうだね。
できるようになるにはどうしたらいいのかとかを考えなきゃいけないってこと。
なんでできないんだは、ヒヤッとして頑張るかもしれないけど、
できることを発揮するときに、頑張ろうって思う気持ちを減らすことにもなるし、
長く付き合っていくっていう意味で言うと、一緒にはいたくないですよね。
まあ、強いられちゃったらね。
だからできない原因を分かってあげて、
じゃあこの原因があるけど、じゃあどうやったらできるようになるのかっていうところを、
その人なりの段階を探してあげて、一歩一歩やっていくしかないっていうか、
原因はこれだからねっていう。