1. シゴクリラジオ!
  2. 一人の熱いコメントはものすご..
2025-07-30 45:10

一人の熱いコメントはものすごく価値がある

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サマリー

今回のエピソードでは、相互評価に基づく学びや気づきの重要性が語られています。他者の意見を評価し合うことによって得られるメタ認知や匿名性の利点についても触れられ、自己成長のプロセスがユニークな視点で探求されています。一つの情熱的なコメントの価値について考察し、深いつながりの重要性が語られます。相互評価のシステムや匿名での交流が創造性の発揮につながる可能性についても考えられています。特に、匿名のコメントや個々の意見が、集団としての動きとは異なる独自の重要性を持つことに焦点が当てられています。相互評価システムを通じて、批判と称賛の重要性についても考察されています。企業の活性化やアイディアの創出が組織に与える影響についても触れられています。

相互評価の重要性
はい、仕事クリエイターの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
このシゴクリラジオは、私パーソナリティである大橋がですね、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。
今回ですね、相互評価ですね。ある学習サービス、教育サービスで講義を聞いてですね、e-learningというところですが、相互評価をするときの、いわゆる受講者の方のレポートがひどかったと散々言ったんですが、
別にそれはね、変わらなかったんで、特に意見変えるとかないんですけど、本当はすごかったですかね、そんな話じゃないんですけど。
いやいやいやいやと、そこから先週の話ですね。
学ぶって面白いんじゃないですかって、知らないことを知るでもいいし、自分に気づきを与えてくれることってめちゃくちゃ楽しいって、僕は思ってるんですけど、そういう状況を出会うとめまいがするわけですよね。
で、これ後日談というか、また続きがありまして、別にその相互評価で何かっていう話じゃなくて、逆なんですよ。今度は僕が評価された。
つまり、別にひどいレポートですねってことはさすがにあんまりなくて、さすがに変なことは書いてないんで、褒めていただいたわけですよ。
ということから、相互評価っていいなと。そのあたりからですね、学ぶというよりも新しいサービスとかアイデアとか、いろいろ言えることがあったので、この相互評価のネタをこすっていって、また考えていきたいと思います。
学ぶとか、アイデアですかね、考えるというところで興味ある方は引き続き聞いてみてください。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
というわけで、今回テーマとしては相互評価の仕組みから感じた、こんなサービスだったらいいんじゃないかとか、学びって面白いんじゃないかということをゆるゆると話していきたいと思います。
まずですね、冒頭にもお話した通りで、相互評価を僕がする立場からすると、残念ながらということになるんですが、他の受講者の方はレポートを、いわばやっつけ仕事ってやつですね。
やっつけ仕事っていうのは悪い意味です。もうやりたくないよと、いやいややってるっていう。レジとかであんまない、日本だとあんまないかもしれないですけど、やりたくねえなっていう感じで、買うの?みたいな。
でもありますよね。買うんだ、来るんだみたいな、そういう感じの雰囲気ね。そういう感じのレポートってことですね。
つまり楽しかったとかね、感想を述べるわけじゃないんでレポートなんで、学んだよ、気づいたよとか、こういうのはどうかなっていう問いに答えていくっていう考えを示すってことですね。
そういうのが慣れてない方もいらっしゃるのかなということも思って、僕なりにこれはもうやれる、いわゆる資生の人って言ってるんですが、一般市民として生きていく上で、自分ができることを支え合いじゃないですが、福祉と言うとおかしいですが、できることをやりたいなということで、文章をね、
小論文とかレポートじゃないですが、伝わらないよねとかいう人でトレーニングを多分受けてないでしょうということだと思います。自力でやれることって限られたりするから、
僕の指導とか教育が優れてるなんてことは妹を言うことはなく、少しはできるかもしれませんよねぐらいです。自信があるから、ドラえもんで言うジャイアンみたいな俺の歌を聞けみたいなのは一切ございません。
そういうのをやってどこまでできるかは置いておきましょう。そういうことをやってやろうと。つまり、受講生というのは限られた人かもしれないですし、たまたまハズレを引いちゃった、もしくは当たりだったかもしれないけど、
僕にとってはそういうサービスというか、課題解決になるアイデアにはなったので、それは全然よかったんですよね。あと自分にとって学びって大事なんだよねって。
多分伝わっていると思います。聞いている方には、この人は僕が学ぶの大好きなんだなって。大好きってことでもないと思っているんですけど、多分好きって伝わっているんでしょう。伝わってなかったらちょっとまずいと思います。僕の表現がね。
すごく繰り返しくどくいっていくんでね。ちなみにその繰り返しというのは重要です。キーワードとして文中の中で文章中の中でもいいし、しゃべりであれば何度も何度も言うことが重要だと思います。
そのキーワードが出てこないのであれば多分大事じゃない。もしくは言い換えもありますからね。違う言葉で言うって。あるんで大事だと思いますんで。テクニックというよりも、そうなるよねってことですね。逆に強調したいなら同じ言葉を使うっていうのはあります。
ただ同じ言葉を使えば冗長になるというか、なんで同じこと言ってるのってなりがちですから、そこはうまくやりましょうと。今回ですね、相互採点というところでは逆です。
こちらが評価する、誰かのレポートを評価するんじゃなくて、自分のレポートも評価されるんですよ。だから相互なわけですよね。こちらが一方的に誰かのやつを評価して終わりじゃなくて、相手からも自分のレポートを評価されるんです。
何人の人か分かんないですけど、5人か評価されてて、そのレポートは別にダメでも批判的なものがあっても取り上げても面白いかなと思ったんですけど、特にそこまでなく、本当に感想として良かったですとか、素晴らしいレポートですというのもあったんですけど、
お一人の方だけ、内容まで突っ込んで紹介しないんですけど、すごい良いねって言われて、簡単に言うと、よく書けてるねっていう話で、素晴らしいですねって言われまして、ありがたいなと。
リスナーのあなたも褒められたら嬉しくないですか?褒められまして、ありがたいなと。自信というよりも、面白くて、そのシステムは評価して終わりじゃなくて、自分の採点もあるんですよ。
要はメタ認知なんでしょうね。自分のことを振り返って批判的に見ているか、要は人のことをこき下ろすが批判的な非な価値ですよね。他の人はダメって言うけど、自分には甘い人いるじゃないですか。それじゃなくて、自分も僕も意見も、これ本当にそうやって言ってるけど本当かなって思うし、批判的にできているかっていうのを目安になるんじゃないかなと思います。
で、若干文章分かれるレベルもあるのと、もっと突っ込んで書けたかもしれないなっていうとかね、いろいろ工夫すべきことがあったんで、それで書いたんですよ。だから別に後から書いているというよりも、本当に書いた時点でここは良くないなと。
自分のレポートを他の人が評価していただいて、それがすごい熱い回答とかコメントをいただきまして、誰かわかんないですよ。
そうなんですよ。そういう誰かわかんない人のレポートを読んで、総合システムだからしょうがないですけど読むと。それはちょっと空洞くなりますけど、今回の話ですぐやりたくないわけじゃないですよ、僕は。
というか、前は面白かったんですね、その総合評価って。要は他の人のレポートを見て、こういう考え方の人って面白いなっていう、そういう気づきがあるんだって、全然違うなって、面白かったんですよ。
っていう期待値があったから、そこからいったから、レポートに満たしてないというか、もう何なのみたいな。下手したらXとかSNSのつぶやきの方がわかりやすいですよね。本当に。そんなレベルでした。
だからショックだったんですけど、そうじゃないしちゃんと読む人もいたんだなっていうことで、そこでまた上がったんで戻ってきたみたいな。
よかったよかったっていう。その他人というか評価していただいた方から、僕のレポートを見るとこうやって書いてる人もいるんだっていうふうに感動と言いますか、心を動いたわけですよね、きっとね。
だから書いてくれた。結構な文字数書いてくれてるんで。僕もレポートを見た側だと、面白いならちゃんと評価してちゃんと文章を書いてるし、改善すべき点があるなら改善してとかいいですよねってことをあんまり長く書かずに。
でも四五百字とか四百文字とか、一定の量でここが問題ですと。だからこうした方がいいんじゃないですかってくらいは言ったんです。そういうことをやってるわけですよ。もう目も当てられないようなものに対してもね。
だからそれをすごいと思うのかどうかはわかんないですけど、僕はすごいとは思ってないけど、なるべくそうしたいかなっていうわけですよね。
この漢字伝わります?要は自分としてはここまでぐらいしか関われないんだけど、でもやりたいよね。ここまでやってきたいよねって。
なんかわかります?道に迷ってる人いたら案内してあげたいよね。でも自分が道を案内するかはまた別だよね。本当に急いでいたらできないよねって。
難しいですよね。だから全員に全員に対してどのタイミングでも常に対応していくっていうことではない。そんな良い人じゃないですよ。
無視することもありますからね。別にそんな正義のヒーローみたいなことじゃないです。それは勘違い。勘違いもしされる方がいたら大いなる勘違いなんで。そんな人じゃないです。悪い人です。
で、そういう中で良かったなと。そういう風に熱い感じでぶつけてくる人もいて、良いなって思ったんですよね。やっぱり良いなって。総合評価って良いじゃんって。
ここでいろいろポイントあるんですけど、まず匿名なんですよね。誰かわかんない。だからそれ良くないですか。
今って匿名っていうのが良いか悪いかわかんないけど、匿名だから悪いことできるよねって考える人もいるわけですよ。
でもなんかね、それないなと思ってまして、まあダメなんですけどね。攻撃するようなことね。
そういうところで、匿名だからこそ別にフラットに言えるってこともあるわけで、プラスにも捉えることができるわけです。
だから匿名が悪いわけじゃないと思ってますね。むしろ匿名だからうまくいくこともある。
っていうことでポジティブに捉えてます。だから、で、総合評価もまさに別に僕が誰でどういう人かもわからない状況で、
その文章を見て判断している。文章が全てなんですね。その人にとって僕とその人の接点は文章、レポートだと。
そこを持ってどう見てくれるかっていうだけなんで、ものすごくフラットなわけですよ。
逆にそこが全然ダメだったらダメなんだけど、でもね、今僕が言ったような教育者と言ったらおこがましいんですが、
その人にとってどういうものを提示したら、要は役立てないかなっていう人もいると思うんですよ。
別に僕この感覚が、ここはすごく大事なところなんですけど、経由でそんな人いませんよと。
お母さんみたいな人いないですよっていうのであればちょっと悲しいんだけど、
でもそういうふうに社会の人々が、本当に顔の見えない多数の人がということですが、
リスナーのあなたも含めてね、僕から見えないですからね。
で、あなたが僕の顔を見えない、顔を見えないというか、しゃべっているのがわかると思いますけど、
まさに顔が見えない状況ですけど、そこでやっていくという、その匿名性っていうところのこのシステム感っていうんですか、
めちゃくちゃ好きだなということを改めて思いました。
仕事づくりの多様性
だからそれが全てを解決しますとかね。
2ch、リバーダー5chとかですか、そういうのがいいなんてことは思わないですが、
一方で、それで何か面白いことが起きたりするというところもあるわけですよね。
だから完全に否定できないというかね。
インターネットを全部規定するわけにはいかないというかね。
そういう感じですね。
だからどう活用していくかだけなんだよなっていうのも改めて感じました。
そうなんですよ。
で、この匿名性云々の話はこのポッドキャスト、しゅごくりラジオでも何度も言っているんですが、
初めて聞く方もいらっしゃるので簡単に言うと、
このしゅごくりラジオって、確かに仕事づくりに関して、話したりアイデアに関して、
ビジネスがどうとか、こうやってやってますよとかいろいろ言っているつもりですが、
これがですね、より多くの人に伝わっていったらもちろんいいんですよね。
いいんです。
いいんですが、一方で、みんながみんな起業したり、みんながみんなビジネスやるぞとか、
みんながみんな新しいことやるぞというふうに、わーってはならないと思っています。
でも、それは性格とか状況とか環境とか考え方とかいろいろあるから、
みんながみんな新しいことやり始めて、全員行っちゃうと、
今度は保守したり運用したり守る必要がいなくなるから、やっぱり性質とかはあると思います。
だから、みんな起業しろとはやっぱり思わない。
やりたい人はやっぱりやろうという感じがあります。
だから、向き不向きであり、自分の得意とするものを見極めてやっていきたいですよね。
選べるのできたいですよね、というところがある。
言うときに、まさに何かやろうという人が、周りの人が保守的な人が多すぎて、
やるなと、散らかすなと、静かに生きていけみたいなね、
情熱的なコメントの価値
悟すというかね、まあまあ落ち着けよみたいな人ばっかだったらつまらないじゃないですか。
やれよって、やっちゃえよみたいな人もいていいじゃないですか。
ってことで、よくわかんないけど、よくわかんないところから、
とりあえずやっていこうよって、こうやってやると面白いよっていうことを
言っている人がいたなという、サンプルNイコール1ってことですが、
いれば、これを聞いてくれた人が奇跡的に思ってくれれば、何回いたなでいいんです。
何回いたなで。
だから覚えてもらうとかも必要なくて、名前もね。
何かあったなっていう。
わかります?
何か残すというかね。
いや、本当にあります。
で、なんでそういうことを言っているかというと、僕が逆の体験で、
よくあるというか、大事にしているのは、
一期一会、ちょっと長くない、ごめんなさいね。
一期一会みたいな話で、よくわかんないんだけど、
人に会って、その人は知らないんだけど、話をしていくと、
名前すら知らない。
けど、話をしていって、別に名前を名乗らなくてもいいわけです。
名前が匿名で違う可能性がありますからね。
だから別にね、大橋は本名ですけど、小橋って言ってもいいわけですしね。
で、名乗らないが。
そこでその人と面と向かって話をしていくと、
何でもいいですよ。考え方とかなんでもいいですけど。
挨拶の話とかではないですよね。
いわゆる深い話というか、本質的な話を、
その人と向き合って話をしていくということが非常に大事だなと。
そこで話したことは、消えないというか、
そこが大事だと思っているならばね。
脳の障害が起きたとか例外が起きなければ限り、
例外ではないのか。認証とかありますから。
そうじゃない限り、やっぱり大事だと思うんですよね。
だから、こういうことがあったなって重要な時に思い出したりする。
重要だと思っていなければ重要じゃないからダメなんですけど、
それは重要だと思ってますし、
僕もそういう時に名もなき人って言ったら怒られるんですけど、
知名度、お無名っていうことは別に批判する意味はなくて、
そこで出会った人と話をして、
向き合うっていうとちょっと強いかもしれないんだけど、
ちゃんとそこで向き合う。ちゃんとです。正しいちゃんと。
ちゃんとそこで向き合って話しているかはやっぱりわかるんですよね。
わかりません?少なくとも僕はわかるので、
なんか適当だなと思ったら適当じゃないですか。それだけです。
だから適当じゃないのがいいよねっていうことで、
ちゃんとやってるよねっていう。
ちゃんとっていうのは定義があるんで、
これがちゃんとですってことはないんですけど、人によって変わるからね。
だけどそういうことを自分も感じたので、
恩送りとは言いませんが、
いいイメージを社会に持つ。
それこそ広げてしまえば日本っていうことでもいいんですけど、
日本に持って国家主義みたいになっていくから、
なんかちょっとやってみますよね。
それもそこまでないですけど、
なんか自分が暮らしている社会、地域でもいいですよ。絞って。
住んでるとこがいいよねっていう方が良くないですか。
っていうだけです。シンプルに。
それをやゆするぐらいはいいかもしれないけど、
でもね、ちゃんとやりましょうよねっていうことですね。
ちょっとすみません。長くなりましたけど。
交流の重要性
だから相互評価システムいいよねって感じた話です。
思いは伝わるというと大げさですし、
その一例だけ取ってきてどうかってことを言えるのかって思う方いらっしゃるかもしれないですけど、
言えます。これはもう思います。
今までですね、長い間とも思わないんですけど、生きていて、
思いがやべえほどずれまくって伝わらないってことは、
そこまでなかった気がします。
だからそれこそ何かやるときに、説得とは言ってないですけど、
口説くというかね、面白くないですけどやりませんかっていうのは、
どちらかというと僕が口説かれるというか言われるよりも、
口説かれるというかね、心動くからやるんですけど、
別に口説く、口説かれるという関係性を言ってるわけじゃなくて、
なるべく自分からやらないかって言って提案してやっていく方が、
僕は主導権を握りたいわけじゃないですけどね。
最初に言う人少なくないですか。
最初に手を挙げる人、質問する人あまりいなくないですか。
講座でもいいし、最初に手を挙げるみたいな。
癖があって、いいじゃないですか。
言いたいこと言っていいんだみたいな。
そういう雰囲気作り好きなんですよね。
逆にそこで雰囲気作れるなら、言えるならできるなら、
それ作れた方がいいじゃんっていう。
それを講師側に求めるのもまた難しくないですか。
だって無理やり何でもいいですよっていう風にしていってね。
それもまた慣れで、意見を言うのを慣れるときは別にいけるじゃんと思うんで、
全部繋がってくるような気がしますよね。
学びとか、そうなんですよ。
繋がってくるような気がします。
今回、相互評価っていうのがもう一個の話としては良かったんで、
やっぱりこれやったほうがいいなってことで、
もちろんそのまま完成されたというか、
仕組みの中のあるパーツで良かったものを引っ張り出して、
それをブーンというか引っ張り出したらうまく成立するとは思わないですけど、
ただその相互評価っていうのは何でもできるわけですよ。
僕が思い出したのが、昔アイデアを投稿したら、
それを他の人のアイデアはどう?っていうので評価するのがあったんですよ。
これは全然知ってる人がやってたんで、批判まではいかないですけど、
ただ忖度抜きで言うとちょっと違うなっていう感じでした。
どういうことかというと、結局人数が少ないと偏るわけですね、評価がね。
特に僕が一番気にしてたのは、
そのアイデアすでにあるし知ってるんだから評価できないよっていうのがあったわけです。
分かります?だから僕も別にあるわけです。
僕が言ってるアイデアがすでにあることもあるし、すでに有名事例としてあります。
例えばポストイットってあるじゃないですか。
不戦士ってやつですね。ご存知の方が多いと思いますが、
一応説明すると、メモとか本とか何でもいい、何かにメッセージを伝えるときに、
書類とかここの部分直してってことで、小さな紙切れ1cm幅で、
横1cm、5cmとか小さいのもありますよね。
それを貼ると、ノリみたいに貼ると。
で、貼ってそこに書いてメッセージを伝える。で、終わったら剥がすみたいな。
使い方はいろいろあると思いますが。
でもそれって、剥がせるノリみたいなのがたまたま、3MAでしたっけ?わからないですけど。
できて、強力なノリをやろうとしたら剥がせるノリができて、
使えるようになったという話が聞いたことありますが、
聞いたことある方も多いと思いますが、それがですね、
じゃあポストイットみたいなものを作ってやればいいじゃん。
自分はこうやってノリで使ってやってるよっていう人がいて、
ポストイットは知らなかった。でもポストイットはあるよねって。
で、それをどや顔というかですね、すごいでしょって言われたらさすがに違うよねって。
知らないけど、こんなの考えたよっていうぐらいだったらまだいいかもしれない。
で、その時に、じゃあ知ってるからダメっていう新規性を評価にポイントしてしまうと、
僕からすると、これはちょっとやや上から目線になってるかもしれないですけど、
知ってるんだと。単純にそれを知ってるのに知らないふりして、
いやこれいいですよねって言えないわけですよ。
分かります?メモでも紙につけていつでも剥がせるのをちょっと考えました。
これ良くないですかって。どこでも剥がれますよみたいな。
それだと知ってるから、世の中のリスナーの中でもよくわかんないかもしれないですけど、
例えば魔法瓶みたいな、水筒ですよね。温度を保てる容器を考えて、
そういうのがあったら良くないですかって言われて、いやあるしみたいな。
分かります?その感じ。っていう風になっちゃったんですよね。
そういうことがよくある。
これ最近の知ってるというか、大手か企業かやってたのがあったんですけど、
相互評価。何なんだろうなっていう。だから相互評価にすごく不満があるわけです。
だから自分がやればいいっていうのもあるんですけど、
アイデアコンテストの批判
今度やったところで、結局アイデアコンテストに対する批判っていうのもあって、
そのアイデアが評価されるんだみたいな。
分かります?
なんて言うんだろう。それあるじゃんみたいな。でもいいし、さっき言ってた。
それは知らないが故に言えたことで、調べてなかったら知ってるってことは別に評価されないんだなって思って、
虚しくなるわけです。分かります?言いたいこと。
バカバカしいなと。真面目に考えてやっていくことがバカバカしくなるわけですよ。
失敗すると評価って。
だからアイデアコンテストなりシステムというか目指すものが、何を目指したいかってことになるんでしょうね。
僕はアイデアの評価が難しいなと思っているのは、
結局今言ったように人によってムラがありすぎるってことなんですけど、
そういう新規性とかビジネスといけるみたいなことをやるから、ダメなんじゃないかなって思ったんです。
例えば正解がないもので楽しめばいいじゃないかってことですね。
エンタメっていうよりも学びエンタメみたいなぐらいで、そういうのを面白く捉えるんだよね。
エンタメって結局SNSなり普段の会話とか、自動生活の中でもあると思うんですよ。
これ面白いよね。だから僕だったら違和感発想ってことで、違和感がどうこうのって言ってたりするし、
日々話しているのもネタを持ってきて考えているから言えるわけですね。
これはくどいですけど、それを考えていなきゃ言えないですよね。話せないですよ。内容がないじゃないですか。
そういうところでいくと、もっとエンタメより軽めで、アイデア自体をガッツリ評価するんじゃなくて、
っていうのを相互でやっていくと。それをですね、掲示板とかみんながコメント、SNSがすでにありますけど、
コメントしてなんかどうっていうのだと、コメントがつくつかないみたいなので、見える見えないみたいになっていくから、
それが微妙なんじゃないかと。相互評価って、それを取り出してどうしてしまったら見えちゃうってことはできますけど、
その匿名な人が自分を褒めてくれた。もしくは楽しいよねって言ってくれたっていうところが、
価値なんじゃないかなと思った。それが価値。感じるもの。
それはイイネとかバズルとかではない、全然違うもの。バズルはないから一旦やめときましょう。
イイネとかコメントをもらうとかもちょっとまた違うというかね。コメントしてもらえたらいいとか、
イイネが入ったらいいっていうのはちょっと違うというか、匿名性で誰かを自分にしっかり向き合ってコメントしてくれる、
この体験がないんじゃないかっていう意味で、相互評価をそこに入れたらいいんじゃないかって思いました。
リスナーのあなたはどうお考えですか。これを昔はやろうとしたこともあったと思います。
アイデアコンテストっていうのは安易に別にやってもいいんですけど、
お金が出ないアイデアコンテストやったらやります?あんまりじゃないですか。
僕からコメントをもらいますって、やります?って。
誰がアイデアを持ってくるのっていうのと、なかなかその着地ができなくて、
アイデアだけで楽しんでるだけなんですよねってなるというかね。
でもまあそれぐらいのノリですよね。お金が出なくても全然楽しめるというか、
僕の固定概念としてアイデアコンテストってお金が出るものだと思ってるんで、
そうじゃない、共産とかでもいいですけどね。企業を巻き込んでやるっていうのもありかもしれないですね。
でもそうなってくると企業絡んで入れちゃうと、
価値のある一人のコメント
企業にとって有益なものみたいなことを目指しすぎるから、中はちょっと違ってくるんですよね。
ただそこでそういう手を取ってね、アイデアを出していいんだ、こういうのでいいんだっていうふうに
社会を作っていくっていうことをフワッとしてますけど、でもまさにその通りで、
意見言っていいんだ、アイデア出していいんだ、自分のアイデアっていうのが文字通り大したことないなと、
よくないというかね、別にそんなものではないだろうなと思ったけど、いいって言ってくれた人がいたと。
それなんじゃないかなって思うんですね。
だから例えばちょっと違うかもしれないですけど、キングジムっていう会社が、
テプラとかね、いろいろある、最近もヒント出してる、変わったものを出してくるというかね、
ポメラとかもありますよね。
それが経営会議が10人でしたっけ、いらっしゃって経営者がね、
一人でもOKって言ったらいいって言うんですよね。
だからこれはダメでしょっていう人はいるし、それはもう考え方次第。
だけど一人でもいいって言ったら、いくっていうのがあるみたいで、
それはめちゃくちゃいいなと思いました。
それに近いです。
だからみんながみんないいよねって言ってくれるものって、僕はないと思って、
だから1割ぐらいでいいっていう人がいたり、
一人でいいんですよ。
一人がめちゃくちゃ褒めてくれたら、
僕が気持ちもらったみたいな感じで、
一人にいいねってしてもらえる、
いいねって言うコメント、いいねしてもらえるのはちょっと良くないです。
いいねじゃないね。
コメントですね。
その人の気持ちの一人の匿名の、
それこそエニュアンスさんもわかりませんが、
匿名の誰かでもその人間ですよね。
AIじゃダメですよ。
だからAIのコメントとかダメですからね。
が気持ちがあって、いいねって思ってそれをぶつける、届く、良くないですか。
マネタイズをもうちょっと考えましょう。
ただ、それがまさに企業の中でアイデアを出したいという時の、
ユニポーズとかポイントですよね。
ありがとうみたいなポイントにしてってありますけど、
それも面白いですよね。
だけど結局そんなポイントはいらなくてね。
あってうまく回ってるってことは否定してないですけど、
なくてもいいから、
この人が高い自立性を求めてるように聞こえるかもしれないですけど、
そんな難しいこと言ってないです。
あなたの仕事いいよねって思ったら言いましょう。
いいよねってこういう風に書いてくれていいよねって自分にはできないなでもいいし、
なんかすごく丁寧にやってくれてるよねって。
あとここの部分気づかなかったよね。ありがとうって。
本当にそうやって言って、それで円滑に進めていけばいいじゃないですか。
もしくはネガティブなちょっと注意して、
ここは直してほしいのがあればまずは一旦褒めるというか状況を見て、
こういう風だよね、こうだよね。
でもこういうことはこうした方がいいよねっていう風にしていく方が良くないですかってことなんですよね。
これが今までの僕でもそんなめちゃくちゃ変わってないですけど、
アイディアで聞いていくものはありますし、それはいいと。
誰かが聞いてそれをやってくれたものはそれもいいと。
それがですね、社会構造に対して1ミリも影響がないなっていう風に思ってたんですよ。
もう1ミリも影響もないちょっと言い過ぎかな。
あんまり関係ない。
なんかあるじゃないですか、政治とか世の中の出来事と自分と別に関係ないっていうね。
でもなんか多分違うなと。
世の中で出てきているニュースとか目立ったバズったものとか話題になるものって、
上積みというか水面下にいろんな人がいて、
その人たちがいいなとかなんか動いたものが出てきているだけですよね。
だからそれが価値があるからそれだけがいいよっていうね。
話題にならなかったりしなかったらダメだっていうことじゃないですよ。
そういう話題性っていう価値もありますよね。
でも話題性っていう価値があったときに、
それは他人数じゃないですか。
多くの人が動いた価値があると思ったってことはパチパチパチで素晴らしい。
でもそうじゃない別に話題にならなくても、
一人の人がそれこそ今回総合評価でコメントしてくれた方はもう一生わからないです。
僕にとってわからないです。
探してますって言ってもね、なんか怪しいじゃないですか。
お礼を言いたいというよりも、僕は心からお礼を言いたい。
だけど一方でそのお礼を言うというよりも、
それをもらったからその気持ちをうまく社会に回していった方が、
僕はいいなと思いました。
社会への影響
だから別にそれを無限にしてお礼を言いませんとか、
シャツをダウンするわけじゃなくて、
良くないですかって思ったんです。
純粋にね。
っていうことができる社会を作っていけばいいじゃんっていうことなんですよね。
今できていないと思うのであれば。
ちなみに僕が観測する感じでは、
あんまりそういうのってできていない方なんじゃないかなと思います。
組織、団体、チーム、司会。
それができている。
要はいいよねって褒め合ったりいいよねって高めていけるところは、
なんかそれこそそれで素晴らしい組織をお作りですね。
成功優位は何なのでしょうかとか、
そういった方がいらっしゃるんですねみたいな。
本当にインタビューとか取材されている感じだと思います。
いやいや違うでしょと。
ここで言いたいのはそういうのを日常、普段にやっていくべきであって、
それをいちいち取材してどうかって言っているレベルでは低いんじゃないかと。
そういうところを目指したいですよね。
少なくとも意識高い高いみたいなふうにされて困るんで、
その意識っていうのがあろうがなかろうが、
少なくとも自分の中で何度も言ってますけど、
市民としてやれることっていうことを考えたときに、
自分が想像する社会。
何度かこれも話しますけど、
20年くらい社会人生活やってきたところで不良なのかわかりませんが、
何か社会ってそんな変わるもんじゃないかなっていうことに気づきました。
気づきました。
それは劇的な変化を求めているというよりも、
淡い期待として学んでいったら人は賢くなるよねっていうことなんですけど、
学ぶ、学んでいるならですよね。
学んでいない方々もいらっしゃるわけじゃないですか。
同じことを繰り返してしまうとかもあるし、
だから知能の話をしてるわけじゃなくて、
知恵とか知識とかそういう話じゃなくて、
それこそもっとわかりやすく言ったら、
社会の課題があってそれを解決してて、
今はそういうのを見えてないところで解決されている方がいたり、
何かやっている方がいるから快適な社会生活があるかもしれない。
インフラとか、いわゆる社会システムみたいなやつですよね。
交通とかいろんなものとかね。
もちろんそういうのはあるんだけども、
そういうところは全然僕は関与してないというか分かってないですけど、
ただ自分の中の、これは一時市民ということですけど、
関与できるというか関われる範囲として、
多分そこでコミュニケーションとか、
人と関わることみたいな話になってきて、
そこにアイディアとか場作りということは使ってますけど、
そういうところになっていくんじゃないかなというふうに結局そこになりますね。
人の考え方とかね、自分の考え方をしっかり考えるとは何かとかね、
になってますよね。
これは別に僕がそういうふうにしたいよっていうよりも、
たまたま僕が興味を持ったりピックアップする話題がそうなっているだけで、
こうやってやっていくぞみたいなことはないんですよね。
基本的にない。ないけどそうなっちゃっているってことです。
だからそれを受け入れて、それがつまらなかったら駄目ですよ。
自分にとって全然面白くないとかやりたくないなら駄目ですけど、
ものすごく興味があります。
だから今のところのアイディアを言ったら総評価システムで、
アイディアとかそのものを評価するというよりも褒め合う。
いいよねっていう。それがとりあえず匿名でいいから、
一人のコメント厚いメッセージを誰かに見られることなく、
自分だけ見てやろう、頑張ろうって思えるというかね、
励ましになるということを最も大事にしたい。
実際に頑張らないSNSみたいなのがあって、そういうより近いですよね。
肩の力抜いてゆるっとやれるというところ。
それはもっと褒め合うとかではないと思うんですけど、
そういう人がAIではなく人でいるよということを
しっかりと認知できることで、これは錯覚論なんですけど、
もしかして社会の人たちっていい人なんじゃないか?
悪い人たちいっぱいいるかもしれないけど、いっぱいはいないんじゃない?
ほとんどの人がいい人もしくはどちらでもない人で、
状況によって、これは同調とかね、社会的な圧力とか
社会的なプレッシャーとかってあって、
人はいくらでも変わっちゃうわけですよね。カルとしっかりね。
っていうところがあるから、それは洗脳もありますけど、
コントロールされてそこに左右されているだけで、その人の意思じゃないんじゃないか。
いわゆる社会的環境を重視してもいいんじゃないか。
個人の意思ってそこまであるのかなっていうことです。僕の感覚では。
もちろん自分が今言っていることは僕の意思で、僕が感じたことを述べているんですが、
相互評価の重要性
それ以上にそれと同等に、それと同等ですね。
社会の影響、周りの影響を受けるということですね。
僕がやりたいアプローチってのは、個人の意思で何ともなりますよっていう風にもしかしたら
リスナーのあなたが思っているかもしれませんが、それはあまりなくて、
もちろん努力とか、自分がやっていることとか、勉強とか学ぶとかね、
仕事するとかね、スポーツやるとか、勉強するとかね、いろんな方がいらっしゃると思うんですけど、
そういうことを否定しているわけじゃなくて、それは全然やってほしいです。
だけど、これは最近言っている説で、そこが個人5割なら、残り5割は社会や環境じゃないか。
だから個人ではどうにもならないんですよね。
社会がどうあっても、社会が頑張ってやれるよ、やれるよ、勉強できるよ、そういう環境を作っても、
個人がそこでモチベーションされたり、やる気にならなかったらできないわけです。
両方必要なんです。個人と社会のハイブリッドという、当たり前なような気がするんですけど、
その当たり前のことをさらに築いて、当たり前のことを当たり前にやるというのが、
この相互評価、アイデア、匿名型システムサービスみたいなものになりました。
これがアイデアができるかは分かりません。
ただ、公開したりいろいろやっていって、できたり、一緒にやれる人というのを探していったり、
話をしていって、どうかというのもやっていきたいかなと思っています。
多分これも別にアイデアとして言語化したり、形にしたり、今回も言っていますけど、
そうなんだ、やりたいんだねという人が多くないですか。
そこまではお母さんみたいにやりたくないですという人が多いというか。
分かります。だって、そうやって経験していなかったら、何でそんな熱いのか分からないけど、
とりあえず楽しそうだねということでやってくれる人がいるかもしれません。
いないかもしれないけど。
でも少なくともそこはカチッと来たので、何か試しに作って遊んでいって、
また新曲を出すかもしれないし、その話をしなくなったら違うことをやっているかもしれませんが、
ちょっと試しにいろいろやっていきたいと思いました。
だいぶ整理できましたし、そうやってアイデアを出しているんだ。
いろんなエピソードというか、感じたことを、
何でだろうな、これはどういうことなんだろうとか、面白いなというのが蓄積されて、
それが寝かせられて、またこの人が言っているという、
比較的先週だったら早いですけど、
今日あったこととか今週あったこととかが重なって、
それが詰め重なっていくというのが近いと思います。
それがポイントになってくると思います。
どうでしょうか。
相互評価システムの重要性
今回の話としては相互評価システムの話。
禁断秘書は先週批判的なものでしたね。
相互評価をするレポートの他の方の受講生の出来が悪いんじゃないかという批判的でしたが、
今度は自分に振り返って出したら、逆に褒められたということでありがたいなというところから、
大事だなと。
多分別に批判されても、批判が妥当だったら別に受け入れるんですけど、
妥当じゃないとダメですよ。
だから非なんじゃないですかね。
バリ増言じゃないですかね。そこを間違えている人もいそうです。
批判というのは考え方が違うんじゃないかということですよ。
そのために、いや思っただけじゃなくて、
こういうことから言えないですかっていう、ある程度納得できることを示さなきゃいけないですね。
じゃないと批判にならないですね。
科学的なものもそうじゃないですか。
そうやって言ってるけど、ちょっとこれ許すぎないかとか思考が。
総合評価システムを取り入れた新サービスじゃないけど、
今のところ僕がやるならアイディアだとか、アイディアコンテストだとか、
マルタリーズとか収益性とかお金の話をするなら企業向けに転じる。
もしくはそういうことをやってる企業と組んで作ってみる。
提案していく。
それがざっくり言うと組織の活性化みたいになる。
活性化も定義しなきゃいけないですよね。
例えば従業員の一人一人でアイディアを出しやすくなるみたいなところから、
アイディアが出しやすくなるのは多分見える範囲であって、
多分風通せが良くなったりするってことで、
上々企業で言ったら、CSRフルかSDGsじゃないか、ダイバーシティ。
分かんないけど、投資家から見られてもいいですよみたいなフルになってて、
ちょっとお金出してもいいかなとかね。
そんな変わったことやってるの面白いねっていう。
あとユニフォース別に批判してないですけど、
リワードとかポイントとかモチベーションを上げるシステムっていうよりも、
もっとど真ん中でいいじゃんって言ったら褒められるみたいなこと。
だからそれ人の教育になっていくから、すごく簡単じゃないですよね。
システム入れて終わりだったらできるじゃないですか。
システムじゃないよねっていうね。
分かります?言いたいこと。
システムとしてあってもいいけど、その流れがあってもいいけど、
じゃあ、特命制が有効なのかね、組織にもなりますし、
でも大手企業だったら人多すぎるから特命みたいなもんなんかなと思っちゃいますけどね。
どこどこ何々って言ってもその人知らないことが多いじゃないですか。
ほとんど特命じゃんって思いますけど。
そのしっかり読んでくれたっていうか、しっかり評価されているっていうのが、
多分ね、大手企業はあるわけですよ。
企業活性化のアイディア
だから中小企業かと思うけど、中小企業は今度スタートアップとかになっていくと、
人を育てるとか、その人のためにみたいなのがどんどん薄れていくわけですよね。
難しいなっていう、その組織だけの携帯規模から言うと。
でももっといろんな企業があっていろんな考え方があるから、
そういうのに興味を持ってくれる人がいたら、ぜひお話ししましょう。
というわけで今回は以上となります。
ちょっと長くなりましたが、今回もここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
以上、四国にラジオ大橋でした。失礼いたします。
45:10

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