1. ままならない1on1
  2. #11 人を褒めるのって難しいの..
2025-04-07 32:01

#11 人を褒めるのって難しいのでは?

褒め言葉の連鎖で世界は変わるかも💝

✏️エピソードノート
- 人を褒めるのは難しい- 突然、評価する側とされる側に立たされる
- 「誰が言うか」と「ちゃんと見ていたか」
- ちゃんと見ていれば指摘もネガティブにならない
- 自分が評価者になることへの抵抗感
- 褒めを受けとれる心の状態
- 本来生まれるはずだった褒められ機会の損失
- 褒め言葉よりも素直な驚き
- 褒められない側の気持ち
- 人前で褒めれば良いってものでもない
- 「自分軸の褒め」と「社会軸の褒め」
- 「相手軸の褒め」と「環境軸の褒め」
- 飲食店で「おいしかったです」と言えるか
- Youtubeのコメント欄で社会の幸福度を上げる
- 褒めレビューでイノベーションが促進される
- 褒めじゃなくても反応で十分
- ギフトコメントで世界を変える
- 褒めの呼び水でHappyを増やす
- いっそ褒め言葉をカツアゲしてみる
- 無理に褒めなくとも感謝を伝えれば良い


🌀番組概要
日々のままならない瞬間をテーマに、デザイン会社の上司と部下が1on1で喋ります。「他人の些細なミスをどこまで指摘する?」「尊敬と尊重の違いって?」「男女って言葉にどう感じる?」といったトピックなど。ままならなさに頭を抱える2人と一緒に、「自分ならこう思うな〜」と楽しんでいただければ幸いです。


❓ままならない瞬間とは?
日常でふと引っかかる小さなジレンマや、自分ではどうしようもない状況のこと。話してみると共感されたり、全然気にならないと言われたりする、正解のない瞬間です。


🎙️スピーカー
🏔️やま(部下)
デザイナー/ISTP/上司を困らせたがりがち/子どもの頃よく言われた言葉は「ああいえばこういう」
🏖️はま(上司)
デザイン会社のマネージャー/ENTP/フラットな意見ほしがりがち/子どもの頃よく言われた言葉は「落ち着きがない」

Xhttps://x.com/mamanaranai1on1


📮お便りはこちらhttps://forms.gle/XpTZjkXLz2Jwuw2e8

※このポッドキャストでの発言は個人の見解であり、所属する会社や組織とは無関係です。また、配信時点での解釈に基づくため、正確性を保証するものではなく、事実と異なる場合があります。

サマリー

このエピソードでは、人を褒めることの難しさが議論され、褒める行為が上下関係を生むことや、受け取る側の感情との関連について掘り下げられています。信頼関係や褒め方の工夫の重要性も強調されています。褒めるタイミングや褒め言葉が生まれる状況に焦点が当てられ、YouTubeなどのプラットフォームでのポジティブなコメントの重要性も考察されています。また、人を褒めることが難しい理由として、自己評価やコミュニケーションの重要性が挙げられ、感謝の言葉やフィードバックの文化についても触れられています。

褒めることの難しさ
ままならない1on1。この番組は、日々のままならない瞬間をテーマに、デザイン会社の上司と部下が喋る番組となっております。
部下の山です。 上司の浜です。
今日のトピックはですね、最近、トーミーに思うんですけど、人を褒めるのって難しくないですか。
難しいと思う。
なんか突然、評価し始めたな、みたいに。言い方によってなる気もするんですよね。
なんか突然、評価する側、される側にたばされるみたいな。
よくあるよね。しかもさ、フィードバックを勉強し始めたりとかさ、ちょっと先輩自分がなったりした時にさ、ポジティブフィードバックが大事ですとかさ、
聞くとさ、なんか褒めなきゃみたいなさ、先に考えてさ、言ったりするけど、
実際褒めって難しいのは、褒めるイコールもすでにそこに上下を発生させるみたいな、
装置が働いちゃうから、思ったほどそれがポジティブに働かない時と変わるじゃん。
その差分って何によると思う?
何による?
まあそれ誰が言ってるかとかですか。
そうだよね。多分そうなのよ。誰が言ってるかは全然あるのよ。
誰が言ってるかのうちにもう一個あるのが、その褒めてる事象を本当に見てる見てないっていうのも多分あるのよ。
だから結構自分のことをわかってくれてるなとか、その仕事なり行為を見てるなっていう人が言ってくれる褒めと、
なんとなく表面的にパッと見ている褒めだと全然違うとか、褒めの前段階がそもそもあるかないかも。
結構あるのよ。
褒めは褒め単体で成り立ってるわけじゃない。
だからあんまり褒めればいいっていうのを単純化しない方が別にいいと思うし、
見られている感覚
逆にちゃんと見てると言えば、見てわかってる人だったら別に褒めなくてもポジティブなのよ。
それは対象者がってことですか?
対象者との関係性がうまくできてたら、ここできてないよね、もうちょっと頑張るといいよねって言ったとしても、そんなにネガティブにならないことは全然あり得るし、
あ、そこバレてんですねじゃないけど、やっぱそうですよねって普通に、例えばネガティブなフィールドがあったとしても、ネガティブに伝わんないっていうのは信頼関係ができた時が起こり得るみたいな。
ただ、信頼関係っていろんな人と深く結ぶのって難しいじゃないですか。
同じようなことを言ってた人がいて、私が突然入ってきたばかりの子を褒めたら、何突然ってならないみたいなことを言って、そういうのに抵抗があるって言ってるデザイナーの人がいたんですけど、
私からすると、多分あなたに褒められたら嬉しいと思うけどなって思うんですよ。
なんかその、突然その上下関係とか評価者とか、この人に言われたら嬉しいだろうとかって、なんか自分では分からないかなと思うんですよね。
確かに褒めたってもう一個受け取り能力もあるもんね。この前のギフトを受け取れるか取れないかみたいなのと違うんだけど、
自分でイマイチだな、まだまだだなって思ってるものをさ、褒められてもさ、あんま受け取れない時とかあるじゃん。
だからそういう、自分の状態もあるかもね。褒めが褒めとして受け取れるかどうかって。
なんかその、結構、むしろ自己評価ができないから故に、本来だったら生まれてポジティブだったはずの褒めが生まれないっていう方が多そうだなって思うんですよね。
もっとこの人に褒められたら嬉しいのにっていう人は、それぐらいの人は、自分が言ってもな、みたいに思うことにより、なんかこう、生まれないみたいな。
もっと柔らか的にあった方がプラスなことが生まれるんじゃないかみたいな。
じゃないかなって思うんですよね。
気軽に褒めた方がみたいな。
最悪別にこの人に言われてもなっていう人から言われたとしても別にネガティブにはならない気もするんですよね。
褒めるっていう言葉の中に、評価的なニュアンスのある褒めと、なんだろうな、褒めっていう言葉じゃなくて、驚きを伝えるっていう感覚もあって。
だから、子供が何かできるようになった時に驚いてあげるだけであるし、それは褒め以上の作用をすることもあると思うんだよね。
褒めるっていう言葉そのものよりも、それを見た時のリアクションとか、
すごい対して心ごちなさそうなに綺麗な言葉で、すごいですねっていうのと、見て、おお、みたいなリアクションだけだったら、
言葉なくても、おおのリアクションの方がその人によってもしかしたら嬉しいとか、
あるかもしれないから、意外と言葉じゃないかもしれないなとかも思うときは。
ああ、言葉にするとちょっと輪郭がはっきりしすぎちゃうというか、例えば、何ですかね、
これこれがすごいですねってAさんに言ったら、その隣のBさんはじゃあそうでもないのかみたいな発生するじゃないですか。
それも人によるみたいだけど、そう考えた人いるよね。褒められなかった私はダメなのか、みたいな。聞いたことある、それは。
褒めの捉え方
そうですね、なんで特に見た目とか、そのパッと見みたいな、一瞬で判断がつくみたいなやつからと、
まあ、さすがにこの世的にはもうNGみたいになるじゃないですか。
まあそうだね、その歴史的なことっていうこと。
まあそうですね、さすがになんか初対面の人が2人並んでて1人にだけ言うとか、
まあそれはどんな受け取り方の人でも、私はそっちじゃないんだって思うと思うと思うんですよ。
じゃない方が原因じゃないけどね。
そうですね、絶対そうなると思うんですよね。
なるね。
確かに、だからよくさ、なんか叱るときは一人で、褒めるときは人前でとか言うけどさ、そんなシンプルなもんじゃないよね。
ああ、そうだなって思いました。人前で褒めることにも、ちょっと逆の作用が知らないところであるかも。
その人にとってはいいかもしれないけど、周囲の人にとってはね、あっ、というふうに違うんだみたいなね。
っていうなると、その驚くとかは、ありかしその輪郭をぼやかすみたいな意味では、一つのいいやり方なのかなって思いました。
そうだね、狙ってやるっていうよりは自然となるといいけどねって感じだけど。
ああ、そうですね。
確かにな。
仕事だとね、結局テキストでリアクションだけじゃない、本当のフィードバックとして、まあ褒めたり褒めなかったりとかあると思うけど、
あんまり褒めに頼らないほうがいい気がするんだよな。
褒めに頼らない。
俺がもう一個思うのは、これをこうできてるなんてすごいですねが、
一般的な社会的な基準とか周囲の基準視点での良し悪しを語るタイプの褒めと、
俺は好きですとか、いいと思ったみたいな、あくまでも主観的なリアクションのポジティブフィードバックってあるじゃん。
言うとそっちの方がいいかもなって思うときはあるね。
感想の方がいいみたいな感じじゃないですか。
褒めるよりは。
例えば、その人が自分の本当はいいことできてるのに自分の価値をうまく認識できてないときとかは、
いやこれは一般的に結構難しくて、これをこの時点でやってるのはすごいと思うよみたいなことは伝えることはある。
それはある種、基準がない人に対して基準として伝えることはあるんだけど、
そもそももうちょっとライトな日常的な感じでポジティブなものを何かしら送るとしたときには、
これなんか自分好きだわとかっていうか、もしデザインとかだったら特にさ、
これなんかめっちゃいいよね、このキャラクター、俺なんかめっちゃ好きだわ、
ほうが意外とこのキャラクターめっちゃうまいねより、もしかしたらなんかピュアに伝わるかもなっていうことあるから、
俺の中ではその、両方の軸は持ってんだけど、先に自分の好みとして好きに触れたときは、
それは伝えとこうかなと思うときは結構あるかもしれない。
褒めの自分軸か、褒めの社会軸みたいなの、それは意識的に使い分けられてるんですか?
意識的じゃないけど、何かのときに思ったことがある。
素直に嬉しいのって、その人の自分軸で言われたときの方が嬉しいかもなって思ったことがあるんだと思う。
それなんか、褒めるのが難しくないですかっていう話を他の人にしたときに、
ちょっとなるほどなって思ったのが、褒め言葉を祭りにしないみたいなことを言われて、
どういうことかっていうと、すごいですねじゃなくて、すごいから助かりましたとか、
自分への影響を後につけるっていう、なるほどって思って。
すごいっていう事実に頼ってないというか、自分がこうなったとかこう思ったみたいなことをつけると評価者っぽさが薄れるというか。
確かに。でも自分の視点っていうのも加わってるとか、自分がこう感じた、こう感謝しているっていう。
だから褒めより意外と結局感謝の方が、助かったとか、結局嬉しい気するよね、もしかしたらね。
っていうことを考えると逆に褒めのマイナスを見たことがあるってことだよね、いろいろね。
いや、っていうかその褒めることがやっぱ良しとされている中、褒めるの難いなって思ってるっていう感じですね。
もう1個あれかもな、さっきの上下じゃないけど、デザインとかだとさ、
世間一般水準について高いクオリティとさ、その人の今までやってきたことの中で高いクオリティとかあるじゃん。
とか会社として意味のあるクオリティとかあるじゃん。
で、その時にさ、軸がさ、社会しかなかったらさ、ずっと褒められないとかあるじゃん。
いや別にこれより上手い人いるしなみたいな。
自分でそれも、まず自分で思うこともあるし、他者のものに対してもそれを思うことはあるじゃん、別に。
どの基準でこう見るか、どっちがいいんだろうとかは別にないんだけど、
その基準の持ち方によっても褒めれるものが褒めれなくなるシーンとか、全然生まれるよなと。
それ言うとさっきの自分の軸と社会軸と、多分その人軸みたいなのもあるなと思って。
で、その人からすると上手くなったとかできるようになったっていう。
子供とかそうだもんね、だって。
そうですよね。なんかそれが難しいですね、私にとっては。
自分軸とかだと、自分が元々もう得意なやつとか、
で、新人がちょっとできるようになったからといってみたいなところはあるじゃないですか、構造として。
あるね、そういうのね。同職種の人に対して厳しいパターンだよね、それ。
もちろん社会的にも入りたての人ができるようになったからといって、社会的にどうかはまた別じゃないですか。
そのパターンはある。
その人軸、その人基準での変化にまず気づけたりとか、その人の前の状態を知ってないといけないじゃないですか。
前の状態を知っていることもハードルがあるし、
かつなんかそれがすごいことだっていうのが、自分の中で咀嚼してしかも出せるっていうのが結構難しいなって思います。
例えば経験1年目でこれができるのはすごいとかね。
社会とその人の合わせ技みたいなパターンもあるし。
それなら、確かにそっちのほうがまだできるなって思いました。
例えばこういう条件、周りに教えてくれる人がいないのにこれできてるのすごいとか。
環境要因の中で簡単か難しいかみたいな。
周囲にそういうアセットがある中でやれるのは割と簡単だけど、ない中でやるって結構大変じゃんみたいな。
確かに。貧乏な中でいい大学に受かったとか。
貧乏という表現だとまたそれは違うものを刺激するかもしれないけど。
でもそういう、何かあれだね、どこから見て褒めるかみたいなのは。
褒めるっていうことだったけど、どこから見て良いこととかすごいとするかみたいなのは。
いろいろ考えがあって。
でも育成の面で言うと、多分その人の軸での伸びしろを褒めるかわかんないけど、伝えてあげるのは大事だなと思って。
褒めることの難しさ
だから俺は褒めるよりもしかしたら伝えるでいいかなと思ったけど。
認識させるっていう。
それにプラス自分の感想として、それはすごいことだと思うよとかは言うかもしれないけど。
面白いねとかは言うかもしれないけど。
そこを支援する方が、育成上プラスポジティブに働くことが多いかなっていう気がする。
要は言えることが増えるから。
社会基準のすごいと比較しない方が。
なるほど。
それで言うと自分基準は結構言えるんですよね。
その基準じゃなくて?
はい。
自分がもう結構何年経っても身につけられない資質がたくさんあるんですけど。
撮影の人たちもあるみたいですけど。
たくさんあるんですけど、それ結構もう新人から持ってる人とか全然いるんですよ。
言えるよね。
そういう人にはもう言えるんですよね。
全て自分基準だなって今思いましたね。
そうだね。
自分基準で言うことのプラスは、その人と相互依存の関係を作りやすくなるよね。
そういう作用があると思う。
自分は苦手でこれできないけどこれできてすごいね。
私はこの人に対して役立てるんだなって思える可能性があるから、そこはプラスになる気がするね。
特に関係性が自分の方が上の場合に。
自分の方が下の場合だとするとね、それをより感じるとなんかもうどうしようもないかもしれない。
自分できないけどこの人すごいなって終わるみたいな。
でも褒めるタイミングも難しいなと思ってて。
例えば、飲食店から出るときおいしかったですとか言えます?
その前に喋ってたら言えるけど、喋ってなくて言うは意外としないかもね。
ちょうどこの前あったのは会社の近くのカフェみたいなところで、初めて行ったときに、初めて5日みたいな感じだから日常会話を発生しながら注文したり食べたりしたのよ。
そうするとこれ今お試し中のメニューなんですけどどうぞとかいうサービスとかあるとするじゃん。
でもあまり客いなくて自分に対してそれが向けられたコミュニケーションがあると、そうすると距離感が違うから食べ終わった後においしかったですよとか、
これこんな喋るもんあるんですねとか感想を言って出てたね。
言わなくて出ちゃう、実際おいしかったけどみたいなケースがたくさんあるってことですよね。
あるとそれが例えばすごいチェーン店で自分の好きなものだけど、別にそこの接客場プラスアルファのイレギュラーなものが発生してなければ、
イレギュラーはわざと発生させないからこっちも。
割と普通にそのままね、過ごすよね。好きで食べてるものっていっぱいあるけど、おいしいなと思いながら。
それによって失われたおいしかったがこの世にたくさんあるわけじゃないですか。
だからそういうのはチェーン店とかだと感じにくくなってるかもしれない、あり得るよね。
YouTubeのポジティブコメント
客がそういう態度だったりすると。
もうちょっと個人店がやってるところが感じやすいところがあるかもね。
っていうので、褒め言葉を考えるのもそうだけど、とっさに発するっていうのも一つのスキルだと思うんですね。
それがあまりにもないなと自分に思って、
今YouTubeにコメントする練習してます。
なるほど。
なんかYouTubeって、
私もっとこの世で評価された方がいい人物はYouTubeにたわいもない褒め言葉をポストできる人だと思ってて。
確かにすごい。
いやー面白かったですとか、正直第三者から見たら何の毒の薬もらわないようなコメントは、
投稿者にとったらたぶん嬉しいと思うんですね。
社会の幸福度を上げて。
Amazingとか海外のとかだとめっちゃあるじゃないですか。
やったことないなと思ったんですよね、こういうことを。
それが多い世界の方がイノベーションは促進されそうだね。
そうですね、日本のアプリストアとか低評価つきやすくて、そもそも配信を拒絶されるみたいな、日本に配信するのやめようみたいなのもあるって聞いたんですけど。
心折れるって言うもんね、開発者の人もね。
良かれと思って出したのに。
そうですね。
やばるね。
批判する時だけコメントするっていうのはちょっとフェアじゃないなみたいな。
できてないわ。
だからポジティブな感想を持った時は批判の時と同じぐらい表明しないといけないみたいな感じのした方がいいっていうマインドを自分に植え付けられないかなと思って。
良いかもね、YouTubeにプラスコメントするのね。
そうですね。
なのでこの番組聞いてる人ももし何か思ったことがあれば。
そういうこと?
プラスじゃなくても良いんで。
嬉しいよね、それ。
そうですね、反応があると濱さんは嬉しいがりますね。
確かに。
分かりやすくね。
確かにリアクションが欲しいというか人間は大事だもんね。
それはそうかもしれない。
っていうレビューサイトに書くとかやったことあります?
あんまない気がする、本当。
じゃあこの世にもポジティブを。
巻いてない。
巻いてないですね。
巻いてないな。
確かにね、巻いてないね。
そこまでちょっとかすめとってる感じがする。
良いものだけ受け取って返してない。
無料で良いものだけ受け取って。
ただノリしてる可能性あります。
確かにね、YouTubeの人が時間かけて作ったコンテンツをめっちゃ勉強がてら見てるのに返してないかもしれない。
そうですね、なんならいいねすら私してない。
確かに言ってるもんね、YouTubeの人もさ。
はい、確かに。
いいね登録、チャンネル登録、いいねコメントお願いしますって結構な人言ってるもんね。
そうですよね。あんなにも要求されてるのに何も返してこなかったっていう。
それは難しさのひとつだね。恥ずかしさなのか、なんなのか。
そうですね。
ああいうものに対してのリアクションをほとんどしたほどがなくて、閲覧者として。
はい。
全部するぞって決めたら世界変わるかもね、自分の体感が。
確かに確かに。
知ってる人ってどんな感覚なんだろうねって思うもんね。
そうですよ、何を求めてやってるのかなってちょっと気になるんですよね。
たまに返信あるじゃん、本人から。
ああ、はい。
でも絶対返信しないチャンネルってわかるやつもあるじゃないですか、公式に近いやつとか。
それでもいっぱいついてるもんね。
そうですよね。
確かに。
見返りのないギフトをし続けられる人とかね、そういう人たちっていうのは何か。
そうですね。
確かに。
仕事上とかでも別に褒め言葉的なものが浮かんでる時あるんですよ。
評価の可視化
ある。
何かいつ言うかはよくわからないから、結果言わずに終わることも多々あるんですよ。
突然この案件のこの部分がいいですねみたいなのが突然脈絡もなく言うのも変だなみたいな。
あるし、俺マネージャーやってんじゃん。
そうそう。
さっきの私の時言われなかったの気にしちゃって、やるなら全部にやらなきゃいけないかなみたいな気がして困るなっていう時ある。
本当はたまにあるのよ、ポジティブに言えるんだけど、ここに書いちゃうと、でも他の投稿もあるのにそこはしてないってことになったりするから、
たまにそういうの言いたいけど俺がやるとそうなるかなみたいな時にDMでやっちゃったりする時あるもんね。
なるほど、DMでやるの。
まれにね、抑えきれない時に。
DMはDMでも関係者に全員言うのかみたいな変な感じになっちゃう。
でも一人だけ言ったらその人にしか伝わらない可能性あるとか。
そうそう、そういうのもあるかもしれないし。
でも公のところでやるとリアクションしたい人以外に対して私にはないみたいになると、
そういう風に感じる人がいるっていうのを知ってるから、気になっちゃって逆に全体を下げるとか回数を減らすじゃないけどっていうのは起きたったりするね。
全体を気にするあまり個別のこのハッピーをない場所にしてるみたいな。
あともう一個かな、俺結構反応が早いタイプだと先に全部やっちゃうと、
毎回この人だなってなってもちょっと嫌かなって思って抑えたことがあるかもしれない。
全部のリアクションが早いとか。
毎回浜さん、いつも浜さんにしかコメントされないなみたいな。
そうなることも全然あるよじゃん。
だから一旦誰か他の人コメントするかなって、本当は思いついてるしコメントできることもあるんだけど、ちょっと寝かすことある。
寝かしてた。
誰かコメントしねえからその後にだったらコメントできるようになる。
だっていつも俺からコメント来たらさ、次も書くときに自分が何か書いたら自分にコメント来そうってさ、感じちゃいそうじゃん。
どういうことですか?
また浜さんから来るだろうなって感じじゃない?
とかめっちゃ見てるなみたいなさ。
別にいいんじゃないですかそれ。
なんかめっちゃ見られてるなみたいになってもなって思って。
一挙一投そこマネージャーにじーっと。
なってもらえたなみたいな。
見てるんだけど、見てるよぐらいのスタンプで済ますみたいなね。
本当はコメントもできるんだけどみたいな。
それはあれですね、自己評価と対立してそうだなって知ってると思います。
でも毎回俺だったら他の人がコメントしなくていいやってなるから。
それはもしかしたらあるかもしれない。
そうなるとその人にとっての他の人とリアクションというか関係性を作れたかもしれない可能性を減らしそうだから。
で控えたりする。
初めに逆に誰もリアクションしてないとしたほうがいいやってするとか。
そういう心のキビもある。
キビが。
それで言うとこの前思ったのが、褒めるタイミングも特にないし難しいなって思ったけど、
なんか褒め言葉的なのが浮かんだことあったんですよ。
突然通知表みたいだけど思ったから言っとこうかなと思って、
全てが終わった後に誰々さんのこの動きはこう思いました。
ついでに他の人も誰々さんはこう思いました。
書いてみたんですよね。
ちょっと人事に近い人のやりやすい感じの雰囲気が出て大変だったかもしれないけど、
私的にはやりやすさを感じてよかったですみたいな。
すごい通知表みたいじゃないですか。
評価っぽい。
すごい評価っぽいことを言ったんですけど、
ただ私に褒められるのはそれなりに嬉しい人が多いだろうっていう。
自己分析もあるんで。
自信というかあるんですよ。
それでポストしてみたんですね。
そしたら他の人も乗っかって書いてたんですよね。
増えるってこと?
増えたんですよ。
可視化される褒めが。
そうなんですよ。
多分一つの仕事が終わって公開されたっていうポストだったんですけど、
それに私が通知表的コメントを付けたたゆえに、
他の人は他の人で思った時の感想を言って、
最終的にディレクターが泣きそうになりましたみたいな。
多分私がポストしなかったら、
公開しました、お疲れ様でした、多分終わってたと思うんですね。
褒めることの難しさ
そういう自分がポストしたこと以上の波及があるなって思ったんですよ。
通知表だけど、ポストしてよかったなって思いました。
そう聞くとそれはプラスのコミュニケーションを増やすっていう意味では、
良い活動だなと思うけど、
自己評価的にさ、自分の褒めは価値があるっていう自己認識の方がやったわけじゃん。
そうじゃない場合だとどうなるんだろうね。
どうなるんですかね。
受ける側が積極的に褒めを求めていく姿勢も必要かなと思ってて。
そういう人、多分自己評価と乖離している、
本当はこの人から褒められたら嬉しいのよなみたいな人から何も言ってもらえない時は、
自分から借りに行くっていうことが必要なんじゃないかなと思うんですよ。
難しいな。できたことねえな、そんなの。
あんまりそういうの考えたことないが正しいな。
私は褒め言葉のカツアゲって呼んでるんですけど。
思ったことないもんな、それ。その発想がないもんな。
あとあるやつでデザインの提案を最初にした時に、
デザインの提案って返すの結構難しいじゃないですか。
最初にツラツラ説明されて、最初に何を言うかって、
受けた側からすると結構難しい作業だと思うんですよね。
ちょっと間が空いたんですよ。
これこれ持ってきましたがどうですかの間が。
いいと思いましたかみたいな感じで私が続けたんですよ。
言ったら、いいと思いましたみたいなことが返ってきて。
なるほどな。
でもツラレって言っちゃっただけで本当にいいと思ってると思ってないかわからんよな。
でもいいと思うだろうなって思いながら言ってるところもあったんで。
確かにね、何か言わなきゃなって思ってる人に対してね。
助け具合的に出したってことだよね。
別にいいと思ったって後に、でもここはもうちょっとこうなるかもしれないなって。
別に続けられるのは続けられるじゃないですか。
っていうかつあげを。
こういうのかつあげはしないし、できたことないし、しないなって。
していくっていう。自分がそれで駆動するタイプだとは。
でもだからこそ枯渇してるかもな。
枯渇してるかもしれない。
そうですね。
もらえてないかも。
言う側の自己評価の乖離もあるし、
ふとしたコメントをする文化というか、自分にそういうのが根付いてないっていうのもあるし、
かつあげをもしないっていう。
全てが巡り巡って埋めないっていう。
埋められ足りないかもな。
マネージャーとかよく言うじゃないですか。
埋められなくなっていくよってハンマーさん言ってるじゃないですか。
もし求めてないからだと思うんですけど、求めてるんだったら自分からかつあげしないと。
たぶんね、求めると期待値以上に絶対もらえないっていうのがわかってるから、
辛くなるのよ。
だから求めてないっていう状態に自分の基準を下げないとやってらんないんだと。
感謝とフィードバックの重要性
期待値をそこまで下げて。
下げないと無理だね、たぶん。
別のモチベーターみたいなのを探すというか、
誤名を基準にしないっていうことのほうが健康かもしれないですね。
それは作用を感じられるかとかになっちゃうね、自分の場合はね。
誤名じゃなかったとしても、
役に立てたんだなとかね。
打てば響いたかどうかみたいな。
その人の成長につながったのが一番嬉しいからね。
誤名じゃっていう立場だとね。
それを実感しやすくなるといい。
はい。
それで言うと褒められではないけど、
あの時いてくれてありがたかったですっていう言葉は結構嬉しいのよ。
それはたまに言ってくれる人いるわけよ。
この時このフェーズここが大変だったけどいてくれてみたいなのを。
そうそうそう。
言ってくれるとめっちゃありがたいなって思うし、
振り返り会とかにも出てきたりすると、
ありがとうって思いながら受け取ってるけどね。
それで元気にはなってる。
褒めじゃないよね。
感謝とか作用したってことが分かるだけでいいから。
感謝か。
確かに。
感謝が嬉しい派と褒めが嬉しい派ってなんかちょっとありそうですよね。
確かに。
ちょっと近しいは近しいですけど。
あんまり褒めは求めてないのはそこもあるかもしれない。
自己評価のほうが大事だからかもしれない。
褒めっていうか上手くいったかどうかに関しては、
わりとそこの基準が自分の中に結構あるから、
何かが終わるたびに自分で自己評価してるからさ、
ちょっとこれ上手くいったな、上手くいかなかったなみたいな。
持ってこられたいなっていうのは自然と思っちゃうから。
それの客観基準はもらうっていう意味では欲しいけど、
自分で上手くいったものをけなされたとって、
逆に上手くいったって思っちゃったら、
意外と平気だったりもするから、難しいな。
でもなんか反応がないよりはあるほうが嬉しいもんな。
じゃああれですかね。
その反応がもらいやすい場を設計するっていうことが一番近道かもしれないですね。
そうかもね。
それと振り返りをやるとかね。
そうですね。
確かに。
っていう感じで思えるのは難しいよねっていう話でした。
はい。
そんなところですかね。
はい。
ではでは。
では。
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