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2024-10-15 07:07

日々のルーチンを見直して大事なものを考えてみる

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サマリー

今回は、日々のルーチンを再評価し、自分にとって本当に必要なものを考える重要性が語られています。アウトプットやインプットのプロセスを見直すことで、求める成果を得るためのコントロール方法にも触れられています。

日々のルーチンの見直し
シゴクリラジオ
こんばんは。シゴクリラジオの大橋です。
今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
今回はですね、やりたいことをやりましょうというテーマです。
1日のルーチンとか、普段やっていることを少し見直してみたよと。
それで残るものって何ですかと。
デザインとかそういう考え方するかなと思うんですが、要は削減する、削除する、減らしていくと最後に何が残るか、そんなことをですね、少し考えていきたいと思います。
今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオの大橋です。
今回ですね、自分のルーチン、やっていることです。
普段やっていることとか、特に毎日、1日振り返ってやっていることがあります。
ラジオもしっかりですが、ブログを書いたり、アイデアのためにインプットしたり、アウトプットしたり、調べ物したり、いろんな投稿したり、web新聞ですね、作ったりしてるんですけども、
これですね、リスナーのあなたもですね、普段毎日やっていることとかあるのかなと思います。
それがですね、毎日必ずやっているわけじゃなくても、週に1回とか月に1回でもいいんですけど、そういうですね、定期的定常的にやっていることを思い浮かべてもらえばいいかなと思います。
家事、育児とかでも全然いいんですけど、そういった中でタスクみたいなものがあるじゃないですか。
家事とか育児とか、育児はちょっと置いといて、家事とか、皿洗いとか、自炊しない人だったらやらない人はないんですけど、食洗機か、あと洗濯ですよね、全自動のもありますが、
そういったところいろいろあるんで、一概に言えないんですが、やりたくてやってないとかね、そういうのだとちょっと困るんですが、例えば散歩とかね、あるわけじゃないですか。
で、散歩毎日してて、散歩やめますと、むしろ無駄じゃないですかみたいなことをちょっとやってみてほしいですね。
別に散歩するなんていうわけじゃなくて、疑ってみるってことですね。普段やっていることを疑ってみる。
結論的に言うと、僕がやっていることをちょっと疑って、これ本当にいるのかみたいなことを思ったんですが、特に感じたのはですね、アウトプット系ですよね。
投稿したりとか作ったり、これやるためには当たり前ですけどインプットが必要で、インプットとかアウトプットってちょっと小難しくなるんで簡単に言うんですけど、
アウトプットするためにインプットがいるんで、インプットタスクを書いておく必要性があるのかないのかっていう話なんですよね。
何言ってるかわかります?要はアウトプットをするからインプットがいるんで、アウトプットさえ書いておけば、その前のインプットをしないとアウトプットはできないわけですよ。
要はインプット工程があってアウトプット工程になるので、アウトプットだけってことはないんですよね。
アウトプットすることでインプットになるってことはですね、タスクメモとかトゥードゥとかやることって意味で、四角としてですよ。
何か本を読むっていうのも結構書いてたんですけど、読んでるんだけどもそれいるっていうような感じで仕分けしてたっていうのがあります。
正直なところアウトプットだけでいいのかなっていうことを感じました。
インプットとアウトプットのバランス
アウトプットができているってことはインプットもできているはずです。
ここでアウトプットって言ってるけど、それいいのかどうかってあるわけじゃないですか。質とかね。
正直それはわかんなくて、自分でいいなと思ったのが全然ダメだったりしますし、これは微妙でしょっていうのが良かったりするはずなんで、そのバランスはもうしょうがないと。
作品って言ったらちょっと大げさですけど、自分が書いたもの、僕のラジオの喋りが作品だとは全く思ってないんですけども、とはいえ喋れない人とか苦手な人もいらっしゃるんで、
そういうところからすると簡単にやっているように思えるかもしれません。
簡単にやっているというよりも上手くまとまっているように思うかもしれませんが、そんなことないですよ。
このアウトプットしたものっていうのを、僕はこういうふうに思ったという感じだということを言うんだけども、
それを聞いたリスナーのあなたがどう思うかってまた別じゃないですか。そんなふうに思わないですとか、逆の言葉はいっぱいありますよね。
それはもうしょうがないと。
なので、自分でギュッとコントロールできるところってことを考えていくと、コントロールできないのはもうしょうがないです。
ただ、変なところになるように思われるようなふうにはなるべくしたくないということですよね。
コントロールできるということを言うと、アウトプットすること。
インプットはそれにある指標をつくので、アウトプットをコントロールしていったほうがいいんじゃないかなという気がしました。
アウトプットができていないということはインプットもできていないので、インプットしろよということですし、
何かこういうことをやらなきゃなというのが本当にないのであればインプットしないです。
僕の仕事でアイディアを出したり企画を作るということをやっているんですけども、
これですね、何かやるということがないとやらないです。
何を言っているかと言ったら、考えてくださいとか依頼があったり、自分がこういうのをやりたいですという、
やる気というとよくないんですけど、そういうアウトプットとか締め切りとか、
何か自分で設けてそれで動きたいというのが本当に心からなければ、
何か思ったけどもういいかってなるんですよ。
なんで最初の話に戻していくと、自分がやりたいことというのはそぎ落としていくというか、
削っていったときにこれかなみたいなのは、ちょっとしたものでいいんで1ミリというかね、
残るんですよね。それを多分やったほうがいいという気がします。
要は枝刃みたいなことをやってもいいんだけど、ダメじゃないし無駄じゃないですよ。
無駄じゃないんだけど、そういう感覚でやるのもいいんですけど、
何かガッと根元とか根幹に関わることが実は、そぎ落としていったときに残るものじゃないかなってことを思いました。
いかがでしょうかと。今回は以上となります。
四国理大橋でした。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
以上失礼いたします。
07:07

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