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2024-11-25 17:43

書いて考える、アウトプットが考えることにつながる

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サマリー

今回のエピソードでは、アウトプットを通じて考えることの重要性が語られています。特に、アイディアを出したり書き出したりすることで、考えを明確にし、悩むことと考えることの違いを理解することが強調されています。このエピソードでは、書くことが考えるプロセスとどのように結びつくかが探求されています。アウトプットは思考を整理し、つながりを生む重要な方法であるとされています。

00:09
シゴクリラジオ
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
アウトプットの重要性
今回はですね、意見とかアイディアなんですが、出して考える、書いてとかね、伝えて、要はアウトプットということになるんですが、出して考えましょうと。
逆に言うと出さないと始まらない、そんな話をしていきたいと思います。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオの大橋です。今回はですね、アイディアとかね、意見とか、その考え方みたいな話をしてみたいと思います。
冒頭ですね、お話しした通りで、出すことが考えること、書いたりメモしたり、誰かに話したりと伝えることですが、伝えなくても自分に向けて日記を書くでもいいんですが、書いてますよね。
自分に対して話しかけてもいいかなと思います。ポッドキャストはちょっと特殊かもしれませんが、自分用のメモとして音声入力して話すのも考える一部かなと思っています。
でですね、それがないと考えることが始まらないんじゃないかなってことをふと思いまして、出すと考えられない。逆にですね、問いかけとして出さないで考えられるのか、ぜひですね、リスナーのあなたもですね、聞いているあなたも考えてみてください。
どうやって考えるのだろうか。私はどうやって考えているのかと。考えるってそもそも何だと。そのテーマだけですね、多分ずっと喋っていられるので、なるべく簡単に、というか今回のテーマに出さないと考えられないということで話していきたいと思います。
わかりやすいんですが、プロトタイプツールとしてWeb Sim AI もしくは V0 というのを日々使って遊んでるんですが、このゲームとかアプリのネタってどうやって出してるんですかって言われてないんですが、あまり言われないんですけど、難しくなくてそう閃いたというかね、出てきたから面白いなと思ったことがあって、じゃあこうしてみようっていうふうに毎日やってますね。
Web Sim はですね、体験会とかいろんな人に触ってもらって遊んでる経験からも如実にと言いますか、例えば僕の興味がいろいろあると、そうしたらリスナーのあなたもですね、いろんなご興味ご関心があって、今考えている課題とか、もしくは困っていること、もしくはもっとやりたい何かあって、もっとどんどんやっていきたいとかね。
いろんな状況があるとは思うんですが、例えば本を書こうとしている人は、本を書くにはどうすればいいかみたいなことを考えているとするわけですよね。
そうするとですね、例えばWeb Simというツールを渡されたときに、本のテーマを探すにはとかね、AIでもいいですよね。ツールみたいなもの、何か手段を与えられたときに、その人それぞれが全然違った質問文ですよね、この場、AIだったら。
それでですね、今世の中検索していることを知ると、世の中の人っていろんなことを知っているんじゃないかと知ろうとしているよねっていう、Googleサジストですよね。提案される検索ワードなんかも面白いわけですよね。
で、今Web Simの話しましたけど、例えばそれがモデリング、ブレンダーというものを少し触っているので、そういう何か3Dで作るとか、あとはよくあるんですが、自分の今の状態を書いてくださいってください。
もしくはワークショップとかですね、今の状態を教えてくださいって言って、その人が発しないと表情も察することができるんですが、なんか浮かない顔をしていても、いや別にこういう顔ですって人もいらっしゃると思うんで、言葉にしてもらってね、ちょっと元気がないかもしれませんと言うと元気ないんだなってわかる。
もしくは質問をして回答する。何々について教えてください。診断のようなものですよね。すると、自分でこういうふうに考えたのかなってわかる。アイディアはこのラジオでも何度も言っていますが、アイディアを出すときにインプットしていって、こういうふうに出すことで、まさにアイディアがですね、出すことでこういう考えがあるんだよねってことを伝えていく。
そういうことを日々やってるんで、流度については相当細かく見えるような気がしますが、それは置いておきましょう。さまざまなツールなり、文字やアウトプット、話すスタイル、作品作りでも何でもいいんです。文章を書くでもいいんですし、例えば写真なんていうのもそうですよね。写真撮ってきてくださいって言って帰ってきて、いろんな人の写真を見ると、そういう撮り方だったり、そういう撮り方もそうですけど、そういうものに興味があるんだって。
興味がないものを撮ることって何かできなくないですか。興味関心がそこで見えてくる。まさにそれが考えるに近い、もしくはその考える材料の興味関心を示したことになる感じですか。
それがまさに出すと、話す、誰かに話す、自分で書いてみる、伝えてみる、まとめてみる。そうすると自分が考えていたことが明確になる。
悩むことと考えること
前少しお話ししましたが、レポートを書くなんてそうですが、講義を受けてね、学生さんなんかもし聞いていればそうだと思うんですが、講義を聞いてね、何を考えましたかってことを言われるんだけど、何かその考えが出てこないとね。
なんで出てこないんだろうと思うんだけど、それはなんででしょうねっていう。教授なり誰かが話していることはそのまま事実として変わらないのに、受講している学生の中でみんな聞いてるんだけど、反応が全然違う。不思議ですよね。
僕もそれもアイディアだと思ってしまうことなんですけど、要は自分に引き付けてね、自分のところでこういうこともあったからこういうことを言えるんだよねっていうふうに引き寄せているか、引き付けられているかということになっちゃうんですよね。
だからそれが全く難しいとか全然わからないこととか、自分の経験がさければそれはわからないので、だからこそ悲しいというかね、辛いかもしれないんですけど、だからこそ勉強というかいろんなことを学んで、知らない前提でやった方がいいよなってことは思ったりします。
話を戻しますと、質問を受けて回答するとか、考える材料があってとか、ツールで何か作るとかね、何でもいいんですよね。仕事でも何でもいいし、プライベートでも何でもいいし、料理もそうですよね。
卵スープ作ってくださいって言われたら、いろんな卵スープの作り方が多分あって、卵の量が多い少ないから味が濃いとかね、卵のスープの出汁は何だと。別に鶏出汁じゃなくてもいいし、和風でもいいと思うんですよね。
そういうまず出してみないとっていうことが今回一番お伝えしたいことになります。悪臭だと僕は思いますが、悪い手ってことですが、出さずに頭の中で考える。
考えるっていう時に、悩むと考えるの違いをこのラジオでも多分話したんですが、もう一度というか何回もお伝えすると、悩むというのはどうすればいいかなっていうところは一緒なんですよね。
アイデア考えなくてもいいですけど、じゃあ今日の料理何にしようかみたいな。悩むっていうのはあれもいいなこれもいいなみたいな風にぐるぐる回る。卵スープもいいしポトフもいいしとかカレーにしようかみたいな。
それは考えているようですが、実は悩んでて、カレーでもポトフでも卵スープでもいいやっていう風に悩んでるんですよね。悩むというのはどうしようかで終わっている状況といった方がいいかなと思います。
つまり、悩んでいるということは悩み続けているので、じゃあご飯どうしようかってまた聞くじゃないですか。悩んでる人に。悩んでますって言いますよね。どれも良さそう。決めましょうかって言ってもいや悩んでますみたいな。
考えるっていうのはですね、そこの話に寄せるならば卵スープはなんで食べたいんだろうみたいなね。卵の気分だってもいいんですよ。論理的なものじゃなくていいんですけど、何か理由をつける。カレーっていうのは最近食べてないから食べたいなとか、ニュースで見たなとか、誰かがカレー美味しいカレーって言ってたなとかね。
ポトフは何かって言ったら、今年まだ冬場で食べてないから食べたいとか、もしくはこの間ポトフ食べたのが失敗しちゃったからまた最後でやりたい。今この3つの話をしただけでも、それぞれの理由とか感覚って言えばいいですかね。材料違いませんか。
卵スープだったら、簡単に作れるからサッと食べたい。状況が違うわけですね。今考えて、リスナーの皆さんも考えてもらえばいいんですけど、なんでカレーにしたのか、なんでポトフにしたのか、もしくはレシピの値段がないのかわからないですよ。
でも、悩んでるっていうのはそこで決まらずにぐるぐる回っていることですよね。悩んでる時に書き出してる人は多分少なくて、多分ですね、今の話は僕書かずに喋ってるんですけど、卵スープ、ポトフ、カレーって言った時にこれ3つを書き出したら多分考え始めると思うんですよね。
卵スープって書いたらなんで卵スープなんだっけっていうね、簡単に作れるからっていう風に、簡単に作れるから理由を書くとか、理由がなくてもいいですよ。食べたいからでもいいですけど、そういう直感的なものであったり、なんでもいいから書くと。
そうすると悩んでいることから突破していけると。なぜならそこに理由をつけたり合理的な考え方じゃなくてもいいから、一歩進めるにはそこで判断するとか、そこで試すとかっていう風になっていくんですよね。
つまり考えるっていうのは誤解がないように言うと、悩むのが止まっている静止状態であれば、考えがすごい動いているんですよね。粒子でも分子でもわかりませんが、すごくエネルギーが動いている状態だと僕は考えているか、思っているね。
戻すと悩んでいる状態というのは、まさにさっきの話でいくと、頭の中でぐるぐる回しちゃっている状態は考えるじゃないということなんですよね。
思考の整理と書くことの重要性
なので、頭の中でぐるぐる回っていたら、そういうことがあれば、まず全部書いてみてくださいと。その悩んでいる、もしくは考えていることが膨大で、もしくは書き切れないみたいな人がもしかしたらいるかもしれませんが、それは多分なくてですね。
人が悩みで保持できるもの、考えで保持できるものを抽象化しておかないとほぼほぼないんですよね。3個とか5個ぐらいのテーマっていうんですか。
僕は引き出しをいっぱい持っていて、アンテナを持っていてみたいな考え方が好きで、そういうイメージがあるんですけど、じゃあその20、30、100とかの引き出しが僕の頭の中に仮にあったとしても、全部それをいきなり出せるわけではなく、100あったら20ずつとか5個に分けてね。
20あったらそれもさらに4分割してここずつとかね。そういうふうにだんだん大分類、中分類、小分類みたいな分類をカテゴリーというよりもタグ付けに近い感じですね。分けてごちゃっとやってる感じです。
逆に言えば引き出しを引いたときに何か他のものが引っかかるようにしておくっていうのがポイントっていうかわかりますかね。イモズル式で取れるように、どのイモを取っても何か引っ張ってこれるようにするというのが一つの僕なりの考え方ですが、多分これをそうなんじゃないかって思われる方も結構いるんじゃないかなと思って話しています。
なんで頭の中でぐるぐる回して停止した状態ではなく、書き出して考えてなんで卵スープにした、なんでポテトにした、なんでカレーにしたんだって言ってもいいですし、こういうふうだから自分はカレーを食べたいんだみたいなふうにしていけることがまさに考えているっていうことなんだと僕は思ってます。
なんで書いて考える、書き出して、さっきの冒頭に戻しますと出して考える、アウトプットして考えるっていうのはそもそもアウトプットするっていうのと考えるっていうことがほぼイコールでして、出すから考えるし考えるから出すみたいなことかなと思います。
なんで人に話さない、自分の中で空港を眺めて天井右上をご覧になっていただいてこうかなーかなーってやるのは考えているとはあまり言わないですね。
もちろん問いかけが来てちょっと考えますって言って3秒5秒ぐらい待ってどうですかみたいなそういうのはもちろんありと思うんですけど、たかがそんなもんで今日は何を食べましたかって僕が今問いて、夜になってるんで、夕食ですよね、食べたことを思い出す人もいれば食べてないなっていう人もいるしぐらいですよね。
それの問いかけに対して人類が食べるということはみたいなことを普段考えている人はそう思うかもしれないけど、食べるそのものの行為自体を学術的に考えるとかっていうのは多分出てこないわけですよね。
出てこないんだけど聞かれて頭の中で思い浮かべるぐらいの話ですよね。
思い浮かべるってことは考える材料として全然ありなんです。それが思い浮かべるのね。ありなんだけど思い浮かべる材料のままだったら未加工ですから豆腐を食べたいのであれば大豆みたいなね。
豆しかなくて豆腐になってないじゃないですか。だから未加工状態のものを原材料のままみたいな感じが近いです。その頭の中での悩みとかやり取り。悩んだりとかね。
頭の中で思い浮かべる状態を否定しているわけでもなくて、それはあるんです。あるのでその次の段階ですよね。原材料を得たその次は加工しなきゃいけないってことですね。
加工は頭の中で多分できないし僕はできないです。コンピューターにかけるっていうのも考えることにならないんですけど今ってAIに聞いても考えることになってないですよね。
なぜならそのAIに出したものを自分で人間が判断書類しなきゃいけないんでそっちのことを考えると今言っています。
なのでAIに投げるときもあなたが考えたことをAIに投げなきゃいけないですよね。
ということと一緒で紙に書く、日記に書く、誰かに話す、作品でも何でもいいし作る仕事をやる、文章を書いてみる、話す、何かに質問回答する、何でもいいんですが出してみましょうと。
出すことで次の一歩につながるというか考えが始まるんじゃないかなということをふと考えるって何だろうと、どうやって考えてるんだろうということを思いましたので以上を考えてみたというところです。
問い直すことの価値
僕の場合は調べたりリサーチしたり興味持ったり関心したりしたことに対してはまずは何でだろうねというふうに言う。
口癖として何でだろうねというふうにしておくのは結構いいと思っていて、リスナーのあなたもそうですけど一般常識だと思われている。
例えば選挙って何で投票しに行くんですかっていう。それ聞かれると結構困るしませんか。そういうもので決まってるだろうっていうのは回答じゃなくて何でだろうねっていうふうに。
そこで問い直せる。恥ずかしいとか置いといて何でだろうねって実はそういうことを思ってても恥ずかしいから言わないっていう人も多分結構いらっしゃると思ってて。
同時に答えがない正解がないものもたくさんあるんでそれに問いかけることも良くないともしかしたら思っている方も結構いらっしゃると。
何でそういう時こそ何でだろうね書いてみて考えてみる。何でだろうねってぶつけるのが嫌ならこういうふうに考えてるんだけどどう思うっていうふうに言うともしかしたら乗ってくる人もいるかもしれません。
だいぶ長くなりましたが今回は出して考えるアウトプットして考えるもしくはアウトプット自体が考えることなんだそんな話をしてみました。
今回は以上となります。四国リーラジオ大橋でした。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
以上失礼いたします。
17:43

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