ライティングのリズムの探求
はい、シゴクリラジオ大橋です。今回もよろしくお願いいたします。このシゴクリラジオは、パーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。
仕事づくりなんでしょうね。何かたまに言ってますけどね。
全部関係してるんで。
人生、仕事の定義ですよね。仕事って何?みたいなのが、要はお金稼げれば何でもいいでしょ?みたいな。
聞いてる方はね。結構聞いてる方だったら浅いなと思うと思いますが、浅いからダメとは思いませんが、その定義とか解像度でいくと、仕事づくりって何言ってんの?って思いますよね。
仕事づくりにも関係してくると思いますし、結局考えることと、僕は直結してきていると思っているんですが、各研究、最近ですね、各研究を始めるっていうのはちょっと大げさなんですが、
僕が言ってるなんちゃらプロジェクトとか、なんちゃら研究って大げさに言ってるだけなんで、世の中的に国レベルとか全国レベルでそれが起こるとは全く思いませんが、そんな興味を持ったんで、各研究の話を少ししていきたいかなと思います。
あんまりまとまってないんで、ゆるゆる聞いてください。今回もどうぞよろしくお願いします。
はい、しごくりラジオ大橋です。今回ですね、独自プロジェクトですね。なんか独自って言うとすごそうですよね。オリジナルとかね。誰かもやってるし、もっとやってる人もいるんでしょうけど、自分が考え出したことを独自って言う感じですかね。
あんまり僕使ってないと思うんですけど、使ってたらごめんなさい。独自というか、自分がやろうかなと思った話です。
それはですね、書くです。ライティングですね。文章を書くですね。言葉を書く。文字を書くの書くです。何をやるかと言ったら、特に文章の、まず順を追ってっていうか、何でやりたいかと思ったかというと、文章を読みます。
リスナーのあなたは文章を読んでますか?別に活字だから別にウェブとかね、紙とか関係ないです。読んでます?小説でもエッセイでも短歌でも様々なものがありますよね。別にビジネス書でも何でもいいんですが、その文章を読むときのリズムって意識されます?
それが気になり始めてたんですよ。最近特に。もちろん、よくわからないことが並んでたり、苦闘点とかもあるところがなかったり、文章のデザインとして見づらいとかもあると思うんです。
デザインというか、ごめん、良くない。デザインかな?レイアウト。ただ、例えばですよ。段組とかあるわけですよ。段組ってご存知ない方いらっしゃるかもしれませんが、新聞みたいに段になってて、読みづらいというか、初めて見たら読めないかもしれないし、読めなくても文章が繋がってるからわかると思うんですが。
雑誌とかね。小説の雑誌とか特にそんな感じが多いかもしれませんが。
ノートとかね。ノートをちょこちょこ書いてるんですけど、ノート記事とかも結構見ることがあるんですよ。トップページとかから見るんじゃなくて、調べてたらノート記事があったんで。
個人の人が書く。個人というのは別に著名でもなく、僕も知らないという意味の個人ということですが、そういう意味の総称として個人と使ってますけど、そういう個人の方が書いている文章を読んだときに、読める人もいればちょっときついなという人がいると。
実はあなたはそういう読める文章、読めない文章みたいなのを感じたことありますか?なかったらもうつまんないなで終わるかも。読んでないと全部みんな書いてるものが同じに見えたりしますけどね、多分ね。
多分、めちゃめちゃ違うんですよ。例えばどれくらい違うかというと、短歌とか俳句ってありますよね。古い家みたいな。何でしたっけ?井戸に川津飛び込む川津?ポチャン?何でしたっけ?
適当になってる。松尾芭蕉でしたか。まあまあ。ありますよね、いろいろね。短歌とか俳句って5・7・5とか5・4・5・7・4というところのリズムがあって、それといわゆる交互体というか、
今日こんなことがありまして、実は各々近々でみたいなのというのはだいぶ違うじゃないですか。と僕は思うんですけどどうですか。それぐらい違う。同じように見えて。
ノートっていうプラットフォームだと一緒じゃないですか。装飾、不当字にしたり改行したりとかそういうものはできるけど、ほぼほぼ一緒だ。条件は一緒だと。
あとはその人の書き手の表現とか、見直したりするとか、スキルだけじゃないんでしょうけど、そういうものがあると。
あともちろん読み手ですよね。読み手の気力とか体力とか読みたいなとかもあるんで、自分が飛ばしたからその人の文章がダメとか全く思わないですけど、読めるとき読めないときがあって、読んでいったときに入ってくる感じのリズムと入ってこないなっていうリズムもあると。
あとも当然構成もありますよ。構成も含めてリズムかなと思いますよね。こういうことを言いたいんですっていうことを伝えたい人がいたときに、何度も何度も同じことを言うような気がするんですよ。
多分ね。分かります?だから今回の話しちゃってますけど、文章でも同じで、僕はでしょ。それあえて取るっていう人もいるかもしれませんが、伝えたいなら書いたほうがいいですよね。別に推移対策とかそういうウェブのなんかじゃないくてですよ。
書く研究とかリズムってことだったらその言葉を僕は連呼しているはずなんですよ。多分このリズムとか連呼とか。だから今回はその文章のリズムみたいのを言いたかったんだなっていうのが分かればよくて、あと詳細は突っ込んでどこまで理解いただくかはもう本当に聞き手ですよね。
もしくは文章なら読み手になりますね。の次第かなと思います。なので相互にやりとりするんで、一方的にリズムが悪いからダメとかリズムがいいからダメとかっていうのはなかなかないとは思いますが、ただ違いはあるなというふうに思ってます。傾向としてね。
で、そのリズムがいいのは文章っていうのも書かれたものは何なんだろうなと。入ってくる入ってこない興味もあるんですけど、それこそYouTubeとかのアイキャッチとかサムネイルもしくは動画の最初のショート部分で再生されたりすると。
YouTubeご存じない人はあんまりいないかもしれないですけど、YouTube見ない人もいると思いますが、そういうふうに動画のサムネイル画像を当てるとマウスを回すとか、スマホだったら画面をスライドさせて持ってくると動くんですよね。プレビューってやつですね。
ちょっと再生されて、そういう時もそうですけど雰囲気を掴んだりすると。だけど結局そこのリズムがあると思ってどういう感覚で出していくか。映像だとまた違ってくると思いますが、ただ文章も書いたもので読み手にどういうふうに伝わってくるかってところでの、
読み手に対して、つまり見ている人に対して聞き手に対してのどういう流れとか、階段だったら階段の駆け上がり方を、駆け上がるのも下がるかもしれないですけど、わからないですけど、タンタンタンタンって上がってくるのか、タタタタタタって、
わかります?走っていくような感じなのか、タンタンタンタンタンって上がってくるのか、タンタンタンタンタンタンってリズムなのか、タンタンタンだと多分寝る人がいるんで、このラジオを聞いてて寝る人もいるかもしれませんが、そういう一定のリズムでザーッとやると寝やすいですよね。
単調になりやすい。だからタンタンタンタンタンタンってきて、タタタタタンってきて、タンタン。で、進んでいると思ったら実は戻ってタンタンタン。そういうリズムがある。
特に小説なんかはそのリズムがつかめないと、辛いと言うとちょっと違うんですけど、読みづらいよなっていうね。じゃあ読みづらいのがダメかっていうとまた違ってくるんですよね。だからちょっとここは言語化が難しい部分があるんで、
多分全部リズムっていう感覚っていう意味では全部言語化できるとは思ってないですし、言語化全部したわけじゃないです。ただ違いがあるよねということをぐらいは明示したい。明示したいというか明記したい。いや、書くってそういうところ面白くないですかっていう話なんですよね。
創作の企画とフィードバック
例えば書く面白いから自分が書くことが面白い人は割といる。そんなにいないのかな。ちょいちょいいると。だけど仕事みたいなね、仕事作りに寄せるのは仕事としてやってください。このテーマで書いてくださいってなると途端に面白くなくなるっていうのがあると思う。だからものすごくわかるんですけど、要求に従うみたいなものとか他の人が価値となっているものに対して当てていくみたいな。
期待値調整の話はちょっと前にした気がしますけど、これはどんな仕事でもそうですよね。文章としてあなたに、リサーノーのあなたが文章を書けるという人がいたときに、じゃあこのテーマで書いてください。こういう対象者でこんな感じのものがあるといいですね。それがエッセイなのか本当にショートの小説なのか、それともコラムというか何かについて自分の体験を書くと。
エッセイだともっと感覚が強い、感覚とか体験が強いイメージですけど、コラムだともうちょっと読み物として学びがあると言うと厳しいかもしれませんが、でもなんか気づきがあるみたいなやつですかね。
その読者が求めているような、そこまでいくと、文章で食べているみたいな人が強いと思いますけど、その何なり物資があると感じですね。その人の癖なり持ち味というかフレーズがあるみたいなのを出してくださいとかもあるかもしれませんが、そういうのに応えなきゃいけないんですよね。
書くのが好きっていうので、創作みたいなのを作ると。作ったところはいいけど、作ったので作りっぱなしはやっぱりダメなんで、そのフィードバックですよね。
それで面白がってくれる、もしくは最終的にお金にしたいなら、お金が払ったくなるぐらいの価値にならないと成り立ちづらいのは、別に僕が方法を持っているわけではなくて、やり方があるわけではないので、それも地道にやるしかないですね。
ちょっと脱線しましたけど、そういうところで書きたい、書けるっていう人が誰かの要求に従って書けるかどうかでも意味が全然違ってくるんですよ。
もう一個だけ言っておくと、どうすればいいのっていうときに企画なんですよね。創作するんだったら、小説の企画みたいなのを作って、これはこういう物語になってこういう人に受け入れられるんじゃないか。
もしくはこういう人に届くんじゃないか。それが妄想でもいいんですけど、妄想でいいっていうのは、物語の内容は妄想でもいいんですけど、その物語から得られるものは妄想じゃ困るわけじゃないですか。
もちろんタイパーとかコスパじゃなくて、10時間かけてそれを読んだらこういうのが得られますっていうのは、もちろん言いづらい部分はもちろんあると思うんですけど、どういうものを表現、どういうものを伝えたいかで表現がどういうものかって感じですよね。
で、あらすじみたいなのも出てきて。で、やると。で、やるとですよ。そういうやり方をしろってことじゃないですけど、仮にそういう企画書が作れるかどうかで、自分が作るものの創作をメタ的に見えるか。
メタっていうのは一つ上、二つ上じゃないですけど、より抽象的って感じですね。一つ上でもないですけど、より抽象度高めに見えるかと。要は自分のやってる創作講義を創作してますから創作です、創作どうぞだと、相手の立場とか読み手がわからないんですよね。
で、わかるんですよ。読み手から何か言われることが嫌だとか、ヒードバックされたことに対して納得いかないし、自分の作品もこれだからもう別に変えることもないと思ってますみたいな。それはもうわかるんですけど、ただそれを人の感覚とか人の要求とかを入れて処理できない、要は調整できないと、それは仕事にはなりづらいですよねっていう。
だからアーティスト寄りだとクリエイターでも作品だ、表現だってなって、それがいいんですよねっていう人はいますよね。ただそれもどういうふうにコミュニケーションしていくかっていう話になっていくだけなんで、その話となります。
で、ビジネスじゃないんだけど企画寄りというか、もうちょっと企画してどうできるかってことですね。僕が思うのは、その人の違いですよね。アーティスト寄りなのか企画寄りかっていうのはやや極端なんですけど、
実際に文章を書いて書き出して見ないとわかりませんだとちょっとアートっぽくないですかって感じがします。書き出してこれぐらいやったら見えてきたからそれをまとめて企画書っぽくして出すとかまとめる。
で、なんで企画書が要るかっていう話をもしかしたら?って思っている方いらっしゃるかもしれませんが、10時間かかる本というのはわかんないですけど、とりあえず10万文字ぐらいの小説というかあったとして、10万文字が長いかどうかを置いておいてそれぐらいのものがあったとして、
企画書の作成と必要性
それを書かないといけません。それが2ヶ月かかる?3ヶ月かかります?もしかしたら1年かかります?わかんないです。だけどその期間、時間あります?ってことです。できたら、もちろん作らなきゃいけないんだけど、できたら出します。どうしますか?できなかったらやらないです。
一方で企画書っていうのを作ると、多分一日で作るか分かりませんけど、少なくともかなり実際に文章を書くとか創作するよりも短い時間でできますよね、企画書。
企画書というのは、数ページ、別に1枚でもいいんですけど、4インチ枚とかでもいいんですけど、どういうタイトル、どういう小説だったら小説なのか、あらすじ、登場人物、もしくは出版という意味でもそうですが、誰に読んでほしいのかって、それこそ売りたいというか売るなら価格をつけて。
別にKindleみたいなやつでもいいですけど、というふうに整理することですよね。
なんで整理するかっていうと、そのアイディアというか内容があればですよ。ないなら埋めていかなきゃいけないんですけど、それをしないと勝手にそれが生まれてってことはないですよね。
企画書にするかどうか置いておいて、企画書の内容が頭の中に想像できてないのに、それが勝手に生まれてこうなんだってことはないわけですよね。
少なくとも誰に売ろうかっていうことがわからない、もしくは見えてないのに売れないじゃないですか。
だからそこはわかんないけど、やってみたらこういう人に売れたから、こういう人に売っていくっていうのは別にいいんじゃないかなと思うんですけど、
でも今のってさらっと言ってますけど、それ作って10番文字書くまでやってからやるんですかって話になるわけです。
だからそのあたりでも調べたり、誰かに聞いたり、フィードバックを得るっていうのが重要なんだろうなって感じます。
両方やればいいんですけどね。やりながら企画書を作ってやる。
じゃあその企画書を作るっていう話は今回は違うんですけど、そういうのができる人はメタ認知できてるなって思ってて、
でもメタ認知がその程度、悪い意味じゃなくて、それぐらいできないと人が欲しいというものが、
文章のリズムについて
ちょっと暗中模索感があるというかよくわかんなくて、毎回手探り感が半端ないというか。
で、やってしまっているような感じがしますよね。別に僕ができてるってわけじゃないですよ。
には思いました。すみません脱線しましたけど。
で、各研究っていうのはですね、そのリズムを、文章のリズムって何なんだと。
別に音のね、タンタンタンとかタタタタンとか、タンタンタンとか、本当に叩いたリズムで表現するかはまたわかんないですけど、
入り方とかその強弱とかがあって、人がその認知して入りやすいようにするのか、あえて引っ掛けるのかとかは置いといて、
それがですね、様々にあるよねっていうことをまず見ていきたいと。
で、なんか当たり前ですけど、書くってことはですね、読む人がいるんで、書くじゃないですか。
これも話してると思いますけど、話じゃないですか。
それをどう読み手が受け取るかは正直わからないわけです。
コミュニケーションはそうじゃないですか。
こっちが言ってることはAのこと言ってるんだけど、なぜか全然違うB、もしくはCと捉えられた。
あれ?と思って修正してAですよっていう。
だけど、わかりましたAなんですねって言うけど、本当にAとして伝わってるかはわかんないんですよね。
だから、行動で見てもらって、それはBとかCじゃないですか。
っていうことで、書いたものも読み手によるわけですよね。
だから、本なんか特に顕著ですけど、100%みんなが伝わるとか8割ぐらいが限界じゃないですか。
伝わるってないですよね。誤解したり誤読する人もいるから。
そういうエラーがあるのが前提かなというか、エラーあってしょうがないなって思ったりします。
その人がね、違いますよって今みたいに修正できてたらまだ上がると思います。
ただ、それでも今の話で象徴的だと思うんですけど、その人がBとかCで受け取ってしまう、もしくはBとCだって思い込んでたら、
それをAというふうに、自分が言いたいことをAだとして、Aって言えないですよね。
Aだとわかってもらえないですよね。
だから、しょうがないというか諦めっていう意味で、自分と違うように思われてもしょうがないかなっていうのが、
ある種の諦めの境地みたいなのがあるのかなと思います。
書いてる人っていうか話してる人とかの多くは。
そんなことは言ってないから、そんなふうに読めないやつはおかしいんだということを主張してもいいですし、
読めないよねって言ってもいいんですけど、文脈とかその前提が人によってやっぱり違うので、
例えば心理として落ち込んでる時に読んだら攻撃されたと思うし、テンション高い時に読んだら、気分が高い時に読んだら褒められたみたいなね。
勝手じゃないですか。だから勝手に読むんですよね、人って。
だから勝手に書いて勝手に読まれるみたいなのっていうのが、いいかどうか置いといてね。
勝手に書いて勝手に読まれるかはあんまりないかもしれないですけど、書いておいて読まれていくと。
そういうのがノートとかブログとかSNSもそうですけど、あるかもしれません。
そういうリズムで書く、伝えたいものがある。もしくはそれを読んでリズムが違う。
少なくとも僕が最初にお話した通りで、リズム自体は読んでて、なんかこの人いいなとか、なんかこの人入ってこないなって時に、
メタ認知してなんでだろうなとか。
リズム研究の具体化
本当に読み取りの中に知らない言葉が多すぎて、一行の中に知らないことがいっぱいあったら、確かに読むのをやめたり読めなかったりしますよね。
それを飛ばして読んでって雰囲気だけ味わうのかとかね、単語とか。
時代小説みたいなのとかって結構ね、知らないことがいっぱい出てきて、読みづらそうですよねとかね。
別に時代小説が悪いとかじゃなくて、読んでないとそうな気がします。
その特有の言葉とかもあるような気がしますし、現代の言葉とかに馴染んでないと、
なんかそれどういう意味なんだろうみたいなね、わからない言葉が出てきて、それに引っ張られてしまうとかもありそうですよね。
文章の後は伝え方ってことで、どこまで読み手が言っていて、どこまで把握できてるってことを書き手が把握してないと、
そのキャラクターはこういうことが特性としてあったんだってことを解釈されてなければわからないし、
もしくはそういうものなんだよねって推測とか推理みたいな、推理ってわけじゃないですけど、考えて想定して読むことは別にできるじゃないですか。
だけどそれが作品の作者側からの提示として、もしくはキャラクターとの会話とか、作品の中で出てくる世界観みたいなのがあったときに容易に想像できたらそう俺が言えると。
ということで、その読み手の状態を把握しなきゃいけないんですよね。
だからそれが、ペルソナとは言わないですけど、読者像みたいなのがあって、今は知らないですよ、どういうふうに作られているのか。
でも読み手の像があって、人物像と言うんですよ。
読んで、もしくは編集者とかフィードバックする人が読んで、こういうふうになってますよねって曲線で書いて、
最初は上がっていって楽しいなと思うんだけど、突然下がっていって、でもそこをぐっと耐えるから上がれるみたいなとか、
そのリズムがあるんでしょうね、きっとね。
それを一つのエッセイとか400文字とか800文字のものに求めるのはコクだなと思いますけどね。
プロでやってる人はやっぱり違うだとは思います。そこは全然違ってくるわけじゃん。
だけどそこは置いといて、アマチュアとか素人というか個人の人が悪いというよりも、
それはこれができてないから読みづらかったり、読みづらいものがあるんだよねっていうふうに思ったりするわけですね。
それは別にコメントして指摘するとか、別にそのことやってるわけじゃないですよ。
仕事として求められたらやりますけど、ただそういうリズムってあるんだけど、意識しなかったりすればそのまま入ってくるわけですよ。
だから僕が今ここで言っている、何も説明してないですけど、リズムがいい文章があって、それはいいと。
リズムが悪い文章があって、それは読みづらいと。もしくは入ってこない。
だからリズムが悪いからダメっていうわけではなく、リズムがそういうわざとダメにしているケースもあるわけですよね。
もしくはリズムが悪いとわかっているけどそうしたとかね。
そのあたりを僕の中であくまでも解像度を高めるみたいな意味でちょっとやっていきたいかなと思いました。
あと慣れているのもあるんでしょうね。いろんなものを読んでいるとリズム感で合わせることができるってわかります?
音楽もいろんなものを聞いていると、このリズムだなとか、こう変わったからこうだなっていう慣れが大きいんじゃないかなって。
今更ですけど思ってきてますね。
そんなもんじゃないですか。漫画でもいいし小説でもいいしラジオでもいいですよね。慣れていないとわかんないというか。
僕であればこの人ずっと喋っているけど大丈夫かと思っている人もいるかもしれないし。
目的がないトークというか決まっていないのは聞けない。全く決まっていないのはちょっときついですよね。
僕もわからんでもないです。
それ決めてるじゃないですか。冒頭で決めてるし。タイトルでも全く違うタイトルにはしてないですけど、こういう内容ですよということが書いてるわけですけど。
そこでもう決めたとしても、今回だったら書くリズムの研究でやろうかなみたいなぐらいなんで、
全然面白いと思うかどうかは聞こうとする人がいたらわからないですけど、そこでも書くリズムの研究って、
だから聞きたいという意味じゃなくて、書くリズムというか文章のリズムの研究ということですけど、
その文章のリズムの研究というテーマというところで、リザラのあなたもそうだと思うんですけど、
僕もそうですけど、何なの?リズムの研究って何?っていう。
それはこういうことだよねってわかる人もいれば、いわゆる全然わかんないっていう。リズムと文章関係ないと思って。文章はただの文字の連なりであって何もないっていう。
別に主張してもいいと思うんですが、それでですね、ゴールというかこういうことを伝えたいんですよ。書く、読む、研究の自分でやっていきたいんですよっていう話をしたとしても、
そういうことなんですねっていう風に、腑に落ちるとかは納得までいかなくていいんですけど、そういうことなんだなっていう一定の理解ってやつです。
ができるかどうか。もしくはチャンクというか塊みたいな話でいくと、興味はもちろんありますよね。書くとか読むとか。
読むってことに対しての、今の話広がりすぎるからやめといて、読む研究、書く研究、リズムってところがいて、それで伝わったものが、いわゆるチャンクでいうと大きいか小さいかって話なんですね。塊がね。
なんかわかんないですけど、ステーキ肉でもすごい塊を投げられても食べれないじゃないですか。だからステーキって肉ですね。切って食べるみたいな。
その、小分けにするみたいな。いきなり伝わらないからリズム研究ってわかんないから、僕はもうわかってないですよ。すいませんね。
でも、こういうことはいるんじゃないか。例えば、実際の例で具体化していって、ある文章A、ある文章Bとあったときに、そのAというのを読んだときはリズム感があまり感じられなかった。
Bは感じられた。それを何か説明する。何かで見ていくしかないですよね。
例えば秒数で拍を撮るとかね。パン、タン、タンってもいいし、文字の数とその塊ですよね。
1行40文、なんかよく言われますね。40文とか20文とかその文章をね。メールのね。メール今そんな書く人いないかわからないけど。
メッセージとかもそうですが、文章をね。一文丸々です。句点ですね。書くまで何文字あるか。もしくは回用なのかな。わかんないですけど。
が、10文字ぐらいずつだとリズムが速いわけですよ。よろしくお願いします。お世話になります。お越しです。
何々です。何々です。何々です。どうやりましたか。何々です。ちょっとSNSじゃないけど。
メッセージチャットみたいな感じになるわけです。
文章とリズム感の考察
例えばね。それってなんで速く感じるんだろうなって時に、これ難しいんですけど、その人が読む速度もあって、
その人の読む速度があんまり速くないなら、それでもリズムが作れないかもしれないですよね。
読む速度がある程度ないと、スピード感の強弱の幅が狭くなるじゃないですか。わかります?
だから、1分間600文字読める人と1分間400文字で1.5倍違うから、その1.5倍の幅がないから表現できないわけです。
これはね。でもこれって映画が尺が決まっててみんな同じように見えるかもしれないけど、そこで映像の受け取り方とか受け取り方が違ってくるから、
受け取り方がみんな違いますよねって話ではあります。文章でも何でも。
だからいろんな要因というか変数があって、もうこれだよねとは言い難いし、言えないし、できないとは思ってるんですけど全部が。
でもなんかちょっと気になったんで、面白そうだなと思ったんで、何かやってみます。
何かやってみるんですけど、こういうのって最初の着手に失敗するとこけるというか、何か出だわりになりまくってないよねってことになるんで、
自分の文章と人の文章を比較するってことでもいいんですけど、自分の文章だったら自分が書いたから読みやすいのもあると思いますが、
結構年数を置いたものってブログとかで見直すんですけど、なんかちょっとダラダラ書いてるなっていうのもありますし、自分に対してですよ。
分かりづらいなとか、全然あります、全然あります。全部いいと思ってないですし、
そういうところで見直すところでリズム感も見直してみるみたいなね、そういうのもありかなと思います。
今回まとめますと、文章ですね。書かれる文章、読まれる文章というかね、そういう文章に対してのリズム感があるんじゃないか、感じているぞと。
それは何なんだっていうのをなるべく明らかにしていこうと、そんなことを少しやってみたいなと思った話です。ゆるゆるですけど。
書くことの重要性
それって仕事作り、仕事クリエイター、もしくは仕事作りに関係ないかと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、
AIも含めて自分でやっぱり書けるというのは、全員が別に作家とか文筆家とかになるっていうこともないとは思いますが、
ただその人のリズム、もしくはその人の表現で書くことができるから、それで伝えることっていうのはまだまだ言葉がね、テキストって強いじゃないですか。
喋ってなんか届けるっていうのは、それこそ電話とか直接近いシートとかはあるかもしれないですけど、話してね。
社会生活とか全然あるんですけど、書くって言われるとまた違ってきて、そこで言われるとやっぱりインターネット、もしくはメッセージとかで伝えられるから、
それはすごく書いてそれを振り返れるっていうのは強いんじゃない、強いというか、それこそ役立つ。
解像度上がるし、見えることが多くなるんじゃないかなと。
あと、コミュニケーション能力を鍛えたいみたいな人がいるかもしれません。そんなバケツの人はいないかもしれないですけど、
どういうパスをすればいいか、たまに言ってると思うんですけど、適切なパス伝え方って、そこの書き方もありますよね。
なんかある漫画とかのこのシーンがあって、そういうふうに伝えたいんだよって言っても、それを表現する力がないから、
その漫画のコマを持ってきて伝えるみたいなのはSNS上で見られますが、それが著作権的に良くないと思います。
やれって言ってないですよ。
ある種のネタとしてやってたとしても、仮に本当にそういうシーンがあって、これは謝りつつも、
謝るのが良くないな、楽しいって伝えたいんだけど断りたいみたいなシーンの時にどう言うかとかね。
その時の断り方が、それが語彙とか表現という話になるんですけど、分かりやすいから。
でも語彙とか表現じゃなくて、その状況を体験していたり経験していないと単にそんなパス出せないよなと思って、そういうやりとりですよ。
そんなもんじゃないかなと思って、経験第一主義みたいになってるんですけど、
体験とか経験っていうのをAIでね、奪われるとは言わないですけど、奪われていくとちょっと問題ですよね。
体験、経験すべきっていう人がAIでそれができないのは問題なんですけど、正直分かんないですね、その辺りで。
ちょっとテーマが変わってくるんで、そのコミュニケーションとかにも書くことで伝えられること。
さっき言ってた企画書っていう話も出てきましたけど、それをどう伝えるかっていうのも、書くものなんでベースとなるような気がしてるんですよね、書くってね。
これはバイアスとして僕が書くのが好きだからとかね、そういうのもありますから、バイアスかかってんなこの人はぐらいで捉えてもらえるといいかなと思います。
もし進んだりこういうこと言えそうだっていうのがあれば、リズム、書くとか読むとかの話でしていきたいと思います。
今回はこれぐらいにしたいと思います。以上となります。
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
以上、四国にラジオ大橋でした。
以上、失礼いたします。