2025/10/28から開講する「書く、くらす」に向けて、小説について講師を担当いただく、海猫沢めろんさんに作家デビューから書くこと、Instagramのフォロワーでいただいた質問に対する回答などお応えいただきました。
『左巻キ式ラストリゾート』でデビュー。『夏の方舟』『キッズファイヤー・ドットコム』など。『明日、機械がヒトになる』などのルポも手がける。pha、佐藤友哉、滝本竜彦、ロベスと文学系ロックバンド「エリーツ」としても活動中。
https://diybooks.jp/writing-class/
サマリー
小説家の海猫沢めろんは、自身のキャリアや創作の過程を振り返ります。彼は純文学の世界におけるジャンルの変遷や、エンタメとしての執筆について語ります。また、作品における恋愛要素や笑いの要素の重要性も強調します。このエピソードでは、メロンさんとの対話を通じて、「書くこと」への恐れやクリエイティブな表現を探ります。さらに、言葉を使って何かを考えるプロセスや表現の多様性についても触れています。海猫沢めろんとの対話を通じて、ライティングの過程や創作における論理的な思考について深く掘り下げます。特に、書くことの目的や読者の期待に応えることの重要性が強調され、批評と感想の違いについても議論されます。海猫沢めろんは、自分を癒すために書くことの重要性や書くクラスを通じての学びについても語ります。参加者全員が独自の視点を持っており、交流の中で新たな発見があることが強調されます。
作家としての出発点
自己紹介をしていただいてもいいでしょうか。
小説家の海猫沢めろんです。
今年で20年。デビュー20年なんです。
おめでとうございます。
小説とか、僕はいろんな多岐にわたるジャンルの仕事をしているんですが、
まあ、主にやっぱり物を書くことが多いんですけど、
なんか僕が教えれることは何だろうなぁと思ってたけど、
まあ、やっぱり型とかを学ぶには、本を読んだらいっぱいあるから、
やっぱりこういうスクールの醍醐味っていうのは、
リアルの人間と会って、いろいろコミュニケーションをすることなんで、
なんかやっぱり、本当はその人ごとに違うんですよ、会ってるものって。
だから一概にこの人を教えないほうがいいなとか、
俺は言わないほうがいいなとかもあるから、
やっぱり対面だとそういうのはできるかなって気もしますね。
少人数でね。
書こうと思ったきっかけって何だったんでしょうか。
でもやっぱり作家になりたかったからですよね。
まず僕は高校のときに、
いや、なんか俺にできることあるかなと思ったら、
小説、本読むの好きだから、小説書けるんじゃね?みたいな感じで
小説家になりたいって思ったのが最初ですよね。
文学賞に応募するとかそういうことじゃなくて。
文学賞っていうものにやっぱ送るわけですよね、最初はみんな。
だけど僕受験システムを得てないんですよ。
受験とか試験でうまくいったことがないから、
結局文学賞だろうなんだろうっていうのは、
選考会みたいのがあって、こういうふうにリーグ戦じゃないですか。勝ち残っていく。
なんかそういうもので残ったことが一度もないから、僕は。
セキュリティが持てなくて。
全然送ってたけど、
自分なりには自信があったりするけど、
周りに教えてくれる人もいないし、
でも当時教えられててもダメだったと思う。
こんなの受験じゃねえかって思ってたと思う。
お前が読んだんだろ、スパーク。
スパーク一発でいけるもんじゃねえのかよ、みたいな。
小説ってほんのつまんねえもんなのかよって思ってたと思うよ。
できなかったと思う、当時。
でも結局だから僕は自分でゲームを作ったり、
ジャンルの移行と影響
自分でそういうものじゃないんだっていうことを味わう。
純文学だったから最初やりたかったのは。
まさにその純文学ってのはね、ちょっと魂のスパークみたいな、
効果性とかっていうところがすごい強いイメージがあるから、
そういうエンタメの文法とか受験的なことを言われた瞬間に、
そんなのは知らなくてえって思ってたから。
でもやっぱり普通に社会人になって仕事していくと、
仕事として成り立っているエンタメってもっと文法があって、
非常に定式化されてたものだったりするし、
逆説的にそこから入っていったのがよかったかもしれないですね、僕は。
仕事としてやっていったから。
でも結構一発目からというか、メタフィクションですよね。
そうなんですよ。僕はね、やっぱり批評的なところが入っていて、
デビュー作と続けて書いていく作品って僕は違うと思ってて。
よく言われるけど、その作家のデビュー作には、
その生きてきた時間全てが入ってる。
確かに聞いたことありますね。
だって余力残してたら受賞なんかしないから、
全力を尽くしてこれ一作で全て失っていいってぐらいのパワーを
入れなきゃダメだと思いますよ。
ゴンさんみたいなことですね。
ゴンさんですよ。
結局ほとんどの作家さんでデビュー作が一番いいですよ。
あーなるほど。
それはいろんなインパクトっていうかね、
最初に見たっていう擦り込みもあるかもしれないけど、
でもやっぱりほとんどの9割ぐらいじゃない?
輝いてますよね、デビューが。
なるほど。
だってやっぱりそういう意思で来てる人たちの戦いだから、
勝てないですよね。余力残してちょっとこういう
分かりやすいのやろうっていう。
でもその後僕やっぱりメロンさんに興味というか、
聞かれた理由の一つは、
例えばこの愛についての漢字とかも含めてなんですけど、
結構最初の左巻式のメタフィクションとか美少女とか、
要素が入ったものから純文学とかやられて、
本来やりたかったってことなんですけど、
例えば最初の作品からこういうふうに移行してくるにあたって、
心がけたことだったり、
例えば編集者の人とどういう流れで純文学もやりましょう、
みたいになってたのかなと思ったんですけど。
でもそれは人との出会いですね。
なんかいろんなところに行って会ってたら、
編集さんと会ったりしてたら、
人の縁ですよ。もうリアルですよ。
影響かけたわけでもないし。
でも一番大きかったのは、
初期の頃に僕はゆりかえに何か書いたっていうのが大きいかもしれない。
あーなるほど。
詩と秘書の。
そうですね。あとはやっぱりその時代のシーンの流れってありますよ。
ちょうど僕ら出てきた時代、2000年代、2000年代前半って、
ライトノベルとかゲームとか、
純文学とかミステリーっていうのはすごくごっちゃになってた。
マイジョーさんなんかはミステリーだけど純文学書いてた。
佐藤優弥さんもそうだし、
越境する作家さんっていうのが多かったんですよね。
SF書いたり。
バラバラとぐちゃぐちゃで。
そういうタイミングもあったかもしれないですね。
書く時間の工夫
なるほど。
でもある意味左巻式とかも動物化するポストモダンとか。
そうですね。
その状況を用意したのはやっぱりあずまさんが大きいと思いますよ。
批評によってそういうのをつなげてたから。
でもその後のお話を、僕前にインタビューで聞いたときに、
たとえばニコニコ時給800円とか、ゼロ式とか、
あとたぶん本をめぐる物語に入ってる作品も含めてなんですけど、
結構それぞれ手法を意識して分けて書かれてたっていう話を聞いたんですけど。
それをジャンルによって求められるものにちゃうから、
毎回書いてますね。
特に純文学とかで連載とかいろいろ書くときに、
純文学って一番難しくて、メタジャンルなんで、
ジャンルを超えてるジャンルみたいな。
同じことやるよりも何か新しいこととか、
何か一変突破でやるほうが評価されたりするから。
読み手もね、割といろんなことを読んでくれる人だから、
どうしようかなって思って。
かくたみつよさんに、
どういうものを書いたらいいんですかねって相談したんですよ。
そしたら、恋愛も書けばいいんじゃない?みたいなこと言われて。
ああ、なるほどねみたいな。
つまり恋愛って、ミステリーの中にも要素入ってるし、
純文学にも入ってるし、
だいたい入ってるんですよね、読んだら恋愛もって。
恋愛要素が入ってるというかね。
そうか。
特に現実において何もドラマがないところで作ろうと思ったときに、
恋愛ってめっちゃ作りやすいんですよ。
だいたいの人はわかるじゃないですか。
確かに。
みんな、つまり人間がいるということは、
結婚して子供が生まれたから我々いるわけで、
そこにはやっぱり何らかの恋愛というか、何かがあるわけで。
人間がいる以上あるんですよ、やっぱりそれは。
なるほど、そうか。
本当に僕、尊敬してる一つのポイントが、
フィッツファイヤードットコムとかで、
笑えるところがあるじゃないですか。
あのね、文章で人を笑わせられることがすごいなって、
僕本当に思うんですけど。
意外とね、そうなんですよ。
ですよね、めちゃくちゃ難しくないですか。
笑えるってみんな難しいって言うんだけど、
僕ね、やっと最近になって自分の強みは、
本当そこだと気づいて。
なるほど。
そうなんだと思って。
俺関西に住んでるし、
日常的になんかそれは普通だったから、
それが自分嫌で、何か書いたらふざけちゃうのが嫌で、
やめてたんですよ。
やらないといい時期があったんですよ。
絶対に笑いの部分とか書かないとか思ってたんですよ、昔。
シリアスで切ないやつを書きたいとか。
大きく分けて、低音の笑いと高音の笑いがあるじゃないですか。
エクスクラメーションをつけて、
なんとなにやんけっていう笑いと、
ぼーっとなんかスーっていう感じの低音、
温度が低いね、冷たい感じの。
なんとなく時代はもうその低音な感じがしますね、上音というか。
なんかそういうトレンドがあるので、
寒かったりするからあんまり回りなりすると。
そこはでもお笑いのシーンにも伝導してる気がする。
情報量とかね。
みんなが好きなお笑いに合わせていったら、
なんとなくそこは近づくのかなって。
メロンさん、ルポとかも書かれるじゃないですか。
ルポもフィクション書くし、
書くだけなら今AIでやれちゃうから。
はいはいはい。
余計にわかんなくて。
やっぱりそこで重要なのって、
自分が何したいかっていうことと、
自分の意思、何やりたいのかっていうのと、
そこの中でできる。
それが今から、
職のルポライターになりたいです。
職は大丈夫か、食っていけるかもしれないけど、
例えば専門的な、
音楽好きだから音楽ライターになりますとかってなると、
音楽ライタークラシックとかね、やると、
その知識ってめっちゃ必要じゃないですか。
何年に何年はやってて、
バックボーン、歴史だの、芸術だの。
それは無理ですよね、今から。
確かに。
本当にそれをやるモチベーションがお前にあるのかっていうのが問われるし、
そんな確かに好きじゃないなってなるから、
そこまで好きじゃねえなって。
そうなりますよね。
書く時間とか集中する時間ってどういうふうに
意識されてるのかなと思ったんですけど。
いやー、僕いろんなデザインもやってるからそうだ。
そうですよね。
商品とか日々の請求書とか、
確かに。
メールのやり取りとか打ち合わせとか、
あらゆることを全部自分でやらなきゃいけないから、
時間がないんですよね。
もう本当に一時期、
今年はもう本当に人生で一番長いぐらいの一年なんですけど、
何だろう。
本当に書く時間がなくなって、
やばいなと思ってたら、
友達に相談したら、
やっぱり分割したほうがいいんじゃないかと。
仕事を単位別に分けて、
ホモドールテクニックってやつです。
25分でやるみたいな。
そうそう、20分から25分でやるんだけど、
タイマーかけてね。
それを仕事の一単位にする。
それは良い。
なんでかって言うと、やってないと分かるんですよ。
書くことへの恐れ
今日何単位やったかっていうのを。
やってないと分かるから、
これは良い。
非常に良い。
質問みたいなのをいただいてるんですけど、
1個目は、書きたいことが頭にあるんだけれども、
書き出すことに恐れみたいな怖さがあって、
できずにいますね。
めっちゃ分かります。
本当ですか。
めちゃめちゃ分かります。
めっちゃ分かる。
分かる?
うん、ありますよ。
あ、そうですか。
やっぱ怖い、怖い。
俺もね、そこでめちゃめちゃ止まる。
へー。
で、書いたとて、やっぱり何か違うってなるとか。
それはね、解決法としてはいくつかあるんですけど、
うーん、やっぱこういう授業とかあるといいですよ。
なんでかって言うと、誰かがいて、
多分ね、安全な場所がないんですよ、その人にとって。
なるほど。
なんか出すと危険なことになるとか、
批判されてしまうとか、
なんか自分がそれをすごく批判的な目で見るとか、
いろんな悩みがあると思うけど、
やっぱり何出しても大丈夫だよっていう場所はね、
すごい大事です。
あー、なるほど。
確かに。
否定されないよ、むしろ良くなるよっていう。
出せば出すほどいいよみたいな。
出したものが悪かろうが良かろうが、
もうOKですよみたいな。
そういうの、体験が大事。
なるほど。
何らかの嫌な体験があったと思うんですよ、この人。
あー、こういう恐怖を抱くには。
何にもないとならないから。
何か昔自分の文章を否定されたとか、
あるいは自分が思ってしまう。
自分が自分をダメだと思ってしまうこともありますよね。
でも何らかのそう思うに至った原因があるはずなんですよ、
心理的な。
それを外せば何とかなる。
表現の多様性
なるほど、なるほど。
そういうセーフティースペースというか。
そうですね。
出しても大丈夫だよと。
思考と出たものは関係がないと思うことですね。
いくら考えてようが、脳の中にあるものって、
なんか俺は100次元ぐらいのすごい複雑なデータだと思ってて、
でもアウトプットって文字で並列っていうかね、
リニアにしか出ないから1次元なんですよ。
順番に1、2、3、4っていう風にしか文章って出てこないから、
読む本も1、2、3、4って私はなんとかでっていう風に読めないから。
絵ってさ、いろいろパッていろんな情報がパンって一度に入るけど、
文章って入んないから順番にしか。
当然なんか劣化してるんですよ、脳の中にある。
だって脳の中ってあらゆるものがパーンってきてる。
感情とか色とか匂いとかね。
だから当然なんですよ、それって。
劣化情報なんで。
鬼のような、むちゃくちゃ劣化してる情報だから。
それは頭の中にあるものと比べたら違うから。
だから頭の中にあるものをそのまま文章にしようと思ってできる人って、
頭の中に文章がある人ですよ、もう。
その人はむしろ頭の中にあるもののほうが豊かなものがあるから、
だからその劣化に耐えられないとかってことだと思います。
なるほど、そういうことですか。
それで言うと、昔メロンさんとお話ししてたときに、
何歳ぐらいまでかメロンさんって、
みんなが言語で物を考えてるの不思議だったって言ってたじゃないですか。
僕頭の中で言葉でこれがあーであーでとかって発したこと一度もなかったですよ。
僕は逆に不思議だったんですけど、
考えるって言う、考えろって言われてることが意味がわかんなかった。
考えるって何なんだよ、感じるしかないだろうって思ってた。
考えるって、本当にわかんなくて考えるっていうのは。
つまり言葉っていう道具を使って何かを記号変換したり、
記号をぐちゃぐちゃして何か変換してるわけですよ、言葉って。
それってすごい異常なことで、そんなのできないですよ、普通。
僕全くできなかったですよ、ずっと。
絵とか色とか形みたいな、感覚でしか僕は全部捉えてなかった。
言葉で何かを操作する、記号操作っていうかね、イメージを操作するって、
何か意味わかんなかったです、最初。
記号論的な話もあるけど、
みんな同意の前提で流通してる辞書的な言葉の意味に当てはめなきゃいけないから、
ちょっと頭の中のイメージとそれはまた変わったりするわけですよね。
全然違いますよね。
小説を読んだときに僕がどう考えるかっていうと、
本を読んだら、自然は読めるんですよ、当然字読めるから。
そこから感覚を受け取るじゃないですか。
大変だなとか、わーなんかなっていう。
その感覚しか残んないんですよ。
あーなるほど。
それを考えろって言われても、
僕にとってはそこで得られた感覚しかないから、
考えるって何よ、みたいな。
あーなるほど。
そうですね。
こういう感じを得たけど、以上、みたいな。
なるほど。
それって今書くときも、
そういう感覚的な部分でっていうのはあるんですか?
いやでもやっぱり、そうですね。
手前ぐらいまでずっとそんなんだったけど、僕は。
25、6までぐらいは。
でも言葉を使えるようになって、
言葉でうまく考えるようになって、
変わりましたよね。理屈っぽいかもね。
でもそれってなんか偽物な気がずっとしてますよ。
所詮はこんなのが理屈だしなーみたいな。
全然本質じゃないよなーって。
だからもどかしいですよ。
感じてることのほうが本当だから。
はいはい。
全然一致してないなってときは。
あー。
いろいろ本を読んだり、
例えばこういうスクールとかで学んだんだけど、
学べば学ぶほど書けなくなったっていう人がいるんですけど。
ある。
ありますか。
あるな。
何かを入れるってことは、何かを知ってしまうから、
やっぱりなんか壁ができるんですよ。
こうでなければいけないとか、いろんな。
無の状態だと自由なんですよ。
何やってもいいけど、
何かを学ぶと逆に、
逆に言うとこれはダメだっていう意識が出るんです。
あーなるほど。
これがいいよって言われると、
あ、じゃあこっちダメなんだなって。
あー。
何かを知るにはやっぱり二面性があってね。
じゃあなんか単純にひらがなで開くと、
すごい読みやすいよとかってことをね、
言われたりしたときに、
あれ私の文章なんかすごい漢字多くなってるとか、
ダメなのかなーとか。
分かります。めっちゃ分かった今。
あれ、じゃあどのくらいにすればいいんだろうとか、
なんか違う気がするとかって、
スランプに入っていったり、バランス崩したりするんですよ。
確かに。
でもこういうのってもう、
学べば学ぶほど、
もう本当に全部出てくるんですよ、こういうの。
確かに。
そりゃそうなると思いますよ。
あー。
なんかその、何をしたいかなんですよ。
テクニカルライティングとか法律とかだと、
法律の言葉ってやっぱ違うから明らかに。
それはなんかちゃんと間違いなくやんなきゃいけないかもしれないけど、
創作の言葉においてそれがやりたいのかって、
まず初期段階の設定が間違ってる可能性がありますよね。
なるほどなるほど。
必要がないもの入れちゃったらできなくなっちゃうんで。
もしかしたら書くことではないかもしれない。
だから逆に言うと。
あー。
俺常に思ってますよ。
この人、絵描いたほうがいいんじゃないかなとか。
あーそういうことですか。
言葉に向いてないんじゃないかなとかっていう人もいるから。
なるほど。
何かを表現したいっていうことのために小説をやっているのであるならば、
言葉じゃない、詩であったり、
なんか絵とか写真とか映画だったり、
表現ってめっちゃあるから。
小説とか言葉じゃなくていい人っていうのが、
迷い込んだ時に起こりがちな気がする。
なるほど。
言語じゃないかもしれない。
やっぱりさっきの話でもそうですけど、
頭の中にあるイメージを言語としてアウトプットするのか、
音声なのか、映像なのかとか、
そういうことですよね。
向き先とか出どころが本来とは違うんじゃないか。
確かにそれはありそう。
やっぱ言葉ってみんなこうやって喋ってるし、
自己満足とコミュニケーション
一番簡単なアウトプットではあるから、
みんなできるんじゃないかなと思うんだけど、
実は向いてなかったり、
使っているからこそ、
実は何か使えてなかったりすることってあるんですよ。
だから逆にだから、絵とかも、
俺絵全然描けないんだけど、
多分俺が何も考えずに描くとぐっちゃぐちゃになるけど、
意外とそこに良さがあるかもしれないし、
自分じゃ分かんないですよ、最初は。
確かにそうですよね。
結局コミュニケーションとか、
他の人間が判断するもんだから、
小説、文章もない。語源って。
自分のためにやるのが一番安全で、
本当に一番それが良いと思うけど、
自己満足が一番良いと思ってるんですよ。
表現、人に見せるって、
承認欲求も入っていることが多いから、
本当にそれを自分がやりたいのかって、
分からない人もいると思うんですよ。
認められたいからやりたいとか。
それであるならば、
自分を殺してでも、
大スターになりたいとか、
ヒットしたいっていう人は、
プロフェッショナルなことをやった方がいいし。
確かに。
だけどそうじゃない人結構いるから、
表現を自分の庭を育てるみたいなね。
確かに。
そういう人はいるから、
こんなのではないよね。
なるほどなるほど。
あとさっきのお話で言うと、
言葉って言ったときに、
喋り言葉と書き言葉でも全然違いますよね。
文章に書くっていうことと、
話したことをテープを越ししても、
全然ピンとこないなってことも、
あったりしますよね。
それはある。
なるほど。
一番簡単なアウトプットは、
喋ることです。
対話ですよ。
書けないとかっていうときに、
誰かがいてそれを、
なんでですかみたいなことを言って、
まずテープを越ししてみましょうよとか。
それいいかも。
何かは出てくるから。
やっぱり頭の中にあるものって見えないから、
ライティングのプロセス
一旦みんなが共有できるように出すことって大事で、
それからしか何かできないですよね。
検討ができないというかね。
ありがとうございます。
ちょっと最後の3つ目の質問なんですけど、
書いているうちにブレてきちゃって、
ものすごい脱線したところにたどり着く。
もしくはたどり着く前にやめちゃうっていう人がいるんですけど、
これはどうしたらいいんでしょうかという。
タイプが2個ぐらいあって、
一つは、いいタイプ。
脱線したけど、
これはこれで面白いじゃんって思えればそれでいいんですよ。
小説なんかよくある話で、
全然キャラが動いて全然違うエンドになってよかったこともあるじゃないですか。
考えても見なかったところにたどり着きましたみたいな。
でもおそらくここで言われてることって、
論理的な何か結論があって、
それをうまく論理立てしているはずなのに、
違う答えが出てる。
つまり計算式は綺麗な1たす1のはずなのに、
5とかになってるっていうことじゃないかなと思うんですけど。
そういうタイプのライティングはもう論理的なことなので、
なんか最初の前提の論理の組み立て方が間違っていたりする気がします。
式の書き方が間違ってる。
構造というか。
そうですね。
そういうタイプのものは答えがあるから、
そういう式っていうのは、
僕はこう考えててこういう結論なんじゃないかなと思うんですよね。
っていうタイプは、それはわかりやすくなおしてると思う。
確かに。
論理的に。
小説の場合でも難しいのは、やっぱり答えがないからね。
すごくそこが全然違う気がします。
そうですよね。
プロットみたいなものが存在してたとして、
それを道理に書いてるのが、
私一回挑戦したときに、とてつもなく面白くなかったんですよ。
プロット通りに書くのが。
そういうこともありますよね。
よくあるのは、なんか頭の中で考えていて、
うまくそれが書けて終わったって読んでみると面白くない。
はい。
いっぱいありましたね。
なんで面白くないんだろうっていうところから入んなきゃいけないですよね。
なるほど。そっからスタートってことですね。
いろんな理由があるけれども、
この段階でみんな傷つくんですよ。
いや、そうだと思います。僕もそう。
そこなんですよね。
なるほど。
クリティカルヒットしちゃう批判とかを受けて、
ボロボロになる。
そうですね。ありますあります。
そうか。
逆に言うとそこが出発点ってことですね。
そう、出発点。
出したものと間違ってたからどうする、を考える。
そう。そうですね。
最初の段階では批判しないほうがいいんですよね。
いいところとか、うまくできたと思ってるところ。
僕よく言うのは、書けまして読んでくださいって言われたときに、
読んでもいいけれども、
じゃああなたが書いたものは、
何をしようとして、どこをチェックしてほしいですか。
あー、なるほどなるほど。
自分が一番やりたかったこととか、ここはできてるんじゃないかと。
はいはいはい。
つまり、笑えるシーンで読者が笑えなければ、
技がかかってないんですよそれは。
ここでアクションシーンですごいワクワクするような、
かっこいいシーン、書けていると思うんですよ。
かっこいいシーンになっていなかったら、
それはなってないんですよ。
なるほど。
単純な話なんですよ。
その人の意思があって、こうしようと思っている。
だから右に行こうとしているときに、
右に行けてたら別にそれでいいんですよ。
だけど行けてないことがあるから。
なるほどなるほど。
そこは批判というよりも、
右に行きたいならこうやったら右に。
より右に行けるんじゃない?っていうことを考えるってことですよね。
なるほどなるほど。
だからその人自身の意思があって、こうしたいっていうのが、
できてるかできてないかだけでいいと思ってるんですよ僕は。
いい悪い依然に。
でもこの前段階の問題であることが多くて、
何も考えていない。
あーなるほど。
つまり、書けたーすげー。
めっちゃ褒められるに違いない。
っていう願望がほとんどの人にあって。
書くこと自体が目的になってたりとか。
書いたらすごいものがなんかできたから褒められるに違いない。
なるほど。
しかないから。
いや、書いた。えらい。
すごいすごい。書いたらすごいですそれは。
でもその、書いたものには目的がやっぱあって、
楽しませたいとか何らかのものがあるわけですよ。
後ろにね、褒められたいの向こう側とかに、横かもしれないけど。
その時にそれができてるかできてないかで、
褒められるかどうかは変わってしまうから。
確かになるほど。
褒められたいならば、なんかその、やっぱりお読んだ人が、
あなたが思うようにすごいものができたんだったら、
すごいねって思われる方がいいじゃないですか。
どこをすごいねと思って欲しかったのかってことですね。
なるほど。
これはすごいと思わそうとしてるけど、
ここもやったらもっとすごいと思われるかもしれない。
そうか。だから、ビジネスでいうPDCAっていうか、
だからプランの部分。
実現の精度というか、目論みがちゃんと達成できてるかみたいなことってことですよね。
よくあるのは、読めますけど、何をやってできてるかチェックすか、
どこで何がやりたかった、うまくできてるかどうかチェックするから教えてくださいって言ったら、
あー、なんも考えてなかったです。
なるほど。
そっかそっか。
でもね、本当は何も考えてないわけないんですよ。
っていうのを俺が思っていて、
昔の俺と一緒で、考えるってなんだよって話なんですよ。
なんか俺は何かを感じてそれを表現したんだから、
感じてくれよみたいな。
いや、感じてんだよってなるんですよ。
でもそれでもこの部分は青い感じがして、
こういうそれを俺は表現したんですけど、
どうですかとか言うことはできるから。
あー、それって感想と批評の違いみたいなところになるんですかね。
感じたことを答えるのか、
そういう感じたことを答えるのか。
そうですね。
感想だけでいいかも最初は。
ここをグッときたよとか。
そうですね。
なるほど。
感想でも難しいんですよ。
感想と批評の違いってどっちがいいかっていうと、
感想と批評の違いってどっちがいいかっていうと、
感想でも難しいんですよ。
たしかに。
Amazonレビュー見るとわかるけど、
届いた本がボロボロでした。
メルカリみたいな評価ですよね。
そこじゃないんだけどなーみたいな。
それで1とかになってますもんね。
そこで1なんだみたいな。
でも傷つくわけですよ。
全然関係ないこととか、
読めてなくない?とか。
たしかに。
でも読めてないっていうことは、
原因がわかりづらかったり、
この人は死んだはずなのに生きてました。
いや、ここ伏線でこれ生きてるんだよ。
でもそれが伝わってないとわかりづらいけど、
想定読者がどのぐらいの人なのかってあるじゃないですか。
その人がめちゃめちゃ読まないそこつな人なのか、
めちゃくちゃ精度高く読む人なのか。
これ両方ダメなんですよ。
真ん中ぐらいのところにしないと。
ものすごい読む人向けにすると、
高度なめちゃくちゃな純文学とか、
ビッシリ開業がないやつを書かれてて、
これ素晴らしい。読みやすいです。
とかっていうめちゃくちゃ読み高者の人がいて、
他の人が読んだら、いや開業ないんだけど。
たしかに。
優秀な読み手に甘えちゃうと、
出ることにもなっちゃいますもんね。
だけどそれって、ポピュラリティを栄養として書かれているものに、
限るんですよ。
本当にそういう人に向けて書いているならば、
全然それで良くて、こっちの人は振り落としていいんですよ。
むしろ真ん中になんかしたらダメなんですよ。
たしかに。
だからまずは自分で本当にそこを、
自分が何やりたいかどういうふうに向けているのか、
わかれば一番強いですよね。
それやればいいから。
でもそれで全然売れないですよって言われたら、
でもそれはやりたいからいいんですよ。
売れたくないから。
売れたいんですってなったときに変えればいいんですよ。
ただそうなったときに、そういう読者はやっぱり違うことを言いますけど、
自分はこれをやりたくて、
こういう読者に今を向けたいならばこうするべきだと思ってる。
自分にとって明確ならば。
なるほど。
やっぱり今までお話を聞いていると、
明確に自分が何を書きたいかとか、
何を達成したいかがちゃんとポーズというか、
そういう態度になっていないとちょっと厳しい。
でもこれはあくまで理想で、ほとんどのプロ作家もそんなに迷路系にならないし、
こんな理想の分布みたいなのを、
マーケティング会社でそんなの分かってたら、
会社でさえそんなのバンバン出せば、
分かんないんですよ、それって。
だから分かんないからがブレるんですよ、みんな。
分かんなくなって。
ほとんどの人はブレてるし、そんなブレない人なんて、
一郎とか大谷翔平が人類の何%かって話すんですよ。
確かにね。
みんなおかしいことを俺は言ってると思って、
読者の期待に応える
ブレないなんとかとか。
いやいや、ブレるのが前提だから、そんなのを目標にしちゃいけないだろうと思ってますよ、俺は。
すげえ嫌いなんですよ。
もう何言ってんだみたいな。
夢を見すぎだろうと。
当心家と。
ブレない人間はそんなこと言わないよ、そんなの。
ブレる前提で何かやっていこうっていうことですよね。
そういう意味でも、さっきの最初にそういうでかい批評が入ったら凹んじゃうけどっていうのもありましたけど、
ちょっとちっちゃい失敗を重ねていくとかのほうがいいですかね。
そうですね、まずちっちゃく作って、ちっちゃい成功とちっちゃい失敗を重ねて、
安全であること、楽しい。楽しさがないともうね、
創作とかなんて誰にやれって言われてるようなことじゃないから、
苦しんでやることじゃないんですよ。
確かに。
自分を癒すために書く
仕事だったらね、お金もらってるからしゃーないなとか思うし、
それはあるかもしれないけど、そうじゃない場合はほんとそんなのやらないほうがいいですよ。
確かに。
それとは別にね、自分を癒すためにやるっていうのもありますけどね。
はいはいはい。
病むに病まれない。
そういう人は特別ですよね。いますけどね。
なるほど。ほんと自分のために書くってことですよね。
なるほどな。ありがとうございます。ちょっといろいろ聞いてきましたけど、
今回書くクラスっていうのやるのにあたって、
メロンさん的なメッセージというか意気込みというか、そういうものがあれば。
そんな講師さんがいるんで、面白いなと。
俺も受けたいなと思いますよ。
本当ですか。ありがとうございます。
やっぱりいまだに全然完成したとは思ってないし。
いろんな人のいろんなことを聞いたら、常に発見があるし、
取り入れられるところは入れたいから。
なりますね。それはでも、全員に何か持っていて個性みたいなものを。
はい。
だから生徒、こうやってなんかすごいヒエラルキーというか、
先生生徒の関係みたいなのがあるときに、
ほとんどの人は先生になったことがないからわからないんだけども、
先生のほうが学んでるってこともあって。実はね。
なるほど。
だから生徒という形でみんな来るかもしれないけれども、
俺はなんかね、あんまりそれを考えてないな。
平日、何て言うんだろうな。
みんな同じぐらいのもので、みんなが同じ問題についてディスカッションすると、
全員同じぐらいの学びはあると思う。
はいはいはい。なるほど。確かに。
だから、人とやるのは大事で、
誰であろうがいいんですよ、別に本当は。
なんか他人が何を考えて何を感じるかみたいなことが一番大事で。
誰かが発見してくれることがあるから。
自分の才能を。
なるほど。
自分じゃわかんないですよ、やっぱ。
そうですね。自分の強みとか。
だって自分の匂いってわかんないじゃないですか、自分で。
確かに確かに。
ほんとこれ、いまだに俺自分の文章とか小説のいいところとか悪いところってめちゃくちゃわからない。
あ、そうなんですか。
わからない。
過剰にダメだと思っちゃうし、過剰にいいと思っちゃうし、なんかバランスよく見れないですよね。
おー。
なるほど。
それみんなそうだと思いますよ。
へー。
北方語。
そうなんだ。
わかんないな。
まあでも、僕はメロンさんの良さ、作品それぞれとか、メロンさんの良さはなんか言える自信はあるんですけど。
教えてほしい。教えてほしいですよ。
いやでも、この場で言うとあれですけどね。
どうしたらいいのかは教えてほしくなるんですよね。
やっぱりそれを言われて、じゃあどうやったらうまくいくのか。やっぱりみんなうまくいきたいんですよね。
まあ確かに。
成長したいって言うと、なんか就活みたいな圧倒的成長を見せますとか。
だけど、なんかより良くなりたいとみんな思ってるんですよ。生きていると。
そういうことですよね。ほんとそうですよね。
より良くなりたいと思っていて、なんかやっぱりこういう教室に来ると、何かわかんないけど何かがより良くなるんじゃないかと思ってるんですよ。
確かに。
漠然とね。
そうですね。
そのより良さっていうのが、俺はでもなんかね、マイナスであろうが総量としてはマイナスもプラスもより良さだと、豊かさだと思っていて。
交流からの学びの重要性
情報量として増えているんですよ。マイナスだろうがプラスだろうが。
なるほどなるほど。
ネガティブなこと、何て言うんだろう。何にもない状態っていうのが俺結構嫌で。
この人生めちゃくちゃ大変なんだけど、まだに大変なんだけど、トラブルだらけなんだけど、総量として小説みたいなものとして読んだときに、物事がいっぱい起こっているっていうことにおいて、面白いから良いと思ってる。
確かに。イベント数はすごいですね。
イベント数だと思ってるから、俺はなんか別にマイナスだろうがプラスだろうが全部あった方が良いと思ってる。
それは面白い。なるほど。
いずれにしろどういう方が参加するかも偶然だし、講師の方も含めてですけど、何が起こるかわからないからこそ学びの可能性が開かれてるっていうか。
そうですね。講師の場において先生っていうのは経験値が高い。経験値が高いってことだけですよ。
だからみんながハマってる罠とかがわかったりするから、問題するアドバイスとかはできるんじゃないかな。
こうしたらいいよ。
そうですね。ありがとうございます。
ちょっと10月からぜひ皆さんに来てもらってやりたいと思ってるので。
はい。
ありがとうございます。ちょっと一旦ここで収録は終わりとさせていただければと思います。
すみません。ありがとうございました。
はい。ありがとうございます。
43:49
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