シゴクリラジオの概要
シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
この番組シゴクリラジオは、パーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組、ポッドキャスト番組となっております。
仕事づくりは、2023年からやっております。
なんで始めた年数いった、という感じもするかもしれませんが、意味はありません。
仕事づくりに関してですね、いろいろ考えていく、実践していく、やっていく、そんなのはちょっと難しいかなという方には、
エンタメというのはちょっとね、なかなか心苦しいんですが、そこでやってるよねという人を観察する、なんかこう、ドキュメンタリー型チャンネルみたいなね、そこまで高度じゃないですけどね。
細々そういうのを伝えていくというのがいいかなと思います。
今回ですね、仕事クリエイターかどうかわかりませんけど、多分仕事クリエイターなんですけど、僕が言ってることは全部仕事クリエイターにつながると思っていただくと大変幸いです。
どんなくだらないことにもそういうのが入っていると思って聞くとそう思えると。
めちゃくちゃ怪しいです。
面白くないですか、面白いよねっていう意味で、面白くないって否定じゃなくてね、面白いよねっていう深疑問文みたいなやつですけどね。
くどくというのは説得するということですが、よくよく考えてみると、僕がくどかれたこともありますが、僕がくどいたこともありますし、くどきくどき合うみたいな。
くどくってなんだろうなって思ってた時に、本音というか立て前じゃ全くダメで本当に面白いんですよねっていうことを、別に語彙力表現力の話じゃなく、その人が思い見せていくしかないかなっていう。
本当に泥臭いですが、そんなことをふと思いましたので、そのあたりの面白くないって言って巻き込んでいく、そんな話をしていきたいと思います。
今回もどうぞよろしくお願いいたします。
面白さを探求する
はい、四国理ラジオの大橋です。今回ですね、面白くないとくどく、もしくはくどかれる、巻き込んでいく話をしていきたいと思います。
先に言っておきますと、着地点は悪いかもしれないですね。結論もあんまりないかな。
ただ言いたいのは、面白さのみと言ってもいいでしょう。面白さがないものをやるなと。極論ですよ。やるなと。面白いことをやれと。
面白いことがわからなかったら面白いこと探そうと。そういう探していく営みというかものに何か見えてくるんじゃないでしょうかと。
全く見えないことはないんじゃないかなという。絶望とか失望とかショックとかもあるかもしれませんが、希望というか無駄だなということばかりじゃないという希望はあるかなと。
この話で思い出すのはですね、小学生ぐらいの時に僕は覚えてるんですけど、長い話はしてたんで、もしかしたらこの四国里ラジオフリークの方はご存知かもしれませんが、
小学生の時に遊び時間というか休み時間ということになりますが、名古屋地区だとエリアと放課というふうに言うんですよね。確かね。
これ名古屋、東海エリアなのかな。ただこれ脱線しますけど調べたらそもそも本来放課ってそういう使い方なんで、放課後というのがもしかしたら多いかもしれませんが、実は放課というのは授業と授業の間で休むということらしいですよ。文献にありました。
ただとはいえ、それで結局放課が通じるわけじゃないんで、休み時間ですね。授業終わって休み時間に遊ぶと。小学生なんでいろいろ遊びたいじゃないですか。外で遊ぶことはもちろんやってたんですけど、うちというか休憩時間、教室で遊ぶということもあって、
その時に下敷きですね。今の小学生はわかりませんが、下敷きを使ってて、よくあったのが下敷きの柄っていうんですか、絵柄があるのはダメとかなかったですか。これはもう本当に年齢が40代以上とか40代前後の人とか、年代がわかってしまうような話ですけど、あったんですよね。
学校によっては違うと思うんですけど、透明なものは良いとかね。そこでめちゃくちゃ絵柄があって、遊べるゲームボードみたいなやつだったんです。今でも覚えてますけど、キャラクターが今あるかわかりません。何種類かありまして、青とか赤とか黄色もあったのかな、3枚くらいあって、それ何で手に入れたかわからなかったんですけど、家にあって、それを学校に持って行って、それだけだったのかわかりませんけど。
どういうことかというと、裏表に絵っていうかイラストが描いてあって、表がスゴロクになってるんですよ。人生ゲームじゃないんですけど、下敷きのA4じゃないか、今はB5なのか。下敷きってA4ですか、わかんないよ。
下敷きサイズのものがあった。そこにスゴロクが描かれてる。スゴロクっていうのは始め、スタート地点があってゴールがあって上がりか、で進んでいく。
サイコロとかを転がしてコマを用意して、1人では面白くないので2人以上で遊んでコマを進めると。1だったら1進める、2だったら2進める。
そのコマに何か書いてあって、ゲームとして楽しむ。人生ゲームだったら、大金持ちになりましたとか、失業しましたとか、有給休暇、強制的に取られましたとか、ちょっとわかんないですけど、イベントみたいなのがあって。
その時のゲームはロリプレイングなんですよ。要は敵がいて倒したりとか、遭遇したら倒すとかやってて、そうなると結構管理が必要で結構めんどくさいじゃないですか。
要は自分のヒットポイント、ドラゴンゲストとかファイナルファンタジーがご存知の方の話が早いんですけど、ロリプレイングゲームでヒットポイントを持っていると。
その管理をしながら記録しながらやってたのかな。コマも小学生なんで消しゴムとか持ってきてくれよって言って消しゴム持ってきてそれを置いて、
サイコロはないので鉛筆に、鉛筆は六角形じゃないですか。今の小学生もみんなやってると思ってるんですけど、穴を開ける。
穴を開けると言っても鉛筆とかで穴を開けれるぐらいのやつですよね。点を1で打てば1じゃないですか。2、3、4、5、6。
それぞれの、伝わってるかわかりませんけど、鉛筆が六角形だからそれぞれの面に1、2、3、4、5、6という穴の数を開けることで鉛筆を転がせばサイコロになると。
そういう厚手した人であればやってよねって思うかもしれないし、やってる人だったらそうなんだぐらい。
そうすることで要は鉛筆と消しゴムがあればできる。鉛筆ありますよね。
時間も短いんですけど、5分?10分?わかりませんけど、ちょっとずつ進めていって続きとかやっていったような気がします。
下敷きの裏が敵とかいろいろ書かれてて、遭遇したら何かやる。
それが楽しんだんです。でもクリアしたのかクリアできないのかいろいろあって、結局僕が文房具をキャラクターにして石とかにして、
それでやるという新しい自分の独自のものをアレンジして作ってた気がします。
もちろん残ってないですけどね。でも多分やったと思います。
そういう遊びをする子っていうのは周りにあんまりいなくて、自分が勝手にやって、これ面白くない?やろうよみたいな感じだったと思います。
それで面白くなかったら違うことやったり、飽きたらやめるみたいな。
小学生というか子供の遊びってそんな感じじゃないですか。なんかやってて飽きて次みたいな。どんどん繰り返してる感じ。
これよく四合繰りは遊びだみたいなことをチェラッと言ってますけど、そういう感覚はありますよね。
子供のように遊べとは言いませんが、本当にストレートで真っ正面にしてから、真面目というか角度が1点でしか見ないっていうのはまたどうかなっていうのは常に言いたいですよね。
例えばそれでもう遊ぶスタジキが遊べなくなったからもうやめるっていうのはいいんですよ。
ただ自分でキャラクターを作ってやったら遊べるじゃんっていうふうに思う、感じる、気づく、でやってみて遊ぶと。
クラスの中でもそういうので、あいつは遊べるもん持ってるぞ、面白いぞ、あいつの机のとこ行くと遊べるぞみたいになってたような気がします。
別に僕はインドア、アウトドアとか特になかったんですけど、そういう感じで遊んでたのがあります。
たぶん4年生とかぐらいですか、わかんないですけど。面白かったなと。
で、なんでそんな話したかというとですね、まさに面白くないって言ってこういうの考えてやってみようよってことをずっとやってきたって感じですよね。
遊びの変化と創造性
それを不思議なのは、不思議というか、これもう覚えてるんですけど、小学校6年生ぐらいの時にボーリングをやると。
初めてやったんですけど、その時にボーリングルール知らなくて、誰も知らない時ありますよね。
で、そういうの笑うか笑わないかってあると思うんですけど。
で、投げるじゃないですか、ボーリングって。
で、ルール的にはストライクだったら1球で終わりですかね。
で、知らなくて、ストライクを自分が出して2回投げるって思ってたんですね、たぶんね、初めて。
だから次の友達のものを投げて、それは違うよ、僕だよって言ってきて。
で、すぐ思ったのは、投げる時に言ってくれよとか思ったんですけど、それないですか。
なんで見てんだよみたいな。
まさか投げると思わなかったかもしれないですけど、まあまあまあ、みんながルール知っててゲームしてるなんていうことじゃないじゃないですか。
そういうのって修正可能かどうかありますよね。
僕のものの言い方もあると思いますし、別に喧嘩したわけじゃないですよ。
そういうのあるなと思いながら言ってて。
で、その時にそこら辺から思い始めるのは、まあ物心はだいぶ前についてると思うんですが、
遊び方が変わるじゃないですか。中学生くらいになるとそういう遊びが少なくなってきて、
なんかね、下敷きで遊んでる人もいないというか。
だから中学、2年生くらいになるとすごい大人っぽくなってくるじゃないですか。
で、そういうところで、遊び方で、それこそカラオケとか行く人もいるかもしれませんけど、
どこかにボーリングとか行って遊ぶっていうのが遊びだみたいな風になってくる。
僕この辺りかなと思ってるんですけど、勝手にね。
この辺りかなっていうのは、その時に自分がこういう遊びを作ったからやろうみたいな。
みたいなのが、なんか消えていった気がするんですよね。
これね、このラジオ小学校6年生くらいが聞くってことはないと思うんですけど、
そういうお子さんをお持ちの方だったら、もしかしたらそう思うかもしれない。
なんかですね、そういう時に、なんかつまんないなって思ったんですね。
逆なんでしょうね。
そういう下敷きゲームみたいなことを自分で作ってやるとか、
それこそドッジボールでもいいけど、新しいルール作ってやるとか、
なんかね、あったと思うんですけど、それやってなかったらもう分かんないですよね。
まあやっているという前提で、勝手に遊ぶと思うんですけどね。
こう思ってね。
で、それが消えていく世界っていうのがあったような気がします。
真っ暗とは言わないですけど、なんかつまんないなっていう。
当時、そのギリギリ、ギリギリなのか分かりませんけど、
日記というか日誌みたいなのをタンディンド先生に出すみたいなのがあった時に、
ちょうど5年生とか6年生だったかな、そうですね。
時にそういうのを褒められた覚えがあって、それが結局今でも続いていると。
はい。
すごい端折ってますけどね。
書くとかね。
で、要はクリエイティブとか創作っていうと、遊びも含むんですけど、
なんか交渉のイメージあるじゃないですか。
クリエイティブって危ないなと思います。
あと想像も結構危ないですよね。
なんか伝わってないような言葉ですね。
作るもひらがなにしてもね。
何言ってももう、しごくりでももうクリエイトって言ってますけど、
もう何も伝わってないんじゃないかと思ってるんで、
遊ぼうよぐらいでいいんじゃないかなって。
これ面白くないでいいかなと思ってて、物事をすごい単純化しますよ。
になってくるかなと思います。
で、この時にもちろん聞いてる方も感じると思うんですよね。
いや、なんか別にボーリングとかカラオケとか、
要はお金を使って遊ぶっていうことじゃないですか。
それがなんかかっこいいみたいな。
なんかわかりますよ。
すごくわかります。
だけどかっこよくはなくて、
なんかダサいって言ったら怒られますよね。
カラオケ業界の人とボーリング業界の人、
敵に回してるわけじゃなくて。
それって巧妙に仕組まれてるじゃないですか。
別に陰謀とか陰謀論みたいなもんじゃないですよ。
別に意図があるわけじゃないですか。
で、ボーリング場ってだいぶなくなりましたし、
スタビだと思いますけど、
ボーリング場ってありますよね。
で、レーンがあってね。
メンテナンスもいるし、管理もいるしね。
大変だし、怪我も危ないじゃないですかね。
レーンに突っ込んで。
だから、そのボーリング場って、
当たりますけど、ボーリングを楽しむ。
ボールを転がしてピンに当てて楽しむっていう。
スポーツなのかな?
端を知らないですよね。
で、そういうのを楽しむ場じゃないですか。
だから当たり前ですけど、ボランティアとかではないですよね。
で、1ゲームいくらっていう。
今はどうかわかりませんけど、
遊びの価値を考える
シューズ、貸しグッズとかありますよね。
ありますよね。
あれ、なんかね、
だいたいなんか合わなかったですよ。
イメージですけど、そういうのがあって、
あと、ドリンクとかね、
食べ物とかあって、わかりませんけどね。
それでお金を取るっていう、
商売じゃないですか。
エンタメ商売。
だから、それが悪いとは言ってないですよ。
あとカラオケもそうじゃないですか。
そこに行って歌って過ごすってことで、
一応時間とか、時間かあれは。
時間で飲み物とかね、
食べ物を食べながら楽しく過ごす。
っていうものが、別に好き嫌いは置いといて、
嫌いな人もいると思いますし、好きな人もいると思いますが、
そういう商売じゃないですか。
そうそう。
お金を払ってやるわけじゃないですか。
そう。
勘違いしていただきたくないのは、
別に遊びはお金を払うから遊び、
払わないから遊び、
っていうわけじゃなくて、
僕、あくまでも僕の中では、
遊びってお金の要素を減らして、
アイディアの要素をたくさん入れた方が、
面白いんじゃないか。
要は独自性が出たり、違いが出る。
再現性というか、論理というか、
同じことができるかは分からないですよ。
例えば、カラオケっていうので、
お金を払ってカラオケボックスに行くよりも、
歌を歌ってよと、
歌で遊ぼうとなったときに、
歌一緒に作ろうとかの方が、
僕はクリエイティブだなと思う。
僕は創造的だなと思うし、
僕は面白いなと思う。
それだけです。
だから別に、
アンチカラオケボックスがフォーリングではないですよ。
それでもいいと思いますよ。
だけど、それをやっていると、
創造という方の、
さっきこの四国理のテーマと、
まさに結びついていると思っているんですけど、
と思いながら、感じながら喋っていますよ。
創造できなくなるんですよね。
人間の方がね。
だからさっき言っていた、
小学校6年生とか中学生くらいになってきて、
大人っぽくなってくるのはいいんだが、
しかし遊ぶという感覚が、
いわゆる消費するような感覚の方に持ち込まれていって、
それが遊ぶことだよね、みたいになっていくと。
旅行でもいいと思いますし、
どこかで出かけるということに、
お金を使うことは分かるんですが、
お金を使うから遊ぶになるというふうに思われると、
なんかちょっと違うんじゃないですかね、
ということを言っていくし、
それを言っています。
遊ぶことと大人
だからよく遊びが、
子供のように遊んでましたよね、
というのは正しいですよね、
たぶんね、大人に対して。
なんで大人になると、
遊ぶの感覚がなくなるかというと、
まさにその遊び方を、
それが大人でやるとか、
かっこいいかは知らないですけど、
かっこいいと思ってやっていって、
気づけば、
そのクリエイティブな方の遊び方を、
忘れちゃうわけですよね。
あと、僕が思うのは、
別に飽きない人もいると思うんですけど、
カラオケって飽きないですか?
という話で、
カラオケは適しているわけじゃないですけど、
カラオケって歌を歌うじゃないですか。
もちろん飽きない人もいるんだけど、
メンバーを変えるとか、
歌い方を変えてみるとか、
2000年代芝居とかね、
歌のジャンルとか、
1分だけしか歌わないとか、
知らないですけど、
そういう遊び方ができるかもありますよね。
でも、多くの人は、
知らないですよ。
多くの人は多分想像ですが、
入って、
いろんな家族もあるのかな、
友人とか恋人かわかりませんが、
歌を練習する、
歌いたい人もいると思いますし、
一人で行く人もいると思いますけど、
いろんな人がいるんだけど、
お金を払って、
仲間と自費取りとかで含めて、
その歌を歌うことで、
時間が経って出るみたいな。
遊んでるかどうかわかりませんけど、
それで、
この人は、
歌の上手さとか置いといて、
いいなとかね、
悪いな、悪いなとか、
交流を深めるぐらいですよね。
話をしたりしてね。
で、
遊びとも思ってない。
カラオケという、
行動イベントみたいな風に
思ってる人がいるかもしれませんが、
その時に、
飽きませんかって答えですよね。
飽きないというか、
用意された歌を歌って、
やると。
多分それが目新しい頃とかね、
小学生とか高校生とかわかりませんけど、
家族としか行けないけど、
友達と行ったらすごく楽しかったとか、
開放感あるよねとかね、
そういうのもあると思うし、
別に全然それは若さゆえに
いいなと思うんですよね。
10代とかね。
全然いいと思います。
だけど、そこで考えていくときに、
失うものが多分あると思って、
一つだけですよね。
言うならば、
そういうのが遊びだと思った瞬間に、
他にないよという、
それが遊びだと思ってしまうと、
自分のアイデアを入れたり、
改編していくと改造していく
っていうことが、
世界というかワールドが
開拓されないよなという感じです。
だからそこを今のところ、
社会が求めてないんですかね。
ちょっとわかんないです。
そこが雑です。
ただ、例えば美術とか、
それこそ工作、
いわゆる工業系とか、
技術系とか、あと理系もそうですけど、
あと本当に絵を描くとか、
自分で趣味を持っていて、
やり続けているとか、
文章を出すとか、文章を書くとか、
持っていて、
そういうのをやり続けている人は、
その世界があるじゃないですか。
絵を描いて、これ面白いなっていう。
文章を描いて、これ面白いなっていう。
書く、出す、
表現するみたいなのがある。
だから、世界が変な話が
二つあるというか、
現実は遊びがない。
あまり遊びを重視してくれない世界で、
でも今の自分の持っている、
趣味と言った方がわかりやすいですかね。
世界は、
世界がいろいろ広がったり、
遊べると。
だから、そういうのをやり続けているということは、
遊ぶ力を衰えさせない
というふうにも言えるし、
現実の世界が
そことはずれている
ということかもしれないなと思いました。
伝わってます?
コミュニケーションの重要性
だから、趣味を持ってとか、
遊べっていう、
単純にね、ことでもないんですけど、
遊べって言ったら、何します?
って話なんですよね。
カラオケ行ってきますとか、
映画観に行ってきますとか、
全然いいと思いますよ。
いいんだけど、
自分のアイディアとか考えたり、
創作っていうところの
ものがないと、
遊んではないんじゃないかなって思うわけです。
会話とかでも、
遊びで冗談を言うとかっていうのも、
アイディアが思いついたり、
こういうふうに言ったら面白いかなっていうのが、
僕の中でもあって、
それを言ってますからね。
それが反射とか慣れとかっていうのも、
もちろんあります。
だから、みんながみんな
面白い話をしようとか、
そういうことじゃないですよ。
でもそういうのって、
自分にとって、
これは遊びワークでもいいし、
ふざけるワークでもいいし、
いろいろいじって楽しみたいよね、
そういうのもあるわけです。
だから、分かりづらいのは、
例えばカラオケに毎日行って歌ってますっていう人がいて、
毎日は遊んでますっていうかもしれないけど、
ほぼ仕事かもしれないですよね。
そこで、
自分なりのカラオケの楽しみ方を
毎日のように発明している。
まさに、
今日はこれで行こうみたいなので、
楽しんでるんだったら、それは遊びだし、
それで仕事に先立ったら仕事だし、
遊び、働く、学ぶか、
それで学びをやってるんだったら、
まさに、
遊びながら働きながら学んでいるから、
素晴らしいなと思うし、
まさにそれを自分でやり始めたのが
仕事クリですよね。
そういうことなんじゃないかなと思いました。
だからアイディアの量
とか質っていうのもあるんですけど、
ここでは量ですよね。
まず、こういうことやったら面白いんじゃないかを
見つけ出すとか、
考え出す。
そしたらそれを誰かに言ったり示す。
ここで、小学生の時のことを言えば、
こういう下敷きで作るゲームというか、
遊ぶスクロールゲームがあるんだけど
やらないかいって言う。
これやらないって言って、
こうやって遊ぶんだよって。
遊ぶ感じだねって言って。
えーって言って。
で、分かんないから
一緒にやってみて、そういう感じなんだ。
だから見てる子もいたような気がします。
実際にやる子もいたし、みたいな。
そういうところですよね。
だから、その人が、
友達が、面白いよねって思うような
までにやる。
それって、
ぶっちゃけ面倒くさいって
思う人もいるかもしれないですけど、
僕は別にそこまで思わなくて、
もちろんやる気がないのはダメだと思います。
絶対やらんみたいなね。
別に見てて楽しんでくれるぐらいで
いいんですけど、
なんか俺は遊ばんぞみたいな人を
動かすぞみたいなのはないですよ。
ないけど、
割とそこはレンジが広いというか、
共有範囲は多分そういう意味で高いので、
一緒に遊びましょう。
っていうぐらいの感覚ですよね。
で、
そのプロジェクトみたいな風に巻き込んでいくと
面白くないですかっていうところで、
間違えていけないというか、
僕は
気をつけているつもりなんですが、
自分が面白いポイントと
相手が面白いポイントが違うじゃないですか。
ここでは巻き込む友人とか
相手の特定の人の話ですね。
その人が面白いと思うことは
何だろうかってことを
考えなきゃいけないわけですよ。
そうじゃないですか。
これは
コミュニケーションとか
人を動かす基本だと思ってますけど、
基本というか
鉄則みたいな。
だから相手のことを理解する
っていうのが何かって
分からない方もいらっしゃるじゃないですか。
僕も完全に理解してはないですけど、
少なくとも
自分のことを考えてくれているような
ということは言わなきゃいけないし、
自分はこういうことに興味があるんだねってことを
言葉を使わないように
置いておいて
示す。
であれば自分はこういうことです。
口下手な人だからダメとは思わなくて、
口下手だったら行動で示すしかないし、
行動とかが
そこまでじゃなかったら
まず言葉で示すとか、
その人なりのやり方があると思うんですよ。
それは
なんていうんだろう。
才能、
先天的なやつでは
面白くないので、
学習とか環境で
半分はどうにかなる
みたいなふうに僕は思って生きてますけど、
そうですよね。
そうやってカバーしていくか
期待していくしかないですよね。
それはもう誰でもそうかな。
みんな最初から持ってて
全部できるよみたいな持ってる人って
いたほうがいいかもしれないですけど、
いないんじゃないかなと思いますよ。
持っててかつやれる
みたいな人もいるから、
それはすごいと思います。
自分の先天的なものを
持ってたら、それにあぐらかえて
やらなくなってないですか。
そっちの人はめちゃくちゃ
多いと思いますよ。
苦手なぐらいのものがもしかしたら
よかったやつかもしれないですよね。
っていう真逆のことを言ってますけど、
先回好きなことがどうのこうの
っていう話をしたと思いますが、
遊びの感覚について
そういう形で
遊び感で
創造ですね。
クリエイティブなことを
やっていくと
いいし、それを開発とかやっていかないと
衰えていくって感じですよね。
今言ってた話は
面白くないですか、
プロジェクトして巻き込んでいくときに
ポイントは何ですかっていうのを
多分常に
考えてるんだと思います。
その人にとっての面白い部分を
提案する。ここがいいからいいんじゃない
っていう風に言う。
そうやってその人の心を動かす。
それを言うと
たまに心理とか
人の感覚を
ハックするとか
あと、モテ遊ぶというのは
言い過ぎとか違いますけど、
操作するとか
言う人いませんか。
いや無理ですよね。
操作できると思っていることが
おかしいですよね。
ここで一つだけ言いたいのは
じゃあ僕が思った
相手が
面白いなと思ったことを
例えば
カラオケ行って
何が面白いのっていう。
別にカラオケ否定しなくて
カラオケが面白いですよね
っていう状況での話ですね。
一緒に
大声を出せるから
いいよねっていう。
一緒に分かっているから好きな歌を
歌い合える。全然ジャンルが違っていて
私演歌。
ボーカローとかね。
ボーカロイドですね。
みたいなのって
いいじゃないですか。
たぶん友達ってそんな感じだと思うんですよ。
だからそれが
ない。つまり
お互いで
遊べるっていう
友達として遊べるという感覚って
遊びがまさに
そこなんですけど
そこっていうのはつまり
お互いが
相手のことでこういう部分が面白いから
提案をしていたりアイディアがあったり
その出し方知らないですよ。
こういうカクカクした
こういうものがあって一緒に遊ばないかなみたいな
遊びの行動
計画というかプランを立てて
プレゼンしてOK
みたいな感じの人もいると思うんですよね。
全然それもいいと思います。
だけどもっと感覚的に
折り紙を折ってて
それいいね面白そうだねって言ってやると。
別にそこまで興味ないな
ってつまらなそうに
見ることもできるし
それはありますよね。
でも無理に進める人もいるじゃないですか。
無理にこう
麻雀やろうぜみたいな感じで
麻雀かーみたいなね。
そうそう。
見せ方もあるじゃないですか。
あと押し方もあるし。
非常に
遊びに誘うって
結構高度だなと最近思ってるんですけど
その感覚がありますよね。
でも高度というよりも
相手のことを考えて
一緒にやらないか
だからカラオケの遊び方だったら
無数にあると思ってて
カラオケ自体は
カラオケボックスで似てるじゃないですか。
カラオケでどう遊ぶかとか
カラオケに行って
勉強すればいいと思うんですけど
遊び方とか
過ごし方とか
になると思うんですけど
一緒にどう過ごすかみたいなところの
アイディアがないというか
提案がないというか
考えてないというか
思いつかないというか
気がつかないというか
それなんかもうガチガチに固めて
プラン立ててその通りやるしかなくなるから
柔軟性みたいなのはないですよね
それが面白いかどうかは知らないです
だけどそれで
そういうのでいいよね
固めてくるのいいよね
みたいな人もいるかもしれないし
楽しめたらいいじゃないですか
そこなんだよなと思って
遊びの面白さというか
クリエイティブさと一応言っておきますけど
友人との関係性
想像的と言っておきますけど
ちょっと伝わってるかわかりませんけど
っていうことなんですよね
だから
だから
わかりやすいかわかりませんけど
友達とか友人と遊ぶってところが
僕の感覚で
社会人になってからの友達
っていうのは
これで遊びに行こうぜっていう風には
なかなか言えない
だからですよ
僕は多くの人はそうかなと思ってるんですけど
お酒を飲む飲み友達とか
何でしたっけ
もっくりだっけ
輪投げみたいに
投げるやつ
すごい敵だよ
ボーリングみたいに倒れるやつですね
あれも見かけますけど
やろうぜって
もっくりやろうぜ
とか
仲間とか
コーヒーが好きだからコーヒー仲間
思考とかジャンルを分けがち
なんじゃないかなと思います
わかりますすごくわかります
とか
大学とか学校とか職場とかの
同僚同期とか
固まりですよね
所属したコミュニティの仲間での
関係性とか
なんかそういうのじゃないですか
特殊なものは別に僕はないですよ
だから
遊べるか
ってことなんだと思うんですよね
ここら辺考えていくと
脱線してきてもしかしたら
友達って何ですかみたいなね
来るかもしれないですけど
友達の定義
定義難しいんですけど
自分が
気のおけないですね
本来の意味ですね
しっかりと本音を入れたり
思ったことを言ったり聞いてくれたり
お互いを支え合うような
関係
もしくは
親しきながらの礼儀ありだと思うんで
僕はね
なんかこいつやだなとか
なんかこれは許せんな
みたいなところがあるとするじゃないですか
を
言っても
怒らないとかごめんやめてくわとか
本音の重要性
気まずくならないとかね
気まずくなってもいいのかな
気まずくなってもいいんだけど
修善可能とか修復可能とか
その幅じゃないかなと思います
だからその普段言っていることが
本音ベースとか
本当に思ったこと言ってなくて
わっつらですよ
表層的に取り繕っていったら
そりゃいわゆる直感的な
ベタな表現になりますけど
直感的じゃない
表現としては
本当の友達じゃないってありますよね
そっちになると思います
そりゃそうですよね
だからじゃあ誰にでも自己開示して
全部をフルオープンにしろなんてことは
もちろん言ってないですよ
そこの01みたいに
友達か友達じゃないかみたいな風にするから
おかしくなるんですよね
0から1
1か2でもいいですけど
AかBみたいな風に分けようと
してませんか
僕から言われなくても
って感じですか
コスパとかするじゃないですか
コスパがいいか悪いかって
そんなんで
世の中
世の中は動かないってちょっと違いますけど
そんなんで全部決まらないじゃないですか
効率がいい悪いとかね
有益かどうかとかね
無益かな
いやいやいや
まあまあそれぐらいにしておきましょう
というわけで
面白くないっていう風に巻き込んでいくってことを
駆読というか
駆読っていうと
好きな人を
愛の告白じゃないけどね
言うみたいなイメージかもしれませんが
それだけじゃなくて説得するというか
いやこれ面白いんですよやっていきましょうよ
っていう風に一緒になって盛り上がる
愛の告白ではないけど
結局その
その人のことを好きじゃないとやらないじゃないですか
好きだから
僕はそうですけど
全部で
全部前例好きだとか言ってもちょっと気持ち悪いですけど
この部分いいっすよねみたいな
結局好きだって言ってると思うんですからね
って僕は思ってますよ
で
ここが好きですよねっていうのはちょっと
骨髪らしいね
特に
これとかだったら言いづらいかもしれないですけど
いやまあそんなことないか
ごめんなさいね今ね
ここの部分いいですよねって言って
じゃあこうやってやっておきましょう
っていうのって
言えないとダメじゃないですかやっぱね
で
ごめんなさい一つ言い忘れたのが
こうやってやってたらどうですかって
こちらが100%つかんだみたいなことは絶対なくて
ずれてたりするし
そういう風に言われるかもしれないけど
そこまではないですよ
そんなんばっかりですよ
逆にこっちも同じ風に言いますしね
そうやって見てくれるのはわからんでもないけど
でもそこはそうで
別にそこまではとか
逆にこういうこと今やりたいんだよね
みたいなのがあるときに
言い合えるかってやつですよね
そこは
でごめんなさい
そこで言い合えるかのところで
僕も相手のことを100%わかるようになることはなくて
半分もわかってないかもしれませんよね
自分もそうだしね
だからわかってないですよねっていう前提で
わかってないんだけども
自分がわかる部分はこれぐらいだよね
っていう風に
示していくと
それで相手が
考えてくれてるんだとか
そういうの持ってくれてるんだってときに
これは感情の話ですけど
嬉しいじゃないですか
そうそうそうそう
それだけですよ
最近はAIが読み込んできて
詐欺するみたいな
のもあるみたいなんで
自分のことを知ってくれてるから
心を全部許すっていうのもまた
どうかっていう
なかなか嫌な時代になってきてるんですけど
ただ
自分のことを考えてくれてこうなんですよっていう風に
っていうのが
その人が本当に考えているのであれば
っていうのはわかりますよね
考えている人だったり本音を言ってたり
普段から
そういう人と接してやってたら
こいつなんかちょっと違うなみたいな
すぐわかるんですよね
それでなんかバレないって
思ってる人が多分いる
と思うんですよ僕は思ってるんですけど
僕はバレると思ってるんで
なんか
いいっすよみたいな
お金の丸の
今丸めてるんですけど親指とね
皆さん聞いてる皆さん
やらなくていいですよ
親指と人差し指を丸めて輪っかにして
これ儲かりますかって逆
逆手か
逆手にするような形にしておいて
丸めてこれ儲かりますかって言ってお金をね
これで儲かりますよ
聞いてくださいみたいなそんなやらない
やらないというかやれないですよないですからね
そういうので
嘘ついたり
情報商材とかって
うさんくさいけど
だいたいというかほとんど
怪しいじゃないですか
で
よくあるのが
知ってる方も多いかもしれないですけど
知らない人とか
なんすか情報商材って思ったら
調べてもらえばいいと思うんですけど
これをやると儲かりますというのが書いてあって
それをやると儲かるというのを
売ってくださいというネズミコ
ネズミコとかも調べてくださいね
みたいなものですよね
それが本質とは
言わないですけどね
それこそ真理を
操作してますよね
不安な人を煽って
わかりますよと言って売りつけていく
ひどいじゃないですか
言葉を
選ぶ必要もないですよね
ひどいですよね
冷静に考えてもね
直感的にもね
だから
バレるよねということなんですよね
バレるというのは
騙せる
騙せないということですけど
取り付けろって
やってきたら
それでいけると思う人も
もしかしたらいるかもしれないですよね
それはわからんでもないですね
環境が決めるから
逆にそれでバレるよなとか
これはあかんなと
わっつらとか表層的なことやってたら
絶対破綻するよね
っていう風になっている人は
それやらないんですよね
バレちゃう
それだけです
現場というかよくわからないですけど
仕送りの現場からは
以上となります
スタイルとしてね
この間お話した高橋さんという
巻き込むスタイルの重要性
ライフスタイル企業家みたいな目指す
ところがあったときに
好きなことをやりながらそこそこ稼ぐ
この定義はいいんじゃないかなと思います
というときに
2つ書かれてたんですよね
本を読んでいただくといいんですけど
1つはうろ覚えですけど
僕の解釈では
今回言ったように
巻き込んでいきましょうやりましょうよという風に
お客さん作ったりパートナーというか
一緒にやる人を巻き込んでいくスタイル
人に楽しいですよという風に
やっていける
っていうのは向いてると思います
僕はあえて言ったらそっちかなと思います
別に僕がめちゃくちゃ向いてるとも思ってないですね
あえて選ぶとしたら
もう1個が
ハッキングですね
ハッキングというか
ものですね
ライフハックとかのそっちのハッキングですね
ハッキングコストとかじゃなくて
例えば今よく
今だと全然普通にあると思うんですけど
東京とかのIT企業とかもしくは
AIでも何でもいいんですけど
いわゆるデジタルなお仕事があって
広告とかもそうですよね
それを地方に住みながらやる
っていうなんかよくありそうじゃないですか
そうそうそう
これって何がいいかというと
東京に住んで
東京でIT企業に勤めてっていうとあると
今だと東京の家賃
めちゃくちゃ高い
物価も高くなるし
人も多いと
便利だけど
生活しづらい
みんなが東京いいって思わないと思うんですよね
だったら
東京の仕事で
東京の単価で得られて
地方でゆっくり過ごすっていうのはあるし
フルリモートが必須ですけど
だから選んでいく必要があるし
限られるとは思いますが
そういう働き方
やり尽くしたり
知識とか経験を蓄えていかないと
いきなり
新卒で働いた経験もないです
だけど
業界をハッキングします
働き方をハッキング
をできますということはまずないですよね
経験しましょう蓄えましょう
ということになるんですけど
でもそういうやり方もあると
こっちはちょっと知恵がいるというか
いろいろ観察して試行錯誤していく
ってことではちょっと違う
僕はそちらも悪くないなと
思うし
ニッチというところになってくるんですけど
ニッチって別にね
清寺ってこれだみたいなことじゃなくて
あと大手企業とか
他の人があんまりやらないだろうな
っていうようなことを
他の人が嫌がることでもいいですけど
あと儲からなさそうって
最強の参入障壁だと思うんですよね
そうそうそうそう
そうなったら儲からないですよねって
思われてる方が一番いいんじゃないかな
って
思いますね
だから儲からなさそうだからやらない
っていう風になって
しっくりしないっていうのは
もちろんあると思うんですけどね
でもそれってイメージとかさっき言った
今回の話でね伝わる人が
少しでもいれば嬉しいんですけど
遊びとかと一緒で
アイディアを入れることで
お金を使った遊びじゃないですよと
お金を使わずに遊べるよねみたいなところの
アイディアの可能性っていうところが
あるとしたらあると思ってるし
明確だと思ってるんですよ
それもね
同じでどうやるかだけなんですよね
だからアイディアがあるかどうか
ってことは気づけるかどうか
だからそれをビジネスとか
商売とか仕事とか
っていうところになっていくと
お金を得ることになっていくんだけど
それってもっと開拓したり開発したりというか
開発とか開拓って
言葉あんま好きじゃないんですけど
正解はないんですよ
正解はないので
あなたなりのつまり僕なりの
あなたなりの所得利
僕なりの所得利っていうのを示していって
どうすかってシンプルにやっていく
だからこれは試行錯誤だし
何か経験しないとダメじゃないけど
経験してるのは絶対誰でもあるので
働く以外でもね
というか働く以外のことのほうが大事なことが多いですよね
でやっていくと
そうそう
その試行錯誤は別に
タッキングしようが
巻き込んでいこうが一緒かなと思います
どちらかというと僕は両方やっていくというか
巻き込みつつ
こういうところは良くないですか
っていう風に
知り尽くしたりやってる人に
がやれるようなものを
仕掛けていくと
いう感じになるかなと思います
だから遊びの遊び方みたいなのが
もちろん人によって
その人の遊びについていけないとかもあると思いますけど
遊び方が合うかどうかっていうのが
大事な感じもしますよね
飲んでるのって
遊んでるのかなって思いますね
ただ飲んでるだけだから会話が面白いのかな
とか思いますけどね
分かんないです
動かさなきゃ遊びじゃないわけでもないし
そうそう
面白いですよね
どうやって遊んでるかっていうのが
もしかしたら一番最初に
大人というか社会人が
考えなきゃいけないことかもしれないですね
そうそう
社会に遊び聞いても多分教えてくれないし
これ面白くないっていうことはできないんですよね
多分ね
人間が感じるから
っていうのをまず示して遊ばないって言って遊んでいく
これを仕事繰りってことで
仕事を作るとか
違うものにすり替えていく感じですよね
すり替えるって言い方ちょっと悪いですけど
スライドさせてくる
そんな感じで僕は
遊び方とか面白さとか
口読というか巻き込んでいくということを
遊びの感覚と仕事の関係
教えているという話になりました
長くなりましたが今回は以上となります
ここまでお聞きいただきましてありがとうございました
食事ラジオ大橋でした
以上失礼いたします