自分の目線の重要性
はい、シゴクリラジオ大橋です。よろしくお願いします。このシゴクリラジオは、パーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事作りに関して話をしていく番組となっています。よろしくお願いします。
今回のテーマは、自分のやりたいことに集中しすぎない。
やりたいことをやるなんて話ではなくて、目線を足元ではなく、目線を上げて周りを見るみたいなイメージです。周りを見た上で動くみたいな話です。
これですね実は前話をしたことがあります。ゲームのプレイの話で、自分のキャラクターを操作するゲーム、格闘ゲームとかシューティングゲームとかアクションとかね、何でもそうなんですけど、いわゆるスーパーモリオンみたいなやつでもいいんですけど、
プレイヤーがですね、自分のプレイヤー自体を、キャラクター自体を見てたらダメなんですね。なんで見てるとダメかというと、敵の攻撃とか地形が変わったりするところに対応できないからですね。
目線は、見るべきは敵とか周りの情報を見るような感覚で、キャラクターの操作は、自分の行きたい方向に1ドットレベルで行くみたいな。シューティングゲームが上手い人も多分そんな感じだと思いますし、格闘ゲームが上手い人もそんな感じだと思います。
周辺シェアというか周りの見えている情報が多い。なぜなら慣れているからっていうね、それだけなんですけど、これ慣れてないと何が起きるかというと、一番良くないのはコントローラーを見ちゃうみたいな感じです。右に動きたいから十字キーの右を押しているみたいな。
コントローラーを見ている。パソコンで言ったらショットを撃つ場合に、スペースキーだからスペースキーを見ちゃうみたいなのは一番良くない。だけど初心者の人だったら多分あり得るんですよね。慣れてないから。
それをやると何が起きるかというと、ゲームで言うと勝てない。なぜなら情報が相手よりもより有利に動きを知ることができるので、相手の動きに応じた対応ができるんです。それがワンテンポ早いだけでも有利みたいな感じで、ワンテンポ早いところが致命的というか命取りなんですよね。
ゲームは例えであって、今回お伝えしたいのは、自分がやりたいことに注力する。自分がやりたいことなんてやるのはエゴですよね。わがままですよね。
自分がやりたいことをやればいいじゃんってあるんで、人と協力したかったり、社会とか他の人のためになるみたいな商売とか仕事作りになっていくと、他の人のためになるようなことじゃないとそれはできない。協力してくれないですよね。
なぜあなたのために私がやらなきゃいけない。だから信頼とかそういうのもあると思いますけど、いきなり最初はできないから、だから重なりみたいな話を言いますよね。自分がやりたいことと人が解決してほしいこととか、人がやりたいことを代わりに実現するのもいいですけど、そういうものを重なりの部分ぐらいは見えるようにする。もしくは重なりってここなんじゃないかなっていうのを見てそこに動かす感じですよね。
その時に自分の位置はここだから、自分の位置を見てて動こうとか右とかやろうとしてると遅かったりするんですよね。それはあると思います。
でもこの話をしてた時に、ゲームが上手いみたいになるわけですね。そういう話をした時に。でもゲームが上手いって言ってるけど、それができるから上手いみたいになってて、
トレーニングとか上手くなりたい人が目線を自分だけ見ちゃったりとか、仕事作りがなかなかうまくいかない人とか企業がうまくいかないみたいな人って自分がどうこう言うんですよね。
自分がどうって結構どうでもよくて、僕の中ではですよ。だから他の人がやりたいことをやっていったらいいよねっていうのはあるんですけど、その時にやってる瞬間とかやろうとする瞬間に自我とか自分っていうのは消えてるはずなんですよね。
ただ自分がやっていること自体の事実とか経験とか知見は溜まるんで、自分がやりたいことを実現しないと良くないよねっていうのはちょっといろいろ考えた方がいいでしょうね。
少なくとも自分がやりたいこと自キャラ自分だけの行動を見ててもあんまり意味ないっていうのがあって、何でかっていうとそれが普通なんですよね。量って意味では。
コントローラー見たりキーボード見たり自分のキャラクター見るっていうことは慣れてないっていう証拠だけなんです。自分がこう思う、相手がこうきたらこうするみたいなのが早いとか素早いとかいろいろ手や選択肢やアイデアがある人が多分その量を詰めるのでさらに実現していくみたいな感じがあるかなと思います。
直線的に練習していったら自分のキャラを見ずに動かせるようになるとは思うんですけど、この四国居ラジオでは当たり前ではあるんですが、そんなのを聞いてはいできるようになりましたってことはないんですよね。
鍛錬というか訓練とか量を詰まないと見ちゃうんですよね。自分をね。自分見ててもいいけど、自分を見ざるを得ないっていうのは操作がおぼつかないとか。
自分は、それこそゲームじゃなくて、現実世界で言えば自分はAっていうことをやりたいんだけど、実はBってことなんじゃないかってブレがあるみたいなのを相手から言われて気づいてもいいんです。
Aは左だしBは右みたいなときに、真逆だよねみたいなところで操作がおぼつかないみたいなのだと、それは自分を定義できていなかったりコントロールできていないので、なかなか調整できないじゃないですか。
自分を知ることっていうのはエゴとかじゃなくて、エゴっていうのはわがままでやりたいことの方の話なんですよね。その手前のところで自分を知ってて動かしてたら、ベストポジションとか最適なところとか、適応できることっていうのは増えてくるんじゃないかなみたいな話をしていければいいかなと思ったりします。
もうだいぶ話しちゃいましたけどね。冒頭トークのはずがほぼ終わってました。引き続き補足ではないですけど、その話を若干繰り返し気味にしていってまとめですかね。最後はまとめて終わりたいかなと思います。今回もよろしくお願いします。
はい、志向グリアージョー大橋です。今回テーマは自分のやりたいこととかをあまり見ずに、他の人がやりたいことを実現していくところをやろうというのでもあるんですけど、そっちを見ようみたいな目線の話です。
先ほどの話も散々しましたけど、自分を操作するシューティングゲーム、アクションゲーム、格闘ゲーム、なんでもいいんですけど、自分自体を見てたらダメなんですよね。自キャラを見ててはいけないという話をしてました。見ててはいけないというのは最初は右押したら右どれくらい動くとか、Aボタン、Bボタン、Xボタン、いろいろありますが、ジャンプボタンを押したらどれくらいジャンプするとか、そういうのは調整しなきゃいけないんですよね。
調整しなきゃいけないんだけど、それはもう反覚で把握してもらって慣れなきゃいけないわけですね。例えば右に動いてジャンプっていう時に十字キーの右キーを押しながらボタンを押すというのを意識してやらなきゃいけない。だけどそのうち慣れていくと移動しながらジャンプっていうのも右ジャンプっていうのも別にできますよね。
その時に右押した時にキャラが右に動いているということは意識せずに右を動かせるし、逆で左、右行って止まって左とか、左行ってから右行ってから左行ってから右みたいなこともできますよね、右左の動きだったらね。
今度はジャンプですよね。ジャンプを組み合わせることで今度はそのゲームの仕様によるんですが、右押しながらジャンプをしてダッシュができたり、もしくはより遠くに右側に飛ぶということができるかもしれないですよね。
右を押さないと助走距離ができないからジャンプ距離が低いし届かない、飛距離が短いということになるということを右と矢印の関係性をインプットして操作をした時にそれを調整して自分の手足のごとく動かせるかどうかっていうのがポイントみたいな話です。
これはゲームなので、点字で自分がやりたいこととか人がやりたいこと、もしくはここでは仕事になるんですが、人がやってほしいことに近づいていくためには自分がこれをやれますっていうようなできることとかを提示するのは間違ってはないんですよね。間違ってはないと思います。
むしろ正しい。つまりその時期を動かすことができるし、自分は右ダッシュしてジャンプしていることができますよねって言っているのに等しいわけです。だけど実際、実践社会っていうのは当たり前ですけど、ゲームでもそうですけど、例えばステージが移動してきますよね。
それによっては敵を倒すことができたり、落ちてはいけない落とし穴とか、敵が来たから敵をかわさなきゃいけないとか、物によっては敵を倒すことができたりとか、様々な仕掛けとか、そのゲームの仕様がある。ゲームのレベルデザインみたいな風に言うかもしれませんが、そういうのがあるわけですね。ゲームの世界のルールがある。
現実の応用
現実でも、自分がこれができますって言った時に、掲げた時に何が起きるかというと、右ダッシュジャンプができますって言っても、今右ダッシュジャンプいらないかもなみたいな話になるのがザラというか普通かなと思っています。ついてこれてますか?なんか暴走してないですか?大丈夫ですか?
要は自分ができることを提示しても、できるカード札みたいなのがいいですか?それは相手が欲しているカード札じゃないとダメなんですよね。水が欲しいって言っている時に水が提供できますっていう風にバチッとはまらない。しかもこれはもっと良くないんですけど、水道水じゃないです。ミネラルウォーターがいいんですとか、ミネラルウォーターも、
山梨の採水したやつがいいですとか、製造所の指定まで来ると、水が欲しいですあげますではマッチしないわけです。だからそれをもっと言えば、水が作れます水持ってますじゃなくて、山梨さんのところで採れたミネラルウォーターでこれぐらいありますってことを言っている。
シーズというか、シーズって種だからちょっと違うと思うんですけど、技術系のできることみたいな、シーズと言ったりする気がしますが、言葉の定義を置いておいて、技術でできることありきで言うと。
右ダッシュジャンプできるから、ゲームに戻ると、穴を越えたり敵を越えたりするということが、するためにそのジャンプを使うべきであって、ジャンプして穴に落ちていくとか、ジャンプして敵に当てるとか、自分が当たって死ぬというかね、残血を失うみたいなことになるゲームだとしたら、それは求めてないわけですね。
敵を越えてください、穴を飛び越えてくださいっていう意味のものですよね。だからあってないわけです。できることっていうのを言っていてもいいんだけど、できることだけをやると違いますよねみたいな話を今しています。
だからできること自体を増やしたり、やれることを増やすというのはありなんだけど、できるだけですよね、やれるだけですよね。これは言い方が悪いんですけど、履歴書とかの資格を200個くらい書いても、それで仕事がもらえるとか増えるわけではないわけですよね。
なんでかというと、自分は一人だろうし、あと結局リソース配分の話で、それでどれが一番できるとか得意なのかみたいになってくるわけです。やりたいことというよりも、人がやりたいこととか助けてほしいことっていうのは往々にしてってことですけども、よくある話、実践で話すと右出しジャンプだけでは対応できなかったりするわけです。
むしろその場でジャンプとか、むしろジャンプせずに右ダッシュだけで良くないですかとか、右に移動するよりも左の方はどうですかとかね、分かります?基本あんまりジャンプはするんだけど、どちらかというと今の時点でジャンプしてほしいですよねとか。
だから水というよりも、水じゃなくて加工したお茶とかね、そっちの方がいいですよねとか。だからそんなもんで、純粋にできることカードみたいなの掲げていって、それを一つ、二つ、なんでもいいんですけど、特に一個だけだったらそれができるしかないから、事例というかアウトプット例でこういうことができるからできます。
ゆえにこれもできるんじゃないかみたいな提案にならないです。だから札が2個か3個欲しいですよね。で、札が2個3個あった時に1個1個1枚1枚に直接リニアというとおかしいか、1対1で対応してバチッとはまるんじゃなくて、その2つ3つの組み合わせでじゃあ右ダッシュジャンプして、
より遠くに行けるんで、多分ここも超えられますよとか、それで開拓していけますよとか、新しい地図を作りましょうとかよくわからないけど、できるんですよ、多分。
だからその組み合わせをしてこういうことができるっていう風に言わないと、言わないとというか、こういうことができるっていうのは、その札と持っている何かをそのまま出すんじゃなくて、組み合わせてそこで生み出す。
もしくは相手がこういう要求をしてきたら、じゃあウロンチャ作ってくださいとか、こういうゲーム対応できますかじゃないけど、そういうのに対応できるかどうかが問われているような気がします。
これなんかエラーコードかなと思うかもしれないですけど、多分それは会社員とか、全然雇用されてようがフリーランスとか企業してようが、誰でもが流度とか制度は置いておいてやっていることかなと思います。
で、ここが難しいんですけど、会社員でも中小企業とかでいろいろやらされてていろいろできるみたいな、何やかわかんないみたいな人はポツポツいらっしゃると思います。
経理だけど、何だっけ、営業やるとかね、営業と経理とか、真逆のこととかね、社長というポジションじゃなくてもですよ。
で、その時にそれがやれるから、じゃあ他でもできるかって言ったら、またそれは別問題なわけですね。そういう要求がなければできなかったりするし、必要としなかったらできなかったりする。
ここで一番重要なのは、自分がやりたいとかできるとかやりたいって言ってても、相手が欲してなかったらできないし、相手がこういうことはどうだろうかなっていう風な、
相手の提示によってやりによって動かされて、何か動かないと話は始まらないわけです。
これはですね、もともとこもない話なんですけど、その通りです。世界はその通りなんです。だから自分はこれやりたいです、やりたいです。
これは批判する形になるんですけど、特許を取りましたとか、発明家としてこういうのをやってますとか、それを取りましたっていうのは全然素晴らしいんですけど、
それでってなるのがほとんどかなというわけです。で、なんでそれでってなるかというと、提案したりコミュニケーションしてる人にとっては、特許を取ってすごいですねぐらいの社交事例という話ですよね。
相手に役立つ提案
よくも悪くもね。その人が求めてなかったらダメじゃないですか。当たり前ですよね。水が欲しくないのに水どうですかって言われたり、水をいっぱい飲んでる人に水どうですかってもう二度と来ないでくるってありますよね。
だからそこを読み取る力がなければ、それは空気とかじゃなくて多分コミュニケーションになるんだと思います。どういう人にこれを持っていったらいいかということを察せずにやると、発明の押し売りとか特許の押し売りということで、特許が取ったから価値があるというよりも特許っていうのが取れるものがあったっていうだけなんですよね。
特許が出てるから売れるわけでもなく、特許取ってるもので全然売れてないものは多分いくらでもあるわけで。そんな感じですかね。
だからここまで踏まえてじゃあ何していくのか、何をやっていったらいいのかみたいな話になってくるんですけど、自分が知ることは大事なんですけど、やりたいことを事さらに主張してこれがやりたいできるっていうのは、
そういうことをやりたいんだ、いいなっていう人もいるんでしょうけど、マッチングして提案して何かやっていくときに何かができるっていうのを単体で当てていくって感じですよね。
その単体とかに特に自分はこれができる、あれができるって言ってるときの話は、相手の話を聞いてないことも多いかもしれないですよね。相手の話を聞いてないとちょっと乱暴かもしれないですけど、他の人が何を求めてたり、それこそ目の前の人が
なんかちょっと眠そうだなって思ったらじゃあ寝ましょうみたいな。一緒に寝るとかそういうことじゃなくて休憩しましょうみたいなね。そういうことができるかどうかって話なんだろうなと思います。それがコミュニケーションですよね。
眠たい人に眠くなる、これはすごい眠くなるんですよっていうのを眠りたかったらそれでいいですけど、眠りたくない人にはコーヒーとかカフェインとかのほうがいいでしょうから、そういうものを提示できるかって話ですよね。
たとえの話ですよ。なんだけど相手を見てない。ここが一番大事ですけど、最後のまとめになりますけど、自分がやりたかったことが例えば枕売ってるとか人はこれいいですよ買ってください眠れますよって言ってるんだけど、いや今眠れたくないし枕とか間に合ってるからいらんからむしろ目覚めるやつがいいわってことで枕をそこで売らずにカフェインとかそれを提示するのがいいかわかんない。
つぼうしとかわかりませんけど、それを提案できるかどうかなんだと思います。たぶん。それは自分の自社もしくは自社商品とか自社サービスとか自分がやれることとかできることとかそういうことばかり気にしている人とか考えてる人は視点が自分なんですよね。
自分を見ること自分を考えること大事なんだけどそれを通して相手がどうかっていうことだから、そこで提示するのはつぼうしとかカフェインとかの話なんですよね。たぶんね。だからそこで自社とか自分が役に立てなかったらもう別にお客さんじゃないからいいやっていうのはそれはまた別の考え方です。
営業のどう考えるかだからそれはまた別なんです。だけどそこで提案をしてその人に役立てようというところをやる人が他でもできると思いますし基本的にそれは優秀な人だと僕は思います。優秀だから故に別にどこでもできるわけなんですね。
それを評価できない人が悪いというか環境が悪いような気がします。僕もそれは思います。つまりそこでマクラメーカーの営業マンなんかわかりませんがマクラを提供したらお客さんは別に眠たくないということでむしろ目覚めるものでつぼうしみたいなことでつぼうしを自社で作るのかわかりません。
他者を意識する重要性
マクラを提供するメーカーとか他のところのものを提案したら喜ばれたみたいな人が自社の商品を売らないとかマクラをお前は売らなきゃいけないんだみたいな人だとどうするかですよね。正解ないと思います。僕もそういう現場にいたら難しいなと思います。
だけど結局それはお客さんのためになってるんですかねっていう突っ込みをどのレベルで持っていくかだけかなと思います。それでおかしいなと思ったらもうやっぱり違うことをやったほうがいいしその環境が悪いですよね。つまりマクラを売らなければダメだよっていうような教育や指導ってやつですね。
マクラを売らないとダメなんだよっていう会社であり部署であるチームであり営業方針であるならそれをやらなきゃいけないんでしょうね。でも周り巡り巡ってそれは結局その人の信頼を得てるからマクラそうだよねってなって今度紹介するよって言ったらマクラ売れませんっていうことになるからどこで切り取るかですよね。
それを枝端って言ってダメだっていう。でもその人を見たら全然マクラはその直接話した人から売ってなくてむしろ壺帽子を売ってて壺帽子商品とかなんかコーヒー売ってるんだけど結局紹介でマクラが売れてるからすごくないみたいな。それを逆に指導してそういうことやるなら直接売れみたいになったらもう途端にその人は営業成績上げられないんでしょうし評価されなくなりますよね。
枝端のあなたにとってそういう営業もそうですし相手にとって何をしたらいいかみたいな部分での考えるきっかけになるかなと思いました。どうでしょうか。なので自分ができることを考えるなってわけじゃないですよ。
考えてもいいんだけどそれを見てては意味がないってことですね。その先ですよね。じゃあ他の人や周りの人はもしくは相手は何を欲しているんですかっていう。そこに答える練習をしておかないといきなりできないですよね。こういうこと言ってるからもしかしてこういうことですかっていう返しみたいな話ですね。
それは簡単にできないような気がします。かなりトレーニングがいけると思います。だけど仕事作り、仕事クリエイター、仕事送りっていうのはそれをやることですから、何ですかと。世の中で何が課題ですか何が困っているんですか。こういうことはありますかみたいなことをどんどんやらなきゃいけないですよね。そういう話は僕は面白いかなと思ってますし。
例えばゲームですけどね。ゲームだとわかります。まさに僕の実感としてその実キャラを見ずに周りを見ようとしたり、もしくは周りを見ているときはよく勝てるんですよね。周りを見ていなくて自分ばっかり見ていると狭いんで簡単にやられてしまう。本当に弱い相手でも自分が普通なら勝てる相手でも現場とかその場の対応に迫られてやられてしまうんですね。
それは良くないよねっていう話でした。ここが難しいんですけど、じゃあ目線を落としてしまって自分の行動ばかり見てたら世界は広がらないので、多分指摘されるような気がします。それは自分を見ているよねとか、もしくは周りが見えてないよねってなるんで、周りを見ましょう。
だけど周りをいきなり見たところで情報量が多いから少しずつ慣れていくしかないかなっていうような気はしました。今回は以上です。少しでもヒントになれば幸いです。以上、四国にラジオ大橋でした。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。以上失礼いたします。