やりたいことの継続の意義
はい、シゴクリラジオ大橋です。よろしくお願いします。このシゴクリラジオは、パーソナリティである私、仕事クリエイター大橋が、仕事づくりに関して話をしていく番組となっています。
今回のテーマとしては、続けていることがやりたいことなのか、もしくは続いていることは、多分やりたいことなんじゃないですか。例外ありという。
そんな話を、ある記事から考えてみようと、そんな話になっています。何かを続けたいけどとか、続けることに対してあまり固執してしまうって言うんですか。
こだわってしまうってことですかね。それをこだわることが、いいこともあれば、逆に悪いこともあるというか、善悪しかり、二言論ではないんですが、どうとも取れるよねみたいな。
で、なると、最後は決めてやるしかないみたいな。そんな話になるんじゃないかなと思いますが、ご興味あれば引き続き聞いてみてください。今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい。四国理科場大橋です。よろしくお願いいたします。今回のテーマは、続けていることがやりたいことなのか、もしくは続いているということが、多分やりたいことなんじゃないですか。例外ありみたいな。
要は、続けていることとか、続けることとやりたいこととの関係性みたいな話です。
ノートでちょっと小ネタという記事を書いているんですが、そこでも簡単に紹介した、センジって簡単なのかわからないですけど、ウェブホリオというサービスだったサイトがあります。
従来というか、今もコンテンツあるんですけど、昔、僕自身がウェブサービスを集めましたという、要はウェブサービスというのが世の中にたくさんあります。
今だったらAIで要約してくれたりとか、いろいろあると思うんですけど、そういうのを掲載するというコンテンツを僕がやってたんですよ。
ウェブホリオというサービスは全然僕とは関係ないんですけど、全然僕が知らない方がやられてて、どちらかというとビジネスB2Bとかもあるのかな。
そんな感じでした。その話は置いておいて、最近ウェブサービスの更新は多分してなくて、ウェブサービスの掲載はしてなくて、ビジネスとかビジネスモデルの分析とか、そんなコンテンツがあると。
関係ないですけど、ウェブサービスの掲載だけでビジネスとして稼ぐのは結構しんどいかなというのは、今からそういうのをやろうとしている人がいたら出花をくじくみたいな感じになりますけど、まあまあ確かにそうじゃないですか。
載せるだけで広告効果があってみたいになったら別ですよ。そういうのじゃなかったら結構難しいと。
他に戦略とか何かあれば別ですけど、そういったところでのウェブホリオというところのコンテンツに、東京ですね、東京ゲートウェイコンテスト、ビジネスゲートウェイコンテスト、正確には覚えてないですけど。
東京とか自治体がスタートアップとかビジネスを促進するっていう意味だと思いますけど、400字でエントリーできるみたいなので、そういうビジネスコンテスト、通称ビジコン、アイデアコンテストに近いかなと思いますけど、最後は審査を通ったらプレゼンするみたいなのがあります。
その話を書かれてたんですね。すごく記事にリンク貼っておきますけど、簡単に言えばウェブホリオの運営されている筆者の方はエントリーしたんだけど通らなかった。通らなかったのはいいんだけど、その葛藤みたいなのがあって、いわゆる僕なりの解釈ですよ。
だから間違ってる可能性もあるんですけど、僕が読んだ限りではビジコンとかでプランを審査するだけと言えばだけじゃないですか。ビジネスが良いとかアイデアが良いとかっていうもので、機上の空論と言ったら怒られますけど、どれだけ実績がある人だろうが、出たから受賞したから良いとか悪いとかっていうと、
正直よく分かんないわけです。もうちょっと違う言い方っていうか、批判的に言えばアイデアコンテストで受賞したからってそのビジネスがうまくいくとは別じゃないですか。みたいな風に捉えられがち。
情熱と継続の関係
そこまで書かれてるんですけど、実際に起業してやってる人のビジネスが落ちちゃったりするっていうか、やれているから良いよねっていうアイデアを保証しているから、実践してるから良いよねっていう感じだけでもないっていうところを書かれてたんですよね。
残った、プランに残ったとか最後に残ってるっていう人は5年10年ですね。5年10年とかすごいずっとやりたいんだよねっていうことをやり続けていたり、そういう思いがあるっていうものが選ばれてるんじゃないかみたいな考察があったわけです。
そのあたりのニュアンスはぜひ読んでいただくとして、僕もそれを思って、ちなみにその必至な方は残れなくて悔しいというふうに書かれたんですね。ここですごく古い話というか、この中国語ラジオでもたまに言ってるのが、それって大したことないですよねとか否定してみるってやつ。ただこれはメンタルとして調子がいいときに限ってくださいね。
例えば僕だったらアイディアを出して、そのアイディアはお母さんが出してるアイディアって大したことないですよねって言われたら、むっとうするわけですよ。むっとうですよ。で、その人が大したことがない人。
つまり尊敬というかね。その人に対して特に何も思ってないのであれば、いわゆるアウトオブガンチューってやつで、ガンチューにあらずっていうね。要はしがりもかけないって感じですか。認識してる人ではないなら、自分が別にこの人すごいよねって思ってなかったら、何言われても構わないみたいなのもあるじゃないですか。
ありますよね、そういうのも。っていうのも含めて、とりあえず否定されたとするじゃないですか。自分の出したアウトプット。そうしたときにやっぱりですね、悔しいというのもありますが、認められないのがちょっと嫌だなと思うわけです。
例えばね、否定されたとき、批判されたとき。それを全く思わない人もいると思うんですよ。つまり例えば僕がデザイン、いわゆるビジュアルみたいな落書きみたいなのを書いたときに、それ微妙ですよねって言われても、別に僕何とも思わないですよ。
なぜなら、そんなに思いを入れてないから。つまり僕が言いたいこの至極理手法、至極理メソッドになるんですか。調子がいいときに限りです。限りっていうところの正しがけを言いつつも、自分のやってることを否定されたり否定するっていう試行実験みたいなことをしたときに、リスナーのあなたであればご自身が、例えば僕がどう思うかなんですよ。
リスナーのあなたがどう思うかって。例えばコーチングやってる人だったら、あなたがコーチング大したことないですねって言われたらどう思います?なんかムッとしません?か、それとも何も思わないかですよね。何も思わないっていう悟りみたいなレベルになってたら、それはそれですごいのでちょっと評価は変わってくると思うんですけど、今回はわかりやすく、それで何も思わない。
別に自分はそんなに力を入れてないんだなと、そこまで思いや情熱だったり気持ちがそこまで乗らないんだなっていうのがもしあるのであれば、多分それってそこまでやらないんですよ。
この間10回に1本とかいろいろ言いましたけど、大抵の人は1回2回やって諦めるんですよ。やることをね。でもそんなもんじゃないですか。だからそれが5年とか10年っていうね。さっき申し上げた通りで、それでもやるんだっていうのは、情熱とか熱量はもちろんあるんですよ。
それを何かしら維持していくっていうのがあるんです。でもそれが一旦消えて諦めてまたやりたくなるとかもあるから、ずっとグツグツ煮込んでる必要はないんです。ないんだと僕は思います。たまに来るとかもあるから。
でもたまに来た時もその時に丁寧に自分と向き合うというか、内省というか、問い直して、今言ってた話と一緒で、それって否定された時にも何クソと思ってやりたくなるかって話なんですよ。
僕は何クソとなりますから、それは多分、これは僕にとってですよ。自分にとっては本物っていう。他の人にとってはわかんないですよ、それはね。自分にとってそれは本物みたいなふうに思えれば、これがやりたいことなんだっていうか、それはもっとやっていきたいんだって思えればかどうかなんですよね。
その継続が5年10年というふうに経ったとしても、そこまで変わらないっていうのが結果としてあるのであれば、これは多分本物であり、やりたいことなんだろうなっていうことで大事にした方がいいかなという話になります。
これが一般論ではないんですけど、僕からとしてはそういうことが言えるんですが、判定はできないんですよ。診断みたいに3つ該当したらうつ病ですとか、これは本物ですとか、そういう診断はできないんですよね。なぜなら人によって違うからですよね。
僕が熱量あったり、これはいいなって思うものが人によって全然違ってたりするし、それはないお発算というのもあるわけです。なので、毎日場というか疑って聞いてもらえれば批判的に捉えていただければいいかなと思ったりしています。
ただ、そういうのをいろいろ考えていくと、結局5年とか10年続けられることってあります?結構なくないですか?
僕が振り返ったときに、アイデア出すアイデア出すってずっと言ってるじゃないですか。で、言ってきたんですけど、このラジオも気づけばもうすぐ3年ですよ。ずっと喋り続けるってちょっとおかしいじゃないですか。
その認識はあります。めちゃくちゃあります。
だけど、ある時にですね、この四国ラジオ以前の話で、なんかもうどうでもいいかなって思ってるんですよ。そういうのって。分かります?
だからある人にとっては一方的に言ってくる人だなっていうふうなのも分かってるんですよね。追い込み済みなんですよ。
それはですね、別に多くの人にそれを認識していただいた上でどうってことはなくて、なんかもうしょうがなくないですか。いわゆる割り切ってしまう。もう諦めるってやつですね。明らかに見極めるって意味ですけど。
自己表現の重要性
そこはですね、自分が圧っぽく熱流を込めて語っても何も響かない人もいるじゃないですか。
どんな自信があっても、プレゼンしっかり、説得力じゃないな、心を動かすしっかり、その人にやってもらいたいからいろいろ用意してなんかやるしっかり。
そんなに苦労とかがいいってわけじゃないですよ。だけど、やったところで響かないことってありません?ってことなんですよね。
もしそれがないっていう人は、結構若い人か、行動力が全然足りてないか、本当に天才的にそういうことができる人っていうか、
よくあるのが、やってるけどそれを苦しいとかそういうことを思わない人はね、そういうことがあるかなと思います。
うまくいかないとかね、そういうことに関してですね。だから、響かないこともあるんですよ。
というか、だいたいそっちが普通じゃないですか。だから、このポッドキャスト自体もそうですし、
どんなアウトプットに対しても、みんながいいよねなんていうことはないと思うし、一人でもそれで、なんかちょっといいなって思ってくれたらOKみたいな、そんな感じです。
だから、たぶんそこがコンテンツを配信し続ける人っていう感覚と、これからやろうとしてる人のすごい大きな差、小さいことに見えるんですけど、
それを得得退得できるかっていうことが大事なんだろうな。それをコツといえばコツなんですけど、やらないとわからないですよね。
今言っていることがたぶんわからないから、AIにコツ出させたり、誰か有識者みたいな知識がある人とかに聞いても結局意味ないんですよ。
なぜなら、それを教育というか体験して得て、共通体験として、共有体験か、共通共有体験としてこないと、コミュニケーションにならないわけですよね。
言ってるけど、わかってないよねっていう。お互いですよね。ということになるんですよね。
やりたいことの判断
続けたからうまく全部いくとか、続けていることが絶対にあなたのやりたいことですということまでは、さすがに僕も要を言わないというか、いうこともないです。
だけど、自分がそう思うならやっぱりやった方が良くて、それがさっきから言っている判断とか選択ということですね。決めてそれをやってみるということなんです。
だから僕から言えば、2個3個4個やりたいことがありますみたいな時に、全部やればいいじゃないですかってなるわけです。
だけど、全部4個均等にやりたいって多分無くて、見栄を張るみたいな、これやってる格好良いでしょとかね、こっちをやると格好悪いけどみたいなとかね、わかんないですよそれ。
そうやって思われているなら別にそれでいいんじゃないかな、その解像度でやってもらえばいいんですよね。
だいたいそういうのってうまくいかないですよ。論理立ててやっている場合ですよね。論理では決められないしですよね。
論理的なものは全部不要とかそんな極論はなくて、論理多いので使ってロジックでいろいろ考えていただくはいいんだけど、
じゃあなんでそれやるのとか、どうしてこうしたいんだっていう時のものってやっぱり気持ちとか感情がないと、AIって感情ないわけじゃないですか。
でもその感情がないAIとほぼ一緒なんですよ、ロジカルで言ったらね。むしろAIの方がロジカル的であるかもしれないですよね、材料を全部集めてやったら。
そうなんです。だから人間ってそういう意味では、人間って言ってるのはまさに自分一人、リスナーのあなたであり、僕自身一人一人のことを言ってるんですけど、人間ってやっぱりその感情の部分で動くんですよ。
それがないと面白くないし、僕はですよ。あと決めてもそれやれないんですよ。
だからなんでそれ決めてやるんですかっていうのが、ロジカルにいろいろ理由を並べていうケースあるじゃないですか、3つ理由がありますとか。
ここは課題が3つありますとか。ロジカルでわかりやすく言ってるんだけど、そう言ってるだけで実際はその発言者、発話者、例えば僕だったら、
僕がそれを課題だと、エビデンスを並べたり理由を並べたり、ソースですよね、根拠を並べたりするっていうことも大事なんだけど、それを課題だと思っているってことが大事なんです。
自分が課題だと思えている人の課題だとか、これはいいアイディアだなと思っている人のアイディアとか、自分がこれをやりたいと思っている人のやりたいことは何が違うんですかって話ですね。
そのやりたいと思ってなくてやりたいと言っている人とか、やりたくない、そこまでやりたい熱量がないんだけどやりたいって言っている人と、本当にやりたいと思っている人のやりたいっていうのは何が違うんですか。
何が違うんですか?
それは面接とかプレゼントとかじゃないんですけど
その人の気持ちみたいなものが
そこに乗ってるかどうかですよね
適当にやってるなって言ったら
適当になる
だから間違えてはいけないなと思うのが
僕がさっきポッドキャストで
もういいやみたいなね
そうそうだから諦めてるっていうのは
伝わらないってことに対して
それは何とか伝えようとはもちろんしてますよ
してるんですけど
そっちへ追っかけてもしょうがないじゃないですか
だから伝わってくれる人とか
伝わりそうな人にやはり届けていって
そこでどんどん成功体験で改善していく方が
いいかなと思ってるんです
その面接じゃないプレゼンじゃない
そういうところでの立ち回りっていうのも
結局自分の言葉でガッとね
それこそ論理的にならずに
ガッとね自分の気持ちがこもって
言えるかどうかだけだと思います
そこに気持ちがこもってなければ
なんか適当に言ってるなとか
なんかロジカルにこうなんだろうな
読み上げてるなみたいなね
読み上げてるのが絶対ダメじゃないんだけど
読み上げて気持ち伝わりますかって話なんです
だから相手の心を動かしたいかとか
持続とは何か
このなんだろう考えてることを
なんか是非とも共有したいとか
そういうのないと伝わらなくないですか
っていうだけなんですよ
だから技術とかテクニックとか
そういうのを一旦置いといて
前もこれなんか言ったと思うんですよね
目の前の人に本当に伝えようとしてるか
っていうことなんです
でその伝え方がどうとかっていうのじゃなくて
この問いを自分が生み出したり
問いかけとして本当にその自分のアイデアなり
伝えたかったことを
目の前の人に伝えられたかどうかです
でそれを嘘とか共有とかも置いておいて
自分がその後公開するかどうか置いておいて
公開せずに自分が自分の中で書き出したりとかね
した方がいいと思うんですけど
考えてみてそこまでねって
そこまではやろうと思わんかったわ
っていう人がほとんどなんです
そうで僕は思ってます
だからなんかそういうゾーンじゃないけど
集中してって
それにどんどん取り憑かれたかのように
やり続けられるっていうのはあるんですよね
あるんですけど
そんな簡単に綺麗に入っていくものじゃないんです
きっとだけどそれはもう毎日の練習とか
なりみたいなものでどんどんやってってやっと
だから結局行動してって
量をやってってこうなんじゃないですかね
っていうのが見つかるみたいなことがあるんですよね
それはノウハウとかじゃなくて
僕はそう感じているってことです
それが見つからないから
どこかないかなって探して探して探される方
模索する人っていう気持ちは分かるんですけど
多分ないんですよね
要はこれをやりたいみたいなことは
どこかにそのなんていうの
材料みたいにポコッと押してなくて
材料じゃなくて
多分切れ端とか端ぐらいしかなくて
例えば木炭とか炭って一応固形物があるじゃないですか
着火剤でもいいですけど
ああいうもので落ちてなくて
もう黒い炭の切れというかね
コロコロしたなんか豆粒みたいなやつしか落ちてなくて
これ何っていう分かります
それを見てそれを集めるしかないんですよね
って僕は思ってます
でその豆粒みたいなやつ集めてると時間かかりません
だから5年とか10年とかかかるもんだと思ってます
だから5年10年かけてなく
なんかそれがいきなり見つかるってことは
例えばそれこそ1日とかね
それは何か誘導させられてたり
なんかうまい話に乗ろうっていうところとか
なんか僕が言ってることに関しては
そのうんうなずいてくれるんだけど
実際に自分の行動としては
じゃあはい儲かるノウハウ探そうかみたいなね
人もいらっしゃると思うんで
別にそれを否定してないですよ
だけどそれでは確かに見つからないと思います
なんでまあそれをね
まあそういうことを感じたっていう話です
続けているから
絶対それがやりたいこととは言えないです
結果的にやってきたことが
そのねこれ結果論です
完全に結果論ですけど
豆粒みたいなものを集めてって
ちくさけして形になったよねっていうのが
もう見えたり分かったりする人は
それってもう自分の中でも
ほぼ絶対のものじゃないですか
人にはそれを適用できるかどうか置いておいて
僕もこれを他人に適用できるか分からないです
だけどそういう傾向がある気がするってくらいですね
例外があり例外ありって言ってるんですけど
本当にやりたいことを探す
だからそのやっぱり自分の話になるんですよね
自分が心からどう思ってるかってことに対して
向き合ってる人の言葉はやはり刺さるし重いんですよね
で刺さった時に
自分はそんなに考えてなかったなっていう時に
別に考えているから偉いとかね
そういうことじゃなくて
考えて言っているからこそ出てくるってことで
いきなり今日この話がポンと出てきた
話としては出てるんだけど
その前の蓄積がないと言えないっていう話ですよね
そんな記事を見て僕も思ったってことです
だからアイデア出ししかり
しごくりですよね授業を作るしかり
やっていきたいんだよなっていう
やっていきたいなってやってないような気がします
やってるっていう前提でね
なんかもっともっと仕掛けていきたいし
発想法のツールも提供していきたいし
それは嘘偽りは全くないと
しかもそのものももっとこだわりというかね
まだまだこだわっている部分があって
なんか職人っぽい感じがするかもしれないですけど
別に職人になりたいっていうのがあんまりないんですよね
そう俺はクリエイターだみたいのは正直なくて
もしくはあってもクリエイターのものと
ビジネスというものは違うわけなので
いろんな視点で見るっていう方を
持ち味とするってことですね
これはいろいろできるとかいろいろやれるっていうのは
手前味噌ですけど
中途半端になりやすいってあるんですよ
中途半端っていうのは
自分の中では中途半端じゃなくても
単純に世間とか社会的な目ですね
1個のものを極めてないよねみたいな風になるんですよ
でも今って1個のものを極めてどうっていう時代じゃないなって思うし
じゃあはいもう仕事なくなりましたとか
AIで仕事変わります時に
もう積むじゃないですか
1個しかやってなかったから
僕はやっぱりいろいろやってた方が保険が効くし
自立ですね
いろんな人に頼れるっていう方がいいかなと思ったりします
あと自分もやれるものがあれば
自分で初動できないできるから
誰かに言わなくてそれ良くないですか
そんなことを思いました
だから自分が本当にやりたいことっていうのを
探すのは悪くないんですけど
考えるのも全然いいと思います
だけどそれがどこかに何か落ちてて
ポンとそれを入れたらうまくいくっていうのはないっていう話ですね
だけど結果論として
後から言えるのが
何かやってたものは結構自分にとって思い入れが
知らないですよ
どういう状況かわかんないんだけど
思い入れがあるんじゃないですか
もしくは他の学ぶものがあったんじゃないですか
って言う
その後人間の真理として
三苦五苦ですね
自分が今まで統治してきたものを
無駄だったと思いたくないじゃないですか
僕もねやってきて
無駄だったと思ってないですけど
それ無駄だよねって言われたら
それは怒りますよ
その人が無駄だって言ったものを賛同するのはいいですけど
思ってないですから
その5年10年かけてきたものに対して
やっぱりそれは意味があったっていう風なのが
僕は健全だと思ってます
でそれを活かせばいいわけじゃないですか
その反面教師にするでもいいし
次に活かしていけば
何でも役立つよねっていうことも同時に言えるんじゃないかなと思いました
今回は以上となります
決めて行動する重要性
ぜひですね
そのリスナーのあなたもですね
やりたいこと探しみたいなものを
あまり固執しすぎなくて
結果的にいろいろ詰めていくと
最終的にはどういうことをやってって
判断して決めてそれをやるかってことだけですね
続けるってことはあんまり意識せずに
決めてやるってことをやっていくと
結果的にですね
結果なんですよ
続けてやっているものができていくって感じです
伝われば幸いです
今回は以上となります
四国理ラジオ大橋でした
ここまでお聞きいただきまして
ありがとうございました
以上失礼いたします