テニスと自己反省
こんにちは、レイマシキャスト第75回目です。
本日は7月4日金曜日、現在朝の6時16分です。
はい、では恒例のインドネシア語で日付、曜日、時間を言います。
インドネシア語の場合、曜日を先に言わないといけないらしいんで、今日から曜日を先に言います。
はい、金曜日はじゅんま、で、6月、ごめんなさい、7月4日はたんあうんぱじゅり、6時16分はじゃんなんとじゅぶらす、パギ、です。
ちょっと今日は難しかったです。すいません。
はい、で、昨日はですね、毎週木曜日はサークルでないたんシングルスの練習会に行ってるんですが、昨日も行ってきました。
はい、で、昨日はめちゃくちゃ強い方と1試合目やったんですが、全くちょっと相手にならなかったですね、自分が。
0-6で負けてしまってポイントもほとんど取れなかったです。
はい、で、その方は身長190センチ以上あってですね、まずとにかくサーブが速かったですね。
昨日1試合で多分7、8本エース取られてしまって、もうねサーブが入ったらほぼ取れないぐらい速かったですね。
ちょっと初めて味わうタイプ、190センチぐらいのサーブってこんなに速く感じるんだなっていう。
もちろんサーブ自体は本当に速いんですが。
で、プラスその方は結構特殊なテクニスをされる方で、全部スライスなんですよね。
フォーハンドもバックハンドも全部スライス。で、前にも出てくるし。
ちょっとそのテニスにも全然適応ができなくて、全くちょっと自分のテニスができないまま終わってしまいました。
ちょっと次その方とやった時はもう少し頭使ってやらないと勝てないなっていう風に思いましたね。
僕もすごい一変等なテニスになってしまったので。
リターンゲームの時はもうちょっと相手のサーブが入ってしまった時は厳しいんですが、
自分のサービスゲームは取れるようにしないといけないなという風に思うので、
ちょっとまた自分でも振り返りをして、
次の試合でもう少しその方に対抗できるようにやります。
カンボジアとプノンペンの紹介
で、2試合目なんですが、2試合目は結構いつもやってる方との試合。
多分もう3,4試合してるんですが、今まで全く歯が立たなかったんですけど、
今回はね結構いいとこまで。最後2,3。ほぼイーブンですね。
イーブンのところまで持っていけてて。
何が良かったかっていうとですね、
今週、水曜日のスクールでですね、エッグボール。
軌道が高いボール、しかも深いボールを打つ練習をしたんですが、
そのボールが結構、昨日の練習では打てました。
で、浅いボールが来てみたいなところ。
で、そこからちょっとあまり決められなかったんですが、
それがちょっと次の課題ですね。
自分がエッグボール、軌道の高くて深いボールを打った時に、
相手がサービスラインよりも前に浅いボールが落ちてくることがあるので、
それを一発で決める。
で、そうするとかなり自分のテニスっていうのは、
一つパターンができてくるのかなというふうに思いました。
はい。ただ昨日はそれが良かったのと、
あとバックハンド。
もう昨日はその試合は多分ミスがなかったと思い、
あ、1個はあったかな。
ただ、アンフォースエラーはなかったと思います、バックハンドで。
もちろん全然強打はできてないんですが、
ちゃんとしっかり相手のコートに返せて攻め込まれないボールが打てたと思うので、
これはちょっと引き続き続けていきます。
はい。で、ちょっと前置きが長くなってしまったんですが、
今回はカンボジアのお話をします。
はい。で、昨日はタイの話をしたので、カンボジアですね。
はい。で、カンボジアはタイの隣にあります。
国境も面している国でですね。
僕はそのタイでブログ観光大使をしてですね、
その時に初めてカンボジアに行ったんですね。
カンボ…ごめんなさい。
そうですね。タイから国鉄に乗ってアライアンプラテイトっていうところですね。
確か7、8時間かけて行ったと思うんですが、電車で。
ゆっくり電車で行って、で、カンボジアの国境を陸路で徒歩でですね、越えました。
で、前にも、昨日もお話したと思うんですけど、
タイは特にバンコク、この首都ですけれども、すごくもう発展がしていて、
高層ビルたくさんあってですね。
ちょっともうみなさんがたぶん、小学校とか子供の頃に習った東南アジアのイメージと全然違くても、
今はすごい都会で電車もあるし、地下鉄も通ってるし、
日本食レストランもたくさんあるし、それこそ欧米のレストランもたくさんあるし、
何でも手に入るそんな街です。
で、対してカンボジアなんですけれども、最初に行ったときにね、
タイとカンボジア、陸路で横断して、すごい景色が急に変わることにびっくりしましたね。
カンボジアがすごく田舎で、本当に何もないところなんですよね。
で、カンボジアの首都はプナンペンというところなんですが、
その後僕もプナンペンに仕事で行くようになります。
で、タイの首都バンコクからプナンペン、カンボジアの首都プナンペン、500キロ離れてるんですね。
なのでちょうど日本で言うと東京と大阪500キロなんで、それぐらいの距離なんですが、
まずタイのバンコクの空港はスワナプーム空港って言ってもすっごい大きい空港です。
すごい綺麗で。
で、飛行機の離発着もたくさんあります。
ここからどこでも行けますよね。
たくさんの旅行者が来るので、たくさんの離発着あります。
対してカンボジアのプナンペンの空港ですが、ちょっと今新しい空港を作ってるんですが、
今の空港は決してすごい大きい空港とは言えないです。
タイから、タイバンコクから飛行機で大体1時間ぐらいで行けるんですが、
最初に僕が行ってびっくりしたのがやっぱりバンコクとの違いですね。
タイバンコク、隣のベトナムのホーチミンもそうですけれども、すごい高層ビルが並んでて都会並ぶに対して、
そのカンボジア、僕が行ったのは最初、2011年、12年ぐらいなんですが、
その当時はまだ全然大きいビルがなくてですね、
まずカンボジアの空港に着いたらですね、プナンペンの空港に着いたらビザを取得します。
治安と現地の人々
アライバルビザ、到着ビザですね。
到着ビザを取得して入国をする。
そこからホテルまで向かうんですが、
大体トゥクトゥクっていう山林の、なんて言ったらいいかな、
皆さん人力車は思い浮かぶと思うんですが、
その人力車の人の部分のところがバイクがついていてですね、
僕らはその人力車でいうところの後ろ側に乗るんですが、
そこから空港からホテルまでトゥクトゥクっていうのに乗っていくんですが、
道路もまだ舗装されてなくて、言ったら土のままなんですね。
今はもう道路が舗装されたんですが、当時土のままでですね、
マスクをしていないと本当に喉が痛くなる砂ぼこりで、っていう感じでした。
ちょっとやっぱ治安も台湾国に比べると悪くて、
スマホとかを出しているとひったくりにあうんですよね。
iPhoneとか10万とか20万とかするんで、
カンボジアの当時の一般的なお給料、
例えばレストランとかホテルで働いている人たちの1か月のお給料って200ドル。
大体2万円ちょっとですよね。
なのでiPhoneとかをひったくりでも強盗すれば半年ぐらいの給料になるわけですよね。
ということで結構ひったくり、
トゥクトゥクとかからですね、
景色とかを写真で撮っているとiPhoneを取られてしまったりということがよくこれはありました。
ただちょっと僕が言いたいのは、カンボジアの人たちはすごいとてもいい人たちが多いので、
刀自身も悪いことばかりではなくて、
ちょっと最初はバンコクとのギャップですね。
ギャップで驚いたということです。
そもそもなんでこんなバンコクとプトンペン、こんなに差がついてしまっているかというとですね、
カンボジアの歴史的背景
1970年代にカンボジアではポルポトっていう人がですね、
カンボジアを支配するんですが、この人はフランスに留学した時にマルクス主義に傾倒するわけです。
つまり共産主義なんですが、それでそのめちゃくちゃ偏った共産主義、極端ですね、極端な共産主義を実行しようとするんです。
で、何をしたかというとですね、ちょっと待ってくださいね、私も検索しながらメモをしたので、
ちょっとそれを見ながらお話ししますね。
すみません、用意しとけよって話なんですが、はいすみません。
まず農業中心の共産主義国家を目指し、都市部の住民を強制的に農村へ移住させた。
自粛時に外国語話者、メガネをかけた人などを反革命分子として処刑をした。
はい、これちょっとね、皆さんもしかしたら聞き覚えがあるかもしれないんですが、
中国の毛沢東と同じようなことをするんですね。
はい。で、国民の4分の1、170万人から200万人以上が死亡したとされる大脚殺、カンボジア大脚殺の死亡者ですと。
つまりはインテリの人たちを、知識層の人たちを、資本主義にひっくり返されないようにみんな殺しちゃったってことですよね。
はい。で、結局このポルポとも最終的には倒れて、カンボジアは共産主義をやめるんですが、
1970年代の話なんでね、これ。1980年頃まで続いた話なんで、で、国民の4分の1がなくなってしまう。
はい。で、その資本主義的なものが全部なくなってしまうし、お金、通貨も廃止してしまったんですね。
つまりお金もなくなってしまった。で、学校とか病院もなくなってしまったし、宗教も禁止されました。
はい。なので、その父の遺産というのが僕が行った頃まだ残っていてですね、まだまだその国の立て直しができていない状況でした。
はい。で、トゥールスレンというですね、脚殺博物館があるんですが、
あのプノンペにある元の高校を利用した尋問とか処刑センターですね。
そこにも2万人が収容されていて、そこから生きて出れた人はわずか数名です。
で、そこをちょっと今は博物館として公開されているんで、僕もそこに行ってちょっとカンボジアの歴史を学んできたんですが、なかなかきついですね、そこに行くのもね。
はい。で、話がそうですね、そのバンコクとプノンペの差ですけれども、
カンボジアはその負のまだ記憶、記憶というか現実にね、遺産が残っているわけですよね。
それで、開発とかが遅れていて、今に至っているんですが、今はね、この僕も10年ちょっとカンボジアにちょこちょこですが仕事で行ってますが、
今は外国からの投資がたくさん入って、高層ビルとかいろんなことのコンドミニアム、マンションですね、たくさんできてます。
それがいいか悪いかは別として、カンボジアもこの10年ですごい豊かになってきています。
はい。で、カンボジアはさっき言った通りその通貨を廃止してですね、今はカンボジアの通貨があるんですが、
基本的に外国人である僕たちはほぼそのカンボジアの通貨を使うことがなくて、基本的にはカンボジアの商業は米ドル、アメリカのドルで流通してます。
はい。なので僕が何か買い物、僕はそのカンボジアに行くときは米ドルだけを持って行きますね。
お釣りはカンボジアのお金で返ってくることがあるんですが、基本的にはすべて米ドルで支払いができます。
はい。なので東南アジア、アジアも韓国とかもそうですが、当時はアメリカとソ連の代理戦争の舞台として、アジアはその資本主義、共産主義に分かれていくわけですね。
中国、ベトナム、あと北朝鮮というのは共産主義、今はちょっと形を変えた共産主義ですが、共産主義で。
共産主義のリーダーが偏った政策をするとですね、大量に人を虐殺したり、文化をなくしたり、極端なことをしてその国の経済力が落ちてしまうってことがあります。
で、カンボジアのプロンペン、最初に行ったときはそのクパン国との違いに驚いたんですが、カンボジアの人たち、すごい真面目な人が多くて、仕事を結構その、これは一緒くたりにしたらいけないんですが、東南アジアって男性の人があまり働かないっていう、結構言われていることがあるんですが、
カンボジアの人たちは男性の人たち、すごい勤勉で働く、本当に真面目に働く人が多いです。僕ももう10年ぐらい一緒に働いている人たちが何人かいるんですが、すごく真面目で、この10年ですごい出世をしててですね、僕なんかよりか仕事も大成功している友達がたくさんいますね。
またちょっとカンボジアの話は別の回で、ちょっと今回はサワリの部分、バンコクとカンボジアの違いに、バンコクとプロンペンですね、カンボジアのプロンペンの違いについてちょっとお話をしたんですが、あとはちょっと歴史的なお話をしたんですが、ちょっとまた次回はそのプロンペンでの生活とかそういう部分をお話しできたらと思います。
プノンペンの現在
はい、では今回も最後まで聞いていただきましてありがとうございます。