1. ブックカタリスト
  2. BC082『思考を耕すノートのつ..

今回は、2023年11月に発売となった『思考を耕すノートのつくり方』を著者自身が紹介します。

書誌情報

* 著者

* 倉下忠憲

* 出版社

* イースト・プレス

* 出版日

* 2023/11/17

* 目次

* はじめに

* Chapter 1 知的道具としてのノート

* 「頭の中だけ」は限界がある/頭の使い方のサポート/気軽に、自由に使う

* Chapter 2 使い方のスタイル

* ノートの種類/罫線の意味/サイズ/紙質と使い心地/ページ/タイムスタンプの重要性/ナンバリングの利便性/貼りつける etc.

* Chapter 3 書き方のスタイル

* 日記/作業記録/メモ(アイデアメモ)/講義ノート/タスクリスト/

* 会議・打ち合わせノート/着想ノート/思考の整理/研究ノート/読書記録/ライフログノート/振り返りノート/フリーライティング etc.

* Chapter 4 ノートQ&A

* 何からはじめるのか/いつ見返すか/記入量の増やし方/ノートの使い分け/デジタル情報とのつきあい方 etc.

* 付 録 ノートをさらに使うためのブックガイド

* おわりに ノートを自由に使う

本書は、著者独自のノート術を紹介するのではなく、「ノート術」というのがどのような部品で成り立っているのかを細かく紹介することで、読んだ人一人ひとりが自分なりのノート術をつくりあげることを手助けする本です。

ノウハウは「つくる」もの

世の中を見渡してみると、たくさんのノウハウが見つかります。「ノート術」ひとつ取ってすらそうです。Aさんは「このノート術が最高だ」といい、Bさんは「このノート術こそが真に成果をあげるための方法」だと言います。そのまま進めば"宗教戦争"になりかねない勢いです。

一方で、少し引いてみれば、Aさんは自分のやり方で成果を挙げているのだし、Bさんもまた自分のやり方で成果を挙げているのだと言えます。ある方法を使わなければ成果を挙げられない、というわけではありません。人はそれぞれに違いがあるわけで、その人に適した方法も違っているというのは考えてみれば当たり前の話でしょう。

そのように考えれば、「成果を挙げる究極の方法」を追い求めるのはやや虚しいかもしれません。いつまで経っても手に出来なさそうですし、無用な論争も起きるでしょう。そうした探究を進める代わりに、「自分がうまくやれる方法」、もっと言えば「今の自分がうまくやれる方法」を見つける方が、生産的だし健全な気がします。

そうした考え方を実用主義的ノウハウ呼び、理想主義的ノウハウと区別してみるとまったく新しい「ノウハウ観」が生まれてきます。行為の主体者は、究極的に存在するノウハウを「身につける」のではなく、そのときそのときのニーズに合わせたノウハウを「つくっていく」のだという観点です。

本書はそうしたノウハウ観をベースに書かれています。

ノウハウ書の問題点

もう一点つけ加えると、私が考えるに最近のノウハウ書はいくつかの「問題」を抱えています。

まず「理想的過ぎる」点です。あれをこうしたら、こうなりますよね。やった! という感じ。そこには現実に起こりうるさまざまな抵抗や不具合がまったく無視されています。簡単に言えば「そんなにうまくいくなら、始めから困っていないよ」というツッコミを入れたくなるのです。

で、理想的な状況だけが語られているので、不具合に遭遇したときにまったく対処ができません。それでは実行はおぼつかないでしょう。

次に、「発案者に最適化されすぎている」点です。ある人にとって、最高の効果を上げられる方法は、むしろ性質や傾向が違う人にとって効果を上げにくい方法になっている可能性があります。それ自体は別に構わないのですが、「このやり方でうまくいく。このやり方でないとうまくいかない」という形で説明されていると、効果を上げにくい部分をアレンジすることができません。そうなると、微妙にうまくいかない部分を抱え続けなければならなくなります。これはけっこうストレスで、それが挫折の原因になったりもします。

最後に「過程がなさすぎる」問題です。ノウハウは「つくっていく」ものであって、そこには経過があります。言い換えれば歴史があります。極端なことを言えば、ある人が何かしら成果を挙げられているのは、有効な方法を手にしていることだけでなく、むしろその方法を確立にするに至ったプロセスが背景にあるからです。そのプロセスの中で、何が効果があり、何が効果がないのかを体験的に理解してきたからこそ、そこにある方法を十全に使えている点があるでしょう。

また、そうした理解があるからこそ、手持ちの方法が不具合を起こしたときにでも、新しく変容させていける対応力も持ちます。

一方で、「はい、これが完成品です」と手渡されたらどうなるでしょうか。そこには経過もなく、ということはそこからの変化もありません。そこにある完成品に、自分自身を合わせるしかなくなるわけです。これはかなり窮屈なことです。

だから本書は、ノート術の本でありながら、「成功した著者のノートの使い方を真似すれば、明日からあなたも成功者になれる」的なスタンスではなく、非常に技術的な視点(エンジニアリング的な視点)においてノート術を紹介しています。

もちろん、特定の誰かのノート術をノウハウとして紹介することに意味がないと言いたいわけではありません。そうした情報から学ぶことはたくさんあります。一方で、それは「お手本」でもなければ「理想的」でもなく、ましてや「こうでなければならない」という絶対的なルールではありません。一つのヒントであり、もっと言えば行動を促す「触媒」でしかないのです。

世の中のノウハウをそのような姿勢を受け取ることができるならば、現代は「自分のノウハウ」をつくるためのヒントがいくらでも見つけられる環境だと言えるでしょう。個人的には、そうした見方が少しでも広がればいいな、と願っております。



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サマリー

ブックカタリストの第82回では、「思考を耕すノートのつくり方 自分の知的道具を手に入れる」について語られます。本では、ノートの使い方を自由に変えることで、自分ご主体としてノウハウを作り上げる方法が提案されています。 「ノート術」に考えると、ノウハウは絶えず進化していくことを自覚する必要があります。ノートは寿命がありますから、使い切るタイミングでノートの書き方が改善される可能性があります。デジタルツールにおいても、必要のない機能を削ぎ落とし、自分なりのノウハウを作り込むことが重要であり、ノート術も同様です。与えられたノウハウをただ習得するだけでなく、自分でノウハウを作り変えることが必要です。ノウハウにおいては、知識だけでなく、自身のパーソナルヒストリーを含めて考えることが重要です。また、情報を摂取する際にはコンテキストと共に摂取することが必要です。ここではノウハウの価値やノウハウの書き方、効率的な情報接種方法について話しています。

本の紹介
面白かった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト、第82回の本日は、「思考を耕すノートのつくり方 自分の知的道具を手に入れる」について語ります。
はい、よろしくお願いします。 はい、お願いします。
予告通り説聴というか、僕の本について語りつつ、それを通してノウハウというものを、ノウハウとどう付き合ったらいいのかっていうのをちょっとお話しできたらなと今は考えております。
はい、あれですよね。去年のどのタイミングだったっけ?11月とかに出てる。
11月に出て、ちょうど新刊のラッシュでいろいろありまして、本を出していたのにブックカタリストで紹介するのを忘れていたということなので、新年1回。
電子書籍が出たのが1ヶ月後、12月だったので、ちょっと1ヶ月くらい待ったのはちょうどいいタイミングだったかなと思うんですけど、今回改めて紹介しようかなと思います。
はい、完全に余談なんですけど、これはですね、ちょうど旅行に行っていて、キャンピングカーを借りてキャンピングカーの中で読んでいたっていうストーリーと共に記憶しております。
そういうのは強固に覚えてますよね、なかなか。 そうそうそう、そういうのはでかいですね。
で、どうしようかな。一応簡単に本の紹介をさっきいきますが、11月に出ている僕の本でイストプレスさんから出版されてまして、
ノート術の本ですけど、珍しいタイプだと思うんですけど横書きで書かれてます。縦書きじゃなくて横書きで書かれてる本で。
で、ノート術の本なんですけど、なんかホゲホゲノート術を紹介するというよりは、かぎかっこつきのノート術っていうものを紹介する本っていう感じで受け取ってもらったらいいかなということで、大きく4章立てになってまして。
第1章が鉄器道具としてのノートっていうところで、ノート、そもそも僕らはなんでノートを使うのかっていうノートを使うとどんな嬉しいことがあるのかっていうことがざっと紹介されて。
で、チャプター2とチャプター3で具体的な使い方のノート術ってこういうもので構成されてるよねっていうのが第2章で、かなり細かく具体的に紹介されて。
で、第3章でそれらの書き方を組み合わせてどういう用途で使えるのかっていうのが書き方のスタイルとして紹介されてます。
で、そこで一旦本文みたいな終わりで、第チャプター4でノートを使っていく上でぶつかりがちな問題に対してのQ&Aという形で実践をお助けすることが書かれていて。
で、最後は4章、フロックとしてブックガイド、ノート術とかそのに関するノウハウを扱った本のガイドがあって、締めという形で。
難しいことは多分何も書かれておらず、ノートをある程度親しく使ってる人にとっては結構当たり前な、ある意味ノート術のベーシックスキルみたいなのがまとめられている本かなという印象というか、自分で書いた本やけど本かなという印象かな。
ノート術の体系化
これを読んで思い出したのが、だしたさんが構造化というか体系化するのが好きだって言ってて、いろんな本で体系化を好きだって言ってたじゃないですか。
体系化好きなんだなっていうのがまず第一印象でした。
なるほどね、確かに体系化ですね。だから僕がこれまでに見聞きしてきたノート術っていうものを、そのホゲホゲノート術を列挙するというのではなくて、そのノート術を細かく分解してパーツごとに整理して、ノート術を作っていくための部品とか道具箱っていうのをまとめてみたという感じの本ですね。
思い返すと多いなーって思うんですよね。タスクのことについても、すげー大雑把なことを言うと同じことやってるじゃないですか。
タスク管理の用語集的な感じで、やること地獄みたいなも似たようなことをしてますね、確かに。
うん、やっぱそのなんて言うんだろう、働くとか知的生産的なものの、でもこれってらしたさんが言ってた知的生産の技術を体系化するために体系化したいことなんじゃないかっていう感じもあって。
そうですね。体系化のための体系化かどうかわからないけど、この形で提示することにおそらく意味がある。
ノート術の書き方って言うと、もちろん例えば倉下貞則のノート七つ技法みたいな紹介の仕方もあるとは思うんですけども、
今回そういう形を取らずに、こういう技法の体系化、弱めの体系化みたいな形で提示していると。
で、なぜそんなことをしたかというと、結局ノート術をそれぞれの人が自分なりに作っていってほしいなというのが願いとしてありまして。
究極的に言うと、それぞれの人のノート術って違うんですよね、当然のように。
例えば、かつて流行ったGTTと言われるメソッドでも、GTTを実践している人を10人集めたら、やっぱりそれぞれ微妙というか結構違うんですね、上手くいく形っていうのは。
で、誰にインタビューしても全く同じことをやっていない。上手くいってる人が10人いたら10人といろんな方法論があるはずなのに、
既存のノウハウ書はあまりそういうニーズに対応していないなということで、じゃあどうやったらそういうニーズに対応できるかなって考えたときに、
ノート術の個別化
こういう技法の紹介の仕方があるんではないかと思って、実験的というとちょっとあれですけど、こういうのどうですかという感じで書いてみたということですね。
あのね、俺の本を読んだ印象で言うとね、全然始まらんな。チャプター2になってもまだ始まらんな。チャプター3になってもまだ始まらんな。チャプター4になってやっと始まったなっていう感じだった。
だからそれぐらい基礎的な話が大半を占めているというところかな。
同時に思ったのが、ノートの使い方をまさに体系化して教えられていないというか、言語化せずにできる技術だと思われているような感じがする。
それを言語化してないのになぜか私たちは使えるものだとしていて、それは人間の優れたところではあるんだけれども、それでは困る人というのはいるはずだし、意外と義務教育が取りこぼしている分野なのではないかなっていう感じはしますね。
そうですね。義務教育っていうのは現状、例えば人口が多かった時代の義務教育っていうのは基本的に一人の教師が30人とか40人を教えるという形になって、どうしても画一的な情報の伝達にとどまらざるを得ないわけで、それはそれでもちろん役立つことはあるんですけど、
例えばタスク管理でも知的生産の技術でもなんでもいいんですけど、それぞれの人が違う成果物を出すっていうことが求められる時代があったときに、AさんとBさんとCさんが同じ方法で果たしていいのかという疑問があるわけですね、僕の中には。
で、例えば文章を書きの知り合いが何人かいますけど、仕事の仕方ってみんなバラバラなんですよね、本当に。メモの取り方一つ取っても違うし、文章をアウトラインの立て方とか文章の書き方も違う。それぞれの人が自分の知的活動がしやすいやり方に応じて知的成果物を作る。それぞれによって違う成果物ができる。
だからAさんとBさんが仮に同じものしか作れなかったら、どっちかの仕事だけで良くなってしまうわけですね。だから、知的成果物においては他の人と違うことをしなければならないわけですね、これは。
【佐藤】真逆のことをしなきゃいけない。 【とし】そうそうそう。違う方法論を持たなければいけない。少なくとも同じ方法論やったら、同じ生活が出やすいだろうという推測を取った時に、それぞれの人の個性とか知識の偏りっていうのを生かすための方法もやっぱりそれぞれ違う必要があるのではないかと考えた時に、
じゃあどうやったらそれぞれの人にフィットした方法論を組み立てられるかっていうと、最高の形はもしかしたらAIがあなたに適した方法論はこれですみたいなのを提案してくれたらいいですけど、現状はそれはできないんで、結局自分で作るしかないんですね。方法を自分で作るしかない。でも僕らの義務教育では方法を自分で作るってことを多分ほとんど教えてもらわない。
まあ与えられたことを、教育批判になってしまうんだけど、そもそもの現代の教育が工場労働者を作るための教育だったと言われていますからね。
実際はそれにしかし側面はありますし、ツイッターとかでもたまに見かけますけど、書き算の順番を逆にしたら罰にされるみたいなやつって、あれも方法論から考えたら理不尽な話ですよね、結局。答えそのものがあってても、採点する人の判断基準のやり方を押し付けられるわけじゃないですか。それを異を唱える権利を生徒は持たないわけですよね、義務教育の中で言うと。
でもそのやり方では、唯一の正しいやり方があって、生徒はそのやり方そのものを身につけて、期待される均一な答えを出すっていうことを、ある種の習慣というよりもっと深いレベルで、価値観としてそれを身につけてしまう。そういう状況で、例えば知的生産の現場に飛び込むと、多分すごく困ることになると思うんですよ。
そうなると行き着く先は、ブログとかでSEOを稼ぐためのテンプレーを使うみたいなことになっちゃうわけですね、基本的には。その成功される方法をいかに身につけるかっていうことになってしまうわけで。
これは結局、知的生産の現場だけじゃなくて、さっき言ったタスク管理でもそうなんですけど。究極的に言うと、例えばGTDもバレットジャンナルも、ある個人が自分が一番上手くいくために開発した方法なわけじゃないですか。それはもうドアが開いたところで。
で、そういう人に向いた方法が自分に向いてるっていう保証は、絶対100ではなくて、ゼロではなくてその間ぐらいなんですけど。その人と自分の性質が近ければ使える可能性も高いですけど、性質が違っていれば使える可能性も低いっていう。これ言われてみるとごく当たり前なんですけど。
例えば、デビッド・アレンとかの本を読んでると、いかにもこれは自分に使えるぞっていう気がするわけですね。それに説得されて、その方法をやってみるのはいいんですけど、結局うまくいかなくて、そもそもタスク管理みたいなのを全てやめてしまうっていう挫折が起こりやすい形なんですけど。
僕がこの本というか、僕の活動全体を通して言いたいのは、その方法が上にあって、自分がその下に入る、属する、階にいる、学ぶ、学習する、なんでもいいですけど、の主脚を逆転させたいと。まずあなたがいますよねと。で、あなたにとって使える方法って何ですかっていう視点をとってほしいなという。
そのために、私が考える最高のノート術を教えますよじゃなくて、ノート術を構成する部品はこんだけありますよと。で、サンプルみたいなのもこんだけありますよと。じゃああなたはどういう方法を作るんですかっていうスタンスでノウハウを提供したかったし、これからもしたいと思っている。だからその意味でノート術、これまで出てきたノート術の本と、根本的な部分でスタンスが多分違う本ですね、この本は。
そうですね。タイトルを見ると、そうやって言われてタイトルを見ると、ノート術とは書いていなくて、ノートの作り方って書いてあるってことですよね。
これタイトルも揉めたっていうか、ノート術でつけた方がわかりやすいのはわかりやすい?受け取れ、どんな本かが伝わりやすいかなって話になったんですけど、ノート術じゃないよなということになって、この形になったというところで。
タイトルを思考を耕すノートの作り方なんですけど、その思考を耕すためのノートの作り方っていう取り方もできますし、これ僕が思うんですけど、ノートの作り方っていう皆さんが持っている既成概念を一回ひっくり返してみましょうという考え方を転換するという意味もちょっと込められてますね。
ダブルミーニング。どっちとも取れるタイトルの付け方ですよね。
っていう感じやな。だから皆さんが頭に描いているノートの使い方っていうのは、学校の版書みたいにもしかしたら規定されてるかもしれないけど、実はもっと自由な使い方があるんだよっていうノウハウの見方を変えることで、実はノートだけじゃなくて、いろんなノウハウも実は同じように転換できる。
自分ご主体としてその下にノウハウを位置づけていけるようになるっていうことが、著者としての願いで。
ノート術の考察
やっぱり部品ごとに紹介するっていう、これ体系化。だから体系化と言われても体系化なんですけど、こういうのをカスタマイズするとか、自分の方法を作れてる人ってどんな人かなって思った時に、やっぱり目がいい人なんですよね。あるいは概念の解像度が高い人。
部品で捉えられるから、部品を入れ替えたり組み替えたりできるんですね。で、大雑把に漠然としか捉えられない場合って、その中身が組み替えられないんですね。もう、だから採用するか採用しないかになってしまうっていう。
で、たぶんイラストが得意な人とかでも、絵を見た時に細かい部分を部品として捉えられてると思うんですよね。それはたぶんね、ノウハウとか概念でも同じことが言えて。
ゴリラさんがおっしゃられる、アトミックに描くとか、アトミックに捉えるっていうのも、やっぱり部品化と一緒な感じがするんですよ。細かくするからこそ組み替えられるっていう。
アイディアとか想像も、既存のものの組み替えっていう言い方をよくしますけど、既存のものの捉え方が大雑把やと組み替えられる可能性も減りますが、細かく捉えれば捉えるほど、より細かいチューニングアップが出ていく。
だから、そのホニャラノート術っていう大まかな捉え方をするよりは、そのノート術がこういう要素の組み合わせでできてるっていう風に捉えたら、自分なりの方法を作っていけるんではないかと。
だから結構ね、この手の描き方を、僕はノウハウ上のこの手の描き方をしてほしいなぁと常々思ってて。
で、これって例えば、プログラミング入門みたいな本があるとしたら、すごい細かいレベルの話を積み重ねるわけじゃないですか。
プログラミング入門って言われてくるミルトなんですけど、こういう本の書き方ですよね。
で、僕の場合は、ノウハウは自分で作るものだと思うから、そのための技法っていうのは、つまりこういう形で書かれているべきだなと、そう思っているわけですね。
うーん、あれかな、やっぱ知ってるつもりの人が多いから、こういう本がないのかな、ノートの書き方という言葉に関しては。
いや、でも逆に、さっき言ったように、答えを与えてもらえる人、与えてもらいたいという人が取ったら、この本は多分めんどくさいだけでしょうね。
だから、ニーズを想定したら、そういうノート術、成功ノート術っていう形になりやすいんじゃないですか。
うーん、それはそうだと思います。そっちの方が多くの人が手に取ると思う。
だからでも、そのニーズを一旦無視して、本当に必要なことはこういうことじゃないですかと言った本というところですね。
うーん、まあね、ノートの種類からサイズから、過剰書きの3要素とか、タイムスタンプをつけましょうとか、つけましょうではないね、重要性。
つけられるとか、つけることによるどんな効果があるかっていうことなんですけど。でも例えば、タイムスタンプをつけるっていうのも、多分このメモ術やってる人にとってはほとんど当たり前というか、もう反射のように書くと思うんですけど。
でも、例えば学校のノートをしか取ってない人ってね、タイムスタンプってあんまりないと思うんですよね。
一応ね、見てて思うのはね、連絡帳にはタイムスタンプがあります。
ああ、なるほどなるほど。日記とか連絡帳の日付が重要なものにはつけるか。
国語のノートにタイムスタンプがおそらく重要じゃないということは確かに想像はできる。
うん。反射ノートは別にそれでいいんやけど、僕らがつける日常的なノートは何かしタイムスタンプつけた方がいいし、
例えば僕らがよくやってるデイリーノートとかは、タイムスタンプの中に書いていくような行為であって、結局いろんなところにタイムスタンプあるし、デジタルノートやったら自分でつけんでも、だいたいバックでもタイムスタンプがついてるんで。
あと、どのような役割を持たせられるかってことを知っておくと、ノートの書き方も幅が広がるだろうなとは思いますね。
そうですね。内容についてここまで全然触れてなかったんで、簡単に紹介すると、そういうことが書いてある本なんですよね。
そうね。そういうことが書いてあって、これ口頭で説明しても多分そんなに面白くないというか。
ノートで言うと、ノートの形態とか用紙の種類があったりとか、サイズの話があったりとか。
ノートの書き方について
で、タイムスタンプとあとナンバリングとか、どういう記法で書くっていうのがパート2の主要な部分で。
これもほんまに義務教育で言うと、ノート術小学1年生みたいな話が大半で。
で、パート3は実際に講義のノートとか日記とかタスクリストとかって、本当にこれも書き留めるものの全般についてのベーシックな書き方。
ひな形と呼べる書き方を提示して、あとは第2章で紹介した技法の数々をそこの例えば読書のメモとかに加えることでアレンジカスタマイズしていけますよという話をしている本ですね。
これも見て思うのが、やっぱ言われてみないとここまでノートの解像度が上がらんというのはあるような気がして、ノートっていう雑な言葉を使ってしまうと書くに近いような大雑把な意味っていうのがある。
それを、もちろんはみ出るものはあることを踏まえた上で、こういうことを書くという分類ができる。それが20何個ある?
20何個に分けられるだけでも、人によっては思考の概念の次元が変わりそうな感じがする。ノートをどう使うか。
解像度が上がって使用方が変わるし、組み替えもおそらくしやすくなるから、そこから発想が広がっていくだろうなと。
だからノート、パターン、パターンランゲージみたいなもんか。ノーティングパターンランゲージみたいなものを提示している本で。
メモの魔力的な爆発的なヒットはおそらくしないでしょうけど、ノート術というのは真剣に考えていくによったら、結構有用な方になってるんじゃないかなと個人的に思いますけど。
最近はね、俺も今年に入ってからかな、去年からかな、ちょっと紙に書いたりとか、いろいろなことを考えるようになって。
これきっかけかどうかわかんないんですけど、最近自分で気づいたことは、例えばなんですけど、どうもルーズリーフとか好きじゃないっぽいんですよ。
そうなんや。トジノートの方が好きなの? そう、どうやら。
なんか印象、デジタル派の人はどっちかっていうとルーズリーフ的なものが好きっていう印象があるけど。
いろいろと自分なりの原因を考えて、今のところの仮説で言うと、バラバラになるのが嫌で、一個に束ね解ける。
自分がね、なんかどうやらデジタルが好きな要素の一つに、クラウドに近いんだけど、どこでも全部見れるっていうニュアンスがあるんですよ。
ルーズリーフ的なものは、どこでも全部見れる状態にするために手間がかかるというのがどうも嫌っぽくて。
確かに。一冊ノートに書けときゃ、とりあえずそのノートのどっかにあるとは言えるわけ。
そこで、手に持った漢字っていうのかな。一枚の紙だと今度次を用意しないといけないとか。
確かに。
一冊のノートずっと10ページぐらいは次のやつがあるとか、そういう感覚の違いなのかなっていうので、自分がね、高校生の頃から全然ノート取らなくなってしまったんですよ。
で、なんでかっていうと、それもやっぱルーズリーフを使い始めたからではないか。
おー、なるほどね。
それが、面倒くさいのに面倒くさいを勘違いしていて、いろんなことを。結局うまく書かなくなってしまった。
なるほど。
という仮説もあったりして、そういうことを最近よく考えるようになりました。そういえば。
なるほど。
ノートの寿命と進化
で、たぶんこの本の中にも書いたけど、やっぱりちょっと面倒くさい漢字とか、書いたときの心地よさとかっていう、自分の身体感覚が案外重要で。
というか案外っていうか、実は道具は全般的にこれが重要なんですけど、ノウハウは本であんまり書かれないんですよね、これが不思議と。
文房具を愛する人になるんですよね、そのジャンルはやっぱ。
でも実際、実用的なレベルで、そのペンがヌルヌル書くのかカリカリ書くのかで、やっぱ違うんですね。
そこはね、ちゃんと言っときたいし、しかもこのカリカリが正解っていうわけじゃなくて、カリカリが好ましい人とか、カリカリが好ましい場面みたいなのがあって、
やっぱり、ノウハウ理想主義というよりは、ノウハウ実用主義。正解の、唯一のノウハウを提示するというよりは、その時々で役立つノウハウを適材適所で使っていくという考え方が、ノート術に限らず重要なんではないかなとは思ってますね。
ブリコラージュノーティング?
いやでも、ノウハウって全部ブリコラージュじゃないかなとすら思いますけど。
まあ、でもそのためにはやっぱベースとなる知識が必要になる。
もちろんそれは必要で、そのブリコラージュ組み替え先の知識もたくさんあった方がいい。そういう引き出しが多ければ多いほど、その1回にしか使わないノートの書き方とかっていうのを即興的に作っていけるし、また書いていけるようになるんではないかっていう。
だから即興的って今言いましたけど、ノート術って完成しないんですよね、結局。なぜなら自分が変わるから。
自分の興味とか書きたいこととかが変わっていくので、1つのノート術を見つけたから、それで一生安泰っていうかずっと使っていきますってことはなくて、やっぱりその時々ブレたりとか、時々すごい大きい変化をしたりするっていうのがあって、
変わっていくっていうことに対応するためにも、やっぱりノート術の知識っていうのが必要で、例えば本当にたまたま誰かが教えてくれたノウハウがうまくピタッとハマったとしても、自分が変化したそのハマり具合から抜けていくわけですね、ずれていくわけですね。
このズレを修正するためにはやっぱりそのノウハウ側の知識を持ってないと合わせられないので、だから数年とか10年単位でそのノウハウを付け合う場合にやっぱりベースとなる、ほとんど当たり前と呼ばれる知識をきちんと抑えておくことっていうのは
長期的な運用においてはたぶん欠かせないんじゃないかなとは思いますね。
そうなんすよね、そのデジタルノートの難しいところはそこにかなりあるんじゃないかと思っていて。
確かに。
紙のノートはやっぱ一冊か、せいぜいすごい分厚くて200ページ、300ページぐらいしかなくて。
そうですね。
デジタルノートは長ければ、今で長い人だともう3、40年ぐらい使い続けている人がいるかもしれない。
でしょうね。
となると、それをどう使いやすいようにするのか。
っていう問題はありましてね、最近ノウハウは変化していくよっていうことを自分の中で整理したら、ノウハウは進化するんだなと。
進歩じゃなくて進化論の進化ですね。
自分の環境に合わせてノウハウも変化していく。
その時の自分に合わせて最適化していくってことを考えた場合に、寿命の長さと進化のサイクルの速度っていうのは反比例するじゃないですか。
寿命が長いほど進化のサイクルは遅くなりますよね。
生物全体で考えた時のね。
ノートってさっきも言ったように薄かったら30枚で、長かったら100枚ぐらいですけど、ある程度使い切るわけですね。
1ヶ月2ヶ月で無くなる人は無くなります。
そうするとノートの書き方がそのタイミングでブラッシュアップされる可能性があるわけね、ノートの場合は。
例えばこれがデータベースだったらどうかっていう話。
データベースはそのタイミングは基本的にないんですよね、そのツールに飽きるっていうこと以外。
そのクエリのキーを変えてしまうと大変なことになってしまいますからね。
例えば今まで使ってた軸とは違う軸で整理したいなみたいな時にものすごい大確変が必要なんですけど
ノートの場合は過去の情報は使えなくなってもいいけど、また新しく書き始めようがせざるを得ないんですけど
デジタルの場合は研ぎ入れないので
同じ手法でずっと使い続けていく。
これは安定は安定なんですけど
自分の興味とかが変わった時になんかずっと使いにくいなみたいなのが続いていく。
デジタルツールの問題点
だいたいデジタルツールでも最初に盛り上がって
最初にテンプレートとかデータベース作るじゃないですか。
その時の自分に一番最適なものにするんですよ。
急にいらなくなるんですよね。
そうやって作り込んだ大半がいらないようになるんですよね。
こういうのがデジタルツールの場合は起こりやすいなと思いますね。
たぶん紙のノートでも同じことを考えているんだけど
だんだんやらなくなるとか
仮に読んだ本の日付と著者名と出版社と発売年とISBN番号みたいなやつとかって
最初はやろうと思うんだけど
だんだん著者だけでいいかとかってなってくる。
それでさっき言った理想主義じゃなくて実用主義で言うと
それでノートが続いているんだったらそれでいいわけじゃないですか。
本のタイトルと著者があったら現代はもうグーグルすれば
初心者版出てくるわけですから
ある種キーが残っていればいいっていう割り切りもあるし
それでいいはずなのに
使っていくうちに要素が削ぎ落とされていくっていうのが
さっき言った進化ですよね。
適用しているわけですよ。
自分のかける手間と得られる功用のちょうどいいところに
落とし込んでるわけですよきっと。
いらん機能を捨てていって。
デジタルの場合は最初に作ったものがずっと繰り返されるし
項目を減らすのって失敗したというか負けた気になるというか
あんまりしようと思わない。
増やしたものを減らそうとはなかなか思わない。
だからノウハウの淘汰が起こりにくいのが
デジタルツールが抱えている一つの問題ではないかなとは思いますね。
ノート術の進化
自然消滅線から多様性じゃないんだけど
本来この環境に生き延びてほしくないものまで生き延びてしまう。
そういうことが起きやすい。
僕そういう情報が必要でないので残ってるっていうのを
ゾンビって言い方しますけど
デジタルツールはゾンビ情報をよく発生させてしまう気がしますね。
そのための対策として例えば今だとフォルダとかタグをやめようという
オブシディアンを使いながら言ってるのとかは
割と10年使うために重要なことだとは思ってるんですけど
間違いない。
それだけではない大きなマインドの変化が必要ですからね。
一番主な3年後の自分は
今の自分とは違う形で情報を発信するのではないかっていう観点が必要で
ある固定的な方法をずっと使い続けることが
まず変化させていきたいし
変化させられる。困ったことがあったら変えられるっていう
知的な体力というか基礎知識みたいなのは
必要ではないかなと思いますね。
今ちょっと思ったんですけど例えば誰かに
高校に入学した時と高校を卒業した時の自分を
考えてみてくださいって言えば多少伝わるのかな
それは確かにいろんなこと変わるよねっていう
それも記録を残してる人はおそらく
それ印象あるけど記録を残してない人は
全部一緒だったような感じを受けるんじゃないかな
記録を残してない人に3年でいかに人が変わるかというのを
いかにして伝えられる物語が出せるのか
これはその人は本当に変わってないっていう
感じで生きてあると思うよおそらくは
変化してる主体が変化してるから
地球の上に乗ってると地球が動いてるのを感じられへんっていうのも一緒で
変化する主体と途切れる物が記録やから
記録との意識と差で
自分の変化が感じられるから記録を取ってないとそこまで変わるって言われても
ノウハウの作り方
あーって頷くかもしれへんけど
そうか実感にならんのか
ある程度説明してルール化しておく方が無難かな
自分が例えば小学校から中学校
中学校から高校高校から大学って
世界は変わって広がっているという実感はあるんですけど
それはノート術じゃないもんな確かに世界が変わったでしかないもんな
自分というより環境だもんな確かに
世界とはこういうものだとか自分はこうやって変化していくものだっていう
前提の上で作られるノウハウないしノート術っていうのとそうじゃない環境
世界観で作られるノート術とやっぱ違うんじゃないかなと思う
そうか難しいなそれではやっぱ伝わんないですねどういう
風だと変わるって分かるんかなっていう
例えばやけど残してるかどうか分からないですけどゴリゴさんの
オブシリアンの作ったばっかりのフォルダ構造が
スナップショットで出てきたらこんな風に変わるんですよ
っていうのはある種説得的に提示はできると思うけど
やっぱりイメージとして
あるデジタルノートフニャララでも提示された
テンプレートとか一番上位概念が
永久にその人その形で使ってるような感じを受けるんだよね
実際でも例えばやけど
バレットダーナルを開発した人の本を読んでると
この形に至るまでいろんなやり方を試してきたと
いろんなモジュールも試しに作って
生き残ったのがこれだと今提示してるこの形だって言ったら
つまりそこに進化ポーターが起きてるものが起きた結果としての
方法論がそこにあるわけですねだから逆に言うと
こっから変わっていくのも全然あり得るわけじゃないですかだって矢印が伸びてそこにいてるんやから
そこからまた矢印伸びてまた変化するってことが考えられてるんですねだから
静的じゃなくて動的なものなはずなんですねノウハウの構築っていうのはさっき言ったように
でも本でスナップショットで見せられるとあたかもそれがもうパーフェクトな
到達点でありそれ以外の変化はないんだっていう感じは受けますけど
その感覚をどうかき乱していくのかがたぶんね
生きたノウハウを作るためには重要じゃないかなと思いますね
そうだな変わることを前提にして
だからやっぱり自分で作るっていうことだと思いますよ全ては
与えられたものをいかに精密に習得するかじゃなくて
自分で自分のノウハウを作るっていうことが
当たり前になれば変わっていける
例えば僕今この机ってDIYしてるんですよ
DIYしてるっていうかニコの棚に
天板かけてるだけなんですよ
簡単に言うと三段ボックスが二つ並んでて隙間開けて
並んでてそこに天板をパッて乗せたら机になるみたいな感じ
こういうのから例えばなんか困ったことがあったら
すぐ自分で作り変えますし
このマイク今使ってるマイクは天板の上にちょっと
棚板挿してそこの方にクイップしてるんですけど
自分で作ったものやから自分でいくらでも変えられるわけですね
方法を作るとか何かを作るっていうことは必然的に何かを
変えていくことが内包されている気がするんですよねでも
与えられたノウハウをただ習得する場合はむしろその変化することが
阻害されているというかむしろ抑制されている気がするんで
一番のマインドセットは受け取るから作るへの変化
っていうとこじゃないかなとは思いますが
与えられたものを変えるのは面倒になるし自分で構造とか
理解が浅いってことなのかなただ与えられるだけでは
ただ与えられる以上にそれが正解だと思う
っていう感じが多分そこに付随して与えられたものが
正解であるとそこからの逸脱が失敗なしは
間違いであるという感覚がおそらくあって
これは第一回のナレッジスタックポッドキャスト
っていうのを聞いてた時に思ったんですけど
本邦に使っている上澄先生が
本当はこうした方がいいんじゃないですけどねって言われた
いいと思うけどって言ってますね本当はこうするべきだと思うんですけど
本当の理想っていう理想主義みたいなのが背景にあるんですよね
上澄先生ぐらい自由に使ってる方ですらそういうのがあるんですよ
でもそこじゃない人やったらまさに
そこから抜け出せないその理想から抜け出せないし
そういうことはやっぱり間違ってるんだ自分は劣ったことをしてるんだっていう感じになるやつ
こうなってるとやっぱり改造とかアレンジはしにくいはずなので
そこを根源的にノウハウを自分なりに作っていくことが
当たり前の世界になってくれたらいいなという
思いが僕の中にありますね
本当はこっちの方がいい機能がたくさん付いていると
本当は全部使った方がいい気がするとか
そういう機能がいろいろ付くのは資本主義的な
マジックもあると思うんですけど
全体的に現代が答えを与えよう与えようとしてくれる
親切さがある代わりに僕らが自分で何かを作ることが
抑制されてしまっているところがあって
現実的に何かものを作るのは結構難しいですが
ノウハウを作るって概念上の話で
全体的なことなので簡単とは言いませんけど
取り組みやすいことかなおそらくは
そこは性質によるような気がするな
身体で理解しやすいというものはあるので机を作るとか
例えばで言うと
何ならそっちの方が多いんじゃないかなと思うんですけど
分かりやすいのはもしかしたら
取り組むときのコストが高いということかな
デジタルは試行錯誤のコストが低い
アナログノートの使い方も300円くらいが失敗に終わるかもしれないけど
そう心理的な負荷は高くないので
だからタスク管理ツールでもノートツールでも
ノートでも何でもいいんだけどそういうのってやっぱりオリジナルの方法を
スタートさせやすい場所
つまりサンドボックス的なものになるんじゃないかなとはちょっと思いますね
ノートなんてある意味究極のサンドボックスですからね
そう思って使っている人とそうじゃない人の差って結構大きいと思うんだよね
そうか
そう思って使っているか
最近で言うと忘れていたというか
神社の委員を経験して会計の仕事をして
一つ参考になった物事として
領収書をノートに貼るっていう
クッソ効率悪いという言い方できるじゃないですか
そんなの袋に入れといてスキャンしてデジタルデータになればいいっていう
ただやってみると意外と悪くない
悪くないよね分かりますよ
さらに言うとやっぱり現在の時代においてという限定付きで
誰でもできる方法だとするとやっぱりこれしかないし
100年続けるためには多分
この方法の方がいい
同時に貼ることの身体的な謎の良さみたいな
行為があることに気が付いて去年
貰った紙を貼るノートっていうのを作ることを思いついたんですよね
なるほど
例えばで言うと特に昔の自分の感覚から言ったら
紙のノートの書けるものにただ貼るのってまずお金の無駄だという概念があったんですよ
ノート代もったいないやんっていう
斬新やな僕そういうのはあんまり感じない
もちろんその感覚がゼロになったわけではないんだけれども
そこからやっぱり得られるものがあるんだから
書けるものに貼るというだけのノートにも
意味があるんだなって考えを変えることができた
それはねでも身体でやってみないとわからんかった気がするんですよ
身体値は全てそうでしょうね人間の脳はおそらく
情報を聞いた時にこうだろうっていうシミュレーションを立てるわけですが身体値が
追いついてないもののそのこうだろうは大体間違ってるという解像度が低い
ことになりがちですよねだからノウハウについても
ノウハウの付き合い方
一緒で例えばノウハウを全然知らん状況と
知ってる状況だったら知ってる状況の方が情報的にはプラスですけど
知ってるだけの情報と一回やってみた時の情報ってやっぱ
二段階よりは違うんですよねだからノウハウを
見かけたらダメ元で一回やってみるっていう何やろうな
指針というかは結構優位だと思いますね
どこを基準にやってみるって言って聞いたもの全て100%
試せないからそこはもちろん難しいんだけど
ある程度信頼できそうな自分が共感できそうなものだったら
疑問に思ったとしても疑問に思うぐらいってことは試していいのかもしれない
疑問に思ったらむしろ試すべきって感じだよねきっと
あの人なんでこんなことやってるんだろうと思ったらそこをバカにする方向じゃなくて
虚心に戻って一回やってみると
ああこういうことだったってこういうことだったは
身体化されてるから言語化されてない感覚やからやっていないと
やっぱりわからないってことがあるでしょうねこれは
言われてみたら領収書を貼るみたいなノートに何かを貼ることって
俺多分ね生きてきてまだまともに経験してないんですよ
だって義務教育ではほとんどそんなことせえへんから
義務教育はやらんか図工とか自由研究とかそういう方向になるのか
テープを使うのはそういうことプリントはプリントとして配られるし
ノートはノートとして版書として書きなさいやから
コンビニで働いてた時にその時代は
スタッフ一人一人がタブレットを持つとかなかったから本部からの情報が
中央のコンピューターに送られてきてそれをプリントアウトするんですよね
どうするかって言ったらノートに貼るしかない
っていうことでその仕事の現場ではよく貼ってたね
ノートに紙をやっぱねそうなんですよね意外と
身体的な活動が多い場面においてやっぱコンピューターでは
間に合わん場面は大いにあって多分コンビニって今でも
そのノートのほうが役に立つんじゃないかなって思うんですよね
やっぱりカウンターの後ろとかを除くと
従業員ノートが置いてあることはよくあるねやっぱり
引き継ぎとかもなんだらそっちのほうがよかったりとか
その辺りはね頭で考え始めたことが
身体値とちょっと一致したっていうのが2023年の
出来事だったかもしれない
僕は結構デジタルユーザーですし入力の
大半はテキストになってますけどやっぱりでも手書きノートは
欠かせないですし去年から読書日記を手書きプラス
万年筆で書くようになってやっぱりそれは
身体値だけじゃなくて概念値そのものの構築も
やっぱそれで変わってきてるなという感じはありますね
何がやっぱ違うんだろうなって言ったら
無数にあるか
時間がかかることと
書き方の自由度がやっぱ大きいところがあるんじゃないですかねきっと
それねそうナレッジスタックに
最近純先生が投稿してくれた有料記事のやつなんですけど
遅いことがいいって言ってたっていうのは
結構衝撃的でそんな風に
まず思ったことないなっていう気がして
なるほど
遅くなることがいいんだって自分の場合今でも
例えばで言うと考えることを紙に書く場合
紙というか書き出したい場合
早いほうが圧倒的に良いんですよね
純先生が言っていた遅いから思考が途切れなくて
ずっと書けるって言っててそういうことを
いいことだと感じるんだっていうのが新鮮だった
あとね僕も思ってることを
バーッと書き出すときは結構早いほうがいいけど
読んだ本について考えて何かを書くっていうときは
むしろゆっくり書けたほうが良くてだから
万年筆にしてるんですけどゆっくり
書くと字は比較的丁寧になるんですね
大抵の人はそうなるはずですよね理論的には
読み返すのも快適になりますね走り書きすると
書いてるときは快適やけど読み返すのがひどく苦痛になるわけですね
だから思考を吐き出すときっていうのは
すっきり感を得ることが第一目標やからもう読み返すことは
2の次3の次なわけですねそれはそれでいいんだけど読書について
考えたことっていうのは若干読み返す機会があったほうが良くて
そのためにはゆっくり考えることとゆっくり字を書くことが
セットになって効能を発揮するっていうことを
何年ぶりかに読書ノートを手書きして再発見しましたね
僕もずっとデジタルで取ってたんで
読書メモを手書きのノートiPadですけど
テキスト入力じゃなくて手で書くようになったのとかは
それにちょっと近い感覚は確かにあるのかもしれない
僕もiPadで手書きはちょいちょいやってたんですけど
ノートに手書きとなってまたちょっとギアが違うんだな
これが不思議なことに
そこはまだやったことないなわからんというか
試してみるんだけど今のところ良いではなかったな
画面は当然得手不得手とか特徴があってどうこうなくて
しかも例えば今こう言ってるけど半年後ぐらいに2人言ってることが逆転してる
それはもちろんありえる
やっぱりそういう感じ少なくとも僕とかゴルゴさんとか
その他周りの人ってやっぱりその方法を固定的に考えてないところがあって
それやっぱり自分が知らない間に変化していくっていう
前提みたいなのがあるからやっぱり方法も可動域の
多いように設計するっていう形になってて
それぞれの人が自分なりに
方法論作ってでもその方法論も変えていいっていう
ある種リビジョン的なあり方決めるけど変えていいっていう
あり方とともにノウハウと付き合っていけば
もうちょっとハッピーな感じ少なくともそのノウハウに苦しめられるみたいな
その妙な逆転現象は起こらないんじゃないかな
とは思いますけど
あれですよねエヴァノートでノートブックをたくさん作りすぎて
結局移動するのがめんどくさくなって
インボックスにしかなくって初めからインボックス1個あっただけで
良かったんじゃないかっていう
例えばなんとかさんが7つのノートブック作ってるから
その通りに作りましたみたいなんでそういう結果になりやすくて
やっぱり僕は思うんだけどやっぱりプロセス
過程っていうのをノウハウ作りに入れた方が良くて
きっとやけどまずインボックスだけから始める
何も作らずにインボックスから始めていよいよこれはちょっとノートブック
情報の摂取方法
分けないとまずいよとなったら初めて分けるぐらいのことをしないと
うまくフィットする形が見つからないんじゃないかなと思いますね
真似を否定でもないし真似も
真似に良いところはあるんだけれども
どこを真似するかというのも難しいところでもあるのか
これもだから7つ作って後から変えてもいいよ
っていうスタンスはもちろんありなんですけど
変えるのが多分めんどくさいと思うんですよね
減らすのが難しいのかな人間の心理的な傾向によって
だから0数少ないところから始めて
増やす方が増えにくくなるんじゃないかなと思うけど
それは多分
効率的な知識の獲得
多くの人に当てはまる感覚だと思いますね
そっちの方が減らす
できるだけ分けない困るまで分けない
困るまで分けないっていう指針の方が長期的に安定した運用になる気がするね
混乱が多分減る
7つのノートブック与えられたら
自分の中で認知的分類がまだできてない状態でフレームだけがあるということだから
結局どこに何が入ってるか分からない状況になるよね
困ったら分けるっていう時は自分の中で
これはここに入れるぞっていう機運が確立されてるから
混乱しにくい気がするね
自分もそういうのが好きでこういうルールを作ろうみたいな感じで
こうしたら楽しい気がするっていう感覚でやってたんだけど
今確かにないんですよね
そういう盛り上がり方っていうのかな
最低限のフォルダだけでやってる
フォルダの数だけで言ったら
あんまり少ないとは言えなくて
画像を入れている場所 デイリーノートを入れている場所
その他の中にもう何個かあったりするんで
あんまり言えたもんではないんだけど
でも筋で言うと1.2.3.4個ぐらいかな
全然少ないね
10とか20いくのがよくある話だから
言ったら4個
まず情報がさっき溜まって
溜まった情報を分類するために必要に応じて作られてきたってことでしょきっと
いろんな歴史があって結構難しいんですけど
その歴史が記述されないんだよねノウハウにおいては
そこが一番もったいないと思う
整理一言では言い切れない感じがする
新しくノウハウを覚える人もそのヒステリーを違う形で絶対たどるはずなんだよ
一直線でゴールに行くなんてことは絶対なくて
ノウハウがあるからこそその人のフィットしたものができるっていう
ストーリーとして語られた方がいいと思う
そのノウハウっていうのは
ほとんど消え去ったけどスクラップボックスのデータをインポートしてるんですよね
変換して
ほとんどなくなったけどその名残みたいなものがあるっていうのかな
過去のブログをインポートしてきたからその名残があるとか
それでその一言で整理しきれないものがある
それぞれの人には歴史があるということで
僕らは時間間隔っていうのはノウハウにおいても
失っているところはあって
知的生産の技術とか知的生活の方法みたいな新書を読むと
ヒストリーとともに語られてるわけですねその人がどう歩んできたか
あの人が困って作ったですよねカードを
ノウハウだけが欲しい人にとったら余計な情報やけど
やっぱりそれでは足りなくて個人
パーソナルヒストリーとセットで語られてこそやっぱりそのノウハウ
ノウハウについての理解というよりは人がノウハウとどう付き合っていくのか
ってことの理解が深まるんじゃないかなと思って
帰ってくるのが効率的だと思われることがやはり効率的ではない
っていうところにたどり着くんじゃないかなと思って
その余計な情報とともに摂取した方が
時間がかかるように一見見えるけれども
結果的にはほとんどの場合そっちの方がうまくいく
うまくいくって言い方ももちろん
本を読んだすぐ成功しましたみたいな成功の仕方じゃなくて
そんなことはできないからね結局試行錯誤をしなあかんで
試行錯誤していいんだとか試行錯誤が必要だ
っていう認識を得られることが多分一番の成果じゃないかな
そういう本を読んで得られるものって
いらんことから得られるっていうのかな本筋ではなかったことから
得た情報みたいなものが意外と本筋に役立つというのか
やっぱ冗長になってしまうんですよね
1時間の絞りに絞った
厳選した内容を10分で聞いたけれども
それをきちんと理解しようと思ったらやっぱり2時間必要で
だから2時間かけて無駄だと思われるゆっくりなペースで聞いた方が
結果的にちゃんと残るのではないかって感じかな
やっぱり人が情報をどう摂取するかって言うとコンテキストとともに摂取するわけで
ノウハウパンって示されてもコンテキストそのものがないわけで
その知識としてその表面を通り過ぎていくけど
ノウハウの価値と効率的な情報接種
そのノウハウが実際何なのかっていう理解までは多分それでは至れないでしょうね
去年ちょっとやって思ったのが
動画セミナーみたいなものに果たしてどのぐらい価値があるんだろうかって思って
自分が1時間でやったことって文章にしたら10分もかからずに読めるんですよね
果たしてそこに意味があるんだろうかって
ただ学ぶのが上手い人たちはそっちの方がいいみたいな感じのことを言っていて
動画の余計な情報があってニュアンスがあって細かいところがあって
そういうところの方が10分のものより結局いろんなことがわかるようになる
例えばオブシリアンのフォルダがこうなってますって情報をスクリーンショットしてみされるよりも
例えばゴルゴさんがあるページを呼び出すときにどんな操作をしているのかっていうことまで含めて示されたら
ああこういうことかってわかることって多分多いと思うんだよね
ページを探したりとか表示したりとかリンクをつけるときにどんな
ショートカットキーは見えないけど操作をしているのかっていうのがわかるのとわからないので
やっぱりその理解度の深さは全然変わってくると思いますね
そういうことなんだろうなあとちなみにキーボードショートカットっていうか何を押しているかっていうのも一緒に映すようにしてます
そういうアプリがあってそこで何をしているかもちゃんと出ることによって
まあ所詮イメージですけど多少伝わる
だからやっぱりそこまでやって始めてその使い方っていうのがおそらく伝わるでしょうし
ある人のノウハウを伝達しようと思ったらそれぐらい深いものでないとダメだし
そうでないなら僕の示したように部品だけ示してあとは作ってくださいというタイプに
してその人に任せるしかそれぐらいしかだからやっぱりその成功者のノウハウを
なんかわかりやすく提示して終わりが一番ね情報的に損してる気がするねなんとなく
うーんそのねやっぱまあだから講演会とかそういうのもあるんだろうなっていう気もするしねそういうところで
ギャベットアルバムのセミナーとか後に続く入り口としてセッティングされていると理解すれば別にいいんやけども
逆にだからそういうそこ深いところまで行かずにそういう本だけを点々と読んでても
あの分かった気持ちは増えてるけど身体的に分かったことは多分ほとんど増えてない感じがするねそういう情報接種の仕方やと
あれかな本とかっていうのはやっぱその入り口なのかなあくまでもそういうニュアンスで言うと
だからその入り口ってのもそのセミナーとか講演会につなげるっていう入り口もあるし
とりあえずやってみようと思わせるっていうその好意への入り口でもあってやっぱりその本が答えというよりは本に導かれてやってみたけど
最終的に自分に全然違う形になりましたっていうのが多分一番最高の決着点じゃないかなと思って
あの結局ね知的精査の技術っていう本の後にもいろんな知的精査の技術系の本が出てんけどみんなカードをやってみたけどダメでしたっていうのを
たくさん書いてるわけですよでもみんな例えば梅沢さんが言ったからカードを1000枚買いましたってみたいなことを告白してあるわけですね
みんな1000枚買ってね
そうやって失敗してるけどでもとりあえずやってみようと思ってカードを書くつまりその例えば一つの
マメロン文的に書くみたいな訓練をするきっかけとなったその行動を起こさせたっていうこと自体でもうノウハウ性は多分成功してると言っていいんじゃないかなと思いますね
一人でできる人はねやっぱそこでやってしまうし一人でやるのが不得意な人はそういうやっぱ余計な情報とかっていうのに価値があるんだろうし
そのあたりはやっぱそうですね去年やってみてだいぶ考えが変わったことというのかな
自分が嫌いだったんですよねそういうのを見るの
わかるよ一人でやるタイプの人間はあんまりあるやけど
でも例えば文学作品をさとか哲学書をさ読書会でみんなで読むってことをやるんやったらノウハウ書っていうのもみんなで集まっていろいろ
意見を交わしながら進めるってことも非常にありな話だと思いますね
まあできるじゃないですかね別に言ったらブックカタリストで今やっていることはそういうことでしょ
それを慣れ自作とか似たような感じであるノウハウ書を実際にやってみた人がいろんな意見を言い合うっていう場があれば良いだろうし
極端なこと言うと一時期の最高期のライフハックブログってそれをやってたと思うんだよきっと
何か本が出た時にみんな一応にやってみてあやこれやっていう情報をある場の中で共有し合ってた
それはもう今は復活できないけどもある種のクローズの場で似たことをやってみて
自分らが実践したことをシェアしていくっていうことによって深まっていくものが多分あるんじゃないかな
そうですねやってみたってやってみたというかなんとなくそういう雰囲気はあった気がするな
いろんな人が本に書いてあったことをやってみたみたいな
それぞれにカスタマイズしてっていうことをある時期
黄金のような時期はやっててそこの時代のノウハウは非常に深まってたけどある時期以降はなくなって
非常に平べったいものになってしまったからやっぱりその一つの情報
ノウハウを10人がやって情報をシェアするっていうのは非常に冗長的というか無駄な部分が多いわけですね
みんな同じこと8割ぐらい同じこと言うから
でもその差分の2割がたくさん集まることによる効能っていうのが確かにあって
効率的な情報接種ではそれがやっぱり失われてるなぁと思いますね
そうですねその効率的ではいかんっていうやっぱそういう変な言い方になるけどそういうことなんだろう
一見効率的に見えることというのか
短期的な効率は長期的な効能を損なうみたいな感じかな
そういうところで後半はノウハウ話だったんですけど
僕がノウハウっていうのはどう考えているのかっていうところを通じて
この本がこういうふうに書かれた理由を今回は紹介してみまして
この本が売れたら似たような話を例えば知的生産の技術とかでもしたいと思いますし
売れなければまた別の方法を考えようかなというところですね
売れなくてもある程度信じてやるべきというか
やれるべきことをやっていくのでいいんじゃないかという気もするし
そうやけど全く同じ手段でやったら同じことが繰り返される
失敗が繰り返されるだけだから
大きな目標は変わらなくても手を変え品を変えというかやり方を変えていく
だから本の書き方とか表現の仕方をまた別の仕方で提示することによって
それぞれ人がノウハウを自分で作るのが当たり前という認識になる道を切り開けたらいいかなと思って
ちなみになんですけど
倉下さんがこういうふうに思うようになったのっていつぐらいからとかってイメージはありますか
GDDとかが流行ってた時はあんまり考えてなかった
みんながGDDに挫折するようになってから考えるようになったね考え始めた
10年前よりはもうちょっと最近
だからなんかこれはどういうことなんだろうと思って
みんながGDDをチャレンジしてうまくいってない形になって
でそれぞれの人の話打ち合わせキャストとかそれぞれの人の話を聞くと
みんな違うやり方になってるよねと
それは当たり前やけどでもその当たり前になんかようやく気づいたっていう感じかな
うーん
そうするとあれか最近新しく生み出されてきたテーマっていうことなんですね
卵の殻が割れて中が見えてきたみたいな感じかもしれないけど
だからGDDが流行った頃やっぱり
GDDに代わる最高の仕事術を考えようみたいなのはあったのよ
ノウハウの書き方と表現の仕方
理念理想主義が破れたんじゃなくて
新しい理想としてそれを彫刻しようとしたんやけど
むしろそれが脱構築されて
そもそもそんなものはないんじゃないかというところに至りつつあるって感じかな
結局それぞれにいい方法を考えるしかなく
答えが一つになるはずがないというのは考えてみれば当然のことですからね
でも昔はなんかそのA級の最究極の解とかノウハウみたいなのがあるはずやというような
なんか思い込みというか先入観は確かにあった気がするね昔は
そこがイメージだとあれかな
やっぱらしたさんがスクラップボックスを使い始めた頃と一致するのかな
かもしれないねスクラップボックスが僕の思想をどう変えたかっていうのも
それだけで長い話ができそうやけどそういうのはあるかもしれない確かに
なんとなくそのぐらいの時期としてそのぐらいと近いような気がする
やっぱり階層構造にとらわれなくなったっていうのは
情報整理的な意味でもそうやしその概念整理的な意味でもそうなったんかもしれないねもしかしたら
ということでそういう全然本の内容に触れてない気がするけど
いやでもこれ触れてもあんまりしゃーない気がするからね
そうですねむしろ理念があった方が目次見れば内容は想像できますからね
そういう理念で書かれたっていうそういう余計な情報を持って読むことで
ただ効率よく技を摂取するだけとは違うものが分かる
ということだと思いますねきっとね
ブックカタリストの役割と意図
だからそういう思いを書いて読んだと聞けばもう1回読んでも面白くなるんじゃないかって気がしますね
そこにある意図によって込められているものをより豊かに受け取れるようにはなりそうやね
まさにブックカタリストがそういう余計なじゃないななんて言い方をしたらいいんだろう
冗長と取れることをやっているというやることの価値とか意味なのかな
まあそれで付加的なものよね
別にその本の内容を効率よく摂取するなら読むのが一番いいに決まっているし
まあそれはそろそろだから要約サイトに
要約サイトを読めばいいからね分かった気になれるので
そうではないやり方をしている理由でもあるのかなって感じですね
そうですね
はいということでブックカタリストサポーターも募集していますので
よかったら概要欄などご覧いただければ幸いです
それでは今回もお聞きいただきありがとうございました
ありがとうございます
01:04:09

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