1. うちあわせCast
  2. 第百三十六回:Tak.さんとコウ..

サマリー

今回のエピソードでは、Takさんとコウさんがゲストとして登場し、アウトラインや記事の作成について話しています。ワークフローリーの新機能やトンネルチャンネルの投稿にも触れながら、インタビュー形式で進行しています。フリーライティングの書き方やフリーライティングとアウトラインの関係についても疑問を話し合っています。アウトラインの作成や見出しの付け方について、アウトラインは文章の操作のためのものであり、読者のための見出しとは異なることを認識することが重要だという話もしています。中断せずにアウトプット量を増やすことが大切であり、途中で書けなくなった場合は次の日に新しい書きたいことに切り替えて書く必要があるとも話しています。また、記事の断片を活用してアウトラインを作成することで新しい書き方が生まれる可能性もあるとも考えています。アウトラインを使ったライティングの難しさやアウトラインを使った執筆プロセスについて話しながら、アウトラインの操作に対する勇気や未使用にする考え方についても検討しています。書き切った文章に対してのモチベーションが下がる一方で、書き切ってない文章はさらに続きを書くことができるという話もしています。アウトラインを使って文章を起こすことで、過剰書きを元に文章を補完できるということも述べています。アウトラインを活用して執筆することで全体のバランスを見ながら文章を書くことができるということも言っています。

目次

ゲスト紹介と自己紹介
スピーカー 2
うちあわせCast第百三十六回ということで、今回はまずゲストにTak.さんをお迎えしております。
もう一人特別というか、初めてのゲストかな、コウさんをお迎えしております。よろしくお願いします。
スピーカー 1
よろしくお願いします。
スピーカー 2
コウさんは多分ここで初めてなので、簡単に自己紹介をいただければと思います。
スピーカー 1
はい、さやとコウと申します。こういう場で名前を名乗るというのが初めてで、めちゃくちゃ緊張してるんですけど。
何者かという話なんですけど、至って普通の人代表というか、サラリーマンやってますと。
あとは、倉下さんのファンを長年やってまして、その流れでうちあわせCastも聞くようになって、今では倉下さんとTak.さんのファンになったというような状況です。
ありがとうございます。
そんな感じですかね。
スピーカー 2
ありがとうございます。ちなみにTak.さんもこれ、自分で名乗ると思ってなくてつけた名前なんですよね。
読み方最初わからなかったみたいなことを言ってあったような気がしますけども。
スピーカー 1
Tak.さんっていう人いますよね。
Bee'sの松本さんのイメージがある方はTak.さんになっちゃうかもしれないですけど。
そうですね、私Tak.さんと呼んでしまいます。
意外にね、実はそのほうが多数化かもしれない。
スピーカー 2
名前つけるときは、いずれ自分で名乗らなければならないことを覚悟してつけたほうがいいという話なんですけどね。
ワークフローリーの新機能
スピーカー 2
本題に入る前に、いくつかニュースがありまして、ワークフローリー絡みで2つ新機能が追加されまして、どちらもラボ機能というかベータ版の機能なんですけど、1個がプレゼンテーションモードという新しいモードが追加されまして、
僕、このモードの説明を見たときにちょっとがっかりしたんですね。
よくあるやつやと思ったんですよ。
よくあるやつが機能追加されるっていうのは、迷走のサインやと思ってたんで、しぶしぶチェックしたんですけど、普通に便利だということがわかりまして。
よくよく考えたら、アウトラインとプレゼンテーションスライドの関係性っていうのはもともと深いものですし、構造的にもその変換ができたらめっちゃ便利というのも多数あります。
そもそもスライドを作る前にアウトラインで構造を整えるっていう方も多分たくさんいらっしゃるはずで、だったらもうそのままスライドにできたほうがいいじゃないかっていうのは、機能的にすごいナチュラルというかシームレスな感じで。
これ最近の機能の中では一番アウトライナーらしい機能が追加されたかなという印象がありますね。
スピーカー 1
はい。僕もそう思います。
スピーカー 2
今はちなみにちょこちょこワークフローに触られてます?
触ってます。
このプレゼンテーションモードもお試しになりました?
スピーカー 1
試しました。
スピーカー 2
どうでしたかね?
スピーカー 1
いや、プレゼンのスライドというのはすべからくこうあるべきなんじゃないかという。
なるほど。
そうなんですよね。図が必要なときは別途図を作ってそれを見せればいいんですけど、基本こういうもの、プレゼンのスライドってこういうものなんじゃないかという気はしますよね。
スピーカー 2
そうですね。本当に飾り木がなくて、タイトルとその中の本文がある。本文で言っても過剰書きのページっていうので、キーノートとか基本のスライドの1パターンぐらいにしか含まれてないようなやつしか作れないんですけど、まあ十分ですよね、こっしで言うと。
スピーカー 1
十分。キーノートとかPowerPointでこれをやるとすごく手を抜いてる感じに見えるんですよね。
スピーカー 2
そうしますね。
スピーカー 1
だからみんなすごい変なグラデーションつけてみたり、タイトルに帯、背景に色つけて帯入れてみたりするんですけど、そもそもそれができなければいいわけですよ。
そうだ。
それだけで残業時間が4時間ぐらい減るわけですよ、たぶん1日。
スピーカー 2
スライドの調整って色とか動きのタイミングとか、ピクセル単位の配置とかで結構時間かかりますからね。
スピーカー 1
そうですよ。もうそんな機能があるからいけないんですよ。
スピーカー 2
だからアウトラインで構造を作ってスライドで見せるっていうことがワンストップでできてしまうし、一応共有もできるし、このワークフローリーは。
だから割とビジネス向けで実用性の高い機能かなという感じですけども。ちなみにコウさんはアウトライナー的なものって何か今使われてます?
スピーカー 1
今はですね、正直使えてるのはたまにワークフローリー使うぐらいですね。
スピーカー 2
たまに。たまにはどんな用途で?
スピーカー 1
たまにっていうのは、ちょっと本編の話にかぶってくれれば。要はアウトライナーを使ってさぁ、格造みたいな意気込みがあるときに使う。
スピーカー 2
なるほど。じゃあその辺の話は後で。
もう一個ワークフローリーで追加機能がありまして、検索周りなんですけど、NESTを指定した検索ができるようになったということで、なんじゃそれなんですけども。
親項目に含まれているもの。
スペース、小なりかな。スペース、大なりかな。小なりか。
クの反対。
スピーカー 1
身に向いてるやつですね。
スピーカー 2
スペースを置いて、回項目に含まれているキーワードという形で検索すると、その条件に当てはまる項目のセットが見つかるということで、親子関係をした検索ができるようになったということで。
これね、結構珍しい気がするんですけど、僕アウトラインあんまり知らないですけど、こういう検索の仕方ができるやつって結構レアな気がしますね。
スピーカー 1
レアじゃないですかね。だからダイナリストだったら結果的にドキュメント単位の検索だったから、結果的にそれに近いことができてたんですけど、明示的に回項、これより下って指定して検索するっていうのはあんまり見たことない。
スピーカー 2
ワークフローリならでは全部が一緒になるから、ワークフローリではこのスタイルの検索方法が便利に使えるんですけど、これは例えば、いろんな情報をワークフローリで保存しているときに、例えば打ち合わせみたいな言葉だけで検索すると、全部含まれるやつが全部見つかるわけで打ち合わせが含まれるやつが。
一応フラットに検索結果が出てくるんで、目視で探すこともできるんですけど、自分の頭の中でプロジェクトAに関する打ち合わせっていうものを探したいっていうニーズが明確なときは、ピンポイントでそれを見つけられるようになるんで。
項目が少ないときとかはそこまで威力を発揮しないでしょうけど、項目が増えれば増えるほど、この形であるものの子供にあるこれみたいなのを探すときには超便利だなと思いますね。
というわけで、この2つの機能はすごい良いと思います。最近の色つけるとかに比べると、大変機能性が高いアップデートで、こんだけ長く続いていてもはや老舗になっているアプリでこういう機能がちゃんと追加されるっていうのは、僕は単純に素晴らしいなと思います。
トンネルチャンネルの投稿とフリーライティング
スピーカー 2
ツール周りはそれだけなんですけど、最近トンネルチャンネルという共同ニュースでたチャンネルみたいなところで、皆さんいろんなこと書いていただいてるんですけど、今月のテーマが皆さんのメモはどうなってますかということで、2,3人すでに投稿していただいてるんですが、
その中でルーさんが書かれたメモの処理の話か、バズってはいないんですけど、結構リアクションとか反応とかが多い投稿になってまして、読んでみると非常に面白いんですね。
おだしょー ルーさんはカーソルに言語を書いていただいて、ある程度僕も知っているものはあったんですけど、メモ体系の全体像みたいなのが描写されつつ、細かい具体的な話もあって、メモ管理というかタスク管理というか、スクラップボックスを使ったやることとか、覚えておきたいこと管理の手法が紹介されてるんですけど、あれは多分レアだと思いますね、あの話は。
スピーカー 1
おだしょー レアですね、リアルだし。
スピーカー 2
おだしょー そうそうそう。やっぱりある程度、例えばやること、今日できひんかったことを来月に送って、やりたいこととかでどんどんずれていって可能性が下がっていって、最後の辺はほとんどやらなくなるみたいな、ほとんどやらなくなるみたいなのはリアルなんですけど、タスク管理やとそういうのは認められないですね。
おだしょー はいはいはい。
おだしょー 複数のノートを並べて表示して、どんどん移動させていくという感じ。ちょっとだけ看板方式にも近いですけど、でもやっぱりちょっと違いがあって、なんか独特にツールの良さを生かしながら運用されているなという感じを受けました。
スピーカー 1
おだしょー そうですね。だから本当はそういう、いろんな人のそういうものが見られるといいなと思いますよね。
スピーカー 2
おだしょー だから一応、カーソルっていうのはそれを目指して始めたんですけど、全体的に全員文章を書くのが時間かかるということで、トンネルチャンネルというのを大体的に始めたんですけど、案外こっちの方がなんか話題が出やすい、気楽に書きやすいってことかな、要するに。
やっぱりちゃんとした原稿にしなければならないという重みが減る分、普段やっている何でもないことってこういう形の方が出てきやすいんじゃないかなというのを、トンネルチャンネルを運用しながら思ってます。
おだしょー というわけで、興味がある方は私にメッセージいただければトンネルチャンネルの投稿者になっていただけるので、ぜひ興味があれば探してみてくださいというところで、本編に入るんですけど、ちょっと前段階の説明が必要で、まず気になる方は第133回を聞いてください。
第133回のタグさんと文章の書き方についてという回を聞いていただけると、今回はより楽しめると思うんですけど、その回で僕が、こうさんが書かれたトンネルチャンネルの記事について、文章書けないって言ってるけど、結構書き出るんじゃないですかみたいなことを話して、実際どんなことで困っておられるんだろうみたいなのは、本人に登場していただいて語っていただくのが一番ではないかということで、
登壇してくれませんかと回の中で呼びかけたら、実際に来ていただけたということなので、今回はその続きというわけではないですが、それに関連する話をしてみたいと思います。
どうでしたかね。一応、こうさんの書いた記事を取り上げて、2人で一方的にやいや言ったわけですけど、何か思ったこととか反論したいこととかあれば、こうさんに言っていただければと思うんですけども。
スピーカー 1
まず思ったことなんですけど、ちょっと議論の混乱を招くようなことがあるなと思ってまして、それは何かというとですね、私がトンネルチャンネルに書いた、フリーライティングしかできないという文章そのものが、
あれがフリーライティングじゃなかったなと思ってまして、それはどういうことかというと、最初の気構えが違うかなと思ってて、フリーライティングってとにかく頭の中にあることを書き出しましょうというものだと思うんですけど、
あれはトンネルチャンネルという公開される場所に何か書くぞと思って書いたものなんで、その時点でフリーライティングじゃないんじゃないかって自分の中では思い直して、ただテーマを立てて頭に浮かんだものを書き出すっていうのもフリーライティングではあるんで、
それでやっていったんですけど、一つですね、重要なことなんですけど、あの文章をスマホで書いてるんですね。
おだしょー それすごいですね。
ただ、その間にいろいろ思ってることっていうのはもっとあったんだけど、ただフリック入力が遅いので、全部は書けないということがあると。
なので、これは順番に書き下していったのだろうかっていうことを言われてたんですけど、順番に書いていったのは確かで、出来上がった時に5時脱時ぐらいは直したんですけど、順番の入れ替えとかっていうのは全然やってなくて、
やろうと思ってもスマホだからやりにくいから、やろうと思ってないんで、っていう形で出来上がった文章なんで、ちょっとフリーライティング的。
あの文章を取り上げてフリーライティングであるかないかっていう議論をしてもらってしまったこと自体がちょっとまずかったなと思いました。
スピーカー 2
今の話もだいぶ有益なものが含まれてたと僕は思うんですけど、まず脱線的話題として、スマホで文章書かれてる時ってアプリとかって何使われたんですかね。
普通のエディター的な。
スピーカー 1
そうですね、あれはオーシリアンかな。
スピーカー 2
ある行を長押しして別の場所に移動させるみたいな操作はおそらくできないということですね。
そうですね。
なるほど。だから一応普通のエディターで書いたと。
頭の中に思ったことを出していくというのがフリーライティングで、頭の中に思ったことを出していかれたからあの記事ができたからフリーライティング的では確かにあると思いますけど、
でもやっぱりあれは記事を書かれてると思うんですよ。
で、記事を書いているという段階で、それは僕はフリーライティングではないと思うんですけど、
翔太くんさんはどうですかね、その辺の感触は。
スピーカー 1
そもそもフリーライティングとはこうあるべきで、なければいけないっていうのは変な話ではあるんですけど、
フリーライティングとは何か
スピーカー 1
ただまあ確かに僕とか倉下さんが普段話題にしているような意味での、もっと言っちゃうとピーター・エルボーが提唱したような意味でのフリーライティングとはやっぱりちょっと違うだろうなとは思いますね。
普通に書き、昔ながらの方法で書き下された文章っていう印象ですね、僕としては。
スピーカー 2
そうですね、頭から書いていって、順番も、思考に追いつかない部分があって書けへんにしても、例えば後から丸々この段落はいらんから消すみたいなことはなかったわけですよね。
スピーカー 1
そうですね、ないです。
ということは、これ結構達人の域に近いというか、だからかなり書ける方という印象ですね。おそらくだから、たくさんから見たらそんな書き方はできひんっていう感じじゃないですか、きっと。
スピーカー 2
できないですね。
スピーカー 1
ですよね。
その書き方であれだけちゃんと読める文章になっているというのは、僕からすると相当書ける人だなっていうふうに思っちゃいますね。
スピーカー 2
だから、あの文章がフリーライティングかどうかは別にして、この分量の文章を書くときにアウトライナーを必要としない人であるということはおおむね言えそうですね、これは。
スピーカー 1
こういうとどっちが返事していいかわからないですね。
かぶってもいいから両方返事するっていう。フリーアイズ反応するってことですね。
スピーカー 2
だからこのフリーライティングのフリーっていう言葉が受け口が広いから、何でも使えてしまう。
ストラクチャーライティングではないという意味でのフリーライティングでは確かにあると思うんですけど、文法とか話のつながりを意識してないじゃないか、注意を向けていないという意味でのフリーではあって、でも向けてないわけじゃなくて絶対に。
文章のつながりを注意してないのにつながりがある文章を書けるってことはまずなくて、おそらくもう無意識のレベルで次の文とのつながりを考えながら書き出す。
だから頭の中にあることを書き出すという動作が、講座の中では文のつながりを考えるがセットになってるんじゃないですかねきっと。
だからメモに実はフリーライティングできないのでは疑惑というのが書かれてますけど、おそらくだからよほど心のスイッチを外さない限り、僕らがよく言ってるフリーライティングはなかなかできないのかもしれないですね、これは実際に。
スピーカー 1
そうなんですよね。フリーライティングするぞと思って書くんですけど、いつの間にか文章を書いてしまってるというか、そんな感じはあります。
スピーカー 2
その文章を書いてるときでも淀みないというか、例えば30秒とか1分手が止まるってことはなしにずっと書き続けられます?
スピーカー 1
結構ずっと書いてしまって、いつの間にかフリーライティングじゃなくなっているみたいなのはあります。
スピーカー 2
確かにココさんの中ではフリーライティングとそうじゃないものの境界線がわかりにくいですね、その場合は。
だから一般的にフリーライティングっていうのは、自分が何を書くかについて考えてしまって、手が止まってしまうと。
それはよくないから、とりあえず思ってることを書いていけば、どんどん書いていきますよっていうメソッドだと思うんですけど、
もともと手が止まらないで書けるんやったら、今自分の心が開放されてるのか開放されてないのかわからないですよね、これ外部的には。
スピーカー 1
そうですね、ココさんにお聞きしたいのは、こうやって話だけ聞いてるとココさん別に問題なく文章を、
少なくともあの長さぐらいの、あのくらいの規模の文章だったら問題なく書けちゃう人に思えるんですけど、
そのフリーライティングをしようと思うわけじゃないですか。
フリーライティングの課題
スピーカー 1
はい。
それって何でですか。
いや、えっと、そうですね、そういう直球な質問が来るとなかなか答え難しいんですけど。
すいません。
えっと、そうですね、まあ、その自分の書き方っていうのが、そう、えっと、その野良哲さんが私が書いた文章を受けて、
その脱雲頼みの道のりみたいな文章を書いてくださってたんですけど、
その雲頼みっていうのがすごく、あの、私の悩みを端的に表していて、
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
なんか自分の書き方って雲頼みのような感覚になってしまっているんですね。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
なので、雲じゃなくてそのフリーライティングという手法で書き出して、それに整理をつけていって、
文章として仕立てていくっていう、その手法に乗っかった書き方。
はい。
みたいなものに憧れっていうのも、まあ、もちろんあるんですけど、
はい。
それによって安定的に書けるんじゃないだろうかっていう、
はい。
あの、まあ思いがあってですね。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
なので、フリーライティングから書けるようになりたいということと、
そのフリーライティング、まあちょっと広い話になるのかもしれないですけど、
その、日常的にメモをこうポッポッと書き出していくっていうのも、
瞬間的なフリーライティングだと思うんですけど、
アウトラインの役割と限界
スピーカー 2
それはまさにその通りだと思います。
スピーカー 1
うん。
それ、その、フリーで思いついて書いたものを集めてきて書くみたいなこともできないんで、
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
えー、まあメモもなかなか行きにくい。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
うん。
だからフリーライティングして書くっていうことをできるようになりたくて、
フリーライティングをやり続けるんですけど、
まあ言ってみればですね、
今回その、えーと、スクラップボックスに書き出したその133回を聞いて思ったことっていうのも、
はい。
あれはまあまさにフリーでバーって書いていって、
はい。
ある程度その見出しじゃないけど、まあグルーピングしたものなんですけど、
はい。
あそこからまあ文章書いていければいいんですけど、
はい。
えー、まあ十中八九はあそこから文章書くっていうのは難しいんで、
はい。
まあそこが悩みのところですね。
スピーカー 2
なるほど。
だから一応、まあその、書け、うまく書けるときはスラスラ書けるけど、
そうじゃないときは書けないんで、
その書き方のバリエーションみたいなのを増やせたらいいなという思いで、
えー、アウトラインとかフリーライティングの技法をまあ習得したいみたいな感じなんですかね。
スピーカー 1
はいはいはい、そうですね。
あのー、その勢いで書くような書き方で書けなかったときに、
はい。
では別の方法試そうみたいなことをやっぱり持っていた方が安定的に書けるのかなっていう思いがします。
スピーカー 2
そうですね。だからフリーライティング、本、その僕らが言ってるフリーライティングは、
その書けない、そのこうさんのように書ける人でも書けない瞬間があると。
で、そのときになぜ僕は書けないのかっていうところから始めましょうみたいな感じなんですね、要するに。
スピーカー 1
はいはい。
スピーカー 2
で、そこで思いつくことをずらずら書いていって大半は役立たずですけど、
そのうち一個なんか文章のコアみたいなのが出てきたらいいなという感じなので、
だからまさに書けないときにやってみてください。
書けないその瞬間にやるっていうことかな、要するに。
スピーカー 1
はいはい。
スピーカー 2
だから流れ派という、流れ派という言い方をしますけど、
流れ派の人って流れてるときは書けるけど、流れてないときは書けないという、
どうしようもない問題がありまして。
で、僕も流れ派なんですけど、基本的には流れることしか書かないっていうのが、
残念な解決方法というか、スマートに書けるようになるというのは難しいですね。
だから僕がたくさんの手法を真似して、たくさんの書き方を技巧として取り入れられるかというと、
スピーカー 1
結構難しいと思います。
スピーカー 2
そうですね、もう一つフリーライティングする理由としては、やっぱりたくさんへの憧れっていうのがあって、
スピーカー 1
本を読んだりしたときに、たくさんがあまりにも実践的な手法を詳細に書いてくださってるので、
真似はしやすいというか、
こうやればできそう感っていうのはすごくあって、やろうとするんですけど、
なんかうまくいかないです。
スピーカー 2
これは大きな問題という気が思われてますね。
スピーカー 1
いやー、あの子なんですよね。
スピーカー 2
たくさんリスってるわけじゃないですよ。
いやいや、リスってるというか、たくさんにとっての新しい課題がそこにありそうやなという気が聞きながらしてましたけども、今。
スピーカー 1
それはね、自分でもそれは思っていて、あまりにも詳細に例を示しすぎると、逆に他の可能性が見えなくなっちゃうっていう弊害があるわけですよね、当然。
ただ一方で、通常なら例示されない細かいところに実はすごく重要なことがあるっていう面もあって、
だからその後者を取ってるっていうことなんですけど、
あまりにも細かく例が示されているために、ましてそれをその通りにやろうとすると、
結局やっぱり頭の動きっていうのは人によって違うんで、
マッチしないってことは当然あり得ると思うので、
スピーカー 2
あれはあくまでも例なんですよとは言いつつも、ただその通りにやろうとしてしまうという気持ちはものすごくよく分かりますね。
だからやっぱり、知的生産の技術を紹介するものは頭の動作を主なもので、
頭の動作っていうのは番人が違うか、あるタイプによって分かれるぐらいの違いは絶対にあって、
そこが合うか合わないかっていうのは当然あるわけで、
例えばゴルフのスイングでも体格によっていい角度って多分違うと思うんですよ、そりゃ。
だから知的生産の技術についてもやっぱりその本人の普段考えていることとか思考の流れやすさで変わってくるところはあるんですけど、
だからあるということを理解した上で、例えば実際にやってみて、
うまくいかなかったら、この方法合わないんだなと思って、
諦めるというのはちょっと違うけど、違う方法を探すというのが健全かなとは思うんですけども。
見せていただいたメモで、一点気になったのがあったんですけど、
それで書けるならそれでいいじゃないかというページに、
見出しを立ててキーワードを散りばめる SEO ライティングをやろうとしたら、
僕の物書きマインドは凍結したと書いてあるんですけど、
これはもう無理なんですね、結局。
つまりアウトラインっていうものをいかに高度に使いこなしても、これはできないということなんですね。
アウトラインっていうのは、自分がこれから書こうとしているものの全体像をスケッチするものであって、
文章の設計図ではないというのは結局そういうことなんですけど、
そこにアウトラインに書くべきものを入れたら書けるかというと書けないんですね。
だって書けないから。書けないことを書けないようにするための変換装置ではないということがないんです。
だからこういう形になったらいいという理想像をアウトラインにして、
それが文章化の段階でもし書けないとしたら、そこはやっぱり削除するという判断をするのが多分アウトラインの役割であって、
だからもうこれは無理なんだなって分かったことも一つの発見じゃないですかね、きっと。
スピーカー 1
だからもっと言っちゃうと、書いちゃったことの確認装置なんですよね。
スピーカー 2
そうだね、確かに。
スピーカー 1
だからフリーライティングっていうのをちょっと強調しすぎた面はあるかもしれないんですけど、
フリーライティングというよりも、フリーライティングのつもりじゃなくても自分が書いてしまったこと。
その中には予定していなかったこともあったりするわけですよね。
それを思いっきり大々的にやるのがフリーライティングだと思うんですけど、そうじゃなかったとしても、
例えばコウさんの記事にしても、僕から見るとすごい最初から最後まできちんと流れていて、
すごくリーダブルな文章だと僕は思ったんですけど、
仮に例えばあれに見出しをポッポッと立てていって折りたたんでみると、
あの記事でコウさんが何を書いてしまったかが俯瞰できるわけですよね。
例えばあの記事にコウさんが全面的に満足しているのかしていないのかわからないですけど、
仮にしていなかったと、仮にしたときに、
そうやってこのアウトラインの形で書いてしまったことを俯瞰したときに、
自分はこういう流れでこういうことを書いたんだなと。
でもなんかちょっともうちょっと良くなる気がするっていうときに、
こことここの間にこれが入ったらいいんじゃないかとか、
逆にこれはここが冗長になっているんだなと。
前半で話したこれと同じことが実は少し離れて後半にも入っているから、
アウトラインの作成
スピーカー 1
じゃあこれを前半のやつを後半に持ってきて一箇所にまとめちゃおうみたいなことが考えやすくなるわけですよね。
フリーライティングからアウトライン化するっていうのももちろん手法としてあるんですけど、
フリーライティングっていうことをあんまり意識しなくても、
まずは文章を普通に書いてみて、その後で何を書いちゃったかを確認して、
それで良ければもちろんそのままいけばいいし、
良くなかったらどう良くないのか、それでどう直したらいいのかっていうのを考えやすくなるっていう、
スピーカー 2
そういう装置なんじゃないかなという気がしてますね。
スピーカー 1
ただそれと、もっと規模が大きくなればどうしても最初にその設計図メーター、
仮の設計図メーターをアウトラインっていうのが必要になると思うんですけど、
当然その通りにはできないので、その通りにできなかったものをアウトラインで、
どうその通りにできなかったのかを確認して、
じゃあその通りに無理やり戻すのか、その通りじゃなかったところを削っちゃって無理やり戻すのか、
それとも書いちゃったことの中にも良いことがあるから、
じゃあ元の設計図にそれを加えようと思うのかとか、
そういうのがアウトラインじゃないかなと個人的には思ってますね。
なるほど。
スピーカー 2
ちなみにですけども、何かあるんやったらどうぞ。
スピーカー 1
いや、実はその後から見出しをつけるっていうのも結構苦手な方で。
書かれてましたね、そういえば。
で、結構これはさっきのSEOライティングとかっていう話にかかってくるんですけど、
ちょっと欲を出してSEOライティングを学ぼうみたいなことをしてたときに、
見出し、キーワードを入れた見出しをつけると良いよみたいなことがあったんで、
見出しをつけようとしてたんですけど、やっぱりそれって結構苦手なんで。
スピーカー 2
そう考えるとどうしてもアウトラインを作って書くっていうことがあんまり向いてないんじゃないかっていう感じはします。
どうかな。まずアウトラインを作って書くっていうのは僕も苦手ですよ。苦手というか。
苦手は違うな。必要としないかやっぱり。
コウさんと同じぐらいのボリュームの記事を書くときに、あらかみじめ見出しを立てることは必要としませんし、
たぶん立てたら書きにくくなるなとは思いますけど。
でも書いたものに対して見出しを与えること自体は別に難しくなくて、
だからSEOライティング的要素を抜きにして見出しを立てることが苦手なのか、
それを含めたものだけなのかが今ここでの非常にポイントなんですけど、
スピーカー 1
そのSEO的ものを抜いても苦手なんですかね。
あんまり得意じゃない。苦手と言えば苦手ですね。
SEOライティングを抜きにしても。
スピーカー 1
先ほどタクさんが言われたように、見出しをつけたときにバランス感、
こっちでは言い過ぎてて、こっちでは言い足りないみたいなものが、
つけたときにものすごいバランス悪いなみたいな感じになることがあるんですけど、
そのときにその補いとか移動とかっていうのができるかっていうとあんまりできないというか、
そもそも書き上げた文章を動かすっていうのが結構難しいんです。
スピーカー 2
よく分かりますよ。流れ派の人はだいたいそうですね。
僕も同じで。部分的に修正というのはだいぶ難しい。
本当ブロックごと消すことの方が簡単という感じがしますね。
やるとしたら一つのまとまりごと消す方が楽で。
部分的に修正は確かに難しいですけど、
でも今のその見出し後の修正の話であって、
その一つの塊に見出しを与えるということ。
見出しをつけて適切と思えるネーミングを与えるということが、
まず可能かどうかというところが気になりますね。
スピーカー 1
そうですね。そこに限ってだけ言うと、見出しをつけることはできます。
スピーカー 2
少なくともスクラップボックスでページが作れてるっていうことは、
あれページのタイトルって見出しということなので、
おそらく可能だと思うんで。
スピーカー 1
そうですね。見出しをつけると文章をその見出しに従って、
そこの塊を読み直すんですけど、
それが足りないとか書きすぎとかみたいなことが感覚的に見えたとしたら、
基本的にはその見出しに従ってもう一回書くみたいな感じになりますね。
スピーカー 2
はい。わかります。それもわかります。
それも非常にマット。マットっておかしいか。
ある種健全な書き方だと思いますよ。それはそれで。
この見出しに従って書いた文章が納得いかない場合は、
元の文章に戻して見出しを付け直すか、もう一回書き直すかをするしかない。
だからスマートには絶対いかないですね。これは基本的に。
絶対にリテイクみたいなを含む作業になってくると思うんで。
だから逆に言うと、スマートにいかないなとか、
何回かやらなさなあかんなあとか書き上がった文章がしっくり来ないなっていうことが起こったとして、
それは苦手やからじゃないんですよ。
そういう作業なんです、これは。
そういうものを要求する作業をやっておられるので、
多分苦手ではないと思います。話を聞いた感じだと。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
苦手な人はまず見出しが作れないんで、
スピーカー 1
名前を与えることがそもそもできないという方が、おそらく苦手という方なので。
なるほど。
そうですね。いいですか?
はい、どうぞ。
見出しを付けるのがあんまり得意ではないという方さんがおっしゃっているんですけど、
まずこの打ち合わせキャスト133回を聞いて考えたことって書いて、
結構たくさん書いていただいている。
これまさにこれは素晴らしい見出しじゃないかと思うのが一つと、
じゃあなんでこれだけ素晴らしい見出しが作れるのに、
感覚的にあんまり得意じゃないと思うのかっていうのが想像なんですけど、
SEOの話があったときに、
SEOにおける見出しっていうのは当然ですけど、
キーワード的というか見出しの中身を代表する、
ここにこういう内容が入ってますよっていうことが含まれていなきゃいけない見出しなんですよね。
要するに最終版の見出しというか、読者のための見出しに近いものだと思うんですよね。
そういうものを作る途中、書いてる段階でそういうちゃんとした見出しを作るっていうのは実はすごく難しくて、
なおかつ短い文章をそういうちゃんとした見出しで切り分けるっていうのも難しいですよね。
そもそもその文章自体が一つのまとまりなので、
それ以上細かいレベルの本来見出しを立てられないような、
その文章自体が最小単位になっているものにさらに細かく切り刻んで見出しを立てるって、
そもそも難しいし、人によっては抵抗があるかもしれないと思うんですよね。
だからこの見出しという言葉を使うことがもしかしたら違う、ちょっと誤解を招くのかもしれないんですけど、
要は目陣になるような読者のための見出しとアウトラインを操作するための見出しって違うんですよね。
文章の操作と見出し
スピーカー 1
書き手のための見出しと読者のための見出しって違っていて、
書き手のための見出しっていうのは要はアウトラインを操作するためのものなので、
もっと極端な話、中身と違うことが書いてあってもいいわけですよね。
そうですね、確かに。
あるいはもっと読者が見る見出しじゃないんで、この〇〇の話とか、この辺の、あの辺のことみたいなレベルのことでも、
自分が見て分かればいいわけですね。
だからその、見出しを立てづらいっていうのはまず、ちゃんとした、本当の意味でのちゃんとした見出しを立てようとしてるんじゃないかなっていうのが一つ思ったことですね。
逆に、ちゃんとした見出しだったら、このスクラップボックスに立てられているこの見出しは、
これちょっと読者のための見出しとは違いますけど、もうこれ、見出しというか正確に言うとタイトルですけど、
これを見ただけで何が書かれているのか分かっちゃうぐらい、非常に素晴らしい見出しですよね。
スピーカー 2
いやもうこれ普通にすごいなと思って、さっきこれをまとめて大きな文章にするのは無理かもって言ってましたけど、いや全然できるんちゃうかと思ってましたけどね。
これは普通にアウトラインで操作できるものが並んでいると思いますけども。
スピーカー 1
だからこういう見出しというか、ノートのタイトルが付けられる人が見出しが苦手っていうのは、
というふうには僕には思えなくて、それは多分見出しっていう言葉に対する印象というか感覚が違うというか、見出しという言葉がいけないのかもしれないですよね。
なるほど。どうですかね、この講座の話を聞いて、何かあります?
いや、そうですね。全般的に私の登場している話には、いやできてるじゃないのみたいなことが多いですね。
スピーカー 2
自己評価の採点基準が高いから自分が低く見えているのか、何かちゃんとしたものがあってそこにたどり着けていない感じがあるのか、何かは分からないですけど。
結構できている。まあできているから文章書いてるわけですけど。もちろん困り事はあるとは思うんですけど。
困り事もあって、憧れみたいなので手法に試してみるのもいいんですけど、結構土台は出来上がっている方だなという感じがして、そこでバタバタしなくても全然いいかなっていう感じは受けますし。
慣れてない作業がきっとあって、文章を書く中でも書き換えるとか流度を整えるとかっていうことは多分あんまりこれまでやられてこなかったと思うんですよ。
スピーカー 1
なぜやらなかったかというと、書けちゃうからなんですね。
スピーカー 2
初めからそれなりに形の整った文章が書き出せてしまうから、もうそれ以上手を加えるという、ある種のトレーニングをしなくても済んだ。
例えば脱線が多い人、要するにたくさん書いたものをそのまま出せないから、どうしても編集、エディットしていかなければならないから、エディット訓練が詰まれるわけですね、当然のように。
だから得意な人であるがゆえに練習不足なところっていうのが多分あって、その辺に関して自分ができてないっていう感じを抱かれてるんではないかなと。
でも全体、全然文章を書けへん人から見ると、かなり書けるラインにはいらっしゃるかなという感じを受けますね。
スピーカー 1
あとあれですよね、書けるときと書けないときの差があるじゃないですかね、たぶん。
そうですね。書きムラというか。書けないときはもう全然書けなくなって、ブログの更新頻度とかもだいぶ低いですけど。
スピーカー 2
でも思うんですけど、毎日忙しいですよね。
スピーカー 1
毎日忙しいのは忙しい。
スピーカー 2
それはだから書けなくてもいいじゃないですか。
書く時間の取り方
スピーカー 2
例えば最近ベックことキタさんは忙しくて更新頻度下がってるっておっしゃいましたけど、それ普通やからねと思いながら見てたんですけど。
超人じゃないんですよ、僕たちは。
使ってきてるときは普通に書けないですし、書くべきやなと思ってても体力が乗らないとか頭が回らないから書けないっていうのはナチュラルなことなので。
それは克服すべきことではないかなとは思いますね。僕もだから書けないときは書けないですよ、普通に。
書けることを選んで書いてるから連載が続いてるように見えているだけであって。
それはある種のフィクションではないですけど、結果がエディットされてるだけであって、もう書けないときは普通にあるので。
もしアウトプット量を増やしたいというのであれば、もっと短めの文章を許容するとか、受けるかどうかわからないけど今これやったら書けるってことを書くんやったらもうちょっとアウトプット量は増えると思いますけど。
その場合平均的に自分が見たときに納得する文章が減るかもしれないので。
スピーカー 1
だから書けないときは書けないっていう風に割り切るしかないっていうのはあんまりライフハックじゃないかもしれませんけど、そんな風には思いますが。
そうですね。書く時間がないということに絡んでくる話ですけど、書く時間がないから曖昧まで書きたいんですけど、
フリーライティングしかできないみたいな文章の中でも、昼休みに書いてて昼休み途中で終わってしまって、3時の休憩にもう一回書こうと思ったらもう書けないみたいなのを書いてたと思うんですけど、
あれはそのまんまの話で、そういうことが日常的にも起こるというか、時間取れないんで今日はここまでにして明日書こうみたいになったときに、もう書けないとか、書いてもなんか無理やり終わりに向かって書いてる感があるんですよ。
スピーカー 2
はい、わかりますよ。非常によくわかります。
アウトプット量を増やすためのポイント
スピーカー 1
そこを克服しないと、なんかちょっとアウトプット量が増えないんだろうなっていう感じはしてますね。
スピーカー 2
なるほど。でも残念ながら、物書きのプロとしてやってる僕でも無理ですよ。
あのね、本当にね、今日この記事書こうと思って途中で書けなかったら次の日にその続きを書こうとすると、もう力手的にモチベーションが下がってますね。
だから流れ派の人っていうのはその時に書きたい気持ちにドライブされて書いてるんで、その書きたい気持ちがもう減衰した段階でこれも書けないんですよ。
その時の気持ちを、もう一回ドライブするような出来事に遭遇しない限りは無理で、だからカーソルで一万字とかを超える原稿を書くことがあるんですけど、あれもね、時間をかけると途端に無理になりますね。
3日ぐらいでとりあえず荒書きでもいいから最後まで書いて後で直すっていうことをせえへんと、2週間かけてコツコツ書いていったらいいなというやり方を何度かしたんですけど、途中で絶対に書けなくなりますね、あれは。
途中で書けなくなったらもうそれでやめて、で次の日はもうその日に書きたいこと、その別の日に書きたいことを書くというしか、多分アウトロプト量は増やせないと思います。
てかもう流れ派をやめるかのどっちかですけど。
スピーカー 1
そこの話でいうと、一度倉下さんにお聞いてみたかったことがあるんですけど、毎週のようにメルマがお配信されてるじゃないですか。
それって毎日コツコツ書かれているのではと私は思ってるんですけど、そうした時には日々中断というかがないと書き上がらないと思うんですけど、この辺ってどうなのかなというのは前から聞いてみたかったんです。
スピーカー 2
なるほど。時期によってメルマガの書き方って違うんですけど、1週間に5つの記事を載せていた時期は、1日1記事2000字くらいなので、1日に1記事書く2000字書くを1週間、月から金まで5日続ければ一応メルマガ1号本が出来上がるじゃないですか。
で、それぞれの記事は1回ずつ切れているわけですから、僕は朝が終わりまで書いてるわけですね、その1日ごとに。で、書き上げて完成するっていうパターン。で、たまに1号まるまる同じテーマの回とかがあるんですけど、あれは1日で書いてます。
3日に分けて3000字で1万字とかじゃなくて、1万字の記事書くときは朝から書いて夕方までで1万字に仕上げてる。だから結局連続性でないと書けないっていう感じがあって、いかにそれを担保するかっていうのを苦心してるという感じですね。
スピーカー 1
なるほど、腹に落ちました。
はい。
つまり、これさ、中断しないんですね。
スピーカー 2
中断したら書けないから、中断したらもうそこで終わりにするっていう感じ。だから、メルマガでもやっぱその、週ごとで扱ってるテーマが違う、微妙に違うどころか結構違う。あるときはワークフローの話して、あるときはプログラミングの話してって感じですけど、だからあれ連続で書けないからなんですよ。
同じテーマを扱い続けられないから、その週、あるいはその日に書きたいと思ったことを書くということをすると、ストレスが低くかけます。
無理やり終わりに近づけるようなことなく、その日のドライブする気持ちで書いていけるということが、すごく長い間今週として分かってきましたね。
だから、ドライブする気持ちっていうことが多分一番大切で、というか、それが文章を書くことの意義だと思うので、文字を埋めることは多分文章を書くことの意義じゃないと思うので、
ドライブする気持ちと筆が乗る気持ちとのタイミング、リズムを合わせていって、文章が書けたらもうそれでハッピーで、時間が取れなかったら書けないのもしょうがないし、気分が乗らなかったら書けないのもしょうがないっていう、
ものすごく諦めの話が多いですけど、この仕事をずっとやってきて感じるのは、人間というものはどうしようもなさですよね。
コントロールできないものなので、その性質に合わせてぼちぼちやっていくしかない。
たまに他の人のやり方を真似すると、ちょっと新しい風が吹くこともあるので試しますけど、でもやっぱりその通りにはいかない。どうあがいてもいかない。
僕とたくさんの文章の書き方がだいぶ似てる方だとは思いますけど、それでも比べてみたら、たぶんびっくりすらい違うことが多いので。
スピーカー 1
いや似てないんですよ。
スピーカー 2
始めに緻密なプロットを作って書くということはしないという派でいうと、同じ派に続くしてますけど、それでも違うので、そういうもので自分なりにできることをやっていく形で広げるしかなくて。
ちゃんとしたっていうものが呪いですよね基本的には。ちゃんとしたっていうのは一種の理想であって現実ではないので、そこにたどり着けなくても仕方がないですし。
SEOライティングって呪いの塊みたいなもので、そこをある時期それに触れてしまったら、やっぱり残ると思うんですよ。その価値観っていうのが心の中に染み込んでると思うんで。
スピーカー 1
それを何かちょっとずつ吹き出していくのが良いのではないかという気はなんかしましたね。
あとその、僕もあれなんですよね。何年か前までっていうかもうだいぶ前ですけど、8年前まで会社員だったんですけど、
だからやっぱり昼休みにちょっとブログを書くとかあるわけですよ。あと通勤時間に電車の中で書くとかってあるんですけど、やっぱり高3と同じように時間切れになるわけですよね。
確かに同じことを例えば朝の電車で時間切れになったことを帰りの電車で続き書こうとしても書けないんですよ。なので、途中でブツッと切れた書きかけのものができるわけじゃないですか。
これももちろん人によってそれがハマる人とハマらない人はもちろんいると思うんですけど、そのブツッと切れた書きかけのものが、例えばエディターのテキストファイル、一つのファイルになってパソコンの中で溜まっているのと、もしくはEvernoteとかAppleのメモとかにそういう形で入っているのと、
例えばアウトライナーの中に入っているのってやっぱり結構違うなと思うんですよね。
アウトライナーの活用
スピーカー 1
それをやっていると、日々ブツッと途中で切れた書きかけの記事が溜まるわけですよ。
一応なんとなく仮のタイトルみたいなのがついてたりとか、タイトルさえついてない一段落の書きかけみたいなのがあったりするんですけど、それがたくさん溜まっていったときに、やっぱりちょっとそれを眺めていると、
例えば6月7日に書きかかっているこれと、9月12日に書きかかっていたこれが同じ話をしているとか、同じ話じゃないけど、自分の中の同じ心の動きから出てきているなみたいなのがあったときに、それをちょっと近くに寄せてみたりする。
さらにレベルアップといって、それを近くに寄せた関係ない2つの記事にまとめてタイトルつけてみたらどうなるかなみたいなタイトルを上につけて、1つのアウトラインにしちゃったりする。
みたいなことをやって、結果的に出来上がってない3日分の記事をくっつけた1つの記事みたいなものが出来上がることがあるんですよね。
たしかに途中で中断しちゃったものを後日続けるってすごく難しいというか、多分不可能に近いんですけど、それを使ってというか、だからといって書きかけの断片がどこにも行かないわけではないということを意識しておくというのは結構、
重要なんじゃないかなという気もちょっとしますね。
スピーカー 2
たしかにそれは非常によくわかりますけど、そのときそのときにドライブされるものによって書けるものが変わってくるんですけど、人間ってやっぱり元々の根源は統一、一緒なので、
中期的に似たようなことに興味を持ったり向けたりするんだよね。だから1ヶ月前にココロがドライブした対象を1ヶ月後にドライブして書くと。
その視点が変わってるんで、前の話は続きというわけじゃないけど、でも同じ周波数で動いているような感じのものが出来上がってきて、僕はそれを並べてどうこうっていうのをすることはないですけど、でもそれから何か考えることは確かにできるだろうなというのは話を聞いてて思いました。
スピーカー 1
違うときに書いた2つをくっつけるときに、なんとかこれを滑らかに繋ごうとするときもあるし、なんかいいやと思って間に黒い四角を入れてそのまま繋げて、もうこれはこうなんですねっていう。
スピーカー 2
そういう舞台裏でできてるんじゃないかと思いますね。僕はたくさんの記事やブログを読んで以来、黒い四角を見出し代わりに使うのを多用してるんですけど、出来方が全然違うなというか、上の文章と下の文章がそこまで連続的じゃないときにあれを使うんですけど、でも僕は1つの繋がりの中で書いた文章にあれを置いてるんですけど、全然その略歴が違うというか。
でも、それ出ないと出ない独特の漢字っていうのがあって、さっきも言ったように全然違うことじゃうな。一見繋がってないように見えても同じ人間が考えたこと、感じたことである以上、やっぱり根っこがあって。
だから、飛躍という言葉に収まるんですね。混乱っていうとこまではいかなくて、なんか繋がりあるよなっていう感じ方をする。あの書き方はたぶん同じようには真似できないかもしれませんけど、書き上がらなかったものの使い方を考えるっていうのはたぶんだから、たぶんコウさんが今まで持ってなかった引き出しを開けることになるんじゃないですか、きっと。
スピーカー 1
そうですね。あれはとても憧れる技法というか。
スピーカー 2
その同じように文章を書くっていうことはできないし、書きかけ途中の断片を並べておいて、踏むと考えるっていうことを日常とかに入れてみるっていうのは新しいかもしれませんね。
スピーカー 1
そうですね。ちょっと思ったことには書いてないですけど、昔の物書きの人はそうやってずっとこう、もう始めから終わりまで書き下すみたいな話をされてるときに、
まあまあ僕がやってることって結構その昔の物書きの人が原稿用紙に書き殴って、ああでもないこうでもない言って原稿用紙丸めてその辺に散らかすみたいなことじゃないかなっていうのをちょっとイメージしてて、
でもその丸めてその辺に転がしてる原稿用紙を持ってきて広げて使ってみるみたいなことは確かに考えたことがなくて。
スピーカー 2
そうですね。流れ版にとっては流れに沿わないもの全部没効なんですけど、まあでも自分が何かを考えた一つのログであることは間違いなくて、それを後で編集、編集というか考えるきっかけとか素材に操作できるものとしてのデジタルツールっていうのがあって、
でそれの一番尖った形してるのがアウトライナーで、アウトライナーをそういう役割として使う、その自分が考えたものを並べてそこから考えるものとして使うっていうのがデジタルの新しいというかアナログになかった使い方で、で一切アウトラインを立てるっていうのも同じことで、
自分がこの本をこういう形、この文章をこういう形にしようと思ったその結果が書かれていることであって、だからその設計図にするというよりはやっぱり考える材料を並べておくっていうイメージとして使えればそのこの2つのアウトライン的なもの、じゃ無駄目次的なものと素材から考えるっていうのはやっぱり接合してくるんじゃないですかきっと。
だから難しい、文章を書く話は全部難しいんですけど、自分が得意なことは得意として気づかず、練習不足なことは苦手ましてはできひんと思ってしまいがちで、おそらく自分が書いた断片を並べてそこから踏むって考えるのも最初慣れてないとうまくできないと思うんですよ。
なので、うまくできないと思いでまずやってみるといいじゃないですかね。いきなり例えばそういうので飛躍的なかっこいい文章ができるということは期待せずに、本来捨てていたものをちょっと並べてどうなるかを見てみようみたいな、ビーカーの水晶、結晶を眺めるような気持ちでやってみると、なんか新しい書き方が生まれるんじゃないかなと。
あとまとまった時間がないときでも、その時に思いついたことだけ書いておきゃいいみたいな開き直りもできるようになるかもしれないですね。
スピーカー 1
思うのがアウトラインの中にメモの断片をどんどん蓄積していって、これをあれこれいじると文章ができたりするといいなって思うんですけど、できないじゃないですか大体それって。
メモの断片を蓄積するってそれカードでも同じことが起こると思うんですけど。むしろそのメモの断片というよりも書きかけの記事でそれをやったほうがおそらくうまくいく。
これはもう全然経験からしか言ってないんですけど、何でかわかんないんですけど、書きかけの記事っていうのはやっぱりどこかに向かいたいという。
クラシタさんの言い方で言うと矢印があるんですけどね。それが途中でブツッと切れてるんですけど、矢印があるから、それが指し示している方向にある何かを別の機械に書いたときにそれと接続しやすいとか、もしくはその同じ方向を向いている矢印を持った別のもの。
アウトラインを使ったライティングの難しさ
スピーカー 1
同じ方向のものだから、接続というよりも並列しやすいとか、そういうことが起こるんですよね。でも最初からこれはメモ、メモの断片と思って書いたものをいくら貯めてもそういうことってあんまり起こらないんですよね。
だからむしろ何か書きかけの文章の方が何て言うんでしょうね。生産性が高いという言い方変ですけど。
スピーカー 2
情報的な活性度があるということですね。
スピーカー 1
そう、力があるというかエネルギーを持ってるんですよね。
スピーカー 2
ワークするということですね。
スピーカー 1
だから、カードもそれこそ本当に断片的なメモっていうのは、本当に微暴力の役目にしかならなくて。
だからこそ梅沙男さんはマメ論文という言い方をしたんだと思うんですけど。
要するに、そのほうが力を持つんですよね。
スピーカー 2
そういうことだと思います。
スピーカー 1
断片に命が吹き込まれるというか。
だからたとえ完成してなくても、吹き込まれた命の目ぐらいのものはここにあるような気がするんですよね。
スピーカー 2
確かに。
スピーカー 1
もちろん書き終わればそれはそれでめでたいことだし。
書き終わらなかったとしても決してそれがそんなに無駄なことではないような気がするんですよね。
スピーカー 2
確かに。
メモをどう書くかという話と。
スピーカー 1
そこに行きますね。
スピーカー 2
それと文章をどう書くかがどう接続したらいいのかというところになっていて。
それは別件ですけども。
今は面白いことがあるとしたら、打ち合わせキャスト133回を聞いて考えたことっていうこのページから文章ができたら面白いよなとは思いますけど。
スピーカー 1
そうですね。
スピーカー 2
そのトピック自体はもうあると思うんで。
これを文章にするためにどういう手順があるのかということを明らかにしながら進めていく。
おそらく完成したとしたら、2000字では多分済まないボリュームの文章になると思います。
扱ってるテーマが2、3あるので。
だから1個2000として6000字ぐらいの文章。
おそらくコウさんはその6000字は書かれたことがないと思うんですよ、きっと。
ないですね。
多分素直には書けないと思いますけど。
スピーカー 1
書くとしたらどうやるのかなっていうのを一回リアルにやっていったら、なんか違うものが見えてくるかもしれませんね。
スピーカー 2
これってフリーライティングとかアウトラインを使ったライティングに対する論というか、
スピーカー 1
結構それについての面白い視点を持った文章になりうるアウトラインになってるんですよね。
スピーカー 2
コウがちゃんと含まれてるんで、どう文章化されるとかは全然わからないですけど、
この話題が含まれてる文章はきっと面白いだろうなとは思いますけどね。
スピーカー 1
それはなんかめっちゃハードルが上がりますね。
スピーカー 2
ここ難しいところで、ハードルは上がるけど、モチベーションも上げないとっていう。
スピーカー 1
全然つまらないから、やってもやらなくてもハードル低くなりますけど、モチベーションゼロでしょきっと。
スピーカー 2
上がってしまうものなんですけど。
やっぱり6センチの文章ですらやっぱり難しいんですね。
2センチの文章の3倍難しいとかじゃなくて、もっと難しくなるんですけど。
流れ派で書くと、大きな流れをコントロールできなくなるんですね、6センチになると。
2センチだと一呼吸ぐらいで、こういうことをこう言ってこうやなっていうのは、脳内というか認知リソースの中で作業というんですけど、
6から1万字になるとやっぱり無理になってきて。
一回無理なことをやってみるということによって、見えてくる風景が変わってくるという作戦なんですけど。
もしそのテーマで、話の筋の通った6から1万字の文章になったら、それカーソル掲載できますんで、
このまま原稿送っていただければという感じですが。
スピーカー 1
そうですね。私だいたい何かを経験というか、何かの出来事とかに触れて、何かを思ったことを書くときっていうのは、これぐらいの分量は書くんですけど。
書くけど、それが少なくともこういう風に書き、フリーライティング的に書いたものが文章に仕上がったということはほぼほぼないので、
スピーカー 2
それは一回チャレンジとしては、難しいんでしょうけど面白いでしょうね。
そうですね。あとこれもアウトラインプロセッシングの精神ですけど、例えば文章を実際に書こうってなったときに、見出しの通りに書けなかったら書かなくていいということなんですね。
そのトピックについて自分が今その時考えていることをベースに書いていくという姿勢を崩さないようにするっていうことをすれば、ある程度話は広がっていくと思います。
このことに関するコウさんの考えは、たぶん1ヶ月くらいではそんな大幅に変わらないと思うんで、表現する文章そのものは変わるかもしれませんけど、その考えのコッシーっていうのは変わらないと思うんで。
逆に言うと、1ヶ月とか2ヶ月経ったとちょっとずつ変わってくるんですね。
そうすると、前にあったアウトラインでは書けなくなるんですよ。
だから消費期限があるんですよ。これ悲しいからね。
だから、もし時間が取れる範囲であれば、ある程度このベースに書き進める作業の優先順位を上げられそうです。
スピーカー 1
上げられなかったらもうしばらく置いといて、もう一回リンネの目が回ってくるのを待つくらいの感じになりますね、きっと。
スピーカー 2
そうですね。これで仕上がる文章自体もそうなんでしょうけど、これを仕上げるプロセスの苦難みたいなのを書くのもたぶん面白いんでしょうね。
そうですね。それをたくさんやってられるわけですけど。
そういうプロセス、特にアウトライナーにまだ馴染めてないけどという方が書く文章記みたいなのは格別の面白さがあると思います。
スピーカー 2
たぶん、たくさん的にもどういうとこで困るのかがきっともっとクリアにわかるようになると思うので、それはそれで有益じゃないですかね、きっと。
スピーカー 1
まあもう、この一連の話はすべて有益ですよ。
スピーカー 2
いや、難しいですよね。技法を伝えるとかっていうのは。
スピーカー 1
いやもう有益というかね、やっぱり、勉強になるという言い方は陳腐ですけど、勉強になるとしか言いようがないですよね。
そうかと思うんですよね。
スピーカー 2
時間があったら仕事してましたけど、この未使用に落とすのが、落とす勇気がないって書かれてたと思うんですけど。
スピーカー 1
削除する勇気がないから未使用に落とすと思ってたけど、未使用に落とす勇気がないときはどうしたらいいんだろう。
確かに。
思う、やっぱりそれは思ったことなかったですね。
スピーカー 2
そうですね。たくさんの方では、捨てられないから未使用にして、未使用に落とすことはできてるから、もうそれが一つの解決策として確定してしまうわけですけど、その奥があるという。
スピーカー 1
そう。この未使用に落とす勇気がないっていうのはどういう感じなんですかね。
私が結局、文章を動かすということになれていないために、未使用に落としてしまったらもう出番がないみたいな感じになっちゃうんです。
スピーカー 2
そうかそうか。確かに。分かる分かる、それは。
スピーカー 1
だから、まああれですよね。元の文章は当然ですけど、残しとくっていうのが一つありますよね。
未使用に落とす前にコピーして、バックアップは当然とっておく。
それでも、やっぱり動かすことに抵抗がある感じですかね。
スピーカー 2
やっていないと分からないですか。いや、多分あんまり複製しないんじゃないですかね、キット、アウトライン操作するときって、僕の印象ですけど。
例えば、昨日やったアウトラインがある、じゃあ今日別の作業するってときに、多分そのまま操作するんじゃないですか。僕は操作だいたいそうしますけど。
スピーカー 1
いや、私もそうですね。
スピーカー 2
だから、複製を多分して操作したことがないから、その感覚が多分で分からないと思うんですよ、実際にやってみると。
スピーカー 1
そういう意味では、ほぼ毎日複製を作るので、そういう意味ではものすごい勇気がないかもしれないですね。
アウトラインの操作と勇気
スピーカー 1
いつでも言って前に戻れる状況にしていると。
毎日どころか、大きな組み替えをする前は、必ずコピー。
ワードだったらファイルを昔ながらの日付と時間をファイル名に入れてやるという原始的なバックアップを取るし、
ワークフローイとかダイナリストだったら、操作しているアウトラインの一番上位のタイトル部分をコピーして、
新しいアウトラインを作って、そっちを操作するっていうことを一日に何度もやることがあるので、そういう意味ではものすごく勇気ないんですよね。
やっぱり戻せなくなっちゃったらどうしようというのは強いですよね、考えてみたら。
スピーカー 2
たぶん、たくさん本の中で複製することについて触れられてると思いますけど、多分印象は薄いですね。
スピーカー 1
触れてるのは触れてますけど。
スピーカー 2
そんなに頻繁にコピーしてる作業っていう印象は、言われてそういえばそうやなって思い出したけど、結構薄かったですね。
スピーカー 1
心配なときはコピーしておきましょうぐらいの印象してるかもしれないですね。
スピーカー 2
でも普段定期的にコピーしたときの操作の開放感みたいなのはあんまり伝わってない可能性があるんですね。
スピーカー 1
確かに、本当そうですね。
あんまり強調した覚えはない。
スピーカー 2
強調された覚えがあんまりないので。
でもそれは全然違いますよね。だってどんだけ操作しても1個前に戻ったら元の状態になってるっていう安心感は多分大きいと思うので。
スピーカー 1
ぐっちゃぐちゃにしても大丈夫なんですよ。
勇気がない問題はそれで案外解消できるかもしれないかな。
スピーカー 2
そう考えたら自分の方がもっと勇気がないかもしれないですね。
やっぱりこれね、あれなんですよ。人と喋らないとわからない。
特に僕とザクさんはずっと同じアレで喋ってるからほとんど文脈が共有化されてるんで。
逆に新たな視点が全くないことになってるので。
アウトラインを使った執筆プロセス
スピーカー 1
そうやって言っていただけるとだいぶクリアになることがありますね。
スピーカー 2
今後どう進められるか。それがまず難しいですね。
例えばダイナリストにここのページのやつを貼り付けて操作するか、スクリブナーみたいなのを使うか、ただエディターに書いていくかっていろいろあって。
どれが正解って言えないんですよね。残念ながら。
やってみて筆が進むやつが正解という。
事後的にしか決定できないというやつなので。
一応目標としてカーソルかトンネルチャンネルに投稿するっていうような軽めの野望を抱いて進めていただいたらハッピーなんじゃないかなというところでございますね。
スピーカー 1
モチベーションは爆上がりしました。
スピーカー 2
これおせんしじゃなくてマジです。マジで面白いと思ってますから。
スピーカー 1
でもこれ思うんですけど、これ大体できてません?
うん。大体できてますね。大体できてるんです。
この一つ一つ見出しを開いた先が、一応過剰書きリスト形式になっているので、一応これを文章っぽい体裁に、
クテンか丸がついてなかったりすると丸をつけて文章っぽい体裁にして段落を、内容はそんなに変えずに段落っぽくして、
それこそ四角でつなぐじゃないですけど、
これをこういうリスト形式じゃなくて、全文を一つの文章としてつなげた状態で読んでみると、結論めいたことを出そうとかするとまたアートが変わりますけど、
これ一回そのまま、体裁だけもうちょっと文章っぽくして一つ流れにしたものを作ってみると、
意外に、逆にその状態でもたぶん十分記事としてなら成立すると思うんですよね。
確かに。
逆にそれを一つの記事として読んでみたときに、もうちょっとこういう流れにしたほうがとか、こういうこと書き加えたほうがっていうのが出てくるかもしれないですけど、
これはこれで全然成立するような気がしますね。
スピーカー 2
ちなみに、こうさん、あれはフリーライティングはなかったっていうページで、ある程度項目が並んでると思いますけど、
例えばここが左にあって、じゃあこれをトール文章に直そうっていう作業はできそうですかね。
スピーカー 1
うん、それはできると思います。
スピーカー 2
それができるんやったら、ある種もうそれはアウトライナー使った執筆の何歩か手前のことができると思うんですよ。
そうですね、これだからどっちかというと、やっぱりこれ書いてるときにも途中からフリーライティングじゃなくなりそうになったりとか。
スピーカー 1
無理やりこう過剰書きにしたっていう風な感じもあるから、これに関しては書こうと思えば書けるでしょうね。
スピーカー 2
そうか、だから書き切れてない感じがあるんですね。これはこの状態でやと。
普段やったら文章で書いて書き切ったっていう感じが多分あると思う。僕はあるんですけど。
アウトラインを使った執筆
スピーカー 2
書き切った文章に対してのモチベーションってめちゃくちゃ下がるんですけど、書き切ってない文章はさっき言うとそのまた矢印が伸びてるんで。
だから例えば変な話、自分じゃないですけど、こういう過剰書きがあったとしたら、僕これをベースに文章を書くことは普通にできますね。
これだから続きを書くのとは違うんですね。ほとんど同じことをしているように見えますかもしれないけど、こういうのがあってこれをベースに文章化肉付け化していくことは全然できるというのが生態として面白いところなんですけど。
スピーカー 1
だから僕の中ではこれがもうアウトラインですね。要するに。この過剰書きが文章のアウトラインなんで。これを元に書けばもうアウトラインを使った執筆になりますけど。
そうですね、出来方の話もあると思うんですけど、出来方に関して言うとアウトライナーの中で動かしてみたいな、たくさんへの憧れに沿ってのことも多分できなくて。
これを例えば横に置いて書いていくみたいなことになるんだろうなっていう感じがする。
スピーカー 2
僕も似たパターンになりますけど。それもアウトラインの使い方で、正しいって言っていいと思うんですけど、一つの立派な使い方で、それでいいとまたそれでいいが出てきましたけど、それでいいんじゃないですか。
スピーカー 1
そういうのでアウトラインを使ったプロセッシングって全然できていると思いますけど。
使いたくなるんでしょうけど。
なるんでしょうね、きっとね。
でも全部使おうとしたら多分文章としてやっぱりぎこちなくなると思うんですよ。
スピーカー 2
なってもいいと思うのも一つの決断ですよね。
例えば変な端、ここの文章、例えばこのブロック書き上げました、ここぎこちないなっていう感じがあったとしても、実は最後まで書いた方がいいんですね。
通して眺めてみないと、そのぎこちなさの解消の仕方が実はこっちに移動させたらよかったっていう発見も後からあるので。
だからそこがぎこちないかどうかの最終的なジャッジは最後まで保留しといたほうがいいというのは言えると思います。
スピーカー 1
あとですね、これは僕が言うのも変なんですけど、
ほうさんは例えばこれをぎこちないと言うじゃないですか。
でも僕多分このぐらいのこなれ具合で普通にブログの記事にしちゃっていることが結構あるんですよ。
それはブログだからなんですね。
例えば何かKDPでノウハウ本的なものを作るときはもう少しこなれさせる努力、一応自分の中で可能な努力をするんですけど、
ブログはそんなにこなれさせようとしない、かなりぎこちない状態をむしろ前に出してたりすることがあって、
そのぎこちなさのことを時々褒めてくださる方がいるというか、
例えばそのほうさんがさっきどこかで独特の空気感と言っていただいていることもあるんだけど、
それってぎこちなさのことかもしれないんですよね。
そういうこともあるんですよね。
スピーカー 2
確かに。
旗から見るとその旗だからこれは独特だとか、
スピーカー 1
この感じは新しいみたいに感じることが単なるぎこちなさのことって多分あると思うんですよ。
単なるこなれてないだけだったりとか。
もしくは文章として流れていないでただ繋いでいるだけのところを、
そのぎこちなさに新鮮味を感じることって多分あるんですよね。
だから逆に他人の目でこのコウさんの書いたこれを見ると、
結構これをそのまま並べるだけでちゃんと成立すると僕なんか思うんですけど、
ただ書き手としてそう思えないっていうのはすごく分かる。
その辺の攻め合いというかバランスみたいなことで成立するものって結構あるような気がしますよね。
スピーカー 2
そうですね。だから流れ派で言うと流れてなければダメだし、文章を書くときは流れで想定しているから、
飛躍のあるような繋がりを見ると、とても自分はこんなん書けないっていう感じがするんですね。流れ派からすると。
なんかすごい技法が後ろに働いているように見えるわけですよ。
でも実際そうではないし、だから自分がこの文章の流れちょっとぎこちないなと思っていることをそのまま残したとしても、
案外他人から見たときに普通に成立するっていう。だから流れにこだわりすぎていることが確かにあるんですね、流れ派っていうのは。
それで余計なこじらせ方をするということがあるので、ある程度見て流れてないかどうかっていう判断もちょっと弱めてもいいかもしれないですね。
でもやっぱり全体のバランスを見たときに印象って結構変わってくるんで、あんまり細かいことを考えない。
文章の流れとバランス
スピーカー 2
このフリーライティング的に書かれたとおっしゃりましたけど、文章の流れじゃなくてフリーライティング的にここのページ書かれたっておっしゃいましたけど、
アウトラインの作り方はおそらくそういう感じですね。
とりあえず先先行こうって感じ。トピックだけをちゃんと拾っていこうという感じで進めていって、文章は不完全にしておくと。
その不完全な文章はそのままやったら嫌やから文章にしようというモチベーションを保存しておくというやり方をすると、
おそらくこの2000字とか4000字のレベルぐらいやったら全然それで対応できるような気がしますし。
例えばそうやって自分が文章を書くじゃないですか。それにどれだけ自分が納得するかどうかわからないですけど、
だいたい読んだ人から面白かったですねって意外に言われますよ。
つまり自己評価って当てにならないんですよ、だいたい。
出してみて、こんな風に評価されるんやっていうことがあるので、
そういうことは一番最初に目指すべきは書き上げるということなので、書き上げて出して読んでもらって。
もし直すところがあったら直す。
だから読んでもらうというのは、世に出すということだけじゃなくて、
例えば僕とかたくさんに一回下読みとかをお願いしてやってみたらこの辺ちょっと書いた方がいいねっていう感じで直すということをして世に問うというプロセスでも全然いいんですけど、
一旦自分から見てぎこちなくかろうが何だろうが、文章の形に仕上げてみるとよろしかろう。
一番最初に言った、自分の書き方の引き出しを広げるのは一回書き上げてみることじゃないかなという気がしますね。
だから結構僕とたくさんの期待度は上がっていますね。
スピーカー 1
モチベーションも上がったんですけどプレッシャーもだいぶ。
スピーカー 2
でもやっぱりモチベーションは上がるけどプレッシャーは上がらないなんていう楽園は多分なくて、
上がっていくものなので仕方がないですね。
書き上げることの重要性
スピーカー 2
本当にまずこれぐらいの文章を書けるっていうこと自体が一つのスキルですし、
それで書けた上に読める文章になっているというところなので、
だからあまり苦手意識を持たないほうがむしろいいですね。
別に威張る必要はないですけど、ある程度自分は書けるんだという60%ぐらいの自信を持っておくのは悪いことではないと思いますね。
そんなところでございますかね。
たくさん残りに言っておきたいこと、あるいはコウさん追加で聞いておきたいことがあれば同時に聞いてください。
はいどうぞ。
スピーカー 1
コウさんお先に何かどうぞ。
クラシタさんの言葉に私が講習を受けに来たみたいになって、それでいいんだろうかとちょっと思いました。
スピーカー 2
僕が教えたがりなので。
聞いてる方がどう思うか分かりませんけど、非常に面白かったですね。
こんなに書ける人がこんなに苦手意識を覚えるんだということが僕にとって一番面白かったですけど。
スピーカー 1
そんなもんなんですね。
スピーカー 2
そんなもんなんでしょうねきっとね。どうですかねたくさんは。
スピーカー 1
やっぱり書けてるんですよね。ただその実際に人が見て書けてるって思うことと書き手が自分は書けてるって思うことってやっぱ違うんですよね。
だからそこの攻め合いをどう解決するのかって結構書く人にとって重要なことなんだなと思いますね。
人の文章だからこんなことが言えるけれども自分のに関してはそう思えないんですよね。
スピーカー 2
思えないと思います。僕も同じです。
だから僕がどんなに偉そうなことを言っても自分はそれはできてないっていうことを。
それはそうですね。やっぱりそういうので大切なことだと思いますね。
スピーカー 2
他人がいるから言えることっていうのがあって自分のことを棚にあげてはいけないっていうのでは多分何も教訓的なものって生み出せないと思うので。
お互いに棚にあげてお互いのことをいいアドバイスし合うというのは大変良いことではないかなと個人的には思いますね。
というわけで今週はどうしようかな。
スピーカー 2
僕もアウトライン使えません。
僕も文章書けませんという人はハッシュタグでツイートしていただければ僕はその人のブログを見に行くのでぜひお願いします。
コウさん何か告知したいこととかってございますかね。
スピーカー 1
特にないですね。
一応トンネルチャンネル書いておられるので気になる方はトンネルチャンネルをチェックしてください。
スピーカー 2
タクさんは何かお知らせしたいこととかありますでしょうか。
今週は特にありません。
スピーカー 2
というわけで今回はこれまでにしたいと思います。お疲れ様でした。
スピーカー 1
お疲れ様でした。
ありがとうございました。
01:31:27
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