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2019-08-01 1:01:57

第十三回:Tak.さんと『僕らの生存戦略』のその後について

第十三回:Tak.さんと『僕らの生存戦略』のその後について
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うちあわせCast第13回ということで、今回はゲストにたくさんお迎えしております。よろしくお願いします。
今回は、前回3月29日にお話しした、僕が執筆している僕らの生存戦略という企画がどうなったかっていうその後についてちょっとお話ししたいなと思います。
状況から説明すると、最初にスクラップボックスで公開のアウトラインを1枚全部、始め1章、2章、3章、4章、5章、6章みたいな全ての項目を公開して企画案を進めていたんですよね。
まあそのままうまくいくだろうっていうことを、たぶん3月29日のときは言ってたと思うんですけど、僕の記憶では言ってたと思うんですけど、結局うまくいかなかったっていうところで方針転換がいろいろ行われたというようなとこなんですよね。
今日、どんな方針転換が行われたのかという話を聞いて。
あまりにもアウトラインが長くなってきたので、さすがにちょっと作業は不便だということで、章ごとにページを切り出したんですよね。
その途端に進まなくなったんですよね。
そこはやっぱり興味深いですよね。それがなぜなのかというそのメカニズムが。
でも想像つくんですよね。分割すると進まなくなるっていうのはなんとなく想像つく。
メタファーで言うと、いまだ固まり切ってなかったものを無理やり切断してしまったような感じ。
ぐにゃぐにゃの流体のままで切り出してしまった感じで。
1章のパーツだったはずなのに、これ2章かな3章かなみたいなのが全然混ざってたんですよね、きっと。
そうすると気持ち悪いんですよね。
かといって、スクラップボックスでは、あるページに入っている項目を別のページに送り込むことは容易ではないんですよね。
ダイナリストのようにmove toみたいなコマンドがないようで。
ないですね。
なので、結局その気持ち悪さが残ったまま、一向に進まなくなってしまったと。
これはあかんなって気づいた段階で、結局スクラップボックスからスクリブナーに、先ほどの場所を移すことになったんですよね。
スクリブナーに移しちゃったわけですね、全部それを。
そうですね。
その時に思ったのは、いろいろなことを同時に思ったんですけど、とりあえず作業の方針としては、スクラップボックスに書き並べたものをスクリブナーにペタッと貼り付けて、それを文章化するのはやめようと思ったんですよね。
おおむねこれは多分失敗するだろうと思ったんですよ。
なのでそれは一つの材料というか、書きたいことものリストみたいな扱いにして、本文をまた一から立ち上げようと思ったんですよ。
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で、今それをやってるところですね。
今本文をまた一から立ち上げ直しているところ。
そうですね、既存の項目を横に目に入れつつも、まずそれぞれの章の論詞みたいなのを軽い文章で書いて、そこからまた少しずつ肉付けしていく作業に。
ゼロベースではないんですけども、リスタートした感じですね。
というのが現状であると。
現状ですね。
結構今の話だけですごい興味深いところがいっぱい。
プロセスマニアの私としては、興味深いところがいっぱいあるんですけど。
はい。
いいですか、聞いちゃって。
どうぞどうぞ。
基本的にスクラップボックスに入っていたのはアウトラインなんですよね。
膨大な量だけれどもアウトライン。
そうですね、アウトラインで項目になりそうなものと見出しになりそうなものと、紹介したい事例みたいなのがすべて入ったものでしたね。
要はネタがすべてアウトラインの形で並べられた。
段階、階層構造の箇条書きで並んでたってことですね。
で、それを1章2章3章みたいな、とりあえずその段階で考えられる塊ごとに、スクラップボックスの別のページに分けたんですよね。
そうですね。もともと1ページあったものが7、8ページに分割されたという形ですね。
そうしたら進まなくなり、スクラップボックスにそれを入れて、また1から立ち上げ直してると。
そうですね。
これあれですかね、進まなくなったのはなんでかっていうのを考えたときに、早すぎたんですかね。それ以外の理由。
早すぎたですね。
もしもスクラップボックスだけで進めようと思うならば、もっとアウトラインの段階できちっと固めて線引きができるところまで。
今その大きな1枚のアウトラインでも章の区切りみたいなのがあったんですけど、それは暫定的な区切りで、おそらく話はこの辺で切れるだろうなっていう切れ目だったんですよね。
その切れ目、流れとしては切れ目でも、章の塊として見たときにその中身が統一されてるかどうかは担保されてなかったんですよね。
章ごとの中身が統一されてるか。
つまり1章と2章の間にここに区切りを入れるっていうのは、一応話の流れとしてはあるんですけど、1章の塊を見てみたときに、これは1章じゃないなっていうのもそこに含まれてたんですよね、まだ。
それを切り出してしまったものやから、結局その、例えば1章の中に入っている2章成分、3章成分のようなものが残ってるんですね。
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で、それを考えるためにはアウトラインで言うと1つ階層上がらなければならないんですね、一般的には。
ただスカウンボックスでその機能はないんですよね。
別ページっていう概念なのでそれは。
そうすると非常に全体の構成を考える作業が進めづらかったんですよね。
なので挫折というか破綻というか、それ以上進まなくなったということなんですね。
そのときにもう1回じゃあ1つのページに合体させてもうちょっと練ってみようとは思わなかったんですか。
思いましたし、1回やったんですけど。
やったんですけど、結局さっき言った操作上の困難があるんですよね、ページが縦に長くなりすぎるから。
つまりアウトラインで言うと隠すということができないんで。
だから操作性を担保しようと思ったら絶対に切り出さなければならないんですよね。
でも切り出してしまうとショーごとの行ったり来たりがしづらくなる。
ほぼできないと言ってもいいと思うんですけど、できなくなる。
だからここから導き出される結論は、この進め方はダメだということなんですよね。
少なくともスクラップボックスでやる方法として。
合ってなかったということです。
先ほど言ったそのやり方をやって発見したことの一つがそれなんですけど、
スクラップボックスやるべき行為ではなかったんですね、それは。
やるべき行為では。
それはやっぱりアウトライナーに並べる要素だったんです。
それを同じことを例えばアウトライナーでやってるからスクラップボックスでもできるかってことはできないんですね。
例えば項目数が1ページに収まるようなものであれば多分差異はないんですよ。
隠さなくていいから。
そうですね。
どっちでやっても10個とか15行のラインを操作するんであれば別にいいんですけど、
もともとスクラップボックスっていうのは1ページを、どちらかというと項目数を抑制する方に動かす力を持ってるんで。
はい。
だから長いものを入れて導入するツールではないと。
もし、もしというか、違うなどう話をするんだ。
そもそもなぜスクラップボックスでそれを始めたのかっていうとこに戻るんですけど。
そこですよね。
そこですよね。
だから僕、多分3月の時に話したと思うんですけど、この作業を公開しながら進めることによって本の出来方をこれから本を書く人の参考資料にしてもらいたいと。
リアルな現場を開示するとともに、本書き終わった後に本の書かれてる項目が一応無料でも閲覧できると。
本のように綺麗には読めないけども、重要なティップスについては僕のページに入ってるから、それを探して読んでくださいってことは言えるようにしたかったんですね。
で、挫折して気づいたのは、この2つの作業は全く別屋ということなんですよね。
つまり、本を書く作業は一つの大きなラインを作ることですよね。
で、スクラップボックスでやることは、いわばレゴで言うと一つのブロックを作っていくことなんですよね。
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一つ一つのブロックを作っていく。
それ自身単体で完結する技術にまとめることなんですよね。
で、本を書くことはそういうことではないので、つまり僕は異なることを求めてたんですよね。
当然うまくはいかない。
だから、もしスクラップボックスでやるとしたら、
片方でアウトラインを立てながら、アウトライナーとか別のツールでアウトラインを立てながら、
項目として切り出せるものがあったときに、初めてスクラップボックスでそれをページを作るというような役割分担であれば多分うまくいったんですけど、
なんとなくそのアウトライン操作の同じイメージでこれいけるやろうと思ったんですけど、それは無理やったっていうことなんですね。
ということが確認されたということです。
確認されたそうです。
だから第一章っていうのがある程度書けたときに、書いた後でキーワードみたいなのが出てくると思うんですよね。
そのキーワードを説明するページを作るっていうのをやったらよかったんですよ、きっと。
スクラップボックス上で。
そうじゃなくて、それを混ぜて一緒に進んだら後で作業楽やろう的な発想でやってしまったので、結局挫折してしまったってことですね。
なるほどなるほど。
はい。
ということは、今後この僕らの生存戦略の作業がスクラップボックスに戻ってくるっていうことは今のところなさげな感じですか。
考えてないですね。並べたアウトラインを残しておきますし、さっき言ったようにその中でキーワードになるようなものを説明するページを作ることはありますけど、
アウトラインの段階をここまま公開してっていうことはたぶんないですね。
今聞いてて感じたのは、スクラップボックスのページに収まるような短いまとまりを持った文章を書くという行為と、
本のような長い文章を書く行為は全然別だということが一つと、
さらにアウトラインを作る行為というのもそれとは別なんですよね。
あー、まあそうでしょうね、おそらく。
たぶん全部別なんですよね。
フラットなエディターの上で、要するにアウトライナーじゃない、折りたためないもののエディターの上でやろうとすると、その三つは全部別のことになる。
なっちゃうでしょうね、おそらく。
本文を書くこととアウトラインを立てることは多少近しい位置にあるんですよね。
ただ、その部品記述は相入れない。相入れないというかどう言いたいのかな。
アウトライナーを使ってもスクラップボックスみたいなことはもちろんできるんですけど、単独記述みたいなことはできるんで別に。
だからどっから、二軸の切り分けができそうだけど。
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まあその三つ、アウトラインを立てること、本文を書くこと、部品的記述、マメロン文を書くことと、ここであやかりに読みますけど、はやっぱり異なりますね。
異なるんですよね、その性質としてたぶん。
作業、一個だけを見たら、たぶんマメロン文を書くことと本文を書くことは変わらないんですけど、
マメロン文を10個書くことと、それに相当する本文の文字数を書くことは別ですね。
別ですよね。
これは別です。
それまさにこないだのじゅんさんの話のところですよね。
その文の文字数を書くということと、その全体を一つのコンとして整合性を持ったものを作るというのは違うということですよね。
違いますね。だから、プログラミングでいうとオブジェクト思考というのが出てくるんですけども、本文の場合は全体で一つの意味をなすんですよね。
じゅんさんのときにも言ったんですけど、その中で伝えられることがたった一つのキーワードに支えられてるものなんですよね、大抵の本というのは。
マメロン文というのは部品一つ一つが何かのメッセージを持ってるんですよね。
オブジェクトですよね。
まさにオブジェクト。そうです、オブジェクト。そうなるように書かなければならない。
本文っていうのは、例えば冒頭で言ったことが中盤にも出てきて、終盤にも繰り返される。
結局それって大切なんだなっていうのが確認されるんですけど、これオブジェクトの考え方で言うと完全に機能が重複してるんで、これやったらいけないことなんですけども。
そうですね、まあそう言い切れるかな。
まあヒューの話なんであれですけど、ちょっとだけ脱線しちゃうんですけど、オブジェクトのヒューで言うとそれ機能だと思うと重複してるんですよね。
はい、そうです。
でもそれってオブジェクトが集まって一つのプログラムというか、それができるというときにオブジェクト同士が通信するんですよね。
当然そうです。
長い文章のあそことこことここにちょっとずつ関連する記述が出てくるっていうのは、全体をまとめるために通信してるようなイメージがあって。
連結されてるんですよ。
それはもちろんそうなんですけど、どう言ったらいいかな。それは全く間違いなくて、そういう本の書き方もあるんですけど、そのリニアな流れで書かれた本は一部分だけを取ってしまうと機能しなくなることがあるんですよね。
オブジェクトはそれではダメなんですよね。
もっと具体的に言うと、第2章で書いてるときに第1章でも書いたようにというような表現はタブーなわけなんですよね。
オブジェクトとして機能するように書こうとすると、ということですよね。
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ただ、リニアなものを読んでる人間にとっては、そういうのに書かれたほうが読みやすかったりするんですよね。
だから説明の仕方一つとっても本文を書くのとマメロン文を書くので異なってくるんですよね。
本文は本文で書きつつもスクラップボックスで独立したページに書き直さなければならないんですよ、基本的には。説明は新たに。
逆に言えば、僕らの生存戦略は独立したオブジェクトとして機能する形の本ではなくて、全体として一つのものになっている。
こないだのじゅんさんの話で言った50の何とか何とかみたいな感じで、一個取り出しても機能するように書くものではないからスクラップボックスでうまくいかなかったっていうふうには考えられます?
考えられますというか、そのような本を書こうとしていたからっていうことですよね。
逆に言うと50の方法的に書き直す、リストラクチャリングすることも可能なんですよね。
今それについてもちょっと検討してるんですけど、そっちの方法になるかなっていうのも考えてるんですけど。
逆に言えばそっちのタイプの本であればスクラップボックスでも機能するってことですよね。
多いね。
つまり、第1章は論じたとして、2章以降に何々戦略みたいな形で書くとしたら、その何々戦略についてページを立ち上げればいいだけの話なんで、それはいいけどと思いますけど。
そうですよね。
あれなんか、倉下さんが言うとやるをは。
はい、やるをは。
あれはミックスされてるわけですよね、たぶん。
そうですね、サンドイッチになってますね。
たぶんその2種類の書き方があるというときに、
スクラップボックスで僕らの先導戦略が最初の段階でうまくいかなかったっていうのは、たぶん向かないほうをやろうとしちゃった。
そう、向かないほうを力はそれでやろうとしたらあるでしょうね、おそらくはね。
だからやっぱりそれだけでもタイプによって向くツールの向き不向きっていうのはあるということが、これだけでもよくわかりますよね。
僕はかなりありありと実感した感じですね、今回は。
だからその単純に、さっきの話だけ聞くと、
単純にスクラップボックスは長い本を書くのは無理なんだなと思っちゃいがちだけども、
そういうわけではなくて、スクラップボックスでいけるタイプの本もあるっていうことですよね。
そうですね。さっき言った50の本は明確にそうですし。
むしろその本がいいかもしれないぐらいですね、50の本が。
おそらくだから、やろう2章から6章は普通にスクラップボックス用に書いた方が読む人としても機能しやすい。
あれだってもう言葉のリンクだけですからね、基本的には。
そういうことでしょうね。そうなんですよね。
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あとさっき言った失敗した理由の一つに固まりきってなかったっていうのがあるんですけど、
逆に言うと書き方のフォーマットがこちらからはもう変更できない。
ここにはこれを書いてくださいと決まりきっているものの管理の場合はスクラップボックスでもいけるでしょうね。
アウトラインを上がったり下がったりする必要がないとかしてはいけないので。
だからもうちょっとアウトライン的な言い方をすると、自分のあれに引き寄せた言い方をしちゃうと、
たぶん下の階層の影響を受けて上の階層が変わるようなタイプのものはスクラップボックスではやりづらいっていう。
かなりやりづらいですね、それは。もうおそらくそうだろうという予見はあったんですけど、まさにその通りでしたね。
やってみるとよくわかる。
よくわかる。あれはもう気持ち悪くてできないですね。
一生のページを見ているときに、アウトライナーやったらフォーカスとか階段を下りてる感じですけど、
全くどこにしたページを開いてる感じになるんですよ。実際その通りなんですけど。
そうですね。
だから閉じ込められてる感が強いですね、あれは。
はいはい。面白いですね。
まあそうですね。
これ聞いてる方、これ伝わるのかっていう。でも伝わるだろうな。
まあでも今回は結構いい経験でしたね。スクラップボックスの使い方がさらによりはっきりした感じはありますね。
そうですね。でも今話し合いで思ったのは、50度なんとか的なものだったらむしろスクラップボックスはいいかもしれないって逆に思いましたね。
まあでもまさに、というかWikipediaなんてそういうものもありません。そういうものにつきはできないね。
この形、自分が本を書くときって、どちらかというと50の方法的なのよりは全体がリニアでまとまっててワンメッセージのほうが好むと思うんですけど、
僕はそういう本を読むのも好きなんですよね。どちらかというと50の方法。
でも、例えばライフワーク大全みたいな本が嫌いかというとそうでもなくて、やっぱりパラパラと読めてテーマをピックできるのはいいと思うんですよね。
だからそういう本も自分を書いたらええんではないかなと思って、
僕らの生存戦略もそっちの方向で書けないかって今ちょっと考えてるんですよね。
なるほど。じゃあまだそっちに行く可能性は?
可能性もまだ全然ない。それぐらい固まってないとこから始めてリストラクチャリングしてるんで。
そうすると、これから今スクリブナーでやってるんですけど、これからどういうふうに進めていこうと考えてますか?
今のとこはスクリブナーでですね、
前何章かまだわからないとこなんですけど、
1章の論詞が固まって、2章の論詞が固まって、本文はできてないんですけど、
アウトラインでもないあらすじみたいになって、3章以降の論詞を立てようとしてるんだけど、
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3章以降がいわゆるサンドイッチ型みたいな感じで、
独立したどこからでも読める項目にするかどうかを今検討中で。
そういうハイブリッド型にすると。
だから3章から例えば20の戦略、別にこうやって数えすぎるけど20の戦略みたいなので、
戦略1、戦略2みたいな感じのほうが、読みやすいのかなというどこかに書き手としては、
この10万字でワンメッセージを受け取ってくれたらいいみたいんですけども、
果たしてちょっと読み、書き手の自己満足が強すぎるのではないかなと最近思うんですよね。
大全文が受けてるという背景を考えたときに、
この本がある程度若者向けを意識して書いてるんで、
10万字を全部読まなければならないというような苦痛を与えるよりは、
1、2章は本文の形だけど、3章以降好きな戦略を拾い読みできるような形でもいいのかなという迷いというか、
新しい方針の分岐が生まれてるとこですね。これをどうするかを考えてます。
なるほど。ハイブリッド。でもハイブリッドもありですよね、たぶんね。
そう。だからこのまま3章から同じ論述を続けていくと、結構重たい感じになるんですよね。
その重たさが、僕の本を好きな人は多分好きであろうとは思うんですけど。
いや、重たさの本やなと思った。
ただそのやり方では多分この本のリーチは広がらないのではないかなと。
それで果たしてこの本の役割が果たしたと言えるのかどうかっていうところがちょっとネックで。
ちょっとだから広く読んでもらいたいなという意識もあるんで。
だからちょっとこの辺、中を軽めにしようかなということを考えてるんですよね。
なるほど。
で、スクラップボックスの話は一回戻すんですけど。
リニアじゃない書き方の一番のいいところって何かなって思ったときに、
共同作業ができるんですよね。
あの人がここを書く、別の人がここを書くっていうのはやりやすくなるんですよね。
スクラップボックスって一人で使ってると見えにくいですけど、あれ一応チームの知識を集めるツールなので、基本的には。
そういう意味で、そういう記述の仕方に慣れてると、知識の持ち寄りというかがやりやすくなるだろうなと思った。
だからリニア的な書き方しかできひんと、俺の話を聞けてきてどうしてもなんてしまうので。
僕それなんですよ。
だからそのウィキとかスクラップボックスみたいなんで、情報をみんなで集めようっていうときは、
そういうオブジェクト的な書き方をちょっとできた方がいいかなというのはまた別に思いましたね。
そうですね。
まあ両方できるのが一番ベストですよね。
一番ですね。はい、それはそう思います。
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面白いですね。
まあだからそこを、進め方のもう一つとして、1章か2章を仮にさっき書いてしまっても、
誰かに読んでもらって、そこの感想を聞いた後に3章以降を考えるっていう作戦もちょっと考えてるんですけど。
ああ、途中までの段階で。
一回で下読みしてもらって。
逆に言うとちょっとそれで方針がぶれるかなって。
僕の中で固まってたらいいんですけど、ちょっと丸投げしすぎるかなという気もあって、
その辺はまだちょっと悩んでるところですね。
難しいですね。
結局商業出版だと今のこういう話も多分編集者さんとするわけじゃないですか。
まあおそらくそうですね。はい。
全部自分で決められる反面、全部自分で決めないというところがね、難しいですよね。
本はどう書いてあっても別に間違いというものではないんでね。
間違いがはっきりしてるんやったらいいんですけど。
仮に今僕の2つ、最後までリニアでいくかあるいはサンドウィッチ型っていう、
両方聞いて感触が良さそうだと思ったのはどっちですか、ちなみに。
それも結局ヒンチをどうするかっていう発想。
そこをどうするかによって多分変わってきちゃいますよね。
まあそうですよね。
僕の個人的な読者としてのこういうのがいいなっていうのはやっぱりリニア。
一つの全体になっているもののほうが、
特に最初に3月に片栞さんがこのスクラップボックスでアウトライン公開したときに、
これはもう今までの、片栞さんが書いてきたことを全部ぶち込んだような、
そういう印象がすごく強かった。
そういう大きなものを頭の中で作り上げてあげて、
そっちに引きずられるんですけど、読み手の期待するものとして。
ただやっぱり、さっき言ったみたいに重くなるので多分。
あと多分、途中まで読むとか途中から読むと多分あまり意味がないものもある。
そうですね、多分おそらくは。
やっぱりどうしても全部読まなきゃいけない。
10万に全部読まなきゃいけない本っていうと、
この時代早々っていうことを考えたときに、
広く届くということを目的とするならば、ハイブリッドありだなっていう。
そうですよね、やっぱりそう。
ロジカルに考えちゃうとそうなるんですけど、
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でもロジカルじゃない部分も必要じゃないですかっていうのが頭の中にあって。
もちろんね。
そういう直感で、あくまでも自分の中で直感で、
こっちのほうが引かれるなっていうのは、ハイブリッドじゃないほうですね。
なるほど。
純粋な個人の感覚としては。
ありがたい感想ですね、それは。
これはライターとしていうよりは、どうしようかといったら経営者としての判断が求められてるというか。
そうですね。難しいですよね。
経営者としてというか、そういうマーケティング的なことを考えると、
さっきみたいなロジカルな、
書きたいのがこうなんだけれども、
遠くに届くのがこうなんじゃないかみたいなことを考えなきゃいけないんですけど。
そうですね。
本当にそれがいいのかっていうのはわかんないですよね。
わかんないんですよね。
ただ、やっぱり自分のことを振り返ってみても、
小説とかは結構一気に読みますけど、
割に数ページだけ一日読むっていう本が多いんですよね、最近。
集中する時間が取れてないからなんですけど。
そう考えたときに、
しかもやっぱ最近売れてる本はそういう大全物とか、
365の教養とかって一日1ページ読んでいったら、
とかいう本が多くて、
細切れ時代、細切れ時間時代に最適化されたコンテンツやなと思う。
それをこちら側が無視するのは、
読み手のことを無視してることにもなってしまうんで。
難しいですよね。
だって自分が今の若い人ではないので。
そうですね。
わかんないんですよね、そこは。
でも逆に考え方として、
そういう物切れの、
今暮らしたの何時代って言いましたっけ。
細切れ時代ですよね。
細切れ時代で細切れの情報がネットでも手に入るし、
っていう時代だからこそ、
一つの大きな全体になったものがいいんじゃないかという考え方もあるわけなんですけど。
僕はそっち原理主義な感じはするんですけど。
逆に自分がそっちに思い入れしすぎてるなっていう自覚もあるんで。
そうですよね。
いや、わかりますわかります。
僕はやっぱり、感覚として自分がまだプロじゃないっていう感覚もあるんで。
わかんないんですけど、プロじゃないっていうか、
逆にそう思っちゃった方がいい、思わなきゃいけないんだろうなっていうのもありつつ、
なんかプロのアマチュアみたいな感覚があっては。
わかんないんですけど、最近読んだ本で言うと、
倉園さんのグッドバイブスが、
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あれって最初から順番に読んでいかないといけない本なんですよね。
そうですね。あれは丁寧に重にかけてくる感じ。
あれだけ売れたっていうか、あれだけ受け入れられたわけじゃないですか。
で、こういう作りの本がちゃんと売れるんだなーって思ったんですよね。
はいはいはい。
あんまりああいう作りの本って最近、そんなにものすごい本読んでるわけじゃないんで。
最近ないとは言い切れないんですけど。
久しぶりに読んだなって。
そうですね。僕の印象でもああいう作りの本はかなり。
洋豪さんに出たなと思ったんですけど。
個人的にああいう作りの本が好きだし、自分もそういうふうに書こうとしてしまうので。
僕も最初の段階からリアな構想がずっとあったんですよ。
たまたまスクラップボックス停滞してたのと、ちょっとプライベートが忙しかったので、
冷却期間があったというか、しばらくプロジェクトに手を付けてなかった。
で、最近帰ってきて改めて見直したときに、これは重たいんじゃないかなと、ちょっとふと我に返ったんですよね。
重たいのは間違いないですね。
だからその重たいのを分かってて、いやつまり逆に言うと重たいと感じてなかったんですよ。
この企画を練ってた時っていうのは。
沢さんが言われたように、これは大切なことだから伝えようっていうことを詰め込んで、
これは実にいい作品になるなと思ってたんですけど、ふと我に返ると重たいのと。
一旦重たいと気づいてしまうと、それを放置することはなかなかできないんですよね。
気づいてなかったらもうそのままゴーサインでまっすぐ行ってたんですけどもちろん。
クラシタさんはプロなので。
一応プロなんですね。
これ聞いてる人もそうじゃないかと思うんですけど、こうやって葛藤するんだなと。
特にセルフパブリッシャーをこの人の葛藤は多分もっと切実でしょうね。
結局、制約がないっていうことですから、制約がないってことは選択肢が無限にあるってことですから、
普通の方を拡大のはもっと限定されてるというか、まず通る企画案でないといけないという段階で、
僕らが検討してる大半の方が消えてしまうんで、きっと。
そういう意味で結構すごいことやってるんじゃないかなと。
フロンティアで開拓者ではあるですよね、おそらく。
いや、だって今までの書き手の人がやらなくて済んだことをやってるんだなと。
33:07
そういうポジティブな感じがするんですけど。
ポジティブはポジティブ。
仕様の要請っていうのを第一義に置かなくていいんですよね。
だから置かなくていいからその分選択肢が大量にあるんですね。
もっと言うとセルフパブリッシングなんだから、
そっち系で出る本は作らなくていいよねと僕は思ってるんで。
商業主義がやってくれることはもう商業主義に任せてという感じなので。
って考えるとやっぱり一つのリニアな大きなものみたいな形になってしまいますよね。
これがまたこれが、結局そういうのって言い訳に使えてしまうんで。
自分のやりたいことをやってるだけの言い訳に使えてしまうんで。
注意が必要ですよね。
難しいですね。やりたいことと役割としてやるべきことと。
分離することもできないし、でも一つ一つ考える。
それぞれに矛盾したりするので。
そうですね。
難しいですよね。
例えば知的生産の系の本でも一番今でも読まれてるのって、
たぶん知的生産の技術じゃなくて思考の生理学なんですよね、きっと。
あれ普通に店頭の。
今でもそれだったりしますよね。
4月に来るたびに京大生が読んでる本みたいなので出てくるんですよね。
わかりやすい。
読み比べるとわかるんですけど、思考の生理学ってGACって書いてますけどあれエッセンシュなんですよね。
そうですね。
やっぱりあれは一個一個独立して読めるんですよね。
もちろん続きの話もあるんですけど、一個が一つ完結した話になってるんで。
だから途切れ途切れ読めるんですよね。
やっぱり若い人はああいうのが読みやすいだろうなと。
事例を確認するたびに若い人はそっちの方が読みやすいんだろうなって事例ばっかり見つかるんですよね。
基本的には。
そうですよね。
実用書として事例を確認したり、何か知識を得たりすることが目的ならば、たぶんそっちなんでしょうね。きっと。
たぶんそうですよね。
でも読んだ人の大げさに言うと人生に何か強い影響を与えちゃったりする可能性が高いのはそうではないと思うんですよね。
スーパージレンマになっちゃいますね。
それはその通りですよね。だって人間の思考を変えるには10万字程度の読書体験は必要でしょうね。
たぶん1ミクロを動かすためだけでもそれぐらいの文字数が必要でしょうね。おそらくはね。
著者の知識とかノウハウというよりも、著者の考え方に触れるっていう体験をすることで、
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読者がそれに感化されるというか、こうするというか、物が起こるっていうのはそれぐらいのリニアな大きな語りが必要でしょうね。
そうなんですよね。語りが大きいんですよね。
そうですね。確かに。
細かいやつは小さな語りがたくさん集まっていて。それはそれでもちろんいいんだけれども。
大きな語りの中で自分が動かされる体験ってありますかね。
ありますあります。この二人で話すと確実にリニア側が優勢になってしまうんですよ。
今の中ですごい自分がこっちに誘導しようとしてる話。
もうちょっとオブジェクト側の人を入れて、どうしても結論はそっちになってしまうんですけど。
難しいんですよね。
自分が何を伝えたいかっていうところを明確にしなさいって話だと思うんですよ。
かといって、伝えたいのはもちろん大きな話なんですけど、
かといって例えば、大きな話を読めなければ、
この社会の生きづらさが一味にも緩和されないっていうのはやっぱりしんどいなと思うんですよね。
簡単な何かを知るだけで少し変わる世界っていうのもあって、
それこそ例えばネットの使い方をちょっと覚えるだけでも、
自治生活の生き苦しさが変わるみたいなことはあるわけで、
そういうのを全く提供しないっていうのも、
何かちょっと違うんではないか。
自分で門を固く閉めすぎてるんではないかという意識もあるんですよね。
だからこその妥協としてのサンドイッチというか、
語りの中に戦略の断片的な話を入れて、また語りで結ぶみたいな。
でも二番戦術家が僕の中であるんですよね。つまり前やったやんっていう。
でもあれすごい新しく感じましたね、見たときは。
もともと違うコンセプトを上乗せした本なのでああなってるんですけど、
二番戦術家は僕の中では多少タブーの意見が入ってるんで。
なんかやるとしてももうちょっと違う感じにしたいですよね、たぶん。
そこがたぶんこれから探すわけですよね。
おそらくそうですね、ここの決着点。
おそらく僕が振り切れない限りは、
一つの大きなリニアだけで終わりましたっていう形にはならないのではないかなという予感が。
何かあるんじゃないかなと、ひねりが。
今日の話ってあれですね、もともと本来の打ち合わせキャストの目的っぽい話ですね。
そうですそうですそうです。
こういう話をするための。
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そうそうそうそう。打ち合わせですから。
でもこういう話がまず前に出てこないというか、そもそも発生してないことが多いんですよね。
つまり編集者が枠組み作ってて、
著者としてはそれにいかに歩み寄るかっていうだけのことをやったりしたりするんで。
そうみたいですね。僕あんまり経験ないんですけど、話をいろいろ聞くとそうみたいですね。
ゼロベースでコンセプトを立ち上げるというか、書き方そのものを見つけるみたいなのは結構少ないと思うんですよね。
だから多分無駄ではないですよね、こういう話をするのは。
でもほんまにこのセルフパブリッシングに近い形での本って多分増えていくと思うんで、
著者が編集者を兼ねるとかいうのもごく普通に出てくると思うんで。
どんどんだからテクニックは開示されていくべきでしょうね。
開示されていくべきでしょう。
僕本当に、最近より大きな思想を育てるみたいな文明学をずっと考えてるんですけど、
それについて書いた本がひとつもないんですよね。
例えば有名な哲学者に10人集めて、彼らがどうやってメモとかノートを取って本を書いていったかみたいなのを解説した本があったら、
多分僕4千円でも買うと思うんですけど、ないんですよね。
哲学者……ないですかね。
集めたことはないかもしれないですね。
集めてほしいんですよ。
電気的なものの中に含まれてるんですね。
そうそうそうそう。
カードを使った人がいるとかいうのも知ってるんですけど、
そのカードはどのように扱われてたのかとか、
彼が日頃どうカードを取ってたのかっていう話も聞きたいんですよね。
ないか。どう言われてみればないような気がしますね。
最近で言うとビジネスマンのノートの使い方とかは当然ありますし、
学者さんの研究スタイル、KJ法とかああいうのはあるんですけど、
もっと具体的な、本当にノートをいつ書くのかとか、
そういうレベルの話が聞きたいんですよね。
でもたぶん19世紀に哲学者が、
例えばカントが自分はこういうふうに仕事をしているみたいなことって
開示したものなんですかね。
そういうの全然知らないんですけど。
あんまり開示しないじゃないですか。
そういうノウハウとかテクニックを開示するっていう考え方って、
たぶん、ないんですよね、きっと昔って。
ノウハウというか、もっと俗人性の高いものとして扱われてて、
魔術師の秘密の工房みたいな感じだったとは思うんですけど。
そうですよね。
あとは森の中の道を散歩しながら試作した的な。
それはいいんです、それは全然わかるし、それはサッコイになるんですけど。
42:03
メモをどう書いたとか、ノートをどう取ってたかとか、
そのノートはどう保存してたとか、
本当にしょうもない具体的な話が聞きたいんですよね。
悩むのがそこなんだよ、僕。
例えば彼らが一義を書き留めた一文があるとして、
その一文を彼らはどう扱ったのかが気になるんだよね。
下に書き付けていったのか、原稿の上で書き直して膨らましたのかとか、
そういうことが気になるんですよね。
でもそう考えると、
例えば文章を書くなら文章を書くための技法というものが語られるようになったのは、
いつ頃からで誰からなのかみたいなことをむしろ知りたくなりますよね。
まあそうですよね。
例えばもっと普遍的に技術というもので考えたときに、
例えば鍛冶屋さんとかってどうやったんですかね。
ギルードとかを介してああいう技術が伝達してたのか、
それとももう弟子入りせざるを得なかったですかね。
いやーどうなんでしょうね。
そういう職人的な技術の扱いをずっと続けられてきたんでしょうね、おそらくは。
でもたぶん弟子入りなんでしょうね。
弟子入りなんでしょうね、おそらくはね。
技術は弟子入りで、お金はパトロンみたいなイメージ的にそういうものは。
いろんなものは混ざってますけど。
例えば日本だったら知的生産の技術から始まったように、
例えばアメリカだったらアメリカで、
こういうときは5インチかける3インチのモートカードを使うんだよ、リーガルバットをこう使うんだよ、
みたいなことっていつ頃から始まったのか、
その辺なら調べればわかりそうな気がしますね。
たぶん19世紀の終わり頃じゃないか。
インデックスカードはまだなかったかもしれないけれども、
そういうタイプライターとファイリングシステムみたいなものは、
たしか19世紀の終わり頃からだったと思うので、
その前後からいろいろ今につながるそういう仕組みっていうのはあったと思うんですよね。
例えばアメリカの場合って、
どっか小学生か高校生がどっかの段階でライティングの技術というか、
いわゆるアウトライン先に立ててっていうような書き方を学ぶんですかね。
学ぶと言われてましたけど、
45:00
今どうなのかは正直わからないんですけど、
僕は10歳までアメリカにいたんですよ。
日本で言うと5年生の途中までいたんですけど、
当時のアメリカの公立学校の中学生だった。
中学生というか、ジュニアハイスクールというものに3ヶ月だけ行って、
帰ってきたら小学校5年生だったんですよ。
ジュニアハイスクールに入ったときに、
ああいうリーガルパッドみたいなものが配られて、
もともとそこらへんに紙が転がって、わらばん紙みたいなのを使ってたんです。
確かね、ジュニアハイスクールに入ったときに、
3つ穴のバインダー、でっかいアメリカのバインダーあるじゃないですか。
はいはいはい。
あれとレターサイズのリーガルパッドが配られて、
これにレポートとか書くんだよっていうふうに言われたんですよね、確か入学した瞬間に。
あとはポケット型のフォルダーとかがあって、
そういうものが急激に周りがシステマティックになるんですよね。
へー。
って言った瞬間に帰ってきたら、
今でも覚えてるんですけど、そういうシステマティックなんだなっていう、
結構わりに衝撃を受けたんです。
で、帰ってきたら、学校の職員室に作文穴開けて紐で結ぶみたいなことをやってて。
ありますね、ありますあります。
逆のショックを受けたみたいなものもあって。
だから、たぶんその辺からそういうのが始まるんだと思うんですよね。
アウトラインっていうのは直接はならなかったですけど。
あとブログなんかにも何度か書いたことありますけど、
学校の職員室みたいなところでタイプライターとファイリングシステムとカードみたいなものが備えてあって、
セクレタリーの人がそれを使ってるのをいつも見てたりとか、
そういうのがすごいありましたよね。
大人はこうやるんだなーみたいなのが。
そっかそっかそっかそっかそっかそっかそっかそっか。
身の回りの人が誰かやることで間接的に知識が伝わっていくってことがあるけども、
日本の場合はそもそも誰もそういうシステム的なことを知ってないから。
知ってないんですよね。
子どもも学びようがないっていうのはあるでしょうね。
ライティングだけには限らないんですけど、
そういう情報扱う技術っていうのが、そもそも技術として認識されてなくて、
48:05
伝達もされないし、パブリックにも出てこないっていう。
その象徴的なのも、全然最初の話変わってますけど、
三つ穴のバインダーの話があったんです。
バインダーっていうのは、直接的にではないけれども、
構造を自分の必要なように組み立てられるものだという言われ方をしたんですけども、
こういう順番でファイルして、必要な順番でファイルして、
あとから差し込むこともできるっていうふうに言われたバインダーというもの。
日本に帰ってくると、バインダーっていうかルーズリーフノートっていう言われ方を日本では知ってたんですけど、
使っちゃいけないって言われたんだけど。
これは要するに失敗したら外せると。
書き間違えたら外せる、よくないっていうこと。
失敗する癖がつくからって言われたんだ、本当に。
ヤバいですね。
そうか、そういうより。
すさまじい違いだと思うんですよ。
ルーズリーフ、学校でルーズリーフ使うとノートを提出するときにめんどくさいことになるみたいなんで、
使わないでくださいっていう話は聞いたことがあるんですけど、まさかそんなに言うと。
ノートというのはきちんときれいに書くものだと。
とにかくね、失敗したら外せるのはよくないみたいな。
メリットでしかないように聞こえるんですけど、そうじゃないですね。
ノットシステマティックですね。
いや、なんかアンチシステマティックですよね。
ノートを時系列に書いてくるわけじゃないですか、ノートっていうか普通の閉じたノートって。
そうすると、例えばサボってノートを取らなかった日があったときに、そこを開けとかなきゃいけないわけですね。
はい、そうですね。
だからなかなか上手くそこに開けておいても上手くそこに収まらなくて。
要するにきちんと毎日ノートを取っていなかったのがわかると。
要するに毎日きちんとやっていれば、こういうふうなノートにはならない。
ルーズリーフっていうのを使うと、後から差し込むのでごまかせるみたいな。
自分で言うと、良いことにしか思えないようなことが悪いことだと習ったらしい。
結局、先の欧米との対比で言うと、道具っていうのが管理者を管理するための道具になってるんですよね、そこではね。
51:07
欧米の場合は自分の道具なんですよね。
だから、自分の道具を作りなさいってことなんですよね。
日本の場合はルールなんですよね、どっちかっていうと。
ルールを守るための道具というか、つまり自分の道具じゃないんですよね、なんとなく。
たぶんその先生なりそのルールは、その時代の日本では別に特異点っていうわけではないんでしょうね。
そうなんですよ。昔ですからね。
それがたぶん80年代初めの話なので、まさか今はそんなことはないと思うんですけど。
ないとは思いますけどね。
当時はそんな感じでしたね。もちろんみんながみんなそうじゃなかったと思いますけど。
個人がどうやりやすいかっていうことは、第一義ではないんですね、日本式な考え方で言うと。
そうですね。だから毎日きちんと継続していることを見るためのものみたいな。
そうか。その環境では技術なんて考えたら立ち上がらないですよね。
技術っていう、つまり日本社会で求められてるのは、ルールに適正に添えてるかどうか。
階層の上の移行にきちんと従えてるかどうかが判断基準であって、
いわゆる本人が何を作っているかどうかっていうことは、第二義よりももっと下なんですよね、きっと。
だから技術っていうものが関心に向かないんですよね、きっと。
そうなんですかね。
わからないですけど、話を聞く間に。
核技術とかってほとんど知的生産移行はありますけど、でもあれも限定的な分野なんですよね。
そうですね。
核技術って考える技術と2はイコールじゃないですか。
2はイコールですね。
それが話題に乗らないっていうのは、結構切実にやばい問題で、
考える方法を教えてもらってないってことなんですね。
もらってないですね。
技術として提示できた、例えば、今中学校のメイクはいるんですけど、夏休みの宿題で調べる、いろいろ自由研究っていうか。
民用について調べなさいって宿題があったらしいんですけど、
よく考えたら日本民用なんですけど、調べなさいって言われるのは簡単ですけど、
どうして調べるのかっていう技術がまずいるわけですよね、本来は。
その技術がいくつかピックアップされて、例えば図書館に行って聞きましょうとかがあって、調べて出すんやったらいいんですけど、
54:05
その調べなさいだけがあるんですよね。
ここに技術が入ってない。技術を教えることがないんですよね。
それはどうやって調べることが想定されてるんでしょうね。
いや、わからない。
メイクの場合は母親が頑張ったんですけど。
母親も結局、調べるってことがどうしたらいいのかがわからないんですよね。
だから僕に聞いてきたんですけど。
僕は文献とかググり方を教えたんですけど、つまりそのノウハウは一般的ではないってことなんですよね。
情報を調べるとかそれについて考えるみたいなのが、技術として扱われてないんですよね。
そうなのかもしれないですよね。
それは大きい問題やなっていうことで、最初の話と全然変わってるんですけど。
全く違う話。まあ違わないですけどね。
僕が知的生産理論に興味を持って発信してるのはそこにあるんですよね。
だから本を書こうっていう話ではないんですよね。
本を書いてくれたらそれはそれでいいんですけど。
そうじゃなくて考えるとか調べるとか、自分の意見を確立するとかっていうことって結構基本的に必要なはずなんですよね。
だからそれができるようになるように社会基盤が整ってるんだらいいんですけど、どうも整ってないぞっていう意識があるんで、そういうことを日々発信してるってことなんですけど。
あと学校の場合は個別の先生によってすごい違ったりするんですよね。
そうですよね。きっとね。
だってタイムラインに先生いっぱいいるじゃないですかね。
ありますね。
あの先生たちは多分そういうことにも興味はあるだろうし。
結構ある種の格差と言うんではないですが、
出版業界で言うと、編集者ガチャって言い方するんですけど、最初に出会った編集者にとってだいぶ変わってくる。
つまり作家の作風に基地をつけたりとか、あるいは書き換え要請してネジ曲げてしまうっていう、その作家の個性をネジ曲げてしまうような人もいるし、
売れなくてもじわじわ育ててくれる編集者もいるしっていうので、最初の出会いの運って大きいよねっていう話があるんですけど。
学校の先生も多分それに近いものはあるでしょうね。
カルキュラムにないものが先生の力量によって分かれてしまう問題っていうのがあって、
いい先生だったらいいんですけどね、もちろん。
そういう話と、今言われている先生の負担の重さみたいな問題といろいろ絡んで大変ですね。
もう大変ですね。
塾でもこういう話は絶対出てこないですし、情報を扱う技術の話は。
57:02
出てこないですね。
周りの人も誰もやってないとしたら本当に困りますよね、それって。得られないというか。
チクマ・プリクマ新書あたりでそういう本が出たらいいんですけど。中学生向けの。
でも、倉下さんにしても僕にしても、どこかで何かを読んで、知的センサーの技術もそうだし、
読んでそういうことを知っているわけなので、どこにも何もないわけじゃないよね。
いってわけではないですね。アクセスポイントがないというだけの話ですね。
ただひとつ僕がすごく気になるのは、自分が読んできたそういう本はみんな古いっていうことがあって、
最近出た本でそういうことを扱っている本というのがむしろ少なくなってるような。
圧倒的かなんですね。勉強の哲学ぐらいじゃないですか。
だからあれすごいんですよね、実は。
少ない。あるんだろうけど。
そうですよね。知的生産の技術は60年代で、調整理法は90年代初めですよね。
そうですね。2010年以降からはもうほとんどないですね。
一応ビジネス文脈でのノート術っていうのはその頃差顔でしたけど、それとはちょっと文脈が異なるんで。
だから今はみんなそれがビジネス書になっちゃうんですね。
そうなんです。基本的に文脈としてはビジネスにどう役立つかというふうに解釈され直してしまうんで。
ビジネス書のコンテキストに乗せて書かなきゃいけなくなるわけですよね。
だからあまりじっくり考えるとか、そういうことはあまり出てこないんですね。
商品を売るアイディアをどう育てるかみたいな、別に共通している部分はあるんですけど、
それは学生が興味を持って読むかっていうとちょっと微妙なところもあるんで。
いやー、驚くほどの脱線でしたね。
いや、これはきっと脱線ではないですよ。
この話に僕の企画のヒントがあるのかもしれないですね。
まあでも、要するに同じ十万字なり何なりを書くにしても、こういう考え方の違いがあって、それに対したツールがあって、
まとめ方のどっちが正解ではないんだけれども、全然違うまとめ方があってっていうところから来ているので。
そうですね。一緒の話ですよね。
だから誰かに情報を伝えるときでも、こっちが言ったらいいっていう話ではないんですね。
相手に伝わる言い方をせえへんと、発信ってあまり意味がないっていうことなんでね。
はいはいはい。自分で読みたい本を買いばっかり返してはいけないな。
いや、いけないことはないですよ。いけないことはない。いけなくはないですけど、
たぶんそれでは2つ問題があって、リーチしたい層に届かないかもしれないのと、売れないと物書きってやっていけないよねっていうのが2つの問題があるだけであって。
1:00:07
もしその場ではもう全開好きな本を書きゃいいんですけど。
そうですね。僕もそこで割に限界を感じて、割にこの3月4月ぐらいから劇的に方向性を変えたというところが実はありますので。
劇的に。
劇的に。
それは執筆内容的に、執筆作業的に。
作業的にっていうか、人と仕事をするようになりました。
ああー。あれほど苦手だとおっしゃってた。
だから佐々木さんのインタビュー本は、限界を感じたんです。
でもやっぱり限界と言ってもいいんですけど、個人の思考の射程って360度じゃないんで、どうしてもある角度を持ってて、見れてないところが必ずあるんですね。
だからやっぱり他人と仕事をするのは、他人を選びますけどもいいことではありますよね。そう思います。
だから人と仕事をするのが苦手と言っているのではなくて、自分はどうやったら人と仕事をできるのかと考えておりました。
生産的成長というやつですね、あれは。
この年にしてはそういうことを思いました。
今からたく第二シーズンが始まるんですね。
遅いな、第二シーズン。
それは楽しみですね、どんなのが出てくるのか。
はい。がんばります。
はい。じゃあ今日はこのところにしたいと思います。
ありがとうございました。
はい、おつかれさまでーす。
01:01:57

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