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第三十七回:Takさんとオンラインレビューの良い点・注意点について
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うちあわせCast第37回ということで、今回もゲストにたくさんお迎えしております。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回冒頭のライフハックニュースなんですけども。
そういうコーナーですね。
hey.comっていう新しいメールのサービスが、つい先週か先々週かに発表されて、
発表されたんじゃないか、広く使えるようになったのが先週かな、確か。
そうですね。
僕も試しにやってみたんですけど、これがすごくいいと。
一応、Gメールでも、メールの種類に応じてフォルダ分けしてくれる機能があるんですよ。
ありますね。
それはそれで便利なんですけど、
hey.comを見た機械学習によってメールを振り分けてくれるんですけど、
最大のポイントは、メールの内容によってそれぞれのトレイの表示の仕方が違うということなんですね。
特に面白いなと、はい、すみません。
一応、聞いている方、hey.comは新しいメールサービスと言えばいいんですよね。
メールサービスと言っていいですね。
アプリじゃなくてメールサービスですね。
サービスですね。
ベースキャンプという会社がやっている。
登録したら、hey.comってメールアカウントがいただけて、
そこにメールが送られてきたものが自動販売機。
こちらがある程度示唆を与えると、それを学習してメールを自動的に振り分けてくれると。
基本は3種類なんです。
1個は、インボックス。
やめてほしいですけど発音しにくい名前作るの。
インボックスのNがMになってて、インポータントボックスの略なんですけども、重要なものだけが入ってくると。
例えば僕の場合であれば、仕事関係のメールとか出版社さんから来たメールとか読者さんから来たメールとかが大体そこに入ります。
あと、ペーパートレイって言って、例えばAmazonで何か買ったときに買いましたっていうメールが来ますけど、それは大体そこに入ります。
あと、例えばTwitterとかノートとかでも、設定していったらファブられましたみたいなときに通知が来るんですけども、それもそこにペーパートレイに入ります。
もう一個フィードっていうのがあって確か。フィードっていうのはメールマガジンとか読み物が入ったメールがそこに来るんですよね。
例えばフィードのビューの場合って、すでにメールのタイトルだけじゃなくて、冒頭の数行も受信トレイから見えるようになってるんですね。
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基本的にタイトルだけでそういう読み物って判断はできないですけど、最初の数行を見ると、ああこれやなってわかる。
例えば目字だけがちょっと見えたりするみたいなのがあるので、中身がチェックしやすいと。
一つのメールアプリであるにも関わらず、その内容によってビューが分かれてるんですよね。
しかも例えばその3つ以外に自分で選択すると、例えばレイタートゥリプレイだから後で反応するとか、これは後で返信したいとか、あとはピン止めしておくみたいなのがあって。
しばらく処理はできひんけど忘れずにおきたいものとかいうのを設定すると画面の下の方にちょこっと出てるんですね。
これ大変利にかなってるなと思う。
Gmailもその分離はしてくれるんですけど、結局見た目は全部一緒なんですよね。
それって別にいいこと何もないんですよね。
基本的にデジタルツールってそうなってるんですよ。
例えばアウトライナーも全項目は同じですし、トゥードゥイストも項目は全部同じですよね。
それは均一化されてて処理はしやすいんですけど、視覚的情報としては人間からは同じに見えるんで、コンテキストの差が生まれにくいんですよね。
でもどう考えても、メールとAmazonの購入メールは全く別の処理を要求する情報ですよね。
それに合わせて視覚を変えるっていうのは、まさにデジタルが最も得意とすることではないかと思うんですけども。
その通りですよね。
それが今まで実装されてなかった。
そういう思想がなかったのか技術が追いついてなかったのかはわからないですけども。
だからやっぱりGメール以来メールの進化が止まっちゃった感じはありますよね。
だからGoogleさんが悪いっていうか、それ以上進化させる動機がGoogleさんになくなってしまったのか。
Googleもインボックスっていうサービスを作ってたんですけど、
あれも似た話と言ったはずなんだけど、でももうなくなってしまったんで。
あれなくなったんですか、インボックスって。
あれもアプリなくなったような気がしますけどね。
彼らはメールをどう扱ってるか知らないけど、人間がメールを扱う場合はああいう振り分けと見え方が欲しいですし、
例えば総合的な情報を管理するアプリ、例えばWebernoteの場合でも、
ノートブックごとに見え方が違ってていいはずなんですよね。
いいはず。いいはずです。
でも一個設定したらそれが全部に適用されるんですよね。
個別にノートブックの見え方が制御できないようになってて、それはなんかこう違うなと。
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役割を持たせにくいんですよね。
たぶん視覚的な見た目を変えられるというのはデジタルが得意なはずなんだけれども、
その発想ってアナログ的なんですよね。そういうことがしたい。そういう願望って。
見た目を変えるって、大事なものは赤いフォルマに入れておくみたいな感じなんですよね。
そうですね、確かに確かに。
デジタルが本来得意なんだけれども、その考え方は実はあまりデジタル的じゃないというか。
データベース的ではないですよね、要するに。
そうなんですよね。
結局タスク管理アプリにしても、メーラーにしても、データベースじゃないですか、要するにあれは。
はい、そうですね、確かに。
そういう作りになっていると、たぶん同じカテゴリーのものは同じ見た目になっちゃうんだろうなと想像されるんですよね。
このHey.govを作ってるこのベースキャンプの人たちは、そういう意味ではすごくアナログ的な発想をする人たちですよね。
人間的な発想をする人たちですね。
そう、人間的な発想をする。
メインの製品であるベースキャンプというのもそういう感じがしますよね。
だからまあいい方向やなと僕は思いましたね。
実際にHeyをずっと課金するかどうかは別にしても、こういうツールであればお金を払おうという気持ちにはなりますよね。
Appleと述べてたのって何だったんでしたっけ?
あれはAppleさんは、iOSとかiPhone経由でお金を払うサービスと契約する場合はアップル税を要求するんですけど、
それを回避するような手段で、Heyが課金してたんですよね。
例えばネットフリックスとかはアップル税を取られないらしいんですけど、
売ってるものによって適用したりしなかったりするらしいんですよね。
で、Heyは我々は適用されない側や、みたいなことを言ってたということですね。
すごいですね。Appleと喧嘩する。結構根性が座ってるというか。
彼らの精神は、どう言ってんやろな。
例えば売上を拡大することを市場命題としてないじゃないですか、彼らって。
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ヨラバ大臣の影とは真逆の考え方をしてますよね。
そうですね。ジェイソン・フリードさんですね。
でもやっぱりそういうのが必要ですね。
Appleに反抗するという意味もそうですし、人間的なサービスを作るという意味もそうですけど、
データベース側に人間が合わせるのって……
だからGoogleは最終的に人間はもう何も考えなくていい境地に行きたいんですよね、きっと。おそらく。
なんですかね。
途中の処理はしなくていいような領域だけど、
途中の処理する場合って色とか大きさとか見せ方って重要なんですよね。
重要ですね。
そこがどれだけ重視してるのか。
あるいはもう本当にGoogleの人たちってメールを使ってないのかもしれないですけども。
その可能性が高いんじゃないか。
メールを使ったことないんじゃないかなっていう気はしますよね。
あれだって、もともとGoogleの内部で使ってたメールシステムだったんですよね、Gmailって。
それを外で公開してた。
その頃はきっと使ってて、自分たちが便利なように作ったやつだったんでしょうけど、
たぶん使わなくなっちゃったんじゃないかな。
仕事の主はチャットベースでしょうね、それはもちろん。
そういうサービスが出てくるのはいいことですよね。
ノート系も似たような発想でできるはずなんで。
そっちに応用できそうだというか、
応用というよりも、そういう発想をしたものが必要だよなという感じはしますか?
例えば作成するときのビューと閲覧するときのビューは別であってもいいんですよね、デジタルデータであれば。
手書きの場合ってノートに書いたスタイルで見るしかないですけど、
デジタルデータは違うんで、そういうふうな方向で人間が処理しやすい、
あるいは人間の処理をエンハンスするような見せ方をしてくれるようなツールっていう発想が出てきたらいいですね。
それ以外にツールってもうほとんど行き詰まり感というか、新しいビジョンって示されてないんで。
だからそう考えると、スクリブナーのエディター部分がテキストになっていることってよく批判されるし、僕も批判してたんですけど、
そういう意味ではいいですよね、あれね。
書式を変えられるっていうのは非常に、データベース的にはっていうか、
今のデジタルの作法からするとよろしくない面があるのはよくわかるんですけど、
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見た目を恣意的に変えるって結構重要なんだろうなと思っていて、
そう考えるとあれはやっぱり意味があるんだなと、実は最近考えを改めつつありますね。
だからプレインテキストモードもあったらいいんかなとは思いますけど。
それがあれば理想なんでしょうけど。
リッチテキストを使えると、コメントを小さくして赤字にするとかできますからね、単純な話で言うと。
案外そういうプレインで書くと、マークダウンぐらいの意味付けしかできないですからね。
そのマークダウン、本文じゃない、文章じゃない記号を入れたくないときって確かにあるんですよ。
ありますからね。それはわかります。
すみません、逸れちゃいましたけど。
面白そうだなと。
今回のメインテーマなんですけども、メールつながりというか。
確か先月ぐらいなんですけども、進めている僕らの生存戦略っていう本の第一章がざっくり書き上がったので、
ユーシー、ユーシー、ボランティアユーシー、レビューアさんをオンラインで募集しまして、
オンラインで、メールで原稿を読めるデータを送って、それを読んだものを返信してくださいと。
初めての初めてだったんで、締め切りを切らなかったんですよ。
どれぐらいの締め切りが適切なのかっていうデータがなかったので。
早く読める人もいれば遅く書かれる人もいるでしょうから、どっかで切ったほうがいいと思いつつも、
最初の1回は無しに、いつでもいいから送ってくださいと。
ちょうど1ヶ月ぐらい経って、結構返ってきたんですよね、メールが。
そのメールっていろいろなことが書かれてるわけなんですね。
いろいろなことを書いてもらいたいからこれを実施してるわけなんですけども。
このオンラインレビューという活動は、
ゆきひろし先生という方が長年やっておられる方法をそのままパクったわけなんで。
レビューの重要性っていうのは、商業出版で本を出すと初めて編集者さんがついてもらえると。
編集者さんに原稿を見てもらうとすごく原稿が良くなるし、書き手としての視点も上がるから、
オンラインレビューをしたら有用だろうなという予想はしてたんですよ、前もって。
返ってきた原稿を見たら、予想した有用性の15倍ぐらいは有用だったんですね。
これは確かに手間もかかりますけど、続ける価値もあるなと思ったんですよ。
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当然、誤字・脱字という発見というのは、人海戦術の発見の確率が一番上がるんですよね。
しかも人によって注意する点が違ってくるんで、
網羅率は人が参加すればするほど上がるんです。
これはとてもいいことなんですけど、それはある種コンピューター的なことなんで、
別にやってもやらなくても大事さまないと。
質は上がるけど。
それよりも大きな原稿についての感想というか意見というか、
文章そのものについてのレビューが、大変有用でしたね。
有用という意味以外に言いようがないんですけど、
こう放課すぎて有用と言うんですけど。
それは個別の意見が良かったというよりは、
そういう意見が複数集まって僕のもとに届いたっていうことが、
その有用さのもとになってるんですよね。
なるほど。
おもしろいかな。
同じ原稿をみなさんに送ってるんですけど、まず読まれ方が全然違うんですよ。
これは当たり前の話で僕は今してるんですけど、
ある人は良かったですとか予想通りですとかいうふうに言って、
ある人は予想とは違いましたとか、ちょっとあれですとか。
読みやすいという感想もあれば、物足りないという感想もあるんですね。
本を書く人のアドバイスに、
全ての人を満足することができないからっていうことをよく言うじゃないですか。
それは理屈としてはそうなんですけど、
全ての人っていう大きな母数を、
僕の本を好んでる人っていう小数に変換したとしても、
やっぱり同じことが言えるんですよね。
僕の本を読んでる人が好きな人にすら、やっぱり受け取られた方は違うんですよね。
なるほど。
だから全員を満足するってのは、そもそもかなり不可能なことなんですよね。
これはまず一つはっきり痛感したことなんです。
やっぱり届ける人を明確にして、そこに届けようとするほど他の人には届かなくなるのは、
これはもうトレードオフとして絶対だと。
それを実感したと。
いや往々に実感しましたね。理屈じゃなくて。
演算できる結果じゃなくて、体感として実感しましたね、それは。
やっぱりそれに加えて、この部分がどうとかって言われる意見が、
意見の方向性は違っても一定数が集まると、
やっぱりどっかが改善の余地があるっていうことなんですね、これは。
なるほどなるほど。
複数っていうのがポイントで、一人の場合って、
その人だけかもしれない感があるじゃないですか。
でも複数集まって、しかもその意見が違う方向に散らばってると、
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やっぱりどっかが変なんですね。
同じ箇所についてってことですかね。
そうそう。同じ箇所とか同じ部分でもいいんです。
少々段落部分でもいいんです。
この辺につっかかってる人が多いなってことは、
そこがどう直すにしろ直したほうがいいということなんですね。
これがたとえば、いちいち私が一人いて、読み手が一人いる場合って、
その一人の意見ってめっちゃ重たくなるんですよね、どうしても。
気にするなと言われても一人がって言われたら、
やっぱりそこはその人の方向に直したくなるというか、
そう言われたからそう直すんだけど、
複数集まると平均化されるんですよね。
平均化というか分散するというか、重みづけが。
しかもその人たちが同じ箇所を言ってるんであれば、
やっぱりそれって直さなあかんなと。
でも直し方はこっちの採用ということになるんですね。
だからオンラインレビューって、ある程度ボスを集めないと、
思った効果を上げられないっていうのが二つ目に感じたことですね。
何人ぐらいですか、ちなみに今回のレビューしてるのは。
12人弱なんですけど、たぶん5人以上を集めたほうがいいですね、きっと。
5人集めてもまず全員が返してくれるってことは限らないんで。
一応ボランティアで頼んでる。
だからもう少し大きめの規模で募集かけたほうがいいです。
あとやっぱり、集める際にも、二つぐらい人を選んだほうがよくて、
一つは選ぶ人の多様性というか。
例えばプログラマーばっかり集めたらダメってことですよね。
同じように物書きのプロばっかり集めても、たぶんダメで。
年齢とか職業とか、好きな本の好みが散らばるほうがいいですね、きっと。
もう1個はもっと基本的なんですけど、建設的な意見の言い方ができる人というか。
まあ、そうですよね。
これ最低限の話です。
文句だけ言われて終わりというのでは、
自分が書いた原稿に何か言われたらダメージはあるんですよね、精神的な。
でもやっぱり良い本を作ろうと思ってくれる気持ちがあるからこそ、
応えられるというか、耐えてられるっていうのがあるんで。
その部分の共感と物の言い方ができる人でないと、
この共同作業はたぶん成立しないんだとは思いました。
まあ、そうですよね。ですよねとしか言いようがないですよね。
母数が必要だからといって、オンラインで適当に人を集めたらいいっていうもんではないっていうことなんですね。
そうですね。
これは結構重要で、やられる方がおられるかどうかわからないですけど、
これは肝に銘じたほうがいいと思います。
まあ難しいですよね。
でもやりたい気持ちがあって、人の意見を聞いても前を向けるぐらいのタフネスがある方ならば、
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一度か二度は、これは継続的にやるのが一番いいと思うんですけど、
やられてみると、これまでの商業出版が埋めきれてなかったものを埋める力はあるなって思いましたね。
編集者なんでプロの読み手なんですけど、
プロの読み手って何かって言うと、読者のいろんな読み方を想定できるってことだと思うんですよ。
ということは、いろんな読者を持ってきたら、ある程度ニーアイコールに持っていけるんではないかなと。
建設的な読み方と意見の表明ができるいろんな読者を集めると、
ある程度プロの編集者に近い何かが得られてくる。
近いことを得るっていうのはたぶんあると思いますね、これは。
逆にプロの編集者の機能を今回分解できたなという気はしましたね。
そう聞くとすごいですね、なんか。
だからこれは、やるほうも手間ですし、やってもらうほうもだって、
普通に僕からはシャレを出してないんで、本を読む時間を取らなければならないというただ働きなんですけど、
世に出るアウトプットの質を上げるという意味では、全員さんから作品になるなという感じはすごくしますね。
ちなみにレビューの受け方って、PDFにコメントを入れてもらうとかそういうやり方ですか?
ファイルはePubで読んでもらったんで、スクリーンショットとかテキストとか、送りたいように送ってくださいと。
その指摘している箇所の文字列が見つかるようになれば、僕は検索でそこ分かるんで。
なるほど。
結局ePubの場合って、ロケーション番号が読んだ端末とかアプリによって変わってくるべきと。
だからそこはやめて、僕がその箇所をターゲットできる文字列があればそれでいいとしますということにしました。
そうすると、レビューが10人弱分集まってきて、それに基づいて修正をするわけですよね。
もちろんそうですね。まだ2章が終わってないので、その修正作業は着手してないですけど、
当然誤字脱字はしますけど、それとは別に書き方の方針を改めることになるでしょうね。
その意見の感じっていうのは、誤字脱字レベルは別として、結構大きいものが多いんですよ。
たとえば考え方の根幹に関わるような何かが書かれてたりするのか、ここの段落はもうちょっとこうじゃないかっていう感じだったら。
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バラバラです。それが入り身じられてる感じ。
ある箇所では、一つの続ける行に同じ言い方回しが出てるんで書いたほうがいいですよっていう意見もあれば、
あるいは、もっと具体的な話が出てくると思ってたんですけど出てこなかったですみたいな意見もあって。
だからやっぱり、どんだけ著者が頑張って遂行しようとしても、そこまで読者の頭にはなりきれないなとは思いましたね。
それはそうですよね。
一応プロの書き手として、遂行するときって真っ新な気持ちで訓練はしてますけど、
言うても限界があるなと思いましたね。
そうですね。
まあ1年ぐらい寝かせて改めて読んでみたところだとまたちょっと違うかもしれない。
やっぱり間違いを見つけるっていうようなこととは別に、全く違う視点から、全く違う期待からと言うべきかな。
その原稿を読むことってやっぱり一人では無理ですね。
わかってしまってますもん、そこに何が書かれてるかっていうことを。
具体的な文章としてではなくて、そこの言いたい概念がわかってるんで。
だから読む前と読むときのギャップってほぼないんですよね。
感じられないんで、そこを埋めるべきポイントが実際あったとしても気づかないんですよね。
そうすると今第2章を書いていて、第2章も同じようにレビューを続けるんですか?
そういう感じで、最後の章まで続けていく感じですね。
1章終わって前の1章を書き直しつつ、完成した章を読んでもらって、
また帰ってくるまで待つみたいな感じで、1章ずつ続けていく感じですね、きっと。
同じ一人でやってるんですか?
同じメンバーに送って、余力がある人だけが返すという感じですよ。
返せない人も出てくるでしょうけど。
完成してから送ろうか、1章ごとに送っていこうかって悩んでたんですけど、
1章ごとに送ってよかったなっていうのは、文体がまだ見つかってなかったっていうのがあって。
やっぱり完成してから文体の修正は難しいものがあるので。
そうですよね。他の全てに影響したいもんね。
やっぱり1章の段階でそこはもうちょっと見直したほうがいいなと、語り口を見直したほうがいいなっていうのがあったんで、
早めにやってよかったですね、だから今回は。
もっと明確に自分の中で文体が見つかっている場合は完成してからでもよかったかもしれないですけど、
僕の中でも迷いみたいなのがあったんで、
読んでもらって、よかったですという意見と、ちょっとわからなかったですみたいな意見の両方を踏まえた上で、
もう一回考え直したいなと。
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よう考えたら、そんな書き方したことないですね。
途中、編集者さんに見てもらうってことは違うじゃないですか、これって。
違いますね。
場合によっては編集者さんに見てもらうより、きつそうな気もしますけど。
ああ、と思います。
編集者さんはよほど慣れてない方以外は、
著者の指揮を落とすような言い方はあんまりしないんで。
うん、そうですよね。
結構、ダイレクトに指摘されるんで。
だから、数が少なかったらもっと悩んだでしょうね、きっと。
特に僕の考えてた方向と真逆の意見が出てきたときにはだいぶ悩んだと思いますけど。
そうですよね。
何人かの方にはマイナスの部分が、何やことにはプラスで評価されてたんで。
だから、そういうもんなんだなっていうのはわかりましたね。
そのプラスとマイナスがあったときはどう判断するんですか、それ。
だからね、たぶん第三の方向を探しますよね、きっと。
たぶん何かそこに回しきれてないイメージがあるんですよ、きっと。
それについてもっかい考え直すっていうところと、
たぶん全体像ももう少し見直すことになるんですよね。
ちょっとそのメールを読んでいて考えた案もあるんですよ。
それを実行することになるかなというふうに。
この段階で言ってもいいか。
一応若者向けというイメージで書いてるんで、
第一章ってものすごくわかりやすく簡単な内容を書いてるんですよね。
そうしないと読んでもらえないんで。
そうすると、普段の僕の著作を読んでる人からすると、
やや物足りないという指摘があって、
まあそうだろうなと思ったときに、
かといってじゃあいつもの暮らしたスタイルで書き直せばいいかって言うと、
そういうわけでもなくて、それは本の趣旨から外れるんで。
でもかといって、普段読んでる人が面白くない本に仕上げるのも違うじゃないですか。
違いますね。
考えたのが、意見をもらったときに思いついたのが、
一章から今のところ7章だぜなんですけど、
章が進むうちに微妙に語り口が変わっていくっていう本なんですよ。
またややこしいことが。
一章と7章では話のひねくり具合が違うみたいな。
最後のほうは、いかにも倉下さんな感じっていう風になってる本っていうのをアイディアとして思いついたんですけど。
不思議そう。
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でも僕がやりたいことはたぶんそういうことだろうなと思ったんですよ。
その形で実現するかどうか知らないけど、
若い方にも読まれつつ、僕の読者さんも楽しんでもらえる何かしらの工夫があるはずなんで、きっと。
まあそうですよね。
そこを妥協せずにちょっと考えてみようかなと思いましたね。
難しい。
でも難しいですね。
本を書くのが難しくなったとともに面白くなりましたね、これは。
ちなみに、倉下さんが今言ってる語り口って何ですか。
例えばですけど、話の組み立て方とかがあって、
ビジネス書で言うと、最初に結論を提示して、そこに向かって進んでいくっていうのがあるじゃないですか。
それと真逆に、ひびきさんのブログで言うと、
よくわからない話の展開をして、最後に話が結びつくっていうやり方があるじゃないですか。
これも僕の中で語り口のひとつのスタイルなんですけど、
若者向けはやっぱりそっちの前半のほうなんですよね、当然。
特に現代人って、最初に結論を示さないと捕まってくれないところはあるんで。
そういうやり方に慣れつつ、
いつの間にか3章くらいからいろんなものが混じってきてみたいな意向を。
突然わけのわからないエピソードが入ってきて、それが後を伏せになってるみたいな。
いきなり1章でやると、多分だから門が固く閉ざされてしまうんで。
入り口はちょっと広めにとって、少しずつ変わっていくみたいな、そういうスタイルですね。
語り口の変化ってそういうことを言ってる。
そういうことも含まれますね。
ごめんなさいごめんなさい。
改めて、僕って結構周り口で文章の書き方をするなって今回思ったんですよね、割に。
そもそも論が好きですし。
そうですね。好きですね。
関連あるけど関係ないエピソードを引っ張ってくるのも好きですから。
1章は極力それを排除したんですよ。
それで好きな人は物足りないと思っちゃったのかもしれない。
そこは削りすぎたっていうもいかでもいいし、
2章以降から徐々に面白くなっていきますよっていうやり方もあるし、いろいろあるなと。
だからまあ結構工夫の違いはありますね。
33:00
難しそう。
でもやっぱりレビューしてもらう前って、これでいいんやろうか疑問はあったんですよね。
疑問というか修辞疑問に近いかな。
だって答え出ないですからね、それって。
メールいただいた疑問が工夫の模索に変わったっていうか。
悩んではいるけどもその悩み方がこれでいいんだろうかじゃなくて、
こういう方法があるのではないかっていうふうに前向きに変わった感じがありますね。
いろいろ楽しみですね。
はい。これはでも次回以降もたぶんやっていきますね、これはきっと。
全部で何章あるんでしたっけ。
今のところ7章ですけども、
もしかしたらさっきの話の語り口の具合でもっと細かくなるかもしれないですね。
短いほうがたぶん電子書籍はいいと思うんですよ、1章あたりが。
2万字で1章にするんやったら1万字で2章にしたほうがいいかなっていう気もしてます。
もっと章が増えるかもしれない。
そうですね。章が増えることで間に遊びがいられるんで。
そういうのも合わせて考えたほうがいいなと。
前もって考えすぎてたのはありますね。
ある程度ゆるくして読んでもらってから決めたほうが良かったかなという思いもあります。
考えすぎてたのはそうですね。
難しいですね。前もってどこまで考えるかって難しいですね。
そうですね。
昨日だか一昨日だか、倉下さんがツイートで、
中途半端に考えたらダメみたいなことを。
中途半端に考えたらダメって言いましたっけ。
何の文脈で言ってましたかね。
あ、違った。
中途半端に文章化したらダメ。
あー!そうそうそうそう。
その話もいずれ打ち合わせキャストにしようかなと思ったんですけど。
今2章書いてるって言いましたけど、先週から2週間くらいあんまり書けてなかったんですよね。
文章が進んでなかったんですよ。
2章を着手したときって、3日間くらいで1万5、6千字の原稿をできたんですよ。
すごい。
荒かったんで、詰めていこうという作業をずっとやってたんですけど、
それがなかなか進まないと。
そんなことを自己観察してたんですけど。
たとえば今やってるREVISIONSとか、Rサイドでドマ式について書いてますけど、
あれってものすごい筆がのるんですよね。止まらないというか。
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一度書き始めたらもう40分ぐらいバーって文章ができあがってしまう感じがする。
そういうときと止まってるときは何が違うんだろうなと思ったときに、
ツイートもしたんですけど、言葉にならない何かがあるんですよ。
言葉にならない何かを言葉にしようと思うから、言葉化が進むんですよね。
文章化されてるともう言葉になってしまってるんで、
その言葉にならないときに走ってた心理的アプリケーションが全く働かないで、
筆が全く進まないっていうことに気がついたんだよね。
だからアウトライン的なものって、僕これまで材料メモっていうのは作ってて、
キーワードだけ並んでるやつ。順番も決まってない。
それって言語化されてないもののラベルだけ貼ってるみたいな感じなんですよね。
それを言語化していくっていう感じなんですけど、
中途半端なアウトラインの文章化は、見出しメモ以上本文以下みたいな感じで、
心のモードが何を発動しているのかが多分わからないんですよね。
直すモードなのか書き出すモードなのかがわからないんですよね、きっと。
だから言葉が進まないと。
だからアウトライン的な未文章、まだ文章になってないものについては、
これを見たら自分が書きたくなるぞという手前で止めておくっていうのがいいんだろうなと。
そのへんの感覚ってたぶんすごい人によって違うでしょうね。
違うでしょうね、きっと。
違うと思いますね。
それを昨日だか一昨日、倉下さんがツイートしてるのを見て、
そうだよなと思ってたんですよ。
細かすぎるアウトラインを作ったらダメっていうのは、たぶんそれと同じことだと思うんですよね。
たぶんそうでしょうね、きっと。
文章を書いてないのにあたかも文章を書いているかのように細かく展開までアウトラインで決めちゃうと、
もう文章を書くための自分の中で発動していた何かがそこで消費されてしまって、
それを最終的にちゃんと文章化しようとすると、もうそれが残ってないみたいなことが起こるんですよ。
なるほど、なるほど。
そういう心のエネルギーの在り方ってたぶんあって、
それをうまいこと利用するのが一番いいんだろうなと。
無理やり何かひねり出すというよりは。
そうですよね。
やっぱりのれて書けるのが一番いいんで。
そうなんですよね。
あ、ごめんなさい。
最初にすごい3日間で書けた勢いとそのギャップがすごかったんで、
あれはなんとかしちゃわなあかんなとずっと思ってたんですけど。
でもその3日間で勢いよく書けたものは、そのままは使えないにしてもよかったわけですよね。
39:07
部分部分はこれでいいなっていうのはあったんですよ。
でもたぶん僕の中では何か違うところがあったんでしょうね。
そこが何ヶ所か、縦の長いブロックが一つの章の中身としたら、
間間所々書いてるときに飛ばして書いたところがあって、
そこを整合させようと思って書き始めたら、全く進まないんですよね。
書けるんですけど、なんか違うなーっていう思いがあって、
結局何回も書き直すんですけど。
その内容はあるんですよ。書くべきことはわかってると。
むしろちょっと書いてやると。
あとはその流れに沿うように整えればいいはずなのに、
できないっていう、全くできないっていう日が続いてたんで。
今書きたいことじゃなくなっちゃってるのかもしれないですね。
っていうのもありますしね。
たぶんちょっと書かれてしまってるから、別の力がたぶん必要なんでしょうね。
一番最初の猛烈な書き下ろしとは違う方向が必要で、
でもその違う方向は、書き終わった文章のブラッシュアップをするのともまたちょっと違うんですよね。
まだ完全に書き切れてないんで。
そういう中途半端な文章を書き上げるのって、
僕の中で一番心的エネルギーが低いんですよね。たぶん。
エネルギーが低いってのはやりにくいってこと?
俗風に言うとやる気が起きない。
書き下ろすときはすごいエネルギーがありますし、
出来上がった文章、下段になった文章の書いたことを直していくのもすごい得意なんです。
やる気が出るんですけど、
ほとんどできてて埋まってないところを埋めるっていうのはものすごいだるいんですよ、普段。
できないんですよね。
なるほどなるほど。
だからね、すべてを穴抜けしないで書き下ろすか、
頭から一個ずつ完成させるかのどっちかのほうがいいということはわかりました。
そうじゃないところで止めちゃいけないってことですね。
そうそうそうそう。
たとえば本の正式なタイトルがわからんから開けとくとかはいいんですよ。
だけどちょっと論理展開が詰まってないから、
ここは後回しにしようというパスの仕方は、そこはもう無理っていうことなんですよ、きっと。
だからエネルギーが最大になるような書き方をしてなあかんなっていうのは思いました。
人によってエネルギーが最大になる書き方がちょっとずつ違うんで、
それを見つけなきゃいけないんですよね、たぶんそれは個人個人で。
そうそう。だから書けないのはなぜだろうって考えて。
だって2章の冒頭は書けてたんで書けないはずもないけど、書けないのはなぜだろうって考えてそこに至ったんですけど。
42:08
別に対処が終わるわけでもないし、その対処について知らないわけでもないので書けないっていうとか、
何か僕の心の中にある何かが動いてないんだろうなと思って。
何かが動いてないでしょうね。
これは大きい発見の一つでしたね。
僕最近発見したのはあれですね、リビジョンを書いてて再発見したんですけど、
連載が苦手だということを発見しました。
もう結構苦しい状況ですか?
やっぱ苦しいっていうか、要するに連載でなければ遡って直しちゃうのになっているところがたくさんありますね。
なるほどね、なるほど。でもそうですね、そりゃそうなりますよね。
でもまあこれは、連載は仮連載みたいなもんなんで、本のときに直すしかないし。
そこを直すことで後の展開がまた変わってくるんであればあれですけど。
いや、変わってくるんですよ。
変わってくるんでしょうね。
今の後の展開を変えるために遡って直すっていうのも気がついてみたらしょっちゅうやってたんで、
逆にそれをやらないで書くというのにあんまり慣れてないっていうところが。
僕はもうある段階から後ろを振り返らないことにしてるんで、もしかしたら理論的整合性がないことを書いてるかもしれません。
リビジョンを書くときは一切後ろのことは考えないようにしてます。
本当ですか。僕なんか後ろばっかり見ながら書いてますからね。
それは後で話の長尻を合わせるという気持ちで書いてるんで。
ただ面白いのは、逆にほっとくといつもの書き方だと書かれないことが書かれるっていうところがあるので、
やっぱりそういうことをやってみることは大事なんだなというところはありますね。
連載ものはいろんな意味でテンションコントロールが難しいし、
さっき言った整合性の話もありますからね。
結局は書いてしまうってことは、シェイクは不能になるということですからね。
そういうことなんですよ。
簡単に言ったらね。
それが命綱なのに。命綱使えなくなってるみたいな。
まあでもすべては仮ですから大丈夫です。
連載も仮なので、気にするのは気にするとしてもあんまり気にしすぎないようにというところですね。
まあただ、決して嫌な感じの大変さではないんですけど、
クラクラ社長は40分で書くのを2週間ぐらいかかるんですよね。
いやでもやっぱり前のことを気にしてないっていうのが大きいですよ。
たぶん話の流度も揃ってないですね。
でもあんまり気にしないです。
僕は材料出しのつもりで書いてるんで。
まあでも、ちょうど逆方向にも。
45:04
はい、ちょうど切り返しで。
あとちなみに想定では何回ぐらい分あります?
想定でいいですけど。
想定は決めてないですけど、そろそろ畳む感じですね。
はい。じゃあもうちょっとですね。
僕もアウトラインの話は実際そんな細かくはできないんで。
現物がないですからね、細かくはできないんで。
ある程度前の話を引き継いでこうできますよっていう話にするんで、
そんな格好はならないはずです。
そのままでずっとたぶん1日のアウトラインの編成をずっとやってきて、
一応今日でそこが終わって、
たぶん抽象論を2回ぐらい言う感じで終わるようになるんじゃないかなと。
でもちょうどいいと思いますね、それで。
やっぱり苦しい部分もありつつ不完全な部分もありつつ、
こういう形でアウトプットしないとなかなか出てこないというか、
世に出せないというか。
まあそうですね。
結局リビジョンの話ももっと大きく広がる話ですけど、
もっと大きく広がるのを待ってたんではかけないと思うんですよ、僕は。
広がるポテンシャルはものすごいですよね、これね。
でもそれに備えてたらたぶんね、一番後回しになっていくんですよ。
大きいものって一番後回しになっていくんで、基本的に。
だから適当な感覚でこういう連載を持つっていう、
しかも連載することによって相手がいるから、
かかざわれないところもあるんで、強制力がありますよね、ちょっと。
そうですね。
だからまた別の観点で、もうさすがにここまできたら終わると思いますけど、
終わったらまた別の観点でやりたいですね、観点というか連載で。
まあでもこのやり方はいろいろ使えそうな感じはしますよね。
そうですね。ある程度、週に1回か2回かける人であれば参加できますね、これは。
週1回かけないですか。
いや、かけるんですよ。かけるんだけど、たぶん内容が変わるんですよね。
あーなるほど。
内容が変わっちゃうと思います。
いやでもノート音がちょっと向いてないかもしれない。
あ、向いてないっていうか、アウトラインの見本とかを見せるのにあんまり向いてなかったなとやり始めてから気がつきましたけどね。
テキストで直接ってことですか。
テキストで直接。要するに過剰書き、リストが作れないとか、
その辺が若干難しかったなっていうのはわかりますね。
どっちがいいのかわかんないですけどね。
まあでも、異なる二人で連載を持つ場合はノートのマガジンの仕組みが非常に優れてるんで。
なんか知らんけど、全然知らない人からマガジンフォローされるか、どこに読まれてるのか全くわからないですけど、フォローされてるんで。
48:03
新しい読者さんとつながれる機会にもなんだかなと思うんですけども。
そうですね。セムさんがアウトライナーの話をマガジンに入れてくれてるんですね。
はい、入れてもらって。ああいうとこからもあるんか。
たぶんそっちから流入してきたりするのかもしれないなと思ってます。
なるほどなるほど。
そういう広がる仕組みがあるのが昔のブログ的というか、いいかなという感じは。
しんま、すっけー。
ノート以外でやるとなったら結構いろいろ面倒なことが出てくるんですよね。
まあ結論的に総合的にはノートが一番いいということになるんでしょうけど。
なっちゃうんですね。まあ仕方がないです。
ああそうそう。今突然全然関係ない話を思い出したんだけど、
ポイックっていう情報カードのシステムがあるんですけど、
あれのウィキサイドがなくなってるんですよね。
なくなってるんですか?引っ越したとかじゃなくてなくなっちゃったんですかね。
少なくとも検索でGoogleの上部には出てこないんですよね。
過去のURLを踏んでも404ノートファンドになるんですよ。
めちゃくちゃ残念なんですけど。
あれはどこかに保存されるべきですよね。
いやー、大変だなーと思って。
ある意味、知的生産手法遺産的な意味合いで取っておくべきものですよね、あれは。
現代版とまではなくても、知的生産の技術の情報カードシステムをやや現代寄りに寄せて、
タスク管理の手法も混ぜてっていうちゃんとしたシステムになってるし、
思いつきというよりもちゃんと論理的構築が後ろでなされてたんで。
あそこまで体系化されたカードの使い方ってあんまり他にはないと思いますよ。
いやー、わがままの時期に熟読しまして何回も読み直したんですけどね。
たまたま調べることがあって見ようと思ったらページが見つからなくて、いやー残念でした。
最後にあれ見たのはいつ頃だろうな。でもやっぱり2,3年がたってる気がしますね。
もちろんそのドメイン管理とかサーバーとかがあるんでね、それは当然いつまで持ちわけにはいかないんで。
やっぱりそのウェブはなくなるからちゃんと情報は、
力的情報はちゃんと退避させておかないといけないなというか、
そういう情報の総合サイトが欲しいですよね。
だから僕的には知的生産系の技術が読める総合サイトが、
僕は欲しいなとあらかためて思いましたので結局、
例えばそのPOICにしろ、マンダラートにしろ、アウトライナーにしろ、サイトが散らばっちゃってるんで。
散らばっちゃってますね。
で、当然それぞれリンクが出るわけでもなく、総合リンクがあるわけでもなく。
51:01
そうですよね。
知的生産の情報って結構散らばっちゃってるんですよね。
それをまとめる本を書いてもいいんですけども。
いやいやいや。
まあそれは結構難しいものがある。
そのサイトの情報をそこに入れるか、アクセスするURLを提供する総合サイトみたいなのが欲しいなと思った次第ですね。
次第ですか。そうですか。
あのPOICの方というのは、本とか出されてないんですよね。
中の人の正式な名前がわからないんですよね。
一応、ギヒョウさんのサイトでNSサイトを書かれてた人がいて、
POIC情報カードを検索したら、たぶんそのギヒョウさんのサイトが見つかると思うんですけど、
そこでも多少はカードの使い方っていうのは読めます。
はいはいはい。で、丸引きにやったような。
思想的裏付けとかはないです。読めないんで。
あそこが面白かったのになーと思って。
それは残念ですね、確かに。
でも結局ね、やっぱり消えていくんですよ。
消えていくもんやと思ったほうがいいですよね、こういうのは。
だからやっぱり何かしの方法がある方は、やっぱり最低限EPUBにまとめるか、
PDFにまとめられて、ウェブの大会に放り投げるのがよろしいかと僕は思われますね。
だからその流れで言うと、先週かな、この1週間以内ぐらいだったと思うんですけど、
さっきプライシャーさん、マンダラートの話をしていて。
マンダラートも今泉ひろあきさんの書籍が入手困難になってから、
やっぱり本当の意味でマンダラートの情報ってないんですよね。
あれもものすごいリッチなので、あれはネットにもともとないんですよね。
ああ、そうなんや。
マンダラートも入手困難になってるし。
大谷翔平選手の関連で最近有名になったのもあるんですけど、
はっきり言ってあれ序の口の一番高さの上のほうぐらいですからね。
本当に。
だからマンダラートもそうだし、この1週間以内ぐらいにチラッと言ってた、
Bトロンの実信過信の話も、あれも実は情報がないっていうか、
Bトロン自体がなかなか今使うのが難しくて、
Bトロンというのは超漢字という名前になってましたけど、
あれも今使えるのかな。一応使えるんですかね、あれ。
一応ソフトウェアの販売のサイトまでは見つけましたけど、Windows用の。
そうそう。最後にWindowsのバーチャル環境の中で超漢字を動かす方法で、
54:09
最後のほうは使えてたんですけど、ちょっとそこを細かくフォローしてないですけど、
あれは実は僕自身使ったことないんですけど、
あれ本当に面白いというか、あればなーと思わせられるものなんですよね。
実信過信というか。
たまにリプライで名前を目にするんで、僕も慌てて調べたんですけど、面白いですよね。
結局まだプロセス型アウトライナーと同じで、見出しと項目はいくらでも入りこじょうになっていくっていうリンクシステムと同じ発想ですよね。
あれがOSのファイルシステムと一体化しているみたいなところがあって。
そうですね。
そうなんですね。あるアプリとかサービスの中でリンク貼ってるんじゃなくて、
OSの中のファイルの本体が実信と呼ばれて、その実信に対する過信をいくらでも作って、それを別のアプリの中に埋め込めるっていう。
それをいくらでも入れ込みもできるしネットワークにもできるっていう。
あれもたぶん設計されたのが80年代ですかね。
っていうものもたぶん放っておけば失われてしまう。
説明するサイトはいくつか見たんですけど、包括的な説明がなかったんで、昨日は理解しましたけど。
あれはですね、本があって。
あんねんや。
あるんですよ。
昔からビートロンの本って開発のトップだった坂村健さんの本も初期の頃いっぱいあったんですけど、
ユーザー側の立場としては……。
超漢字。超漢字という名前のOSとして売られていた時代のパワーユーザーが書いた本がいくつかあって。
超漢字超流文っていう本だったかな。2007年ぐらいの本なんですけど。
そうじゃなかったかもしれないけどそれに近い感じのタイトルのものが。
いろいろありますね。確かに超漢字でいくつか本は見つかりますね。
はじめてみよう。体験版で超漢字。超漢字たどたど挑戦記。
57:08
超漢字が売り方の性質として、Windowsを代表とするいわゆるパソコンになじめない人も使えるパソコンみたいな位置づけになっちゃったことがあって、
本当のヘビーユーザーが、本当にどんなことができるのかというのがわかりづらくなっちゃったような状況だと思って。
そもそも超漢字って名前は何なんでしょうか。僕は日本語変換ソフトだと思ったんですけど最初。
思われちゃいますよね、そういうのは。
要するにユニコードではない、国際規格としてのユニコードでサポートされない漢字も全部きちんと使えますよっていうことだったらしいんですけど。
そういうことか。全然わからない。
本当に漢字変換のものだと思われても仕方はないですよね。
でも出てこないですね、Amazonでね。
結構日本発の情報操作の思想ってあるはずなんですけど、あんまり体系的にまとめられてないというか、全くまとめられてないに近いかな。
だからこのビートロンとしての本はたぶんあるんですけど、それこそ雑誌とかもあったんですけどね。
へー、始めてみようビートロン。
この言っていた一番ディープなやつが出てこない。
あれ見るとこれあったらいいなって思いますね。
うーん、いろいろ失われていって、いろいろ標準のものだけが残っていくというか。
まあそうですね、だから標準なんでしょうけど。
いやまあそうですね、たしかに。
ディープな面白いのが失われていくのはもったいないですね。
情報カードをみんなが使わないのは全然かまわないんですけど、
ああいう考察が失われていくのはちょっともったいないですね。
それで結局、カードじゃない場面でも実はそれって重要な役割を果たすはずのものなんですよね。
ポイックの場合って、ドックっていうのにカードを入れて、その中でカードを動かしていくって、
情報のエントロピーという考え方を、一定期間は膨れ上がらせて再生産することによってそれを減らしてっていう、
1:00:00
生命と同じプロセスをしてるんだっていう話が非常に面白かったんですけど。
面白いですね。ちょっと時代も感じるし。
そうそうそうそう。
そういうのは需要がないんですかね。
僕前、自分のサイトでアウトライナー情報源というのを作ろうとしていて、
そういった時期があってですね。
ちょっと挫折してるんですけど。
やっぱり誰かがそういうのをやるべきですよね。
そうですね。
ツールの話もありますし、ノウハウの話もあります。
結構広いんですよね、これって。
本当は……あ、見つけた。
超漢字超活用っていう本ですね。
超漢字超活用。
美咲香梨さんという方が書いてあって、美しい美咲の先に草冠の香梨。
星1になってる。3,080円。
星1ですか。それは面白いですよ。
あまりにも個人的すぎるんですけど。
単純に言うとオタクのおじさんの日記でしかないよと書いてますけど、
まさにそれが読みたいんやってことですよね。
そのとおりなんですけど、
要するに美咲香梨さんという方が超漢字を使ってやってることがオタクのおじさんのあれなんですけど、
それを支えている超漢字の機能、ビートロンの機能というのはよくわかりますか。
でも2006年を固定しているということは、14年経ってるのか。
もう古いわな。
逆にその超漢字が何なのかとか、そこに興味がない状態で書いてる内容だけ見るとこう思うかもしれないですね。
あー、なるほどね。
僕も内容には興味ないんですけど。
14年前ということは、その頃どんな情報整理をしていたか。
26歳。エヴァノートはなかったかな。
14年、その間ちょっと前か。
パソコンの中にファイルをいっぱい作ってた時代やな、その頃やと。
一時的に在庫切れって書いてあるけど、入荷する見込みはないですね。
1:03:02
国会図書館に行ったらよかったですよね、きっと。
国会図書館は普通の図書館でもあるところではあると思うんですけどね。
言うほど興味がないとあれなんですね。
やっぱり手軽な情報源としてはないんですね、そういうのってね。
なんかそこにギャップを感じますね。
なんか埋めたい。
そうなんですよね。読みたいものはそういうものなんですよね。
コイクにしても思想的背景の部分を読みたいっていうところがまさに。
必要的な部分ももちろん必要なんだけど、
それだけあると物足りない感じになっちゃうんですけどね。
でもそう思わない人が多いのかもしれないですね。
結局、奥を知ることによって展開とか応用とかができるようになるわけなんですけど、
そういうのを必要としなければ、目の前のノウハウだけでいいっていうことはあるでしょうね、きっと。
すみません、話が外れましたが。
いや、でも超漢字は気になったのにすっかり忘れました。
これも一応日本式の思想といっていいでしょうね、きっと。
あとは坂村健さんの、坂村健という名前とビート論で入れると出てくる何冊かの初期の本があるんですけど。
非常に面白いです。
今読んでも何の実用的なあれもないですけど。
今読んで実用的なことってどんなことでしょうね、逆に。
どんなことでしょうね。
逆にそれが知りたいな。
その本を読んだら、情報の成立で実用的だってどんなことが書かれるんでしょうね、仮に。
そういう本があったら。
定時で書いれるとか。
そういう意味でか。
それは大事なことなんですけど。
一つ僕は宿題ですね、自分の中で。
失われていく前にちゃんとまとめて読める形にしておかないとなという気持ちになっております。
でも本当にポイクのあれがなくなっちゃったのはちょっとショックですね。
そんなに好きなら普段から読んでおけようと思うんですけど。
まあ一応説明できるぐらいには僕は読んでますけど、
でもそれを新しい人は読めないわけですからね。
僕の脳内にあっても仕方がないことはないけど、仕方がないんで。
ある程度までだったら復旧できるんですけど、その方法は。
ただやっぱりあの背景にあるものは引用の域を超えてしまうんで、
1:06:02
ちゃんと参照に戻かないとなと思うんですけど。
まあまあそんなもんです。
その辺はまた考えます。
現在何か宣伝的なものがあれば。
まだですが、たぶんもうすぐ。
自分の本ではない本ですけども。
わかりました。
それは正しいと思います。
というわけで、今回の回とか前代についての感想等あれば、
ハッシュタグ、打ち合わせ、キャスト。
ひらがなで打ち合わせて、ハロベッドでキャストにお送りいただければツイッターで私がキャッチしますのでよろしくお願いします。
今回の話とかで質問等もあれば、そのハッシュタグでお願いします。
というわけで今回はこれまでにしたいと思います。
おつかれさまでした。
おつかれさまでした。
はい。
01:07:01

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